第9話



 玉井柚季は口元に傾けていたビールの入ったジョッキを乱暴に置いた。


 その衝撃で醤油入れが倒れる。茶色い液体が、机の上に小さな水たまりをつくっていくのを眺めながら、玉井柚季は静かに言った。


「もう、お前、黙れよ」


 芯から火照った体に氷水を浴びせられたみたいに、心臓が冷たくなる。いつの間にか周囲に座る女の子たちの視線があたしたちふたりに注がれていることに、そのとき初めて気づく。

 玉井柚月はあたしの顔から目を逸らしたまま続けた。


「つまんねえ。意味わかんねえ。勝手に夢見て、勝手に想像して、勝手にもたれかかってきて。気持ち悪いんだよ」


 気持ち悪い。

 気持ち悪い…?

 気持ち悪い。


 気持ち悪いなんて、初めて言われた。


「お前、自分はそこに居るだけで愛されるとでも思ってんだろ。笑って愛想よくしてちょこんと座ってればそれでいいって。まるで空っぽな人形だな。どこのどいつがそんなの、欲しいって思うんだよ」

 

 反論したかったけど、あたしは何も言えなかった。今回の失敗の原因は、両親ともに、お酒に弱いことを完全に忘れていたこと。眉間に皺を寄せながら必死で口を押さえているあたしをじっと見つめているくせに、あたしの王子様はあたしに何にもしてくれなかった。

 遂に我慢できなくなってアルコールやポテトサラダや枝豆がぐちゃぐちゃに混じった液体を口から吹き出すと、王子様は心底嫌そうな顔をして、ゴキブリを見るような目をあたしに向けた。


「うわ、きったねー。サイアク」


 遠のく意識の中で、耳からひたいの方へ流れていく涙の熱さを感じながら、ゆっくりとまぶたを閉じる。こんな奴、誰にでも愛されるあたしに相応しい王子様なんかじゃない。それなのに、どうして。

 あたしは疵だらけになった今でも、玉井柚季を追いかけることを止めようとしないんだろう。


 —あたしは。あたしはどうしてこんなに、玉井柚季が欲しいんだろう。


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