分からない第十三話


 頭上を火炎が通過する。

 龍斗はしゃがんだ姿勢のまま横っ飛びに、マグネスの斬撃を回避した。


「躱されてばかりじゃあないか、オキシ!」

「だってこいつの動き意味分かんないんだもの。気持ち悪い。そう言うマグネスもさっさと仕留めてくれよ」

「バハハハ! まあそう急くなオキシよ」


 再び迫る火炎を、龍斗は空中で避ける。

 そのまま軌道を変更し、堅固の剣でマグネスへ攻撃を仕掛けた。

 膂力は圧倒的に龍斗が勝っている。しかしその斬撃を、マグネスはいとも簡単に大剣でいなした。

 体勢を崩した龍斗の腹に、マグネスの柄が迫る。それを察知した龍斗は無理やり体を捻り回避。そのまま地面を殴って自らの体を空中に飛ばした。


「こやつめ、力任せかと思ったら中々に技がある。そこには並々ならぬ修練が見えるが……同時に技と力のズレが見える」


 空中にある龍斗に、炎の追撃が加わる。龍斗は聖剣をぶん投げ、反作用で体を動かしそれを避けた。


「さしずめ、魔人となった事で我と同じ肉体を強化する加護を手に入れたのだろう……故に突然変化した身体能力に技術の適応が追い付いておらん。とはいえ、ここまで戦えるほどに適応させたのは並々ならぬセンスだろうな。だが……」


 着地した龍斗に向き、マグネスは剣を構える。無骨な剣、屈強な体躯と対照的に、均整の取れた美しい型であった。


「武芸において、教会道院第一席と対等に渡り合う我の敵ではないっ! さあかかってきたまえ赤髪の勇者よ」


 マグネスの挑発に、龍斗は答えない。魔法陣を形成し、光弾をオキシに向けて発射する。

 それをオキシは魔術結界を斜めに張り、軌道を反らすことで防いだ。


「おっと! 危ないな君!」

「ふむ……魔法も使えるのか。さすが勇者というべきか」

「魔法陣形成速度が尋常じゃないね。僕より圧倒的に速い。隙を作るとすぐに僕が攻撃されるね。不味いな」

「うむ。つまり何も問題ないと言う事だな!」

「僕が倒れたら負けですけど!?」

「バハハ! 我儘なやつだな! ではどうしろと?」

「決まってる!」


 オキシの魔法陣から大量の炎弾が発射され、龍斗を襲う。


「反撃の隙を与えない程に、攻めて攻めて攻めまくる!」

「容易い事だ!」


 マグネスは地を蹴り駆け出した。特殊な歩法で直ぐさま龍斗に肉薄し、斬撃を放つ。大量の炎弾を躱していた龍斗は、堅固の剣でそれを受け止めた。

 弾かれた大剣を、マグネスは回すように持ち替え、最速で二撃目に移る。それを龍斗は身体能力を以て無理矢理聖剣を動かし、防御する。


「バハハハハ! 未熟未熟ぅ!」


 戦いは打ち合いの様相となった。巧みに繰り出されるマグネスの連撃を、龍斗は聖剣で防ぎ続ける。だが、技巧の差が露見し、徐々にタイミングがズレ始めていた。


「そして最適のタイミングで僕の魔法!」


 オキシの声に龍斗は注意を向けた。が、魔法陣は描かれているものの、一向に魔法は飛んでこない。


「よそ見をするなぁ!」


 マグネスの大剣。何とか防いだものの、龍斗は吹き飛ばされる。


「くそ、ブラフか!」


 思わず龍斗は毒づいた。迫るマグネスに対し、更に距離を取ろうと膝をかがめる。

 と、次の瞬間、右膝に力が入らなくなった。焼けるような激痛。


「ブラフじゃないんだなこれが」


 龍斗は地面に膝を付きながら、右足を確認した。腿のあたりに穴が空いており、周囲の布や肌が焼け焦げている。

 視界の端に光を捉え、龍斗は頭をずらして高速で迫ってきたソレを避ける。


「流石に2発目は無理かぁ」


 ソレは青白い光の玉、更に言えば超高温の炎弾であった。


(今までの炎弾や火炎とは、速度も威力も桁が違う……隠してたのか)


 よく見れば、オキシの魔法陣も今までの炎弾と異なる部分があった。とはいえ、パッと見では気づかない程の誤差である。

 確実に、意図的に、魔法陣を通常の炎弾と似せている。


(恐らく発動までのタイムラグなど、不純物とも言える効果を敢えて組み込んで、魔法陣を偽装しているのか。……魔法陣の偽装なんて、考えた事も無かった)


 それは視力や反射神経などの身体能力が人間よりも高い、魔族特有の発想とも言えた。


「バハハハ! 考える暇は与えんよぉ!」


 すぐさまマグネスが襲いかかる。


「ちっ」


 龍斗はまたもマグネスの相手を強いられる。

 ギリギリの打ち合いの最中、更にオキシが魔法を放った。龍斗は直感で避けるが、青い炎弾は逆に龍斗から逃げるような軌道をとった。

 オキシはそれを見て嘆く。


「ヤマ外れんのかーい!」

(今度は曲がった!?)


 しかも今回の炎弾は、高威力であるのに発動までのラグが少なかった。


(軌道もタイミングも自由自在……と考えた方が良さそうだな。放った後はコントロールできないみたいだが、早とちりは良くない。しかし不味いな……)


 龍斗はマグネスの連撃を凌ぎながら、眉をしかめる。

 マグネスとの打ち合いは、技量の差でやや不利である。聖剣を使った立体機動を用いれば、互角以上に持っていけるだろう。だがオキシの存在がそれを阻む。龍斗の立体機動は自在に見えて、実は非常に危ういバランスで成り立っているのだ。龍斗が自身の身体能力に完全に適応できていない事もあるが、何より大きいのは、聖剣を持っているか引き寄せる瞬間しか移動ができない事である。ネオンとの戦いの際は骨の巨腕の動きを予測出来ていた為柔軟に動くことができていたが、オキシの魔法は予測不能だ。これでは立体機動を行うことは逆に命取りになる可能性がある。更にもし聖剣に結び付けている糸が焼ききれてしまえば、武器を失うことになってしまう。オキシの魔法陣を凝視すれば魔法の予測もいずれ可能になるが、そのような猶予はマグネスが許さない。

 オキシとマグネスの連携と、龍斗との相性。これらにより、龍斗は思っていた以上に苦戦を強いられていた。


「クソ、仕方がない……!」


 龍斗は一気にマグネスとの距離を詰めた。そして彼の巨体を盾にするように、オキシの射線から逃れる。

 マグネスと龍斗の打ち合いは、必然的によりインファイトとなる。


「およ、そうする?」


 オキシは意外そうに声を上げた。

 確かにここまでマグネスとの距離を詰めた上で盾にされては、オキシは手出しができなくなる。軌道を曲げて龍斗に当てることも出来なくはないが、マグネスにより大分方向は限られてしまう。マグネスの体の左右どちらから来るかさえ分かれば、大体の予測は出来るだろう。

 何より高熱弾を放てば、マグネスまで巻き添えになる可能性はある。


「けどそれって、マグネスに打ち勝てること前提でしょ?」


 剣はマグネスのものの方が大きい。故に間合いを詰めれば勝機がある……と考えたのかもしれないが、それは早計だとオキシは笑った。

 まるでそれに答えるように、マグネスは雄叫びを上げる。


「間合いを詰めた程度で、我が剣技を出し抜けると思うか勇者よ!!」


 その距離は、マグネスにとっても龍斗にとっても間合いではない。ならば軍配が上がるのは、技量のあるマグネスの方だ。当然彼は、間合いを詰められた時の対処法も熟知している。

 結果として龍斗は、更に窮地に立たされることとなった。


「っ────」

「バハハハハ!」


 剣戟は過激化する。

 龍斗が切り傷を負う回数が増え始めた。マグネスの剣技に、龍斗の対応が追いついていないのである。尋常でない再生力で傷が立ちどころに治るため、状況を決するようなダメージは受けずに済んでいる。

 だが、未だに龍斗の刃は一度たりともマグネスに届いていない。いずれ形勢が傾くと、オキシは確信していた。


「このままでもマグネスが決めちゃうだろうけど……僕がずっと手をこまねいているのもアレだな。油断禁物とも言うし。何か仕掛けるかな。陽炎での奇襲が無難だけど……」


 オキシは自身の持つ様々な火魔法を脳内で照らし合わせつつ、作戦を練る。


「バハハハ! 勇者よ、力任せになり技が衰えているぞ!」

「────」

「ヤケクソになったか赤髪の勇者よ! それとも集中が切れたか!」

「────」

「我を落胆させるなよっ……勇者よ!」

「────」

「くっ! 流石に膂力がある……凄まじいな、徐々に強くなっている……?」

「────」

「……いや待て流石にそれ以上強くなるのは不味──」


「──『限界突破』20倍」



 マグネスの身体は両断された。


 巨体が血飛沫を上げて、地面に崩れ落ちる。


「……は?」


 オキシが間抜けな声を上げている間にも、龍斗は攻撃の手を止めない。

 念入りに、確実に死に至らしめるように、首や心臓など急所と思われる箇所を斬りつけ続けた。

 斬撃の精度は酷く、なかなか刃が急所を捉える事ができない。結果として龍斗が手を止めた時には、マグネスの死体は人の形というものを成さなくなっていた。

 龍斗は地に立つ。

 全身から血が込み上げていた。自壊と再生を繰り返し、皮膚が破けているが、留まることがない。

 龍斗は赤に濡れながら、地面を踏みしめていた。



「───勇者ァ!!」


 オキシから放たれた青い炎が、龍斗の右腕を焼く。

 右手から聖剣が落ちた。炎の熱で糸が焼ききれる。


 オキシは確かに激昂していたが、思考は冷静に回転していた。マグネスが倒された今、オキシにアドバンテージはない。強引に距離を詰められれば、策を弄する間もなく殺されるだろう。

 聖剣を取り落としたこの瞬間、龍斗は満足に空中で軌道を変えられない。オキシは今までの戦いで、龍斗の不規則な動きの起点が聖剣にあると気づいていた。


(だからこそ、この一瞬を全力で叩くッ!!)


 オキシは予め用意していた魔法を発動する。元々は龍斗とマグネスの戦いに茶々を入れる為に準備していた物であった。

 青い炎が円を描くように、龍斗の周囲を広く取り囲む。

 壁のような炎は、揺れながら徐々に半径を狭めていく。


(陽炎──!)


 オキシの切り札。複合魔法とも言えないただの技術テクニック。必殺技でも何でもないそれは、揺れる炎に紛れての高速移動……しかし詰み・・の状況を作り出すための、紛うことなき切り札である。

 オキシの炎の揺れには恣意的な法則性がある。萌え揺れ昇る炎のひかりに合わせ、自身の体を火魔法によって上空に打ち上げる。

 丁度龍斗が、己の脚力で跳び上がろうとしている所であった。


(そうすると思っていたよ)


 逃げ場を上空のみに残した。だからこそ、オキシは龍斗が逃げようとするならば上空であると分かっていた。


(仕上げだ──)


 龍斗が地面を蹴った瞬間。

 残る魔力を全て振り絞り、オキシは炎を放つ。

 ただの強力な火炎。小細工は無し。だがだからこそその密度も熱量も大きさも、オキシの全ての魔法を上回る。

 青い巨炎が、円の炎に蓋をするように覆い被さった。

 龍斗は跳躍した直後であった。聖剣もないので空中での軌道変更はできない。

 逃げ場は無かった。



 青炎の中を一直線に影が貫く。

 焼き焦げる己の身も厭わず、迷いなく飛ぶ。

 炎の中から真っ黒な龍斗の手が飛び出して、オキシの心臓を貫いた。


「ゥげあっ?」


 龍斗はオキシの胴体から手を引き抜き、首に手をかけ頚椎を折る。

 絡まった二つの人影が地面に落ちた。

 轟々と熱を放っていた炎は、急激に勢いを衰えさせていた。

 オキシの死体が動かないを確認して、龍斗はため息をつく。


「あの高温の中突っ切っても、焼けるスピードより再生の方が速いって……いよいよ化け物染みているよな」


 焼け焦げているように見えていたのは、表面を伝っていた血液だけであった。


「最後に力に任せたゴリ押しってのも締まらないが……やっぱり強いな魔族。これからキツいぞ」


 龍斗は苦笑する。もしこれから一人で立ち向かうとなれば、それこそ修羅の道だ。

 だが龍斗には仲間がいる。頼りになる仲間達が。支えてくれる仲間達が。

 彼ら彼女らと一緒ならどこまでも突き抜けられる気がした。

 気を取り直して、龍斗は目前の状況に目を向ける。


(魔族は全員倒した。だがまだ魔物が残っている。全滅させるまでは終われない……。だから『限界突破』を最大まで使うの嫌だったんだ。殆ど制御が出来無い。これ雑魚狩りキツいぞ……加護が解除されるには時間かかるしなぁ)


 龍斗はすでに勢いを弱めている炎の中に、躊躇いなく入る。中心に落ちていた宝石を手に取り、無事を確認する。


(流石聖剣。……じゃあ、残党討伐に行くか。その後は体にこびり付いている炭とか血とか洗い流して……翼はバレるか? まあどう隠してもバレるよなぁ。流石に二人に怒られるかな)


 龍斗の脳裏に珠希と葵の顔が浮かんだ。思わず笑みが溢れる。


「さっさと終わらせて帰ろう。きっと二人が待ってる」






 別荘と言うには余りにも豪華絢爛な屋敷。

 出迎える美女揃いのメイドさん達。

 キラキラ輝く調度品。

 ぽんと出された高級料理。


 ……完全にテンプレお貴族様です本当に有難うございました。

 なんだかライジングサン王城を思い出す。見栄ばっかりのアレとは格が違うけど。


「だが飯が美味い! それで充分だ」

「はぁ……」


 俺は高級料理をたらふく堪能していた。最近は旅道中の劣化キャンプ飯しか食べてなかったので新鮮だ。

 そりゃ吸血鬼としては血も美味いのだが、飯は別種の快楽が存在するのである。

 思いっきり楽しんでいる俺を横目に、アリーヤはため息をついていた。


「どうした。アリーも食え。変に渋ると怪しまれるぞ」


 ちらっと視線を送った先では、コミュ障勇者達も食事をしていた。

 特に暗殺メイド以外の女子二人の食いっぷりが凄い。目の色を変えて食いついている。テーブルマナーガン無視の食べ方をしているせいで、暗殺メイドからちょこちょこ注意されているようだ。まあ根っから冒険者だろう二人が、テーブルマナーを守れないのはしょうがないだろう。

 逆にコミュ障勇者は萎縮してしまって殆ど料理に手がついていない。緊張で顔を青ざめている。テーブルの周りはメイドを始めとする使用人や騎士達がズラッと取り囲んでいるのだ。あいつが緊張しないわけがない。

 ……って本当にここ別荘だよな? 使用人多すぎない? 旅貴族とやらだから、って事なのだろうか。


「まあ隣があれだけ目立ってたら、疑われるも何も無いか……。それともあれか? 上品すぎるテーブルマナーで身バレするとか考えてるのか?」


 そう言うと、アリーヤはじっと俺の目を見つめる。

 ……何だ? 鈍感キャラじゃないっていつも豪語しているが、アイコンタクトで全て察せるようなキャラでもないぞ俺は。

 暫く俺を見てから、アリーヤはまたため息をつく。


「まあ、そういう事でいいです」

「何じゃそりゃ……じゃあ俺の食べ方真似てみたらどうだ? 多分丁度いいレベルだぞ」


 テーブルマナーは知っているが、見様見真似で体裁を整えている冒険者レベル。割と一般的で、悪目立ちしないレベルだ。これを真似てもアリーヤの上品さは残ってしまうだろうが、まあそんぐらいが「黒薔薇アリー」らしい食べ方な気がする。


「それ不思議なんですよね……キリって城でちゃんとテーブルマナー習ってませんでしたっけ」

「まあ、やろうと思えば恥ずかしくないくらいには習得したな」

「じゃあ何で下手な振りがそんなに上手いんですか……スキルです?」

「いや? 《詐術》はそこまで含めないみたいだからな。《演技》とかのスキルなら別かもしれんが」

「つまり素の演技力でそれですか」

「やろうと思えばできるぞ?」

「……割とキリって天才肌ですよね」

「うわ『天才』の加護持ちが何か言ってる」


 アリーヤが俺の真似をしながら食べ始める。……うん。大分上品さ残ってるな。やっぱり王女だったんだよなこいつ。あそこの女冒険者を真似たほうがいいんじゃないかって気がしてきた。あぁ、あっちでソース溢してる……。


「ブヒヒ……皆様、お食事はお気に召しましたでしょうか?」


 と、低音でいやにネットリした声が聞こえてきた。

 例の旅貴族、豚貴族、屋敷の主シュテルク・グレーステである。

 結構年いってるはずなのに、声が若い気がする。喉に脂がのっていたりして。

 一応我々冒険者達の依頼主であるジジイが返答をした。


「グレーステ様……ええ。今まで私が食べたどの料理よりも美味しいです。我々一同、楽しく頂かせております」


 嘘つけ。全知全能の神様が何言ってる。


「え……ぅ……」


 そして安定のコミュ障勇者。


「グレーステ様。ゼンタ様は人目が苦手です。ご料理をゼンタ様のお部屋まで持ち帰ってもよろしいでしょうか」

「勿論構いませんよ。ブヒヒ」


 暗殺メイドの申し出に対し、豚貴族はニマニマと……ニヤニヤと? ブヒブヒと? 笑いながらそう答えた。


「ブヒヒ、お部屋は幾つご用意すればよろしいですかな?」

「ふむ……」


 ジジイは暗殺メイドに目配せする。


「私はゼンタ様の護衛ですから、同室で構いません」

「ブヒヒ……では他の方々にはお一人一室ということで……」

「望外のご慈悲、誠に感謝いたします」


 豚貴族にジジイは畏まった。明らかに暗殺メイドが誘導した会話の流れだが、実質豚貴族にとっての客人はコミュ障勇者なのだから仕方ない。


 ……と、アリーヤが耳元に口を寄せてくる。


「(すみません、我々を同室にすることは流石に……)」

「(いや、野営ならともかく全員に一室割り当てるって流れでそりゃ無理だろ。貴族としての体裁もあるだろうし)」

「(そう、ですね……)」


 ありゃ勇者だから同室が許されたんだ。たまたま同じ依頼受けた我々が同じ待遇を受けることはできないだろう。もし許されても、ワケアリだと思われるかもしれない。

 そもそも俺、夜中に抜け出してレベルアップするつもりだし。


「(流石に警戒しすぎじゃないか……?)」

「(まあそうなんですけど……耐性が無いもので)」

「(あぁ)」


 そういや、そういうアプローチを受けた事があまり無いんだったか。幾ら能力的に強くなろうが、本能的な恐怖ってのは残るものなのかね。


「どうかなさいましたかな? 客人殿。ブヒヒ」


 豚貴族が俺達に気づき、声をかけてきた。

 鼻息やめて。


「いえ、この料理に使われている食材が分からなかったんで、アリーに聞いていたんです。ただ彼女も分からなかったみたいで……」


 スッと《詐術》スキルが発動する。便利。


「ブヒヒ……なるほど、まあこの私が世界中を回り集めた食材ですからな。ご存知無いのも仕方あるまい……このメイン料理に使われているのは、アレイン共和国の海産物、ゼ・クーという高級魚。現地語で『国の姫』という意味ですな。産地が共和国でも辺境といえる場所であり足も早く、あまり有名ではないのですが、姫と呼ぶに相応しい繊細な味が特徴なのですよ。私が知る限り、最も美味な魚ですな」


 解説を朗々と語ってくれた。なるほど旅貴族の名を冠するのも頷ける程の知識量だ。

 足が早い魚をアレイン共和国の、しかも辺境からここまで運搬するとなると、どれだけコストがかかるのだろうか。或いは卓越した魔動具技師ということだから、大量輸送できる冷蔵庫付きのクルマみたいな物も開発しているのだろうか。


「なるほど。わざわざ説明、ありがとうございます」

「ブヒヒ、いえ客人殿。以後何か気になることがあれば、我が家の使用人に自由にお聞き下され」


 そう言ってから、豚貴族はアリーヤに視線を向けた。

 アリーヤの身が、ほんの一瞬だが硬直する。

 それに気づいてかは知らないが、豚貴族がニマっと……いやニヤッと? やっぱりブヒッと笑った。


「では、ごゆっくり」


 そう言って豚貴族は勇者達の方へ戻っていく。

 アリーヤを見れば、肌に若干鳥肌が見えた。いやどんだけ嫌なの。

 別にそんな嫌味な人間には見えなかったがな。まっとうな貴族といったカ印象だ。


「(や、やっぱり同室は……)」

「(駄目だっての。何がそんなに嫌なのさ)」

「(容姿です)」


 ……はぁ。

 即答されても困る。


「(すみません……容姿というより、なにか生理的に駄目なんです)」

「(トラウマがあったりするのか?)」

「(いえ何も)」


 あっさりと答えるアリーヤ。この様子だと本当にトラウマはなさそうだ。

 じゃあ何が原因だろうか。正直、アリーヤの性格は人を容姿で判断するようなタイプじゃない気がする。

 ……まあでも、何か生理的に無理とか、理屈抜きで嫌いとかはありふれてるから、深く考えても仕方がないか。


「(……分かった。そんなに心配なら、お前の部屋の何かの影に小さくなったフェンリルを潜ませておく。何かあったらあいつに報告させるってのでどうだ)」


 黒狼なら、《王の器》を使えば擬似的な相互通信ができる。それならば問題ないだろうと言うと、アリーヤは分かりやすく安堵した顔で、俺から離れた。

 ……まあ、それで良いならいいが。







──グレーステ邸、シュテルク・グレーステの寝室──



「ブヒヒッ……そろそろ勇者様方は、ご就寝の頃合いかな?」


 夜の帳がとうに下りた頃合い。怪しげな香の焚かれた寝室で、シュテルク・グレーステは鼻息荒く笑う。


「ええ。皆様ご自身の部屋に入られました」


 メイド長はそう答えた。彼女はメイド服を着ていなかった。……いや、服の類を着ていなかった、と言うべきか。

 彼女が纏っていたのは服と形容するのもはばかられる、布切れであったからだ。辛うじて秘部は隠れているものの、明らかに性的なそれを目的とした衣装である。


 それだけではない。

 シュテルク・グレーステは自身のベッドの上で、加えて数人のメイドを侍らせていたのだ。彼女達とあられもない姿で、シュテルクにもたれ掛かっていた。


「ご主人様、今夜のお相手は如何がなさいますか? メイド一同、全員準備はできております」


 メイド長の言葉と共に、メイド達は挑発するようにシュテルクに身を擦り寄せる。シュテルクは満足そうに笑みを浮かべる。


「ブヒヒッ……今夜は少し、新鮮なのを味わいたい気分なのだ。ほれ、丁度この屋敷に、客人がいるじゃないか」

「……ご主人様。冒険者とはいえ、帝国の勇者様の連れに手を出すのは……」

「それは勿論理解している。だが同じ依頼を受けた、もう一つのパーティは別だろう? 確かアリー、と言ったかな」

「あの黒装束を纏った、女冒険者ですか。確かに美人ですが……」

「ふむ。美人か。まあ美人だな。ブヒヒ」

「あの女が何か……?」

「いや、妙に懐かしくてな……」


 何かを思い出すように、シュテルクは目を瞑った。


「髪色も目の色も違うが、顔立ちが似てるのだ。ライジングサン王国にいた王女に」

「あぁ、あの地味な女ですか」

「ブヒヒッ、仮にも王女にそのような言い方はどうなのだろうな。まあ、国が無くなってしまえば文句を言う者もおらんか」

「確かに似ている気もしますが……それが何か」

「あの時は確か、ただの美人に飽いていてな。あの王女は容姿こそ見るべき所も無かったが、誰よりも気高き精神があった。あのような女を抱きたかったのだ」

「そう、ですか……」


 メイド長は口を尖らせ、つまらなそうに首肯する。シュテルクはそれを見てまた笑った。


「ブヒヒ……まあそう拗ねるな。昨晩は気をやるまで相手をしてやったろう?」

「そうですが……」

「ともかく、結局あの王女を抱く事は叶わなかった……。この一夜、代わりにあの女冒険者を抱くのも一興よ」

「かしこまりました。それでは彼女にシュテルク様の意を伝えて来ます……しかし、あの女冒険者には、男の連れが居たはずですが」

「ふむ。その男に恋慕していた場合は、それを理由に断れる可能性があるわけだな……ブヒヒッ」


 何かを思いついた様子のシュテルクは鼻息を荒くする。ベッドから立ち上がると、布に包まれたある物を棚の中から取り出した。


「これを奴に渡せ……そして──」


 メイド長は彼の言葉を聞き、暫く呆けた顔をしていたが、最後にはニヤリと笑みを浮かべた。


「流石はご主人様です。それでは、ただいまより女冒険者アリーの部屋に行ってまいります」

「ブヒヒッ」


 シュテルクの荒い鼻息のあと、何がおかしいのかベッドの上のメイド達は互いにクスクスと笑いあった。








「イノリ〜? そんなに呑気にしてて大丈夫なの?」

「呑気とは何だ。真剣にスキルの確認とレベル上げをしているんだが」


 シルフが随分と失礼な事を聞いてくる。寧ろ検証やらやりたい事が多くて忙しいくらいなんだが?

 俺は今、予定通りにシュテルク・グレーステの別荘を抜け出して、近くの森に居た。シルフは何かいつの間にか居た。


「そんな事じゃなくて、アリーヤのことよ」

「アリーヤ? 何かあったのか?」


 フェンリルからは何の連絡もない。ただただ暇そうな思念が送られてくるだけだ。


「何か起こるかどうかは関係ないのよ、この場合。ちゃんと行動したかってことなのよ」

「……抽象的すぎて何言ってるか分からん。行動って、フェンリルはちゃんとつけただろう?」

「そうだけど……っていうか、何であの狼なのよ! 何で私じゃないのよ! 私の方が隠密得意ですけど!?」

「すまん。忘れてた」

「ぬがーーーっ!」


 シルフが叫びながら俺の髪を掴んで引っ張ってくる。やめい。


「…………ふんっ」

「プゲッ!」


 いつまでたっても止めないのではたき落とした。


「何すんのよ!」

「やめないからだ。ハゲたらどうする」

「これくらいでハゲる身体じゃないでしょ! 仮に髪が抜けても再生するでしょ!」

「で? 結局お前が言いたいことは、他の男にアプローチを受けるかもしれないアリーヤを心配して、別荘に戻れってことか? それで好感度を稼げと?」

「な、なによ……よく分かってるじゃない」


 フヨフヨと浮き上がってきたシルフは、打ち付けたのか頭をさすっている。


「論外だ。どうなろうがどう思われようがアリーヤは俺のモノだ。起こりもしない事に対してそこまで労力を割く理由がない」


 そう言うと、シルフは分かりやすく機嫌を悪くした。


「そ。まああなたに期待した私が馬鹿だったわ。じゃ、レベル上げ頑張ってね」


 彼女はそのまま、森の闇に消えていった。


 一体何だというのか。

 まずそもそも、そんなに大袈裟に考えるイベントか? これ。

 アリーヤが以前に振った男と、姿が変わった状態で出会ってしまったってだけの話だろう。王女であることがバレても、コミュ障勇者のところに情報が届く前に催眠しまくって口止めすればいいだけの話だ。なんなら今でも十分過度なほど警戒していると言える。

 アリーヤも豚貴族の事を分かりやすく毛嫌いしているし、迫られれば軽く実力行使出来るくらいの能力はある。そうでなくても、コミュ障勇者にでも泣きつけば、あのコミュ障勇者でも豚貴族を止めようとするだろう。

 武力でも策でも自衛は簡単だ。どうとでもなる。


 ……まあ、別荘のメイド達は豚貴族の匂いがプンプンしてたから、明らかにお手つきだろう。性欲という面では凄まじいのかもしれない。だがあれだけ美人揃いのメイドが沢山いるのだ。あれで足りないなんてことは無いだろう。

 しかし思い返せば、豚貴族は随分とアリーヤを見ていた気がする。元がいやらしい顔なのでその目線から感情は伺えなかったが、豚貴族がアリーヤを気にしていたのは確かかもしれない。


 だがそれで豚貴族が何かやらかそうが、結局アリーヤは一人で何とかできるだろう。一応俺に好意を持っているはずだし、身体を許すなんて事は無いはずだ。


──俺、フラグ立てすぎじゃないか?

 今思い返すと、明らかにフラグっぽいセリフや思考を垂れ流しまくってた気がする。なんだかここまでフラグを立てると本当に何かが起きてしまう気が……



 考えすぎだ。だが、本当に何か事件が起こったとき、その場に俺がいないというのはどうだろうか。

 みすみすフラグの先のイベントを見逃してしまうというのは、勿体なくないか?


「うん、勿体無いな」


 そう言うテンプレイベントは、実際に見ないと損だ。それは全力で楽しむという俺の方針に背く行為だ。


 あくまでもそういう理由で、俺は踵を返した。



 シュテルク・グレーステの屋敷は、非常に防犯が充実している。豚貴族が屈指の魔動具技師であるからか、あらゆる防犯用の魔動具が屋敷の至る所に仕掛けられているのだ。故に隠密行動には向かない。

 だが俺の場合は別だ。

 魔動具というのは魔力を持っている。そして魔力を持っている物体の影は深い・・。影空間が広いため、移動が容易なのだ。

 よって俺は影空間を使えば、張り巡らされた防犯の糸を潜り抜けられると言うことだ。


 俺はいくつかの影を渡りぬけ、アリーヤの部屋の中まで辿り着いた。


(我が主ぃぃ……どうしたのだぁぁ)

(いやちょっと観戦に)


 同じ影に潜っているフェンリルと並び、影空間の中から観察する。


 そしてその時、アリーヤの部屋がノックされた。









 は疲労に満ちた身体を引き摺りながら、皆が待つ砦までの帰路をたどっていた。


 キツかった。特に残党狩りが、想像を絶するキツさだった。


 何せこちらの攻撃は全然当たらない。『限界突破』のし過ぎで身体をコントロールできなかったからだ。そして敵の数が多かった。多すぎた。そのせいで丸々一晩かかってしまった。

 その間、ずっと『限界突破』の身を裂くような激痛に耐えていたんだ。なんなら本当に裂けてるし。もう精神もボロボロだ。正直もう一回やれと言われたら首を振りたい。


 だが俺は自分を褒めたい。賭けはあったが、結果的にはちゃんと敵を殲滅できたのだ。ひとまず今のところは、脅威が去ったと言ってもいいはずだ。

 これで珠希と葵二人もひとまず安全だし、マッカード帝国も取り敢えず救われたはずだ。


 俺一人でこの戦争に勝った……というと傲慢かもしれないが、実際に俺の戦果は魔族四人、魔物数千匹だ。改めて考えると凄いな。ほんとよく俺頑張ったって。


 これから魔王を倒すためには、『限界突破』二十倍でも制御できるように修練しなければならない。今回の戦いで魔族には大きな打撃を与えたはずだし、すぐに攻めてくるなんてことは無いと思いたい。まあ攻めてきても、実戦の中でモノにしていくつもりだが。


「あ……」


 ベチャ、と地面に潰れてしまった。杖代わりにしていた聖剣が、石に戻ってしまったらしい。


「魔力切れ……か……」


 もう聖剣に戻すだけの魔力もない。震える足で何とか立ち上がる。


 そういや、炭も血も洗い落とせてないや。多分翼も広がってしまっているし、魔人になってしまった事がバレバレだな。

 ……怒られるだろうなぁ。

 あんだけ言われてたのに、結局捨て身みたいな事やってしまった。俺的には勝算がちゃんとあったんだけど、納得してもらえなさそうだ。

 あいつら、泣いて怒るかな。泣き顔は見たくないな。


 そういや珠希はもう起きたのか? 無事ならいいんだが……。

 あまり気にしてないといいな……ってそりゃ無理か。あいつ、自分のせいで俺が魔人になっちゃったとか考えそうだ。そんなことないって言っても聞かないかな。


 なんてことないって顔して戻ろう。彼女達を悲しませないように。笑顔で。


「………あ」


 顔を揚げると、砦が見えてきた。

 砦の前には、ズラっと騎士たちが並んでいる。


 良かった。俺がいない間に奇襲を受けてましたーなんて展開、最悪だからな。取り敢えず皆無事みたいだ。


 まさか俺を捜索するために皆出てきたとか? それは悪いな。今ちゃんと帰りましたよっと。


「葵……珠希……!」


 彼女達も外に出ていた。軟禁状態じゃなかったのか? 説得したのかな。

 というか珠希起きてるじゃないか。遠目で見える範囲だと、元気そうだ。良かった。


 騎士達は珠希と葵を連れて、俺に近づいてくる。

 彼女達は泣きそうな顔で、俺を見ていた。

 あー、頑張って背筋伸ばさないと。笑顔笑顔。


 背筋ピンと張って、二カッと笑って、元気な声で、俺は言った。


「ただいま!!」





 俺の体を矢が貫いた。


 え?


「いっ……」


 肩が痛い。

 嘘じゃない。

 射られた。

 何でだ……


「この魔人が!」「俺達を殺そうとしてもそうは行かんぞ!」「たった一匹ならば、この軍隊で潰せる!」「恐るるに足らん!」


 口々に騎士が言う。

 色んな言葉が、頭の中を反響する。


 何が起こったか分からない。

 何だ?

 攻撃されたのか?

 何で?


 あ、あぁ!

 そういや血と炭だらけだからな。人間に見えないか! それで魔族と勘違いしたと。

 全くふざけるな! ちゃんと見てから攻撃しろよ!


「やめろ! 俺は勇者の龍斗だ! よく見ろ!」


「やはりか!」

「この裏切り者が!」

「よくもノコノコと帰ってきたものだな! 魔族の手先め!」

「勇者の汚点だ貴様は!」


 え?


 また矢が放たれた。

 痛いのは嫌だから、俺は避けた。


「くそ、素早いな……魔人になって力を得たか!」

「ええいどうせ見るからに死に損ないだ! 確実にトドメを刺すぞ」


 トドメ?

 トドメって何だ。俺を殺すのか?

 皆、俺を殺そうとしているのか?


「違う! 俺は裏切ってない! 俺は魔族を──」

「──聞く耳を持つな! 我々を惑わそうとしている!」


 だ、駄目だ。話が通じない。

 ……っていうか、今叫んだ騎士、俺が山に残した騎士達じゃないか。

 戻ってこれたのか……。良かった。


 じゃなくて。


 一周回って冷静になってきた。

 こいつら、頭に血が上ってやがる。魔人って事に気を取られて、俺の話に聞く耳を持っていないんだ。

 それだけ魔族に対する恐怖の感情が根付いているのか……。


 とにかく、まずは誤解を解かないと。

 多分俺が、まだ魔族の催眠化にあると思っているんだ。そこに関して説明しなければ。


 言うだけじゃ多分信じてもらえない。だから信じてもらえる人間に説明しないと……となると、珠希と葵に。


 そこで、二人の顔を見て、俺は気づいた。

 彼女達は泣きそうな顔をしていたんじゃない。

 憎悪だ。

 只管に俺を、睨みつけていた。


 考えれば当然だ。

 この状況を止めないんだから。

 珠希も葵もあちら・・・側だ。


 ……そんなわけない。

 あいつらがそんなことするわけ無い。それは誤解だ。誤解なんだよ。


「た、珠希! 葵! 俺は大丈夫だ! 裏切ってなんかいない! 魔族の催眠なんて受けてない!」


 二人は答えない。


「俺は、裏切ったふりをして、魔族を内部から殲滅するつもりだったんだ! というか、殲滅してきた! そ、そうだ、誰かボンド砦を確認しに行ってくれ! 魔族は皆死んでるはずだから……死体も片付ける余裕はなかったし」


 答えない。


「その、二人に黙って出てった事は謝るよ。でも、敵を騙すにはまず味方からって言うし……説明する暇もなかったし……、いや、言い訳は良くないよな。ごめん! 俺馬鹿なことした! 幾らでも怒ってくれていい! だから」


「もういいです」


 珠希はそう言った。


「もしかしたら……何て思ってたけど、嘘ばっかり。結局裏切り者でした。龍斗は」

「勇者様。では……」

「もう聞くことはないわ。攻撃して。葵もそれで良いでしょ?」

「ん……」


 なんでそんな悲痛な表情で、頷いているんだよ。葵。

 珠希、何を言ってるんだよお前。


「なあ、ドッキリって奴か!? だとしたらやりすぎだぞ! 二人が怒ってるのは分かったから……」


 また矢が放たれた。今度はたくさん。

 痛い。

 痛いって、こんなに痛かったのか。


「……んじてたのに……」


 珠希の絞り出すような声が聞こえた。


「信じてたのに! 私は龍斗を信じてたのに! もう何も信じられない!」


 違う。

 信じてたのは俺だ。

 その台詞は僕の物だ。


 二人を信じられなくなったら──


──僕は何を信じればいいんだ?


 珠希がついに、僕に杖を向けてきた。

 魔法陣が形成される。

 アレは、駄目なやつだ。

 今やられると死んでしまう。

 

「──いい加減にしてくれ!!」


 僕は『限界突破』を使いながら、珠希に詰め寄った。


「ひっ!?」


 彼女の襟を掴む。勢いで珠希は尻もちをついた。驚いた拍子にか、魔法陣が壊れた。


「僕は嘘をついていない! 魔族を殲滅するための作戦だったんだ! 珠希と葵を……皆を守るために! 僕はちゃんと戦ってきたから、催眠なんて受けてないから………信じてくれよ──僕は人間だ!!」


 叫んだ。

 叫んだあとで気づく。

 膝がやけに温かい。


 下を見ると、なにか温かい液体で珠希の股と僕の膝が濡れていた。

 ハッとして、珠希の顔を見る。

 彼女の顔は形容し難い恐怖で塗りたくられていた。


 また矢が放たれた。

 それは的確に、僕の腕を貫いた。

 次の瞬間、爆ぜるように僕の腕が消し飛ぶ。

 普通の矢じゃない。

 これは、魔族にとっての弱点である聖なる力を纏った矢。

 葵の弓矢聖剣だ。


 珠希が僕の手から開放され、周りの騎士達が彼女を助けんと間に入ってくる。


「珠希から離れてっ! この──」


 葵が叫ぶ。


「──魔人!」



「おい、こいつ加護を使ったぞ!?」

「やはり我々を殺すつもりだ!」

「惑わされるな! 殺されるぞ!」


 口々に叫ぶ。

 槍の矛先が僕を向く。

 矢が飛んできて、僕に突き刺さってくる。

 やめてくれ。

 やめて。


 珠希が震えながら、光魔法を放ってきた。

 皆が僕を攻撃してくる。

 死にたくない。


 僕は訳もわからず逃げ出した。

 とにかくあいつらを見たくなかった。

 雨のように降ってくる攻撃を避けながら、僕はとにかく逃げた。




 気づいた時には俺は力尽きていて、どこかの森の中でうつ伏せになっていた。

 泣いているのか自分が分からないまま、とにかく叫んだ。



──俺は、何を間違えたのだろうか。

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