第2話


 主に文学部練になるJ校舎から桜の小道を通り10分くらい歩いたところにある体育館であたしたちの入学式は行われた。何処も彼処も見渡す限り茶色の海。あたしも例外ではない。高校を卒業してすぐに美容院に駆け込んで、ひじきみたいに黒々としていた髪の毛を栗色に染めた。本当はパーマをかけてふわふわにしたかったんだけど、「傷んじゃうから、だめっ」とお姉系の喋り方をする美容院のお兄さんに止められたので断念したのだ。

 出席番号順の席順だから、おけいとの距離は開いている。既に隣り合った女の子たちは小鳥がさえずるような声で談笑していて、あたしは少し焦っていた。


 こういうのは、最初が肝心。話しかけられるのをただ待つんじゃなくて、自分からいくのが吉。心を奮い立たせるようにして、右隣に座っている黒髪のショートカットの女の子の方へ椅子ごと体を向ける。


 「ねえ、何処からきたの」と尋ねようとしていた台詞を飲み込んだのは、彼女の容姿に心を奪われてしまったから。明らかに他の女の子とは違う類稀なうつくしさを持つ少女がそこに居た。

 その横顔はまるで夜露に濡れる白百合のよう。彼女に視線を送っているのは私だけではなかった。背後から聞こえる「あの子きれい」というささやき声が、彼女に向けられたものなのは明白だった。


 少女はあたしに気づくとすぐに不機嫌そうな顔になって「なに?」と首をかしげた。たちまち頬が燃えるように熱くなるのを感じながら、なんでもないと首を振ると、少女は目線を入学式のしおりに戻してしまった。

 そこで会話終了。本当はもっとお話ししてみたかったけれど、少女の「話しかけんなオーラ」を察したあたしは、空気を読んで左隣の女の子と仲良くなることにした。胸まで三つ編みを垂らしたおとなしそうな女の子の名前は史花と言って、好きな芸能人がかぶっていたあたしたちはすぐに気があった。


 それからしばらく、少女のことは忘れていた。あたしは大学生活を楽しく送るためにクラスのみんなと親睦を深めることに忙しかったから。

 少女と再会したのは、入学式からちょうど一ヶ月経った月曜日だった。おけいといっしょに旧校舎の三階にある演劇部の部室を訪ねてみて驚いた。扉を開けるとそこには、黒ずくめの少女が居た。黒いレースシャツ、黒いスキニーパンツに黒マーチン。別に服装に気を遣っているように見える訳じゃないのに、ブランドで固めた量産型女子よりもずっと美しく見えるのは何故だろう。


「ちょっと、ポチ。口、開いてるよ」


 おけいに腕をつつかれて、慌てて口元を覆う。私は考え事をすると口を半開きにする癖がある。幼稚園からずっと、どんなに気をつけていても治らなくて、良く男の子たちにからかわれてしまうのだ。

 少女は嫌そうにこっちを睨んだあと、手元に持っている冊子に視線を戻した。真剣な表情で文字を覆っている。舞台の台本か何かだろうか。


「はーい、じゃあ演劇部の説明会始めるんで、新入生は席についてくださーい。」


 7畳の自分の部屋よりも小さい部室に丸椅子がぎっちりと並べてある。おけいと譲り合いながら腰掛けると、奇しくも少女の後ろに位置する形になった。少女の形のいい後頭部が目の前にあることに、何故か緊張してしまう。


「に、し、ろ…7人か。今年は結構入部希望者多いね。この中で演劇経験者の子って何人いる?手、あげてくれない?」


 ポニーテールの上級生の声を聞いて、少女の華奢な腕がピンと高くあがる。上級生は少女に目を留めると、数学の難しい問題が解けたときのような表情を浮かべ、みるみる間に顔をほころばせた。


「ねえきみ、去年の高校演劇コンクールに出てなかった?私観に行ったんだよ、きみの高校の演劇。ハムレットの主役やってた子でしょう。そうでしょう」


 上級生のその興奮具合から、その高校の主役をはるということがどれだけすごいことなのかが伝わってきた。周囲に居た部員たちもまた、少女に熱っぽい視線を送っている。だが少女は表情を変えずに「ありがとうございます」と冷たく言ったきり、口を開こうとしなかった。

 本当にクールな子なんだな、とあたしは思った。


—でも、誰かに褒められて調子にのらないところも、少し格好いい。


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