突然の第十四話



 えー、こちら祈里。観測結果を報告します。


 何 も 起 こ ら な か っ た です!


「聞いてくださいよ! レギンで子猫を見つけたとき、『かわいいですね。キリは猫好きですか?』って聞いて、キリ何て答えたと思います!?」

「うーん、理想は『君のほうがかわいいよ』とか『猫はなんとなく君みたいだから好きだ』とかだけど、あなたがそういうんだから……そうね、『犬の方が好き』とかかしら?」

「甘いですよメイド長さん。キリはそんなもんじゃないんです! 『猫の味は知らないなぁ……旨いのかな?』ですよ! 信じられますか!?」

「うわぁ……」


 部屋中央の机に向かい、ぷんすことキリ……もとい俺についての愚痴を垂れるアリーヤ。そのエピソード一つ一つ、律儀にドン引きする割と年配のメイド長。

 ナニコレ。

 なんの地獄?


 先程からひたすらに俺の悪口を言われる時間が続いてるので、慰めに隣のフェンリルをなでている。モフモフ。


『我が主ぃぃ……今のは流石に我もどうかと思うぞぉぉ』

『お前もかブルータス』


 いや犬(隣のフェンリル)の血の味は知ってる訳だが、猫は吸血したことがないなって。気にならない?

 というか猫のモンスターってなんだ? トラ? ライオン? ケット・シー? 一体どこに行けば遭遇するのだろうか。


『いつかは世界グルメ(吸血)旅ってのもありだな』

『大虐殺になりそうだぁぁ』

『本格的に魔王認定されそうな』


 いやいや、基本的に強者の血が美味いわけで、グルメ旅って謳う以上安物には手を付けませんことよ。世界中の強者を狩れば、弱者だけの平等な世界が待っていることだろう。頂点は俺になり、俺が統治すれば世界は平和となるだろう。

 ……やってることまんま魔王だな?


 と、そんな下らない話をしていると、どうやらあちらさんは話題が変わったようである。

 地獄は終わったかな?


「それでね、そんな風にまた男に捨てられたのだけど、そこでメイドとして雇って頂いたのがご主人様なのよ」

「はぁ……」

「『私みたいな枯れた花は、お貴族様には相応しくございません』って言った私に対して、ご主人様ったらなんて言ってくださったと思う?」

「はぁ……」

「『枯れた花など、一体どこにあるのかね? 私に見えるのは今まさに花開かんとする蕾だ』って! きゃ〜〜〜」

「はぁ……」


 残念。メイド長おばさんの恋バナを聞き続ける地獄に変わっただけでした。アリーヤの目が死んでる。

 おばさんっていうのは失礼かもしれないが。マジでおばさんなのでしょうがない。しっかり年配なのである。……いやまあそういう恋? も良いのではないだろうか。年不相応にキザすぎる気もするが。

 どちらと地獄がマシだろうか。俺にダメージ行かないから今のほうがマシか? いや五十歩百歩か。

 わざわざ地獄を物陰に隠れて聞き続ける必要もないのだが、これから万が一、万が一イベントが起こるのではないかと考えてしまうと去るに去れない。



 さて、一連の流れの発端は、アリーヤの部屋にノックしながら入ってきたメイド長から始まる。

 メイド長はこの屋敷の主人の、いわゆる夜の相手の打診をアリーヤにしにきたらしい。

 おお、イベントは起こるもんだ。戻ってきて正解だった。さあ何が起こるかとその時はワクワクしたものだ。

 当然ながらアリーヤはこれを拒否。報酬は払うがなにか理由はあるのかと問うメイド長。意外にもアリーヤは、想い人がパーティにいるからと説明した。

 そこでメイド長はニヤッと口角を上げた。そして……


 恋バナが始まった。

 なんでや。


 どうやらアリーヤに相手がいる場合は引き下がるようにメイド長は言われていたらしい。豚貴族が割とまともな神経をしていることが判明した。

 いやまともかな。客人に夜の打診ってまともか? 貴族の館に冒険者が泊まるシチュエーションに報酬が絡めばまともなのか? この世界の世俗的アウトラインが分からぬ。


 んでもって、恋バナから恋愛相談となり、どこかのタイミングで堰が切れたようにアリーヤの俺に対する愚痴が噴出。地獄から地獄へと天変地異し、今に至る。


「ほんとアリーさん美人よね〜」

「いえいえ私はそんなんじゃないですよ……メイド長さんこそお綺麗です」

「あらやだ。お世辞がうまいのね」


 違った。

 回想してる間に話題がまた変わってたらしい。なんでこう君らの会話は筋ガン無視でコロコロ変わるのか。

 山の天気か何かか。


 本当に何度ここを出てレベル上げに勤しもうかと思ったかわからないが、まだ一連の流れが豚貴族の巧妙な策略だという可能性を捨てきれない。というか何ならそうであってくれ。


「アリーさん綺麗なんだから攻めれば行けるわよ。全力で誘惑すれば男なんて余裕で陥落よ」

「ん……実はやってみたことはあるんですけど、あえなく失敗に終わりまして」

「あらら? じゃあキリ君は特殊性癖の持ち主かしら? それとも対象が女性じゃないのかしら……まあ確かに言われてみれば……」


 やめろ。

 俺に対する突然の風評被害やめろ。


「多分女性に興味はあると思うので……私の魅力が足りないとか」

「え、何それ嫌味? あなた鏡見たことある? あなたの魅力で不足なら誰なら足りるのよ。……もしかして自覚ないのかしら? あら、そういえば忘れてた」


 ふと何かを思い出したように、メイド長は椅子の横に置かれていた箱を机の上においた。

 そういえば部屋に訪ねてきたときに何か持ってたな。……魔力感じるんですが。これもしかして魔動具の類か。

 これに豚貴族の企みが──



『鑑定』


特製化粧箱(作者 シュテルク・グレーステ)

品質 A+  値段 250000デル

美容に効果のある化粧水、人体に無害かつ使用者の肌色に適応するパウダー、映り方を自分で設定できる鏡など、美容に関するあらゆる便利な道具が詰まっている箱。使用者を登録すれば使用者により適応するよう学習を開始する。



 ──便利だね。


「……なんですか、これ」

「ご主人様が良ければあなたに、と。ご主人様の技術の粋を集めた最高品質の化粧箱よ」

「えぇ……」

「いやこれ凄いのよ? パウダーはお肌の色に自動調節してくれるし、化粧水には若返り効果までついてて──」


 いや確かにすごいけども。

 というか値段ヤバイんだけどアリーヤにタダでプレゼントしてくれるのか? 一介の冒険者に? やはり何か裏が……あるか? あってほしい。

 メイド長は化粧箱の取っ手に手をかけ、ロックを外し開いていく。


「鏡なんて特に凄くて。太陽の下だとどう見えるか、室内だとどうか、夜だとどう見えるか、全部設定できるのよ。ちょっとした加工もできるし」


 それで写真をSNSにアップロードするんですね分かります。いやないけど。

 そりゃ女性にとっては便利だろうが、何故わざわざアリーヤに……


 ──待て、鏡?

 まずくないか?


 吸血鬼は鏡に映らない。誰でも知っている特徴だ。

 ここで化粧箱を開いて、鏡があって、そこにアリーヤが映らなかったら?

 どう考えてもまずい。


『透視』


 化粧箱の内部構造を確認。

 うん。上蓋に鏡がある。今メイド長が手をかけている上蓋にだ。

 このまま開ければ鏡にアリーヤがそのまま映る形になる。いや映らないのだが。

 そして都合の悪いことに、メイド長は中を覗くためか上体を傾けた姿勢だ。すぐさま鏡を見てしまうことだろう。

 アリーヤが映っていない鏡をだ。


 もしかして吸血鬼バレ確定案件ですかこれ。


 今から細工をしようにも間に合わない。気づくのが遅すぎた。なにせこの世界、鏡なんて高価だからそうそう目にしないのだ。特に旅の間なんて。だから油断していた。

 すぐに影から出て、メイド長を催眠するか……いやそれも危うい。数々の魔動具により警備がはられている中、高速で動けば何かに引っ掛かる可能性がある。かといってゆっくり出ては間に合わない。

 ……メイド長が鏡を見ることは止められないか。鏡を見たあとに催眠するとして。防がなきゃいけないのは、メイド長の悲鳴だ。恐らくメイド長はアリーヤが鏡に映らないことを知らない。一連の流れが仮に仕組まれたものだとしても、メイド長は少し自然すぎる。演技とは思えない。豚貴族が一枚噛んでいる可能性は否定できないが、メイド長本人は何も知らないのではなかろうか。

 だとすればメイド長は確実にこれから悲鳴を上げる。それを防ぐ。具体的には防音する。だがどうやって。

 部屋全体を闇魔法で『支配』し、音を止めるのはどうか。臭いを消したのと同じ理屈だ。震えないように操作すれば可能だろう。しかしそのためには、振動箇所と『支配』していない部分を完全に独立させる必要がある。それ込みでこれから『支配』するのは……間に合わないな。それにこれも魔動具に感知される可能性はある。

 他の防音手段は俺にはない。とすればアリーヤだ。アリーヤなら魔法で防音できる。おそらく魔法の発動は感知されるだろうが……そこは頑張って誤魔化すかな。悲鳴を防音したあと催眠し、例えば「話の流れでアリーさんに少し魔法を見せてもらった」とかメイド長に証言させようそうしよう。

 鏡に自分の姿が映らなければ、アリーヤだって気づくはずだ。そうすればあいつもきっと、自分の判断で魔法を使うことだろう。判断が遅れてしまっても、俺が「命令」すればいい。


 俺は影の中で、《陣の魔眼》のストックを「精神干渉魔法」に切り替える。この魔法自体は魔動具に干渉する訳でもないから、感知はされないはずだ。


 化粧箱の上蓋が開く。鏡がアリーヤを向く。


 アリーヤは……驚いたような反応だが、想像よりはリアクションが小さい。


 魔法を発動する気配はない。判断できないか?


 仕方ない。俺が「命令」を……あれ?



「──綺麗」

「あら、もしかして鏡で自分の姿を見るのは初めて?」

「……そういえば、これだけ綺麗な鏡に映したのは初めてです」

「それは良かったわ! 全くこんだけ美人なのに自覚ないなんて、勿体無い! それにね、ほら、夜バージョンとか昼バージョンも見れるのよこれ」

「ほんとうですね……すごい」


 ……普通に会話が続いてますが。

 しっかりアリーヤが鏡に映ってますが。

 あれ?


 もしかしてアリーヤだけは特別に鏡に映るのだろうか。彼女には太陽の下でもフルコンディションで行動できるといった吸血鬼にはない特性がある。それと同じように……。


『どうしたのだぁぁ我が主ぃぃ』

『いや……《武器錬成》』


 適当に幅広のナイフを作成。表面は鏡面仕上げ。それでちょっと自分の姿を映してみる。

 ……映りますね。

 あれ?

 「吸血鬼は鏡に映らない」はどこにいった?


 というか待て待て、いつからだ?

 いつから鏡に映るようになっていたんだ?

 恐らく何かのスキルか、或いは女神様のところに行って調整を受けたタイミングで、鏡に映らないという特性が無くなったのだろうが……。


 《視の魔眼》で「映像記憶」したものを遡って確認していく。



 結論。

 最初からでした。うそやろ。

 遡ることライジングサン王国王城、自室で俺は、一度自分の姿をナイフに映して見ていたのである。確かミスリルか銀でどちらが弱点かを調べていた時だ。

 しかし自分の姿が鏡面に映っていることに気づかず、「吸血鬼は鏡に映らない」の検証もしないまま、映らないものと勝手に決めつけていたのである。

 そしてそのまま、鏡に自分の姿を映すことなく、今に至ると。


 我ながらひどいドジだ。

 というかこんなことある? 俺がこんなガバガバな……


「これはどう使うんですか?」

「ふふ……これはね?」


 影空間の外ではまた会話が繰り広げられている。


 ということで、結局のところ俺が早とちりして脳内で騒いだだけであり。

 観測結果を報告します。今夜は「何も起こらなかった」です。








「おばか」

「はい。すんません」


 アリーヤに鏡のことを話したら、返答がこれでした。

 いやほんと、すんません。

 ちょっと今回は申し開きできないです。

 ここからは勇者達に聞こえないように声を潜めて会話する。


「(いや、私も自分が気づかなかったのでアレですけど……というかなんなら途中から忘れてたのでアレですけど、祈里らしくないですね)」

「(こう、可愛げのあるドジ?)」

「(そのレベルで済ませますか)」


 済ませらんないですね。


「(そもそもですね、「命令」の件もですよ。具体的な内容を言わないと「命令」が有効にならないことも、検証してないなんて祈里らしくないです。……というかあなた本当に祈里ですか?)」

「(失礼だな)」

「(それくらい大事なんですよ私からすれば。ドジって簡単に片付けないで、ちゃんとなぜこうなったのか、理由とか考えてください)」


 小学校の教師か何かでございましょうか。

 あ、冷たい視線が飛んできた。脳内口答えしてすみません。


「(……このタイミングで鏡の話をするって、まさか祈里、昨日覗いてました?)」

「(あ、やっぱバレる?)」

「(はぁ……)」


 ため息つかれた。


「(まあ、祈里だからしょうがないですけどね。そうですかそうですか)」

「(そうですかそうですかって何だ)」

「(いえ何も)」


 ……最近アリーヤの考えていることが分かりにくくなってきた。今までのピュアな反応は何処へ行ったのだろう。

 ませてきたのだろうか? 全く誰の影響でこうなったのか。


「ブヒッ……勇者様、こちらが新しい馬車でございます」


 豚貴族の声が聞こえ、俺達は会話を中断する。


 勇者パーティーの面々と俺達は今、豚貴族からもらえる馬車というものを見に来ていた。ちょうど件の馬車が、馬に引かれて俺達の前に姿を見せた。最初の馬車だ。

 セバスチャン(ジジイ)用に渡される荷馬車は既に決まっている。それとは別に、旅用の馬車を勇者パーティと俺達にそれぞれくれるんだとか。剛毅なものだ豚貴族。

 荷馬車と旅用の馬車は仕様が異なるらしい。恐らく何かしら魔動具的な仕掛けがあるのだろう。ぱっと見るだけで高価そうだ。

 旅用の馬車はいくつか種類があり、用途によって選んでほしいとの事。それで、馬車をいくつか見せてもらって、その後選ぶのだ。今は見せてもらっている段階である。


 恐らく勇者達に馬車を渡すことが本命なのだろう。ただ俺達にそこまで待遇に差をつけるのも体面というものがあり、ならばどちらにも好きな馬車を渡してしまおうと。ちょっと貴族の金銭感覚分かんない。

 馬車をもらっても維持する費用が必要で、そもそも俺達に馬車を操るスキルはない(手に入れようと思えば幾らでも手に入るが)。そのため断ろうとも思ったのだが、ドイルの街に着いたら売ってもいいとのこと。そこまで言われれば貰えるもんは貰っとけ精神が働くというものである。馬車を武器錬成したら面白そうだし。ということで頷いてしまった。


「まずこちらの馬車は、長期的な旅に向いた代物ですな。また大きいため、大人数での運用に適しております。ただし、大きい分維持のための魔力も多く、引く馬も四頭必要です」


 幌馬車だ。豚貴族の言うとおり、たしかにとても大きい。



大型幌馬車三型(作者 シュテルク・グレーステ)

品質 A+  値段 500000デル

あらゆる機能が備わった、大型の幌馬車。調温調湿、振動吸収、幌一括収納、照明、緊急推進、防殻、自動修復といった機能が魔力によって制御されている。外からの音はよく通すが、内側の音は殆ど漏らさない。魔力の燃費は悪く、最大乗員数八名、四頭立て。



 個人で持つものじゃないな。こんなものさらっと渡すなんてやはり貴族の金銭感覚は(以下略)

 まあ俺達用ではなく勇者パーティ用だろう。こんなん二人で使ったら悪目立ち所の騒ぎではない。


 馬車をここまで引いてきたのは、従者ではなく、ゴーレムの類だった。



自動鎧五型(作者 シュテルク・グレーステ)

品質 A+  値段 1200000デル

自動制御機能のある鎧。ゴーレムのように動くが、より繊細に人間の動きをトレースしている。学習能力があり、高い戦闘能力を持つ。



 何者だよ豚貴族。一々値段がやばいのですが。

 デモンストレーションのつもりなのか、馬車には他に自動鎧が八体乗っていた。ぞろぞろとおりてきて、俺達を護衛するように周りを囲む。

 こんなのが大量にいるなら、軍が作れるな……というか、豚貴族の私兵はこれなのかもしかして。無駄に高機能で値段が高いから、大規模な軍は作れないのだろうが、量産型とかもあるのだろうか。国が豚貴族を重宝するのもわかる。


「中も見ていかれますかな? ブヒヒ」

「ぇ………その……」

「……なるほど。善太様は見るそうです」


 勇者、安定のコミュ障発揮。暗殺メイドのフォローが光る。


「そちらはどうですかな?」


 俺達が見ても結局貰わないしなぁ……。


「ブヒヒ、まあ見るだけですよ。入ってみると少し驚きますよ」


 そう言われると入りたくなる。


「じゃあ、お言葉に甘えて。アリーは……」

「外で待っています」

「では、キリ様だけ、どうぞ中に」


 コミュ障勇者、暗殺メイド、豚貴族、そして俺の四人が中に入る。

 入ってびっくり。外と全く空気が違う。これが魔動具による調温調湿効果か。

 そして床に一切不安定さがない。地面を踏みしめているような安心感だ。動いてもこの感じなら称賛ものである。

 広いは広いのだろうが……豚貴族のせいでちょっと狭く思える。というか豚貴族がデカすぎだ。


「ブヒヒ、どうですかな、勇者様?」


 豚貴族が勇者にそう訪ねた。

 コミュ障勇者は俺を見て答える。




「──名前は高富士 祈里、種族は……不明です」

「ブヒヒ、なるほど。少なくとも人間ではないと」


 ──待て、何言ってやがる。


 状況が理解できない。

 だが理解できないなりに対応しなければならない。

 俺は影空間から闇鉄のナイフを取り出す。


「『収納!』」


 豚貴族の言葉と共に、馬車を覆っていた幌が捲くれ、どこかに収納された。

 太陽が見える。

 これがこの馬車の機能か。


 状況が流転する。

 周囲に控えていた自動鎧が、一斉に俺に飛びかかる。

 コミュ障勇者が俺に向けて手をかざす。

 暗殺メイドがコミュ障勇者の前に立ち、武器を構える。

 豚貴族が口角を吊り上げる。

 勇者パーティの残り二人が、アリーヤを捕らえんと動き出す。


 計画的だ。

 端から分かっていたのだ。

 端からバレていたのだ。

 いつからだ?

 どこでバレた?


 俺は初めて豚貴族の目を、まともに正面から見た。

 はっきりとした自信。

 己が絶対者とでも言わんばかりの虹彩。

 豚貴族こいつだ。

 気づいたのは恐らくこいつシュテルク・グレーステだ。


 だが、いつどうやって。

 何がきっかけで──







──先日、シュテルク・グレーステ別荘の裏手──



「ブヒヒ。こちらが、勇者様にご用意しました馬車です」

「ぁ……はぃ……」

「善太様は、素晴らしい馬車ですと仰っています。私の眼で見ても、少々過分な代物かと」

「ブヒヒ、勇者様に使っていただけるなど、光栄なことですからな。少々奮発いたしました」


 そう言うと、またシュテルクはブヒブヒと笑う。

 祈里達に馬車を見せる前日に、既にシュテルクはリリーとフィオナを含めた勇者パーティーに馬車を見せていたのであった。

 馬車の中で、勇者達はその出来に感嘆し、シュテルクは満足そうな笑みを見せる。なお馬車の内部空間の半分はシュテルクで埋め尽くされている。


「さらに、出口の幌を閉じれば、音も外に漏れない。調温調湿機能も出口を閉じれば魔力消費を抑えられますので、基本的には閉じておくことを意識してくだされ」

「分かりました。勇者様、私はこの馬車で十二分に良いと考えていますが、どうなさいますか?」

「ぁ……こ……」

「これで問題ないようです」

「ブヒヒ、かしこまりました。ではこちらの馬車は勇者様に差し上げます。お好きに使って構いません」


 善太のメイドであるメイは安堵した。途中訳のわからないハプニングに見舞われ、旅の先行きが怪しくなった。しかし運良く旅貴族であるシュテルクに拾われ、結果的に見れば欲しかった馬車を手に入れることができた。しかも期待以上の品質のものである。

 悪目立ちはするであろうが、これからの行動範囲はかなり自由となった。これならば、将来的に善太が加護を発現できる可能性も……


「ブヒ? 勇者様? どうかなさいましたかな?」


 シュテルクの声に、メイも善太を見る。

 善太はしばらく怪訝な顔で、虚空を見ていた。

 そして……


「──ぁぁぁぁああああああ!!!!」


 発狂したかのごとく叫んだ。


「勇者様!?」「善太様!?」

「ちょっ……」「ど、どうしました!?」


 その場にいる全員が、暴れる善太を押さえつけながら、宥める。


「『防音強化』」


 ただ事ではないと悟ったシュテルクは、すぐさま魔法を使い、善太の叫びがこれ以上洩れないようにする。


「はぁ……はぁ……はぁ……」

「ぜ、善太様……?」


 ひとしきり叫んだあと、善太はひどく焦った様子で荒い呼吸を続ける。メイが心配そうに顔を覗き込むと、善太はいきなり彼女の肩を掴んだ。


「メイ……アリーさんが危ない! キリは危険だ!!」







「ブヒヒ、規格外の加護というものは、最初は本人すら使い方を理解できません。が、突如としてその使い方を理解するのですな。そのきっかけというのは3種類。一つは本人の思いと加護の使い方が一致すること。二つ目は精神の高揚により、枷が外れること。そして3つ目が、加護の発動条件を満たすこと……」


 シュテルクはちらっと、善太を見る。彼は頷いた。


「僕の加護……『ヒキニート』の、発動条件は、『自分の所有する空間を手に入れること』……今回は、この馬車を所有したから……だと思います……」

「なるほど。馬車が領地のようなものと見なされたと……勇者様、そろそろ落ち着きましたかな?」

「はい。ご迷惑、おかけしました……」


 辿々しくも、善太はシュテルクに礼を述べ、頭を下げる。


「それでは、いま勇者様に何が起こったのか、説明をお願いしてもよろしいですかな?」

「はい……まず、僕は馬車を、もらった時、加護が発現しました……」


 馬車の中、座席に座った状態で、善太はポツポツと話し始める。


「『ヒキニート』という加護は、言ってしまえば『所有する空間を管理、支配する能力』……です」


 『ヒキニート』……所有する空間に対し、あらゆる権利を行使する能力である。その権利は段階があり、所有度合い、所有の認知度、住人の人数等により使える権利が増えていく。


「今使える権利は……『住人のステータスを見る権利』『住人に第一段階の加護を与える権利』『自身に第三段階の加護を与える権利』……の3つです」

「ふむ……ステータスとは?」

「ステータスは、僕だけが見える……画面? みたいなのがあって、そこに空間内にいる人の名前、種族、加護、状態が……見えます。まず僕は、自分のステータスを見ました……」


 加護を発現させた直後、善太は自分のステータスを見た。そして、自身の状態欄に、『催眠下』という文字列を発見した。


「催眠!? 一体誰が!? どこで!?」

「落ち着きなされメイ殿。話を聞きましょう」

「す、すみません……」


 メイはシュテルクに制止され、座席に座り直す。


「それで、僕も変だな……って思って、自分に、『催眠無効化』の加護を……与えてみたんです。試しに……そしたら」


 記憶が流れ込んできたのである。

 催眠によって封印された記憶のフィードバック。

 温泉。キリの誘い。

 暗い森の中。

 黒い笑み。

 おぞましい記憶。

 そして……黄色い魔法陣。


「それから僕は、勇者達の能力や、あらゆる情報を……聞き出されました」

「─────!!」


 メイは立ち上がった。そしてそのまま、馬車を出ていこうとする。


「待ちなされ! まだ気になることがある! 奴に詰めるのは早い!」

「しかしシュテルク様! 奴は……奴はやはり!! 善太様に酷いことを! 早く奴を殺して……八つ裂きにして……洗いざらい!」

「まだ早い!」

「止めても無駄です! 私は行きます!」


 憤怒の表情で、メイは出ていこうとする。

 だが、その体はびくとも動かなくなった。


「なっ──」

「待て、と言っておるのだ。メイド風情が。動くな。話を聞け」


(これは……シュテルク様の魔法? しかし魔法陣も、魔力の気配すらも無い……これは……?)


「勇者様……確か魔族の襲撃に遭われたのでしたな。その時、奴のことを魔族は何と言っていたか、分かりますかな?」

「えっと……何だっけ? タケージ……ノリ?」


 リリーがうろ覚えの記憶をたどる。

 善太が口を開いた。


「確か、タカフジイノリ……漢字は分からないけど、多分……日本人の、名前です」


 しかし善太は今までこの情報を口に出せなかった。それが催眠による影響だと気づき、改めて善太は寒気を覚えた。


「ブヒヒ……聞いたことがありますな。タカフジイノリ……確かそう、ライジングサン王国、四人目の勇者……しかし加護は催眠系ではなかったと思いますがな」

「一応奴は、囮になるためにそれが自分だと偽ったと言っていましたが……」

「まあ嘘でしょうな。恐らく奴にとってもあれは予想外だったのでしょう。そして……本名かも分かりませんが、アリーも共謀者の可能性が高い」

「そんな!」


 善太は思わず立ち上がる。だがシュテルクは、据わった目で彼を見た。


「そう考えるのが妥当でしょう。心当たりがある。ライジングサン王国第二王女……確か元の名をアリーヤ。髪の色も目の色も、魔力も何もかも違うが、しかし面影がある。あの魔力は特徴的だったから覚えていたので、他人の空似だと思っていましたがな……」

「しかし、第二王女は王城の火災で死んだはずでは?」

「遺体は見つかっておらんのですよ。私は秘密裏に調査を依頼されました。ブヒヒ、私の技術なら、黒焦げの死体からでも魔力片を適合させて調べることが出来る。まあ予め生きているうちに魔力波長を記録している必要があるので、すべての遺体の身元調査はできませんでしたが……彼女の魔力波長は記録していたのですよ。そして城に残った遺体からは、適合するものは見つからなかった」


 王女が生きているとなれば、ライジングサン王国元領土の扱いがややこしくなる。現状魔族との対応に追われていたため、第二王女生存の可能性は、マッカード帝国が意図的に伏せていたのだ。


「仮にアリーを第二王女……アリーヤとすれば、一つの仮説が浮上しますな。ライジングサン王国における『新たなる魔王』の襲撃。その際、タカフジイノリと第二王女はその魔族によって魔人とされた。そしてその魔族の命令により、勇者の動向を探っていた……」

「……それならば、ゼンタ様から勇者に関連する情報を得ようとしていたことも納得できます。やはりあの女……!」


 メイはアリーがいるであろう方向、屋敷の方向を睨んだ。


「しかし、魔人ならば角とか……そういう特徴があるのでは?」

「催眠能力の後発的な出現……そしてその際の不必要とも思われる性的な演技……魔人の特徴が一つも見受けられない、完璧な人間への擬態。魔人化は魔人化でも、吸血鬼化だったのかもしれませんな。それならば襲撃時に一瞬で魔人化できたことも合点がいく。日中平気で行動しているのは吸血鬼の性質と反しますので、断定はできませんがな」


 さて、とシュテルクは立ち上がる。


「ブヒヒ、これから作戦を組みましょう。奴は恐らく狡猾です。嵌めるのには準備が必要だ。まず勇者様、失礼ながら突然流暢に話せるようになった理由をお聞かせください」

「……あれ? えっと……」


 言われてみれば、善太はいつの間にか、あまりどもることなく会話を行えていた。シュテルクはそこまで親しくない者であるにもかかわらず、である。


「……すみません。わかりません」

「ブヒヒ、これは私の勝手な予想ですがな、催眠時の記憶……恐らく奴へのトラウマに近い物が思い出させられ、私のような他人への恐怖が薄れたのではないかと」

「な、なるほど……」


 そう言われればそうかもしれない、と善太は納得する。今までは他人は全て、自分を嘲笑っているのだという恐怖があった。しかし今では、キリへの恐怖が何よりも上回り、他人がむしろ安心できる、そんな精神状態になっていたのだ。


「そこで勇者様、一度『催眠無効化』の加護を外してくだされ」

「シュテルク様! 何を!」

「しかしこのままでは、奴を罠に嵌める前に、勇者様に『何かがあった』と勘付かれてしまいます。催眠にかかった状態ならば、騙せるかもしれない……勿論、勇者様にかつてのような演技ができるならば、話は別ですが」


 と言いつつ、シュテルクは善太を見る。彼は首を振った。


「ブヒヒ。それで馬車に乗り込み、『催眠無効化』をもう一度かければ問題ないでしょうな」

「あ……でも多分、馬車の外に出るだけで……加護は、消えると思います。住人も本人も、『ヒキニート』の空間内でのみ加護がつくので……」

「ブヒヒ。ならばこのままで参りましょう。決行は明日、この馬車にキリとアリーを誘い込み、正体を暴く。ブヒヒ、準備は私に任せてくだされ」

「す、すみません……」

「ブヒ、何ですかな?」


 おずおずと挙手をした善太に、シュテルクは発言を促す。


「もしかしたら、アリーさんも同じく、催眠されてる……なんてことは」

「ゼンタ様!?」

「ふむ……なるほど」


 シュテルクは顎に手をやり、考える。


「ならば、予め私が従者を使い、彼女が吸血鬼か否かを確かめてみましょう。ありがちですが、鏡を使ってですな。もし彼女が吸血鬼でなければ、まず催眠主であるキリを拘束すればいい……勿論、彼らが本当に吸血鬼かどうかは分かりませんので、相応の警戒はさせてもらいますがな」

「……ありがとうございます」










「我が住人、高富士祈里に、『束縛』の加護を与える!」


 コミュ障勇者が俺に向かって叫んだ。

 その瞬間、俺の体がいきなり重くなる。

 ステータスを見ると、STRとAGIが半減していた。そして一般スキル欄に『束縛』の文字が。

 加護を与える能力? それが『ヒキニート』なのか?


 そして更に体がなにかに押さえつけられる。これは……魔力か? 《探知》で分かったが、この世界の魔力とは違う。俺がいつも使っている、純粋な魔力だ。


 襲いかかってきた自動鎧の攻撃を、身をよじって躱す。

 無理やり動かしてるから体がいてぇ。


「なんと、この状態でも動けるのか……」

「くそ……」


 驚く豚貴族。苦い顔をするコミュ障勇者。

 いや苦い顔したいの俺なんだけど。


 「千里眼」で確認すると、アリーヤは勇者パーティーの残りの二人に拘束されていた。


「祈里!」

「馬車だ!」


 『ヒキニート』という名前。住人というワード。そこからの推測に推測を重ねた予想。

 この能力は、馬車──つまりコミュ障勇者の所有している場所の上でないと発動しない、領域型ではないのか?

 ならばその空間を破壊する。


「はい!」


 アリーヤは即座に動いた。

 リリーとフィオナ(だっけ?)の拘束を振りほどき、馬車を絶斬黒太刀で斬りつける。


「なんと、防殻が……!?」

「うっ……」


 コミュ障勇者が、糸が切れたように地面に倒れ、それを暗殺メイドが受け止める。

 ステータスが戻った。


「オラァ!!」


 全方位に投げナイフ。馬車を粉々に破壊し、自動鎧もまとめて吹き飛ばす。

 豚貴族は見た目に反した軽やかさで飛び退いた。


「作戦失敗だ! 勇者様を連れて退却せよ! メイ殿!」

「はい!」


 暗殺メイドがコミュ障勇者を抱えて逃げる。他の勇者パーティーも、後を追うように逃げ始める。

 逃がすかよ。


「アリーヤ、追え!」

「自動鎧よ、彼らを守れ!」


 アリーヤと八体の自動鎧が、勇者パーティーを追う。

 くそ、豚貴族め判断が早い。


 だが。


「……良いのか? 俺相手にお前一人で」

「足止めくらいは出来よう……想定以上に強いようだがな」


 もう豚貴族を守る自動鎧はいない。ステータスを見ても、それほど強いとは思えない。

 少なくとも、昼間の俺を数秒も止められないくらいには、弱いはずだ。


──突然、正面に魔力の塊が出現した。それが俺を襲ってくる。

 間一髪で避ける。


「む……避けるか」


 何だこの能力。正体が分からん……いや。


「……なるほど、魔力展開か」

「ブヒヒ、確か加護は『探知』だったかな? それで気づいたか」


 既視感デジャブ

 イージアナと同じ能力……いや、更に上の次元の能力か。魔力を展開し、それを凝縮することで攻撃する。なるほど確かに、豚貴族ほどの魔力操作技術があれば可能なのかもしれない……だが。


「イージアナと比べて魔力が少ないな。もう今ので弾切れか」

「ほう……彼女を知っているか」


 こいつのステータスで、『探知』と同じことをされても怖くもなんともない。どうせ俺の攻撃を避けられはしない。

 ……目的を見失うな。まずは勇者達の始末が先だ。確かにこいつは、興味深いが、さっさと殺して──




「ブヒヒ。ところで君、回復魔法を知っているかね?」


──魔力量が──


「光魔法の一つであり、極めれば肉体を再生できる」


──跳ね上がった──


「私はこう考えた。魔法で肉体を作ることが可能ならば、逆もまた可能ではないかと」


 豚貴族の体型が、どんどんと痩せたものになっていく。

 こいつ、贅肉を、脂肪を。

 魔力に変換してやがる。


「個人が持つ魔力量には限界がある。だが贅肉として貯められるならば話は別だ」


 そんなことが可能なのだろうか。

 魔力の逆流。反転。

 一体どれほどの魔力操作技術があれば……


 体型が更に変化していく。

 脂肪の中から、埋まっていた筋肉が。

 その筋肉量は、さながら歴戦の戦士。

 ステータスも目まぐるしく変化する。

 それは、STR、VIT、DEX、AGI、INTその全てが遥かにイージアナを上回っていて……




 おいおいそういう事かよ。

 恨むぜ女神さん。

 いや仕様のせいか。

 「三点リーダー」の先、省略されている部分に気づかなかった俺の落ち度か。

 加護がないことに気を取られて、称号が省略されているか、確認しなかった。



シュテルク・グレーステ

人族 人間


HP 1015/1015

MP 9740098/244

STR 902

VIT 807

DEX 12015

AGI 3122

INT 13920


加護

なし…


称号

旅貴族 マッカード帝国伯爵 豚貴族 ドイル連邦少尉 リーン聖国名誉司教 ジールハン皇国名誉男爵 カナディ公国名誉子爵 イギル連合国名誉男爵 エルサムル国名誉子爵 アレイン公国名誉子爵 キッシュ共和国名誉男爵 マッカード帝国国家魔動具技師 箱庭の外へ 外れし者 人外 極めし者 仙人 到達者 求道者 修行者 最強の師 人類最強





「フハハ……ではやろうか、魔人。タカフジイノリよ」


 イージアナ・イーツェの師匠。

 人類最強シュテルク・グレーステが、そこにいた。

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