第13話


 学園祭当日。女坂と呼ばれる坂を登った先には、いつもと違う景色が広がっていた。男、男、男。校門の前でたむろしている男たちは、興味ないって顔をしながらも可愛い女の子を目で追いかけている。普段女の子たちばかりに囲まれた生活を送っている分、体のかたちも声の高さもまるで違う男という生き物がここにいるということに違和感を抱く。


 D校舎に差しかかったときに声をかけられたのは、背が高くひょろりとした若い男だった。色が白くて不健康そうな面立ちがもやしを連想させた。舞台の準備が控えていて急いでいたあたしは、軽く会釈をすると男の側をすっと通り過ぎた。好みでないわけでも、別段顔が悪かったわけでもなかったけれど、今のあたしの心の中は玉井柚季でいっぱいだったから。彼女以外、あたしの中に入れさせたくなかったのだ。


 あの子に出会う前の強欲なあたしは何処かに消えてしまったみたいだった。ピンク色のマカロンも、水玉模様のフレアスカートも、可愛い顔をした文学少年も、何にも欲しくない。何にもいらない。玉井柚季以外、いらない。


 学内ホールの設営は思っていたよりも早く終わり、11時頃になると午後の舞台に向けて最後のリハーサルが始まった。照明を担当するあたしの仕事は、ステージの様子を録画したビデオカメラを見ながら舞台を真っ暗にしたり、赤・青・黄のライトを点滅させたりすること。照明のタイミングがズレれば、舞台の進行を妨げることにもなりかねない、責任の大きな仕事だった。集中していたおかげで、中世ヨーロッパの貴公子が身につけているような衣装が宇宙一似合う玉井柚季の姿を瞳の中に焼き付けることができなかったのだけれど。


 リハーサルが終わると、あたしとおけいは連れ立っておままごとのような露店を冷やかして回った。フランクフルト、焼きそば、チュロス、お化け屋敷、写真展。アニメのコスプレをしている子や段ボールの看板を胸に下げた女の子がそこら中を歩いていた。今を謳歌している大学生たちの醸し出す楽しげな雰囲気に、自然に顔がほころんでいく。あたしは昔から、賑やかな場所が嫌いじゃない。

 「茶道部の友達がお茶点ててくれるって」、そう言うおけいに頷いて階段をC校舎の階段を上ろうとしていると、聞き覚えのある声が背後から飛んできた。


「ねえ君。そこの君。ポニーテールの女の子!」


 振り向くと、そこには今朝のもやし男が立っていた。

 半開きになった唇から「あ」と声にならない音を漏らすと、頬を染めた少年は嬉しそうににっこりした。おけいはあたしの二の腕を突っつくと、「誰、この人」と耳打ちするように囁く。


「何か、用ですか」

「つれないなあ。君、今暇?友達と来たんだけどはぐれちゃって。良かったら校内案内してくれない」


 何か言葉を発する前に、おけいは一歩前に出て、あたしを庇うように「無理です」と言った。その時初めておけいが居ることに気づいたというような顔をした男は、長く伸びる両腕をわざとらしく広げた。


「何?君は誘ってないけど。自意識過剰なんじゃん」

「別に誘われたなんて思ってません。私たち、今から舞台あるんで、失礼します」


 おけいに促されて、踵を返そうとしたときだった。

 右手を強く掴まれて、顔をしかめる間もなく、強い力に引っ張られる。気がつくと男に引きずられるように走り出していた。「ちょっと待ってください」と何度叫んでも、男は足を止めなかった。前方に広がる障害物の群れをくぐり抜けるようにして進んでいく。10分ほどそうしてたどり着いたのは、運動部の学生が練習に使用している体育館の裏だった。露店で賑わっていた校舎群から離れたせいかやけに人気がなく、辺りは静まりかえっている。


 あれだけ走ったのに、男は息を整える様子もない。あたしの目をじっと見つめて、それから「君って、本当に可愛い顔してるよね」と囁くように甘い声で言った。アルコールをはらんだその声にあたしはふと身の危険を感じて、ショートブーツの踵をほんの少し後ろにやった。


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