デッドオアアライブな第十一話

「キャアァァアァァァ!!」


 どこかの婦人の叫び声で、止まっていたような時が動き出した。

 その一点から、ざわめきとも狂乱ともとれぬ波が広がる中、未だに第一王女は思考が真っ白になった感覚から抜け出せなかった。


「じ、女王陛下!?」「宰相! 貴様何を!?」


「静まれぃ腐敗者ども!!」


 宰相が、その精悍な顔に似合った野太い声を張り上げ、獣の咆哮を受けたが如く、会場の貴族たちは身を緊張させた。

 結果、またも多少のざわめきを残して静まった会場の舞台で、宰相は力強く声を発する。


「ここに、国家の困窮に瀕し尚浪費し民を救わぬ愚かな女王と、それを止められぬ愚王は倒れた!」


 宰相はその血に塗れた剣を横に振り、血しぶきを飛ばす。その様は歴戦の剣士に似た物があった。

 事実、宰相はかつて前線を駆けた騎士の一人である。怪我をして引退し、文官となったものの、その貫禄は未だに衰えていなかった。


「そして国王の座に私、ビットレイが、王妃の座にイージアナがつき、新たに国を治めることを宣言する」


 「クーデター」という言葉が、会場の参加者達の頭に浮かんだ。

 そしてより聡く冷静な者は、「王妃」と言ったことが、宰相の女王体制の崩壊という目的を察した。

 イージアナが、同じように剣を振って血を飛ばし、宰相の横に並ぶ。

 この段階になって初めて、第一王女は自身の両親が死んだ事を理解した。

 温かい笑顔と愛情を注いでくれた母の首が、いつも遠くから厳しくも優しく見守ってくれた父の首が、ゴミのように転がっている。

 王女は絶望と、言い知れぬ虚無感に襲われ、膝から崩れ落ちた。

 彼女にとって、両親は唯一信じられる身内であった。彼女が今まで気丈に振る舞ってこれたのは、両親一つの濁りもない愛情のおかげでもあった。

 だが両親は、殺された。

 もう、彼女には誰もいない。

 もう彼女は、誰でもない。


 私はどこ? 私は誰?



 両親は、殺された。


 あの宰相クズに……


 絶望を伴った自我の喪失の中で、しかし彼女の体は非常に精力的に動いた。

 あるいはそれは、自身の存在を否定した者の否定という、一種の本能であったのかもしれない。

 膝から崩れ、膝立ちの状態で第一王女は、脳内で高速に術式を書き上げた。

 自分の出せる最速で、自分の出せる全力を。

 そう調整された攻撃魔法陣が、彼女の眼前に紫の光を伴って書き上げられる。

 舞台の宰相に注目が集まる中で、彼女の周りにいた勇者達でさえも、少女の前に現れた魔法陣に気づかなかった。

 宰相を含めて、誰も気づいていなかった。

 ──ただ一人、イージアナ・イーツェを除いて。


 魔法陣構築の段階以前の、瞬間的な純魔力の放出を感知したイージアナは、自分の身を包む鎧、魔動具『魔動鎧マニュアル』の術式に魔力を流し、一瞬で第一王女に接近する。

 目にも止まらぬ速さで抜き放たれた白光りする刀が、魔動鎧の補助を受けた超人的速度で振り下ろされる。

 一閃。

 白い一筋の光が瞬いたと思うと、第一王女の眼前にあった魔法陣が、回路を切られて破壊された。


(魔法陣が、斬られた……?)


 本来物理的な干渉を受けないはずの魔法陣が、刀の斬撃に破壊された事実に驚愕し、現状も忘れて呆然となる。

 その斬撃の余りで、彼女のツインテールの片方が切れた。

 留め具が壊れ、はじけて落ちた銀と宝石の髪飾りが、地面で金属音を鳴らして跳ねる。

 刀を見てようやく、第一王女は答えを得た。


(古代兵器アーティファクト……。そういえば騎士団長が持っていたのは……)


 第一王女と相対するイージアナを見て、宰相は驚きつつも平静を保ち、声を張り上げる。


「我らは魔女の子! 我らは自身の足で立つ魔女の民である! 我らの窮地を、異世界の愚民を喚んで頼るとは言語道断! 勇者とは我らが魔女のつかえた、かの人只お一人である」


 イージアナの刀が、第一王女の首に突きつけられる。


「勇者召喚などという愚断を下した前女王、女王を止めなかった前国王、そして並びに、実際に召喚したそこの娘は! 死をもってのみ許される罪を犯した! よって、我らの手によって魔女のもとに送る!」


 ようやく我に帰った龍斗が、駆け出すと共に叫ぶ。


「やめろぉぉ! 団長ぉぉぉ!」


「殺せ」


 だが遅かった。

 龍斗の手が届く前に、宰相の冷酷な宣告と共に、イージアナの刀が王女の首筋に食い込む。


 死に際に、自身を守ろうと叫ぶ、憧れの人。

 二度目の跳ねで、眼下に転がってきた、姉からの贈り物。


 それを見て彼女は、ほんの少しだけ、満たされた。





 赤い血を散らして第一王女の首が飛んだのは、龍斗が王女の体を掴んだその時であった。











 ……なんだか会場の方が騒がしいな。

 それに、違和感を感じる……。


「どうしたんですか? イノリ様」

「いや、会場の方で何か……」


 《探知》で強化された聴覚が、かすかなざわめきを捉えた。そして会場内に、纏わりつくような魔力が充満している。

 すぐさま『千里眼』を発動し、で会場をのぞこうとする。だが、なぜか会場の扉は全て閉まっていた。本来ならばどこか開いていて然るべきなのだが……

 なら、『透視』と『遠見』の複合で……


「何!?」

「ど、どうしたんです!? 何が……っ」


 叫びだす先生の口を抑え、体を引き寄せる。

 今騒ぐのは問題だ。


 会場の中に見えたのは、女王と国王の首、そして彼らのであろう血があふれて転がっている胴体。舞台で、血に塗れた剣を手に持った宰相と団長さんだった。

 

 俺は先生の耳元で、静かに囁くように言った。


「お願いだから、静かにしてくれよ……。おそらく、いや確実に国王陛下と女王陛下が、殺された」

「…………ッ!?」


 赤く染まっていた先生の耳が、一瞬で青白くなる。

 口を抑える手の中で、先生が叫ぶのがわかる。

 状況をそのまま先生に伝えれば、先生はよくてパニックに、もしかすると気絶するかもしれない。

 だが俺は、先生の「強さ」を信じることにした。


「殺したのは、騎士団長と宰相。状況から推察するに、クーデターか何かだ」


 血に塗れた剣からして、おそらくそうだろうと考える。未だに俺の腕の中でもがく先生を無視して、より詳しい情報を得られるように努める。

 舞台の上で宰相が何か宣言している。大きく口を開けているから、何を言っているかは断片的に理解できる。

 ……新たな王になる、か。確定だな。

 次の瞬間、何かしようとしていた第一王女の目の前に、フェンリルに劣らぬ速度で騎士団長が迫った。

 んん? 状況がよくわからな……


「あ……」

「……?」


 俺の漏れたような言葉から、何か不穏な気配を感じたのか、第二王女が抵抗をやめて、泣きそうな顔で俺を見る。


「今さっき、第一王女が殺された」

「~~~~!!」


 くそっ! ……こいつ身体強化魔法使いやがった!

 第二王女の身体強化魔法は、2.5倍近くステータスを跳ね上げる。昼間で十分の一にまで俺のステータスは落ちているから、STRだけで言えば均衡だ。正直抑えているのがかなりキツイ。


「オイ……! 落ち着けっ……。今更お前が行ったところでどうしようもない……」


 それでもなお、先生は抵抗を止めない。


「会場がしまっていて、騎士団長がいるって事は……騎士団丸ごと宰相あっち側の可能性が高い……。それをおまえ一人で、どうにかできると思っているのか……それにそもそも……お前だってわかってるだろ?」


 先生が抵抗をパタッと止めた。その青い目から、一筋の涙がこぼれた。


「この国はもう、詰んでる」


 国の三要素は、国民、領土、主権であるが、それらを一つの物としてまとめているのはなんだろうか?

 答えは、主権トップの正当性と、武力の独占だ。

 簡単に言い換えれば、政府の存在を国民が納得しているか、そして治安がしっかりしているか、である。

 ライジングサン王国の主権は、王権神授に近い。国民は、王族が魔女の子孫だから従っているのだ。

 そして騎士団、戦乙女隊、騎士団長の存在が、国内と国外の武力に圧力をかけていた。

 この二つがかろうじてあったから、ライジングサン王国はギリギリの所で滅亡しなかった。


「王族という魔女の血筋と、騎士団という武力がなくなった以上、宰相達がどうするか分からないが、少なくとも今までのライジングサン王国は詰んだ」


 先生の力が弱まる。ステータスを見ると、今まで少しずつ減っていたMPが止まった。どうやら身体強化魔法を解いたようだ。

 あきらめたのか落ち着いたのかは分からないが、暴れて叫び出すような事は無いと判断し、腕での拘束を解いた。

 先生の眼は揺れてはいるが、理性の光が見えた。肌は尚も青白く、唇もふるえている。

 先生は今にも泣きそうな、縋りつくような表情で、俺に聞いた。


「……嘘、とかじゃ、無いんですよね……? ドッキリとかじゃ……無いん、ですよね……?」

「ああ。俺の能力でわかったことだ。信じるか信じないかは別だが、俺は嘘は言っていない」

「……そう、ですよね……」


 先生はうなだれたように、顔を下に向けた。

 堰が切れたようにその青色の双眼から、とめどなく涙が溢れ出る。震えながらうずくまって、体育座りのような姿勢になった。先生はその両膝を自分の目に押し付け、かすかな嗚咽を漏らす。

 絞り出すような、微かな声で、先生は俺に縋る。


「……どうすれば、いいんですか……」


 それは、先生自身の話なのか、国自体の話なのか……

 いや、どちらの話でも、確認することがある。


「まず、第一王女を問答無用で殺したって事は、宰相側は魔力を捻出する方法がある。捕まった場合、あんたは問答無用で殺される可能性が高い」


 この国は、魔力が無いとまともに動けないシステムになっている。これは一朝一夕の改革ではどうしようもならない。

 魔力がある奴隷をかき集めて、魔力を蓄積する方法もあるが、これは国際的に禁忌となっている。かつては奴隷の下に魔畜なる身分が存在していたらしいが、あまりの非人道的なシステムであったため禁止されたのだ。

 まあ裏の世界ならいくらでもあると思うが、国家レベルでこれは不可能だ。


 まあ魔力の供給源に当てはあるのだろう。

 おそらく団長さんだ。彼女はMPで言えば、第一王女にも圧倒的に勝っている。本人は隠していたのかもしれないが。

 団長さんが王妃か女王になる以上、魔力を注ぐ事もするだろう。その場合、むしろ魔力危機的な状況は改善するかもしれない。


「わからないのは主権だな。こんなひっそりとした暗殺を決行したのだから、彼は民衆を率いている訳ではない」


 民衆を率いて王座を取れば、民意を得て十分な主権を獲得できる。これはよくあるクーデターだが、宰相にそんな様子はない。

 貴族にひっそりと話を通したからといって、民衆はついてこないものだ。


「どうやって主権を獲得するつもりなのか……」

「あの……」


 黙って話を聞いていた先生が、呟くように言う。


「宰相様は……王家の血を引いています」

「!?」

「そこそこ遠縁になりますが……」

「それは……もう、だめだ」


 クーデターが最低限成立している。そこを崩すことは出来ない。

 ダメだな。状況が改善されていない。


「なら、先生のとれる行動は二択」


 といっても、限りなく一択に近い二択……


逃げる生きるか、諦める死ぬか。Deadデッド orオア aliveアライブだ」


 先生は少しの間硬直してから、恐る恐る聞いてくる。


「勇者様方と協力すれば……」

「無理だ。あんたも教育側だったら知っているだろう。俺たちは団長さんから、魔動具の使い方も、存在すら教えてもらっていない」

「……気づいていたのですか」

「予想はできる。どうやらそういう本は隠されていたみたいだがな……。いくら勇者達が強くても、魔動具を使う多勢に勝つことはできない」


 存在を知らないという事は、対抗策を知らないという事だ。そんな初見の物量兵器に対抗できるだろうか。

 断言できる。

 絶対に無理だ。








 龍斗の手の中で、筋肉が弛緩した第一王女の胴体が重くのしかかる。


「あ……あぁ……ぁ……」


 嗚咽とも呻きともとれぬ声をひねり、龍斗はもはや首なしとなってしまった第一王女を抱きしめた。

 その様子を冷たく一瞥した宰相は、正面に向き直り、騎士たちに告げた。


「我らとともに魔女と歩む者達よ。この会場の貴族たちを、腐敗者どもを生きて返すな」


 その発言に、会場の貴族たちはざわめいた。


「そして、我が魔女の地を踏み荒らす、異界の蛮人は捉えよ」


 第一王女と龍斗を見て、呆然としていた珠希と葵は、その言葉にハッと我に返った。


「お、お待ちください宰相殿、いや、国王陛下!」


 会場にいた侯爵の一人が、声を張り上げた。


「なんだ?」

「その勇者、いえ、愚者三人を捕らえるのは当然でありますが、なぜ我々が殺されねばならぬのですか!? 我々は魔女の御意志のもと、各地を平定しておりました! 殺される謂われなどありませぬ!!」


 宰相は侯爵の言葉を受け、蔑むように睨んだ。


「我々が関知していないと思ったのか?」

「な……!?」

「この式典には、横領、賄賂、過度な増税、浪費、差別、これらに該当し、王家と共に国を腐らせた者しか喚んではいない」


 愕然とする貴族たち。実際、このパーティーに参加している貴族は、いつもよりも少なくはあったが、王家と繋がりの深い、位の高い貴族は揃っていたから、自然に思えたのだ。

 そういう輩こそ、王家とのパイプに賄賂を捻出するために、圧政を敷くなどしていたから、当然のことではある。


「この会場にいる者達は、生かす価値が無いと判断した。私がな。言い訳は聞かぬぞ? 証拠も揃っているしな」


 会場の貴族たちは青ざめ、騎士たちの軍靴の響く音に、身を震わせた。

 珠希と葵は、自然と互いに体を寄せ合っていた。顔色の悪い葵を珠希が庇うような形ではあるが、珠希自身の体も震えていた。


 そして龍斗は──


「……ふざけんな……」


 ──注意せねば聞き取れぬ程、小さい声を漏らした。

 次の瞬間、眼からあふれる涙を止めもせず、ガバッと起き上がり、叫ぶ。


「ふざけんな! ふざけんなよッ!! 死んで当然の人間なんてッ、いるわけないだろ!!」


 ざわめていた貴族も、身を震わせていた珠希と葵も、眼前にいたイージアナも、全員が龍斗に注目した。

 これが勇者のカリスマか。あるいは、龍斗の生来の主人公属性のなせる業か。

 だがその中で宰相は、ため息をついて冷酷に龍斗をながめた。


「……若いな、勇者よ。こうは考えてみないのか? 人間は誰しもいつか死ぬ。寿命でも、事故でも、刑罰でも、病気でも、自殺でも虐殺でも変わらん。時間の問題というだけだ。で、あるならば、誰しもが死んで当然の人間なのだ、とな」

「……そ、そんなの……屁理屈だ……」


 龍斗は弱々しい反論しか出来なかった。事実、龍斗が宰相の言葉を完全に理解できていたかは怪しい。そして何よりも、宰相の強烈な意志の宿った眼光が、龍斗の身を強張らせていた。

 龍斗の前に、イージアナが一歩足を踏み出した。


「リュート、人間は誰だって、いつでも死に得る」

「……だ、団長……?」

「だからこそ、人は死ぬ理由ではなく生きる理由を探すのだ」


 イージアナは、さらに一歩前に足を進めた。

 舞台の宰相が、抑揚も無く言う。


「イージアナ。茶番はもういい。勇者三人を捕らえよ」

「……わかった」


 歩みを進めたイージアナは、王女の首を斬りとばした刀とは別の、銀の輝きを放つ剣を抜きはなった。

 同時に、周囲を包囲していた騎士が勇者を捕らえんと動き始め、他の騎士は会場の貴族を斬り殺し始めた。


「龍斗! 早く! 来て!」


 言葉足らずながら、葵は必死で叫ぶ。

 彼女たちの周りには、騎士たちの剣を防ごうと結界が張られていた。

 だが龍斗は、うずくまったまま動こうとしない。


「葵! 一瞬結界解いて!」


 珠希は発言と同時に、一瞬で魔法陣を構築した。


(──ライトマシンガン!)


 珠希のオリジナル魔法である。音速を遥かに超えて、一定時間で消える光属性の弾が、ほぼ同時に一定方向に乱発射される。

 その射線は、龍斗と第一王女に当たらずに、かつイージアナを確実にしとめるように拡散されていた。


 だが、イージアナは苦もないように、スルスルと飛来する光弾を避ける。


(嘘でしょ!? この距離で避けるなんて、射線が予測できていないと無理! 射線がランダムなのがこの魔法の利点なのに……!)


 珠希のライトマシンガンは、周りに被害が出ないように作られた魔法である。これ以上の威力を出せば、周りの人間にまで被害が及んでしまう。


「葵! 龍斗の前に結界作れないの!?」

「無理! 今で全力! 騎士の人の剣、思ったより重い!」


 騎士たちは、各々が装着している魔動具『魔動鎧オート』で身体能力を強化し、切断力を増した魔剣で斬りかかっていた。

 まともな補助具も使っていない葵では、現状維持でギリギリなのだ。


 二人の奮闘むなしく、イージアナは歩みを進め、ついに龍斗と相対する。


「勇者同盟宗主国、マッカード帝国の回復魔法は、部位欠損ですら時間をかければ治るらしい。よって、四肢を切り落とし断面を焼いて牢屋にぶち込む。動くなよリュート、動くと余計痛いぞ」

「…………」


 銀色の剣に、赤く揺れる火の魔力が纏われる。

 イージアナにも、教育を経て勇者三人への情が湧いていた。そのため、せめて痛い思いをしないよう、最速で剣を振るう。


 空間ごと斬らんとするかの如く剣が一閃を引く刹那。


 追い込まれ、追い込まれた龍斗は、王女の体を強く抱きしめた。

 ──この子だって、これから先があったのに……生きる理由が、見つかったかもしれないのに!!

 瞬間的に、頭に煌めいた言葉を、しかし確信を持って龍斗は呟いた。


「──『限界突破』」


 イージアナの剣は、なんの感触も伝えなかった。

 まるで感触が無いかのように、ではなく、一切の感触が無く、である。つまり、イージアナの剣が空を切った。

 そしてそれは、龍斗がイージアナの最速の斬撃をかわしたという事を表す。


「……ほう」


 イージアナはその動きを目で捉えられなかった。しかし、感覚・・でどう動いたかは、手に取るようにわかった。

 龍斗は明らかに、その身体能力が上がっていた。


「まだ、死ねない……!」


 イージアナの言葉を否定したいがために、龍斗は限界の扉をこじ開けた。

 王女の骸を抱きながら、加護の黄色い光が、龍斗の体からわき上がっていた。








「逃げるか、諦めるか……」


 先生はその言葉を脳内で噛み砕くために、口に出して反芻した。


 先生がとれる選択肢は2つ。

 だが、俺がとれる選択肢はあと2つある。

 一つは、日の入りを待つこと。日が沈むまでのあと約二時間耐えれば、後は騎士の包囲を突破するのも転移で逃げるのも自由だ。

 問題は、千人以上の騎士が捜索する王城の中で、二時間も隠れるか逃げるかして耐えねばならないという事。逃◯中で解き放たれた100人のサングラス黒スーツ相手に芸人が為すすべもなく捕まるのを見ればわかる。俺には《探知》があるから比較的有利だが、ハイリスクな事には変わらない。


 そして二つ目は、宰相側に寝返ること。俺はあくまでも勇者じゃないし、対外的には知られていない。その上、《探知》という便利能力持ちで、戦闘能力は皆無。俺を宰相が囲っても、対外的に面子は保たれるし、管理も楽だ。よって、俺が騎士たちに捕まって、殺される可能性は低い。

 問題は二つ。一つは、これからの行動がさらに制限されること。宰相に束縛される形となるし、権力を持つ者と深く関わると、行動しにくくなるのは事実だ。

 二つ目は、本当に俺を受け入れるかわからないということ。最悪軟禁されるし、働かせないという事はないだろう。家事スキルはほとんどないから使用人にはならないだろうし、一番考えられるのは、騎士団……




──イノリ、騎士団に入らないか?

──騎士団に……ですか?

──ああ。お前の能力は実戦でこそ役に立つ。それならば勇者の付属品ではなく、一人の兵士として国のために働き、自分の足で歩くのだ

──今は……決められません

──そうか、ならば、どこにも・・・・寄るところが・・・・・・無くなったら・・・・・・、私の元に来い



「……あいつ……」


 寄るところがなくなるって、こういう事を言っていたのか。

 思えば、団長さんの行動は今につながっていた。あの夜外出していたのは、その日に視察から帰ってきた宰相とコンタクトを取るため。勇者に魔動具を教えなかったのは、今この時抵抗する力を削ぐため。そして彼女の「裏切者」という称号。ボイコットされて兵が少ないって言うのに、勇者三人をつけて24時間盗聴させていたのも不自然だ。聞き耳を立てていたのは、国王側ではなく宰相側だったのだ。勇者三人の強さを、脅威を監視するために。俺を監視対象からすぐに除外したのも、あまり監視する意味がなかったからか。

 これだけの要素を繋げれば、現状を予測することも不可能じゃなかった……。

 今、後手に回っているのは、思考をストップさせていた俺の落ち度だろう。


 ……反省するのは後だ。少なくとも、寝返った俺を騎士団として受け入れてくれそうなのはわかった。

 俺はチラッと先生を見る。


(第二王女を売れば、信用も得られるか……?)


 となると、ハイリスクハイリターンに日の入りを待つか、ローリスクローリターンに寝返るか……


 ……いや、こうすればあるいは……ローリスクハイリターンにできる、か?

 しかしそのためにはまず、先生がどうするか決めるのが先だ。


「先生。もう時間がない。すでに王城は騎士に包囲されている。おそらく会場に第二王女が居ないことも気づくはずだ。ここで見つかるのも時間の問題……」

「……」

「ああ、一応仇を討つっていう自殺願望みたいな選択肢もある。だがこれは……」


「……大丈夫です。覚悟は決まりました」


 先生は俺の目を見て、はっきりと言った。未だに顔色は悪いが、もう体は震えていない。


「私は逃げます。逃げて、生き延びます」

「逃げたところで、生きられるかもわからんぞ?」

「自分で切り開きます」

「兵士に見つかる可能性だって……」

「その時は、殺します。かつての自国の兵士を殺す覚悟は、もうできています」


 その目は、揺れることなくはっきりと先を見据えていた。


「仇は、討たないのか?」

「……国王は、優しい父親でした。どうであっても、女王は育ての母でした。第一王女は可愛くて、最後に姉妹になれました……」


 先生は唇を噛み締める。


「宰相を憎む気持ちは、あります。恨みもあります。殺したいと、この手で葬りたいという願望もあります……でもっ」


 俺は、自然と自分の口角が上がるのが分かった。


「私は……死に様まで縛られたくない……!」


 ああ……やっぱり強いな、こいつ。


「わかった。なら俺が《探知》で敵を探る。お前は俺の身を守れ」


 俺は彼女の手を掴んで、引っ張って立たせた。


「第二王女、いや、アリーヤ。俺も一緒に逃げてやる。生き延びるぞ」

「……はいっ」







 会場内に貴族たちの悲鳴が響く中、イージアナと龍斗が相対していた。


「加護を発動したか、リュート」

「…………」


 イージアナの質問に沈黙を返した龍斗は、虚空に手をかざした。


「ライトソード」


 龍斗の手の平に魔法陣が描かれ、黄色い光でできた剣が現れた。彼の最も得意とする魔法である。本来ならばもっと発動までに時間がかかるし、呪文を唱える必要があるのだが、『限界突破』によって二倍にまで引き上げられたステータスが、瞬時の発動を可能とした。

 龍斗はさらに身体強化魔法を使用する。龍斗の身体強化は1.5倍であるため、STR、VIT、AGIは通常の三倍近くまで増加したこととなる。


「──行くぞ」


 踏み込み、跳躍。一般人では目に捉えられない速度で飛び出し、渾身の力で光の剣を振るう。


「くっ」


 イージアナはその斬撃を剣で受け止める。二人の力は拮抗……いや、僅かに龍斗が勝った。

 イージアナは一歩下がると同時に、剣を強引に弾く。

 しかしそこにできた決定的な隙を、龍斗の天性の戦闘の才は見逃さなかった。

 龍斗はイージアナの鎧の隙間に剣を突かんとする。イージアナは腰の刀を居合いのように抜き、そのまま防ごうとするが、何より体勢が悪い。


(捕らえた)


 龍斗は攻撃が決まったことを確信した。

 しかし次の瞬間、イージアナの刀が今までに無い速度で振られる。力を入れていない、速さだけの軽い斬撃をうけたライトソードは、中ごろで二つに折れた。


「な!?」


 破壊され、形を保てなくなった剣は、光の粒子となり霧散する。

 その間にイージアナは体勢を立て直し、再び刀を軽く振った。


「ライトソード!」


 龍斗は再び光の剣を生み出し、イージアナの一刀を受ける。そしてまた、同じ事の繰り返しのようにライトソードが破壊された。


「ライトソード ライトソード ライトソード ライトソード」


 イージアナと龍斗の二つの剣戟が幾度となく交わり、そしてかち合う度に龍斗の光の剣が折れ、宙に舞う。

 ライトソードの残骸である光の粒子に包まれ、一時であるが幻想的な光景を生み出した。


(このままじゃジリ貧だ)


 龍斗は光の剣の創造を止め、イージアナと距離を取ろうとする。


「甘い!」


 しかしその僅かな隙をつかれ、イージアナの足が龍斗の腹に食い込んだ。

 龍斗の体躯は吹き飛ばされ、会場の壁に激突する。


「ゲハッ! ……ゲホッ、カハッ」


 一時的な呼吸困難におちいった龍斗は、そのままうずくまり悶える。


「何を加減しているんだお前は。殺すつもりがないのか……だからこそ、大切な仲間を守れないのだ」


 龍斗はその言葉にハッと前を見た。

 イージアナの後ろ、視線の先に見えたのは、複数の騎士によって縄で捕らえられている珠希と葵だった。


「珠希! 葵!」

「魔封じの縄だ。捕らえた者が魔法陣を使えぬようにする。……お前が私に夢中になっている内に、部下が良い働きをしたようだ」


 そこまで言って、イージアナは一つ溜め息をついた。


「リュート。お前、何がしたかったんだ? 仇を取りたかったのか? 言葉を否定したかったのか? 仲間を守りたかったのか? 誰も死なせたく無かったのか?」


 龍斗は、その全てがどっちつかずな状態で行動した。


「結局お前は半端なんだ。だから零れ落ちる」


 実際、どれ一つとして成し得ていない現状を、龍斗は自覚していた。


(それなら、彼女たちだけでも、守ってやる!)


 龍斗は光属性の魔力を、何の術式も通さずに全力で放出した。

 本来魔力自体は淡い光しか持たないが、大量に放出されたそれは閃光弾の如く、強烈な光を放った。

 閃光弾をモチーフにした魔法は存在する。しかしこれは、魔法陣に通してから一定の時間があり、かつ魔法陣が単純であるため、対策が取られている。

 しかし今回は只の魔力の放出であるため、発動までのタイムラグが無く、防ぎようがない筈だった。


 その会場にいた全員が目を痛め、視界を失う中、龍斗は珠希と葵のもとへ全力で走る。

 そしてイージアナの横を通り抜けようとしたところで、首筋に冷たい感覚を得た。


「え?」


 足を止めた龍斗は懸命だった。

 龍斗の首に当てられていたのは、イージアナの手にある刀。

 龍斗は驚いて横を見た。視界に移ったのは、目を開いてしっかりと龍斗を見つめるイージアナの姿だった。


「な、なんで……」

「お前が目潰しをすると分かったから、目をつぶっただけだ」


 龍斗の思考回路が読まれていた。ただそれだけの事だった。


「そんな……」

「それに、勘違いしないで欲しいのだが」


 そう言うと突然イージアナは、龍斗の首に当てていた刀を下ろし、そして目をつぶった。

 訳が分からなかったが、それを好機と見た龍斗は再び走りだす。

 しかし二歩進んだところで、龍斗はイージアナに殴られる。

 イージアナは未だに目をつぶっていた。

 そのままの流れで、イージアナは龍斗の首を掴み、壁に叩きつけた。


「ガハッ」

「別に、見えなくても戦える」


 そこでようやくイージアナは目を開けた。


「あの場面で閃光を選んだのは、お前の甘さの結果だ。半端さの結果だ。殺したくないから、そんな方法を選んだ。エリアヒール」


 イージアナは龍斗をつかみあげたまま、範囲回復魔法を発動する。

 これにより、視界を潰された人間の視力が回復した。


「お前、何のために行動しているんだ? お前の生きる理由は何だ!」

「ぐぅっ」


 龍斗はまともに呼吸できずに、呻くことしか出来ない。

 そこで龍斗の身を包んでいた、黄色く淡い光が消えた。『限界突破』の効果が切れたのである。

 イージアナは手を離した。龍斗の体は重力に逆らうことなく、地面に倒れ込む。


「カハっ ハァ……ハァ……ハァ……」

「……無理矢理身体能力を上げたんだ。反動でまともに体を動かせまい。四肢を切り落とす手間が省けたな」


 イージアナはそのまま龍斗を拘束する。

 この間に、会場内の虐殺は完了していた。

 血まみれになった会場の舞台の上で始終見ていた宰相は、イージアナに言った。


「イージアナ。勇者三人を牢へ連行してくれ。一人で良い。その後は訓練場で集合だ」

「了解した」

「騎士たちに告ぐ。第一隊は会場の後片付けを行え。第二隊は城内に残っている使用人を皆殺しにしろ。第三隊は逃げた第二王女を追え。各々の任務を全うした後、訓練場へ集合せよ」

「「「「「「ハッ!!」」」」」」


 任務を遂行せんと、第二隊、第三隊が会場から外に出た。

 そしてイージアナは捕縛した勇者達を抱え、牢屋へと歩き出した。

 会場には、いくつもの骸と糞尿が撒き散らされ、そこかしこの床にくすんだ赤色の花がさいていた。







 手を招く動作でアリーヤを呼ぶ。そして彼女の耳元で、小声で伝えた。


「あそこの角から三人。道の真ん中を歩いている。後十歩だな」

「わかりました」


 アリーヤがピンポイントにエアホールの魔法を発動する。

 この魔法は、局所的にほぼ真空状態を作り出す風魔法だ。

 道の奥から、三人の体と鎧が倒れる音が聞こえた。


「クリア」


 人間は一定以下に酸素濃度が無くなると意識を失う。そして真空状態であるために、声を出すことも助けを呼ぶこともなく倒れる。


 すぐさま三人に駆け寄り、鎧の隙間から奪った剣を突き刺す。

 殺すのは念のためだ。人によっては直ぐに意識を取り戻すからな。

 しかしわかっていたことだが、人を殺すのに全く嫌悪感がないな。ラノベだと吐いたりするんだが。実際最初殺したとき、アリーヤは口元を押さえていた。


 この戦法は無敵に思えるが、不意打ちでしか有効でないのだ。魔動具である鎧の効果で、魔法の発動を阻害するものがあるという。詳しくは分からないが、今回はその効果を発動していなかったから、エアホールが成功したのだ。


「では進もう。その抜け道とやらはどっちの道だ?」

「こっちです」


 今目指しているのは、王族が王城から脱出するために作られたという地下道だ。これを通れば、安全な場所まで避難できるという。

 これは王族しか存在を知らないため、騎士たちがいる可能性は無い、とアリーヤは考えているようだ。だが俺は宰相はマークしていると考えている。

 彼が王家の血を引いていること、そして行動は大胆であるが、要所要所が慎重であることを鑑みた結果だ。脱出は出来ないだろう。

 だが俺はこのことをアリーヤに伝えていない。このまま彼女が脱出路を目指して頑張ってくれれば、日の入りまでの時間が稼げるからだ。


 アリーヤの戦闘能力を盾にして、あと約一時間半を耐えきる。そして日が沈む前に捕まってしまったら、俺はアリーヤを売って寝返るつもりだ。

 アリーヤは第二王女ではあるが、ほとんどこの国の腐敗に関わってはいない。よって宰相が彼女を殺すには、大義名分が足りないのだ。

 そこで、俺は捕まったらこう言うつもりだ。「俺は投降しようとしたが、第二王女に《探知》に目を付けられ、無理矢理逃亡に利用された」と。これで第二王女は、一般人を自分勝手に危険にさらして利用した悪人、という事になる。


 捕まらずに日の入りまで時間を稼げたら万々歳。捕まっても騎士団に寝返れば問題なし。これが俺のプランだ。

 アリーヤに希望を捨てさせるのは惜しい。だからこそ、常に希望を持たせるようにコントロールする。それだけの信用は積んできた。


 不意に、血の匂いが濃厚な空間に出た。そこら中に死体や血がへばりついている。


「ここは、一体……」

「……使用人の住み込み部屋があるところです」


 なるほど、そのへんの死体は使用人のものか。

 使用人まで皆殺しとは、徹底している。しすぎている。

 反逆の芽を摘むためとはいえ、これは後に史上で暴君と言われる所行だ。

 たとえ後世に暴君と言われようと、クーデターを推し進める、そんな強い意志を感じる。


「殺戮が終わったからか、この辺には騎士はいない。進もう」

「はい、わかりまし……」


 不意にアリーヤが言葉を止めた。

 アリーヤの様子を見ると、彼女はある一点に視点を固定していた。

 俺もそちらを見て、アリーヤの硬直の理由を察する。


 アリーヤは、震える声で呟いた。


「……ナーラ……」


 部屋の奥に、背中を切られておびただしい量の血を流している、ナーラさんの死体が横たわっていた。

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