黒が這い寄る第十三話

「そのネーミング貰ったわ! じゃああなたの名前はフェンリルね!」


『おいぃぃ、魔女よぉぉ……』


「魔女じゃないわ! エリザベーナよ!」

「今は初代女王だったと思いますが」

「そうとも言うわね! ダグムーン!」

「俺も初代国王なのですが……といいますか、制度作った本人が忘れないでくださいよ」

「私が馬鹿だからしょうがないわ! だから賢者のあなたを国王にしたのよ」

「打算的過ぎる結婚で悲しいですね。なぜ魔女なのに馬鹿なんですか」

『我がぁぁ……蚊帳の外なのだがぁぁ』


 鬱蒼とした森の中、白く怪獣のように巨大な狼の前に、二人の人間が立っている。

 一人は金髪をストレートに流した女性。非常に美人だが表情が豊かで、親しみ深い印象を人は受ける。

 もう片方の人間は、短めの白髪をオールバックに整えた美丈夫だ。眼鏡をかけており、知的な風貌である。


「で、かくかくしかじかで、この森に幻術をかけてあげる代わりに王都を守って欲しいのよ!」

『それはぁぁ、我の仲間をぉぉ……この場所に住まわせて良いということかぁぁ』

「そういうことです。人間側が侵入した場合は殺してもかまいません」

『それは貴様等は問題ないのかぁぁ』

「こんな森の中まで入ってくるのが悪いのです。危機管理くらい自分でしろって話ですね」

『了解したぁぁ。そもそも貴様らに負けた時点でぇぇ……我に拒否権はなぃぃ』

「さっぱりしているのは好きよ! じゃあさっそくやっちゃうわね!」


 魔女は魔法を使い、その周辺一帯に魔法をかけた。


「これで大丈夫よ! この空間の主はあなただから、あなたは全て把握できるわ!」

『ぬぅぅ……なるほどぉぉ……了解したぁぁ』

「よし! これで我が王都も安泰ね!」


 魔女は腰に手を当て、高らかに笑う。その様はまるで高慢な貴族……ではなく、まるで子供のようであった。

 その隣で、賢者はため息をつく。


「そういえば、国名は決まったのですか?」

「ええ! 『ライジングサン王国』という名前にしたわ!」

「……相変わらずあなたのネーミングセンスはぶっ飛んでますね。この白狼にも恐ろしい名前をつけようとしますし……。勇者からネーミングの案をもらっておいてよかったです」

『フェンリルとはぁぁどういう名前何だぁぁ』

「確か勇者の世界の、伝説上の狼の名前、だったと思います」

「ねえ! 『ライジングサン王国』の何が悪いの!?」


 声を張り上げる魔女に、再び賢者はため息をついた。


「いえ別に。それで、どういった理由でそんな名前に?」

「この世界を朝日のように照らして欲しいのよ! 差別なんか無くしてね! そしてそのまま、世界中を太陽のように照らして欲しいわ!」

「……安直すぎて涙が出ますね」

「悪い!?」

「あなたらしくて良いと思いますよ」

「じゃあ、決まりね!」


 魔女は太陽のような笑顔で頷いた。









「皮肉なもんだなぁ……いのり。っと」


 フェンリルの記憶を覗いた俺は、そう呟いた。

 残念ながら、この国は朝日のようにはなってないな。お世辞にも。

 寧ろ国内がどろどろしているし、今なんて崩壊の危機だ。


 俺は城の屋根の上を走る。服は執事服から黒血のワイシャツに着替えていた。眼帯も外している。

 俺が王女と行動しているのを知られると、何が起こるか分からない。幾つかは考えられるが、面倒なことに変わりはない。

 アリーヤの顔は、他国には殆ど知られていない。だからこの城内の、王女が生きていて、俺が王女を連れ出したと知りうる人物、またはその手掛かりとなりうる人物をすべて殺す。

 解決法はその限りではないし、もっと丸くおさめる方法も有るだろうが、別に俺にデメリットは無い上、レベルアップやスキル獲得の良い機会になるだろう。


「……っと、ここがいいな」


 俺は月明かりでできた尖塔の影に入り込み、壁を伝って移動する。

 そのまま窓の近くに行き、窓の取手に手をかける。


「……やっぱがっつり閉められちゃってるか」


 だとすれば……

 俺は窓の中を覗き込み、左目の能力を使う。


「まあどうせなら楽しんでいこうか」









「国王陛下、第二王女を追い詰めたとの報告が入りました」

「そのまま殺せ」

「ハッ」


 簡潔な命を受けた兵士は、会場の外へ出て行く。

 第二王女ともう一人の少年を覗けば、この城内の人間はほぼ制圧した。クーデター成功まで、後もうすぐである。


 ようやく、ようやくここまできた。

 無意味な戦争を非難しても、大隊長は受け付けなかった。

 戦争の敢行を止められないと自覚した私は、結局自分の隊を守ることしか出来なかった。

 その時に誓ったのだ。この国で無駄に殺される人間を救うため、そして魔女の遺志の下、腐敗を除去しようと。


 文官としての教養を一年で終え文官となった私は、ここでも序列による弊害を受けた。この国の中枢が腐っているだけではない。この国の制度そのものが、真っ当なものではないのだと悟った。

 魔女の遺志と違い、世界を照らすどころか世界から臭い物のように遠ざけられているこの国を、日の出づる国へと帰るためには、制度も腐った貴族も何もかも一新しなければならない。


 クーデターだ。私は宰相になる前から、クーデターを計画した。その計画の途中で、イージアナがかのエルフ侵略作戦の被害者である事を知り、彼女にクーデターの計画を持ちかけた。彼女は「国の為に命を捨てる」とばかりに一本筋の通った騎士であったから、そう簡単に説得は出来ないと考えていたが、彼女は快諾した。

 また、彼女の下にいた騎士団の中にも、かの侵略作戦で私の隊に居て、恩義を感じてくれた騎士も少なくなかった。彼らのこともあり、騎士団は私を好意的に捉えてくれていたのである。


 宰相になり各地に視察にでるようになってから、クーデターへの思いは強くなっていった。

 各領地の重税による国民の貧困、荒れる治安、蔓延る疫病、拡大するスラム、上がる物価に下がる品質。国民はやつれ、街に活気がない。

 王都の現状などまだましであった。国の惨状を目にし、例え何人殺そうとも、後世に暴君と呼ばれ恐れられようと、早急に国を改革する覚悟を決めた。


 勇者召喚はタイミングが良かった。事実、女王はほぼ独断で勇者召喚を行ったため、大義名分を建てるのは容易かった。

 そして今、ついにこのライジングサン王国の毒を取り除き、改革への一歩を踏み出した。

 まだ、改革は成功していない。これから内政を立て直し、早急に軍備を整理して、制度を根本的に変え、新たな国として成り立たせなければならない。これからが困難だ。


 奢るな。腑抜けるなビットレイ。

 むしろ気を引き締めろ。これからが大一番だ。


 そう考えていたとき、不意に後ろから男が声をかけてきた。


「ビットレイ。ようやくここまできたな」


 私は振り返ることなく言う。


「これからだ。油断はできない。これからが勝負なのだ。



……………誰だお前は?」


 護衛は左右の斜め前に配置されているし、そもそもこの場で私に敬語を使わない人間は居ない。


 私は問い掛けつつ後ろを振り返ろうとしたが、それは叶わなかった。


──そもそも、振り返る首が離れていたのだから。


 首が地面を転がり、視界に頭のなくなって断面から鮮血が溢れる私の胴体が映る。


 そしてその後ろには、真っ黒なワイシャツという見慣れぬ衣装に身を包んだ青年であった。


 私の意識はそこで暗幕の霞がかかったように、消えた。






「び、ビットレイ様!?」


 ビットレイを中心に死体の始末を行っていた会場の騎士達は、混乱の色を呈した。

 混乱の中心は会場の舞台上、ビットレイの構える場所、否、ビットレイの居た場所である。

 騎士達の目に映ったのは、首を失った男の胴体、転がるビットレイの首、流れ出す血液、そしてその背後に立つ、黒い剣を持った黒服の青年という、俄には信じがたい光景であった。


 ビットレイが殺された。その事実を騎士達が認識したのは、光景を網膜に映して一拍置いてからであった。

 そして彼らの脳裏をかすめる、受け止めがたい事実。

 それはすなわち──


「これで、クーデターは失敗した」


 黒服の、おそらくビットレイを殺した本人であろう人物が、冷酷に告げる。

 クーデターの長たるビットレイが死んだのだ。もう王となりうる王族の血を引いた者は存在しない。これは、クーデターが失敗したことを意味する。


 それまで築き上げてきた計画が、野望が、希望が、一瞬の意識の裏で瓦解した。とても信じられない事実である。

 ある騎士は絶望し、ある騎士は呆然とし、ある騎士は理解できなかった。いや、理解したくなかったのかもしれない。

 そんな彼らをよそに、さらに黒いワイシャツを着た青年は続けた。


「計画は崩壊した。もうお前達に戦う意味はない……」


 ビットレイが死んだ以上、もうここからクーデターを持ち直すのは不可能である。残った事実は、城内の人間が騎士を除いて全員死んだというそれのみ。


 青年はその手に持った血濡れの黒剣をどこかにしまう。



「……だが、まさかこれで終わりだと思っていないだろうな?」


 シンと静まり返った会場に、青年の冷たさを帯びた声は、不思議とよく響いた。


「人は誰でもいつでも死に得ると言って事を起こしたのはお前達だ。ならば当然の如く、踏み潰される虫の様に、お前達も無意味に死ぬ覚悟があるはず」


 未だに事態を完全に呑み込めていない騎士達に、彼の文言を一字一句漏らさず理解しろと言うのは酷だろう。

 しかしそれでも尚、青年は口を止めない。


「俺はこれから、極めて個人的な事情により、お前達を皆殺しにしようと思う」


 青年は両手をそれぞれ横に振った。次の瞬間には、その両手に黒光りするナイフが計八本握られている。

 青年はその無表情だった顔を崩し、少し笑った。


「……無駄な抵抗をしてくれると、とても嬉しい」


 その蔑も悦も無い只の笑みが、酷く騎士達の本能的な、底冷えする恐怖心を煽った。

 青年はそのナイフを持った両手を、体の前で交差させるように構えた。


「シッ」


 バッ、という青年のシャツの布の音と共に、その両手が振られる。

 そしてそれと同時に、八本のナイフが黒い閃光の如く、凄まじい速度で放たれた。


「ゲァっ!?」「ぐぼッ!」「あガッ……」「べふゥ!」


 八つの汚い悲鳴が重なる。彼らの喉元には、青年の投げたナイフが深く突き刺さっていた。

 ガシャガジャと金属音をたてて、八人の騎士が倒れる。

 それでも尚、騎士達は混乱を増すばかりであった。


「まだまだ……」


 黒いワイシャツの青年──高富士 祈里は、ふたたびワイシャツの袖の中の「影空間」から八本のナイフを取り出す。

 それを投げ、《闇魔法》で「遠隔操作」して鎧の隙間から騎士の生身の喉元を狙う。

 魔術結界が張られているのは騎士の持つ盾の表層のみ。鎧自体は、魔力で強化されているだけである。つまり、鎧の隙間を通せば十分に攻撃が致命傷になり得るのだ。

 再び八本の闇鉄のナイフが八人の騎士の命を無情に刈り取る。

 未だに混乱を抜け出せない騎士たちに、この程度か、と気を落とす祈里。

 初めに放ったナイフを「遠隔操作」して回収し、自分の手のひらに収める。

 さあもう一投、と言うところで、一人だけ別のデザインの盾を持った年配の騎士が会場中に響き渡る声で一喝した。


「てめぇら! この程度で狼狽えるな! さっさと態勢立て直せ!!」


 その男はこの隊の隊長であった。長年の蓄積された経験が、この混沌の中で明確な理性を引き戻したのである。

 隊長は盾を構え、祈里を睨みつけた。


「落ち着いて盾で防げ!! 所詮投げナイフだ!」


「所詮、ね」


 会場を飛び交う数多のナイフのうち一つが、若い騎士に襲いかかる。


「ふんっ」


 その騎士は比較的冷静で、ナイフの方向に盾を向け、その軌道を防がんと魔術結界を発動した。

 たが、闇鉄のナイフは盾に直撃する寸前で不意に軌道を変えた。完全に物理法則を無視し、盾を避けて再び彼の喉元を狙った。


「な!? ぶしァッ……」


 ナイフは呆気なく騎士の頸動脈と気管を断ち切り、命を破壊する。

 その他の盾を構えた騎士も同様である。そのナイフは奇怪な軌道を描き、縦横無尽に騎士を翻弄して肉薄する。


 死角など無く、あらゆる動きであれ正確に捉える《視の魔眼》、そしてどんな軌道や速さでも正確に再現する《闇魔法・真》の「遠隔操作」のコンビネーション。

 それゆえに──


「誰も避けることはできない」


 フェンリルの速度ですら、ナイフをかわすことは一度として不可能であったのだ。鈍重な騎士達の鎧や盾をかいくぐることなど、祈里にとっては容易なことである。


 祈里はナイフを投げ、突き刺さったナイフを回収し、また投げ、新たにナイフを追加しさらに投げる。

 ナイフはいつしか一切の直線的軌道でなく、360度あらゆる方向に踊るが如く動くようになっていた。

 騎士達にその軌道を予想し防ぐ事など出来やしない。会場の中に大量に居た騎士達は、おぞましい速度でその数を減らしていった。

 やがて、会場を飛び舞うナイフの数は40を超えた。

 狂ったように踊る幾多のナイフ、飛び散る鮮血に薫る糞尿、会場の壁や天井に幾重にも重なる低振動な悲鳴が反響し、その光景はさながら二時間前の惨劇の再現であった。


「くそっ! 皆、俺の周囲に集まれ! 早くしろ!!」


 先程の、デザインの違う盾をもつ隊長が、隊に向けて命令する。

 混乱しながらもその声に縋るように、騎士達は迅速に隊長の周囲を固める。


古代兵器アーティファクト発動!!」


 隊長がその盾を操作すると、集まっていた騎士達を取り囲むように、ドーム状の虹色の結界が現れた。

 祈里はそのドームに向けて全方向からナイフを放つが、ガキンという堅い音と共に弾かれてしまう。


(古代兵器アーティファクト?)


 祈里はその盾を「鑑定」する。




守護神の盾(作者 不明)

品質 SS  値段 6000000デル  能力 半球状戦略結界

古代兵器アーティファクト。太古の遺跡から発見された。ロストテクノロジーで作られている。魔力を注ぐことで、大きさ自在の半球状戦略結界を形成する。結界発動中は動かせない。





(半球状戦略結界ってなんだってばよ)


 説明になっていない説明に、祈里は心の中でつっこんだ。

 とりあえず祈里は、弾かれたナイフを回収し、新しくナイフを全方位にホバリングさせて配置した。

 囲むナイフにビクビクしつつも感嘆する騎士達に、未だに険しい顔をする隊長は告げた。


「この結界は、外側からの攻撃は魔法物理問わず防ぎ、内側からの攻撃を阻害しない。今のうちに態勢を立て直し、魔法で奴を倒すぞ」


 なるほど戦略結界ってのはそう言うことか、と一人で納得する祈里を見ながら、隊長は魔力を魔法陣に注ぎつつ考え込んだ。


(あいつは確か、「無害」とか「無能」とか言われていた勇者の取り巻きだったはずだ。……「探知」なんて加護を持っていて団長が目を付けていたが、こんな得体の知れない能力を持っていたとは……)


 また、初めて冷静に祈里を観察できた騎士の内数人も、「無害」と呼ばれていて今回の特別保護対象である青年だと認識できた。だが正体が分かったところで、現在の状況を説瞑する要素は何もなく、より混乱を深めるばかりであったが。


 魔術結界の中で、騎士団の内魔法を扱うことのできる者達が、術式を組み立てる。


 そして魔法を自分に向けて放たんとする騎士達を前にして、高富士 祈里は悠々と歩く。

 その足取りには恐れも気張りも無く、しかし一歩一歩結界に近づいていった。


(な、なんだってんだ、あいつは……)


 今、結界から離れて物陰に隠れるか距離を取るかすれば、魔法が直撃することはおそらく無い。その中で一歩ずつゆっくりと近づいてくる祈里は、隊長の理解の範疇を越えていた。


 隊長は祈里の顔をまじまじと見る。それは未知で奇怪な存在への視線に似ていた。

 祈里はなんて事無い表情で、静かに歩く。


 そして、祈里の黄色い左目に、黄金の魔法陣のような物が浮かび上がって光ったのを、隊長は見た。


 瞬時に隊長の眼前に、黄色く光る目に浮かんだのと同じ魔法陣が描かれる。


──隊長の正気は、それきりであった。




「……解除」


 隊長が呆然と呟くような声を発すると同時に、それまで展開されていた虹色のドームが溶けるように消える。古代兵器アーティファクトの半球状戦略結界が解除されたのである。


「た、隊長!? 一体何を……」


 その理解不能な行為を問おうとした、隊長の側にいた騎士が見た物は、呆然と焦点が合わない目で前を見て、だらしなく開いた口から唾液を垂らす隊長の姿であった。


「隊長!?」


 その瞳には理性はなく、完全に正気を失った様子である。


「な……ぁ……」「ヒィィィ!?」


 結界など阻む物が間になく、切っ先を向けた幾多のナイフに、騎士達は思わず悲鳴を上げた。


「『精神干渉魔法』は、多分意思の強さが抵抗力となる。あっさりと折れたこいつは、この程度だったって事か……」


 祈里はつまらなそうなため息と共にそうつぶやいた。しかし、上級の精神干渉魔法を意志だけで跳ね退けるなど、まともな人間には土台不可能な話であった。


 祈里の発言を聞いた、魔法を扱う騎士は驚愕する。

 当然だ。古代兵器アーティファクトであるこの盾が作り出した結界は、魔法を完全に防ぐはずだったからだ。たとえそれが精神干渉系であったとしても、である。それを透過して隊長を催眠したと言うことは、祈里の魔法がロストテクノロジーでさえ上回ると言うことを示すのだ。


 しかしこの考えは正確ではなかった。祈里の魔法はそもそも「世界」が違う。

 結界が魔力を使って作られる以上、魔法発動以前の純魔力を阻害することはできず、発動された魔法の術式を防ぐ事がこの結界の魔法防御であった。

 だが祈里の魔法はその術式を組むための法則、言わば魔法そのものが全くの別物であり、その阻害を受けなかっただけの話である。彼の魔法に、この世界の魔法防御は全くの無意味なのだ。

 世界の法則すら無視する。高富士 祈里はまさしく歩く理不尽である。

 

 祈里の「遠隔操作」と共にホバリングして、結界の周囲全方位に配置されていたナイフが一斉にその球を縮める。


「げァあァっ!?」「かハッ!!」「あがっ……」


 そのナイフに貫かれ、騎士はほぼ全員死亡したが、固まっていたため全員をその場でしとめる事は出来なかった。

 無事であった二人は恐怖のあまり、会場の出口へ向けて全速力で走り出す。


(くそっ、くそ! なんなんだなんなんだあいつ! 『無害』ってどこが『無害』なんだよ! てかむしろ……)


 内心で激しく愚痴を叫びながら騎士は扉を蹴破った。

 そしてそのまま左折し、廊下を走り逃げようとする。

 だが──


「な、なんだこれ!?」


 彼の体は何か引っかかったように止まった。いや、事実何かに引っかかっていた。


「こ、これ、なっ……糸!?」


 騎士の体に絡まり、彼の進行を阻害していたのは、黒く細い数本の糸であった。

 その糸は、いつの間にか壁に刺さっているナイフの影から伸びていた。


「逃げたって無駄だ」


 後方から悪魔のような青年の声が響く。

 その糸が蛇のように動き出し、まとわりつき、絡み合い、二人の騎士の体を締め付けた。


「やっぱり糸って便利だな……」


 そうつぶやきながら、壁に黒糸によって張り付けられた二人の前に歩いてくる。

 片方の騎士が、必死な声で叫んだ。


「ま、待ってください! 殺さないでください! 欲しい物はなんでも」

「悪いがそんなに時間がないんでね」


 青年は情の欠片もない声と共に両手を、それぞれ二人の首に添えて、力をこめて握りつぶした。


「(あ、悪魔っ……)げぼフっ……」「アギョえッ」


 逆流する空気と唾液が気管にぶつかり、骨の折れる音と共に情けない悲鳴が二人の咽頭から響く。

 祈里は両手を解放して、少し手についた騎士の唾液を壁にこすりつけた。


「さて、あっちはどんな様子かね……」









 王都は僅かに月が照らすばかりで、音をそのまま吸収してしまいそうなほど静かに真っ暗である。

 昼間に太陽光の放射熱で温められた空気や地面が、暗闇の中に放熱し、体の芯から冷えてしまうような冷たい空気が風となって流れる。


 そんな中、その王都の中心に見栄だけは張っている王城がそびえ立ち、その周りをぐるりと一周、二周、三周と隙間なく騎士が立ち並んでいた。

 本来王城を警備し外を警戒すべき彼らは、今日ばかりは全く逆、つまり王城を警戒していた。

 おそらく中では惨劇が繰り広げられている。腐った貴族はともかく、その使用人までも殺されるのを無視するのは少々辛い物もある。しかし、彼らにはそれ以上に大切なもの、国、いや家族があった。

 彼らの家族がもう少し楽に生活できるなら、その辛さを甘んじて受けよう。積み重ねられた犠牲と向き合い続け、その上で改革を進めよう。

 そうして全てが終わったら、再びこの王城の下で朝日を眺めよう。彼ら騎士団はそう誓っていた。


 ヒュゥゥゥウ、と比較的強い風が吹く。

 冷たい空気が鎧の隙間を流れ、皮膚の熱をさらりと奪っていく。


「…………ん?」


 そんな風の切れ間に、包囲していた騎士の内一人が、何かに気づいたような声を上げた。

 彼の目に映っていたのは、王城の屋根の上にある黒い影。


(あんなものあったかな……)


 彼は自分の記憶をさぐるが、王城の屋根をまじまじと見たことが無いため、僅かな違和感を覚えるに止まった。

 そもそも、彼らは王城から貴族や使用人が逃げ出さないように包囲しているのであって、貴族や使用人が屋根の上に居るとは到底思えない。


 しかし、騎士は結局それを訝しげに見ることになる。

 黒い影が、風のせいでもなく、もぞっと動いたからである。


(生き物……なのか?)


 騎士はその影を注視した。


 そして次の瞬間、その影が踊るように跳ねる。


「な、なんだ……!?」


 影は屋根の上を跳ねるように飛び移り、彼の方角へ近づいてくる。

 すぐに、その影の後ろに小さい影が幾つか追従しているのがわかった。


「な、なんだ? あれ……」「毛玉か……?」


 周りの数人の騎士が、ようやくその存在に気づく。

 次に、そのポンポンと飛び回る影が、獣のようなシルエットであることがわかった。


「な、で、デカ……」「お、狼……?」


 そして至近距離になって初めて、その一番大きい影が彼の身長すら軽く超える巨体であることを認識できた。

 その黒い巨大な狼は、彼の近くへと跳躍した。


『グルァァッ』


 短く、だが脳を直接揺さぶるようなうなり声を上げて、狼は石畳の上に物音もなく降り立った。


「な、なんだこいつは!?」「魔物か!?」「こんなでかい化け物……見たことも……」「なんでこんなのが城に居やがる!?」


 騎士達が困惑して陣形が崩れる。その間に、フェンリルは四本の脚で立ち上がった。


『フゥゥゥ……』


 フェンリルが細く息を吐くと同時に、その襟の毛がまるで鉱物のように鋭利に硬化していく。


『グルァァッ』

「な、ぐァあ!?」「ぎェゃァ!」「コバぱ?」


 そしてその切っ先を騎士達に向けたと思うと、その幾多の硬化した体毛が勢いよく放たれ、鎧と盾と武器ごと、彼らを肉片に変えて飛び散らせた。

 黒い結晶に穴を穿たれた騎士は人形の如く空中を舞い、黒い嵐に揉まれてミンチにされる。

 砕け散った鎧の破片と、血と骨と肉と腕と歯と、盾の破片と黒い結晶が、夜闇に荒れ狂い巻き起こる赤黒い吹雪のように駆け抜けた。

 肉片は地面にぶつかって粘着質のある音をならし、鎧や盾の破片は石畳を引っ掻いて傷つける。

 恐怖に叫ぶことすら許さず、暴虐の嵐は一面を吹き飛ばした。


 数十秒後には、フェンリルの見渡す限りの騎士は、地面をテラテラと濡らす血の池と化していた。

 その様子を一瞥したフェンリルは、黒狼たちに話しかける。


『グァァ……お前達はぁぁ……散らばってる肉片からぁぁ……血液を回収しろぉぉ』

『わかった。リーダー。』

『だけど、大丈夫?』

『こいつら殺したら、盟約違反じゃない?』


 フェンリルの周りにいた黒い狼が問いかける。別に彼らの土地を犯したわけでもないのに、国民を殺すということは魔女の盟約に違反するのである。


『もしも違反となってもぉぉ……あの場所がなくなるだけだぁぁ……。今の我らにはぁぁ……主がいるぅぅ』


 それにぃぃ、とフェンリルは続ける。


『あくまでも我らはぁぁ……反逆者達を殺しただけだぁぁ。盟約違反ではなぃぃ』

『そ、そうかな?』


 黒狼は不安そうに言った。

 だが方便ではあるが、彼らは王族を守るつもりがハナから無かったものの、反逆者を殺したというのは嘘ではない。よって正当性はあり、盟約は守られるのだ。


『ではぁぁ……このまま城を一周しぃぃ……騎士を根絶やしにするぅぅ……』

『わかった』『了解』『承知』


 フェンリル達はその四つ足で血の池を進む。その黒い体毛は血に染められて、赤黒く光っていた。









 本棚の本を掴み、影空間にしまう。

 次の本は「千里眼」と「透視」と「映像記憶」で脳内に保存する。この作業は手に持つだけですぐに終わってしまうのだが、それでも一々この作業をやっていたら夜が明けてしまう。

 そのため、半分は記憶し、半分は影空間にしまう事にしている。


 今回の皆殺し作戦で気がかりというか、やり残したことがある。俺はまだ、王城の中の蔵書を全て読んでいないのだ。

 殆どの書庫の本は、「千里眼」と「透視」を駆使して読んだりしたのだが、人がほとんど使わない上に鍵がかかってはいれない書庫も幾つかあったのだ。

 「千里眼」は扉が閉まっている場所を覗くことは出来ないし、「透視」で本をスキャンしようにも、本が正しくこちらに表紙を向けていないと上手く読み取れない。紙の繊維と断面しか見えなくて、文字が読みとれないんだよな。

 そのため、今ははいれなかった書庫を回って本を読んだり盗んだりしている。道すがら出会った騎士は《探知》の圏内に入った瞬間ナイフを「遠隔操作」して殺している。


 俺だけでは騎士を皆殺しなんて出来るわけがない。

 だから眷属の黒狼達に死体の血を片っ端から吸って貰ってる。

 血を吸われた死体は喰屍鬼となる。あとはそいつらに俺の《男爵級権限》で、城内の騎士達を攻撃するように命令する。

 ついでに黒狼達もさらに放って、騎士達を殺すように言っている。

 物量作戦だ。

 黒狼達には騎士達との戦い方(盾をよけて、鎧の隙間や喉元を攻撃)を教えているので、割と何とかなると思う。


 まあ全滅とは行かなくても、本を回収し終わったら俺が殲滅しに行くから問題ないだろう。


「……っとこれで最後か」


 最後の本を脳内にスキャンして、書庫を出る。

 《探知》で騎士を二人見つけたので、千里眼で確認しつつナイフを飛ばして首ちょんぱ。

 黒狼に場所を教えてさっさと喰屍鬼化してもらう。


 どうやら黒狼達は順調のようだ。さっきからステータスがじわじわとあがっている。

 眷属が吸血した血は、全て俺が吸血したことになるので、俺のステータスが上昇するわけだ。

 てかこれ使えば、俺が戦っている間に眷属に血を吸わせれば、戦闘中に体力回復出来るということか? ずるいな。


 眷属って便利だな。俺が幾ら強かろうと、俺が一人なのは変わりない。つまり手が足りない。一人で同時出来ることは、基本的には一つだけだ。だが眷属がいれば、やれることも増える。

 しかも幾ら眷属の数を増やそうと、餌代も場所も気にしなくて良いから手間がかからない。これからは積極的に眷属を増やしていくか。

 下僕の吸血鬼を増やすというのは、食事もあるしリスクもあるから、アリーヤ以上は増やさないでおこう。


 ちなみに喰屍鬼は「男爵級権限」で従えているが眷属ではない。まあ俺の血に染めれば眷属になるが、今城内を蔓延っている喰屍鬼は俺の眷属ではないのだ。だから影空間にもしまえない。

 とりあえず活きの良い奴を数体眷属にして回収しようと思っているが、それも殲滅がおわってからだな。


「さて、次はここか」


 次の書庫の扉に手をかける。どうやら魔法などではなく、物理的に施錠されているようだ。

 好都合である。魔法で施錠されているなら、この世界の魔法を使えない祈里ではどうしようもないため、扉をぶち壊すしか無い。

 だが、ただ物理的に鍵がかけられているなら、話は別だ。


──「支配」、「透視」


 鍵全体を《闇魔法・真》で「支配」しつつ、《視の魔眼》で「透視」して鍵の内部構造を把握する。鍵は比較的小さいため、「支配」はすぐに終わった。

 あとは鍵のパーツを「遠隔操作」で弄り、内部構造から解錠の仕組みを理解してその通りにパーツを動かせば、解錠完了である。


ガチャッ

「よし、開いた」


 俺は書庫の古くで蝶番が錆びた扉を、軋む音をたてさせながら開ける。

 扉の隙間から溢れ出てくる、カビ臭い古い本の臭い。そして聞こえる奇声。


「ひぃぃいいぃ!」「だ、誰!?」


 いやこっちこそ、誰? って感じだが。


 書庫の中に、中年の貴族っぽいオッサンと、どこぞのご令嬢っぽい派手なドレスを着た娘が居た。白い肌小さめ金髪つり目……どこぞの感謝お嬢様に似てるかもしれない。……いや、血縁ではないな。こいつ巨乳だ。

 確かに《探知》に中から生体反応はあったんだが、ネズミか何かかと思っていた。人間がこんな書庫にいるとは思わなかったし、なにより反応が弱すぎる。

 《探知》の反応はその生物の力の強さに比例する。反応が弱すぎたからネズミか何かかと思っていたんだが……こいつら弱すぎだろう。

 まあ反応が強めの騎士ばかり気にしていたから、俺が変に慣れてしまったって可能性もあるが。


「騎士……じゃないの? ……お父さん、もしかして助けに来てくれたのかも……」

「ハッ……あ、あなたは……勇者様の従者の……」


 派手な令嬢が、その父らしいオッサンにすがりつく。オッサンはそれを聞いて、俺の事を思い出したらしい。

 勇者の従者ねぇ。そんな風に見られていたのか。


「ど、どうかお助け下さい従者様! 私は不正も賄賂も圧政もしておりません! それなのに悪しき宰相に騎士をけしかけられ、なんとか逃げてきたのです!」

「へえ」


 この書庫は、鍵こそかけられていたが殆ど使われていない。それどころか、存在すら知らない人間も多いのだ。それで、この部屋は騎士から見つからなかったのかもしれない。

 その部屋に、鍵を開けて入ってこれたと言うことは、もしかしたらこのオッサンはここの書庫の管理を任せれていたのではないだろうか。

 じゃあ掃除位しろよ。すでに職務怠慢じゃないか。


「私どもを逃がして下さい従者様! 悪しき宰相の手から……」

「え、やだよ」

「は……?」

「だってメリットがない」


 このオッサンと娘を逃がしたからといって、メリットなど何もない。それどころか、面倒がかさむだけだ。


「の、お望みとあらば、金でも女でも酒でも屋敷でもなんでも差し上げます! どうか……どうか」

「悪い」


 俺は書庫の中に一歩入り、少しだけ笑みを浮かべながら言った。


「皆殺しにすると決めたんだよ」 


 俺の言葉にか、顔にかはわからないが、オッサンは凍ったように硬直した。

 隣でうずくまっているご令嬢は、しがみつきながら涙を流して身を震わせている。

 ん、令嬢の方から何か臭うな。失禁でもしたのか?

 あれだ、俺は失禁する事には理解があるほうだぞ? 逃げるために体重を軽くするのは合理的だしな。


「……な、何が楽しいのよぅ……」


 泣きながらお漏らししながら、令嬢は震える声で聞いてきた。

 楽しいって? なぜそんな質問を……ああ、笑っているからか。まあ実際少し楽しんでいるしな。

 しかし、何が、か。別に殺人を楽しむ性癖は無いし、簡潔に言えば「楽しもうと決めたから」なんだが。


「……そうだな。お前達は貴族だろう? 娯楽だって知っているはずだ。人生は楽しまなければ損だってことも分かるだろ?」


 俺はそう言いながら歩みをすすめる。


「だからどうせ鏖殺おうさつするなら、後悔したり無感情に鏖殺するより、楽しんで鏖殺する方が得だろ?」

「ひぃっ!?」


 ご令嬢はさらに恐怖に表情を歪ませ、身を硬直させる。


「まあ、なんだ。悪く思え」




 古びた書庫の中で、二人の悲鳴と肉を裂く音がくぐもって響いた。


 ──黒き夜はまだ明けない。








(…………遅い)


 灰白の石畳に覆われた訓練場に、一人の白銀に光る鎧に身を包んだ騎士──イージアナが立っていた。

 彼女は勇者を捕らえた牢を出た後、一人訓練場へ向かった。

 だれも居ない訓練場を見て、意外と手間取っているのか、と考えていたイージアナだが、流石に遅すぎる。


 訓練場は作戦終了後の集合場所だ。それぞれの任務を終えた騎士団の隊が、ここに集合する手筈となっていた。

 そのため、イージアナ自身の魔力を溜めていた照明が、白く訓練場全体を照らしている。

 訓練場は広い。軍事演習に使われることもあるためだ。しかし今夜ばかりはその広さが、一人でポツンと立つイージアナに寂しさと一抹の不安を予感させた。


 数時間経とうと、誰も訓練場にはやってこない。

 命令違反にはなるが、自分も王城に戻った方が良いか、と考えていたとき、彼女の耳は怪しげな音を捉えた。


「……なんだ?」


 音の出所は、夜空の中天であった。

 黒いドームの天球の先に、月明かりに僅かに照らされた黒い影が見える。

 バサッ、バサッと羽ばたく音は、徐々に彼女の下へ近づいてきていた。

 イージアナはそれを油断無く睨み付け、今は鞘に隠された白銀の美しい刃を持つ刀に手をかける。

 近づいてくる影は、ようやくそのシルエットの縁をはっきりさせていく。

 それは、巨大なコウモリのような羽を羽ばたかせていたが、胴体部分は明らかにコウモリではなかった。

 手があり、足があり、頭がある。服を着ている。

 疑いようもなく、人型である。背中にコウモリの羽を生やした人間が、空を飛んでくるのだ。

 それが着ている服は、全身が真っ黒であった。黒いワイシャツ、黒いズボン、黒い手袋、黒い右目、黒い羽根。

 しかし左目だけは金色に輝いていて、それが真っ黒な夜空にとても映えていた。


 その人物は、空中で羽をしまうと、そのまま訓練場の壁の上に降り立った。

 闇夜を背景に、彼はゆっくりと立ち上がる。

 その瞬間、ようやく訓練場の照明が、彼を照らした。


「お前は……」


 照明に照らされ浮き上がった顔は、イージアナの良く知っているものであった。違うのは、眼帯の有無のみである。

 イージアナは、彼を見上げながら思わずつぶやく。

 彼は、少し口元に笑みを浮かべながら話しかけた。


「月が綺麗ですね、団長さん。『死んでもいいわ』って言ってくれますか?」

「……イノリ、なのか?」



 白い石材で覆われ照明に照らし出された訓練場と、僅かな月明かりと星があるばかりの真っ暗な夜空の境界線上。



 白銀の鎧の女騎士と、黒装束の吸血鬼が顔を合わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る