第3話


 部活動は週5回。公園前は毎日稽古があるから、サークルとの掛け持ちはおすすめしない。合宿は春と夏の二回。役者以外にも大道具や小道具、脚本や照明なんかもあるから、演技が恥ずかしいという子も入部OK。勿論、初心者も大歓迎だよ。それから…

 上級生の説明が10分ほど続いた結果、あたしは早くもやる気をなくしていた。


 平日の放課後を全て拘束されるなんて、聞いてない。たかが部活にそれだけの時間を費やすなんて、華の女子大生生活がもったいなさすぎる。あたしをちやほやしてくれる男の子とレンアイしたり、お洒落なカフェでバイトしたり、一ヶ月間の短期留学だってしてみたい。

 あたしは19歳の女の子。お菓子屋さんのマカロンみたいに色とりどりの欲望を心の陳列棚に並べていた。そのどれもが魅力的で大切だった。

 ごめん、おけい。思ってたよりキツそうだから、あたし、この部活入るのやめるね…そう言おうと横を向きかけた瞬間だった。


「じゃあ今から、入部テストしまーす。はい、これ読んでね」


 上級生の良く通る声が狭い部室に響いて、はっとした。手渡された一枚のプリントに目を落とすと、セリフのような文章が3つ書かれてあった。これを元に寸劇をするということだろうか。

 入部テスト?初心者歓迎って言ってたくせに、うそじゃん。

 あたしと同じように思っている子は結構居たみたいで、部屋の中は騒然としていた。

 

「なに?そんなに嫌?まあ、いくら新入生歓迎っていっても、やる気ない子はいらないから。ふるいにかけたいんだよねえ、ウチとしても。じゃあ、準備できた子から手を挙げてね」


 上級生はてきぱきとした口調でそう言った。後ろで高い位置にくくったポニーテールが左右に揺れる。

 なんだそれ。すごく、嫌な感じ。こっちだってこんな部活、大して本気で入りたいなんて思ってないっつーの。口の端だけを歪めた小癪な微笑みに苛々しながら、椅子から立ち上がりかけたところだった。


 「はい」と言う涼やかな声がして、目の前に細くて白い腕が高々と挙げられた。少女だった。あたしは少女の演劇が見てみたくて、再び椅子に腰を落ち着けた。

 部員や新入生の期待の混じった視線をものともしない堂々とした面持ちだった。少女が唇を開いた瞬間、汗の匂いのする部室が舞台に変わる。春の風に巻き込まれたカーテンがざあっと浮き上がり、新緑のイチョウの葉が舞い込んできた。

 それは太宰治の「女生徒」の一編だった。遠くまでよく通る澄んだ声で、少女はそれを朗読した。少女から目が離せなくなって、胸がどきどきする。


「メガネをとって、遠くを見るのが好きだ。全体がかすんで、夢のように、覗き絵みたいに、すばらしい。汚ないものなんて、何も見えない」


 少女はあたしたちのことなんて見ていなかった。ここじゃない何処かを見つめて、自分の言葉を理解することができる誰かに、懸命に語りかけているみたいだった。

 胸がどきどきした。少女から目を離せなかった。この人は特別。特別なあなたを理解できるのは、きっと世界中であたし一人だけ。曇り空を切り裂く雷みたいな閃光があたしの胸を貫いた。

 疎らな拍手が消えて暫く経っても、あたしは金縛りにあったみたいに動けなかった。それは生まれて初めての感覚だった。こんなに胸がどきどきするのも、一目惚れに近いレンアイも、誰かのことを本気で手に入れたいと思ったのも。


 欲しい。あの子が、欲しい。

 あの子があたしのものになるなら、他にはなにもいらない。


 低い身長を少しでも高く見せるために盛った10センチのヒール靴のかかとを鳴らしながら、あたしは少女のところまで歩いていった。まだ夢を見ているみたいに頭の中がぼんやりしていて、何も考えられない。

 一目惚れという名の夢遊病にかかったあたしは、少女に右手を差し出しながら、大きな声で叫んだ。


「好きです。あたしのものになってください!」



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