1-2

 次の日、扉を叩く音で目が覚めた。

 枕元の目覚まし時計を見ると、午前九時を過ぎている。

 長旅の疲れが出たのか、久し振りにぐっすりと眠っていた。

 宣子はもぞもぞと起き上がり、パジャマにカーディガンを羽織って一階へ下りた。玄関はどちらだったか、一瞬、惑う。

 彼女がもと住んでいた公団住宅と較べれば、この家は方向を見失いそうなほどの広さがあった。

 扉を叩く音は続き、すぐに玄関の方向が知れた。荒々しい音に宣子は眉をひそめた。

 「どちらさまですか」

 こわごわ呼び掛けると、音が止んだ。

 「上条かみじょう。上条一志かずし

 ドアの向こうから低い声が聞こえた。

 名前だけ言われても、なにがなんだか判らない。

 「ご用件は……」

 「篠沢に言われて、手伝いに来た。引っ越したんだろ」

 言われてようやく思い当たった。そういえば篠沢は、家具を運ぶために人を寄越す、と言っていた。

 日時を知らされていなかった気がするが、自分がぼんやりして聞き逃していたのだろうか。

 「すみません、いま開けます」

 カーディガンの前をかきあわせ、片手で錠を開ける。

 昨夜、戸締まりをするときにも思ったことだが、あまりにも単純な造りの錠なのですこし不安だ。できれば丈夫なものに取り替えてもらおう。

 木のドアを軋ませながら開けた。

 高校生くらいの少年が、憮然とした表情で立っていた。

 宣子を一瞥して彼は言った。

 「長浜さん来てる?」

 「え? ……来てませんけど」

 なんだよ、と一志は舌打ちをした。宣子はその態度に我知らず怯えた。

 「電話、まだ繋がってないよな」

 「あ、はい……」

 それきり一志は黙った。家の前にそびえる大木のところまで歩いて行き、根元に腰を下ろす。

 宣子の視線に気づくと「長浜さん来るまで待ってる」と、素っ気なく言った。

 手伝いに来てくれた者を、そんなところで待たせるわけにもいかないだろう。

 「あの、お茶くらい入れますから、上がってください」

 「べつに、いい」

 宣子は困りながらも一度家に引っ込んで、顔を洗い、慌ただしく服を着替えた。

 昨日のうちに運び入れた、整理しきれていない荷物を漁る。ダンボールの中からティーセットを取り出し、沸かしてあったポットのお湯でひとり分の紅茶を淹れた。

 トレイに載せて玄関に向かったところで突然扉が開いた。びっくりして紅茶を取り落としそうになった。

 カーキ色の作業服を着た中年の男が立っていた。にこにこしながら、おはよう、と言った。

 「遅れて悪かったね。手伝いに来たよ」

 「あ、ええと」

 「世話役の長浜。家具運んできたから、入れちゃいますか」

 「は、はい」

 紅茶は行き場をなくした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る