プレゼントとside story


 恋愛の根源を探れば、肉体的には性欲にあたるだろう。生物が子孫を残す存在である以上、性欲は切っても切れぬ欲求であり、三大欲求の一つとしても数えられる。

 精神的には、人が他者との繋がりを求める事にあるだろう。人はコミュニケーション能力をもって、自身のアイデンティティを確固たる物とするために、自我の孤絶性を拒絶する。

 かくして、恋愛とは正しく人を狂わせる衝動であり、意識すればするほど蟻地獄がごとく、薬の依存性がごとく、雁字搦めにしてその身を捉えるのである。


 この話は、教会の魔物暴走騒動を祈里が起こした後、ファナティークが旅立つ前の一幕である。






 アリーヤの一日は、隣の部屋から聞こえる物音に起こされる事から始まる。


 祈里がそのスキルの影響でほぼ完全に夜行性の生活をしている中、アリーヤは一般的な人間とほとんど変わらぬ生活リズムを築いていた。


 隣の部屋の物音は、祈里が外から帰ってきた音であろうと推測できる。彼は魔物狩りなどは殆ど夜に行っている。

 昼間のステータス低下が軽減された事は確かだが、夜間には寝れない性質である以上、昼間に行動していてはすぐに睡眠不足となることは変わらない。


 外を見れば、漸く日が昇った所である。

 町民などに較べれば早い方ではあるが、アリーヤは睡眠時間はしっかりと確保していた。

 アリーヤは寝るのが早い。早寝早起きの規則正しい習慣、と言えば聞こえは良いが、祈里が出かけ際に《性技》のスキル上げを行ってくるので、早々に意識を失ってしまうというのが本当の所であった。

 最近は特にすごく、昨日なんかは……と思い返し、アリーヤは顔に血が上るのが分かる。

 この羞恥は中々慣れないものであった。


 パパッとベッドを整え、井戸へ向かう。

 桶をとり水をくみ、部屋まで持ち帰ると、その水で濡らした布で軽く体を拭き、顔を洗う。

 手持ちの櫛で髪をすき、さっさと着替えて隣の部屋へ向かった。


 念のための報告である。毎朝出掛ける前に、報告するようにとアリーヤは祈里に言われていた。

 少し強めにノックするが、返事はない。

 もう寝てしまったのだろうか、とアリーヤは考える。


 取り出したるは合い鍵。少し前に、宿屋の女将に借りた物である。祈里もこの合い鍵の存在には気づいているだろうが、彼は何も言ってこなかった。気にしていないのであろうか。

 音を立てぬように鍵を回し、祈里の部屋に侵入する。

 アリーヤの存在は《探知》で気づかれて居るであろうが、祈里はリアクションを起こさない。

 彼女を信用しているのか、はたまた侮っているのか。


 アリーヤは腰に下げていた鞘から、一振りの短剣を取り出した。

 かつて祈里から貰った(強請った)、銀が含まれたミスリルの短剣である。

 いつでも大丈夫なように、常に刃先は研がれ、万全な状態をキープしている。


 アリーヤは祈里が寝ているベッドに近づくと、その無防備な胸へ、両手で握りしめた短剣に体重をのせ、突き立てた。



「……やはりダメですか」


 心臓を貫かんとしていた短剣は、祈里の皮膚にすら届かず、その軌道の途中で不自然に止まっていた。

 障壁などが有るわけではない。アリーヤがそこで止めてしまったのだ。


 下僕。

 アリーヤの身が置かれている現状はそれである。

 人間が人間を下僕として扱うものとは違う、吸血鬼の種族としての下僕である。その制約は本能的なレベルまで達していた。


 殺傷、或いは過度な暴行の禁止。命令への絶対遵守。

 アリーヤは、主人である祈里を殺すことも傷つけることも出来ず、命令として下された文言には従わなければならない。

 とても、自由の身とは言えぬ状態だ。


 下僕からの解放条件は、「主人よりも強くなること」であると、以前アリーヤは祈里に伝えていた。


 だがこれは、厳密に言えば違う。


 主人よりも強くなることで解放されるのは、「殺傷の禁止」のみである。命令遵守からは解放されないのである。

 言わば、命令を受けていない状態で寝首をかけるというだけのことなのだ。


(そして命令遵守からの解放条件は……「主人を殺すこと」)


 これを知ったとき、アリーヤは内心呆れた。

 主人が死ねば下僕から解放されるのは、当たり前の話だ。

 そして、それ以外に解放される方法はない。


(主人よりも高い戦闘能力……多分これはステータスのことでしょうけど、それを手に入れたとしても、命令されていない隙をついて、不意打ちの一撃で仕留めなければならない……)


 当然の話だ。「永続的に俺を殺すな」と命令されれば、下僕からの解放は絶望的なのだから。

 下僕から解放されるためには、この事を主人に伝えず、強くなって暗殺するしかない。

 非常に難易度の高い話である。


 だが、それでもやり遂げて見せると、当初のアリーヤは決意を胸に秘めていた。


(でも、今はそれが鈍っている……)


 ステータスで上回り、殺せる機会が出来たとして、その瞬間躊躇いもなく祈里を殺せるかと問われれば、アリーヤは否と答えざるを得ない。

 だが下僕のままで良いのかと問われれば、アリーヤはまた否と答えるだろう。

 祈里への好意を自覚して以降、アリーヤはこの板挟みに頭を悩ませていた。


(いやいやいや、そもそもステータスで上回る事がすでに絶望的ですし、もしも上回ったら、その時に考えましょう)


 そしてその問題を先送りにするのも、いつものことであった。


 アリーヤは一つため息をついて、この憎々しい主人が眠るベッドの脇に腰をかける。


 アリーヤから見て、祈里は不思議な人物であった。

 一見ふざけているように見えて、その性質は陽気とはほど遠く。

 卑しい視線を寄越しつつも、決して押し倒すことはなく。

 味方を作らず、敵を作り倒すことに執着し。

 一切の躊躇なく人を殺め、なんの気もなく人を騙す。


 人としては非常に畜生であると思った。

 実際、アリーヤ自身騙されて事もある。

 人を殺すとき、邪魔な草を毟るように命を摘み取る。そこに罪悪感はなく、むしろ楽しんでいるようにさえ見える。それも人殺しが好きという感じではなく、草むしりを楽しむ子供のようであった。

 過去酷い目を見て、人格が拗れてしまう話はよく聞く。

 アリーヤも当初はそうだと考えていたが、祈里の下僕となり、その記憶を一部共有して考えを改めた。

 祈里は至って平凡な人生をおくっていた。平凡でなかったのは、彼の内心のみであった。

 過去に何か悲劇でもあれば同情の余地はあれど、無ければ只の畜生である。祈里は生まれたときから異常であった。

 少なくとも、アリーヤには好ましい人間とは思えなかった。


 アリーヤの知る限り、祈里は最も自由な人間であった。

 障害は踏み砕き、拘束は引きちぎり、他者を踏み潰して我道を突き進む。

 その背中が、アリーヤには妙に眩しく見えた。


(だからでしょうかね)


 再びアリーヤはため息をつく。

 この思考は只彼女を追い詰めるだけであった。


 ふとアリーヤは、魔王イグノアの言葉を思い出した。

 彼が会話を終える最後に告げたものである。

 曰わく、祈里を支えてやれ、と。あいつはどこまで言っても一人だから、と。


(……支える?)


 そのときは呆然と聞き流していた言葉だが、冷静になった今、アリーヤはもう一度考えてみる。


(イノリを支えるって……支える事なんてあるんですかね?)


 素朴な疑問だった。

 彼がアリーヤを必要とすることはない。彼は全ての物事を力業で、一人で解決しようとするのだから。

 アリーヤを頼る、いや、使う時は、あくまでそれが最も効率的だからだ。必要としているわけではない。

 そして使われることは、支えることではない。


「何やってんのよ、こんな所で」

「あ、シルフさん」


 アリーヤがベッドに座って唸っていると、黒風の精霊シルフが宙を舞いながら聞いてきた。

 何でもないです、と言いそうになったが、ふと思いつく。彼女の振る舞いは経験豊富な女性のそれである。

 何かしら相談できないか、とアリーヤは考えた。


「えーっと、ですね」


 アリーヤはシルフに、魔王イグノアに言われた話と共に、何か支えることは出来ないかと聞いてみた。

 その様子はまさに恋に悩む乙女のそれであり、先刻その想い人にナイフを突き立てようとした者と同一人物とは思えない。

 アリーヤは着実に、祈里に毒されていた。


 アリーヤから一通り話を聞いたシルフは、幾ばくか悩んだ後に、こう言った。


「無いわね」

「……」


 無慈悲であった。


「ちょっと、そんな表情しないでよ。これでもちゃんと考えたのよ?」

「はぁ、スミマセン」

「……」


 棒読みのアリーヤ。シルフは脱力する。


「だってねぇ、精霊の私から見れば、こいつは化け物すら超えた何かよ。あなただって下僕とはいえ、元は只の人間だし。私達如きにどうこうできる代物じゃないわよ」

「まぁ、そうですよね」


 またひとつため息をつくアリーヤ。

 シルフは、彼女の右手に持たれたナイフの存在に気づいた。


「ねぇ、その右手にあるのは何?」

「え? ナイフですよ?」

「見ればわかるわよそれは。そうじゃなくて、なんで持ってるの、ってこと」

「あぁ、それですか」


 アリーヤは後ろで寝ている祈里を慈しみの目で見て、言う。


「イノリを殺そうと思って」

「…………」


 なんとも言えぬ表情となるシルフ。アリーヤは彼女の様子に気づかずに、上機嫌に話を続ける。


「これ、イノリに買ってもらったんです」


 恋人からのプレゼントを眺めるかのように、ナイフを見つめる。


「……前言撤回、あんたも大概よ」

「え」


 自身が一般的な人間に比べ、異常な部分を持ち合わせていることは自覚しているアリーヤだが、まさか精霊に引かれる程だとは思っておらず、暫し呆然とする。

 シルフはふと思いついたように言った。


「さっきの話だけど、プレゼントなんかどうかしら?」

「プレゼント、ですか?」


 首を傾げるアリーヤ。

 シルフは彼女の手に握られているナイフを見て言う。


「それ、イノリに買ってもらった物なんでしょう? だったらお返しに、何かプレゼントしても良いんじゃない?」

「なるほど……」


 実にまっとうな行動であるし、自分の求めている物にも適っているようにアリーヤには思えた。


「プレゼント、そうですね。そうしましょう!」


 意気込むアリーヤ。

 だがシルフは難しそうな表情をする。


「言った本人が言うのもあれだけど、問題は結局、祈里に何のプレゼントをあげればいいかってことよね」

「……」


 プレゼントとなれば、当然相手が欲しがっているものを渡すのが定石となる。

 だが、やはり色々と逸脱している祈里の欲しがっている物など、皆目見当つくものではない。


(イノリが欲しがっている物……イノリが……)


「……敵、ですかね?」

「なんか物騒なこと言い出したわこの子」


 アリーヤの発言にまたちょっと引くシルフ。

 敵をあげるなど、プレゼントとしては到底相応しく無い。「君に敵をプレゼントしてあげるよ!」などと言った暁には、言った本人まで適認定されること安請け合いだ。


「欲しいものが分からないなら、あなたから見て彼に必要な物をあげると良いと思うわ」

「必要……そうですね」


 何か心当たりでもあるのか、アリーヤは一つ頷くと、


「じゃあ、早速買いに行ってきます」


 と部屋を出て行った。


「ていうか、なんで当人の部屋でプレゼントの相談してんのよ」


 シルフは寝ているか起きているか分からない祈里を一瞥して、またどこかへ消えていった。 







 翌日、夜の魔物狩りやら噂の裏工作やらを終え日の出とともに宿屋に帰ってきたところで、祈里はアリーヤに呼び止められた。


「プレゼント……?」

「はい」


 祈里は包装された何かを受け取り、アリーヤに問う。


「なぜに突然」

「ミスリルナイフのお返しです」


 アリーヤの返事に、祈里は苦い顔をした。

 ミスリルナイフ、あれをプレゼントと取って良いものなのか。

 どちらかというと、かつあげされたような物だった。


「敵とかプレゼントしてくれると有り難いのだが」

「すみません。流石にそれは無理でした」


 端から二人を見ていたシルフは、この主人にこの下僕ありか、と戦慄していた。


 望んだものではなくとも、貰える物は貰っておこうと言うのが祈里の精神である。

 店でくるんでもらったと見られる質素な包装紙を剥ぎ取る。


「枕……だと」

「ええ。日頃寝不足で苦しんで居たので」


 照れ臭そうに頬をかくアリーヤ。

 祈里は手の中にある枕を揉んでみる。


「なんという感触……!」

「すごいでしょう? どうも最近開発された、『人を駄目にする枕』という物らしくて。噂になっていたんです」


 明らかに異世界出身の勇者が関わっていそうな商品名であったが、今の祈里にはそんな事はどうでも良かった。

 もともと眠気に誘われていた祈里は、すぐにその枕を宿の固いベッドに置き、身を任せる。


 すぐに聞こえる寝息。


「え……もう寝ちゃったんですか?」

「あら、相当寝心地良いのね、あれ」


 唖然とするアリーヤと、興味深そうに祈里の頭が乗っている枕を見つめるシルフ。


「喜んでくれたみたいで良かったじゃないの」

「まあ、それはそうですけど……」


 笑いかけるシルフに、アリーヤは少し不満そうな表情を浮かべた。


「別に、お礼が欲しくてあげたんじゃないんですけど……でもやっぱり『ありがとう』くらい言ってくれても……」

「……乙女心は大変ね」


 シルフは微笑みながら、小さく呟くのであった。


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