分かっていた第十七話


 まずい。

 まずいまずいまずい。


 やらかした。


 本格的に損傷がまずい。このままだと一瞬で死ぬ。

 グレイプニルを取り出し、「遠隔操作」で止血を行う。

 夜まで保てば大丈夫だ。再生する。


 右足が腿の途中からなくなっているので、患部をグレイプニルで締め付けて止血。そのうえで傷口をこれまたグレイプニルで埋め、硬化させる。

 腕にまた穴が空いているので、戦闘中についた穴も同様にグレイプニルで埋め、硬化。

 腹が裂けて腸がこぼれている。あまり戻す必要性は感じなかったが、かと言ってずっと放置しているのもあれだからグレイプニルで巻き付け、収縮させることで腹に収める。腹の穴もグレイプニルで締め付けつつ硬化で塞ぐ。

 鼻やら耳やら顎やらが無くなっている。グレイプニルで適当に型取り、硬化させて止血も兼ねる。

 皮膚がところどころめくれているので、グレイプニルで締め付ける。

 不味いのは脳だ。今はまだ意識があるが、脳が損傷した場合しばらくの間は活性状態になることがあると聞いたことがある。今意識を失っていないからと言って、今後意識を失わない可能性はない。頭蓋骨の穴もグレイプニルで塞ぐ。


 心臓自体は守ったから、即死することはない。だが血を失いすぎると不味い。吸血鬼にとっては血がHPだ。それが尽きればおそらく死ぬ。


 「千里眼」で周囲の状況を確認。爆発の影響でクレーターができている。「黒風」は爆風で吹き飛ばされたか、あるいは爆発のショックで消えたか、とにかく黒いドームは無くなっていた。

 シュテルクの姿はない。肉体を全て魔力に変換した自爆だったということだ。くそ、まさかあそこで自爆を選択できるなんてな……気づくわけ無いだろあんなの。

 まあいい。とにかく、生き残った方が勝ちだ。生き延びてやる。


 クレーターの中にいるのは危険だ。目立ち過ぎる。ここで他の外敵に襲われたらたまったもんじゃない。

 グレイプニルを操作し、爆風の届かなかった遠くの木の幹に巻き付け、俺の体も巻きつける。魔力を流し収縮させ、俺の体を木の根本まで運ぶ。


 血が止まらない。

 夜間ほどの再生能力はないが、それでも多少の治癒能力はあるはずだ。少なくともそろそろ血が止まっていてもおかしくない。

 だが腕の穴の一つと、破けた腹の再生が始まらない。グレイプニルで止血しているはずなのに、隙間から漏れるように血が流れ続けている。

 HPがゴリゴリ削れていく。俺の残存HPは3000程だが、秒間10くらいのペースで減っているのだ。このままだと五分で死ぬ。当然日の入りまでには間に合わない。

 くそ……他の傷は再生しているのになんで……


 そこで俺は一つ心当たりがあり、ちょうど近くに落ちていた銀色の部品を「鑑定」する。馬車に使われていた魔力回路の部品だ。




魔力伝達回路(作者:シュテルク・グレーステ)

品質 A+ 値段 1200デル

ミスリル50%、銀30%、銅20%の合金でできた部品。伝達時の魔力のロスが比較的少ない。主に増幅回路に使用される。




 ……材料費ケチんなよシュテルク。


 しかしとりあえず分かった。傷が再生しないのはこの部品に含まれている銀のせいだ。他の傷は木片か何かでついたものなのかもしれない。

 まずい。

 かなりまずい。

 もしも脳を貫いていた破片に銀が含まれていたら? 正直脳に関しては再生しているかがわからない。脳内に触覚の神経が無いからか?

 ともかく脳が再生しないとなると、マジでこのあと意識を失う可能性が……


 世界が回転する。

 視界の端から歪んでいき、霞んでいく。


 そのまま俺の意識は、闇へと消えていった。








 アリーヤとファナティークは、洞窟で対峙していた。


「『なぜここに』とか言われても、私としては『偶然だ』って答えるしかない」


 ファナティークは苦笑する。


「レギンを出た私は主神様の真意を探すため、まず魔族と勇者の戦いの歴史を知ろうと思った。でも口伝で残っている先代勇者の物語は、きっと都合よく歪められたものだ。だから実際にこの目で見ようと思ったのさ。まずは魔族をね。だから最前線であるドイル連邦へと向かったわけさ。入国のツテもあったしね……不自然かな?」

「いえ……」


 不自然なことはない。ファナティークがレギンを出た2日後に祈里とアリーヤもドイルへと向かったのだ。祈里達は馬車でファナティークは徒歩であることを考慮すると、追いつく可能性はあった。


「そしてこのあたりで野宿してて、丁度いい洞窟があったから中を調べていたのさ」


 アリーヤは外に、崩れた焚き火の跡があったことを思い出した。


「……それで、私の声が聞こえたから邪魔に入ったと?」

「言い方が悪いよ。最初は本当に、君の声だとは思わなかった。ただ誰かが明らかに襲われていたから、助けようと思っただけなんだよ。信じておくれ」

「そうですか。では信じますので、そこをどいていただけませんか」

「断る。そしたら助太刀に入った意味がないじゃないか」


 絶斬黒太刀を突きつけ、アリーヤはファナティークを睨む。


「『君の声だとは思わなかった』というのは本当なのでしょう? 未だに祈里の催眠下にあるあなたが、その眷属である私を傷つけられるとは思いません。私だと思わなかったから攻撃できただけ……逆に言えば、私だと認識してしまえば攻撃はできなくなるはずです。幾ら私の身体能力が低下していようと、攻撃できないあなたを殺すことくらいは容易い」

「私はそうは思わないけどね」


 顔をしかめるアリーヤに、ファナティークは笑う。


「きっと私は、キリにとって玩具おもちゃなのだろう? あるいは青い果実かな。熟れるのを待って、マーキングしているんだ。そんな私を君がキリより先に刈り取ってもいいのかな?」

「……所詮余興の類です。それより優先すべきことがあれば、殺すのも──」

「いやないね。それはない。キリはそれでも余興を優先する。そしてそれは、君が一番分かっているはずだ」

「…………」


 その通りであった。アリーヤは押し黙る。


「私は君を攻撃するつもりはない。だけど、私は死ぬ直前まで君をここから先へ行かせない。……分かるかな? もう状況は決定しているんだよ」


 ファナティークの目は真っ直ぐであった。祈里の「精神干渉魔法」にも辛うじてだが対抗できる精神力。その言葉が偽であるとは、アリーヤには思えなかった。


(かと言ってこのままだと、最低限の目標すら果たせなくなる……いや、もしこの洞窟に他の出口が無ければ? ここに立ち続け、勇者たちを封じ込め、祈里が追いついてくるのを待つ……というのも手ではあります)


 しかしこの洞窟は、途中で枝分かれしている程度には大きく複雑だ。他に出口がある可能性もあるが、《探知》のようなスキルを持たないアリーヤには出口があるか否かを知る手段がなかった。


(リスクヘッジです。あくまでここから動かずに、別の策を用意したほうが懸命でしょう。例えば煙……)


 魔法を使い煙で洞窟を燻し、一酸化中毒を起こさせる。あるいは呼吸困難にでもすれば、逃げ足を遅くすることも可能だ。ファナティークに関しては、死ぬ前に洞窟の外に引き上げればいい。


 アリーヤは後ろ手に魔法陣を用意する。

 火元を隠しながら、じっくりじっくり煙を作り、圧縮していった。


(このペースだと、洞窟全体を煙で満たせる量になるには、十分以上かかる……それまで何とか気づかれないように……)


「それで、アリーさんはなんであの子達を追い詰めていたのかな? 珍しい加護以外に、何か特別な事があるようには見えなかったけど」


 アリーヤは暫し逡巡したあと、話し始めた。


「彼らはレギンの街から同じ依頼を受けた冒険者パーティです」

「ふーん? どうしたの? 依頼料でも横取りされたのかい?」

「そんな訳がないでしょう」

「だよね。その程度のこと、キリなら事を荒立てずに解決できそうだ。……となるとやっぱり、あの奇妙な加護と、君が言っていた『聖剣』という単語が関係するのかい?」

「……彼が勇者であることは、あまり関係がありません」

「あぁ、やっぱり勇者なんだ」


 奇しくも、二人の思惑は「時間稼ぎ」で一致していた。


「実は魔族だけじゃなくて、勇者もこの目で見たいと思っていたんだ。魔族と比べて合うのは難しいかなと思っていたんだけど、丁度いいね。だったらなおさら、君を通すわけには行かなくなった」

「……私が彼らを追っている理由は、私達が魔族であることを知られたからです」

「へー、君達を。私はずっと気づかなかったのに、勇者もやるね?」

「私達の目的は、彼らの口封じ。殺す必要はありません。あなたと同じように催眠にかけられればそれで十分です」

「なるほどなるほど」

「ファナティーク。ここで私を止めていても、後から祈里が追いついてくれば詰みです。もしあなたが私達に協力するならば、彼らも無傷でいられますし、あなたも勇者と接触できます。これはもうWin-Winなのでは?」

「でも他に出口があるかもしれないしね。そこから彼らが逃げ出せる可能性があるなら、私がここに立っている意味も多少はあるんじゃないかな」


 だいたい、とファナティークは続ける。


「後ろ手に魔法を用意している人の言葉なんて、そう安々と信用できないね」

「……そうですか。残念です」


(もういっそ、ファナティークを気絶させましょうか……)


 アリーヤは魔法発動の用意をする。

 


 次の瞬間、轟音がなった。


 爆発の余波がここまで届き、枝は揺れ葉が舞い上がる。

 洞窟に流れ込んだ風と砂塵に、アリーヤとファナティークは腕で顔を防いだ。

 黒狼達が毛を逆立て、爆発の起こった方向を威嚇する。


「な、なに!? 今の……」

「祈里……?」


 アリーヤははるか上空、点のように小さい黒い雲を見つけた。


(おそらく祈里はストーン・バレットを使った。今の爆発もそれが原因で……?)


 そこまで考え、アリーヤは首を振る。


(違いますね。ストーン・バレットなら、もっと轟くような断続的な音になるはず……ではこの爆発は一体……?)


 嫌な予感が、アリーヤの脳裏にチラついた。

 一匹の黒狼が、アリーヤのスカートの裾をくわえ、引っ張る。


「……どうしました?」

『ご主人の反応が……』


 ゾッと。

 今までにないほど、アリーヤの背筋が凍った。


「……行かなくていいのかい?」

「祈里ッ──」


 ファナティークの問いかけにも答えず、アリーヤは走り出す。それに黒狼達も追従していった。


 アリーヤの姿が森の奥に消えていったことを確認して、ファナティークはがくんと膝を折って地面に座り込んだ。

 震える膝に力を入れようとするが立ち上がれない。ファナティークは思わず自嘲する。


(は〜、ギリギリだった……。アリーさん、前にあった時と気配が段違いだ。何かあったのかな……?)


 聖槌アンリータを石に戻し、ユニコーンを帰還させ、ファナティークは大きく息を吐いた。


「まあ、キリが大好きな所だけは変わっていないみたいだけど……お陰で今回は助かったよ」


「騎士様!」


 ファナティークが声の方に振り向くと、そこには善太、メイ、フィオナ、リリーが、それぞれ予備の暗器を持って走ってくる姿があった。


「……もしかしてそれで戦うつもりだったのかい?」

「見て、見ぬ振りは、できないよ……ぼ、僕たちが原因だし……」


 申し訳なさそうに、汗だくで言う善太に、ファナティークは少し唖然としたあと、笑った。


「ふふ、優しいね、君達は」

「それで、アリーヤは!?」

「何処かへ行ったよ。お陰で助かった」

「く……逃しましたか……」

「いや君達が逃げてる側だったんだけど……まあいいや」


 気が抜けたのか、ファナティークはスッと立ち上がると、善太に手を差し出した。


「私はファナティーク。元神官騎士だけど、今は訳あって一人旅しているんだ。君は勇者様……で、合ってるよね?」

「は、はい」

「一度勇者様と会ってみたかったんだ。どうぞよろしく!」


 おずおずと差し出された善太の手を、ファナティークはパシッと握った。


「……」

「……? どうしたんだいゼンタ君?」

「……」


 握手したまま硬直する新井善太。ファナティークは首を傾げた。メイが気まずそうに言う。


「ゼンタ様は女性に慣れていらっしゃいませんので……」

「え!? このメンバーでかい?」

「このメンバーでもなお、です」

「なんというか……おもしろい人だね、勇者様って」


 ファナティークはそっと手を離す。それにより善太の硬直もとけた。


「しかしまさか、こんな所で勇者様と会えるなんてね。今は魔族の襲撃で忙しいはずだから、会えないものと思っていたよ」

「……魔族の襲撃? なんの話ですか?」


 メイの質問に、ファナティークはまた首を傾げた。


「あれ? 聞いてない? ここに居るんだから、君達もグレーステ公爵にお世話になっていたのだと思ってたけど」

「聞いてませんが……いやその前に、忘れていました! 今シュテルク様は現在交戦中のはずです!」

「え、交戦中って……誰と?」

「タカフジイノリという者です」

「タカフジ……イノリ……」


 それはどう考えても、祈里の事であった。


「……え? それまずくない? てか終わってない?」


 そこでファナティークもピンと来た。先程の爆発はその戦闘におけるものであると。


(え〜、グレーステ公爵アレと戦ってるの……? アリーさんが駆けつけたってことは、手傷を負わせられたのかい? 強くない? ご飯食べるだけじゃなくて弟子入りすればよかった……というか今グレーステ公爵居なくなったらドイル連邦入国できなくなるんだけど……)


 シュテルク・グレーステは顔が広かった。


「……ファナティーク様、魔族の襲撃に関してもお聞きしたいのですが、まずはシュテルク様の救援に向かうべきかと」

「うん……でも行ったところで助けにはなれないかも……いやでも、とりあえず行くだけ行こうか。何かできることがあるかもしれない」


 祈里と戦闘したということは、シュテルクも無事でない可能性が高い。たとえ祈里が相討ちになり倒れていたところで、アリーヤという戦力もいる。少なくとも戦闘面では役には立たないだろうと考えていた。


(まあでも、見捨てるわけには行かないだろうね……)


 少し生き急ぎだ……と思いつつも、もうすでに行く準備をしている善太達に、ファナティークは思わず笑った。









──ご主人の反応が、すごく弱い!──


(祈里……)


 アリーヤは走っていた。前にも同じようなことが魔物大暴走スタンピードが起きた後もあったが、その時は杞憂で終わった。今回も同じだろうかとアリーヤは考える。しかし背中に沸き立つ嫌な予感を鎮めることができなかった。


(くっ……足が遅い……)


 『束縛』の加護は未だに継続していた。それでも成人男性並みの速度で走れてはいるのだが、アリーヤにとっては遅すぎた。


 突如、黒狼の内一匹の影が大きく広がっていく。そこから現れたのはフェンリルである。


『アリーヤァァ! のれぇぇい』

「フェンリル! もう再生が終わったのですか」


 馬程のサイズに縮んだフェンリルに、アリーヤは跨がる。フェンリルは他の黒狼を置いていく勢いで走り始めた。

 森の木々が凄まじい速度で後ろに流れていき、やがて木々のない広い空間に出る。

 地面を覆っていたはずの草は一面根ごと捲れ上がり、まるで耕したように土の色を露出させている。ところどころにクレーターのようなものができており、ここで起こった戦闘の苛烈さを表していた。


 その中で、一際大きなクレーターがあった。

 縁から少し外れた所に、血痕。


「これ……は……」


 フェンリルが近づき、血痕に鼻を寄せる。


『主の血の匂いだぁぁ』

「っ──」


 引き摺られたような血の跡は、森の方まで行き茂みの中に消えていた。


「祈里……」


 アリーヤはフェンリルから地面に降り、その血の跡を辿る。


「祈里……!」


 茂みの先、微かに感じる何か。


「──」


 草葉をかき分け、木の根本に見えたのは──


「──祈里!!」


 服は無残に破れ、全身が血に汚れている。

 下顎は黒い糸くずが絡まって固まったようで、よく見れば足も同じであった。

 アリーヤは祈里の身体を抱き起こすと、その胸に耳を当てる。

 確かに感じる鼓動。


(生き……てる……)


 アリーヤは祈里の肉体をまた地面に寝かせると、シャツを左右に破くように服を脱がした。


(傷口の黒い糸くず……恐らくグレイプニルで止血したもの……)


 それはおそらく、下顎や脚を形作っている物も同じであった。

 ほとんどの傷においてその止血は効果を表しているが、同じようにグレイプニルで止血を行っているはずの腹の傷だけは、未だに血が流れ出ている。まだ傷がふさがっていないのか、呼吸で上下する腹に合わせ空気が出入りし、傷口の端に血の泡が出来ていた。


 吸血鬼にとって血液はHPと等価。

 その祈里の言葉が思い出された。


「──もうすぐ死ぬわ。彼」

「シルフ……」


 どこからか降りてきた小さな黒い少女は、小さく笑った。


「どういう、意味ですか」

「そのままの意味よ。私はあなた達よりも直接的な支配下にある……だから分かるのよ。多分あと四分も無い内に、全ての血液を失って消滅するわ」

「なぜこんなことに……昼間で速度が落ちているとはいえ、再生能力自体はあるはずなのに」

「そこのミスリル部品のせいでしょうね。混ざり物に銀でも入ってたんじゃない?」

「……どうすれば」


 祈里が生き残る可能性を脳内で模索しつつも、表情が暗くなるアリーヤ。

 また、シルフは笑った。


「……何がおかしいのですか、あなたは。今まさに祈里が死にかけているというのに、彼を助ける方法を考えなさ……」


 ハッとなにかに気づき、アリーヤは彼女を睨む。


「まさか……! 方法に心当たりがあるのですか?」

「ええ」

「ならば早くそれを教えなさい!」

「嫌よ」

「──っ!」


 刀の柄に手をかけるアリーヤ。シルフはそれを見て、逃げるように後ろに飛び下がった。


「と、当然でしょ!? おかしいのは寧ろあなたよ!」

「何を……」

「魂が縛られているから、彼の意思には従わざるを得ない……でも今は彼は気を失っていて、その上このまま放置すれば死ぬチャンスなのよ。逃げるチャンスなの……自由になるチャンスなの!」


 シルフは鬼気迫る表情で訴える。

 下を向いていたアリーヤは、そのまま地面に落ちていたグレイプニルを拾い上げ、それを操った。


「ひっ──」


 生き物のように宙を唸った黒い糸は、そのままシルフの体に巻き付き縛り上げる。

 アリーヤなグレイプニルに魔力を流し縮めさせ、手元に引き寄せたシルフの首に絶斬黒太刀の切っ先を突きつけた。


「あっ……ぐ」

「あなたに選択権はない。方法を教えなさい。……例え精霊であっても、この刀なら……」


 アリーヤは更に黒い刃先をシルフの小さく細い首に近づける。


「確実に殺せる」

「っ……」


 その瞳は暗く沈んでいて、シルフは息を呑んだ。


「わ、わかったわよ。言うわ……だから離して」

「……良いでしょう」

「まったく……イノリがイノリならあなたもあなたよ」


 グレイプニルが解け、息を整えたシルフは祈里の体を見ながら言った。


「今イノリは、《吸血》のスキルが使えないから血があってもそれでHPを回復できない状態にある……でも、下僕であるあなたの血を飲ませれば、回復することができるかもしれない」

「そうなのですか?」

「多分……基本的には同じ血のはずだから、輸血みたいな感じでね」

「……なるほど」


 何を思ったかアリーヤは地面に落ちていた銀色の破片を拾い上げ、それの先を肩口に押し付けるとそのまま深く肉を切った。


 アリーヤの肩の傷口から、鮮血が流れる。


「ちょ」

「祈里……」


 慌てるシルフをよそにアリーヤは彼の体を抱き上げ、半分黒い祈里の口に肩の傷口を押し当てた。

 吸血鬼の本能からか、祈里は口に入ったアリーヤの血液を喉に流し込む。


「ん……」

 

 微かにアリーヤは体を震わせる。

 祈里は無意識のまま、彼女の肩に噛み付いて血を吸い始めた。


(なんだか、変な感覚ですね……)


 自身の血液が彼の体に流れ込んでいく。過去ライジングサン王国王城で彼の下僕にされたときも、アリーヤは似たような体験をしている。そのときは彼女も人間であったからか特に何も感じなかった。しかしより「血」に意味を持つ吸血鬼となった今は、一種の快楽に似た感情を覚える。

 アリーヤの血が喉仏の上下とともに、咽頭を通って嚥下されていく。やがて内壁で吸収されたそれは、祈里を形作る一部となる。彼と一体になるその時間はまるでキスのようであり、確かな充足感を彼女に与えた。


(ああ……分かっていた……)


 アリーヤは目を閉じながら思う。


(私は死ぬ程自由を渇望しているのに……殺したいほど自由になりたいのに……)


 肩口の彼をちらりと見る。


(この人がいない世界で生きていけないのだ……)


「っ……」


 ふと、祈里は吸血を止めた。そのままアリーヤの体からゆっくりと離れる。


「アリー……ヤ……?」

「祈里! 気が付きましたか」

「俺は……ああ、いや。なるほど」


 辺りを見渡し、なんとなく状況を把握した祈里は、また彼女に抱きつくようにもたれかかった。


「ちょっ……祈里!?」

「動かないほうが出血抑えられるだろ……HP残量的には、あと五分ってところか」


(そういや脳やら脊髄を損傷したところで、別に意識に影響は無かったな。一回頭吹っ飛んでおいて何考えてたんだか……俺も慌ててたってことか。てか『透視』で見たら脳治ってるし)


 祈里はアリーヤの肩でため息をつく。その吐息の一部がアリーヤの耳にかかり、くすぐったさに見をよじった。


「しかし、なるほどね。随分とリスキーな方法選んだものだ」

「……リスキー、ですか?」

「アリーヤの血液も減るだろこれ。俺より昼間に強いとはいえ、無限じゃない。結局時間を先延ばしにしているだけだな」

「ですが、他に方法が……」

「フェンリルと黒狼森に放って、狩った獲物を吸血させればいいだろ」

「「あ」」


 アリーヤとシルフは声を揃えた。

 祈里は《吸血》のスキルを使えないゆえ、即興の回復手段がない。だがフェンリルと黒狼はその限りではないのだ。眷属である彼らが《吸血》した血液は祈里のものとなり、結果として回復が可能なのである。


「フェンリルと黒狼はすぐに森へ向かえ。《探知》できる限りの範囲の魔物の位置を念話で伝える」

『了解したぁぁ』

「このあたりはドイル連邦に近い分強力なモンスターが多い。一分に一匹のペースで狩れれば、減少量を上回るはずだ。……アリーヤはこのまま俺をここから遠い……そうだな、東方向がいい。そちらに運んでくれ」

「それはいいですが……」

「《探知》に、俺達に接近している反応がある。『千里眼』で確認したが、コミュ障勇者のパーティーと……ファナティークか。なぜここに居るかは分からないが、このままだと彼らに見つかる。それは避けたい」

「分かりました」


 アリーヤは祈里を抱き上げる。フェンリルと黒狼達は、即座に森の奥へ駆け出した。


「……そういえば、新井善太達はどうしますか」

「こうなればしょうがない。シュテルク・グレーステを殺した時点で、騒ぎが大きくなりすぎてしまった。幾ら催眠しようが、情報を揉み消すのは無理だ。大体奴のことだ。もう予め確からしい情報をマッカード帝国に渡していた可能性がある」

「では……」

「ああ。これからは勇者軍に俺の存在を知られている前提で動かなければならない。ドイル連邦行きは中止だな」


 今回の戦いは、ある意味では彼の敗北であった。

 最低目標の新井善太達の催眠も行えず、今まで秘匿してきたほぼ全ての情報をマッカード帝国に、勇者軍に渡す結果となったのである。


(しかし、シュテルクと俺との戦いに限っては……生き残ったほうが勝者とするならば──)


 祈里は笑う。


「──俺の勝ちだ。シュテルク・グレーステ」






 フェンリルは近くに血の匂いをとらえた。しかしそれは、祈里が《探知》で指し示した場所とは違っている。


『これはぁぁ』


 そこに居たのは魔族でも、魔物でもない。ただの人間の子供だった。

 何かに襲われた後なのか、皮膚のような赤い皮が大きく捲れ、血だらけになっている。かすかに呼吸音があるため、辛うじて生きている事だけは分かった。


『(……吸える血は少なそうだぁぁ)』


 あくまで人間の子供。その上成長が悪いのか、ひどく不格好な体型をしていた。血の殆どが流れ出てしまっていることは見てわかる。

 今のフェンリルの目的は、祈里の回復のため、あくまで一滴でも多くの血液を吸うことであり、死にかけの子供にかまっている余裕はなかった。


『(そのまま魔物に食われて死ぬがいいぃぃ、見知らぬ子供よぉぉ)』


 フェンリルはそのまま次の獲物を追いかけ、森の奥へと消えた。


「……ふふ……フハハ……」


 子供は静かに笑った。


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