付き合うと思うなよ第十六話


「──はッ!」


 『ヒキニート』の再発動により祈里の催眠が解除され、新井 善太は意識を取り戻した。

 そして彼の網膜が映した光景は、自身を庇う仲間達の姿、そしてそれに対峙するアリー……いや、アリーヤの姿だった。アリーヤの横には、四体の黒い狼が毛を逆立てて善太達を睨みつけている。

 そしてさらに奥には……洞窟を塞ぐほどの巨大な黒狼がいた。


「な、なにが……」

「ゼンタ様!」

「……意識を失っていた方が楽だったんですがね」


 体を起こした善太に、アリーヤは冷徹な視線を送る。

 そこでようやく善太は何があったかを思い出し始めた。高富士祈里の「種族不明」という表記。その後の彼の表情。それに至るまでの顛末。


「ゼンタ様! 奴を束縛してください! それができればまだ逃げられる可能性があります!」

「ど、どういう状況なんだ、メイさん!?」

「まだ混乱を──我々はアリーヤに追い詰められています! このままでは殺される! 早く加護を!」


「なるほど……加護を発動されては面倒ですね」


 アリーヤの目は、今度は明らかな警戒の目に変わった。

 巨大な黒狼……フェンリルが彼女に問う。


『グラァァァ……ならば今すぐ殺すかぁぁ?』

「いえ。すでに我々の情報がマッカード帝国に渡った可能性があります。ならば一度彼らを催眠し、その報告が虚偽であったとさらに報告させるべきでしょう。あるいは祈里なら別の方法を思いつくかもしれませんが……生け捕りにしたほうが方法は多いはずです」

『なるほど生け捕りかぁぁ……これだけ弱い奴らを生け捕りとは逆に難しいものだなぁぁ』

「しかし未知の加護は警戒すべきです。即座に捕縛します」


 淡々と続けられる、一人と一体での会話。それがなにより、アリーヤが敵であることを裏付けていた。メイ、リリー、フィオナはよりはっきりとした臨戦態勢をとる。

 しかしそのさなか、善太だけは事実を受け入れられずにいた。


「あ、アリーさん! じゃなくてアリーヤさんか……何かの……間違いなんだよね!? 君もあいつに脅されて、従っているだけなんだよね……!」

「ゼンタ様! 奴は敵です! 早く加護を……」

「ぼ、僕は、アリーヤさんを信じてる……あの旅の君の笑顔は、嘘じゃなかったと……」

「ゼンタ様!!」


 メイの悲痛な叫び。

 善太の震え声の訴え。

 それに対するアリーヤの返答は──


「かかりなさい」


 返答はなかった。

 目の前の茶番劇など見えていないように、ただ黒狼達に命じた。


「どうして……」

「ゼ、ゼンタ様、お逃げを──」

「きゃぁぁ!」

「くそっ」


 メイ達は勇者の護衛であり、それ相応の実力はある。だが黒狼はそれぞれがただのモンスターの範疇を逸脱していた。

 勇者パーティーの面々が、それぞれ目の前にいる黒狼の対処に追われた次の瞬間、一陣の黒い風が吹き、黒い薔薇が咲いた。


「な──」

「えっ……」


 メイの暗器が、リリーの剣が、フィオナの杖が、一瞬のうちに両断された。そしてさらに暫くして気づく。彼女達の服の下、身体能力を強化していた魔動具のコア部分が破壊され、機能しなくなったことに。


 アリーヤはいつの間にか善太の目の前にいた。黒いドレスのスカートは円状に広がり、まるで薔薇のようであった。

 彼女の手には黒い刀が握られていた。「絶斬黒太刀」──魔力を流せば、この刀に斬れぬ物はこの世に存在しない。


「……聖剣はどこにあるのでしょう。勇者の加護が発動したのだから、顕現していてもおかしくないはずなのですが」


 尻もちを付き、微動だにできない善太を前に、アリーヤは顎に手を当てて思考する。


「奪取して祈里に渡せば、何かいいサンプルになったと思うのですが、仕方ありませんね」

「あ、アリー……本当は洗脳されている、んだよね……? 目を覚まして、」

「捕らえなさい」


 善太の声など聞こえていないように、アリーヤは重ねて黒狼に命じる。

 命令どおりに、黒狼達は無力化された勇者パーティーに飛びかかり、地面に抑え込んだ。


「ぐっ」「ぜ、ゼンタ様……加護を」


 地に伏せながら、善太は未だに迷っていた。

 本当にアリーヤが脅されていないと言えるのか。催眠されていないと言えるのか。

 目の前の冷酷なアリーヤは、一緒に旅をしてきたアリーとはまるで別人に思える。……いや、本当に別人なのではないか。これこそ彼女が祈里に洗脳されている事の証左なのではないか。

 そのような疑念を、拭えずにいた。


「ねぇ、アリー……君は、本当に……ぼ、僕を裏切っていたのか……?」

「脚の腱を噛みちぎっておきなさい。そうすれば例え加護により私が束縛されても、自力では逃げられなくなりますから」


(アリー……)


 足首を咥えられる感触があった。善太は絶望したように、顔を伏せ目を閉じた。




「お─────い!! 聞こえるかな!!」


 突然、洞窟に反響する大きな声が聞こえた。この場に不似合いな程、気が抜けるような声であった。

 黒狼達は一斉に耳を立て、声が聞こえてきた方向……洞窟の奥を睨みつける。


「だ……誰?」「女の人?」「一体……」


 メイ達も聞き覚えのない声だった。今の絶望的な状況も忘れ、素っ頓狂な言葉が口から漏れる。

 聞き覚えが無いのは新井善太も同じであった。その底の抜けたような声に、ただただ困惑するのみである。

 フェンリルもその不審な声に顔をしかめる。


 アリーヤだけは、信じられないというように目を見開いた。


「盗み聞きだからよく分からないけど、ゼンタ君! きっと君は今選択する必要があると思う! 全てを救う力を今持っていない君は、どちらを捨ててどちらを守るかを選ばなきゃ行けないのさ!」


 その透き通る声は、洞窟の壁面で幾重にも反響していたが、すんなりと鼓膜の中に入ってくるようだった。


「君が本当に大事なものを見極めるんだ!」


 本当に大事なもの、という言葉が善太の中でストンと落ちた。

 彼はメイ、リリー、フィオナの顔を見る。彼女達の頬は土に汚れていて、涙すら流していた。


(今だって信じられない。アリーさんが魔族だったなんてこと……。でも、それが真実であろうがなかろうが、彼女達が傷つくのは許せない──!)


「──我が住人、アリーヤに、『束縛』の加護を与える!」

「しまっ──」


 ズン、とアリーヤの体が重くなる。


(体がほとんど動かない──恐らく平均的な人間並に身体能力が落ちて……)


「よくやったよゼンタ君! これでようやく助太刀に入れる……!」


 蹄の地面を蹴る音が聞こえた。奥から迫る光に、思わず黒狼達は退避する。

 まだ地面に伏せたままの善太達を、光り輝く馬が飛び越えた。


 一本の角。生物を模した『神のもたらした』魔動具、ユニコーン。

 それに騎乗した彼女は光り輝く巨大なハンマー、聖槌アンリータを振りかぶる。

 狙う先にはアリーヤがいた。


(マズい──)

『グラァァァ!』


 アリーヤの前にフェンリルが飛び出した。その大きな体躯は盾として十分機能した。だが光の魔力に当てられ体が半壊する。


「不意打ち失敗……うまくは行かないね」


 甚大な損傷を受け形を保つことができず、影となり崩れ行くフェンリル。やがてアリーヤと彼女の間に視界を阻むものが無くなった。


「あれ、どこかで聞いた声だと思ったら、黒薔薇……いや、アリーさんじゃないかい? 一体何をしていたのさ」

「──ファナティーク・ラセホス……なぜ、ここに……!」


 彼女はレギンの街の元神官騎士、ファナティーク・ラセホス。祈里に「シスター師匠」と呼ばれていたその人であった。











「フハハ……そうか、そうか……」


 何がおかしいのか、シュテルクは笑いながらこちらへと歩いてきた。

 そして初めて感じる殺気。奴はついに、俺を敵と認識した。


「それは、考えれば当然のことだろうな。これほどの強さがあるお前が、あの国を潰した貴様が、あの場にいて弟子を殺さぬ筈がない」


 歩いている最中、突然シュテルクの姿が消えた。

 次の瞬間奴がいたのは、俺の正面。


「ぬんっ──!」

「──っグぅ」


 シュテルクの拳が俺の腹に突き刺さる。

 見事に俺の体はくの字に折れ曲がり暫く宙を舞った後、地面に叩きつけられた。

 くそ、マジで体動かねぇ。

 どういう理屈か、《陣の魔眼》の転移が使えない。術式の阻害なはずはないから、魔力使用の何かか「束縛」で封じられているのか。


「……ふむ。罠かと思い愚直に攻撃したが、違うのか」


 シュテルクは不思議そうに俺を見る。

 そりゃそうだ。お前の敵対心を焚き付けたい一心で、あとも先も考えずに口から出た言葉だ。罠なんてありはしない。


「だとすれば貴様の意図が分からん。なぜわざわざ私を煽ったのか。貴様の目的は、勇者の口封じではないのか」


 そりゃ最初はそうだった。だが今は違う。

 そんなことはどうでもいい程に俺は──


「お前と敵対したかった……」


 正直な言葉が口から漏れた。

 しばしシュテルクは呆然としたあと、顔をしかめた。


「ほう……貴様は、何だ? 訳が分からんな」

「そんな、複雑なことでも……無い。きっとお前と同じくらい単純なんだろうさ」

「貴様に私の何が分かるというのだ」

「いいや? 一体どうして、どうやって、お前がそんな強さを手にしたのか、俺にはさっぱりわからない。ただその原点が、どうせしょうもない事だってのだけは分かる。俺とお前は同じだからだ」

「貴様は意味が分からん事しか言わんな……まあいい」


 シュテルクはまた、俺に向けて歩き始める。


「貴様が言っていることは分からんが、もしそれが本当だというならば、お前は我が弟子の名を、下らない理由でダシにしたと言うことだな」

「そうなるな……お前にとっては下らなく、俺にとっては最重要の、俺の個人的事情だ」

「そうか、そうか」


 奴はまた、笑いながら歩いてくる。


「貴様の意図が何にせよ、ああ分かった。確かに私と貴様はどうしようもなく敵だ。貴様は私の侵してはならぬ領域を侵した。全く……勇者のことなど、適当に済ませ手柄を立てて逃げようとしていたというのに」


 俺もやつの歩みに合わせて立ち上がる。

 幾らステータスが低下しているとはいえ、一般人程まで落ちた訳じゃない。


「貴様のせいで、私がここで貴様を殺す選択は決定してしまった」


 どうしようもなく口角が上がってしまう。

 そうか。これが人類最強の敵意か。


「だが、高富士 祈里よ」

「……なんだ」

「私が、貴様の自傷に満ちた自慰行為に付き合うと思ったら大間違いだ」


 瞬間、周囲に魔力槍が出現した。

 その数、100以上。


 ……そりゃ槍を細くすれば増産できるか。


「心せよ」


 魔力槍が俺に向けて一斉に矛先を伸ばした。








──十二年前──


 ある少女が、道なき山を歩いていた。

 深緑が鬱蒼と茂る、全く人の手の入っていない森。当然である。ここから先には人の国も、街も、村もない。だからこそ道を通す必要がない。

 ここから先はエルフの領域だ。誰もわざわざ近付こうとしない。だが少女は、何かに突き動かされるかのように足を止めなかった。

 彼女とてその先に人がいないことは知っていた。いや寧ろ、知っていたからこそ彼女はこの先に行こうとしているのだ。

 彼女の目は虚ろであった。だが何も見ていない訳でははない。絶望したわけでもなく、自らの泥のような狂気に身を委ねていたのである。


「おい」


 そんな彼女に声をかけるものがいた。少女は身構え、剣に手をかける。

 ガサゴソと茂みをかき分け彼女の前に現れたのは、フードをかぶった細身の男だった。


「エルフか?」

「違うな」

「ならばフードを取れ」

「……」


 男は言われるままフードを取った。髪の合間に見える耳は短く、それが人間である証拠だった。

 少女は未だに剣を構えたまま、問う。


「……なぜ、ここに人間がいる?」

「それは私の台詞だな。お前はなぜここにいる」

「先に質問したのは私だ。答えろ」

「強気なお嬢さんだな……」


 フードの男は観念したようにため息をついた。


「この近くに、私のかつての修行場があった」

「こんな辺鄙なところにか」

「外界と関係を絶ちたくなってな。ここは人が寄り付かない。都合が良かった。まあ山ごもりをしていたというわけだ」

「……」


 俄には信じられなかった。魔族の領域に近いドイル周辺ほどではないが、この地域も強力な魔物が跋扈している。例え魔動具を身に着けていたとしても、物資の補給なく、自給自足の生活を送るのは不可能に思えた。その上、目の前の男は魔動具を身に着けている様子がなかったのだ。


「さて、お前が私の話を信じられるかどうかは別だが、とにかく私は話をしたのだ。そして次は、お前が話す番だ」

「ふん……私は、エルフを殺すためにここに来た」

「ほう? エルフに親でも殺されたのか?」

「私の隊の者だ。戦争で殺された」

「……戦争か。しかしお前もエルフを殺したのではないのか?」

「諭すつもりか。……まあ別に仇を取りたいなど、そんな動機ではない。私はけじめをつけに来たのだ」


 少女はそれで話は終わりだとばかりに、男の前を横切り歩き始める。


「待て。結局お前の動機を話していない」

「それ以上踏み込む権利があるのか?」

「いや? ただ私が聞きたかっただけだ」

「それで私が答えると? 馬鹿は休み休み言え」


 彼女は男に背中を向けた。


「まあ止まれ」


 次の瞬間、周囲に濃密な魔力が満ちた。彼女の体は見えない魔力の枷に捕まり、動けなくなる。


「な……これは」

「この場においての強者は私だ。お前に選択の余地はない。まあ話す気はないのかもしれんが、少なくともエルフの里に行くのは難しくなるだろうな」


 彼女は魔動鎧に魔力を流し抵抗を試みるが、その枷は壊れる気配がない。いくら彼女が魔力操作に長けていたとしても、体の外にある他人の魔力に干渉する術は知らなかった。


「さて、まずはお前の名前から聞かせてもらおうか」


 しばらく抵抗した後、彼女は諦めたように力を抜き、答えた。


「……イージアナ・イーツェだ」

「思ったよりもすぐに答えたな。ありがとう。私はシュテルク・グレーステだ」




 


 イージアナは全てを話した。見知らぬ男に話したからと言って、何か国に不利益が生じるような内容でもないと判断したためであった。あるいは、気丈に振る舞ってはいるが実際の内心は、己の事情を誰でもいいから吐露したいほど、参っていたのかもしれない。

 彼女は、エルフを殺そうとする前に躊躇した、その隙をつかれ結果的に隊を全滅させてしまったのだ。イージアナはその一瞬の迷いを悔い、次は迷わぬよう覚悟をしなければならないと決意した。

 その結果彼女がとった行動は、次エルフを殺すとき躊躇しないよう、エルフを殺す事に慣れる、というものであった。


「馬鹿じゃないのか」

「ば、馬鹿とはなんだ」

「いや馬鹿というか……狂っているというか、だな。そこまでするほど大切なものがあるのか?」

「ある。国だ。私は国のためならば全てを捨てられる」


 イージアナの話を聞くため隣に座ったシュテルクは、目を閉じて首を振る。


「そんなことを考えられる人間が、よもや他種族を前に殺傷を躊躇するとは……まさかお前、エルフの血でも入ってるんじゃ……」

「何を馬鹿な」

「さして間違いでもないと思うがな……」


 シュテルクは何を思ったか、そのまま虚空を睨む。

 しかしすぐに顔を戻した。


「まあ、それはいい。とにかくお前は、根本的な敗因を取り違えている」

「……なんだ? エルフが支援を受けていたことに、あらかじめ気づくべきだと? 情報戦での負けだというのか?」

「それも理由の一つだろうが、もっと根本的な話だ」


 シュテルクは彼女の眼前に指を突きつける。


「お前が弱かったことだ。大抵の敗因はそれで片がつく」

「弱い? それが敗因だと? それこそ馬鹿の理屈だ」

「だが事実だ。……いいか。例えばお前がもう少しでも強ければ、隊が全滅することはなかった。お前が更に強ければ、一人で戦局を覆し、戦争に勝利することもできただろう。お前がさらに強くエルフを全滅させれば、あるいは戦士死者を一人も出さずに戦争を終結させることができただろう」

「そんな理屈が……」

「もしもお前がもう少し勘が良ければ、エルフの様子が違うことに気づけたかもしれない。お前が流通の情報に強ければ、予め魔動具の不審な流れを発見し事態を防げた。お前が他国家の情報に強ければ、どの国がそのタイミングで謀略するかを読めただろう」

「…………」

「もしお前がもう少し高い指揮権を持っていれば、より大きな隊を率いてよりうまく戦争を運べたかもしれない。お前がより権力を持っていれば、無駄なことだと戦争を止められたかもしれない。もしお前がさらに大きな権力を持っていれば、そのような戦争をする必要もないほど国力を増強できただろう」

「…………」

「もしお前がもう少し強い心を持っていれば、エルフの殺傷に躊躇することは無かっただろう。お前がより……」

「──先程から一体!」


 イージアナは立ち上がり、激昂する。


「一体何を言いたいのだ! 黙って聞いていれば稚児のような屁理屈ばかり……。私は下らない空論を聞くために、ここに来たのではない!」

「だから根本的な原因から逃げるなと言っているのだ。『お前が弱い』という現実から逃げるな……とりあえず座れ」

「ぐっ……」


 またイージアナは、見えない何かに体を押さえつけられ、無理やり座らされた。


「このようにお前は弱いのだ。少なくとも私よりは」

「貴様……」

「強さとは武力に限らない。知力、財力、権力、情報収集能力、それらはすべて強さだ。強さとは『選択の自由』だ。強ければ強いほど、行動の選択肢が増え、人は自由となる」


 フハハ、と彼は笑った。


「選択の権利を得てから初めて、敗因を考えることに意義が出てくるのだ。自身の選択が誤りであったか、誤った原因は何か、というようにな。選択肢ができなければ原因も何もない。ただそれは状況に動かされているだけなのだ。選択肢が少ないこと、それそのものが罪であり敗因だ」


 木々を抜けて風が吹く。枯れ葉が舞い、木の葉がざわめいた。


「何、エルフを殺すのは、まず強さを身に着けてからでも問題ないだろう? お前はその魂を持って何がしたい」

「私は……」


 イージアナは彼の目を見た。シュテルクは何を訴えかけるでもなく、力む訳でもなく、ただ見据えていた。


「……私は国を変えたい。我が国を守るためには、今のままでは駄目だ」

「ふむ。ならばあらゆる強さがいるな。全ての力を手に入れる他ない」

「そんなことが可能だと思うのか」

「先程は言い忘れていたが、人脈も強さだ。だからお前はとりあえず、そうだな。武力で強くなれ。人類で二番目に強くなれ」


 彼女は怪訝な顔をし、シュテルクに問う。


「二番目だと? なぜ一番ではなく?」

「決まっている。私が人類最強だからだ」

「何を言っている……」


 シュテルクは盛大に笑った。


「物分りが悪いな。私がお前を鍛えてやると言っているのだ。なに、ただの暇つぶしだ」









 百本以上もの魔力槍が、祈里ただ一点を向けて射出される。その矛先が祈里を蜂の巣とする前に、祈里の眼前で爆発が起こった。


「ぬっ……」


 シュテルクの魔力槍は爆風により吹き飛ばされ、同時に祈里の体も後方に吹っ飛ぶ。

 結果として彼は、展開された魔力の外に逃れた。


 祈里は今までの戦闘から、シュテルクの能力をおおよそ掴んでいた。


・半球内での探知能力(地下含む)

・半球内での魔法解析及び干渉

・半球内での術式妨害

・半球内での瞬間転移(転移できるのは本人のみ。魔力はついてこない)

・魔力を凝縮した単純な物体の作成(槍、魔力障壁含む)

・作成したものの操作、変形、射出


 また祈里自身はまだ見ていないが、肉体を魔力に変換したことから予測される能力として。


・シュテルク自身の肉体の再生

・シュテルク自身の肉体の強化


 というのが現状の情報であった。


(ならぶっちゃけ、半球内で戦う意味はないよな)


 祈里は着地したあと、さらにシュテルクから距離をとった。シュテルクもそれに気づき、祈里との間合いを詰めに行く。だがシュテルクの動きに対し、展開された魔力半球の動きは遅かった。


(黒風)


 黒い霧が現れる。

 それはみるみるうちに広がり、辺りを暗く埋め尽くしていく。


「ほう? 毒ガスか何かか」

「いやいやいや」


 祈里は苦笑する。正直シュテルクに毒が効くとは思えなかった。


 やがて魔力半球を覆うように黒風が広がった。空は真っ黒に覆われ、光が差し込まなくなる。しかし黒風は魔力には触れないようにドーム型に広がっていた。


(目くらましか……?)


 シュテルクは首をひねる。確かに展開された魔力の外側では祈里の存在を探知できない。故に光がなければ祈里の行動を把握できない道理。


(そんな訳はないはずだ。そうだろう? イノリよ)


 彼は再び光球を生み出した。まばゆい光が黒風のドームの内側を照らす。

 光球自体は既に祈里に見せた手札だ。祈里がこれを想定していないとは思えなかった。

 実際、祈里は暗闇に満ちる以前と変わらぬ場所にいた。

 彼は黒風に手をつっこみ、あるを取り出す。


(……なんだ、それは)


 シュテルクも初めて目にする代物であった。

 一見すればただ真っ黒に染められた、長い筒状の金属塊。それが二本。

 先に穴が空いており、引き金があり、グリップがある。その要素を鑑みれば銃である。

 だが、シュテルクが驚愕したのは銃口の大きさ。先代勇者が広めた銃はせいぜい口径が一センチにも満たないほどであったが、祈里が取り出したそれには、四センチ程の穴が空いていたのだ。

 故にシュテルクは、祈里が取り出した物体を銃だと考えられなかった。


 大型拳銃「迅雷」。

 祈里自身も殆どロマンで作った代物。現在に至るまで出番のなかったモンスターマシン。片手での使用を想定しているため大型拳銃と祈里は命名したが、銃どころか口径40mmは定義として明らかに「砲」である。

 構造は至って単純で、弾を発射するそれのみの機構。装填方法は《闇魔法・真》を使用した実質的なフルオートである。だが弾数が限られているため、秒間五発程度に抑えている。砲身はアダマンタイトによりできており、高い耐久性と耐熱性を持つ……だが、それでも連続使用すると十分も保たない。

 取り回しと重量の限界から、砲身の長さは40cm程に抑えられている。火薬による弾丸の加速は十分とは言えず、命中率も悪い。その上反動は間違いなく「砲」のそれであり、常人が撃てば脱臼はおろか砲身が反動で体に突き刺さる。祈里が撃つにしても、昼間であれば脱臼の恐れがあり、夜間ですら体重が足りず反動で吹っ飛ぶというピーキーどころではない性能である。


 銃床がひとりでに伸び、脇の下に固定される。グレイプニルで編んだベルトが祈里の体に巻き付いていく。やがて大型拳銃の銃床は完全に祈里の体に固定された。


 シュテルクは眉をしかめる。


(あの物体の正体が分からん……だが、威力が普通の銃の比較にならんだろう事は確かだ。ならば……)


 先手を取る。

 シュテルクは障壁を複数枚重ねながら、細い魔力槍……いや、さらに細く作られた魔力矢を作成し、一斉に祈里に向けて射出した。

 二本の金属塊の重量が祈里の動きを阻害するのは明らかであった。元々祈里は『束縛』の加護を受けており、動きが極端に悪くなっている。文字通りの固定砲台となるならば、先手をとり狙い撃ちにすればいい。


 雷鳴が轟いた。


 祈里の右手に持った迅雷が火を吹き、一秒間に発射される5発の弾丸。断続的で轟くような発砲音は、まさに雷鳴と化す。

 この発砲はシュテルクの魔力矢を迎撃するためのもの──ではない。銃口は全く別の方向を向いている。

 その連射の凄まじい反動により、祈里の身体は吹き飛ばされた。

 いや、飛んだと表現した方が正確である。


 祈里は翼を広げ、軌道を調整する。

 さらに左の「迅雷」も発火し、加速を続ける。祈里の身体は高速で飛翔した。


 大型拳銃「迅雷」は高火力による攻撃を意図した武装ではない。

 高速空中機動を実現するための加速装置であった。


 発射された十数発の弾丸は黒風の中へと消え、次の瞬間全く別の方向からシュテルクめがけて飛来する。

 ただならぬ危険を感じ、シュテルクは魔力障壁をさらに増やしていた。

 質量弾が障壁を破壊する。


「な、この威力は──!」


 シュテルクは破壊された障壁を直ちに再生成し続けるが、砲弾の威力と数がそれを上回る。


「がっ──」


 弾丸のうち一発がシュテルクの右腕に届き、掠っただけにも関わらず肩から先が吹き飛んだ。

 シュテルクは瞬間転移による緊急避難を余儀なくされる。


 砲身は短く、弾丸の加速は十分ではない。あくまで装備者の加速を目的としたもので、反動を抑えていない分、弾丸の威力は減衰している。その上でなお、要求以上の高威力を実現させている理由は弾薬にある。

 「迅雷」で使用している弾薬は黒色火薬でもなければ、TNTでもない。


(《原子錬成》で作っててよかった「オクタニトロキュバン」)


 シカゴ大学で少量生成されただけの「幻の爆薬」であり、核を除く「理論上最強の爆薬」。分子構造こそ一見単純だが、安価な製造法は確立しておらずグラム単価は純金並みと、爆薬としてはあまりに高コストであるため地球での実用はされていない。TNTを基準としたRE係数は2.7……つまりTNTの2.7倍の威力を持つ無煙火薬なのである。


「ぬん」


 シュテルクが魔力を自身の右腕に集中させる。魔法の光が傷口を覆い、見る間に再生していった。

 それを見て、祈里は口角を上げる。


(再生すれば、魔力は減る)


 当然ではあるが、重要なことであった。魔力槍を防ごうと、障壁を破壊しようと、結局はシュテルクの魔力に還元されてしまう。どれだけ長期戦になろうが、物資が減るのは祈里だけとなる。

 だが祈里はこれまでの戦いで魔力量が減る行動を、いくつか見極めた。

 最も減るのは今の肉体再生。次に瞬間転移。最後に魔力矢の射出である。


 つまりシュテルクの身体に攻撃を加え再生させる、あるいは追い詰めて瞬間転移を使わせることができれば、シュテルクの魔力を大きく削ることができるのだ。


 祈里は再び加速に使った弾丸を、黒風の「影空間」を通してシュテルクに飛ばす。


「二度は効かん!」


 シュテルクは魔力障壁を斜めに構える。弾丸は斜めの障壁により逸れる。なおも弾丸が障壁を破壊するが、再生成のスピードが上回った。


(上手い。角度をつけて弾丸を滑らせた。ああやって防がれたってことは俺が弾丸を「遠隔操作」してないってのにも気づかれてるな……)


 祈里は弾丸の「遠隔操作」をしていない。というよりも、「黒風」の「影空間」を抜けた段階で「遠隔操作」を切っているのだ。「遠隔操作」したままならば、シュテルクに干渉され軌道を逸らされる可能性がある。

 しかし「遠隔操作」を切るということは、軌道を変更できなくなるという事。斜めに構えた魔法障壁で軌道を逸らされるのはさけられない。 


「ぬん!」


 余ったリソースを使い、シュテルクが十本の魔力矢を放つ。

 祈里は「迅雷」と翼を駆使し、掻い潜るようにそれらを避けた。


(少しでも余裕をもたせると撃ってくる。徹甲弾でも用意したほうが良かったか? ……いや、障壁を使わせている時点で攻撃も減らせているはずだ。無意味じゃない。なにより──)


 祈里が「迅雷」を使い飛び始めてから十五秒程が経過した。加速を続けていた祈里の身体はほぼ最高速度にまで達している。


(加速を捨てれば、反動無しで撃つ方法もある)


 祈里は「迅雷」を持つ右手と左手を伸ばし、寸分の狂いなく同時に弾丸を発射した。反動は相殺され、衝撃は硬化した固定ベルトに吸収される。結果として、最大威力の射撃が可能だ。

 二発の弾丸はシュテルクに向かう。彼は同様に魔力障壁を斜めに構えた。

 弾丸は幾枚の障壁を破壊するが、シュテルクには届かない。しかし──


(効果アリ)


 祈里は若干ながら、障壁の破壊数が増えたことに気づく。そのまま続けざまに十発放つ。


「ぐおぉ!」


 二発がシュテルクの身体に大きな風穴を開けた。穴を魔力が包み、光を放ち始める。再生の前兆だ。


「再生の時間はやらねぇよ!」


 祈里が再び「迅雷」を左右に構え、引き金に指をかける、その瞬間。

 再生のためにシュテルクの傷を覆っていたはずの魔力が、突然矢に変形し、祈里に射出された。


「は!?」


 不意をつかれ、また完全に攻撃体制に入っていたこともあり、祈里は一本の矢で足を貫かれる。


「フハァ!」


 笑いながら、腹に穴を開けながら、腸をこぼしながら、血を吹きながら、シュテルクは魔力矢で弾幕を張った。

 祈里の視界を埋め尽くさんとするばかりの矢。


(避けきれない!)


 祈里は咄嗟に2つの「迅雷」を正面に構え、残弾を考えずに撃ちまくる。弾丸一つ一つが魔力矢を破壊し、腹に一発、脚にもう一発喰らいながらも、何とか弾幕をしのいだ。


 その後、祈里は慌てて「迅雷」の加速を再開する。


(加速を止めて減速した所を狙われた……だが減速したとはいえ、秒速400mは下らないはずだぞ!? どういう動体視力してやがる)


 祈里は「黒糸」を取り出し、未だに血が溢れる自身の傷口を締め付ける。


(とりあえずの止血だが……HPがじわじわと削れている)


 加速を捨てての全力射撃はリスクが大きかった。別の攻撃手段を選択せざるを得ない。

 祈里は加速に使っている弾丸を、全方位からシュテルクを狙わせるようにした。いつの間にか再生を完了しているシュテルクは、障壁を全方位に何枚も重ねることで対処する。

 着弾点が集中しないため、先程のような瞬間的な破壊は望めない。だが全方位から来る弾丸に対処する以上、瞬間転移も意味はなく全方位に障壁を張るしかない。結果としてリソースが削られ、魔力矢による攻撃は薄くなる。


 状況を膠着させるための選択だった。


(だが残弾数が限られる以上、持久戦は無理だ。それは奴も望んでいないはず。何も変わったことをしていないということは、逆に言えば何かを企んでいるということだ……)


 シュテルクが既に反撃のための罠を張っている事を、祈里は半ば確信していた。


(何を企んでいるかは分からないが……俺も既には打っている。あとは間に合うかどうかだ)










 五分が経過した。


 「迅雷」から無数に放たれた弾丸により、地面はまるで耕されたかのようにえぐられている。そして所々に、シュテルクの放った魔力矢が未だに形を失わずに、周囲に突き刺さっていた。


「アァァァァァァ!」

「フッハハハハァ!」


 二人は笑っていた。

 魔力矢と弾丸のやり取りは既に幾千に及び、祈里の残弾も、シュテルクの魔力も、それぞれが確実に削られている。特に祈里の残弾は尽きる手前まで来ていた。


(展開された魔力半球が明らかに小さくなっている……のに砲弾に反応できるとか、反応速度おかしくないか……?)


 祈里は未だに全方位からの弾丸に対応しているシュテルクを見て驚嘆していた。


 シュテルクも同様、祈里に感心していた。


(未だに集中が切れる気配がない……ただの魔人とは思っていなかったが、もはや仙人の素質がありそうだな。だが──)


 シュテルクは祈里を見据える。


(周囲の魔力矢が、形を保ったまま消えていない。貴様はその意味が分からんだろう?)


 瞬間、周囲に突き刺さっていた魔力矢の異常を、祈里は《探知》した。


(何だ……? 一斉に形が崩れて……)


 魔力に還元された全ての矢は、再び凝縮し逆向きの矢と化す。

 そして全方位から、シュテルクに戻ってくるように一斉に射出された。


「な……」

「意趣返しだ」


 シュテルクは笑う。全方位からの弾幕。大量の魔力矢に逃れるだけの隙間は無い。


(くそ……ギリギリ間に合うか……?)


 舌打ちした祈里は方向転換し、矢から逃げるように……つまり、シュテルクに向かうように飛ぶ。

 そこしか逃げ道はない。

 だがシュテルクに近づけば近づくほど、それは彼の間合いであった。

 残る魔力の大半を使い、魔力槍を生成する。シュテルクはそれを全方位に矛先を向け構えた。

 魔力でできた仙人掌のような状態となる。


(これでイノリに逃げ道は──)



 瞬間、彼は魔力槍を全て魔力に戻した。

 半球状となっていた魔力を操り、形を崩してまで無理矢理上に向ける。

 尋常ではないプレッシャー。

 今までに感じたことのない死の圧力が、上空を覆っていたのだ。


 黒風により視覚は遮断されている。

 外界の様子を見ることも知ることも、シュテルクにはできなかった。

 それ故、絶好の攻撃の機会を逃してまで感知に全力を尽くしたのは、彼の勘、あるいは超人的な第六感と言うしかない。

 しかしその薄くもはっきりとした感覚が、シュテルクの絶命を救った。


 展開された魔力が最初に触れたのは、ただの岩肌。

 なんの変哲もない……祈里が「支配」している以外は何も変わりのない岩肌。


 速度がおかしかった。

 祈里自身の速度も、音を遥かに超えておりシュテルクの常識の範疇外にあったが。

 比較にならない。

 シュテルクは体感したことが無く、故に推し量ることも叶わなかったが、音の13倍もの速度であった。


 膨大な運動エネルギーを持った巨岩が降ってくる。

 シュテルクは現状操れる大半の魔力を使い、その巨岩を止めるべく魔力障壁を形成する。

 破壊。

 破壊。

 一切エネルギーを失わずに落下する巨岩。

 それを何とか止める為、シュテルクは破壊された障壁を元に新たな障壁を再形成しようとし──


──次弾の到来を知り、防御を諦めた。


(──間に合った。ストーン・バレット──!)


 途方もない威力を内包した巨岩が、雨あられのごとく降ってくる。

 生じるのは破壊の波。

 魔力矢も、魔力槍も、魔力障壁も、全てが無意味。

 全て巨岩に破壊されるだけである。


 シュテルクはなすすべもなく、その破壊に呑まれた。


(まだだ──!)


 祈里は接近を続けた。

 この攻撃で、この程度の攻撃で、シュテルクが沈むとは思えなかったのである。


(奴は瞬間転移で逃げているはずだ。いずれ魔力が尽きるだろうが、その前に俺の巨岩が尽きる……ならば今この瞬間に、脳を破壊しとどめを刺す)


 祈里は降りしきる巨岩を掻い潜るように機動し、《探知》でシュテルクの姿を探す。


「緊急推進!」


 どこかから聞こえたシュテルクの声とともに、傍に置かれていた馬車が動き出す。馬車はシュテルクの方向へと進むが、落下してきた巨岩に阻まれ粉々に砕かれた。魔力伝達用のミスリル50%である銀色の部品が散らばる。


(アレの防殻でも使って防ぐつもりだったのか……? まあいい。位置は割れた)


 祈里の読みどおり、シュテルクは瞬間転移を繰り返し、何とか巨岩を避けていた。

 もはや意味をなさない魔力矢も障壁も、全てを解除し、魔力展開による探知能力に注力する。超速で降る巨岩を上空で感知し、その落ちてくる軌道を予測してスペースを見つけ出し、そこに瞬間転移する……それを繰り返していた。


(ここからは詰め将棋だ)


 干渉されないよう、例によって「遠隔操作」は切っている。だが少なくとも落ちる地点は指定できる。

 「迅雷」の弾丸まで駆使し、唯一のスペースを意図的に作ることでシュテルクを誘導……いや、追い込む。


 かくして、その策は成った。


(ここだ──)


 避難可能なデッドスペース……に見せかけたキルゾーン。

 片刃のロングソードを振りかぶる祈里を感知したところで、もう逃げ場はない。


 シュテルクと祈里の間に、馬車の部品が飛び散ってきた。

 部品に阻まれ、お互いに姿を視認できなくなる。


(目くらましか……?)


 もしあの緊急推進がこの瞬間の目くらましを目的としたものならば、ここに誘導されることをシュテルクは読んでいたということになる。

 無駄だ。

 祈里には《視の魔眼》がある。多少の視界の不自由は、苦にもならない。


 しかし祈里は警戒した。この場で、シュテルクが目くらましをするだろうか。そこに何かの齟齬を感じたのだ。

 戦闘のステージに過ぎなかった馬車の緊急推進の機能を使うという冷静さ、クレバーさを見せながら、目的が慌てたような目くらましというズレ。

 何か他に意図がある。そう考える方が自然だった。


 祈里は「千里眼」でシュテルクの姿を見る。


 彼の肉体は光っていた。


 遠距離転移? いや違う。術式によるならば、魔法陣があるはずだ。

 身体強化? いや違う。多少の身体能力は、この状況下では無意味だ。

 肉体再生? いや違う。先程までは無傷だった。


 だとすれば、逆か。


 祈里がある結論に至ったのと同時に、シュテルクの身体が閃光に覆われる。

 「迅雷」を持った腕をクロスさせ、祈里は自身の「心臓」を守った。


 魔力により肉体を再生できるならば、その肉体を魔力に戻すことも可能。

 ならば、自身の肉体を全て魔力に変換することも可能。

 そしてその膨大な魔力を、制御せずに解放すればどうなるか。


──貴様の自傷に満ちた自慰行為に付き合うと思ったら大間違いだ──


 そんな幻聴が、祈里の耳に届いた気がした。


 閃光が黒風のドーム内を埋め尽くす。


 自爆。


 大規模な魔力爆発は、その爆風により、周囲の全ての物を吹き飛ばし、全て物を凶器へと変貌させる。

 馬車の破片の一つ一つが鋭利な弾丸となり、祈里を襲った。


 腕を突き刺し、脚を飛ばし、口を引き裂く。

 胃を貫き、肝臓を切り、腸を引き抜く。

 指は砕け、耳は千切れ、鼻が潰れる。

 鎖骨が砕け、顎が飛び、脳が溢れた。


 祈里は肉と骨の襤褸布のようになりながら、吹き飛ばされた。



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