子爵級の第八話


『……目が覚めた? 久し振りね ンゴフッ!?』


 目を開けると女神様の顔があったので、とりあえず腹に一発。

 鳩尾にいいのを食らい、腹を押さえてうずくまっている女神様を見て一言。


「残念、俺は男女平等主義者なんだ」

『な、なん……で、なに? 私あなたに何かした?』

「伊達ジャスティスを俺にけしかけただろ」


 忘れたとは言わせんぞ。

 しばらく思い出そうと唸っていた女神は、数秒後にようやく思い出したようである。


『あ、もしかしてあれのこと? 根に持ってたの?』

「たりめーだ。俺は初志貫徹なんだよ」


 辺りを見渡すと、見覚えのある白い空間だ。

 どこまでも清涼な空気が広がっている。


「で、ここに呼んだって事は何か用があるのか?」

『あなたに伝えたい用があるんじゃなくて、用事を果たすためにあなたを呼ぶ必要があったのよ』


 と言いながら、女神様は何かしらの作業を手元で始めた。


「用事? 男爵級から子爵級になったことか?」 

『そ。あくまであなたが吸血鬼になった世界のルールだし、他のスキルとかを底上げしないといけないから、自動でお任せって訳には行かないのよ』


 話を聞くに、もともと魔族の爵位とやらを上げるには幾つかルールがあるらしい。曰わく、一つ上の爵位の魔族を数人倒すか、二つ上の爵位を一人倒すか、という感じだ。

 その他にもあらゆるルールがあるようだが、そもそも爵位なんてルールは俺が今いる世界には無いわけで、女神様がレベルに応じて上がるように調整してくれたらしい。

 ただ、爵位が上がると全ての能力が上がるのだが、流石に他の七つのチートも全て上げるとなると調整が効かないとか。

 それで、魂だけ直接この場所に喚んで、女神様直々に調整してくれるらしい。


「なんというか、そこまでしてもらって良いのか?」

『私が始めたことだしね』

「女神って暇なのか」

『暇じゃないわよ』


 と頬を膨らませて怒る女神。相変わらず可愛いです。つつきたい。


「出来れば希望を聞いてほしいのだが」

『残念だけど、どうスキルが進化するのかは私も分からないの。だけど、希望があればおまけとして、ちょっとしたスキルを上げることは出来るわ』


 それは素晴らしい。


「ちょっとしたってのは、どの程度なんだ?」

『例えば、ステータス表記のフォントが変わるとかかしら』


 思いの外ちょっとしてた。


「……もう少し役に立つものが欲しいんだが」

『しょうがないじゃない。召喚のシステムじゃなくて、私個人の権限を使った加護なんだもの』


 どうも神様の世界にも色々あるらしい。

 そうだな……じゃあこうしよう。


「なら、アナウンスとかログが欲しいな」

『それって?』

「俺がこの空間に喚ばれる時にアナウンスがあったんだ。あれをスキルアップとかレベルアップ、スキル獲得の時とかにも教えてくれるようにして欲しい。出来ればオンオフを切り替えられるように」

『あー、あなたの世界のゲームみたいな感じかしら。分かったわ』


 女神様はまたちょちょいと作業する。そのすぐ後に、俺の体が薄く光った。


『はい、これで《アナウンス》のスキルを獲得したはずよ』

「おお」


 何故か今はステータスを開けないので、後で確認しようか。


『調整作業もだいたい終わっちゃったんだけど、結構時間に余裕を持たせて喚んだから、半端に時間が余っちゃったわね』


 どうする? 雑談でもする? と女神様が聞いてくる。


「なら、少し聞きたいことがあるのだが」

『何?』

「俺が今いる世界の、神とやらについてだ」


 と言うと、女神様はあからさまに苦い顔をした。


『ああ、それねぇ。神界でも結構問題になっててね。まあ詳しく話すわけにはいかないんだけど』

「例えば、神は下界に過干渉してはいけない、なんてルールはあるのか?」

『一応あるわ』

「その場合、あの世界の神とやらは?」

『多分やりすぎよねぇ』

「多分?」


 俺が聞くと、女神様は一瞬答えに迷ってから、言う。


『あんまり聞かせちゃいけない話なんだけど、あの世界って他の世界との関わりを悉く拒んでるのよ。他の世界への過干渉も厳禁だから、こっちもあの世界をちゃんと把握できてないのよねぇ』


 それ本当に喋ってはいけないのではないか。そう思い問うと、まああなたなら大丈夫でしょ、というよく分からん答えが返ってきた。

 それからいくつか質問しているうちに、俺の意識が遠くなっていく。


『あ、そろそろ時間ね。頑張ってらっしゃい』

「うぃーっす」


 適当に返事して、俺はあっちに戻ることになった。





『最後までお礼無かったし……。彼らしいけど、ちょっと寂しいわね』






 音もなく、何かが降ってくる。

 その速度は速すぎて、強化されたアリーヤの動体視力でも捉えることは出来ない。

 ただ、今行われているこれが、祈里の攻撃であり、岩集めの結果であることは瞬時に分かった。


 着弾とともに、周囲に衝撃波が撒き散らされる。それも連続的に。

 アリーヤは本能的に危機を感じ取り、すぐさま防御魔法を構築した。フェンリルや黒狼達も、影空間に入ってやり過ごす。

 祈里に距離をとれと言われて、彼らは十分な距離を取ったはずであった。しかしそれでも、アリーヤの防御魔法は幾つか破壊されたのである。ただただ圧倒的な破壊力を物語っていた。

 それまで所狭しとひしめき合っていた虫達が、踏みつぶされる蟻のように四肢をもがれ、殻を砕かれ、体液が飛び散り微塵となる。

 音がやみ、ようやく防御魔法を解除したアリーヤの前には、おぞましい光景が広がっていた。平原に生えていた草は見る影もなく、地面はひっくり返っている。虫の残骸は原形をとどめておらず、どれがどの個体の物であるかの判別もつかない。

 惨状だ。まさにそれが広がっていた。

 アリーヤは今になって、自分が腰を抜かして地面にへたり込んでいるのを認識した。膝が震えて、今も立ち上がれそうにない。


『これがぁぁ……主の力かぁぁ……』


 いつの間にか地上にでていたフェンリルが、毛を逆立てて構えている。もうそこに敵など居ないのに。

 だが腰抜かしていない分、アリーヤよりかはマシである。


 アリーヤは音や威力にビビって腰を抜かしたのではない。それも多少の要因ではあるが、主な原因は違った。

 背後の祈里を庇い、斬られて倒れる。騎士を全滅させた祈里が、アリーヤの血を吸った。それから目が覚めると、いつの間にか自分の家とも言える城は燃えさかっており、クーデターの黒幕や人類最強も死んでいた。

 王城が、騎士達がたった一人に全滅され、破壊された事は知っていた。そして祈里がそれを実行したのだという事実も当人から聞いた。

 理屈では納得できていても、アリーヤは心では納得できていなかったのだろう。その理由は、普段の祈里の姿からは想像もつかないことと、それを実行するだけの実力を目の当たりにしていなかったことだ。

 これまではライジングサン王国の一連の事件と、祈里をうまく結びつけられなかったのだ。だからこそ、あなたを越えるなどという下克上じみた発言が出来た。その力を、アリーヤは実感できていなかったのだから。


 だが、今の光景は、アリーヤの祈里に対するイメージを一変させた。祈里はそれだけの力を持っていた。

 時期が違う、この攻撃法を当時はもっていなかった、相手が人間じゃなく魔物だ、などと反論を並べでも変わらない。この男はそれが出来る存在なのだと、強制的に本能で理解させられた。


 アリーヤは初めて祈里に大きな恐怖を覚えた。

 膝が笑い、立てないのはそのせいである。


 アリーヤは、彼を越える事の難しさ、そして重さを実感した。心が沈む。諦めるわけではないけれども、目の前の霧が晴れて、目的地までの膨大な道のりが見えたような感覚。


 アリーヤは、興奮していた。

 このような惨劇を目の当たりにしながら、祈里に対して憧れとも言える感情を持っている自分に、アリーヤは困惑した。


──そんなの、自分が一番よく分かってるじゃないの?


(……うるさい)


 アリーヤは幻聴を苦々しく唾棄した。


(私はあんなのとは違います)


 だがその心の呟きが、図星であるのを意味していることに、彼女は気づいていない。


 どこから湧いたのか、黒い霧が一帯を覆う。

 「黒風」は祈里の影空間に繋がっており、虫の死骸や岩の破片が呑み込まれるように収納されていく。

 霧が晴れた頃には、虫の体液の一滴すら残っておらず、ただ凄惨たるクレーターの数々が残るばかりであった。


『……む?』


 暫く呆然としていたアリーヤは、フェンリルが何か呟いた事で、意識を現実に戻した。


『これはぁぁ……』

「どうしました?」


 アリーヤがフェンリルに近づきながら疑問を投げかけると、フェンリルは苦い顔をしてアリーヤに言う。


『我が主との接続が切れたぁぁ』

「それは……」

『我が主にぃぃ、何かあったのやもしれぬぅぅ』


 先程までの内心の困惑はどこへやら、アリーヤはすぐに祈里の心配に思考を奪われる。

 死んでも死なぬ存在ではあるにしても、まさかの事態があるかもしれない。そう思っているのは彼女だけではなく、フェンリルも少々忙しなく体を揺すっている。

 早々に駆けつけたいところであるが、姿を消した祈里がどこへ行ったのか、フェンリルとアリーヤには見当がつかなかった。


 そこへ、くろい黒い服を着た妖精のような女が飛んでくる。


「アリーヤー」

「シルフですか? イノリがどこへ行ったか知りませんか?」

「あそこの崖の上よ。突然倒れちゃったの」


 それを聞くが早いか、フェンリルとアリーヤはシルフの後を追って、祈里が倒れているという崖の上に辿り着いた。


 シルフに聞いたとおり、確かに祈里が倒れており、その横には意識を失った状態でつるされている女の姿もあった。


「イノリ!? しっかりしてください! あ、脳震盪だったら揺らしたら駄目ですね……えっと、気道を確保でしたっけ? 回復体位ってどんなんでしたっけ……」


 ぶつぶつとつぶやきながら、アリーヤは慌てた様子で祈里から受け取った知識を引っ張り出し、応急手当てを始める。

 それを端から見ていたシルフは、落ち着きなさい、とアリーヤに言う。


「どこにも怪我はないし、至って健康だわ」

「じゃあなんで倒れたんですか!?」

「分からないわね……」


 シルフに唯一の懸念があるとすれば、祈里の体の中に魂の存在を感じることが出来ない点であった。


(でも体に問題はない……いや、健康状態で保持されているのかしら? 時間凍結のようにも……)


 だが健康状態が保持されている以上、今ここで祈里が死ぬという可能性は無かった。ここで魂がないなどと言えば、場が混乱するだけだとシルフは思考する。

 そもそも魂の問題なら、アリーヤやフェンリルにはどうすることも出来ないのだ。


「ど、どうすればいいんでしょうか……」

「健康ではあるから、時期に目を覚ますと思うわ。膝枕でもしてあげれば?」

「ひざっ!?」


 時期に目を覚ますと言われ、安堵の様子を見せたアリーヤだが、続くシルフの言葉に硬直する。


「あら、別に変なことでもないでしょう?」

「そ、そうですね……」


 落ち着きがない様子で、アリーヤは祈里の頭を膝に乗せる。


「……これはあくまで応急処置……回復体位のため……決して役得とかじゃ……」

「聞こえてるわよ」

「ひえっ!?」

『ならば我はぁぁ、周囲の警戒を行うぅぅ』


 フェンリルが配下の黒狼を連れて森へ消え、アリーヤは顔を赤くしながら祈里の頭を膝の上から下ろす気配がなかった。

 目の前にある祈里の寝顔は、いつもの印象とはうって違い穏やかで、元々童顔っぽかったためか愛らしかった。

 アリーヤは彼の髪をなでながら、ふと思う。


(そういえば、外に出てからはずっとイノリと一緒だったんですよね……)


 祈里は彼女にとって、理解しがたい人物であり、理不尽な存在で、越えなければならない壁であった。

 そして、自分が思っている以上に、彼女にとって大きな存在になっていたことに、今更ながら気づいた。


(ちょっと悔しいですけど、本当に私は、このひとに恋慕の情を抱いているのかもしれませんね……)


 アリーヤの様子を見ていたシルフ、はたと気づく。


「もしかして今って逃げるチャンスなんじゃ……」

「何考えているんですか!?」









 目が覚めると、シルフが「逃げ出すチャンスなんじゃ……」とかほざいている。


「逃げんなコラ」

「ヘぶっ」


 飛び去ろうとしていたシルフに一言。


「乳首弾きの刑だ」

「え、ちょっと待ってそれだけはぃいやぁぁああ」


 ピピピピピッと。


 手の中のシルフを弄りながら、現在の状況を把握する。俺は寝かされており、後頭部に柔らかい感触がある。

 見上げれば、至近距離にアリーヤの顔があった。


「……これは、別に、あくまで回復体位のためで……」


 頬を染めながらアリーヤは言う。

 ここで「膝枕は回復体位じゃない」と無粋なことを言うべきだろうか。

 まあいいか。暫く後頭部の感触を楽しむとしようか。


「このままで頼む」

「えっと、わかりました」

「……イノリ? 気を失っていた間は状態が保持されているから体に問題はないはんひゃあぁあぁぁあっ!」


 余計なことを口走りそうになったシルフに《性技》の力で制裁を下す。

 ひとまず落ち着いたところで、早速ログとやらを確認しようか。

 ステータスと同じく、念じれば現れるようだ。


(アナウンス・ログ)



《爵位の変更が完了しました。これに伴い、全てのスキルの能力を向上させます》

《《成長度向上》の効果が二倍になりました》

《《獲得経験値5倍》が《獲得経験値10倍》に向上しました》

《《必要経験値半減》が《必要経験値四半》に向上しました》

《《視の魔眼》の「千里眼」の範囲が拡大しました》

《《陣の魔眼》の必要MPが半減しました》

《《太陽神の嫌悪》のステータス低下が五分の一になりました》

《《吸血》の速度が向上しました》

《《男爵級権限》が《子爵級権限》に向上しました》

《《スキル強奪》の強奪可能スキルが確立で二つに増加しました》

《《闇魔法・真》の「支配」速度が増加しました》

《《武器錬成》に「原子錬成」の効果が付加しました》

《《探知》の範囲が拡大しました》

《《レベルアップ》の効率が二倍になりました》

《《スキル習得》の効率が二倍になりました》

《《王の器》の配下のステータスが上昇しました》

《《武術・極》に経験蓄積、自己進化の能力が付加しました》

《《剣術》のレベルが向上しました》

《《隠密術》のレベルが向上しました》

《《投擲術》のレベルが向上しました》

《《短剣術》のレベルが向上しました》




 ……うん。そっからはもういいや。

 一般スキルのレベルが向上しましたってのが続いているだけだし。

 とりあえず既にツッコミ所満載なのだが、ステータスを鑑定しながらゆっくりやることにしよう。

 ということでステータスを開こう──


「──なっ!?」


 ──《探知》に突然、強大な反応が現れた。

 探知できる範囲ギリギリに現れたんじゃない。すぐそこの茂み、非常に近距離に突然だ。

 まるでテレポートでもしたかのように。

 寝ている場合ではない。すぐさま飛び起き、臨戦態勢をとる。


「ッ!?」


 それを見て、アリーヤもすぐに立ち上がる。さすが頭の回転が早いだけはある。

 ちなみにシルフは未だに、俺の手の中でぐったりしている。

 邪魔だ。

 その辺に放り投げておく。


「むきゃっ!?」


 悲鳴を上げているが、無視だ無視。

 反応がある茂みの周辺を睨みながら、俺は誰何した。


「そこに居んのは誰だ」

「ん? 俺」


 すぐに強大な気配が、人並みの反応に落ち着く。

 そして間の抜けた、聞き覚えのある声が聞こえた。

 ……なんだ、おっさんかよ。


「うっす。楽しそうなことしてるじゃねえか」

「突然現れるな。驚くだろうが」


 茂みから軽い調子で現れたのは、エルフの耳、魔族の角、獣耳にドワーフの髭、竜人のウロコを持つ、現魔王ことイグノア。つまりおっさんだった。

 なるほど。確かにおっさんなら俺が何かしてることくらい分かるだろうし、テレポートだって可能だろう。


「えっと……知り合いですか?」


 アリーヤがおずおずと聞いてくる。


「あー、言ってなかったか」


 そう言えばシルフの夜這い(?)やらスタンピードやら色々あって、言うのを忘れていた気がする。


「自己紹介宜しく」

「先々代魔王で、現魔王のイグノアです宜しく」

「えー……っと? アリーヤです、宜しくお願いします?」


 ああ、この娘分かってない。


「そんな自己紹介じゃ分からんだろうが」

「だがこれ以外に説明しようがないというか」

「魔王って、あの魔王ですか?」

「あー、アリーヤ。後で説明する」


 いまだに頭上に疑問符を浮かべているアリーヤを置いて、おっさんに聞く。


「で、何の用だ」

「いや、音が聞こえてきてな。何かと思えばお前が面白そうなことしてるからよ」

「つまり野次馬って事か」

「そんな所。まあ他にも理由はあるがな」


 と言いながら、おっさんは崖の下を指差した。


「あの惨状、どうするつもりなんだ?」

「む?」


 おっさんの指の先に視線をやると、幾多のクレーターが重なり合って、地面がめくれあがった平原……というか荒野が広がっていた。


「街にも音が聞こえてたからな。ここに人が来るのは時間の問題だぜ? まあ大半が雷だと思ってたから、あまり大騒ぎにはなってないが」


 街からかなり離れていても、先ほどの轟音は聞こえていたようだ。まあ元々どれほど威力が出るかわからない攻撃だったので、これほどの効果が出るのは想定外なのだ。

 よってこっから先はノープランである。


「だがこんな所まで深夜に調査にくるか? 冒険者ギルドに調査依頼が出るのが明日、その日の内にチームを組んでも、ここに調査隊が来るのは明後日ってとこだろう」

「冒険者ギルドはそうだな。だが、教会は別だ。奴らは早々にチームを組んで、今にも出発しそうな勢いだったぜ」

「へー、教会が」

「まるで今夜何かが起こるってことを知ってるみたいにな」

「ほー」


 教会な。ますます、きな臭い。


「だがそれは確かに問題だ」

「証拠はなるべく消しておきたいだろう?」

「あぁ」

「そこで俺の出番だ。俺なら魔法でパパッと直せる」


 まあ確かにおっさんなら可能だろう。俺も落とし穴を作る事にすれば《武器錬成》で表面上は直せるかもしれないが、結果大量の落とし穴がこの平原に生まれることになる。ここで何かがあったと、ますます怪しまれることだろう。


「頼めるか?」

「問題無い。大した労力じゃないからな」

「じゃ宜しく」

「あいよ。お前さんは先に帰ってな」


 随分と気を使ってくれるものだ。

 まあここで俺が教会に怪しまれて、行動が制限されるよりは、自由に動いて色々やらかしてくれる方が、こいつにとっても有益なんだろう。


「なんか、仲いいですね」

「ん? そうか?」


 今まで後ろに下がって黙っていたアリーヤが、話の切れ目に聞いてくる。

 俺が曖昧な返事をすると、おっさんが逆にアリーヤに聞いた。


「俺からすればあんたもやたら祈里と仲がいいように思えるが? まさか恋人か?」

「こい……!?」

「んにゃ違う」


 アリーヤが硬直したので、代わりに答えてやる。ジト目を向けてくるが、実際違うでしょう?


「……一応、イノリの下僕です」

「下僕? こいつの? マジか」


 やたらおっさんは驚いている。どこに驚く要素があるのか。

 未だに地べたに放置していたシルフを回収し、ポケットに入れ、おっさんに手を振った。


「おっさん、俺は帰るぞ」

「あー、ちょい待ち。そこの嬢さん置いていってくれ」

「は?」


 おっさんがアリーヤを置いていけという。アリーヤを気に入ったのだろうか。

 ん? 正気か? 場合によっては敵対することになるぞ?


「おい待ておっさん。こいつは俺の物だ」

「待て待てにらむな。別にお前さんのお気に入りを取って食おうなんて思っちゃ居ねえよ。少しばかり聞きたいことがあるだけだ」


 なんでこいつはアリーヤに執着するのか。というか俺が居ちゃまずいんだろうか。

 そして当の本人であるアリーヤは、「俺の物」発言に赤くなってる。さっきから反応がうぶすぎるぞ。


「誓って何もしねえ。俺としてもお前と敵対するのは避けたいからな。それくらい分かるだろ」

「……まあ、そうだな。ちゃんと返してくれよ。ついでに詳細な自己紹介も宜しく」


 そう言い残し、未だに戸惑っているアリーヤを置いて、俺は街に戻ることにした。

 まあおっさんは嘘なんかつく意味ないだろうし、アリーヤが欲しいならいつでも奪える。別に大して問題はないだろう。

 シルフをポケットに入れたまま、転移する事は出来ない。よって走って帰らねばならないわけだ。

 門のところで起こして、透明になってもらおうか。

 面倒くさいものである。






 アリーヤはこの場を後にした、祈里の背中を見つめていた。

 「俺の物だ」などという刺激的な発言は、確かにアリーヤの心を乱した。

 だがその後の会話を聞くに連れて、アリーヤはある一つの疑問を払拭出来ずにいた。

 ──自分と祈里には、決定的な齟齬があるのではないか──

 薄い根拠しかない、勘のようなものだが、その疑問が心にこびりついて落とせない。

 そんな事実にアリーヤは目を背けたくなる。まともに直視すると、背筋に冷たい汗が流れる。何かが壊れてしまう気がした。


「すまんがちょいと待っててくれな」

「あ、はい」


 後ろからかかってきた声に、アリーヤはとっさに反応する。アリーヤは未だにこの男の正体が掴めていなかった。

 むさい中年男性の顔に、ドワーフ、エルフ、獣人などの特徴を盛り合わせたような、アンバランスな風貌。決して一目では強いと判断できず、むしろ気味悪さが先に立つ。

 だが、次の瞬間アリーヤの彼への評価は一変する。


「よっと」


 軽い調子のかけ声と共に、地響きがアリーヤの足元から伝わってくる。

 イグノアと名乗った男は片手を荒野に向けており、その先では有り得ない光景が広がっていた。

 次々とまくれあがった地面がクレーターを埋め、時間を巻き戻したように修復される。

 非常に広範囲に渡り、しかもこんな遠距離から完璧な制御をもって魔法を行使する。そんなことは人間では不可能。いや、魔王ですら出来るかは怪しい。


「まだ時間がかかるから、詳細な自己紹介をしようか」


 呆然としているアリーヤに背を向けたまま、イグノアは一昨日に祈里に話した内容を、大まかに繰り返した。

 アリーヤは修復される地面に気を取られているが、彼の説明は何故か理解することが出来た。


 先々代魔王イグノアは誰もが知る絶望の象徴である。それの生まれ変わりが目の前の男であるという話は、特にその教育を幼少から刷り込まれてきたアリーヤには信じ難い話であった。

 だが、眼下に広がる奇々怪々な現象は、イグノアの力をもってしないと説明が付かないようにも思えたのである。

 この高度な魔法制御と豊潤な魔力こそが、目の前の男がイグノアである事の裏付けであった。


 一通り説明が終わったとき、クレーターで穴だらけだった荒野は、元の草が生い茂る平原へと修復されていた。先程の惨劇が、胡蝶の夢であったようである。破壊する者が理不尽であるならば、修復する者もまた理不尽の塊であった。


「さて、アリーヤと言ったか。祈里の下僕という話は本当か?」


 唐突な質問にアリーヤは暫く答えられなかったが、数秒後にハッと取り直し、ええ、と答えた。


「下僕というのは?」

「奴隷のようなもの、でしょうか」

「経緯は?」


 どこまで話して良いものか、とアリーヤは考える。

 先ほどの祈里とイグノアの会話から判断するに、ある程度親しいが警戒は解けない関係、というのが分かる。

 なるべくスキルの性質や、スキルの存在は知らせないことと祈里には言われていた。最優先で守る情報をスキル、次に種族とし、アリーヤは答える。


「私の命を助ける代わりに、イノリの下僕になることを条件と出されたので、私が了承した形です」

「詳しい事は言えない、か。まあそれでいい」


 頷いたイグノアに、アリーヤは内心ホッと息をついた。先程の魔法を見るに、おそらく主人であるイノリでも適いはしない。主導権があちらにある以上、嘘はつかず最低限守りたい情報を隠す形で会話を続ければいい。


「しかし、あいつから引き込んだとは。やはり君はあいつにとってお気に入りらしい」

「お気に入り、ですか?」

「ああ。奴の性根なら、安易に他人と行動を共にする選択はしない。よほど気に入られたんだな」


 お気に入り、と言われても、アリーヤにはピンと来なかった。自身の体に目を向けられたり性器を弄られたことは数多いが、性交を求められたり優しくされたりしたことは殆ど記憶にはない。


「それで、何か私に用ですか?」

「いや、元々あいつの側にいる君が気になっただけだ。さっきの話を聞いて、より興味は強くなったな」


 そう言いながら、イグノアはドカッと腰を下ろし、あぐらをかく。手でアリーヤに座るようジェスチャーした。

 アリーヤは育ちの良さ故、少々地べたに直接腰を下ろすことに躊躇したが、最終的には多少足を崩して座り込んだ。


「あいつのお気に入りってのは、別に性的な欲の対象とか、そう言うものじゃない。普通の人間ならそういう存在だろうが、まずあいつを普通の人間と同じ尺度で測る事は間違っているからな」

「まあ、それはわかりますが」


 事実、祈里の人外じみた力をつい先程感じたばかりのアリーヤは、素直に頷く。

 だがイグノアは、少し違うと首を振った。


「能力とか強さの話じゃない。今どんな力を得ているのかは知らんが、結局あいつの最も恐ろしい所は、その魂、精神、思想だ」

「……」


 それも、アリーヤには心当たりがあった。冷徹でもなく、かといって感情的でもない。だが他人とは何かが違う。

 或いは「狂っている」と言い換えてもいい。確かに常軌を逸した何かがあるのは一目でわかる。


「過去に何かがあった訳じゃないんだろう。先天的な問題だ。サイコパスと言っても良い。まあ一般的なサイコパスとも違うが」

「具体的には、どう狂ってるというんですか?」

「んー、具体的に、なあ」


 一瞬の後、イグノアは返答した。


「あいつはね、『敵対する』のが好きなんだ」

「それは、戦闘狂ってことでしょうか」

「いや。似ているようで全く別物だ」


 首を傾げるアリーヤに対し、イグノアは具体的な例を上げた。


「恋仲である、男と女の二人組が居たとしよう。男は気が強く手練れだ。

例えば義を重んじる武人なら、男に正々堂々決闘を挑むだろう。

戦闘狂なら、女を人質にとり男を本気にさせて戦う。

加虐思考をもつ奴なら、男の目の前で女を犯し苦しめて殺す」


 対して、とイグノアは続けた。


「あいつは、女を人質にとって男を本気にして、敵対した瞬間に女を殺し、男を絶望させた状態であっさり殺すだろう」

「…………は?」

「いや、変に思うかも知れんが、敵対するのが好きで、敵対したら手段を問わず破壊するのがあいつなんだ」


 苦笑するイグノアに、アリーヤは訝しげな目を向けた。


「……それで、私の話とどうつながるんですか?」

「ん、ああ。あいつはな、究極的には世界を三つに分類して見ているんだ」


 と言いながら、イグノアは三本の指を立て、一つ一つ折りながら説明した。


「一つは『自分』、一つは『敵』、最後の一つは『物』だ」

「……へ?」


 理解できない訳ではない。ただアリーヤが惚けた声を出したのは、一つ疑問に思ったことがあったからである。

 すなわち、ならば自分はどれなのか、と言うことだ。

 その疑問に答えるように、イグノアは残酷に告げた。


「君は『物』だ。結局のところ、あいつは君を自分の所有物としてしか見ていない」

「所有……物……」


 イグノアと祈里の会話における、「俺の物」という発言。それは比喩でも何でもなく、ただ彼の認識であった。

 何かの罅が入った音がした。

 アリーヤが彼と過ごした日々は、所謂日常とはかけ離れていたが、それでも彼女なりに楽しく過ごしていたつもりだった。

 見方が変わるだけでこうも違う。


「まあ『物』には『障害物』と『所有物』があるから、あくまで究極的に三つってだけだ」


 息が詰まったように黙り込むアリーヤをよそに、イグノアは話を続ける。


「この話を聞きゃわかるだろう。あいつが誰かと一緒に行動している異常性が。例え所有物であっても、絶対支配下に無い奴とともに行動するなんて、奴の思想じゃ考えられない」


 イグノアはアリーヤをまじまじと見た。その内心、内面、そしてさらに奥にある本質を見通さんとするかのように。


「あいつにとっての『お気に入り』は、恐らく自分と同類の匂いがするって事だ。だからこそ自分の手元に居ることを許している。つまり、多分だが……」


 アリーヤはまともにイグノアの話を聞くことか出来ていなかった。音は拾えても、その内容を脳内で噛み砕くことは出来ていない。

 だが、次のイグノアの発言だけは妙に鮮明に聞こえた。罅の入った心に、ドロリと流し込まれるように。


「君も奴と同じく、どこか狂ってる、って事だろう」

「……私、が?」

「それ以外には思いつかない。表面上は随分まともに見えるが、少なくともある程度は、あいつと共に過ごせたんだろ? そんな君が『まともなわけがない』」


 喉元を粘着質のある液体が流れ落ちていく。嫌な物が身体中に染み渡っていく。

 認めたくない、目をそらしてきた事実と向き合わされる。良薬口に苦しと言えど、アリーヤにとってそれは毒薬だった。


「あなたに彼の何が分かると……? 付き合いも長くないはずなのに……」


 ようやく絞り出せたのは、そんな逃げるような言葉だけだった。

 だがイグノアは即答する。


「少なくとも目を逸らし続ける君よりはわかってるつもりだ」

「っ!」

「まあ、別に君を陥れたい訳じゃない。このままなあなあにズルズル行けば、取り返しがつかなくなるかもしれないっていう忠告だ。それに、狂ってるとは言っても、それは一般人基準ではあるからね。別に悪いことだけじゃない」


 現に、とイグノアは続けた。


「祈里は、人間としては致命的な欠陥品だが、生物──個の存在としては、完成形に近い」

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