第12話


 手芸店からの帰り道。鴨川沿いには沢山のカップルが等間隔に腰掛けていた。仲良さそうにしているカップルは、他に怖いものなんて無さそうに見える。前を歩く玉井柚季と鴨川沿いに座ってサンドイッチを食べているところを想像しようとしてみたけれど、上手くできない。だって、玉井柚季があたしに笑いかけてくれたことなんて一度もなかったから。

 そんなことを考えていると、何だか絶望的な気持ちになってきた。やりきれない感情が溢れてきて、足が止まる。


「ねえ、玉井柚季」

「…何」


 こっちを振り返った玉井柚季の面倒くさそうな表情に、胸がぎゅっと音を立ててつぶれる。あたしはこの頃、目の前の女の子の一挙一動に振り回されっぱなしになっている。


「玉井柚季は、レンアイに興味がない女の子ですか?」


 どうしてあたしはいつも、馬鹿みたいに直球のボールしか投げられないんだろう。気の利いたことの一つも言えない自分の薄っぺらさが恥ずかしくて、顔がさっと赤くなるのを感じる。玉井柚季はふっと鼻で笑うと、「興味ない。っていうか、人間に興味ない」と言って秒速であたしの心を突き放した。

 すがるようにして、遠く離れていこうとしているその背中に問いかける。


「どうして?…どうして玉井柚季は、人間に興味ないの?」

「つまんねーこと聞くなよ。そういう目で、私を見るのもやめろ。鬱陶しいから」

「そういう目って、どういう目?」

「あたしを可愛がって、あたしを好きになって、あたしのご主人様になってっていう目。期待されるのも寄りかかられるのも、もうウンザリなんだよ」


 その時、機械音に似た玉井柚季の声が、かすかにざらりと苛立ったような気がした。


「…えーと。それは以前、玉井柚季にも、そんな経験があったということ?」


 あたしがそう尋ねると、玉井柚季は動きを止めた。また刺々しい言葉が飛んできそうで怖かったけれど、ありったけの勇気を振り絞って、思いっきり明るい表情で言葉を放つ。


「え、えー!そうなんだ、玉井柚季、誰かと付き合ったことあるんだ。ねえねえ、その人ってどんな人?すっごく気になる!」


 何も答えない背中を見ていると、恐怖で喉の奥が閉まるような気がした。

 腕を組んだ男女が、楽しそうに笑いながらあたしたちの横を通り過ぎていく。羨ましくて仕方がなかった。あたしは玉井柚季の横を歩くことさえ許されていないのに。

 玉井柚季に追いつこうと、必死に後ろ足で地面を蹴る。


「本気で教えてもらえると思って聞いてんの?それだったら本物のバカだな」

「だって…だって、あたし、何にもわかんないもん。人を好きになったのなんて、初めてだから」

「…お前って本当にめんどくせーな。お前飼うくらいなら犬飼うわ」


 二度も鼻で笑われたことがショックで、涙が目の渕まで込み上げてくる。

 何の武器も持っていないあたしは、玉井柚季の心をかすめることさえできない。赤ちゃんみたいに無防備だった心は、玉井柚季の一挙一動にずたずたに傷つけられて、もう血まみれになっていた。


「教えてよ。何をしたら、玉井柚季の中にいれてもらえるの?」

「…演劇」

「演劇?」

「さっきの答え。あたしは演劇にしか、キョーミない」


 どういうこと?


 そう聞き直したかったけれど、いつのまにか煉瓦造りの校舎にたどり着いていて、あたしたちの短くて長い会話はそこで打ち切りになった。玉井柚季が演劇にしか興味がないことなんて、随分前からわかりきっていることなのに。

 買ってきた布を石橋先輩に渡している玉井柚季の横顔を見つめながらため息をつく。「いいじゃん」と言われて少しだけはにかむような照れた表情が可愛い。そんな顔、あたしに向けたことなんて一度だってないのに。石橋先輩が羨ましくて、おけいの握っていたトンカチを取り上げる。銀色の釘をいくら板に打ち込んだって、胸に巣食うもやもやが晴れることは結局なかった。


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