ちょっくら不穏な第一話



 マッカード帝国の北部、ボンドと呼ばれる街の近くには、シルブシェルと言う名称の貝が、多く生息する湖がある。

 通称、魔湖、鉱山湖、ミスリルの湖など。


 シルブシェルは非常に希少な貝で、湖底の泥を食物とし、岩に良く似た成分で出来た硬い殻を持つことが特徴である。

 体内に異物があると、真珠貝がパールを作るが如く、その異物を貝殻と同じ様な成分で覆おうとするのだが、その出来た凝固物が比較的高い純度のミスリルで構成されており、珪素などの不純物を取り除くことで非常に高純度なミスリルを精製することが出来る。


 ミスリルを含む凝固物、通称ミスリルパールを体内に有する個体の確率は、その生息地域に相関して変化する事が分かっている。

 そしてマッカード帝国にある魔湖に生息するシルブシェルは、かなり高い確率で体内にミスリルパールが存在している。

 またミスリルパールが無くとも、貝殻にもある程度の純度のミスリルが含まれていることから、冒険者にとって涎物の一品である。


 冒険者などによる乱獲を防ぐため、厳密な国家主導の管理がされており、絶滅を防ぐため収穫量も年毎に制限されている。

 だが依然としてその湖から「採掘」できるミスリルパールの量は膨大であり、マッカード帝国の経済、軍備を支える重要な資産となっていた。



 その魔湖に、突如異変が生じる。



 最初に湖の中心部で泡が確認されたと思えば、突然魔法によると見える障壁が展開され、干拓されたように湖の中心に陸地が顕れた。

 魔湖は湖としては比較的大きい物である。その中心に穴があいたところで、岸に居る兵士がすぐさま気づける物ではなく、例え気付けたからと言って、すぐに確認に行けるようなものでも無かった。

 だがもし露わになった湖底を観察することが出来れば、そこに巨大な魔法陣が有ることに気付けただろう。

 その魔法陣が紫色に妖しげに光り、黒い影が姿を現す。


「ククク……ここがマッカード帝国ですかぁ」


 男声ではあるが若干高めの、人によっては嫌らしいと感じるような声が辺りに響いた。

 骸骨のがむき出しの頭、その眼窪の中には青色の小さい焔のような物が妖しげに揺れている。

 骨のみを包むマントは紺一色で所々に金糸の刺繍が施されていた。

 その骸骨は辺りを見渡し、またククク、と笑う。


「こんな所に砦など、拠点にしてくれと言っているようなものじゃありませんかぁ」


 骸骨は肉のない骨だけの指を、どうやったのかパチンとならす。

 紫色の煙がたちこめ、それが晴れたときには、十数体の衣服を身につけていない骨の魔物──スケルトンが現れた。


「さあ、侵略開始と行きますかぁ──」








「アリーヤ。ちょっと俺とキスしてくれ」

「え………は!?」


 夜営用のテントを張り、それぞれのパーティーに別れて準備をしている時、突然祈里にそう話を持ちかけられて、アリーヤは困惑する。

 夜な夜な《性技》のレベルアップという名目でセクハラを超越した何かを受けていたアリーヤだが、これまで唇を重ねたことは無かった。


「と、突然なんでですか!?」


 内心、困惑と疑惑と期待と緊張と羞恥をごちゃ混ぜにしたような状態で、アリーヤは問いかける。


「ちょっとした実験でな」

「……は?」


 実験という全く乙女心に響かない回答に、アリーヤのテンションが若干下がる。


「前シルフとキスされた事があっただろ?」

「はぁ」


 別の女の名前を出されて、かつその時の光景を思い出してしまい、またテンションダウンなアリーヤ。


「その時に精神世界という物を体験してな。自分でも再現できないかと考えたわけだ」

「それで、なぜ口付けを?」

「シルフに聞くところによると、粘膜接触をしていた方が効率が良いんだと。というかシルフはそうしてなきゃ精神世界に引きずり込めないらしい」


 効率が良い。

 およそ祈里がアリーヤに接吻を求める所以は、効率化のみであるらしい。

 上げて落とすとはこの事か。アリーヤは落胆の色を隠せない。


「その、今まで男性と口付けをしたことはなくてですね……」

「うん」

「せめて初めてくらいは、ムードとか、心の準備とか……」


 アリーヤは元々一国の姫であり、その上男性との付き合いなど一切無い。彼女の貞操観念は、祈里に体を散々弄ばれた後であっても、しっかりと存在していた。


「知らん」


 だが現実は非情であった。

 というか祈里が非情であった。


「処女膜と違ってファーストキスによって肉体的に何か変化が有るわけでは無い。結局の所心の持ちようでしか無い訳だ。今から行う行為は愛など存在しない言わば人工呼吸のような物であるから、お前が内心でカウントしなければ済む話だ。

そしてなによりお前に拒否権は存在しない」


 徹底的であった。

 アリーヤは、祈里には何の期待もしてはいけないと今更ながら悟った。


 そのまま押し倒そうとする祈里を、アリーヤは死んだ魚のような目で受け入れる。

 粘膜の接触の後、自分と祈里が混ざり合い溶け合うような錯覚。アリーヤの意識はそのままゆっくりと闇に沈んでいった。


 なお、なんだかんだ言って接吻の際にアリーヤが興奮を覚えた事実は、彼女の尊厳の問題で心の奥で黙秘されたのであった。








「ここは……」


 再び目を開けた時、アリーヤは闇の中に立っていた。

 一瞬、まだ目をつむっているのかと錯覚するほどの、深い黒色。

 彼女は自分が地面のような物の上に立っている事だけは理解できたが、どこからどこまでが地面であるのか、全く判別が付かなかった。

 全部黒一色なのだ。地平線や地面の凹凸など見分けようもない。


「おう。成功だな」


 後ろから聞き慣れた声がかけられ、アリーヤは振り向く。

 いつもと変わらぬ服装、だがこの旅路では身につけていない服装──黒いシャツと黒いズボン、黒い手袋といった装束に身を包んだ祈里が立っていた。


「これが、精神世界ですか?」

「そう。俺の精神世界だな」


 ああなるほど、とアリーヤは素直に納得した。道理で黒一色な訳である。

 山も海も、人も魔物も、草も石も、光も影も、何にもないまっさらな世界。


「精神世界だと、何が出来るんですか?」

「そうだな。アリーヤを自由に操れる、とか?」

「それいつも通りじゃないですか?」


 思わずアリーヤは聞き返す。

 祈里は実はあまり「命令」をしないため、普段アリーヤはかなり自由に行動できる。だが「命令」さえされれば、アリーヤはそれを拒むことは出来ないのだから。


「ふむ」


 彼女の言葉を受けて、顎に手を当ててしばし思考した祈里は、ふと指を立てて、くるくると回す。


「三回回ってワンと鳴け」

「(クルクルクル)……ワン!」

「ふむ。やはり、いつもと変わらんな」

「なんでですか!?」


 そこで納得されては困る。これまでアリーヤ自身、三回回ってワンと鳴いた記憶はこの一度を除いて一片もない。

 だが彼女の悲壮な叫びは祈里には届かなかった。


「検証は終了だな。あまり時間をかけるわけにはいかんし、さっさと戻るぞアリーヤ」

「ちょっ……」


 待って、という言葉を口に出す間もなく、アリーヤの意識は無理矢理引き揚げられていった。


 その中アリーヤの目に、何かが黒い世界にたっているのが、微かに映ったような気がした。







 アリーヤとの精神世界検証を終え、野営の準備を終えた俺達一同は、2パーティーと老執事合わせて食事をする運びとなった。


「メイさーん、これ美味しいっすよ?」

「……」

「食べないんすか? ほらあーん」

「……要りません」

「そんな固いこと言わずにぃ」

「離れて下さいっ」


 メイさんが、俺の差し出したスプーンから距離をとる。

 だが俺はこの程度の拒絶では折れない。伊達にアリーヤさんに日頃毒舌を浴びせられている訳ではないのだ。


 俺が猛アタックを仕掛けている中、メイさんの視線は時々鬱陶しげに此方に向けられるも、大抵はよそを向いていた。

 その視線の先にいるのは、コミュ障勇者と彼らの仲間の一人であるリリー、そしてアリーヤである。


「勇者様、お肉はお好きですか?」

「……ぃぅ……その……」 

「美味しいお肉です。柔らかいくて、口の中でとろけるようです」

「……ぇ……と……」

「ほら、あーん」

「……ぅ……」

「あーん?」

「……ぁ、あーん?」

「はいよくできました」


 アリーヤめ。意外とやりおる。

 コミュ障勇者に猛アタックを仕掛け、ラブコメにありそうな場面を演出しているのは、アリーヤである。

 隣のリリーではない。彼女はアリーヤの積極的な行動にタジタジである。あたふたと目がアリーヤと勇者の間を行ったり来たり。


 なんとかしろ、と暗殺メイドがリリーに視線で訴えるが、それに気づいた彼女は涙目で首を横に振るばかりである。


「ねぇメイさーん、俺達もあれやってみないっすか?」


 そして火に油を注ぐ俺。

 暗殺メイドの形相が、他人にお見せできないような感じになっていらっしゃる。

 コミュ障勇者の目前っすよ良いんっすか?


 だがコミュ障勇者の注意は殆どアリーヤに向いている。下心満載の視線だ。

 まあ彼がそうなるのもしょうがない。俺が先程性技混じりのディープキスをしたせいか、アリーヤはやたらと色気のある表情と声をしている。吸血鬼としての魅了的なアレも加わっているのかもしれない。


 これぞ我がストラテジー。似非ハニートラップ作戦。

 ちなみにこれをキス終了後のアリーヤに告げたら、めっちゃ怒られた件。冷たい目で見られるかと思ったが、涙目で「もう知らないです!」とか言われてしまった。

 なんだろうこの別れ際に平手打ちを喰らった彼氏感。全然そんなんじゃないのに。 

 というか涙目になるとか、アリーヤはコミュ障勇者が嫌いなのだろうか。

 まあどちらにせよ、俺の下僕である以上拒否権はない。


 しかし、計画を考えて即実行の機会を得るとは予想だにしていなかった。交流の為、二人ずつに別れて食事を摂るなど、仕掛けてくれと言っているようなものだ。

 このような都合のいい状況になった原因は、ひとえに老執事の発言であった。

 曰わく、これから長旅をする上で護衛同士で摩擦が生じるのは宜しくない。馬車や寝所を共にしろとは言わないが、せめて食事くらいは一緒に摂るべきだ、とのことだった。


 この状況の原因たるセバスチャンは、勇者のハーレムパーティーのもう一人のメンバー、フィオナと朗らかに談笑している。

 もしかして若い女の子と話したいスケベ爺的な下心故の提案かと疑ったが、そんな雰囲気はない。

 老執事の視線は、孫娘に向けるような、慈悲深いものであった。そのためか、あそこの一画だけ縁側に座る爺さんと孫娘、みたいな平和な空気が漂っている。

 改めてみるとカオスだなこの食事風景。


 さて、提案された暗殺メイドも馬車の件で無理を言った手前、これ以上依頼者の提案を無碍には出来なかった。毒味の権利だけ貰い、渋々承諾せざるを得なかったのである。


 だがまあ、ここまで露骨に色仕掛けすれば、明日は断ってくるかもしれない。彼らはお忍びと言うわけではなく、コミュ障君が勇者で有ることを隠していない。今は冒険者という身分であるが、一応権力は保証されているのだ。外聞を無視すれば依頼人を強制することも可能だろう。


 しかし今夜だけのチャンスであっても構わない。ジワジワと仕掛けていくのが、あの勇者に対するハニートラップとしては正解だろう。だがそう悠長にかまえては居られない。護衛の期間は限られているのだ。

 必要な成果はコミュ障勇者の篭絡じゃない。強烈な印象付けだ。


 さて、そろそろ暗殺メイドのヘイトも溜まりきった所だ。仕上げに移ろう。


「はい、あーん」

「………あ、ーん」


 この 幻想ラブコメ空間をぶち壊す!


「アリー! 俺にも頂戴っす!」

「……はぁ?」


 アリーヤが勇者に向けていた顔を豹変させ、冷たい目でこちらを見下す。

 台本通りである。

 台本通りであるが、妙に嫌な予感がするのは何故だろうか?


「だって善太さんばっかずるいっすよ! メイさんは全然取り合ってくれないし!」

「自業自得でしょう? 私は勇者様のお相手をしていて忙しいのです。黙ってそこで食べてなさい」


 そこでアリーヤは俺から視線を切り、再びアーンを敢行しようとする。

 今度は勇者は口を開こうとはせず、こちらを見てオドオドとするだけであった。


 よしトドメだ。


「えいっ」

「え……?」


 コミュ障勇者に差し出されたアリーヤのスプーンを掴み、強引に俺の口へ持って行く。

 お肉おいちい。


「は?」

「アリー、おいしかったっす」

「……」


 アリーヤは無言で体を震わす。端から見れば、俺の無思慮な行動に怒っている様子だ。

 だが台本通りである。彼女の怒りも演技だ。

 演技だよな? やたら真に迫っているけど演技だよね?

 アリーヤ演技うまいね。


「何してくれるんですか! バカ!!」

「げふぉっ……!!」


 腹に良い蹴りを貰った。

 VITに差があるためダメージは入らないが、なんといっても吸血鬼の脚力である。

 俺の体重はレベルが上がれど変わらないので、蹴られた身体は勢いよく木の幹に叩きつけられた。


 台本通りであるが……ここまで強く蹴らなくても良くね? コミュ障勇者含めみんなドン引きしてますけど。

 ていうか多分本気で蹴ったよね?

 ライジングサン王国で出会った頃のタイキックを彷彿させる、良い蹴りでした。


「……あ……の」

「気にしないで下さい勇者様。アイツが馬鹿なだけですから」


 やけにスッキリした表情で言うアリーヤ。

 ああ、そういうこと。本当に怒ってたのね。

 暴力系ヒロインの素質あるぜ。

 こっちをチラッと見て小さく舌を見せたアリーヤにそう思いながら、俺は気絶した……振りをした。







 その後放っておくのもアレだと言うことで、暗殺メイドが俺を摘まみ、俺たちのテントに投げ捨てた。

 まるで汚物を扱っているような振る舞いだった。

 蛙が潰れたような声を出しながら地面に突っ伏した俺に一瞥もくれず、暗殺メイドはとっとと食事の場に戻っていく。


 よし 殺戮レベル上げの時間だ。今も黒狼達が獲物を見つけては殺し、獲物を見つけては殺しと勤勉に努力しているわけだが、夜間に置いては俺が本気出す方が効率良い。

 と言うわけで、影空間からナイフを取り出し、投げる。それを「遠隔操作」で操って、音もなくテントの入り口から外へ。

 夜間のステータスだと、あの銃を使うよりナイフを投げた方が攻撃力が高い。その上音も立たないため、銃をわざわざ使うメリットが無かった。

 ナイフ以上の火力が叩き出せる火器もあるのだが、あれは反動が強すぎて俺の体が浮くし、両側に銃口を向けた形にすると、一発で耐えきれず銃口の向きがズレ、二発目には反動を相殺しきれない上にぶっ壊れる。

 しかも発砲音と言うには大きすぎる爆発音が発生する。アリーヤの魔法であるエアホールは、付加をかけ過ぎると真空を維持できなくなるらしいので、安全マージンをとると使えない。


 ということで結局は投げナイフなのだ。

 投げナイフはいいなぁ。なんか落ち着く。


 さて、ナイフを操作してモンスターを殺しつつ、今日の似非ハニートラップ作戦の結果を考察する。


 あのメイドの様子から見て、作戦は概ね成功したと言えるだろう。

 この作戦のターゲットは、コミュ障勇者ではなく暗殺メイドの方である。

 あのアリーヤの露骨すぎる勇者への接近は、ハニートラップしてますよと周りに言わんばかりの振る舞いだった。と言うかそうなるようにアリーヤに指示している。

 当然暗殺メイドも、アリーヤが勇者に対して何か企んでいることは丸わかりだ。当然暗殺メイドの警戒はアリーヤに向く。もし暗殺メイドがコミュ障勇者に懸想でもしていようものなら、ついでに嫉妬も追加されるだろう。

 そして夕食の折、散々暗殺メイドの介入を阻害した俺は、アリーヤとグルであると判断される。俺がアリーこと「黒薔薇」の取り巻きである事は知られている。アリーヤの方が立場が上だと見られれば、彼女の指示で俺が暗殺メイドを邪魔しているように考えられるだろう。

 だがそこで、共謀者であるはずの俺が、アリーヤの邪魔をした。本来アリーヤにとって何の益にもならない展開である。実際アリーヤは俺を罵倒し、場は変な空気に包まれた。


 暗殺メイドはこう思うだろう。

 あぁ、ただの馬鹿かこいつ、と。ただのスケベかこいつ、と。

 アリーヤの思惑とは独立して、あるいはその指示も聞かず、勝手に欲望のまま振る舞う愚者。

 警戒すべきはアリーヤである、と。


 勿論だからといって俺を無警戒に放置はすまい。アリーヤに警戒の比重を上げるだけだ。

 だが俺のことは眼中にない。むしろ不快な印象を与えまくった為、無意識に目を逸らそうとする。さっき俺のことを一瞥もしなかったように。


 そして寧ろこういう状態の方が、物事ってのは見落としやすい。

 手品の簡単なトリックを、周囲の何十人という観客が見破れないのと同じだ。

 いくらトリックを見破ろうと気をつけても、どこかに注意の比重が傾いただけで、簡単に トリック本質を見落とす。

 この視線誘導の技術は、もっと抽象的な──今この時のような──場面でも活躍する。視覚であろうが思考であろうが、人が物事に注意を向ける時のシステムは同じなのだから。


 これが似非ハニートラップ作戦。 ハニートラップ色仕掛けの形をしつつ、その本質は別物である。


 後は俺とコミュ障勇者が2人きりになれる都合のいいイベントを起こすだけだ。

 別に運任せで待つわけではない。というか今回の事態も作戦立案即日実行の機会が偶発的に発生しただけで、本来は俺から機会を作るように行動するつもりだった。

 その点に関しちゃ老執事グッジョブであるが、次回も与えられる機会を願うつもりはない。

 幸いにして、ここから先で越える山脈は火山帯だ。目当ての物が見つかる可能性は高い。見つからなくても最悪作ればいいのだ。


 では取り敢えず、全員が寝静まった今日の深夜から始めることとしよう。










 マッカード帝国帝都。

 人間の国の中で最大の国力を誇る帝国の、その心臓部たる帝都は、当然の事ながら最大規模の都市である。

 また科学技術こそ中世レベルであれ、この世界では魔動具という独自の技術が発達しており、地球の東京やニューヨーク程では無いにせよ、帝都は大いに栄えていると言えよう。

 マッカード帝国の大動脈とも言われるニアム街道の終点は帝都であり、そのまま城へと続く帝都のメインストリートにもなっている。その多くの人と店で賑わい、国民性である独特の優美さを全面に押し出した堅実で華やかなニアム街道で、一人の青年が二人の少女に引っ張られるようにして歩いていた。


「ご、ごめんね? 龍斗。ちょっとはしゃぎすぎちゃったかも」

「……ん」

「あー……いや、大丈夫。確かに疲れたけど、同じくらい楽しかったし」


 その三人とは、龍斗、珠希、葵の元ライジングサン王国勇者達であった。

 一ヶ月前に龍斗と啓斗の間で行われた模擬戦(という名の決闘)で決定された約束、すなわち、この三人でのデートを、つい先程行った後である。

 珠希と葵が入念に計画したデートコースは、確かに龍斗を楽しませるに十分な代物であった。

 だが最後のニアム街道での買い物が問題だったのだ。女子の買い物に男子が付き合うというのは、男子に多少なりとも苦痛をもたらすと相場が決まっている。それを理解していた珠希と葵は、なるべく我慢するつもりであった。

 だがこう羽を伸ばせる機会というのは少なく、少々興奮しすぎてしまったのである。それでも日本で言うところの平均時間以下には抑えられていたのだが、龍斗が付き合うのは二人分であった。

 結果的に、啓斗が考えていたところの、龍斗の体を休ませるという目的は果たされなかったのである。


「珠希はまあ分かるけど、葵もこういう女子らしい一面があるんだな」

「む。失礼」

「あ、そうじゃなくて……いや、同じ事か? あんまり欲とか無いのかな、というイメージがあって」

「地球にいた頃から、葵は結構趣味が可愛らしかったわよ? 部屋なんかすっごく……」

「……」

「うべっ! ……ちょ、ちょっと葵! 結界目の前に張らないでよ! 謝るから!」


 可愛らしいじゃれ合いを始めた横で、龍斗はため息をつく。


(実はこいつらの事も、俺は良く知らなかったのかもしれない。視野狭窄、か……)


「どうしたの龍斗? そんな仕事終わりの中年男みたいに黄昏て」


 気が付けば、じゃれ合いを止めた珠希と葵が、二人して心配そうに龍斗の顔をのぞき込んでいた。


「……いや、何でもない」


 微笑みを作った龍斗に、珠希と葵は疑問符を浮かべながら、また歩き始める。


 やがて彼ら彼女ら三人は、マッカード帝国の城門に帰り着いた。


「おかえりなさい。楽しめましたか?」

「あ、空さん。色々ありがとうございました。おかげで楽しい一日を過ごせました」

「ん」


 出迎えに来た空に、珠希と葵は礼を返す。

 心持ち表情が明るくなった様子の2人に、空は嘆息した。


「そうでないと困ります。何せ計画に一ヶ月も掛かったのですから」

「あ、あはは……」


 空の苦言に、珠希は苦笑いして返すほか無かった。

 デートの約束を果たすのが一ヶ月も遅れた理由は、偏に珠希と葵が計画段階で気合いを入れすぎてしまった為であった。

 それまで二人は帝都に関して殆ど知識がなかったため、空の情報だけでは飽きたらず、ちょっとした裏路地の情報に至るまで全てを調べ上げたのである。

 その後龍斗の好みに合わせて入念にプランを考えていたところ、既に一ヶ月が経過してしまっていたのだった。


「いや、金城さんの言う通り、龍斗の代わりに私達が情報を集めるってのを実践しようと思って……」

「度が過ぎます」

「う……すみません」

「ま、まぁ、それで俺も楽しめた訳ですし」


 龍斗がフォローに入ると、空はしょうがない、と言うように首を振ってから、龍斗に言う。


「龍斗さん、今日は疲れたでしょう? いつもの訓練は休んだら如何ですか?」


 龍斗はマッカード帝国に来てより、訓練を欠かしたことはない。だが、今日ばかりは休もうかと思い始めていた。


(何というか、精神的な疲労って言っても、鍛錬の辛さとはまた別なんだな)


「このまま訓練しても集中出来ないでしょうし、休ませていただきます」


 あっさり決めた龍斗に少し驚いたものの、空は微笑みを浮かべて頷き返した。


 そこで、一同解散の流れとなっていた会話に、突然声が掛けられた。


「ちょっとええか?」


 金城 啓斗である。普段の軽い調子はなりを潜め、糸目を微かに開き、少しばかり緊張感のある声であった。

 空は事実上啓斗のパートナーである。彼の雰囲気がいつもと違うことにいち早く気づき、先程までの朗らかな微笑みを引っ込め、耳を傾けた。


 また、龍斗も彼が火急の用事を持ってきたことを悟る。それはパートナーである空の勘とは違う、論理的なプロセスであった。

 幾ら気を抜いていようと、この距離まで近づいた相手の気配に気づかないことはない。啓斗が斥候の技術を習得していない事を含めれば、尚更である。

 ならば、啓斗は彼の加護である『カウント』を使用して龍斗達を見つけたのだという結論に至る。

 啓斗は余程の事がなければ、加護を無闇に使ったりしない。この一ヶ月で、龍斗はそれを知っていた。


(だが、『カウント10』は一秒を十秒に引き延ばすだけだ。たった十秒で俺達を見つけられる物なのか? 或いは俺達の居場所を把握する何かがあるのか……いや、今は関係ない話だ)


 龍斗は途中から脱線していた思考を止め、啓斗に注意を向けた。

 また珠希と葵も、少なくとも啓斗がふざけた話を持ってきた訳ではないこと位は察したため、黙って続きを促す。


「魔族が現れたらしい。インデラ宰相がここの勇者全員に召集をかけた。すぐに来てくれ」







「集まっていただいたのは、他でもない魔族襲撃の件です」


 空の『空間魔法』で即座にインデラ宰相の下に瞬間移動した四人は、彼女から此度の事件の説明を受けていた。


「襲撃を受けたのは、帝国北部にあるボンド。ボンドの砦は既に落とされており、隣領の二つの砦が急襲を受けています」

「ボンド……」


 龍斗はボンドを脳内検索してみたが、一向に結果は現れない。


「ミスリルパールが採れるとこでしたっけ?」

「ん」

「その通りです珠希様」


 その龍斗をフォローするように、珠希が情報を提供する。それに葵とインデラが頷いた。


「つまり産業的にも軍事的にも重要拠点と言うことか」

「そう。だから帝国も監視のために軍を駐留させてるんやわ。……そこを落としたって事は、それなりの戦力や。けど……」

「マッカード帝国は魔族領に接していないんだよな? 他の国から情報が提供されていないのはおかしいって事か。或いは単体で現れたか……」


(まさか……)


 単体で砦を落としうる存在。龍斗は祈里を連想し、冷や汗を流す。

 考え込む2人に、インデラが情報を追加する。


「魔族は単体ですが、戦力自体は集団です。それも大半は魔物のスケルトンでした」


 その言葉を聞き、龍斗は内心ホッと息を付いた。彼は祈里が死体を喰鬼グールにして操る様子を見ていない。祈里があくまで単体戦力であると考えている龍斗は、事の発端が祈里でないと断定した。


「戦力の大半が同一の魔物か。そうなると、魔族が魔物を召喚した、って考えるのが妥当やな」

「私も同意見です」


 啓斗の結論に、インデラが同調する。


「この度勇者様方にお願いしたいのは、最終目標はボンドの奪還ですが、魔族が召喚士である以上、魔族のみを討伐することで今回の事件は収束すると思われます」


 インデラは目の前の机に地図を広げた。マッカード帝国が秘蔵する、国土地図である。勇者達がのぞき込む中、その北に位置する点を指差す。


「ここが既に占拠されているボンドの砦です。そしてこの二つの点が、現在襲撃を受けている砦になります」


 二つの砦を示す点を交互に差しながら、インデラは説明を続ける。


「まず最初の目標は、帝都で編成中の増援が届くまでの時間稼ぎです」

「増援が届いた後は、軍が魔物を抑えてる間に、俺達が魔族を討つって訳やな?」

「その通りです」

「なら二手に別れるべきか? それぞれの砦に俺たち勇者を送り、遅滞戦闘に徹すると」


 ボンド砦と隣接する二つの砦は、大きな盆地の中に位置している。

 召喚された同一魔物は命令に忠実だが知能は低い。故に数を生かせる野戦には大きな効果があるが、連携と臨機応変さが求められる山森の中では、ゲリラの格好の的となるばかりか、そこに生息する魔物の餌にすらされてしまう。

 故に魔物の隊が盆地の外にでるためには、街道を通っていくしか無いのだ。二つの砦で魔物を遅滞戦闘により食い止められれば、魔物の隊を盆地の中に封じ込められる。

 だが龍斗の質問に、インデラは首を振って答えた。


「いえ。勇者様方には、こちらのリリブ砦に向かってもらいます。もう片方のエッジバーグ砦は捨てますので、エッジバーグ砦から兵が撤退するまでの間、陽動をお願いします」

「エッジバーグ砦を捨てるのはなぜだ? その街道を通って魔物の隊が盆地の外に出れば、さらに被害は拡大するぞ」

「大丈夫や龍斗。エッジバーグ砦の街道は、行軍するには急すぎる。元々その道は、前回の魔王討伐後の騒ぎに乗じて、商国が無理矢理行軍した跡を利用したもんなんや。その時の商国軍も、地形の問題でほぼ全滅しとる」

「エッジバーグ砦から撤退させる兵の一部を街道の中途に残し、万一魔物がこの街道を行軍した際にも対処できるようにします」

「なるほど……分かった」


 龍斗が頷くのを見て、インデラは五人を見渡した。


「ここからは急を要します。すぐに出発の準備をお願いします」






 勇者五人が砦に向かうのには、空の転移魔法を用いる。転移魔法には目視転移と地点転移の二つのタイプがあり、地点転移には座標情報が必要である。座標情報とは、人間が使うところの緯度経度とは全く異なる、空間魔法特有の数字であり、空間魔法の加護を持つ空ですらその法則を理解できてはいない。そのため、予めその地点を訪れるなどして座標情報を手に入れなければならない。

 目視転移で同時に転移可能なのは自身を含めた三人、地点転移では三十人である。また目視か地点か、転移距離の程度に関わらず、人数に比例して必要な魔力量が増大する。人の代わりに荷物を運ぶこともでき、この場合人間一人は荷物100kg程度に相当する。

 今回は、空が単独で目視転移を用い砦まで急行。砦と道中の幾つかポイントの座標を把握した後、帝都に戻って他の勇者四人と合流。勇者五人、十人の人員、約1.5tの荷物と共に地点転移を開始する。この際中途のポイントで勇者以外人員と荷物を下ろし、勇者五人のみがリリブ砦に地点転移する。

 人員と荷物は、リリブ砦までの補給線を作るための最初の物資である。勿論これのみで長期的に機能する補給線は確保できないが、これにより比較的短時間で戦線を整える事ができる。

 明日以降も空は物資運搬に駆り出される事となるため、戦闘はそれ以外の勇者四人が担当することとなる。


 そしてその一人である金城 啓斗は、帝都にて自身の戦闘準備を行っていた。空が座標確認に向かっているところであり、それ以外の人間は待機するように言われている。

 聖剣の手入れ、魔動具である鎧のメンテナンスを行いつつ、彼は思索に耽る。


(現状は悪くない……)


 例え物資運搬を任されることとなる空を除いても、勇者としての加護はAランク一人、Bランク一人、戦闘に有効な規格外が二人である。元ライジングサン王国勇者の三人だけでも直接的な戦闘力は十分である上、啓斗ならば有る程度の不意打ち、奇策といった想定外の事態にも対応できる。戦闘面においての不安は殆どない。


(デートが利いたんか、龍斗の精神面には余裕がある。魔族になる、なんてアホなことも無さそうやな)


 また、葵と珠希に関しても、龍斗への異質な依存は解消されているように啓斗には見えた。龍斗が修行に打ち込む分、彼女らは情報収集に徹し、先刻の作戦説明でも、加われはしないでも、熱心に耳を傾けていた。


(龍斗の頭の回転の速さは良い誤算や。恐らく現場指揮を任せても、有る程度問題ないな)


 勇者という存在は、こと先代勇者の痕跡が強く残るマッカード帝国においては、士気向上の大きな理由となる。戦争に関する教育を受けた兵士を副官か参謀に置けば、兵とともに十二分の働きをするだろう。


(状況は悪くないはずや……でも何でや? 妙に嫌な予感がする。順調過ぎるからか? 魔族の目的が不明やから? 魔族に目的なんか……)


「啓斗」


 思考を遮るように声が掛かった。龍斗のものである


「あんたのパートナーが帰ってきたらしい。整い次第出発だとさ」

「分かった」


 なんにせよ、今やることは変わらない。啓斗はそう自分を納得させて、演習場へと向かうのだった。




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