ヤバイヤバイヤバイ第五話



「やっぱりすごいな……」


 雄一は目の前の光景に改めて感嘆する。大量に迫る、多種多様な魔物の群れ。それに恐ろしい速度で斬り込んでいく、伊達 正義の背中がそこにあった。

 雄一はとある隊に所属する形となっていた。その隊は現在、伊達を先頭に紡錘状の陣形をとっており、魔物の群れに突入している。


「余計な口を効く暇があったら手を動かせ馬鹿野郎」

「りょ、了解」


 粗雑な口調で諌めるのは、隣を走る鎧姿であった。この鎧は魔動具であり、雄一も同じものを装着していた。


「油断するなよ。幾ら雑多な魔物とはいえ、お前はまだ未熟だ。気を抜いたら首が飛ぶ、そういう所だここは」


 この男は、元々この隊の隊長を務めていた者であり、今副隊長として伊達の補助を行っている者でもある。そして、雄一の魔動鎧の扱いや戦闘の指南役でもあった。


「……はい!」


 返事と同時に雄一は、自分の横に迫る魔物を切りながら、前を向いて走る。


 前線の隊に任されていたのは、砦の外における魔物の群れへの攻撃である。共和国の兵士の練度は平均的に低い。故に防衛戦のみではいつか綻びが生じ、攻め込まれるかもわからない。敵は魔物の群れであり、そこには召喚主かテイマーとなる魔族がいる。そのため、騎士の少数精鋭で敵陣を突破、司令塔となる魔族を倒すという作戦である。

 これには伊達 正義の加護の性質を含めた作戦でもある。『剣術』の加護と彼自身の練度もあり、彼の戦闘能力は極めて高い。しかしそれは単体での話である。この世界の剣術は、飛ぶ斬撃やかまいたちのような、現実離れしたものではない。故に広範囲殲滅力、あるいは広範囲防御力は無いに等しいのだ。正義は防御に向かないのである。

 伊達 正義を戦闘に魔物の群れを突破、彼の単体戦闘力によって、魔族を殲滅するのである。

 ちなみに、騎士とは馬に乗った兵士を指すという訳ではない。勿論その意味も残っているが、軍における階級を表すのに慣例として用いられているのみだ。この隊を組織するのも騎士ではあるが、今回の作戦においては馬に乗っていない。魔動鎧があれば機動力は十分であるからだ。


 正義は見事にその役目を果たしていた。彼の間合いに入った魔物は悉く首が飛び、疾風が如く駆け抜ける。後続する兵士は、殆ど敵のいない道を進んでいるも同然だが、それでも彼に追いつくのがやっとといった様子であった。

 いくら少数精鋭とはいえ、他国の騎士と肩を張り合えるのは副隊長くらいのものであり、練度が高いとは言えない。また今回の作戦、もし魔族と正義の戦いが長期化すれば、騎士達は魔物に包囲される形となりながら、遅滞戦闘を行わなくてはならない。何かしくじれば、確実に死ぬ作戦である。砦から突撃した時点でも、騎士たちの士気は高いとは言えなかった。

 しかし今、騎士達の士気向上が見て取れる。魔動鎧を必死に動かしながら、一歩ごとに電流が流れるような高揚、興奮。口角が無意識に上がり、血潮が音を立てて血管を流れる。物語上の存在でしかなく、見たことがないはずなのに、騎士達は先代勇者の幻影をそこに見た。

 その感覚は、雄一も同じく共有していた。体の奥から熱気が溢れてくるような感覚。恐怖が薄れ、剣が滑るように魔物を斬る。その背中は自身の体を導き、彼の声は雄一の背中を強く押した。彼の向かう場所が正義だ。そこに伊達 正義の本質があるのではないか。


(これが勇者……)


 自身が勇者であることも忘れ、雄一は内心で呟く。


「勇者様、十時の方向に」

「おう」


 副隊長は魔物の動きの流れから、どこに視点があるのか、つまり指揮官が何処にいるのかを予測し、それを勇者に告げる。彼は共和国の騎士には珍しく有能であったが、頭が堅すぎるのが欠点であった。


 副隊長の助言通りに、隊は右方向に60度、進路を変更する。


「どけやオラァアアア!!」


 伊達 正義の雄叫びとともに、彼らは更に速度を上げた。









 こっちのナイフも良し、このナイフも良し、……これでナイフは全部か。次は銃か。火縄銃プロトタイプもよし、拳銃二丁良し、大型拳銃……これ今更だが拳銃って言っていいのか? まあ、良し。あとはち……キノコ型水鉄砲も良し……これは確認する必要ないな?


「祈里? 食事の用意が出来たみたいで……失礼しました。どうぞごゆっくり」

「ヘイ、カムバックアリーヤ。一体この光景でどんな勘違いをしたのか逆に興味があるが」

「良かったです。そういう類の変態かと」

「どういう類か小一時間問い詰めたいな。とりあえず俺は武器の手入れと確認をしているだけだ」


 超速で、だが。《闇魔法》で「支配」しているものに関しては頑丈だから殆ど手入れの必要もない。《視の魔眼》で異常は一瞬で確認できるので、武器を影空間から取り出しては入れるみたいな作業になっている。


「ええ、そういうことにしておきましょう」

「お前分かって言っているな?」


 まあいいか。夕飯までには終わらそう。残りも少ないし。


「あ、それと。あちらのメイさんから、食事も別にして欲しいとの要望が……」

「食事もかぁ……嫌われたもんだなぁ」


 確認を進めつつ、アリーヤの話を聞く。どうも昨日の温泉以降、コミュ障勇者君が俺との接触を避けているらしい。

 昨夜の事だろうなぁ。


「記憶は消したのでは無かったのですか?」

「確実に消したよ。そうじゃなきゃ、あいつの行動はもっとおかしくなってる」

「では、催眠が不十分だったとか」

「入ってたねあれは。完全に」

「ではなぜ……」


 もしコミュ障勇者の行動が昨夜の事に起因しているとすれば、俺の隠蔽工作が不十分であるということになり、今後の行動方針にも関わってくる。なにが原因なのか、突き詰めなければならない。


「記憶と感情は別物ってことかな? 或いはトラウマは残る、みたいな」

「あー、ありえますね」


 アリーヤが深い納得を見せる。普段から感情的に矛盾していたりする彼女だからこそ、共感できる部分があるのかもしれない。

 ん? いや分かってるよ? 別に鈍感って訳じゃないって。理屈で考えれば割と分かるもの。


「俺は感情も理屈の内というか、そういう感覚だからか思いつかなかったな」

「超論理派ですもんね祈里」

「さらに検証を重ねたい所だが……勇者でやるのはリスク高いな」


 というか催眠かけるまでにこんだけ苦労したのだ。検証など以ての外である。検証するのは、ドイルに着いてから、となるか。


「……次からは新鮮な人間を一人同伴させたいな」

「へぇ奴隷ですか。美少女ですか。某スキルの特訓の対象にすればいいのでは?」

「うん待って? 飛躍してない? 大体最近は《性技》の特訓もやってないだろ。検証用だ検証用」

「冗談ですよ。どちらにせよ私はあまり賛成ではありませんが」

「ただの思いつきだって。俺もその気はない」


 行動の足枷になりそうだしな。


「まあ、勇者君はもう用済みだ。これからどう俺が嫌われようと知ったこっちゃない。アリーヤは一応、検証も兼ねてアプローチ続けてくれ」

「……まだ続けるんですか」


 心底うんざりといった顔。そりゃそうだ。好きでもない相手に色仕掛けを延々と続けるのは、誰だって嫌だろうさ。

 さて、そうこう言っている内に最後の確認だ。普段装備している、老執事製のロングソード。擬態のため、《闇魔法》による「支配」はすでに解いてある。そのため強化はされていない。基本的に俺の《視の魔眼》なら、目に見えない歪み、なんてものは無いのだが、念には念を重ね「鑑定」も同時に行うことにしている。



片刃ロングソード(作者 セバスチャン)

品質 A  値段 14500デル

鉈のようなロングソードです。分厚い刃と無骨な見た目が特徴です。



 鑑定よーし。形よーし。重心よーし。刃溢れよーし。

 オールオーケー……ん?

 何か違和感? いや、《視の魔眼》に見落としなんてあるはずが無いし……。念の為「幻滅」

 いや変わらないな。気のせいか?


「──いつまで待たせる気ですか?」


 テントの外から暗殺メイドの苛ついた声が聞こえてきた。とりあえず心に留めておきながら、アリーヤと共にテントから出る。


 そして食事は俺だけぼっち。

 なんでやねん。







 異常は、快進撃の真っ只中に起こった。魔物の大群に突入していた隊の後方から、突然攻撃を受けたのである。魔物にやられたとは思えないほど、あっけなく吹き飛ぶ騎士たち。進軍を止め、伊達 正義はその後方を振り返る。


「……すみません勇者様。回り込まれました」

「なら後ろのあれが?」

「おそらく、司令塔の魔族かと」


 副隊長は後方を睨みつける。流れのまま、魔族が居るだろう方向に真っ直ぐ隊を進ませていたのだ。流石に魔族の知能を侮りすぎたか、と副隊長は顔をしかめる。


「好都合じゃねぇか。俺が行ってさっさと片を付ける。お前らは少しだけ時間稼いでろ」

「了解しました」


 不意を突かれたが、逆に言えばただそれだけの事である。この進軍の目的はあくまで、司令塔となっているはずの魔族に接近することだ。この時点で目的は殆ど達成されているのである。

 作戦に変更はない。


「シャオラァッ!!」


 正義が騎士たちの頭を飛び越え、既に十数人が吹き飛ばされている地点に降り立つ。そして同時に彼は、さらに騎士に追撃を食わせようとしている、女の魔族を視認した。白衣のような衣装をまとった、肌が青色の、四つ目の魔族である。手には血濡れたナイフを持っていた。

 その魔族も、正義の存在に気づく。


「あらあら、早速勇者のお出まし? まさかこんな国にいるなん……っでぇ!?」


 流し目で艷やかに話しかけてくる魔族に、一閃。伊達 正義は容赦なく刀を振るった。魔族は彼の行動に目を見開きながらも、その優れた身体能力で軽く斬られた程度に避ける。


「チッ」

「いきなりなんて、浪漫の無い……」

「口上なら聞いてやらんでもねぇが、雑談には付き合ってられねぇからな」

「なら述べてやるわよ。私はクリプ。魔王ヘリウ様の直属護衛軍『ノーブル』が第三位よ」

「俺はグランツ共和国勇者、伊達 正義だ」

「じゃあ、正々堂々勝負……と行きたいところだけど、このままやっても負けそうだから退くわ」


 白衣の裾を翻しながら、大きく飛び退くクリプ。


「戦いは下僕に任せるわね」

「魔物ごときじゃ時間稼ぎにもならねぇよ!」


 クリプと正義の間に、妨害するように押し寄せる魔物。しかし正義は草をかき分ける様に突き進む。

 しかし、クリプに慌てた様子はなく。


「下僕は魔物だけじゃないのよ」

「なに?」

「貴方達! いい加減起きなさい!」


 クリプの声とともに、先程まで負傷し倒れていた騎士達が、ぎこちなく起き上がる。その目は血走り、だらしなく弛緩した口からは唾液が垂れていた。


「てめぇ……何やりやがった!?」

「貴方のお仲間を下僕にしたのよ。私は毒の研究をしていてね? 私の魔力を混ぜた特殊な毒をナイフに塗ってるの。傷がついただけで、その生物を隷属できるのよ。私の奴は特製の即効性でね?」


 そうクリプが解説する間にも、下僕とされた騎士達は伊達正義の周りを取り囲んでいく。そのさらに周りには、クリプの支配下にある魔物の群れだ。


「チッ」


 聖剣を構えたまま、正義は辺りを見渡す。下僕となった騎士達は、想定よりも機敏かつ合理的な動きをしていた。ゾンビのような非生物的な動きではなく、剣術を習った人間の動きである。


「彼らは死んではいないわ。脳にちょっと働きかけてるだけ。要は催眠と同じ効果よ。いいのかしら? 斬ったら仲間が死んじゃうかも?」

「カッコ悪い真似しやがる……」


 苦い顔をして正義が呟いた時、彼の背後から聞き覚えのある声が聞こえた。


「我々……は……いいです……」


 掠れるような、絞り出すような声。副隊長の声であった。目は血走りながら、歯を食いしばり、しかし正義に剣を向けながら、彼と間合いを詰めていく。


「早く奴を……それか逃げて下さい……」

「副隊長!」

「あら、まだ喋れるの? 凄い精神力ね」


 催眠と格闘する副隊長を、クリプは嘲笑うような声で称賛した。しかし幾ら喋れても、体はクリプの支配下にある。


「何故だ! 副隊長は、お前の攻撃を受けてねぇはずだ!」

「恐らく……魔物……」

「大正解!」


 クリプは惜しげもなく答えを晒す。まるで楽しむかのように。


「魔物の爪にも毒があるわ……というか、感染するのよ。魔物の毒は私のと違って遅効性だから……そこの副隊長も、途中で傷を負ってたんじゃないかしら?」


 クリプの言うとおり、副隊長は戦闘の中途、かすり傷に近いものだが、魔物に攻撃を食らっていた。その傷口から侵入した毒が、今になって効いてきたのである。

 緊迫した戦場に、不格好に響く声があった。


「だっ、駄目だ! 撤退だ! ぼ、僕に続け!」


 田中 雄一の声であった。先程まで進軍していた時の高揚に満ちた表情は既になく、何かの脅威にひたすら怯えているような表情だ。声は震え、体も震え、それでも逃げ足は全力であった。雄一は奇跡的に、未だに傷を負っていなかった。そのため未だに催眠されてはいない。

 騎士のうち無事な数名が、彼に続いた。勇者は敵に囲まれ、国で一番の技量を持つ副隊長も敵の手に堕ちた。彼らが絶望するに材料は足り得たのである。何より彼らは、練度が低かった。騎士達は我先にと逃げ出し、言い出しっぺの雄一に続いたのである。


「あら、お仲間が逃げちゃったわね」

「……そうみてぇだな」

「さて、あなたはどうするのかしら? おんなじようにここから逃げる? お仲間を殺して私も殺す?」


 クリプは一際笑顔を見せて、言った。


「それとも、仲間を庇って、死ぬ?」



「うるせぇよ」


 その声は静かに、だが震えず。力強くクリプの耳に染み入る。


「え?」


 あまりにもその言葉が自然で、一切の躊躇が見えず、呆気にとられるようにクリプは喉から空気を漏らす。


「逃げるのも、仲間を殺すのも、そんなもん正義じゃねぇしカッコわりぃ」

「……あら、なら仲間を庇って死ぬのね? 格好良くていいと思うわ」

「違ぇな。舐めんなよ」


 正義は聖剣を構え直し、クリプを睨みつける。


「俺は逃げず、且つ仲間を殺さず、且つ死なず、且つお前を斬る」


 確かに騎士達の練度は低い。その上副隊長はかなりの実力があり、彼が言ったことは現実的ではない。

 だがそんなことは彼には関係ない。


「〜〜〜貴方達! 総掛かりでこいつを殺しなさい!」


 クリプのヒステリックな声が、戦場に響いた。


「お前ら、手足の一本二本は覚悟しろよ! 後で光に治してもらえ!」







 何か恐ろしいものに追われるように、雄一は必死で逃げる。


(やばい!)


 また後ろの騎士が一人負傷したが、雄一にそれを気にしている余裕はない。


(やばいやばいやばい!)


 右前方から魔物が襲い掛かってくる。それを雄一は辛うじて避け、斬り伏せる。


(急がなくちゃ……このままだと、光がやばい!!)


 雄一は周りが見えなくなっていた。それほどに焦燥していたのである。


(魔物からの傷で感染、遅効性の毒、催眠、隷属!)


 雄一はかつて、重度の中二病を患っており、学校で虐めに近い境遇にあった。異世界に転移しても、染み付いたネガティブ思想は消えはしない。


(魔物に傷つけられた兵士が、患者として救護施設に運ばれたら?)

 

 そして雄一は頭が早く回った。妄想力があった。結果として彼の思考は、高速で最悪の事態を予測する。


(その患者の隷属が、救護施設で発動したら? 光は攻撃魔法を使えない。まともな護衛もいない。そして傷をつけられたら終わりだ)


 もし光が相手の手に堕ちれば、この戦線は完全に崩壊する。

 雄一はちらっと太陽の位置を確認する。丁度日の入りに差し掛かる頃であった。


(駄目だ。加護はまだ使えない……。とにかく、とにかく早く辿り着くしか無い!)


 雄一はさらに懸命に足を動かし、魔物の大群の突破を試みる。






 グランツ共和国のジーン砦に、とあるなんの変哲もない兵士がいた。彼は此の度の作戦で、救護施設の警備任務に当てられた者である。だが、実際の任務は警備とは名ばかりであり、担架で運ばれてくる負傷者の誘導が主であった。戦場にありながら、若干の退屈を感じてきた所である。この辺りから、やはり共和国の兵士の練度の平均的な低さが伺えるものだが、今はそれとは関係がない。

 その彼が呑気に欠伸でもしようかと口を開いた所で、入り口がざわつき始めたのが見えた。

 重症の負傷者か、と思い、その場に駆けつける。


「おい、どうした、怪我人は?」

「それが……」


 同僚に尋ねるが、同僚は指を指すだけでまともに答えない。指の先には、担架の上に立つ、一人の騎士がいた。


「……これは騎士様、どこか怪我されたので? おい、担架必要だったのか?」

「必要だったんだ! というか、さっきまで意識を失っていたんだ」

「なら目を覚まされたんだろう?」

「そういう程度の話じゃないんだよ、見ろ、腹が斬れてるんだ」

「馬鹿、指差すな。失礼だろうが。再生系の加護をお持ちだったんだろう。すみません騎士様……騎士様?」


 兵士が尋ねるが、騎士は仁王立ちしたまま動かない。

 と、次の瞬間、騎士は持っていた剣で二人に斬りかかった。


「ひぃぃあ!?」

「ぎ、ぎぁっ!? ぐあぁあああ!!」


 兵士は足元の段差に躓いて転び、間一髪掠った程度で済んだが、同僚は肩と脇腹を斬られ、激痛に床をのたうち回った。


「オ、オザッ!」

「た、助けて……」


 同僚の助けも虚しく、騎士は彼に距離を詰める。しかしトドめを指すのかと思いきや、騎士は何故か兜を脱ぎ、同僚の傷口を舐めたのである。


「な、何を……ギャッ」

「オザッ!!」


 戸惑いの声を上げた次の瞬間、騎士は同僚の頭を殴り、気絶させた。その騎士の顔が、ゆっくりと兵士を向く。

 その顔は人の物ではなかった。目は血走り、口からは唾液を垂らし、頬の筋肉は変なふうに引き攣って硬直している。


「ひぇぇっ」


 兵士は二度目の悲鳴を上げた。彼は尻もちをついたまま、必死で後ずさろうと足を動かすが、震えて力が入らないのか、なかなか思うように体が動かない。

 そうこうしている間に、騎士は距離を詰め、剣の間合いとなった。騎士が剣を振りかぶる。もうその瞬間には、兵士は体を萎縮させる事しか出来なかった。

 その時、二人にとって死角から、掛け声が一つ上がった。


「今だ! 取り押さえろ!」


 数人が騎士に飛びかかった。騎士は倒れるように抑え込まれる。

 間一髪、事なきを得た兵士は、ほっと息をつきながら、ゆっくりと後ずさった。


「こいつも魔族か!?」

「いや、騎士様で間違いない。ノーザック様だ」

「まさか変装か!?」

「魔族や魔物が変装など……」


 野次馬のように兵士が集まりだす。皆口々に意見を言い合う中、一人の男が兵士の手を引っ張り、助け起こした。

 その男に対し、兵士は聞く。


「な、何が起こってるんだ?」

「分からない……ただ、外はもっと酷いことになってるんだ。人間に変装した魔族か魔物か? いやしかし変装ってのは……とにかく、仲間の姿をした奴が暴れてて、ぐちゃぐちゃなんだ」

「はあ?」


 兵士はよく分からないといった顔のまま、覚束ない足取りで外へ向かった。そして石窓から戦場を見て、驚愕する。

 日が沈みかけた夕暮れの荒野。本来ならばそろそろ撤退の指示が出そうなものだが、その気配は一切ない。

 陣形は完全に崩れており、統率が取れている気配はない。同じ形式の甲冑を着込んだ者同士が、あちらこちらで争っていた。


「な、なんだこれは……」


 呆然とつぶやく。

 次の瞬間、外を見つめる兵士の後方から、うめき声が聞こえた。

 後ろを振り向くと、先程暴れていた騎士姿の男が、抑え込んでいた数人を引き剥がしている所であった。

 魔動鎧が生み出す膂力は、数人で押さえ付けるには足りなかったのである。

 剣を振り回し、その傷を一々舐めていく行為を、兵士はただ唖然として見つめるしかなかった。状況の変化についていけなかったのである。

 全員の意識を失わせ、騎士がさらに歩き始めた所で、兵士はようやく我に返った。彼の本来の職務は救護施設の警備である。そして騎士が向かう先には救護施設があった。職務に関わることであるがゆえに、思考が現実に引き戻されたのだ。


「ま、待て!」


 兵士が静止の声を掛けるが、そんなもので止まるわけがない。

 結果として、彼は救護施設への侵入を果たした。











「光様、もう少し休んで頂いても大丈夫です。今は早急な治療が必要な患者はいません」

「でも軽症の人はまだいるでしょ? 充分休んだわ」


 淡々とそう言った光は、彼らの柔い制止を受け流し、負傷兵の元へと向かった。


(慣れてきたのかな、吐き気もあんまりない)


 見るも痛々しい兵が運ばれては治し、運ばれては治しを繰り返し、魔力が少なくなれば少し休む。そんなことをどれだけ続けただろうか。最初はその屠殺所と診療所の空気が混ざったような環境に居るだけで、時折喉の奥から溢れそうな何かを、大きく息を吐いて誤魔化していた物だった。今では薄い嫌悪感が、脳にこびりつくだけだ。


(……慣れていいものなのかな)


 考えないようにしていた。異世界に来てから新しく築いた日常。それすらも乖離していくような、自分の立っている場所がどこなのか分からないような、そんな感覚。この状況に慣れたとき、果たして自分は日常に帰ることが出来るのか。そんな疑問を抱く事が恐ろしかった。

 光は軽症の負傷兵の元についた。彼は切り傷などはなく、体の所々に痣が見られる他、多少のかすり傷と、捻挫があるだけだ。

 ズキン、と。

 光は頭の奥に、鈍い痛みを錯覚した。


(重症の人の方が見るに耐えられるってのも、皮肉な話よね)


 内心で自嘲しながら、彼女は光魔法を行使した。痣が消え、捻挫をした足首の腫れが引いていく。


「お見事です」

「ふぅ……」


 負傷兵の表情が和らいだ所で、光は回復を止める。

 その時、壁の外から喧騒が聞こえてきた。


「……何かあったのかな?」

「少し見てきます」


 独り言のような光のつぶやきに、隣にいた衛生兵が答えた。彼自身も外の様子が気になっていたのである。


 彼がドアノブに手をかけた瞬間、扉が勢いよく開いた。内開きであったため、衛生兵は扉に吹き飛ばされる形となった。


「グわっ……な、なんだ!?」


 上半身を起こし、蝶番が壊れた扉を見る。そこには魔動鎧を装着した騎士がいた。

 騎士はそのまま剣を振りかぶり、床に座り込んでしまった衛生兵に斬りつけようとする。


「ら、ライトニングアロー!!」


 その状況を見ていた光が、慌てて攻撃魔法を使おうとする。しかし魔法陣を描く段階になり、その紫色の線が途中で大きくブレた。


(やっぱり駄目なの!?)


 加護で補助されるはずの術式構成段階すら阻害する、彼女の精神的外傷トラウマ。それはスポーツ選手の、例えば野球の投手が突然ボールを投げられなくなる、イップスのそれに近い。


(だったら……ごめん!)


 咄嗟に光は、別の魔法を発動しようとする。

 次の瞬間、騎士の剣が衛生兵の肩を捉えた。鎖骨が折れる音、服に血が滲み、彼のうめき声が部屋に響く。


「エリアヒール!」


 光が発動したのは、範囲回復魔法である。彼我の距離感を掴みかねた事から、大は小を兼ねるが如く、絶対に衛生兵を回復できる範囲で回復させたのだ。

 しかし副次的に、操られた騎士の腹の傷も治すこととなる。

 騎士は衛生兵の肩口にある塞がった傷跡と、自らの腹を交互に見る。そして次に、光に視線を向け、彼女の方向へ走り出した。


「ぇ……あ……」


 一瞬で間合いを詰められる。

 頭では、逃げる方策の思考が巡る。

 しかしどうしても、彼女の体全体が竦み、動けない。

 脳裏にフラッシュバックするのは、暗い部屋の光景。何度見たか数えられない悪夢だ。

 下卑た笑み。酒臭い息。拳を振りかぶる父親。ひたすらに痛みの記憶。

 庇う自分の手はかすり傷と痣だらけ。どんなに叫んで泣きわめいても、それは痛みを加速させるだけだ。だから何もしない。何も言わない。ただじっと、飽きるまで我慢すればいい。


 騎士が剣を横薙ぎに振るおうとする。

 光は思わず目を瞑った。瞼に押し出された涙が、目尻を伝う。



「雄一君……!」


 助けてほしかった訳ではない。ただ意味もなく、彼の名を叫んだ。


 騎士が音を立てて振った剣は、甲高い音を立て、光の体を斬る寸前で止められた。

 光は恐る恐る目を開ける。

 そこには大きな背中があった。


「遅くなってごめん!」


 背中の奥から、耳に馴染んだ声が聞こえてきた。雄一の声である。

 彼は魔動鎧に見を包み、肩で大きく息を切らしながら、自らの剣で騎士の攻撃を受け止めていた。

 雄一は魔動鎧に魔力を流しながら、騎士の剣を大きく弾く。騎士は少し体勢を崩しながら、後ずさった。


「ゆ、雄一君……」

「光……無事でよかった」


 呆然と彼の名前を呼ぶ光。雄一は光の体を見て、傷がついていないことに安堵する。

 その時、騎士が体勢を立て直し、剣を構え猛然と突進してきた。剣の切っ先は雄一を向いており、突き殺さんとばかりの姿勢である。

 彼女の心の中で、悲鳴が光った。


(──殺される!)


 彼女の中で、過去の光景と今が重なった。


 血だ。

 手に伝う薄い赤だ。


 酒に酔い、何かに激怒している父親が、床に落ちていた包丁を持ち、こちらに向ける。それまで殴られていた母親が、目を見開いて何かを喚きながら、彼女を背中でかばう。小さくて重い衝撃と振動。一気に酔いが醒めたのか、青ざめながら包丁を放り投げて、覚束ない足取りで、何度も壁にぶつかりながら逃げていく男。女は赤い液体で濡れていて、トクトクとそれが溢れていく。暗い赤色の何かが隙間から溢れる。


 「死」だ。

 攻撃とは「死」だ。


 天地が傾き世界が揺れる。小刻みに右左右左。視界は真っ暗で、バランスを取らないといけない。転びそうになる。ここからの帰り方が分からない。


 必死にしがみついた。




「──甘い!」


 雄一は光の体を横抱きにしながら、剣で騎士の突きを逸らす。そのまま軽く剣の柄で、騎士の頭を小突いた。


「うおおおお!」


 右足で騎士の胴を蹴たぐる。魔動鎧の力が上乗せされ、騎士の体は大きく吹っ飛び、反対側の壁に激突した。


「ごめん光! ちょっと危ないから下がってて! ………光?」


 横の光を覗き込んだ雄一は、彼女の顔がひどく青ざめていることに気づく。目の焦点が合っておらず、しきりに雄一にしがみついていて、声もまともに届いていない様子であった。


「光!!」

「ぇっ……あ……」


 雄一の大声に、光ははっとした様子で彼の顔を見返し、次に壁に座り込んだ騎士に視線を向けた。


「ご、ごめん! ちょっと訳わかんなくなってた!」

「……そう」


 その時、壁際の騎士が剣を床について起き上がって来る。


「ま、まだ倒せてないの? というか、何で騎士が?」

「敵に操られてるんだ。たちの悪い事に、死ぬか手足を切り落とされないと止まらない」


 意識を失うことに耐性があるのか、或いは意識を失っても直ぐに意識を取り戻しているのか、その判別はつかない。しかし、少なくとも先程戦場を駆け抜けた際、雄一は殴るなどして意識を飛ばそうとしたが、それはかなわなかったのである。

 騎士は雄一の実力を警戒してか、距離をとったまま様子を見ている。

 その間に雄一は、思考を巡らした。


(診療所の内部から操られた兵士が出なかったのは好都合だった。多分、光の回復魔法で解毒できたんだ。でも、さっき遠くから僕に回復魔法がかかった。多分範囲回復。それでも騎士が操られたままだって事は、洗脳済みの兵士たちを開放は出来ないってことか……)


 そして、負傷兵を救護施設に運ぶプロセスも、練度の低さ故にグダグダであった。結果として、救護施設に届く前に催眠された兵士が多かったのである。


(ここで騎士を倒しても、戦線が崩壊すれば砦に魔物が流れ込んでくる。そうすれば終わりだ……)


 雄一は窓に目を向ける。西側につけられた窓で、ちょうど陽が山に隠れ終わる所だった。


(日は沈んだ……なら、やるしかない!)


 雄一は鎧の中から石を取り出した。聖剣の元となる石であり、雄一は未だに使ったことがない。加護を発動できて初めて、聖剣は武器の形を取るのである。


「雄一……それ……」


 光が石を見て呟く。

 騎士は雄一の行動に警戒し、剣を構えた。

 魔力を流された石は、救護施設を覆うほどに光り輝く。光が収まった時、彼の手の中にあったのは── 


「ノート……?」


 なんの変哲もない、地球にあるノートであった。その表紙には「創作ノート」とマッキーで書かれている。


「『ノート』発動!」


 加護の発動と共に、雄一のノートがひとりでに開き、中のページがバラバラと分かれ、彼の体の周りを回り始める。ページ一枚一枚が淡く輝いており、とても幻想的な光景である。

 ページはやがて彼の体を覆い尽くし、輝きとともにパッと散開した。


 眩しさに目を瞑っていた光。彼女の頭に、ポンと手が載せられた。


「光。もう心配しなくていい。が来たからにはね」

「雄一……くん?」


 光は手の主を見上げる。それは確実に雄一の容姿であったが、目を隠すほど長い前髪は分かれ、凛々しい目が覗いていた。訓練で日に焼けた肌はすっかり白くなっており、平安の貴族を思い起こさせるような、白と藍の豪華な和装に身を包んでいた。

 光の戸惑いを他所に、彼は手に持っていた扇子を壁際の騎士に、そしてその壁の先の敵たちに向けて、言った。


「私の名前は六道院りくどういん 恒人つねひと。闇を以て闇を滅する者。異界の魔の者達よ。我が陰術おんじつ、受けてみよ」




 規格外加護『ノート』。雄一が中学の頃に使用していた「創作ノート」、またの名を「黒歴史ノート」とするそれを呼び出し、ノートに記載された、嘗て自身の夜の姿を想定した創作キャラ「六道院りくどういん 恒人つねひと」の容姿と設定を、全て雄一に適応することができる。制限時間は十分間。

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