瞬間無敵な第三話
──マッカード帝国帝都──
「俺の所にも来たみたいだな。皇帝」
皇室に、ドイル連邦大統領ルドルフの野太い声が響く。
「……援軍は必要か?」
「要らん。数千の群衆など取るに足らん敵だ。常に奴らと戦っている俺達と、ぬるま湯に浸かっている貴様らとでは場数が違う」
ルドルフがそう言うと、マッカード帝は顔を曇らせた。
「悪いな。いつも矢面に立たせて」
「なんだ。普段に増して弱気じゃないか。大国の主がそんな有様でどうする。隙を見せれば、我々が食うぞ。元義兄弟だからといって容赦はしない」
ルドルフはそう切り捨てると、卓上の麦酒を一気に煽った。それを見て、マッカード帝は軽くため息をつく。
「いつまでその安酒を飲んでいる……いい加減分相応の、例えばこの葡萄酒をだな」
「ふん。昔から貴様とは好みが相容れないな。いや、それよりもだ。今矢面に立っているのは貴様だろう。お前の所には数万のスケルトンが居るらしいじゃないか」
ルドルフはジョッキを無造作にテーブルに置くと、ソファを軋ませながら深く腰掛ける。
「しかも内側から攻められるとはな。流石に同情する。うちの勇者を一人送ってやってもいい。Aクラスの加護『身体親和』持ちの方だ。俺の所は戦場が前線だ。兵士と勇者二人で事足りる」
「有り難く貰おう。だが帝国には既に五人の勇者がいるからな。残りの一人はまだ加護が覚醒していないため呼ばないが、今ライジングサンの勇者三人が防衛についている。他の国の補充戦力にするよう、ケイトに言っておこう」
「それだ」
睨みつけるようにしながら、ルドルフはマッカード帝を指差す。
「戦場をあの『限界突破』の勇者に任せるのは分かる。政治はともかく戦争についてからっきしなお前が、あの小娘宰相に戦争を任すのも分かる」
「……チェスではお前より私が強いがな」
「それは遊戯の話だ。こと現実になるとお前はとことん甘くなる。この前の勇者軍の円卓でも、相手が俺じゃなかったらさらに付け込まれ……いや話をずらすな」
空になったジョッキにビールを注ぎつつ、ルドルフはマッカード帝に聞く。
「今回の騒動の対策をあの小僧に一任するってのはどういう心境だ?」
「勇者軍の首脳はそれぞれ賛成したが?」
「そりゃそこで異議を唱えれば、反逆の意思を見せる事になるか、援助を貰えないかの二択になる。円卓とは名ばかりなのはお前も承知だろう」
マッカード帝は答えず、手に持ったワイングラスの中にある葡萄酒をクルリと回した。
「俺だけが反対したらそれこそ反逆だ。だからお前が考え直せ。幾ら強力な加護があろうが、奴ら勇者は元々日本人だ。ぬるま湯どころじゃない、常に最高級の風呂に入っていたような連中だ」
マッカード帝がワイングラスを空にしたが、ルドルフは注ぐ様子を見せない。マッカード帝もそれは承知で、自分でボトルを持ち、注いだ。
「剣を初めて持ったガキ以下だ。そんな奴にこの局面の戦略を任せる? 加護と知略は別物だ。正気を疑うぜ皇帝」
ワインの香りを楽しんでいたマッカード帝は、ため息をついて、ルドルフに聞いた。
「お前は彼の何を疑っているのだ? 頭脳か? 知性か?」
「何度も言っているだろう。覚悟だ。或いは精神と言ってもいい」
ルドルフは喉の音を立てて麦酒を飲む。
「前に見た『限界突破』のガキを一目見たことがあるが、あれは良かったな。良い目をしていた。地獄を見た目だ。それでなお立って進もうとする目だ。あれは強くなる」
「お前はよく目で人を語るなルドルフ。まあ確かにお前の所の兵は鋭く生きるような、それでいて死んでも良いような変に恐ろしい目をしている。だがルドルフ、お前はケイトの目を見ておらんのだろう?」
「見なくても分かる。奴ら日本人は大抵同じ目をしているからな。俺の所の勇者は散々扱いて前線でこき使い、同じ隊の奴が死にまくってようやく良い目をするようになった。だがお前の事だ、どうせそんな事やっていないのだろう?」
そこまで言って、ルドルフはまた一口飲んだ。
「……意外に思うかもしれないがな、奴は召喚当時はまったく違う目をしていたのだ」
「へぇ、ぬるま湯程度で人が変わったのか。それはそれでお里が知れるというものだ」
「ぬるま湯、いい比喩だなルドルフ。だがお前は何か勘違いしている」
皇帝は過去を思い出すように目を閉じた。
「召喚当時、ケイトとソラの二人は、まるで我々をぬるま湯に浸かっている人間として見ていた。お前の所の兵士と同等、いやそれ以上に気味の悪い目をしていたのだよ。剣の訓練の時も、何かしら既に剣を扱ったことのあるような動きを見せていた。体の感覚が違うからか、少々戸惑っていたがな」
「……俄には信じられんな。間違って隣国の軍人でも召喚したんじゃないか?」
「彼らは日本人だと自称していた。何より同時に召喚されたゼンタは、それを不自然と思っていなかったようだ。日本人だとして間違いない」
それでも納得の行かない様子のルドルフを見て、皇帝は言う。
「お前は日本二界説を覚えているか?」
「あぁ、十年前くらいか、話題に上ったな。どうでもいい話だから聞き流していたが、いつの間にか聞かなくなった」
「我々の得になる話でも無かったからな。研究費用が回らなくなったらしい」
日本二界説。マッカード帝国のある研究者が提唱した仮説である。曰く、歴代勇者の残した日本の情報が僅かに食い違っていることが調査で判明した。その情報は主に2つに分類することが可能であり、勇者が召喚される日本は2つあり、それぞれ別空間に存在しているという説である。その説の奇抜さ故に話題に上ったが、それが判明したとしてなんのメリットもないこと、また勇者の只の勘違いであるという可能性が高いことから、検証されずに埋もれた説である。
「それが事実だったらどうする? ケイトとソラだけは、別の空間の日本から転移されたということだ」
「……本気か? いや百歩引いてそれが事実だったとして、2つの空間はかなり似た歴史をたどってきたはずだ。全く精神構造が違う人間が召喚されることなんてあるのか?」
「そうだ。しかし先代勇者の召喚から此度の召喚までに、2つの日本を決定的に変化させるような何かが、ケイトやソラの日本に起こったとしたらどうだ?」
暫く黙ったルドルフは、一つため息をついたあとに麦酒を一気に飲んだ。
「……飛躍しすぎている。それでうんと頷けるものか」
「そうだな。勿論私も本気で言っているのではない。ただの思い付きだ。まあケイトの事が信じられないのであれば……」
「いや、信じよう」
ルドルフは一つため息をつき、言う。
「お前の人を見る目は確かだ。お前の政治が上手いのはそのためだろう? 孤児だった俺を無理矢理義兄弟に仕立てたのはそのためだ。俺はケイトを信じることは出来ないが、お前がそこまで言うのだ。お前の采配を信じよう」
皇帝はワイングラスを傾け少し飲んだ後、息を吐いた。
「感謝する」
──マッカード帝国、リリブ砦、会議室──
「リュウト様、これより先は如何致しましょう」
「そうだな……」
副官の質問に、龍斗は考えを巡らす。
他の国への魔族の侵攻。その知らせが届き、啓斗と空は戦力の均等化のためリリブ砦を離れなければならなかった。空の空間魔法で各国の進行場所を巡り、勇者を移動させるのである。啓斗はその指揮と、不意打ちや緊急事態に対応させるための切り札として同行する。
結果として、リリブ砦には元ライジング王国勇者である龍斗、珠希、葵が残ることになったのである。他の侵攻箇所と比べ、マッカード帝国に侵攻する魔物の数は桁違いである。しかしAクラス一人、Bクラス一人、規格外一人という、三人にして強力な組み合わせが理由で、戦力として十分と判断されたのである。
士気を保つ意味合いもあり、指揮は龍斗に渡されることとなった。戦場の範囲がリリブ砦から人間国家全体に拡大したため、限定的な連絡しかできないリリブ砦にインデラ宰相が残るのは、あまりに非効率であったのだ。
全体の連絡の統括としてインデラ、勇者戦力の均等化における現場指揮として啓斗、リリブ砦の現場指揮として龍斗が就いた形となる。
しかしインデラや啓斗と違い、龍斗には指揮の経験も知識もない。そのため、水の大隊のニューロン少佐が副官となり、龍斗の指揮をサポートする事となっている。
「もう陽動の必要は無いんだよな」
「はい。エッジバーグ砦の兵は既に撤退を完了させております」
「帝都からの増援は?」
「元々ソラ殿の空間魔法を計算に入れた行軍でしたので、予定より大きく遅れが生じています」
「なるほど。ただ兵の消耗も軽微だ。増援まで遅滞戦闘を続けるのもありか」
「逆に、ボンド砦にいるであろう魔族に速攻を仕掛けるのもありかと」
龍斗は目をつむり、考え込む。
「ニューロンさん」
「敬称は不要ですリュウト様」
「……ニューロン、お前ならどちらを選ぶ?」
「遅滞戦闘ですね。対人間や他の種族と相対するならば、現在の愚直にすぎる魔物の戦闘に疑問を覚えるでしょう。何か奇襲を用意しているのかもしれないとね。もし補給線を奇襲により絶たれれば、我々は一気に窮地に追いやられます。しかし相手は知能のない魔族。奇襲を心配する必要は殆どありません。ならば確実に魔族を討伐できるよう、増援を待つのが吉かと」
「……」
龍斗は沈黙する。実のところ、彼の語りに納得できていないのであった。この世界の人間、啓斗や空、不思議なことに珠希や葵まで、魔族の強さには警戒しても、その頭脳には一切の警戒を払っていないように龍斗には見えていた。
歴史が証明しているのであるし、確かにこの戦闘を見れば頷ける気がしないでもない。しかしあまりにも素直に考え過ぎではなかろうか。この世界の常識にとらわれていないはずの啓斗、空、珠希、葵まで当たり前のようにとらえているのは、何かおかしいのでは無かろうか。龍斗はそう考えずにはいられない。
(あるいは、おかしいのは俺なのか)
事あるごとに脳裏にちらつく恐怖。当時の龍斗を嘲笑うような知能、気味が悪い程の演技力、奇抜に過ぎる手段、あまりに特殊で理解不能な攻撃、酸化した血液のような服、まるでその先に深淵でもあるかのような黒い目、冷酷ながら内包する狂気が垣間見えるような口元、黒い髪、黒い目、黒いシャツ、黒いズボン、黒、黒、黒。
就寝の度に、息をつくたびに、目を瞑る度に、瞼の裏から此方を笑うソレは、龍斗にあまりに深い傷を残していた。
龍斗にとって魔族のイメージとは、あの高富士 祈里なのである。何をやっても可笑しくない彼が相対するならば、そう考えると、龍斗は奇襲を警戒せずには居られなかったのである。
しかしこの懸念は、例え目の前の歴戦の兵士に言ったところで伝わらない。
(そもそも俺だって確信があるわけじゃない。なら妥協するしかない……)
「敵本陣への牽制、また増援が届いてからの攻勢を有利にするため、万一の奇襲の初動を知るための偵察を兼ねた、少数部隊を編成する」
「……悪くありません。ただ、任せる部隊に依るかと。どの部隊長を呼びましょうか」
「俺が行く」
何気なく告げた龍斗に、ニューロンは僅かに言葉をつまらせる。
「……本気ですか?」
「本陣は珠希と葵が守る。勇者が二人いれば士気が下がるとこともないだろう」
「しかし貴方はこの戦争における総指揮です」
「所詮お飾りだ。飾りは先頭につけるのが似合う。指揮はお前に権限を譲ればいい」
「万一貴方が死ねば、この戦争は瓦解します」
(随分とキツイことを言うな)
この世界の人間は勇者を絶対視しすぎるきらいがある。しかし、龍斗の目の前に立っているこの男は、龍斗をあくまで対等な兵科として見ているように思えた。
「死なない。俺の今までの戦闘を見ていなかったのか?」
「例えそうだとしてもです。勇者様の実力はしかとこの目で見届けました。しかし魔族は……」
「お前まさか、アレが俺の本気だと思っているのか」
「は……?」
何を考えたか、龍斗は突然指折りで何かを数えました。
「……8、9……うん。アレの五倍は強くなるぞ俺は」
「ご、五……!?」
「身体能力だけで技術は上がらないけどな。しかし本気で戦うと逆に兵達が目で追いきれないと思ってな。セーブしておいた」
目を見開いたまま動かないニューロンに、龍斗は言う。
「死ぬ覚悟のある奴らで部隊を編成してくれ。実力は問わない。出来れば料理できるやつがいると望ましい」
ニューロンはようやくハッと我を取り戻した。
「わ、分かりました。しかし一つだけ宜しいですか勇者様」
「なんだ?」
「あくまで建前は、偵察部隊ではなく、征伐隊としたほうが宜しいかと」
(イメージ戦略的なアレか……)
確かに主将が偵察部隊というのは締まらない。自分も士気向上を言い訳の一つにしていたため、龍斗は素直に頷いた。
──ドイル連邦 アヤタク砦(魔族領との境界)──
啓斗の前には、巨漢が仁王立ちしていた。
「貴様が金城啓斗か……。我らが長より話は聞いている……」
「……」
対して啓斗は、黙したまま困惑した状態で立ち尽くしていた。
「自分、ほんまに日本人やったんか?」
「……? 生粋の日本人だが。それが如何したのだ?」
「おぉぅ」
半歩下がる啓斗の耳に、恐る恐る空が囁く。
「こ、この人が本当に勇者なのですか? この世界の騎士とかじゃなく……?」
「ま、まぁ彫りは浅いし、日本人に見えなくもない……やろ……」
日焼けで褐色に染まった肌、土煙のせいか、僅かに淡い色となっている黒髪、訓練の跡か、荒れて硬くなった皮膚、ゴリゴリの筋肉、死闘の影が見える全身に点在する傷跡。ザ・武人といった口調。
彫りの浅い顔こそ西洋風な顔立ちの多いこの世界には無いものだが、雰囲気は完全に軍事国の歴戦の戦士である。
ドイル連邦勇者、松井 健吾。Aランクの加護「身体親和」を持つ、元日本人である。
啓斗はポケットから資料を取り出し、松井 健吾の項目を見る。そこには似顔絵や、事細かな特徴が記されていた。
「ホンマに松井くん? 細身の好青年とか書かれてんねんけど……」
「鍛えたからな」
「顔立ちも変わっとらんか?」
「鍛えたからな」
「オドオドした性格……」
「鍛えたからな」
(おぉう脳筋……)
絵に書いたような脳味噌筋肉さんである。
(そら日本にも筋トレ大好き! 戦い大好き! みたいな脳筋はようおったけど、これほど露骨なんはおらんかったぞ……)
額に手を当てながら、啓斗は松井の加護、『身体親和』の説明欄を確認する。
(ノーリスクで身体能力と再生力の爆発的増加……一般的には『限界突破』の上位互換と認識されてるみたいやな)
ただし龍斗の『限界突破』は従来のものと違い、重ねがけが出来る規格外の加護だ。
(それ込みで考えれば、五分五分くらいの能力やな。かなりの戦力として働くやろ)
「ともかく、自分はここ離れて、別の場所で戦ってもらう事になるけど、それでええんやな?」
「長がそう言っているのだ。加えて我の目から見ても、ここにこれ以上の戦力は要らん」
「よし、加護も強いし力も強そうやな。頼りにすんで」
啓斗がそういって松井の肩を叩くと、松井は少し苦い顔をした。
「……あまり過度に期待するなよ。力が幾ら強くても、我の腕は二本しかない」
(……へぇ)
内心で唸る啓斗。これ程の加護を持てば増長しそうに思えるが、松井は自らの限界を知っているようであった。
(元々のオドオドした性格の名残か、或いは……)
「仲間でも死んだか」
「……」
沈黙で答える松井。だがその目が僅かに見開いたのを、啓斗は見逃さなかった。
(それでも尚前線にいるっちゅー事は、本当の意味で実戦レベルの即戦力。屈折してない分、ある意味龍斗より戦力になる)
啓斗が内心で笑みを零した次の瞬間、部屋にジリリリリ、という警報が鳴り響いた。
「これは……」
「通信魔動具やな。続報があるみたいや」
「私が詳細を聞きに行ってきます」
タタタッと、空は相互通信魔動具の担当者が居る部屋に向かう。
暫くして、空が戻ってきて言うには、グランツ共和国が魔族の襲撃を受けたという報が届いたということらしかった。
「グランツ……我が国や勇者軍に対し碌な援助もせず、自身が危機に陥れば直ぐ様助けを求めるとは……なんと」
「愚痴とか言うとらんと、早よ向かうで。そんなんでモタモタして人が死んだらかなんわ」
「グランツ共和国への魔力経路作成とハッキングは、珠希さんが首都まで済ませてくれているので、直ちに向かいます」
地点転移には空間魔法特有の座標情報が必要である。その法則性は空にもわからず、自身が居る座標くらいしか正確に分からない。そのため、現状一度訪ねた所にしか転移できない代物となっている。
グランツ共和国首都は、空は行ったことのない都市である。座標がわからないため、首都に転移するのは不可能だ。
しかしそこで、珠希はある事に気がついた。相互通信の魔動具は何故遠距離で物理的な繋がりが無いにも関わらず、通信が可能なのか。何かしら互いに、魔力的な繋がりがあるのではないか。
そこから先は『魔力親和』の加護を持つ珠希の独壇場である。珠希優位の魔力経路の形成、ハッキングにより、相互通信の魔動具が各々の空間座標を連続的に自身に記録している事が判明した。要は相互通信の魔動具は、空間魔法を用いて情報を転移させていたのである。
今の空は、相互通信の魔動具が存在する全ての地点に地点転移する事が可能なのだ。
「では、行きます」
空の掛け声とともに、三人の姿がドイル連邦から消えた。
──ドイル連邦への街道──
もう暫く村には寄っていない。そしてこれから先も、ドイル連邦目的地までは殆ど寄らない予定である。
現在、コミュ障勇者のパーティーの面々が見張りと索敵を担当している。俺とアリーヤは馬車の中で揺られながら待機だ。
そんな時、見張りをしていたリリーから一つの報告があった。
「温泉……!?」
「そーなんです。何だか湯気が出てるのが見えて、試しに私が確認してみたら……」
コミュ障勇者の目が輝く。温泉大好きテンプレ日本人であるこいつはまあ良いとして、リリーも普段よりも興奮している様子だ。魔動具が発達していても、街の発展や法整備はまだまだ未熟なこの世界。未発見の温泉など大量にあり、そこに所有権は存在していないのだ。
そしてまた湯水は希少なのである。風呂なんて当然上流階級にしか許されない贅沢であり、旅路なら以ての外。そんな道中に温泉を見つけたとなれば、そりゃ入る。それ以外の選択肢など無いのだ。
土魔法や水魔法など、魔法があるこの世界は、野良の温泉を人が入る適切な形や温度に整備するのは簡単である。まあ今回の温泉は、最初から適切な形な訳だが。
「イノリ……」
「ん?」
「
「御名湯」
「まあ、そうだとは思ってましたが」
音だけじゃ通じなかった。御名答。
ま、そんな都合よく温泉があるわけ無いんですよね。俺が少し前から深夜にちょくちょく抜け出してたのは、温泉を作るためであった訳だ。
この辺りの山が火山であることは《探知》で分かっていたので、とりあえずマグマが近くにあって地温が高い所を《探知》で探し回った。あっさりとマグマ溜まりの場所が見つかったので、次は地下水源探し。あっさりとは言わないが、同じ山脈の中にいい感じの地下水源を発見した。多分地形的に扇状地の伏流水か何かか。
後は土や石を材料に《武器錬成》。大量に砲を作ってうまく繋げれば水路になる。それで地下水源から水を通し、マグマ溜まり付近を適温になるよう上手く調節しながら通過させる。この道から索敵が届く範囲に湧くようにして完成。
「温泉なら、男女が別れるから善太さんと二人になれると?」
「察しが宜しい」
「流石に想定が甘いのでは? セバスチャン様もいらっしゃいますし」
「布石も打ったし、まあ上手くやろう。勿論アリーヤにも協力してもらう。作戦をこれから伝える」
そう言いながら、俺はコミュ障勇者たちに見えないよう、ある銃を取り出した。
その瞬間、アリーヤの顔が一気に青くなり、引き攣った。
「な、なんですかそれ……。まさかそれを使うんですか……?」
「コミュ障勇者に恐怖を与えれば、より催眠は確実になるからな」
まあ確かにこれは我ながらどうかと思うが、夜は暗いから大丈夫だろう。
それから俺がその銃を「影空間」にしまってしばらくしても、アリーヤの俺に対する化物を見るような目線は中々戻らなかった。
──グランツ共和国首都──
「では後ほど」
「ん、頼むわ」
空間魔法で転移する空を、啓斗は軽い調子で手を振って見送る。
そんな、一見軽薄に見える糸目の男を、松井 健吾は懐疑的な目で見る。
規格外の加護を持ち、各国の首領から信頼を、特にマッカード帝国皇帝から絶大な信頼を寄せられている男。
(……だが前情報に踊らされてはならない。長も自身の目で見た人物像で判断せよと仰った。そして我の目から見るに……)
「ま、空が砦まで行って帰ってくるまで暇やし、しりとりでもせーへんか?」
「……断らせていただく」
砦まで転移するためには、空が単独で目視転移を用いて向かい、到着してから帰還。松井と啓斗を連れて地点転移、という流れとなる。
故に確かに空が戻ってくるまでは暇となるが、戦闘の前である以上、しりとりをするほど気を抜いていい場面ではない。
(我の眼から見るに、ただの腑抜けた普通の日本人でしかない。確かに勘は鋭いようだが、如何なる能力も戦場において精神が強くなければ何の意味も持たない)
松井はそれを自分の身を持って学んでいた。そして啓斗という男に対して、少なからず落胆した。およそ実戦を経験したことの無い眼であったからだ。
だが同時に、啓斗が勇者軍にとって重要な存在であることも承知していた。加護の存在は勿論、その類まれなる戦術センスも、人類にとっては必要な物である。松井が話に聞く限り、その勇者の兵力配分のバランス感覚は称賛すべきものだと、ドイル連邦の軍師が語っていたようであった。
現に、この戦においても最重要というべき位置に彼はいる。
(戦場では、我が守らなくてはならない。我には加護の武力と、実戦で鍛えた精神力しか無いのだから)
「啓斗さん!!」
突如、部屋に空の声が響いた。
松井は想定外の事態に戦闘態勢をとる。対して啓斗は自然体で答えた。
「なんかあったんか? えらい早かったけど」
「近辺に別働隊です! この首都を狙っています!!」
「何!?」
空の報告に声を上げたのは松井であった。別働隊による首都の強襲。そんな戦略を魔族が立てるとは、魔族との戦闘経験がある松井には、到底考えられなかったのである。
「馬鹿な……魔族が戦略だと……?」
「そないに変な点があるか? 魔族は残忍で卑怯な奴らやろ。まだまだ大人しいレベルやで」
啓斗は嘲笑する。その雰囲気は軽薄さを一切帯びておらず、松井は目を見開いた。
空は心配そうな目で啓斗を見る。
「啓斗さん……」
「そんな事より、急がなあかん。さっさと空の転移魔法でこっちから逆に奇襲するで?」
いつもの軽い雰囲気を取り戻した啓斗の発言に、空は首を振り、転移魔法を発動させた。
松井は雰囲気の戻った啓斗をじっと見ていた。
そして転移のさなか、啓斗は強烈な違和感と頭痛を覚えた。
(なんでや……魔族は脳筋で戦略を立てん。けど何で俺はさっきあんな事を……いや、違うか? なんで魔族が脳筋や思っていたんや? 何か、何かを見落としているんか……?)
「啓斗さん!!」
空の悲鳴が響いた。
奇襲のための別働隊に、転移魔法で逆に奇襲を加える。その作戦自体は別に欠陥はない。
しかし今回は、誤算と不運があった。
まず誤算として、空が別働隊と認識した少数部隊が、実はグランツ共和国を攻める魔族達を仕切る隊長と、その直属護衛隊であったこと。
そして不運としては、その隊長が魔族に珍しく高い知能を備えた個体であり、ヘリウの直属の部下アルゴであったことだった。
空が別働隊を認識すると同時に、アルゴは彼女を逆に探知した。そして彼女の高い能力を一瞬で見抜いた。
アルゴは転移魔法を使えはしなかったが、知識を持っていた。
空が転移した直後、アルゴは彼女が消えた地点に即座に向かい、大剣を振り上げたのだった。
空、啓斗、松井の三人が、その地点に転移。アルゴの大剣の先には啓斗がいた。
啓斗は強烈な頭痛により、アルゴに気づかない。
松井、アルゴの姿を視界に収めるも、直前まで啓斗に注意が向いていたため、反応が遅れる。
アルゴが大剣を振り下ろす。
「啓斗さん!!」
空が気づき、声を上げる。同時に松井が啓斗の体を押す。
ここで啓斗は漸く現状を把握した。
しかし遅すぎた。
「ぁガッ!!」
啓斗の聖剣を持った腕が宙に飛ぶ。
頭こそ免れたが、剣筋は啓斗の肩下を捉えていた。
「くそっ!」
松井が舌打ちする。
アルゴが啓斗に早々にとどめを刺そうと、剣を構えた。
──各国の首領が啓斗に寄せる信頼の理由は、『カウント』という規格外の加護、その汎用性にある。
「『カウント
加護発動と同時に、啓斗の腕の時間が遡り、飛んでいた腕が肩に戻り再生する。
「馬鹿な!?」
啓斗はそのまま聖剣で突く。アルゴは即座に飛び退き、剣を構えた。驚きを隠せないまま、アルゴは言う。
「再生……それも即時だと? 加護の力か……?」
「ああ、その醜悪な面構え。懐かしいわ」
啓斗はアルゴの問いに答えず、目を薄く開きながら呟いた。
規格外の加護、『カウント』 啓斗は自身の加護を『カウントn』と呼称している。nには任意で整数を入れることができ、啓斗のみ1秒をn秒にする。その後、nの二乗秒のインターバルを必要とする。また、発動箇所を啓斗の体の一部に限定できる。
「『カウント──」
繰り返すが、
「──
すべてを貫く事ができる
結果として残ったのは、アルゴを含む護衛隊達の死体だけだった。
「なん……という……」
松井も啓斗の加護を詳しく教えて貰ったわけではない。だがそれ以上に、想定以上に圧倒的な威力。
──皇帝は、かつて彼の加護を「無敵」と評した。
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