赤が撃ち抜く第十二話


 彼──新崎 龍斗の人生は、決して順風満帆と言えるものでは無かった。

 父親は彼が5歳の時に、母親は彼が8歳の時に他界した。その後彼は、五親等にあたる親戚に引き取られる事となった。

 もう一、二年引き取られるのが早ければ、彼は馴染めたのかもしれない。もう一、二年引き取られるのが遅ければ、彼は環境を受け入れられたかもしれない。ただそのような仮定は唾棄すべきものであり、結果として彼と義父母の間には、決して癒えぬ亀裂が存在した。

 義父母には息子がいた。彼から見れば義兄弟にあたる。端的に言ってその扱いの差が、子供の直感が、大人達の隠していた仮面を露呈させたのである。彼はありとあらゆる他人の仮面に仄かな、しかし確かな恐れを抱くようになった。過去、彼がライジングサン王国第二王女「人形姫」と、殆ど自分から関わろうとしなかった事の一因はこれだ。

 これらの幼少の境遇が、以後彼に「人に好かれようとする癖」を身に着けさせたのであった。彼は決定的に孤独であった。除かれないように、嫌われないように。人の視線に怯え続ける人生が、そこにあった。

 そういう意味で言えば、彼の善性は後天的なものであり、打算的なものである。彼の行動原理は、その根幹は、過去から現在に到るまで、決して「善」では無い。


 唐沢珠希、磯谷葵は中学校の同級生であった。適当な地元の中学に入学した際、両隣の机にいて彼に最初に話しかけたのが、彼女達であった。

 当時の彼ら、彼女らの中で何が共鳴したのかは定かではないが、三人は以後共依存と言っても差し支えない程の長い関係を持つことになる。二人の家の都合か、彼女達と放課後に会う事は叶わなかったが、少なくとも彼女達といる間、彼は孤独ではなかったのだ。

 窓から斜陽が差し込む、教室の片隅。机を突き合わせ、三人でいつまでも談笑するその時間に、彼は確かな幸せを感じていた。彼の世界の大半は、その陽だまりの中にあった。


 たった一握りの幸せ。ただそれだけを望むなら、神様も強欲とは言わないだろう。誰も態々それを、彼らから奪おうとはしないだろう。これからもずっと、三人は一緒に居られるものだと思いこんでいた。例え彼らが異世界に行こうが、それは変わらなかった。


 血の華。城を包む業火。その日、彼の人生観は徹底的に叩き壊された。主観による小さな幸せなど、歯牙にもかけない狂者が世界に存在して、そんな奴らも気紛れに踏み躙る理不尽が、確かに世界には存在していたのだ。

 今までの彼は非常に幸運だったのだと悟った。何の力もなく保証される幸せなど、欠片も存在しないと刻みつけられた。

 その炎を眼に焼き付けながら、彼は──







 薄っすらと瞼を開く。石壁を揺れながら照らす炎の灯りが、龍斗の眼にぼやけて映った。目を擦ると室内の様子がはっきり見えてくる。四方を囲む石壁には何やら魔法陣が刻まれていた。床は僅かに苔生しており、よく見れば隅に蜘蛛の巣がかかっていた。

 ずっと眠っていたからか、体が痛い。石の台に無造作に寝かされていたのか、龍斗の背中は冷え切っていた。


「おや、目覚めましたかぁ。体調の方は如何ですかぁ?」


 視界に薄汚い頭骸骨が映る。龍斗はゆっくりと上体を起こすと、手を前に出し掌を見つめた。そのまま握りは広げと幾度か繰り返す。


「……特に変わった感じはしないな」

「おや、そうですかぁ? 変身直後は普通、強烈な違和感や痛みに襲われると聞きますがぁ」

「そうなのか?」


 言われてみれば、確かに体の奥で痛みに似た感覚がある。だが彼は、『限界突破』の重複発動を気が狂っても可笑しくない程繰り返してきた。この程度些事に過ぎないのである。


「……本当に成功しているんだろうな?」

「大丈夫ですよぉ」


 ネオンは砦にあった鏡を持ってきて、龍斗の姿を映した。


「これは……翼か?」

「魔人の証ですよぉ。おめでとうございますねぇ」


 背中に龍を想起させるような翼が一対生えていた。龍斗がそれに意識を向けると、ピクピクと動く。だが今までには無かった器官だからか、全く器用に動かせない。これを使って飛ぶとしたら、練習の必要があるだろう。


「ドラゴンみたいだな」

「ドラゴン……? あぁ、人間達の間に伝わる伝承上の生物でしたかぁ。聞いたことありますよぉ」

「そういや、この世界には存在しないんだったな。ドラゴン」

「ほう? 貴方の元いた世界には居たのですかぁ?」

「いや。同じく仮想の生物だったな」


 この世界にドラゴンが存在しない、というのは龍斗が召喚されてから初期に驚愕した事実であった。


「ただ、この世界は元の世界にあった物語みたいだったからな。てっきりドラゴンもいると思っていた」

「では、昔の勇者が人間に伝えたのかもしれませんねぇ」

「それだと龍人のドラゴン信仰を説明できないだろ」

「では龍人の勇者でも居たのでは?」

「何だそりゃ」


 龍斗が呆れた声を上げると、ネオンはカタカタと笑った。


「では、そろそろ時間もないので行きますよぉ? 明日総攻撃するため、魔族と魔物の全てが地上で陣を組んでいます。早々に合流しましょうねぇ」

「ああそうか。今が攻め時だもんな」


 台から降りて床に立つと、龍斗は凝った体を解すように屈伸をした。なるほど、少し体を動かしただけであるが、確かに身体能力が向上しているのが龍斗には分かった。

 龍斗はそのまま、ネオンに付いて行こうとする。


 ──突如、四方の壁が紫色の光を放ち始めた。ネオンが魔法を発動したのである。


「……? 何をしているんだ?」

「まあ見ていて下さいよぉ」


 紫に光る壁に刻まれたそれは、召喚魔法陣であった。大量のスケルトンが地下室に現れる。それもただのスケルトンではなく、杖、剣、弓、盾など、武器を持った上位種である。


「捕らえなさい」

「は?」


 ネオンの指示によって、スケルトンが一斉に動き出した。それぞれの武器を構え、陣形を組んで龍斗に襲いかかる。

 槍の攻撃を龍斗は咄嗟に避けるが、すぐに別のスケルトンに腕を捕まれてしまう。

 それを強引に振り払って、龍斗は距離を取った。


「ネオン!? 何をするんだ!」

「何って、催眠をかける際、暴れないように拘束しようかと……」

「催眠? 俺にはかけないって……」

「あぁ、嘘ですよ」


 あっけらかんと、ネオンは言い放った。


「それはそうでしょう。貴方は本当に、私が一目貴方を見ただけで貴方の事を信用したと思っていたのですかぁ? ある訳がないでしょう。私が貴方を一目見て思ったのは、『利用しやすそうだな』と言うことだけですよぉ」

「……くそっ!」


 ネオンが手を掲げると、再びスケルトン達が龍斗を捕らえんと行動を始めた。龍斗はそれを避けながら、ネオンの元に近付こうとする。


「中々しぶとい……ですがぁ」


 次の瞬間、龍斗の体は何者かによって地面に抑えつけられた。


「ぐガッ……」

「ネオン様、催眠するならばタイミングを教えて下さい。護衛の一つもつけないなど、危険です」

「いやぁ、すみませんねぇナトゥーリ。予想外に早く目覚めてしまったようでぇ」


 龍斗を抑え込んだのは、女魔族のナトゥーリであった。彼女はすぐさま魔封じの縄で彼を拘束しようとする。龍斗が力任せに押しのけようとしたところで、剣や槍を持ったスケルトンが彼の四肢を突き刺した。


「グアぁああッ!!」

「ククク……」


 魔封じの縄。その効果により、龍斗は魔法が使えなくなる。

 ネオンは笑いを漏らしながら、地に伏せる龍斗にゆっくりと近づいていった。龍斗は歯を噛み締めながらネオンを睨みつけるが、ネオンは嘲笑を返事とした。


「力を欲したのかは分かりませんが……残念でしたねぇ。何の代償もなしに、身に余る力を手に入れられる等、幻想なのですよぉ。……まあ、高い教育費だと思って下さいねぇ」


 手を掲げ、ネオンは催眠魔法を発動させようとし、その動作を途中で止めた。


「おや……? どうやら手足の傷、もう血が止まっているようですねぇ……魔人になった事で、特に再生能力が強化されたのでしょうかぁ? まあ、どちらにせよ強力な手駒になりそうですねぇ」

「────」

「何をブツブツと……今更命乞いをしたとしても、もう遅いですよぉ」


 ネオンの骨しかない掌の前に、紫色の魔法陣が描かれる。

 催眠魔法だ。

 ネオンの魔力が、龍斗の自我を侵食する。これにより、龍斗は魔族としての精神を得ることとなる。また、主人であるネオンに対し絶対の服従を誓う。

 あとは作戦通り、催眠下の龍斗を地上の隊と合流させるだけである。龍斗を加えた魔族軍と、勇者を二人失ったマッカード帝国軍では戦力差が歴然。

 決着は明日一日でつく。




 そのような手筈であった。


「──なぜ、何故効かない!?」


 ネオンの催眠魔法は、龍斗に効果を示さなかったのである。ネオンの魔力が、何かに弾かれているようであった。

 ネオンは更に最大の魔力を込め、催眠魔法を行う。

 だが、結果は同じであった。


「……ネオン様」

「私の催眠魔法が効かないのです! 勇者! 貴様、一体何をしたというのですかぁ!?」


 ネオンが問うが、龍斗は未だ小さい声で何かを呟くばかりだ。

 龍斗の顔を覗き込むように、ネオンは体勢を低くする。


「いつまでそうブツブツと言っているのです! さっさと返事を……」

「お待ち下さいネオン様! 無闇に近づくのは危険です!」

「そうは言ってもですねぇナトゥーリ! 催眠が出来なければ何も始まらないのですよ! 大体、危険がないように貴女が拘束しているのでしょう!? こんな事態に千が一も万が一も……」

「違うのですネオン様!!」


 ナトゥーリの声は焦燥に満ちていた。ネオンも思わず後退る。


「何か、何か異常なことが起こっているのです……! 先程からプチプチと、音が聞こえてきます! 縄が切れる音……こいつ、肩の力だけで、縄を引き千切ろうと……!」

「────」


 その音は今、ネオンにも聞こえてきた。繊維一つ一つが断たれていくそれが、徐々に大きくなっていく。


「────」

「その上で、ゆっくりと私を押し除けようとしています……腹の力だけで! それに手足の傷がもう塞がりかけて……これは、再生速度まで加速している!?」


 ゆっくり、ゆっくりとだが、ナトゥーリの体が浮いて行く。龍斗は尺取り虫のように体を持ち上げていた。


「スケルトンよ! 早くこいつを止めるのです!」


 もはやいつものような、余裕のある間延びした声色ではない。

 ネオンの命令でスケルトンが一斉に群がり、再び龍斗の四肢を突き刺そうとした。だが、その剣先は傷を作ることが出来ない。


「さ、刺さらない……まさか、体までも堅くなっているのですか……?」

「────」

「ネオン様ぁ! 止まりません!! 逃げ──」


 その忠告は遅かった。遂に再生が終わったのである。


「──突破』『限界突破』!!」


 龍斗は魔封じの縄を引き千切る。

 それまで抑えられていた魔力を、龍斗はそのまま開放した。

 行き場のない魔力は、爆発に似た現象として顕れた。

 骨が舞う。

 粉々になった大腿骨が、肋骨が、上顎骨が、尺骨が、肩甲骨が、仙骨が、積み重なって弾け飛んだ。


「グぁッ!」

「くゥっ……」


 抑えていたナトゥーリは勿論、近くにいただけのネオンも同様に壁まで吹き飛ばされる。

 地下室に煙が充満し、視界が不明瞭となった。


 煙の中から手が伸び、ネオンの頭蓋骨を掴む。


「き、貴様!」

「ァァァァァァ!!」


 勢いのまま、龍斗は蹴りを食らわせた。

 加護により強化された身体能力から繰り出されたそれは、いとも容易くネオンの体を粉砕した。

 ネオンが着ていたローブから、宝石のようなものが一つ零れ落ちる。龍斗は直ぐさまそれを拾った。


「へぇ、これが魔人の再生力か……十倍でもこれだけ余裕があるとはな。魔人になって正解だった」


「ネオン様!」


 煙が収まり、視界がひらける。

 ナトゥーリは、仁王立ちする龍斗と地面に崩れ落ちたネオンを見るやいなや、龍斗に向かって飛びかかった。

 爪を伸ばして攻撃しようとしてくるナトゥーリに対し、龍斗はその宝石を構えて魔力を籠める。

 淡い光を纏いながら巨大な剣が顕れ、ナトゥーリの爪を容易く止めた。


「くっ……聖剣ですかっ」


 力では不利と悟り、ナトゥーリは跳ねるように後退した。


(突然身体能力が上がった……これが、勇者の『加護』)


 ちらりと壁際のネオンを見る。粉砕されたのは胴体であり、頭蓋骨は無事であった。


(ネオン様は大丈夫。あれならばまだ死にはしない。……修復までは時間を要するでしょうが……)


 そこでナトゥーリは、何かに気づいた。


「(なるほど……それならば私のすべき事は)……勇者、聞きたいことがあります」


 龍斗は堅固の剣を構えながら、怪訝な顔をする。


「……何だ?」

「一体どうやって、催眠魔法を防いだのですか?」


 その質問を受けて、龍斗は暫し迷った後、答えた。


「確か、既に魔法で催眠されている奴は、それ以上の魔力でないと催眠されないんだよな?」

「……まさか」


 つまり龍斗は、予め催眠にかかった状態で、ここに乗り込んできたということだった。


「ネオン様が催眠すると分かっていたのですか……」

「何の保険もなく、敵地に乗り込む訳無いだろ?」

「では、端から魔人の力を手に入れる事が目的で……」


 龍斗は力を手に入れたいだけであった。その魔人の力こそが目的で、人間を裏切り魔族の側につくのは二の次であったのだ。ナトゥーリはそう判断した。


「しかしそれは、人間の中にネオン様以上の催眠魔法……闇魔法の使い手が居るということ……! そんな事、あるはずが……」


 龍斗にかかっているのは、祈里がかけた精神干渉魔法である。これを保険とする為には、祈里による精神干渉魔法の性能が、ネオンの催眠魔法を上回ってなければならない。そこに根拠はなかった。だが龍斗は確信を持っていた。


「居るんだよ。お前達以上に理不尽な存在が。この世にはな」


 そこで話は終わりと、龍斗は剣を構え直した。


(くっ……流石に時間稼ぎはここまでですか)


 ナトゥーリも諦め爪を構えながら、足に付けた魔動具に魔力を籠める。


「ふんッ」


 一瞬早く、龍斗が地面を蹴った。

 巨大な剣の刃がナトゥーリに迫る。

 それを彼女は紙一重で避けた。


(躱せる……!)


 そう確信を得ながら、ナトゥーリはまた距離を取る。幾らナトゥーリが速度特化の魔族であり、魔動具を使ったからと言っても、加護により圧倒的な強化を成された龍斗の速度には及ばない。


(しかし、見るからにあの剣は重い……その上あれだけ大きければ、この室内での取り回しに注意が必要でしょう。それを含めれば、攻撃は躱せる……!)


 加えて、龍斗はまだ魔人となって数分しか経っていない。急激に向上した身体能力を、龍斗が制御しきれていないという事もあった。

 攻撃を躱された龍斗は、一つ舌打ちして再びナトゥーリを向く。


(次は避けつつ攻撃……狙うのは、「目」)


 幾ら龍斗の体が堅くなっていようが、目まで爪が通らないほど堅いとは考え難かった。


(すぐに再生はするでしょうが……時間は稼げる!)


 龍斗が再び踏み込む。

 それを見て、ナトゥーリは迎撃体勢を取った。

 聖剣が光を放ち、石に戻った・・・・・


「──エ?」


 ナトゥーリは左肩から袈裟斬りにされた。

 彼女には全く事態の把握が出来なかった。

 混乱したまま彼女の意識は消えていった。


「っと……」


 着地の際、龍斗は少しよろける。


(これは、今の状態で連撃に組み込むのは無理だな……)


 龍斗が今行ったのは、彼がマッカード帝国で訓練していた戦法の一つ、空中加速であった。龍斗の聖剣、堅固の剣が龍斗自身の体重並みと非常に重いということ。石として収納出来るという2つの性質を利用したものだ。踏切の瞬間には堅固の剣を展開し、摩擦力を確保。足が地面から離れた瞬間に聖剣を石にすると、実質体重が半分となり、反して速度は倍加する。敵に近づけたらもう一度堅固の剣を用いて攻撃、と簡単に説明すればこうである。

 本来ここから更に攻撃を繋げていけるのだが、身体能力に不慣れな龍斗の今の状態だと、難しそうであった。

 龍斗は何かをポケットから取り出す。


「今の内に……っと。よし──」



『──ナトゥーリ……あなたの死、無駄にはしませんよぉ……』


 地下室に声が響いた。

 まるで使い魔越しに聞いた時のような……いや、より重厚となったネオンの声だ。


「お前、まだ……」


 苦い顔で振り返った龍斗が見たものは、骨の竜巻とでも形容すべきものであった。

 部屋に散らばった骨、骨、骨。それらが意思を持ったかのように渦巻き捻じれ、ネオンの頭蓋骨の元に向かって集まってゆく。


『まさか私に……奥の手まで使わせるとはぁ……』


 骨は徐々に形作る。幾数本の骨が不格好に寄り集まって、「何か」になろうとしていた。

 それは一言で形容すれば──骨の怪物。


『複合魔法「虚構骸怪ライアーズ・リストラクション」……闇魔法の極致ですよぉ。本当は明日の決戦で使うつもりだったのですがねぇ』


 召喚魔法に連なる闇魔法に、「リストラクト」という魔法がある。召喚された魔物を復元する魔法だ。ことスケルトンにおいてはその復元速度が驚異的である。折れた骨が直ぐに元通りという事は無いが、少なくともバラけた骨がしっかりと全身骨格に復元されるのだ。

 何を元に復元されるのか。ネオンはそこに注目した。スケルトンは他の魔物と同じように頭が弱点である。頭を壊された場合、復元は不可能となる。ネオンはスケルトンの場合、体の記憶を元に復元している事実に辿り着いた。脳もないのに頭に記憶があるとは不可思議であったが、確かにそうなのだ。

 ではその記憶を弄ればどうなるのか。例えばスケルトンに四つ腕の全身を持っていると催眠してから復元すればどうなるのか。或いは、ネオン自身に骨の怪物こそが自分の体であると催眠した上で、ネオン自身を巻き込んで復元リストラクトすればどうなるのか。

 その答えが怪物これだ。催眠魔法と召喚魔法の複合。それが「虚構骸怪ライアーズ・リストラクション」である。


「窮屈そうだな」

『部屋から出るのは難しそうですねぇ……ただ、貴方を殺すことくらいは訳ないですよぉ』


 骨の怪物が動く。四肢こそあれ、その挙動は明らかに人型の物ではない。胴体も脚も動かさず、腕だけが触手の如く伸びて、龍斗に迫る。


「トロい!」


 唸りながら襲わんとする白骨の塊も、今の龍斗にとっては遅すぎた。十全に体を扱えていなくても、躱すには十分な差である。

 龍斗は地面を蹴り、ネオンの巨腕を避けた。龍斗を捉える事が無かったそれは、大きな音を響かせて壁に激突する。


『甘いですよぉ!』

「なっ……」


 龍斗が躱したはずの腕が分かれる・・・・。二股となった腕の片方が、空中にいる龍斗を襲った。

 その腕を破壊するように龍斗は聖剣を振るう。しかし幾多の骨により構成されたそれは、濁流のように龍斗の体を呑み込み、抑え込んだ。


「グハッ」

『ククク……ここで握り潰せば、貴方は死に至るでしょう。……或いは口や鼻、あらゆる穴に骨を挿し込んで、窒息死させましょうかぁ? それとも……』


 ネオンの頭蓋がスッポンのように伸び、龍斗を覗き込む。

 何らかの魔法が発動し、ネオンの体を紫色のオーラが包んだ。


『闇魔法「ドレイン」で、徐々に体力を削り嬲り殺しにするのも良いですねぇ』

「クソっ」


 龍斗は体から力が抜けていくのを感じた。『限界突破』中の向上した身体能力故、その吸収量は微々たるものである。しかしそれでも、吸われ続けると不味いのは龍斗にも分かった。

 と、ネオンは何を思ったか「ドレイン」を途中で止めた。


『ククク……最後のチャンスを上げましょうかぁ?』

「チャンス、だと?」

『えぇ。改めて聞きますがぁ、私の支配下に置かれる気はありませんかぁ?』

「……あるわけないだろ。今更何言ってんだ。馬鹿なのか?」

『馬鹿なのはどちらでしょうねぇ。一応言っておきますがぁ、例え私を殺したとしてもあなたに未来はありませんよぉ?』

「どういう事だ?」

『主無き魔人は、魔族にとっては禁忌なのですよぉ。全ての魔族が血眼になって貴方を探し出し、殺そうとするでしょうねぇ。強大な力を手にしたまま、魔族に取り入るなど不可能ですよぉ』


 ネオンは頭蓋を離すと、カラカラと笑う。


『そして、今更尻尾を巻いて帝国に戻ろうが、当然人間としても受け入れられない……魔人とは人間にとって最も忌み嫌う存在ですからねぇ。私を殺しても、その先に待っているのは、敵しかいない孤独の世界です。……貴方が生き残る為には、私に服従するしか無いのですよぉ』


 再びネオンは「ドレイン」を開始した。


『何、簡単なことですよぉ。人間の作った魔動具に、「隷属の首輪」という物がありますのでぇ、それを嵌めれば良いだけですよぉ。……戦争が終われば完全とは言いませんがぁ、ちゃんと自由を与えましょう。私は尊厳を搾取したい訳じゃないですからねぇ。貴方は望み通り力を手に入れた。そして私の元で。少しだけ働けばいい。それだけなのですよぉ』


 徐々に、徐々にネオンの骨が龍斗の体力を奪っていく。


『さあ、受け入れなさい』


 ネオンは抑え付ける力を強くする。

 龍斗は一つ舌打ちして、聖剣を石に戻す。


 そして、石に戻した事で出来た隙間から、するりと抜け出した。


『────往生際が……』


 先程と同じようにネオンは龍斗を狙って攻撃を仕掛ける。龍斗は空中に飛ぶ事で身を躱すが、今度は全力で地面を蹴った。


「少しずつ……この体に慣れてきた」


 ネオンの巨腕が分かれようが、この速度ならば関係ない。龍斗は反対の壁まで到達すると、身を翻して着地し、同時に蹴った。結果、彼はゴム球のように跳ねることとなる。

 地下室の壁を蹴り、縦横無尽に空中機動してみせる龍斗。ネオンは腕を振るい彼を捕らえようとするが、その全てが空振ってしまう。


『全く以て、腹立たしいですねぇ!』


 動きを予測しようにも、このままでは動線が多すぎた。

 ネオンは腕と脚を合計8つに分け、その内7つを部屋を埋め尽くすように伸ばす。それらの腕全てから、「ドレイン」の紫色のオーラが漏れていた。


「なんだそりゃ……蛸かよ」

『腕に触れれば即座に捕らえますよぉ……これで自由に動けないでしょう!』


 ここまで機動を制限すれば、軌道を予測する事は容易だ。ネオンは残る一つの腕を構え、龍斗の動きを観察する。


『──見えましたよぉ!』


 ネオンは軌道上に腕を振るった。龍斗に迫る骨。タイミングは完璧であり、空中であれば避けようがない。ネオンは完全に捉えたと確信した。


 突如、龍斗の機動が変わった。


『なっ……』


 龍斗が空中で方向を変えたのである。エアステップなどの魔法が発動した様子はない。そもそもこれだけの速度で、魔法の発動が間に合うわけがない。


 ネオンは龍斗の姿を探す。

 再び見つけたその影にネオンは攻撃を仕掛けるが、また空中で躱された。

 そこから、龍斗は空中での方向転換を含めた、先程までとは比べ物にならないほど不規則な機動を始めた。


 そこで漸く、ネオンは龍斗が如何にして空中での方向転換をしていたかを理解した。

 龍斗は、聖剣を蹴っていたのである。一々聖剣を足場に飛び回っているのだ。

 龍斗から離れた聖剣は、魔力の供給を失い石に戻る。しかしそのままでは、石が飛んでいってしまう。だからこそ龍斗は、聖剣に少し細工をしていた。


『(糸を括り付けているのですかぁ)』


 石に戻った聖剣を、糸で引き寄せていたのだ。そして手に持った瞬間再び聖剣を顕現させる。これを繰り返し、アトランダムな機動を実現させていた。

 もはや予測など立てられたものではない。伸ばした七本の腕も、もはや障害にはなっていない。


『小賢しい! いい加減になさい!!』


 ネオンは八本の腕をぶん回した。そのそれぞれが不規則に動き続ける。

 勿論ネオンはその全てを完全に制御できている訳ではない。時折腕が壁にぶつかったり、腕通しがぶつかり少しずつ自壊していくが、現状では些事に過ぎなかった。


 ネオンは過去になく苛立っていた。

 それは自身に危機が迫っているから、という理由だけでは説明がつかない。彼は自身の思い通りに事が運ばないからといって、当たり散らすような存在ではないからだ。


『あぁ……貴方も分からない人ですねぇ……!!』


 ネオンの認識外で、その腕に攻撃が加えられる。その方向に腕を振っても、直撃の感触はない。


『別に私は貴方を奴隷のように扱おうなんて考えちゃあ居ないんですよ! 私はただ、この戦争に貴方を利用するだけなのです! そのためには服従の必要があるのですよぉ! ギブアンドテイクと言う奴です! それがなぜ分からない!』


 ネオンは更に腕を増やす。それぞれが細くなるが、もはや関係がない。苛立ちのままに振るう。


『……ああそうです……分からないんです。貴方の事が分からない……貴方の意図が分からない! 貴方が何を以てここに来たのかが分からない! だからここまで腹立たしい!』


 壁と骨が爆ぜる。風切り音が地下室に響く。


『力を欲するならここで折れればいい! 後で何とでもなるでしょう! 未だに帝国軍を勝たせようと言うなら、もっと他にいい方法があった筈です! 魔人になる必要など無かった!』


 龍斗が跳ねる。灯が揺れる。


『貴方の行動は半端なんです! だからこそ分からない!』


──お前は半端なんだ──

──だから零れ落ちる──


『貴方は何のために行動しているのですか!? 貴方の目的は何だ!』


──お前、何のために行動しているんだ──

──お前の生きる理由は何だ──




 灯りが落ちた。火が消え、暗闇に満ちる。


「……目的? 目的だと……?」


 龍斗は足を止めた。


「そんなものは……の目的は、最初からとう・・に一つだ」


 理不尽に耐え抜く力を得たい。

 人々を守りたい。

 仲間を守りたい。

 それらはそれぞれ、数多ある副次的な欲求の一つに過ぎない。

 その根底には、核には、絶対的な行動原理が存在する。


「『彼女達あいつらを守る』──それだけは何も変わらない。珠希と葵……彼女達の為ならば、俺は何でも捧げよう」


 例えそれが、人間性であろうと。「人間」そのものであろうと。

 最初から、それこそ召喚される以前から。

 イージアナに敗れ、

 祈里に踏み躙られ、

 血を吐くような訓練を積み、

 そして今に至るまで、

 何一つとして彼の魂は変わっていない。折れていない。

 闇雲に突き進んでいただけだ。

 小さな幸せを守りたいという、「悲願」を成就させるために。


『訳が……分からないことを!!』

「分からなくていい。俺だけが分かっていればいい」


 龍斗は跳ぶ。

 暗闇の中の一瞬の光を、ネオンは視界に捉えた。


『くっ……!』


 自身に迫る聖剣の刃をネオンは辛うじて避ける。

 龍斗の姿は間合いの外にあった。龍斗はネオンの頭蓋目掛けて聖剣を投げたのだ。

 ネオンの視界の隅で、紙一重で避けた聖剣が光に包まれ石に戻る。

 それを龍斗は糸で引き寄せた。


『(不味い、避け──)』

「俺達の為に、死んでくれ」


 振り下ろされた聖剣は、ネオンの頭蓋を完全に砕いた。


 同時に、制御を失った大量の骨が、バラバラになって崩れていく。

 地下室の床を覆い尽くすように骨の山が出来、その頂上にネオンの砕かれた頭蓋骨が埋まっている。



「くそ、思ったよりも時間がかかった……『限界突破』」


 龍斗は加護をかけ直した。今の龍斗は『限界突破』が十回分重ねられている状態だが、時間経過と共に一回分ずつ解除されてしまう。加護を継続させるためには、それを補うのに定期的に加護をかけ直す必要があるのだ。


(しかも、かけ直せばかけ直すほど肉体の自壊は酷くなる……この体でどこまで継続できるかは分からないが、なるべく早く事を済ませないと)


 その時、ネオンの消え入りそうなほど微かな声が、龍斗の耳に届いた。


「恨み……ます、よぉ……勇者ぁ……」

「……お前、まだ生きて……」


 しかしその残骸に残る魔力は酷く淡く、辛うじて意識を繋いでいるような状態であることは見て分かった。

 龍斗はそのネオンの残骸を拾い上げる。


「だが……貴方は……これから孤独に……でしょう……仲間に、受け入れ……ないまま……絶望……ればいい……」

「──俺の仲間を侮辱するなよ」


 怒りを以て、龍斗はその骨片を握りつぶした。今度こそ、ネオンの存在は完全に消滅した。


「『限界突破』……魔人、タフ過ぎるだろ。これから先こういうのばかりだったらとか考えると、気が滅入りそうだ」


 また加護をかけ直しながら、先代勇者は凄かったんだな、と龍斗は改めて感心する。


(十倍以上も身に着けなきゃならないが……今以上に身体能力が上がると流石に殆ど制御が効かなそうだ)


 その時、地下室の外から喧騒が聞こえてきた。

 漏れた音に反応し、他の魔物が集まってきているのである。ネオンが召喚したスケルトンはその全てが崩れたが、他の魔物に関しては魔族に調教されていた為、未だに魔族のコントロール下にあったのだ。


「『限界突破』……随分と音が漏れやすい構造なんだなここ。このまま行けば、地上の敵全部と正面からかち合うことになりそうだ」


 しかし龍斗は笑った。

 好戦的な笑みを浮かべつつ、階段を昇っていく。

 一足ごとに、カツンカツンと硬質な音が反響した。


「まあいい。やる事は同じだ」


 ギャアギャアと、階段の先から幾多の魔物の声が聞こえてくる。


「魔族軍を内側から全滅させる。最初からそのつもりで、ここに来たんだから」


 龍斗はノブに手をかけ、広間に続く扉を開ける。

 広間は既に魔物で埋まっていた。

 龍斗に気づき、その全てが目線を彼に向ける。

 魔物達に向けて、龍斗は言った。


「──俺はこれから、俺達の個人的な事情により、お前達を皆殺しにしようと思う。無駄な抵抗は……って、言葉通じないか」


 見るや否や、魔物達は龍斗に襲いかかった。


「さあ、悪く思うなよ!」


 龍斗は剣を振るう。

 横薙に真っ二つにされた魔物達が舞う。

 赤い返り血が、龍斗を汚した。








 デミオーガ。魔族領にのみ生息する、ゴブリンの亜種。ゴブリンの二倍以上の体格を持ちつつ、集団で生活し狡猾さも備える。

 オークジェネラル。人族領でも稀に見られる、オークの上位種。総統(ジェネラル)と名前にあるが、必ずしも群れを率いる訳ではない。

 ウォーウルフ。グレーウルフの上位種。知性を伴わず、基本集団で群れることはない。体毛を固形化して発射する遠距離攻撃が特徴的。

 バーサクワーム。ひたすらに固く、強靭な顎を持つ。生物に対して見境なく攻撃し、時々共食いも行う。


 魔族領を生息地とする多々の強大な魔物。先代勇者の伝聞でも、こと魔族領での戦いで脅威であったのは、魔物各々が非常に強力であった事だと多く語られる。

 ボンド砦に集結しているのは、その中でも魔族によって調教、洗脳された魔物である。微かに残っていた生存本能すら奪われ、ただ敵に対し破壊を行うよう刷り込まれた、死を恐れぬ尖兵である。


 その魔物達が、後退する。

 忘れたはずの、奪われたはずの恐怖を、彼らは思い出していた。


 目に捉えられぬ敵影。

 訳も分からず両断され続ける魔物達。

 辺り一帯、嵐のように血と臓物が吹き荒れる。


 デミオーガは言語を持たない。故にそれを何と形容する事も適わない。

 ただ分かっているのは、己の仲間が既に全滅し、己の手足が無くなっていると言う事だけだった。


「……ふぅ」


 殺戮が止まった。

 止まったというよりも、終わったというべきか。

 一体のデミオーガを除き、ここら一帯の全ての魔物が破壊された。

 一息ついて、男はぬるりとデミオーガの方を向いた。彼は返り血で真っ赤に染まっていた。いつの間にか黒かった髪は血のような赤に染まり、前髪がペタリと張り付いて、顔の殆どが見えない。


「ギィィィ」


 どこからか声が聞こえた。

 デミオーガの悲鳴であった。

 真っ赤な男はゆっくりと、デミオーガに詰め寄る。

 凶刃から逃れようと、デミオーガは無い四肢を藻掻く。


「……」


 龍斗は無言で聖剣を突き立てた。

 破れた心臓から血が吹き出て、再び龍斗を汚す。

 髪も体も、服も顔も、全てが赤に染まったその姿は。

 まさに修羅であった。

 


 突如、城壁が破壊された。

 砕け散る岩片から、龍斗は腕で両目を庇う。


「──お前か、我らが主を殺した魔人は!」


 穴が空いた城壁から現れたのは、巨体であった。

 龍斗の身の丈の二倍もある魔族だ。


「あぁ、答えなくとも分かる……これが主無き魔人に対する怨み、憎しみ、嫌悪。吐き気がするほど我の魂は貴様を拒絶している」


 進行上にある岩片を腕で除きながら、巨大な魔族は龍斗に近づいていった。

 魔族は背中に剣を担いでいた。龍斗の堅固の剣よりも、大きく、重く、ただの鉄塊のような武器であった。魔族はそれを手に取ると、まるで軽い棒切れを持つように、片手で自然に構えた。


「我が名はマグネス。赤髪の勇者よ、いざ尋常に勝負!」

「デカイ……手間取りそうだ」


 龍斗はため息を付きながら、相対し聖剣を構える。


「そうでもないさ」


 突如、背後から声が聞こえた。

 龍斗が熱気を感じたのは次の瞬間である。

 本能的に危機を察知し、全力で横に飛び退いた。

 龍斗がいた場所を炎が包む。石畳が融解する程の熱量を伴った魔法であった。


「あれ、外れてしまった」

「オキシの馬鹿が、不意討ちを失敗するとは何と情けない」

「いいじゃないか。結局僕たちが組むんだ。決着は目の前だ」

「バハハハ! まあ急いても仕方の無いことだ。じっくりやろうではないか」


 マグネスは笑い飛ばすと、未だ土煙の晴れぬ先、龍斗の影に向けて言う。


「なあ赤髪の勇者よ。此度の戦は貴様の勝ちだ。だからこそ俺達には、貴様を殺すという目的しかない」

「仇を取る、魔人を討つ。それ以外の存在意義が僕達には無い。だからこそこれから演るのは僕達だけの闘争だ。念入りに付き合ってもらうよ」


 オキシも追従するように、そう言いながら杖を構える。

 対する龍斗も、それに応えた。


「二対一か……問題ない。依然として問題はない。殲滅しなければならない敵が、あちらから寄ってきてくれた。ご都合主義というやつか。大体、さっきまで手応えが無さ過ぎて、まるで弱い者虐めでもしているような心地だったんだ」


 煙が晴れる。

 龍斗はまた、笑っていた。


「殺ろう。存分に殺ろう。どうせなら楽しんで殺ろう」


 風が吹いて、龍斗の前髪が揺れる。

 その瞳は鋭く、鮮やかな赤に光っていた。


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