白黒つける第十四話
イージアナと祈里が相向かう、その十分前。
祈里は、とある武器庫に来ていた。
目当ての物を見つけると、祈里はそれを鑑定で確認する。
「まあ、これでいいか」
とりあえず同じような杖を数本手に取って影空間にしまう。
武器庫の扉を開けて廊下に出ると、かなりのスピードでこちらに向かってくる生体反応があった。
だがこれに対して祈里は警戒しなかった。見慣れた反応であったからだ。
廊下の角を曲がって、一匹の黒い狼が祈里の下へ向かう。その狼は黒狼と同じ大きさであったが、身を覆う体毛の一部は白く、また両目に傷があった。
「フェンリル。終わったのか」
『始終問題なかったぞぉぉ……我が主ぃぃ』
「そうか……てかお前ってそこまで小さくなれるのか」
『多少弱体化するがなぁぁ』
確かに下の大きさのフェンリルよりも、祈里の《探知》の反応は弱い。しかし、他の黒狼よりも強いのは確かであった。
「剣や死体は少しだけ盗んだか?」
『言われた通りやったがぁぁ……何故少しなのだぁぁ』
「バレないようにするためだ。……まあいいや。じゃあとりあえず俺の影に戻ってくれ」
『了解したぁぁ。だがぁぁ……これから何をすると言うのだぁぁ』
「ま、簡単に言えば、仕上げだよ」
祈里はそう短く答えた。
「何が言いたいんだ……それに、さっきの翼はなんだ、イノリ」
「ああ、これですか?」
祈里は背中にしまっていたコウモリのような羽を、再び広げる。
彼は《飛行》のスキルをレベル4まで上げていた。また《姿勢制御》もレベル6まであるので、移動するだけならば安定して飛行できるようになっていたのである。
イージアナはその羽を睨みつけて、厳しい声で言う。
「それは、その羽は、悪魔の翼だ……。イノリっ! 貴様、魔族に魂を売ったか!」
悪魔と契約を結ぶことで、人が魔人となることがある。魔人は悪魔の翼を持つことが、特徴の一つであった。
魔神の眷属である悪魔と契約を結ぶことは、魔族に寝返った事を意味する。
「私はお前を信じていたんだぞ! 人間としての誇りはどうした!?」
叫ぶイージアナに、祈里はつまらなそうな顔をして答える。
「信じてたって、どういう事ですか? 無能な俺に同情でもしていましたか? それで悪魔に魂を売るって? 何を馬鹿な。俺に誇りなんて、元々無い」
「貴様!」
「それに、悪魔に魂を売るわけ無いでしょ」
「……は?」
一聞して矛盾にも思えるこの問答。しかし、祈里にとってはごく当たり前の事であった。
悪魔と契約して力を欲することは、その時点での自分を否定することになる。それは祈里自身の否定である。プライド等という問題ではなかった。
レベルアップや或いは今回の召喚であるように、自らの努力で得た力や不可抗力で得てしまった力は問題ない。しかし、自ら欲して他人から力を貰うという選択肢は、祈里が祈里である以上、存在しないのである。
全てが自己完結で、自己至上的で利己的なのが、祈里という生物であった。
「俺は俺だけで生きます。悪魔なんて必要ない」
「……それは、他者など必要ないと言うことか……?」
「まあ、基本的には」
その答えに、イージアナは渋い顔を作る。
「イノリ。お前は何のために生きている」
「俺が生きるために」
簡潔であり、しかしその言葉こそが祈里を表していた。
顔を下に向けたイージアナは、小さい声で言った。
「……私が戦場に初めて行って、分かったことがある」
イージアナは、その渋面を崩して、悲しそうな顔になった。
「生きることは、辛い……疲れるのだ」
彼女の握りしめた拳は、震えていた。そこに込められたのは、悔しさか、はたまた情けなさか。
「『自分の為なら誰を利用したって良い』『自分が生きるためなら、他者がどうなったって構わない』……そうやって悟った様に行ってる奴は大抵、命の危機から遠く離れた、平穏に暮らしている連中だ」
イージアナは祈里を見上げて、言う。
「『生きたい』『死にたくない』って気持ちは、結構弱いものだ。なぜなら、誰も『死ぬ』なんて苦痛は味わった事がないからだ。……戦場では驚くほど死が軽いぞ? 目の前の大した事無い苦痛が、死んだ方がマシに思える」
実際、自殺と言う物はそうやって生まれたと言ってもいい。死が恐ろしい物なのか、或いは楽になる物なのか、本質的には誰も理解できていない。
「この世界では強い奴ほど命の危機に晒される。だから、強い奴ほど強い『生きる理由』を持たなければならない。家族でもいい、恋人でもいい、復讐でも性欲でも支配欲でも加虐でも被虐でも、なんでもいい」
イージアナは、一際強く祈里を睨みつけた。
「だがイノリ、一つ忠告しておく。『ただ生きる』なんてそんな事、どこかで絶対挫折するぞ」
「はあ。そうですか」
「な……」
祈里のあまりに軽い返答に、イージアナは豆鉄砲を喰らった鳩のような表情になった。
祈里は小さくため息をつく。
「……全くペラペラと偉そうに……。もうこの悪魔の翼とやらの話はいいんですか?」
そう言いながら、祈里は胡座をかいて座った。戦闘の場でこのような無防備は論外である。だが、祈里はむしろ率先して座り込んだ。
まだここが戦場ではないと考えたからだ。イージアナはまだ、祈里を「敵」ではなく「生徒」として見ている。
「じゃあ聞きますけど、ミジンコに『生きる意味』ってあるんですか? むしろ俺たちよりよっぽどサバイバルですけど、多分そんなの考えていないですよ」
ミジンコ、というのがこの世界で認知されているかは分からなかったが、それでも祈里はイージアナを見ずに、話を続ける。
「それに俺は、生物の本質は『拒絶』だと思ってます」
生物の定義を満たす、思考上の最も単純な生物は、膜と遺伝子と酵素のみで構成される。
定義とはすなわち、自己増殖性、恒常性、外界との隔離等が挙げられる。
「生きるってのは結局ね、外界の風化に抗って、外界と敵対することなんですよ。そこに意味なんて関係ない」
「……何を言っているのか、分からん」
「別にわかって貰いたくて言ってる訳じゃ無いですよ。俺はあなたを『否定』したい訳じゃない。あなたと『敵対』したいんだ」
祈里は肘を、組んだ足の膝に置き、頬杖をついた。
「聞いて欲しそうだから聞いてあげます。『あなたの生きる理由は何ですか?』」
イージアナは困惑しながら、それでも確固として言った。
「……私の生きる理由は国だ。私は国のために魂を捧げている」
そう答えた瞬間、チッという舌打ちが祈里から漏れるのを、イージアナは確かに聞いた。
「言うに事欠いて結局それかよ…………もういいや」
祈里はゆっくりと立ち上がり、ズボンについた汚れを軽く手ではたく。
「じゃあお国が大事な団長さんに、お願いがあります。お国を棄ててくれませんか?」
「は……? 何を言っている? 国を棄てるだと……」
「ええ。簡単に言えば、もうクーデターなんて諦めて下さいと言っているんです」
イージアナは訝しげな表情で、祈里に聞いた。
「私に、裏切れと言うのか?」
「いえいえお馬鹿な団長さん。裏切られたのはあなたの方ですよ。残念ながらあなた以外は、俺の提案を聞いてくれました」
は? とこれまでになく呆けた声が、イージアナの口から漏れた。
「……馬鹿なことを言っているのはお前じゃないのか? そんな事、お前が出来るわけが……」
「最初は、誰でしたっけ。……そうそう、第一隊の新兵のアレク君に犠牲になって貰いました」
「!?」
アレク……イージアナはその名を知っていた。変哲もない、どこか頼りなさげな新兵である。イージアナは自分の騎士団に入った人間を、事細かに記憶していた。
「アレクを……殺した?」
「ええ」
「……馬鹿を言うな。新参といえどお前一人が魔導鎧を装備した騎士に勝てるわけが……」
「さっきの翼を見てなかったんですか?」
祈里は再びその背中の翼を広げる。
「俺は悪魔と契約して力を手に入れたんじゃない。もとから力を持っていて、隠してたんですよ。……全く馬鹿ですよね。まさか『魔族を勇者召喚』してしまうなんて」
「な、何を……」
あ、じゃあ続きを話しますね、と祈里は続けた。
「それで全員縛ったんですが、他のケビン君やザビエル君とかの新兵達はビビってくれたんですけど、古株さん達はあまりなびいてくれなくてですね。特に団長さんの『戦乙女隊』は意志が強くてね。それなら、役得じゃないかと思ったんですよ」
祈里は目を閉じて、思い出すように言う。
「最初は副隊長のマリアさん……でしたっけ? 彼女のクッキー美味しいらしいですね。まあそれは置いといて、彼女、処女だったみたいで、血が出るわ泣いて喚くわで大変でしたよ」
「な……ぁ……」
マリアは冷酷な印象を受ける戦乙女隊の副隊長であった。見た目によらず家庭的で、よくイージアナの下に差し入れを持ってきていた。また男が苦手で、よく相談に乗っていたのをイージアナは覚えていた。
「アドルフォさんは第二隊のウルフルさんと付き合っていたみたいですね。結構お盛んだったみたいで、かなり使い心地は良かったですよ。ウルフルさんの前で犯したら、二人とも酷い顔になってました。せっかくの美貌も台無しでしたね」
アドルフォは古株であった。イージアナは会う度に結婚を進められていた。ウルフルはずっとアドルフォに恋い焦がれていて、戦乙女隊で手助けしたのは、イージアナの良い思い出であった。
「小柄な子が居ましたよね。クリスティーナちゃん、彼女はちょっと趣味に合わなかったので、彼女が憧れていたらしい第三隊のガイアン君を少し殺して、俺の力でゾンビにしたんです。それで彼にクリスティーナの足から、少しずつ食べるように仕向けたんですけど、凄かったですよ? 彼女ギャーギャー泣いて混乱して狂って、最後は失神したまま食べられちゃいましたけど」
もともと最年少な上に年の割に幼く見えたクリスティーナは、戦乙女隊の、全員の妹キャラであった。
「その後は、ミランダさんとハリーナさんと、アリスさんが二人いましたか? 彼女達を含めて戦乙女隊全員、体液とかに色々まみれて酷い有様でしたよ。俺一人でそんな事できるはずもない? その通り。だから騎士団の若手の皆さんに手伝って貰いました。『こいつら好きにして良いよ』って言ったら簡単に大半が寝返りましたね。まあ彼らは彼らで拷問を受けていましたから、鞭の後の飴って感じですか。後は俺が催眠系の魔法を使うだけで全員色に墜ちてくれました」
もちろん、祈里はそのようなことはしていない。これは一種のハッタリであった。冷静に考えれば、荒唐無稽な話である。しかし、城内の人間を《吸血》したことでレベル6まで上がった《詐術》のスキルの力もあって、祈里の言葉は妙な実感と信憑性を持っていた。
「溺れた戦乙女隊は、半狂乱の中で色々教えてくれましたよ。知ってました? アンドレアさんって、同性であるあなたに恋愛感情を持ってたらしいですよ」
実際、イージアナは祈里の話を信じられないと考えていながら、否定しきれずにいた。祈里が、隊員の名前や特徴、私生活に至るまで、知っているはずの無い情報を羅列していたためである。
「あ、それで、戦乙女隊をまわしている隊員は置いといて、騎士団の隊長格はまだ頑なに拒絶していたんですけどね? 最初に折れてくれたのは、意外なことに宰相さんでした。あ、今は国王でしたっけ?」
無論この無意味なほどの情報の開示は、祈里の作為的な物である。祈里は人間の血をすべて吸血することで、その人間の記憶を全て手に入れる事ができる。祈里はその範囲内で話しているだけである。実際には話したことすら無い。
「自分の隊を守るために怪我して引退するくらいの男ですから、結構仲間意識が強いらしいですね。惨状をこれ以上見ていられないって、割とあっさり寝返ってくれました。その後は頑固な隊長さんがたも芋蔓式でね」
祈里はもう、イージアナの敵対するのは諦めていた。期待外れ、と言うものである。そこから祈里にとっての彼女は、『敵』から『障害物』へと成り下がった。
だからこそ、フェンリルに匹敵、いやそれ以上に強いかもしれない彼女を、より効率的に排除するために、精神攻撃している訳である。
「あ、乱交騒ぎの隊員の話でもしましょうか? 第二隊のマモンって男、随分と戦乙女隊のラーシャさんにご執心らしくてね。過去に振られたとかなんとかで、それはもうすでに気絶した彼女を何度も何度も……」
「……もう……いい……」
「あ、そうですか。じゃあ本題と行きましょう」
イージアナが小さく拒否の言葉を発した途端、祈里はパッとそれまで続けていた話をやめた。
「団長さん、騎士団全員の生殺与奪は俺が握っています。俺には仲間が居まして、そいつをそこに残しています。簡単に言ってしまえば、彼等騎士団は全員人質です。彼等が惜しければ、すぐに投降して下さい。聞いてくれなければ、なるべく残虐な方法で殺します。まあ、投降しても彼等を解放する訳じゃないですが」
イージアナは目を閉じて、顔を伏せた。その拳は握りしめられて震えでいる。
「ですが、団長さんの選択次第では、騎士団を解放しましょう」
未だに下を向く彼女に、祈里は月をバックにして、手を広げて大袈裟に提案した。
「俺の国では、プロポーズに『月が綺麗ですね』といい、そのイエスの返答が『死んでもいいわ』と言う物があるんです。俺と結婚してくれれば、彼等を解放し、あなたを一生愛すると誓いましょう。俺はきっと強いですよ? これからは、国のためにではなく俺のために生きるんです」
祈里はもう、イージアナへの興味を失っていた。愛するつもりも結婚するつもりも毛頭無い。イージアナがもしも『死んでもいいわ』と言ったら、『なら死んで下さい』とばかりに殺すつもりであった。
《陣の魔眼》の精神干渉魔法は、意志の強さや、発動する前にかわすことで抵抗できる。よってイージアナを確実に殺すためには、心を折った後に、油断して無警戒であるところを狙うしかない。
祈里は笑いかけながら言った。
「団長さん、『月が綺麗ですね』……『死んでもいいわ』って言ってくれますか?」
突如、ガッ……という鈍い音が聞こえた。祈里はその発信源を注視する。
イージアナは、目を閉じ、顔を伏せて、剣を鞘に入れたまま柄を両手でつかみ、鞘の先を石畳に覆われた地面に突き立てていた。
その行動の意味が分からず、祈里は彼女に聞いた。
「……何やってるんですか? 団長さん」
「黙祷だ」
目を閉じたまま、イージアナは簡潔な返答をした。
「これまで屈辱を受け、殺された仲間に。そして
「ほ?」
「返答をしよう。イノリ・タカフジ」
豆鉄砲を喰らった鳩のような表情を浮かべる祈里の前で、イージアナはその眼を開け、持っていた白銀色の剣を鞘から抜き放つ。
「『断る』だ」
「………は?」
イージアナの瞳は、ただまっすぐ祈里を捉えていた。
「冷静に考えてみた。お前の言うことが嘘だった場合、これは明らかな敵対行為、挑発行為であるからして、お前と敵対するのは道理だ」
対して、とイージアナは続ける。
「お前の言うことが本当だった場合、お前は騎士団をほとんど一人で壊滅させたことになる。この国にとってお前は脅威だ。脅威を排除するのは当然の道理だ」
祈里は己の胸の奥で、心臓が徐々にその鼓動を高めているのを感じていた。
口角をヒクつかせながら、祈里は言う。
「その場合、騎士団は殺しますよ?」
「彼等は国の犠牲となってもらう。腐っても騎士団だ」
「国なんて……王も軍も無いのに、どこに守るべき国があると?」
「民が居るだろう。無視するな。私は彼らを守ると言っているのだ。私は文字通り、国に命を、魂を捧げている」
彼女の中には、常に理想の国の像がある。国は民を守るためにある、というそれだけだ。
理想のために、彼女は女王を裏切り、そして今、宰相を見捨てようとしている。
彼女は酷く自己中心的で、究極に献身的であった。人に情を持ち、若者の未来を案じることはあろうと、彼女の根本は狂気そのものである。
「例え国が歪んでいようと、壊れていようと、私は国のために生き、国のために死ぬ」
例え騎士団の隊員が残虐に殺されようが、戦乙女隊が犯され殺されようが、例え誰かを裏切り誰かに裏切られようが、それが国のための行動であれば貫き通す。
例え国が腐っていて、崩壊していても、国のために命を捧げる。
騎士道等ではない。純粋なまでの異常がそこにあった。
それを理解した途端、祈里の腹の奥底から、言い知れぬ甘美な愉悦が沸き起こってくる。
──なんだ、こいつ、非常にイイじゃないか……!
「……ククッ」
落とされてから上げられる。重なる愉悦の波に、祈里の口から少しの笑いが漏れた。
「悪いな……イージアナ。君に対するこれまでの無礼を詫びよう。この場で嘘やハッタリなど、場違いだったな……!」
祈里は「影空間」からナイフを八本取り出し、両手に握る。両の足を適度に開き、戦闘態勢をとった。
「さっきまでのはまるっきり嘘だ。……宰相も、戦乙女隊も、騎士団も、俺が全部皆殺しにしてやった」
イージアナは目を見開いた。この場で嘘など無い。それを確信させる先程にはない圧力を、彼女は感じていた。
「そうか……そうかっ…………!」
顔をしかめ、下から祈里を見据え、白銀色の剣の光る切っ先を祈里に向けた。
「やはりお前は、どうしようもなく、私の敵だ」
「そうだな。お前も俺の敵だ」
祈里の笑みには、この城内で見せた作り物ではない、確かな愉悦と殺意が刻まれていた。
金属同士がかち合う耳が痛くなるような高音が、何重にも発せられ訓練場の壁に反響する。
イージアナがその右手に持つ白い刃の刀を振れば、鈍い黒色の金属片が散らばり、空中に舞う。
金属片が訓練場の照明を反射して、ダイヤモンドダストを幻視させるような光景を生み出した。
祈里は、もう何回目かも分からない投擲を行う。「遠隔操作」で起動をねじ曲げられた闇鉄のナイフがイージアナを襲った。
イージアナは、まるで力を入れていないように、刀を軽く振った。その刃先の軌道上に会ったナイフは、尽く斬られ、砕かれる。
刃がイージアナに到達する前に、ナイフは全て破壊され、イージアナの周囲に散らばった。
(クソっ……厄介すぎるな……)
祈里は再び、イージアナの持っている刀を鑑定する。
絶斬之太刀(作者 不明)
品質 SSS 値段 500000000デル 能力 絶対斬
(こんなんチート過ぎるだろ……)
祈里は内心で愚痴る。
龍斗のライトソードが次々と破壊されていたことも、祈里のナイフが尽く破壊されていることも、この
込めた力や技量に関わらず、全ての物を斬れる。そのため、イージアナは力を入れずにその分速く振るだけでいい。ただ速く振ることだけに専念された太刀筋は美しく、そしてあまりにも速すぎた。
祈里はついでに、イージアナが左に持っている剣と、身につけている鎧を鑑定する。
純ミスリル剣(作者 不明)
品質 SS+ 値段 30000000デル 能力 魔法付加
魔導鎧マニュアル(ライジングサン王国製)
品質 A+ 値段 5100デル 能力 身体強化、硬化
特注で作られた、魔導鎧のマニュアルバージョン。身体強化の魔導機構の自動制御を全て外されている。各箇所に使用者が魔力を流さなければならないため並の人間には使えないが、その分高い機動力を持つ。
この世界において、純度100%のミスリルは存在しない。ミスリルは他の金属とよく馴染み、また魔力で合金となった他の金属も保護してしまい、合金全体が均一な融点になってしまう。現在ミスリルと他の金属を分離する方法はなく、天然に産出したミスリルの純度を越えられない。
そのため現在生産されている武器は、純度50%以下が通常であり、どれほど品質が高くとも80%であった。
ミスリルの魔力伝導性は、その純度に大きく左右される。故に100%のこのイージアナの剣は、剣であるが杖と同じようにすら使えたのである。魔法陣や術式の形成という段階をすっ飛ばして、魔法を扱うことすら可能であった。
騎士達が装備していたのは魔導鎧オートである。一般的に魔導鎧と言うときはこのオートバージョンを指す。オートバージョンでは全身の身体強化と姿勢制御が術式に組み込まれているが、イージアナのマニュアルバージョンにはその術式がなかった。腕を強く振るために、一々鎧の腕に魔力を込めなければならない。術式が少なくなった分力や機動力は上がったが、イージアナ以外には全く使えないため、格安であった。
イージアナは速度のみを重視して鎧を強化し、絶斬太刀が祈里のナイフを斬る瞬間のみに魔力を込めていた。イージアナの高度な魔力操作技術により、最小限の魔力消費で最大限の効果を発揮する戦闘形態が確立したのである。特に絶斬太刀は魔力消費が非常に多く、イージアナでなければ長時間は扱えない代物であった。
人に持たせては行けないチート武器を、絶対に持たせてはいけない人間に与えてしまった、その結果がこれである。
間合いに踏み込めば一瞬で刀のもとに細切れにされ、距離を取れば魔法剣から魔法が飛ぶ。武器で攻撃すれば武器が破壊され、魔法で攻撃すれば、魔法剣で形成された障壁に防がれる。
完全無欠ともいえるこの戦い方が、イージアナが人類最強と呼ばれる由縁であった。
祈里は繰り返しナイフを投げながら驚愕していた。
いくら理論上可能であろうと、祈里の投げるナイフを全て破壊するなど、信じにくい話である。
イージアナがナイフを斬るには、まずそのナイフを知覚する必要がある。祈里のナイフは、その軌道を祈里が決めているため、軌道の予測など出来ないはずである。祈里もイージアナの死角からナイフを飛ばしたりなどしているが、その全てが正確に斬られていた。
武者としての勘、それによってナイフを全て破壊しているのであれば、恐ろしい話であった。
祈里のナイフは避けられない……だが破壊することは可能であると言わんばかりである。
祈里が新たにナイフを取り出した瞬間、イージアナが魔導鎧の脚力を強化し、刀を振りながら祈里に急接近した。
飛びかかる速度自体はフェンリルと同程度。しかし、フェンリルに比べて予備動作は非常に小さく、その攻撃は比べ物にならないほど鋭かった。
(はっや……!)
《視の魔眼》で跳躍してくるイージアナを捉える祈里は、必死に体を動かして回避を試みる。
イージアナの刃先の軌道は、明らかに祈里の心臓を狙っていた。
肉を裁つ音がして、祈里の右手首が飛んだ。
右手首を失った祈里は、回避の勢いそのままにイージアナから距離を取る。
(これはやばいわ……)
フェンリルと戦ったときよりも確実に向上したステータス、そしてこれまた上昇していた《回避 Lv.4》のスキルをもってしても、祈里はイージアナの攻撃をかわしきれなかったのである。
イージアナは祈里に一瞬だけ背を向け、祈里の右手首だった物に握られているナイフを破壊した。
(用心深い奴……。右手の漆黒のグローブ(精神干渉魔法陣)を失ったのは痛いな……けど、手首の影は残ってる)
イージアナは再び祈里に向き直る。
祈里は再生した右手も使って、再び八本のナイフを投げた。その八本は訓練場を縦横無尽に駆け巡る。
その内の五本が、イージアナに襲いかかった。
そしてこの間に祈里は、三本の内一本のナイフを操作する。
(喰らえっ)
五本のナイフがイージアナの間合いに入った直後、死角となっている右手首の影から一本のナイフが飛び出す。
祈里の影空間で右手首の影を通したのである。
祈里がイージアナに見せた手札は「遠隔操作」のみ。「影空間」は見せていない。完全に予測不可能かつ死角からの攻撃である。
この攻撃で仕留められなくとも、怪我なら負わせられると祈里は確信していた。
だが、一瞬の後に祈里は目を見張ることとなる。
イージアナは五本のナイフを、三回刀を振ることで対処した。その間に影から飛び出たナイフはイージアナに迫る。だが、イージアナの左手に持つミスリル剣が、背後のナイフの側面を叩いた。
ナイフが弾かれた一瞬でイージアナは後ろを向き、そのナイフを絶斬之太刀で破壊する。
(まじすか……)
これも勘だとすれば、それはもはや超能力といって差し支えない。
だが、「勘」とは蓄積された経験によって、思考する事を経ずして結論へ辿り着くツールである。よって祈里は、「勘」ではないと思考した。
今も祈里にまとわりついているような魔力という要素から、祈里は一つの仮説を組み立てる。
(このまとわりつくような魔力は、会場でも感じた。これがイージアナの物だったとすれば……)
「イノリ」
イージアナに話しかけられ、祈里は思考を中断することなく応じる。
「なんだ?」
「こんな投擲術、私は見たことがない。手を抜いていたようにも見えなかったが」
「あー、言っただろ? 夜は凄いって」
「あれセクハラじゃなかったのか……」
適当に会話しながら、祈里は《探知》の対象を魔力に絞り、精度を上げる。
結果は、祈里の仮説の通りであった。
「俺だってイージアナが、魔力使って《探知》っぽいこと出来るなんて知らなかったからな。どっこいどっこいだろ」
イージアナは祈里の言葉にピクリと反応した後、ため息をつきながら言った。
「《探知》の加護でわかったのか……」
つまり祈里の仮説は合っていたことになる。
祈里は、まとわりつくような魔力がイージアナを中心に広がっていることを《探知》で明らかにしたのだ。イージアナの魔力は三層の濃さが違う同心球状になって広がっている。第一層は訓練場全体を覆い、第二層は絶斬之太刀の間合いに、第三層は純ミスリル剣の間合いに広がっているのである。
祈里には仕組みや原理は分からなかったが、この魔力が広がった領域の物を感知できるという原因と結果を推測した。
つまり、イージアナには360°死角はなく、不意打ちはほとんど不可能であるということである。
「てかそんな能力があるなら、俺の《探知》なんていらなかったんじゃないか?」
「隠れ蓑が欲しかったというのと、この能力が完璧ではないと言うのが理由だな。勘のいい奴には感づかれるから、隠密行動には向かんのだ」
「へぇ」
曖昧に返事をしながら、祈里は弱点の候補を脳内に上げる。
確定的なのは『バレやすい』と言う事。
祈里が予想したのは、『魔力を持った物質でないと感知できない』『地中や部屋の中は感知できない』『魔力の燃費が悪い』の三つであった。
一つ目と二つ目が両立する可能性は少なかった。物質を透過出来ないなら、異物として魔力のない物体を認識できるはずだからだ。
祈里が魔力を《探知》した時、地面の中にイージアナの魔力を感じなかったことから、二つ目の可能性が高く、逆に一つ目の可能性は低い。
三つ目は、広がっている魔力がほとんど動いていないことと、イージアナのMPが絶斬之太刀使用時以外にほとんど減っていないことから、候補から外れる。またこのため、長期戦は夜間しか戦えない祈里にとって不利に働く。
よって祈里は暫定的に『地面や部屋の中を感知できない』と考えた。
(だが、俺の手札に地面から不意打ちをかませる方法は無い……)
「てことはあれだ、さっきから俺がやっていることも分かるのか」
「お前が操作しているであろう、この糸のことか?」
「あー、やっぱバレますよね」
会話の間に祈里はグレイプニルを操作していたのだが、予想通りイージアナは感づいていた。
祈里は次の策を考える。
持久戦は不可で、短期決戦が望ましい。
地面の中を感知できないのなら、影空間の中を感知できるのか? 恐らく否であると祈里は判断した。
先程の攻撃で、イージアナはナイフが影から飛び出てから反応していた。予測できていたなら、一撃目に絶斬之太刀でナイフを破壊していただろう。
(だが、影空間の手札は既に切っている……)
影からナイフが飛び出てくるのが予想できるならば、先ほどの攻撃のように防がれる可能性がある。例えば祈里が影に向けてナイフを投げる、操作するという予備動作がイージアナに感知されれば、攻撃失敗の可能性は上がるということだ。
「逆に質問だ。イノリのそのナイフや糸を操る能力はなんだ?」
「答える義務は無いね……フェンリル」
祈里は影空間からフェンリルを呼び出した。
(まずは奴の動きを止める……)
『我が主ぃぃ……我は何をすればいいぃぃ』
「あいつに向けてぶっ放しとけ」
『了解したぁぁ』
その様子を見ていたイージアナは、祈里に問いかける。
「二対一か……おいイノリ、貴様に正々堂々という言葉はないのか?」
「一度敵対したら、どんな手でも使うさ」
「……そうだな。ダンジョンの事と言い、お前はそういう奴だった」
『グラァァアッ!!』
フェンリルが遠距離砲撃を開始する。
祈里のナイフは軌道が自由自在なのに対し、フェンリルの体毛の射撃は直線的だが数が多い。
(これでも手数はあっちの方が上なのか……)
イージアナはそのフェンリルの体毛の結晶を、ナイフと同じように破壊し続ける。いまだにイージアナの斬撃の回数が上回っている。
「くっ……」
しかしイージアナは防御に回るのが精一杯で、その場から動けなくなる。祈里の目的は達成された。
その間に、祈里は訓練場の縁を走る。
影空間から、闇鉄製の剣を取り出した。これは祈里がアリーヤを追い詰めていた騎士達の剣を拝借し、《武器錬成》したものである。宰相の首を斬ったのも、この剣であった。
ある程度移動した所で、剣を突くように構え、祈里はイージアナに向けて跳躍した。
「安直だぞイノリっ!!」
祈里の接近を感知したイージアナは、フェンリルの方向に強固な魔力障壁を張った。
『ぬぅぅ!?』
イージアナの魔力障壁に、フェンリルの射撃が阻まれ、イージアナに僅かなゆとりができる。
その間にイージアナは祈里の方を向いて、剣を構えた。
「ちっ!」
舌打ちをした祈里は、そのまま剣をイージアナに突き出す。しかしその剣は絶斬之太刀よりも間合いが短かった。
祈里の右腕が、イージアナの太刀の間合いに入った瞬間に斬りとばされる。その結果祈里の右手にもたれていた闇鉄の剣もその軌道を外され、イージアナとは別方向に飛んだ。
イージアナはそのまま左手の剣を構える。純ミスリル剣に、絶斬のような能力は無いため、普通の剣同様に力を入れて斬らなければならない。
だが、魔族の弱点はミスリルである。祈里は魔族にしても先程凄まじい再生力を見せたが、弱点であるミスリルの剣の攻撃を同様に回復できるとは考えられなかった。
そのため、イージアナはとどめとしてミスリル剣を構えたのである。
このまま祈里の体がミスリル剣の間合いに入れば、祈里は大きくダメージを負うことになる。
イージアナは祈里の体を斬らんと構えるが、それを予想していたのは祈里も同じであった。
(やっぱそっちが本命だよな)
ミスリル剣の間合いに入る寸前で、祈里の体がビタッと止まった。
「なっ……糸か……!」
イージアナは驚愕しながら言った。
祈里の体には、先程まで訓練場に張り巡らされていたグレイプニルが巻き付いていた。
(まだ糸が縮むのは見せてなかったからな)
祈里は間合いに入る寸前でグレイプニルに魔力を流していたのである。
あやとりのように、あるいは絡繰り仕掛けのように複雑な動きをしながら祈里の体に巻きつき、その進行を止めたのである。
(んでもって、俺の本命はそっちだ)
先刻斬られた祈里の右手は、訓練場の照明の方向へ飛んでいた。
照明とイージアナの間に入った右手が、イージアナの足元に影を落とす。
そして次の瞬間その影が広がり、影の中から黒い狼の上体が現れた。
黒狼はイージアナの脚に、その鋭い牙を食い込ませる。
「ぐっ……」
イージアナは痛みに顔をしかめながら、黒狼を絶斬之太刀で両断する。
真っ二つにされた黒狼の死体は、溶けるように黒い液体となって消える。いや、実際は祈里の血液と同化しており、再び眷属として再生することが可能であった。
「フェンリル! 回復の隙を与えるな!」
『グラァァアッ!!』
攻防の間に立ち位置を変えていたフェンリルが、魔力障壁の無い角度から遠距離砲撃を開始する。
祈里はさらにグレイプニルを収縮させることで、イージアナの間合いから脱出した。
「くっ……鬱陶しいなっ」
再びイージアナはフェンリルの対処に追われる。これでは術式を組み立てる暇はない。
だが、イージアナの脚は徐々に回復していた。
「ありゃ、ミスリル剣の効果か?」
祈里の予想は当たっていた。純ミスリル剣は、術式構成の段階を飛ばして魔法を使用することが可能である。だがあくまで可能なだけで、その効果は比較的落ちる。
「なら早く蹴りを付けた方がいいな」
これって負けフラグかもな、と思いながら祈里は呟いた。
『グラァァアッ』
「ちぃっ……!」
(くそっ……コイツに弾切れは無いのか!?)
フェンリルの遠距離攻撃を防ぎながら、イージアナは内心で文句を言った。
質量弾である以上、フェンリルのどこかからこの弾が形成されているのは確かだが、その割には弾幕に切れ間が無い。無尽蔵な乱射に、さすがのイージアナも苛立っていた。
(……しかし、まさかイノリがこれほど強いとは……)
イージアナから見て、祈里は何の突出した長所もない、普通の青年に見えた。またそれが演技だったとは、到底思えなかった。
夜、この訓練場を使った特訓でやたらと成長していたことから、祈里は本当に夜に強くなるのかもしれないと、イージアナは考え始めていた。
突如、祈里の左目が黄色く光ると同時に、イージアナの眼前に魔法陣が形成される。それはイージアナには全く理解できない魔法陣であった。
イージアナは即差に魔法陣を絶斬之太刀で破壊する。
絶斬之太刀はあらゆる物を斬ることが出来、魔法陣や魔法ですら例外ではなかった。
「ちっ」
祈里は、そう悔しそうもなさそうな舌打ちを鳴らした。
「今のはなんだ? イノリ」
「催眠術的な何か」
そう素っ気なく言った祈里は、走って立ち位置を変える。
少し以前までは生徒として、そして今は殺し合う敵として対峙する祈里にちらりと目を向けながら、イージアナは問いかけた。
「……イノリ、何を笑っているんだ?」
「笑っているか? 俺は」
「ああ」
「……まあ、楽しいから、なんだろうな」
「楽しいのか?」
イージアナはオウム返しのように祈里に言った。
それに対して、祈里は不思議そうに答える。
「イージアナは楽しくないのか?」
「……そうだな、少し、楽しい」
自分に匹敵するほどの強者とこのように戦ったことは、イージアナの記憶では最近無かったことである。強者と戦い殺し合うことに、イージアナは少なからず楽しいと思う人間であった。
「正直、さっきのお前のプロポーズを断ったのを後悔しているよ」
「じゃあ俺から返事してやるぜ。『NO』だ」
祈里は自身の左手の甲をチラリと見ながら言った。
「ふんっ。そうだろうな……」
イージアナは祈里の先刻のプロポーズのような台詞が嘘であることは分かっていた。そしてイージアナも、今の言葉を本気で言った訳ではなかった。如何に祈里の強さに惹かれようと、国を棄てるなど言語道断であった。
「だが、今までの中で一番楽しいよ」
祈里がそう言った後、イージアナの目の端で再び祈里の左目が黄色く光る。
そしてその瞬間、イージアナのすぐ後ろに、先程より規模の大きい魔法陣が作られた。
イージアナは先程と同じように、魔法陣を斬ろうとする。
しかし一回目の魔法陣とは全く比較にならない速度で、魔法陣が発動した。形成から発動まで、カンマ一秒すらラグが無い。
イージアナのミスリル剣の間合いの中、魔法陣が黄色く光り、その輝きの中から祈里が現れた。
祈里の切り札、《陣の魔眼》の召喚魔法陣であった。
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