逃してやらない第十五話
半球状に展開された魔力。かつてイージアナが使っていたそれと同じ能力だが、密度が違う。《探知》を使わなくとも魔力を肌で感じることができるほどだ。脂肪から変換した魔力を全て魔力展開に使っているのだろう。一人あたりの魔力保有量が限られているから、身に余る魔力を外にとどめているわけだ。鑑定したステータス上で、MPが上限を超えた数値になっている理由も恐らくこれだ。
流石にアインシュタイン的な式で質量が全てエネルギーに変換されているなんてことはないはずだ。あくまで理屈としては、回復魔法の逆。傷を塞ぐために天文学的な魔力を必要とする、なんてことはないのだから。かといって、あの何十キロあるのか分からない贅肉を
疑問なのは展開された魔力をどう運用するのか、だ。ここまであからさまだと、もはや探知的な役割には留まらないはず。
今は昼。ステータスは五分の一に低下し、スキルは制限されている。今使えるスキルは《闇魔法・真》《視の魔眼》《探知》《陣の魔眼》《変身》の5つ。索敵用の構成だ。通常は《探知》の代わりに《武術・極》を入れているのだが、豚貴族の屋敷という普段と違う環境であったため、戦闘より索敵を優先していたのだ。
それらを踏まえたステータスはこうなる。
高富士 祈理
魔族 吸血鬼(伯爵級)
Lv.36
HP 6465/6465(1/5)
MP 566101/566101(1/5)
STR 5643(1/5)
VIT 7814(1/5)
DEX 4865(1/5)
AGI 7215(1/5)
INT 10418(1/5)
使用可能スキル
《闇魔法・真》《視の魔眼》《探知》《陣の魔眼》《変身》
恐らくほとんどの相手には対応できるステータスではあるが、今回の相手は豚貴族……いや人類最強野郎。奴が何をやってくるか分からない以上、どれだけあっても足りないくらいだ。
仕掛けてみるか。
とりあえず近づくのは愚策。いつもならば先手必勝とばかりに飛び込んでいくところだが、奴の場合、罠を張っている可能性がある。というかさっきも罠にはめられたわけだし。
ということでいつもの遠距離攻撃。
俺は影空間から8つのナイフを取り出し、投げた。
それぞれがありとあらゆる方向に飛び、曲がり、跳ねる。
「む……」
唸る人類最強野郎。だが展開した魔力によって、全てのナイフの軌道を把握できているはずだ。目くらましにもならないか。
ならばと「遠隔操作」で全てのナイフが奴に向かうように軌道を変更した。八方から黒い刃先がやつに向かう。
「ぬん!」
人類最強野郎の腕の一振りで、すべてのナイフが防がれた。透明な障壁のようなものか。高密度な魔力の薄い層が、小さな半球を象って人類最強野郎を覆っていた。
なるほど。周りに展開された魔力の一部をそのまま凝縮し、攻撃だけでなく防御のための障壁も作れると。魔法陣を介していないから、瞬間的な発動が可能というわけだ。
しかし魔力を圧縮しただけの障壁で、昼とはいえ俺のSTRで投げたナイフを8つも防ぐとは。中々硬そうだ。
じゃあ次は全力で投げてみよう。俺は3本だけナイフを取り出し、再び投げる。
今度は直線だ。こんな本数で軌道を変えたからと言って、人類最強野郎の処理に影響が出るとは思えない。
「ふんっ」
今度は腕も動かさず障壁を作り出す人類最強野郎。あ、それノーモーションで使えるんですね。
奴に向かった2本のナイフが障壁にぶつかる。ガラスが割れるような音と共に、障壁にヒビが入った。刃先が障壁に突き刺さる。
だがそこで止まってしまった。ナイフは障壁に刺さっただけで勢いを失い、奴まで届かなかった。
全力ナイフ二本でヒビだけかよ……どんだけ硬いのさ。
だがまあ、壊れない訳ではないということはわかった。ナイフではなく、直接剣で斬りつければ、障壁を壊してそのまま攻撃できそうだ。
「凄まじい威力だな……防御するだけでは足りなさそうだ」
その瞬間、俺の周りにいくつかの魔力塊が出現した。
それは凄まじい速度で
「うぉっと!」
魔力の槍の合間を縫って、身体をひねるようにして脱出した。
なるほど。同じ要領で攻撃もできるわけだ。
まずいな……。純粋な魔力の塊だからか、攻撃が見えない。視力がどうこう言う問題じゃない。そもそも見えるもんじゃないんだ。だから、《視の魔眼》でも視認することができない。
俺が魔力を感覚で捉えられているのは、《探知》の効果によるものだ。だが《探知》は《視の魔眼》ほど万能じゃないし正確じゃない。
《視の魔眼》なら槍がどの位置からどれほどの速度でどこに伸びてくるのか、数値化して計算することが可能だ。だが《探知》は比較的大雑把な情報しか認識できない。
要はこの魔力の槍を、俺は正確に見切ることが出来ないのだ。
だが同時に、俺はこの槍を避けなければならない。何故ならば今が昼間だからだ。体の再生力がガタ落ちしているのである。夜なら怪我込みの特攻もありだが、今は怪我が再生しきらない。
召喚された当初と違い、昼間でも多少再生はする。だが夜間の反則的なまでの再生力はない。小さい切り傷が塞がるくらいのものだ。
HPが血液量を示しているという俺の仮説が正しければ、出血部からHPが徐々に減少する状況となってしまう。《闇魔法・真》を使えば簡単な止血も可能だが、完全な止血を戦闘中にするのは難しい。
つまり俺は、できる限り攻撃を食らってはならない状態にある。
「速度も尋常ではないな……これは厄介だ」
全く厄介そうな声色ではない人類最強野郎。
今度は地中から複数の魔力反応。土を退けてせり出す槍をステップで躱す。
攻撃の役割を終えた魔力の槍は、空気に溶けるように消えた。
俺に有効な攻撃をしたいなら、展開した魔力の半球内を埋め尽くすほど槍を出現させればいいはずだ。だがそうしないのはなぜか。
俺を舐めている、というのもあるだろう。少なくとも戦闘面では、俺は変な軌道の投げナイフと《探知》と超スピードしか見せていない。普通なら十分脅威だが、今さっきも俺を罠にかけた奴のことだ。罠にハメれば簡単に倒せると考えているかもしれない。
だが主な理由は別だろう。奴の魔力槍や魔力障壁は、周辺に展開した魔力を圧縮することによって作っている。何もないところから現れているように見えるが、そうではない。幾ら量が膨大とはいえ、奴の魔力にも限りがある。
そして俺は、それを数値化することが可能だ。ステータスを見る限り、展開された魔力をMPに換算すると1000万弱。地面から魔力槍が飛び出てきたときは700万程度まで減っていた。ただし魔力障壁を展開しているときは900万。魔力槍は5本だったから、一本あたり40万MPもの魔力を圧縮させているわけだ。
そうすると最大25本魔力槍を出せるわけだが、この数字はそう多くはない。少なくとも半球内を槍で埋め尽くすほどの本数ではないのだ。一度に出せる本数に限界がある。
40万という馬鹿げた魔力を使って槍一本。非常に効率が悪いように思えるが、そうではない。魔力槍が消えたあと、またMPの数値が1000万近くまで戻ったのだ。
要は魔力槍を出したあと、再び展開した魔力として再利用しているということである。実質消費魔力はゼロ。確かに一度に出せる魔力槍は限りがあるが、長期的に見れば無限に魔力槍が生えてくるというわけだ。
嫌になるね。
魔力障壁も、おそらくこの魔力槍と似たような性質を持っている。前述のように、おそらく一枚の魔力障壁に使用しているMPは100万。魔力槍の約2.5倍だ。仮に防御に徹するとなれば、同時に十枚の魔力障壁を張れることとなる。
さて、今の攻防で何となく奴の能力の性質が分かった。またこちらから仕掛けてみよう。
俺は先程三本のナイフを取り出した。そして魔力障壁にヒビを入れながら突き刺さったナイフは二本。では残りの一本は何処へ行ったのか。その問の答えは、「影の中」だ。
未だに魔力障壁は解除されていない。それに刺さっているナイフもそのままだ。そして日光により地面にできたナイフの影は、奴の足元にある。
ノーモーションかつ死角かつ至近距離からの攻撃だ。さてどう対応してくる──
──次の瞬間、半球内を眩い光が照らした。
光魔法に類似した何か。魔法陣を介さず、魔力を光エネルギーに変換している。光球のようなものが人類最強野郎の横に浮かんでいた。
俺に目くらましは効果がない。《視の魔眼》は強い光の中でも機能を失わないというチート性能を誇っている。
ただ、地面にできたナイフの影をかき消す程度の効果はあった。ナイフが影空間から出る前に、その出口を潰され攻撃は不発に終わる……。
いやいやいやいや。おかしいだろ。
影空間からナイフが飛び出た後に対処なら分かる。というか俺もそれくらいはやってくるだろうと予想していた。イージアナだって対応できていたからだ。
或いは怪しいから予めナイフを壊しておく、とかも分かる。
だが攻撃の直前にピッタリと対応されたのだ。
しかも光で影を潰すという、まるで俺の影空間の能力を知っていたかのような的確な対処。というか知っていないとできない行動だ。
どうやって俺の能力を知り得たのだろうか。
まず考えられるのは屋敷にいたとき、既に調査されていたって形だ。屋敷の中で俺は何度も《闇魔法・真》を使っている。監視用の魔動具には探知されないように動いていたつもりだが、さらに俺の知り得ぬ方法で目撃されていた可能性はある。
次に考えられる方法だが……これは正直信じがたい。だが人類最強野郎が使っているのがこの世界の魔力、魔法ではなく。あらゆる世界の魔法の根源……純魔力を扱っているのだとすれば、考えられなくもないのだ。
「不思議な魔法を使うな。一般的な魔法形態の外にある……魔族の術か?」
光球を消さず、そのまま辺りに漂わせながら、奴が言う。
「さて、どうだろうな……」
……この発言は決定的だろうか。いかにも今知りましたといった反応。これがブラフじゃなければ、本当に今俺の能力を知ったのだろう。
確かめるため、という意味合いもあり、《陣の魔眼》で「精神干渉魔法」を発動させる。奴の眼前に現れる黄色の魔法陣。
奴は少し体を傾けて、あっさりと催眠の効果範囲から外れた。
「チッ」
「これもまた別の魔法形態か……いよいよ奇妙だな」
人類最強野郎が眉をしかめて言う。
いや奇妙なのはあなたですが。
屋敷においてすら、俺は「精神干渉魔法」を使っていない。ただし奴はその性質を知っているかのように、慌てた様子もなく魔法陣の効果範囲から逃れたのだ。
……まあつまりそういうことだ。
奴は俺の魔法を解析している。
解析系の加護とかがあればまだ納得はできる。だが人類最強野郎に加護はない。おそらく展開されている魔力を用いた能力の一つだろう。
イージアナもこの能力を使えたのだろうか? ただどちらにせよ、俺の魔法はこの世界の魔法と法則も根源も違う。解析は不可能だったはずだ。
しかし奴の魔力展開は、イージアナのそれと違う。俺が純魔力と呼んでいる、世界毎に捻じ曲げられる前の段階の魔力だ。仮にどの世界の魔法形態であっても、純魔力ならば干渉可能なのかもしれない。
いやでも知りもしない魔法形態だぞ? なんで解析してその効果や性質まで分かるんだよ。まさか術式から別世界の魔法形態逆算して性質と効果を特定してるなんて言うなよ?
「こいつはこんな感じでいいのか?」
人類最強野郎が手をかざす。すると魔力障壁に刺さっていたナイフが、奴の手の動きとともにふわっと浮き上がった。
の っ と る な や !
すぐさま《闇魔法・真》に意識を集中させ、主導権を奪い返す。
「ブハハ……完全には乗っ取れんか」
「完全に乗っ取られてたまるか」
影空間に意識を集中させるが、影空間が侵食される気配はない。干渉できるのは「遠隔操作」だけなのか……その「遠隔操作」も、俺の支配力には及ばないようだ。ただとても動かしづらい感じである。時々意図しない方向に動く。
「遠隔操作」はいかに精密に動かせるかが鍵だ。それが阻害されるとなれば、ポテンシャルを十分には発揮できないだろう。
直接黒剣で魔力障壁を攻撃し続ければ、いずれ刃が奴に届く。そのために《陣の魔眼》で転移して間合いを詰めればいいと、俺は考えていた。だが奴が魔法を解析できるならば話は別だ。《陣の魔眼》で転移魔法陣を展開した瞬間、いやその前に解析されるだろう。そして奴に対処手段……例えば魔法陣の形成妨害などをやられれば、攻撃の機会を失う可能性がある。
ならば──
俺はあえて奴の攻撃を待ってみる。今度は地面と空中から同時に、魔力槍が飛び出してきた。……今更だが、地中からって事は地中にも魔力を展開できているということだ。完全にイージアナの上位互換だな。
俺は槍を見を翻して躱し……そのモーションの途中、人類最強野郎に背中を向けたタイミングで、《陣の魔眼》を発動させる。
俺は魔力展開の
《陣の魔眼》自体はあくまでもスキル。奴が魔法を解析できているとしても、魔力や術式と発動が関係ないスキルまで解析できるとは思えない。ましてやスキルで発動しようとしている魔法術式まで解析できるのだろうか。そして魔力展開の外での術式も解析できないはずだ。
奴からすれば、槍の攻撃を避けていた俺が突然消えたように見えただろう。
仮にだが、俺の内在魔力量を把握する方法があちらにもあるとすれば……? というか術式の解析ができるのに、敵の魔力の増減が分からないはずもない。そう考えるのは道理だ。
実は《陣の魔眼》は、魔力消費のタイミングが発動より若干早い。「魔力消費→《陣の魔眼》発動→視点に魔法陣形成→魔法発動」という流れだ。つまり魔力消費と魔法発動までにラグがある。ほんのわずかだが。
そのラグのせいで、魔法発動よりも先に魔法発動を勘づかれる可能性はある。それで対応されたら困ったもんじゃない。
だからこそ、タイミングを読まれないようにするため、外への転移を挟んだのだ。
魔力展開に触れないよう、角度を変えて更に二回外に転移。
目の前の敵が消えた事から、転移に行き着くのはそう難しいことではない。時間を与えれば対策を取られる可能性がある。
故にすぐに転移。
俺は人類最強野郎の魔法障壁の中に転移することで侵入した。
これで奴と俺の間に、壁はない。
黒剣で攻撃を仕掛ける。
人類最強野郎は気づいたのか、魔法障壁をさらに内側に作る……が、それは咄嗟の緊急対応だろう?
そんな一枚の障壁なら、黒剣による直接攻撃で破壊できる。
「おおおぉぉぉ!」
力を込める。
ガラスが割れるように、障壁が破壊されていく。
刃はなおも突き進み、ついに魔力障壁を突破した。
人類最強野郎の姿が消えた。
「は?」
《探知》で探す。すぐに見つけた。魔力展開の内側、俺の右斜め後方の離れた場所にいる。
突然奴が超速度であそこまで移動したわけじゃない。気づいたらあそこにいたのだ。《視の魔眼》でも姿を追うことができなかったのだから、確実である。
人類最強野郎は、俺と同じく転移を使えるのだ。
「まったく、ずるいな……」
「それはこちらの台詞だ。貴様、分かっていたがただの魔族ではない」
空間魔法による転移は、一般的ではないがこの世界にも存在するのだ。そしてそれを、魔力操作に特化した人類最強野郎が使えない道理はない。
しかも奴は今、魔法陣を構成しなかった。恐らく魔法陣無しで転移魔法すら使えるのだろう。
むしろ魔法陣を経由した転移魔法の方が難しいのではないか? この世界の転移魔法陣は複雑だ。それをわざわざ書き上げるよりは、魔力から直接発動させた方が幾分楽そうだ。……まあこの世界の魔法使えないからよく分からんが。
「貴様も転移できるならば、対応も変えねばならんな」
そういった直後、奴の周囲の魔力が乱れるように流れ始めた。……なんとなく想像がつき、《陣の魔眼》で「精神干渉魔法陣」を投写しようとする……たが、魔法陣は形成されることなく、乱流する魔力に流されかき消された。やはり魔法陣形成の妨害もできるのか……。これで転移も有効打ではなくなった。
さて、奴は恐らく瞬間的に、ノーモーションで転移を使える訳だが、その範囲には制限がありそうだ。奴は未だに魔力展開の中にいる。どのような制約があるのかは知らないが、魔力展開の中に瞬間転移できると考えたほうが良い。そして人類最強野郎本体は転移したが、奴の魔力は動いていない。つまり展開された魔力までまるごと転移する訳ではないということだ。今はゆっくり、人類最強野郎が中心になるように魔力が動いている。展開された魔力の動きはとろい。
瞬間的にどこにでも転移できるってなら正直対応のしようがないが、範囲が限られているならやりようはある。脳筋みたいな方法だが、転移可能な範囲全体を攻撃すればいいだけだ。
「ストーンバレット」
俺はその言葉とともに銃を取り出した。《闇魔法・真》の『遠隔操作』を用いたフルオート射撃。ナイフよりも威力は若干劣るが、弾数は圧倒的に多い。
それに対し、人類最強野郎は魔法障壁をいくつが重ねることで対応した。魔法障壁を砕けても、魔力に還元されてすぐに新しい障壁ができる。消耗はほとんどない。このように障壁をいくつか展開されては、有効な手立てはほとんどなくなる。
「なるほど、そのように銃を応用するのか……『ストーン』いらなくないかね?」
「うるせえ最初は石だったんだよ」
適当な会話をしながら、俺はうっすらと違和感を覚えていた。
目の前の人類最強野郎の態度に何かしらの「策」を感じた……というのもある。先程から俺への攻撃のテンポが悪い。残りの魔力量的に、もっと攻撃の密度を上げてもいいはずだ。何かをしようとしている。
……だが、それ以上に俺は、根本的な違和感を覚えている。それは今この瞬間起きたものではない。戦闘が始まってからずっと、どこかに感じている惰性とも言い難い感情。
端的に表現するならば、俺は「つまらない」と今までの戦闘に感じている。それは人類最強野郎の攻撃が緩いからなのだろうか。奴が企んでいるであろう「策」というものに見当がつかないからだろうか。
……とりあえず、俺は展開された魔力の外へなら転移は自由なのだ。一旦外に出て新しい攻め方を考えるか。最悪コミュ障勇者達に転移で追いつければそれで……
あれ?
いや待て。なんか思考に抜けがある。
……そうだ。奴の瞬間転移範囲が展開された魔力の半球内に限られると予想されるからと言って、他の場所に転移できないとは全く言えない。
そんなもの、予め別の場所……例えば屋敷にでも転移魔法陣を用意しておけばいいだけの話だ。
そうか。前提として、奴はいつでも俺から逃げられるのだ。
そしてそれは俺にも同じことが言える。
奴の目的は、俺を倒す事ではなく勇者を逃がす事。コミュ障勇者を逃がせれば俺から逃げてもいい。なんならコミュ障勇者を見捨てる選択肢するあるのだ。
そしてそれは俺も同じ。俺は絶賛ステータス低下中で、奴の能力は底が見えない。無意識のうちに、いや正直に言うともはや意識上で、転移で逃げる選択肢はあるのだ。準備を整えて夜間に戦いたいという気持ちがある。
茶番なのだ。これは。
戦闘ごっこをしているだけだ。
敵対ごっこをしているだけだ。
ただそうと分かれば、別にここで人類最強と戦い続ける必要は無いじゃないか。逃げればいい。
マッカード帝国や勇者軍に俺の情報を知られるのはリスクがあるが、ここでこのまま殺されるよりかはマシではないか。情報を渡さないというのは、あくまで慎重に行動しようという方針の一つに過ぎないのだ。知られたところで死ぬわけでもない。
俺は生きたいんじゃないのか?
なぜ無駄なリスクを負ってまで、ここでこいつと戦っているんだ?
……そういえばまだおかしな点がある。あくまでも人類最強野郎の方針がコミュ障勇者が逃げるための時間稼ぎだとするならば、俺が転移の能力を見せただけで瓦解するはずだ。いくら時間を稼ごうと、コミュ障勇者に転移で追いつければそれまでなのだから。
時間稼ぎはもう意味がない。
なぜこいつはまだ方針を変えずに、俺と戦っている。
恐らく奴に関しては、そこに「策」の答えがある。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
森の中、街道から外れ、メイを始めとした一行は、善太を担いで逃走していた。
馬車が壊れると同時に、新井善太は気を失っていた。催眠がかかり直ったときの情報の濁流が、いっぺんに脳に叩き込まれたからである。
彼女達は絶対に善太を見捨てるわけには行かない。もっともあらゆる状況に対し訓練を受けている暗殺者のメイが彼を抱き上げて運んでいる。
「あっ……」
フィオナが突然前のめりになり、転んでしまった。足元には誰かが野宿でもしたのか、焚き火の跡があった。その木片に足を取られたのである。
(これ以上は……無理ですね)
例えば三手に分かれて逃げることも考えたが、その案は早々に捨てざるを得なくなった。
森の先で、狼の遠吠えが聞こえた。メイは忌々しげにその鳴き声の先を睨む。
(まさかあの女、モンスターを使役しているとは……)
アリーヤは黒い狼を使役し、逃げた勇者達の行方を匂いで探らせていた。もしも善太の匂いを覚えられていれば、三手に分かれたところで戦力を分散させるだけになる。
結果として取れた選択肢は、ただ愚直に逃げる、それだけであった。
(焚き火の跡は、見ればわかるはず……それにも気づけないほど疲労しているという事ですか。恐らくそれはリリーも同じ)
アリーヤの速度は異常に早かった。彼女達はペースを考えず、全力で走ることを強いられたのである。魔力も体力も消耗が激しい。
フィオナ、リリーと比べればまだ余裕はあるが、それでもいずれ底をつくのは目に見えていた。
打開策を探そうと、メイは辺りを見渡す。
「……洞窟」
袋小路となり、追い詰められる可能性は高い。だがメイは一つ、シュテルクから託されていた物を思い出した。それを確認するために、一旦隠れる場所が欲しかったのだ。
「あそこに逃げ込みますよ!」
フィオナを立ち上がらせ、急いで洞窟に入る。洞窟は案外広く、穴が枝分かれしていた。彼女達は右の横穴に入り、入り口から姿が見えないよう壁に身を隠した。
メイは急いで服の内側にしまっていた紙を取り出す。
「……逃げても無駄なのですが」
洞窟の入り口から声が聞こえた。アリーヤの済ました声が反響する。
リリーとフィオナは息を止め、口を手で塞いだ。
「くっ……」
思った以上に近づかれていたことに、メイは顔をしかめる。なりふり構わず、折り畳まれた紙を広げた。
(これは……)
シュテルクから作戦前に予め渡されていた書類。
その正体は、
(土地の……権利書? 全てのグレーステ領の──)
そこまで読んでシュテルクの意図に気づいたメイは、服の内側に隠していた暗器を取り出した。
そして横に寝かせていた、新井善太の手を掴む。
「(め、メイさん? 何を……)」
リリーの質問にも答えず、メイは暗器で善太の指に傷をつけた。
(書類には何故か……すでにサインがある。あとは拇印だけ──)
メイは迷うことなく、「新井善太」の署名の横に善太の親指を押し付けた。
書類の正体は契約書であった。その内容は、「契約成立時より全てのグレーステ領の統括管理者に新井善太を任命する」というものであり、結論から言えば──
──今この瞬間、総面積約4000平方km、総人口約10000人。各国に存在する全てのグレーステ領の権限が、新井善太に委ねられたということであった。
『ヒキニート』の加護が再発動する。
「ガっ………!」
ズシ、と突然体が重くなった。
慌ててステータスを見ると、『束縛』の文字があった。
『ヒキニート』の加護を、復活させたのか。
恐らく、これが人類最強野郎の「策」。
まずい。
思ったよりも束縛が強い。
馬車の中でかけられた物とは比べ物にならないくらいだ。
奴はこの隙を狙って攻撃してくる──
「……思ったよりも効果が薄いようだな。管理者権限では足りなかったか、あるいは認知度の問題か……?」
ぶつぶつと呟いた人類最強野郎は、別の方角を見た。
まて、こんな有利な状況で、転移で逃げるつもりか。
マズイ。このままだと逃がす。
……何がマズイのだろう。別にこのまま、奴が逃げてくれれば最悪の事態は免れるというのに。
いや、なんとなくわかってきた。俺はこいつを、どこかで、根本から許せない存在だと認識しているのだ。
そしてあいつも同じはずなのだ。
それなのに、本当ならば敵対するはずの二人が、その理由から目をそらして、場をおさめようとしている。
そんなことが許されるのだろうか。
俺は許せない。
本能から、魂から、俺はシュテルク・グレーステと敵対したがっているのだ。
逃してはやらない。俺もお前も。
──イノリはいつか、彼と敵対するだろう。……あるいはお前が敵対したいのかもしれない。その時は──
だから俺は言ってやった。俺と奴が、敵対する理由を。
「イージアナを……殺したのは……、俺だ……!」
シュテルク・グレーステの動きが止まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます