第10話


 目覚めるとそこは真っ白な病室だった。くんくん嗅ぐと空気中に消毒液のツンとした匂いが溶けているのが分かる。自分の身体がやけに重たくて、起き上がることさえままならない。

 すぐに看護婦さんがやってきて、あたしの寝ているベッドまでおけいを連れてきてくれた。物心ついた頃からずっと一緒にいる幼馴染の顔を見ると急に安心して、ぼろぼろ涙が溢れた。玉井柚季に傷つけられたところが痛くてたまらない。


「ちょっ、ポチ!」


 おけいは慌てて、胸を押さえてしゃくり上げるあたしの背中をさすった。労りの気持ちが伝わってくる優しい手つきだった。そのとき、玉井柚季があたしに言った言葉を思い出す。


 —お前、自分はそこに居るだけで愛されるとでも思ってんだろ。笑って愛想よくしてちょこんと座ってればそれでいいって。


 否定できなかったのは、お酒に酔っていたからだけじゃない。あたしは今まで、こんな風に、誰かがくれる優しさに甘やかされてきたのかもしれない。愛されることが当然だと、傲慢にも思い込んできたのかもしれない。


「もう、やめなよ、ポチ。今のあんた、痛々しくて、見てらんない。あんな酷いこと言う奴、好きになる価値ないよ。もっとあんたのありのまんまを、好きになってくれる子がこの先きっと現れるから」


 いつの間にかおけいは泣いていた。あたしの為に泣いてくれる優しい友達。おけいの頬に光る涙を見て、さっきとは違う感情で胸がいっぱいになる。この子が大事だ、と感じる。

 だけど、おけいの言葉には頷くことができなかった。


 あたしは気づいてしまったのだ。

 どうして玉井柚季が欲しいのか。それは多分—…。

 窓の外を覗くと、こんこんと降り続けていた雨はいつの間にか止んでいた。




「何?忙しいから、早く済ませて欲しいんだけど」


 オーディションの一週間後。演劇部の部室に現れた玉井柚季は不機嫌な態度を隠さなかった。相変わらず言葉尻は冷たくて、注意深くあたしの顔を見ようとしない。

 その取りつくしまの無さにめげそうになるも、心を奮い立たせてあたしは口を開いた。


「この間は、ごめん」


 玉井柚季は少し戸惑ったような表情を浮かべて、こっちを向いた。これでもかってくらい深く頭を下げて、もう一度「本当にごめん」と叫ぶように言う。


「あたし、バカだった。あのときのあたしは、自分のことしか考えてなかった。好きになって欲しくて、優しくして欲しくて、玉井柚季がどう感じるかなんて、全然、考えてなかった。だから、ごめんなさい」


 玉井柚季は何も言わなかった。だけどあたしから目を逸らすことはしなかった。そのことにほんの少し救われたような気持になる。

 大きく息を吸って、埃っぽい部室に充満した空気を体内に取り込んだ。


「でも、あたし、諦めない。玉井柚季のことが好きだから、好きになってもらえるまで、がんばる。いくら傷つけられたって、とことん食らいついてみせる」

「…何なの、お前。何でそんなに、私に固執すんの。怖いんだけど」


 あたしが玉井柚季に固執する理由。それはー…。


「初めて玉井柚季を見たとき、あたしが探してたのはこの人だ、と思ったから。玉井柚季は、あたしの世界が変えてくれる、特別な女の子だから」


 あの日の部室で、玉井柚季に出会ったとき。狭くて小さかった視界が開けるみたいな心地がした。演劇に自分の全てを傾けている玉井柚季を見てしまったとき。あたしはきっと忘れない。あのとき、あの瞬間、あたしの心臓がたてた鼓動の感触を。

 あたしとは全然違う世界で生きている女の子。あなたのきれいな瞳の中に映り込みたくて、仕方ないの。

 言いたいことは沢山あるのに、胸がいっぱいで言葉にならない。玉井柚季があたしを見ていることが嬉しくて、勝手に顔がほころんでしまう。

 若草色のカーテンを吹き飛ばすように流れてきた風が、玉井柚季の柔らかそうな髪の毛をタンポポの綿毛みたいにふわふわ揺らした。


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