リベンジの第九話

 昨晩の道筋を映像記憶でたどり、幻術が発動している部分についたので「幻滅」で幻術解除、とりあえず森の中にあっさり入る。

 装備はいつものワイシャツ──いや、鎧と化したワイシャツと、籠手という扱いの手袋。ワイシャツの修復率は、傷口から流れ出ていた血を垂らしたらいつしか100%になっていた。燃費良すぎる。

 銀のナイフでつけた腕の傷は、少し前に塞がった。この体の瞬間的な再生速度には及ばないが、並みの人間の治癒力は圧倒的に上回っている気がする。


 森の様子は昨日と変わりない。鬱蒼として、何かがでそうなくらい不気味な密林なのだが、生物の気配がこれっぽっちもしない。そして探知は狂いに狂ってる。役立たずめ。

 早々に千里眼を発動し、探知も気配探知だけに抑えて、警戒マックス状態である。

 当然だ。昨日のフェンリルの言葉から察するに、奴はこの森の情報を大体把握しているのだ。きっと俺が侵入したこともばれているに違いない。

 予想としては、侵入するか、「幻滅」を発動させるかのタイミングで、奴が特攻してくると思っていたのだが、実は思いの外冷静なのだろうか。

 まあ目をつぶしてから約一日経ったわけだし、それくらいの時間があったら怒りも収まってるのかもしれない。


『グラァァァアッ!!』


 ……なんてことは無かったみたいだ。

 大きな体躯をしならせ、木の幹も葉も無視するかのようにへし折りつつ、巨大な白い狼──フェンリルが大きく顎を開けて迫ってくる。


「……せめて奇襲するとかさぁ……」


 フェンリルが飛びかかってくるが、その軌道があまりに素直で予測しやすかったため、割りかし簡単に避けることができた。

 とりあえずバックステップで大きく距離をとる。

 フェンリルは殺気を隠そうともせずに、ゆっくりと振り返った。


『性懲りもなくぅぅ……また私の前にあらわれるかぁぁ……貴様ぁぁ!』

「それはブーメラン」


 どうやらまだ目は見えていないらしい。それでも襲いかかってこれたのはやはり、狼の鋭い嗅覚、聴覚、そしてこの森の把握能力のためだろう。

 だが、視覚というのは、こと戦闘においては重要なことだ。

 確かに狼の視覚は、人間よりも大ざっぱで、判別できる色も少ない。だが、視覚はそのほかの感覚を補正する働きがあるのだ。

 なにから臭いがするのか、何から聞こえてくるのか。それを細部まで理解させるのが視覚だ。

 そして反響定位や匂いでは、音速を超えた、あるいは近い攻撃を知覚できない。その点、動体視力さえ鍛えれば、目は音速の攻撃を認識できる。

 対して、俺の視覚は《視の魔眼》によって極められている。さらに探知による気配察知を含めれば、俺はフェンリルよりも感覚の鋭さにおいて優位にあるのだ。


 ブーメラン、という言葉の意味は理解できなくても、その言葉に含まれた嘲笑を感じ取ったのか、フェンリルの顔はますます歪む。

 目をつぶされ、顔もゆがんだその姿に、最初合ったときの気品は感じ取れない。


『貴様はぁぁ……生かして返さぬぅぅ……』

「よほど怒っているな……どうした? そんなに俺に傷を負わされた事が悔しいのか?」


 とりあえず、まずはこいつのヘイトを溜める必要がある。こいつを倒すには、俺自身がおとりとならなければならない。

 だがフェンリルは、俺の言葉に鼻を鳴らし、突撃姿勢で身をかがめながら言った。


『それもあるぅぅがぁぁ、何よりもぉぉ……貴様のような存在をぉぉこの森から排除できぬぅぅ……我が許せぬぅぅ……』


 フェンリルは言葉を切ると、そのまま一吠えした。 


『グラァ!!』


 フェンリルが全身の筋肉をうならせ、再びとびかかってくる。

 タイミングもわかるし距離も離れていたからかわせたが、先程よりもギリギリだった。

 速度が上がっている?


「それほどこの場所が大切なのか? フェンリル」

『当然だぁぁ……この場所はぁぁ、同朋はぁぁ……我の命と同価なりぃぃ』


 最初から最後まで、こいつの動機は同じだったのか……。


 この地を守る。同朋を守る。

 こいつの行動理念は全て、これに完結しているのだ。

 守護こそが自身の生き様とでも言うかのように……


 ああ。イイな。思ったよりもこいつはイイ。


「殺したくなるくらいイイなお前……」

 

 再び迫る攻撃を避けると同時に、 俺の影から、黒い何かが三つほど飛び出した。

 それは俊敏に地を這うが如く駆け、フェンリルの足へ食らいつく。


『なんだぁぁ…………ッ!?』


 それは黒い狼だった。その眼は赤く妖しく光り、理性を感じさせない。

 フェンリルよりも体が二回りも小さいそれに、フェンリルは驚愕の声を上げる。

 そうだ。嗅覚が優れているって言うのならば、それが元同朋・・・ってことぐらい、わかるだろう?


「そいつらは俺の眷属になった……もうおまえのじゃぁない」


 あざ笑うような表情で、嫌みたっぷりに言ってやる。

 昨日殺して影空間にしまい込んだ死体を眷属化してみたのだ。吸血鬼の眷属に黒い狼って、なんか似合うと思わない? 黒い犬の方がいいのかね。別に旦那になろうとは思わんが。


 さて、どうだ?

 お前の守るべき存在が、敵に乗っ取られて自分を攻撃して来た感想は?

 死体に鞭打つが如く、操られているのを見た気持ちは?


 フェンリルの驚愕の顔が、今までに無いくらい醜く歪む。

 その表情から感じられるのは、ただただ怒りのみ。


『貴様……貴様ぁ……きぃぃさぁぁまぁぁ!!』


 フェンリルが連続的に攻撃を仕掛けてくる。

 それまでは、俺の丸太攻撃(?)を避けるために、必要以上の接近を避けていた。が、もうそれどころではないらしい。

 フェンリルは常に俺とゼロ距離を保って、前足、顎体当たりの攻撃を仕掛けてくる。

 俺は眷属にした狼に命令し、フェンリルの動きを阻害するようにする。

 彼らを足止めに使うにつれ、フェンリルの怒りボルテージはあがっているようだ。


『貴様はぁ! 貴様はどれほどぉぉ!!』


 怒りすぎて、言葉があまり意味をなしていないぞ。

 フェンリルが、木の幹とかをガン無視して突っ込んでくるせいで、この周辺は広場みたいになってきた。うむ、計画通り。


 つっても、足止めもそろそろ限界かね。

 案の定、フェンリルは黒い狼達を咥え、遠くに放り投げる。

 どうやら攻撃するのは無しでも投げるのはありらしい。


 すぐにフェンリルが連撃しつつ迫ってくる。

 一撃、二撃と避けるが、それ以上は無理だ。


 俺は風を切り裂くように振るわれた、太い前足の攻撃を、まともに胴体で受ける。

 内臓を守るはずだった肋骨はあっさりと折れ、格納していた内臓に突き刺さる。

 胴体は本来保つべき形をひしゃげ、食道から、気管から、体液と空気を逆流させた。


「ゲぼろッ!!」


 そのまま吹き飛ばされた俺の躯は、木の幹に打ちつけられる。

 動けない俺を見たフェンリルが、とどめとばかりに大顎を開けて飛びかかってくる。

 だが、打撲ならノーダメージだ。


──転移!


 フェンリルの顎が俺の体に届く前に、フェンリルの上空へ飛ぶ。

 これで二回目……

 フェンリルはそのまま木の根元に噛みついたかと思うと、その勢いのまま太い幹を粉々に噛み砕いた。

 強靭な顎だ。


「ちっ」


 どうやらフェンリルも学習したらしい。

 すぐに、上空にいる俺をとらえた。


『逃がさぬぅぅっ!!』


 俺めがけて飛びかかってくる。

 ……これは届くか……


 しょうがないのでもう一度、さらに上空へ転移する。

 昨夜、上空の俺に飛びかかってきた高さを考慮して、十分高度を取ったつもりだが、足りなかったらしい。

 これで三回目、か。


 俺のMPから考えて、一度も催眠、武器錬成をしなかった場合(闇魔法は非常に燃費がいいのでノーカン)、俺が短時間で転移できる回数は7回だ。

 王城から森への転移で一回、さっきの攻撃回避で二回、あわせて三回。残るは四回と言うことだ。安全マージンをとって退路の確保をするなら、上空へ一回、自室へ一回の二回分を残して置くべき。

 よって俺が自由に使えるのはあと二回だ。


 転移は、一時的な緊急脱出として使える。使用回数が限られているなら、よりその用途で使うべきだろう。

 だが、正直この障害物だらけの森の中を、フェンリルから逃げつつ攻撃を与えるなんて無理だと思う。

 対して、上空はフェンリルの攻撃が届かない上に、森のこの一画は、木がなぎ倒されて広場のようになっているため見晴らしがよい。

 さらに、俺という餌に釣られて、フェンリルをこの場に留めさせることができる。

 よって、上空で転移を使い続ければ、自由に攻撃をする事が可能なのだ。


 空気を噛んだフェンリルは、そのまま重力によって下に落ちる。

 その間に俺は両腕を下に振り、影空間に入れていたナイフを八本、遠心力を利用して取り出す。

 そしてそのまま腕を上方へ振りつつ、フェンリルに向けてナイフを投げた。


『ぬぅぅ!? 小癪なぁぁ!!』


 八本のナイフは俺の遠隔操作によって縦横無尽に飛び回りつつ、フェンリルの体表を傷つける。見る限り、闇銀のナイフよりも闇鉄のナイフの方がダメージを与えている。闇銀のナイフは体毛を切る位だったが、闇鉄のナイフはしっかりとフェンリルの肉を切り裂いている。

 しかし致命傷は与えられなさそうだ。何よりも刃が短い。ナイフでできた傷は浅く、恐らくフェンリルの表面の肉しか切れていない。

 普通なら失血死を期待すべき所だが、どうやらフェンリルは、体毛が結晶化する性質を利用して止血しているらしい。

 ステータスを見ても、せいぜい減っているHPは50程度。40000を超えるHPを所有するフェンリルを倒すには不十分すぎる。

 しかし、刃渡りが長い、例えば刀などを投げてもあまり「遠隔操作」の恩恵は得られない。深く突き刺さってしまえば、肉圧による摩擦で「遠隔操作」では刃が抜けなくなる可能性があるのだ。

 フェンリルがナイフに向けて前腕を振るうが、俺が「遠隔操作」でナイフを操る。前腕の空を切った感覚に、フェンリルは苛立たしげに声を発する。


『小賢しい真似をぉぉ!』


 フェンリルの嗅覚はかなり鋭敏らしい。今の動きを見るに、ナイフの鉄の匂いから位置を予測したようだ。


 フェンリルの体毛が揺れる。遠距離攻撃の前兆だ。

 昨日最後に見た時よりも体毛の量は増えているが、全快という訳でもないようだ。再生はするが、何日か時間がいるようだ。


『くらぇぇ!!』


 フェンリルの攻撃の射線にあるナイフは一応どけておく。アダマンタイトが何かは知らないが、かなりの強度を持っていたはずだから、フェンリルの攻撃が当たっても壊れないかもしれない。

 だが、もしも壊れてしまえばナイフは俺の「支配」が解除され、この戦闘中での回収は困難になる。

 別にナイフで攻撃を防ぐ意味もないので、一時避難させておくのだ。


 放たれたフェンリルの体毛の結晶がまだらに俺の視界を埋め尽くす。

 昨夜よりもばらつきがない……命中率が上がっている?

 怒りがフェンリルの集中力を高めているのか、それとも1日練習したのか……

 練習してたとしたら健気だな。


 俺はポケットの影空間から黒木刀を取り出し、俺の心臓に当たる結晶のみを逸らす様にする。

 そして、それ以外の結晶は全て一身に受けた。

 右腕に二発、左腕に一発、左足に二発、首に一発、左頬に一発、肩に一発、腹に三発。計九発が俺の身体に穴を穿つ。

 九発の結晶を受けた俺の体は、血を飛ばしながら上空に吹っ飛んだ。


『なぁっ』


 これでまた高度を稼げた。

 計45ダメージはあまり軽くは無いが、気にしなくても良いだろう。

 錐揉み回転する体を何とか安定させた時には、すでに身体中の穴はふさがっていた。

 遠距離攻撃は悪手と思ったのか、フェンリルは身を屈め、跳躍する姿勢を作った。

 さあ、こっからは持久戦だ。








 とうに夜の帳は落ち、城内は静まり返る。

 半回転毎にある魔動ランプの仄かな灯りを頼りに、カツンカツンと音を反響させながら、イージアナは螺旋階段を降りる。

 目的の扉を前にして、イージアナはノックを四回行った。


『どなたですか?』


 扉の奥からするくぐもった声を無視して、イージアナはさらに三回ノックを行った。


『汝の心は?』


 扉から別の質問がかけられる。


「国にあり」

『汝の陽は?』

「今は沈み」

『汝の望みは?』

「再びの朝日」

『汝の名は?』

「イージアナ。イージアナ・イーチェ」

『………』


 ガチャッという音と共にドアノブが回り、木の扉が外に開いた。


「お待ちしておりました。騎士団長殿」

「うむ」


 扉を開けた若い兵士に短く返答し、イージアナは部屋の中に入る。


「宰相殿が奥でお待ちです」

「わかった」


 イージアナは兵士に告げられた部屋に進み、質素な椅子に座る宰相に、軽く礼をした。

 宰相は彼女に笑みを浮かべながら、しかし真剣な色を保ったまま、彼女に話しかける。


「待っていた。イーチェ騎士団長殿」

「堅苦しい呼び方は不要だ。私はあなたの妻となるのだから」


 冷静にその言葉を出したイージアナに対し、宰相はすこし顔を歪めた。


「あくまでも建て前の話だ。体裁上子供は産んでもらうが、愛せよとは言わん」

「私では不足か? ビットレイ殿」

「そうではない。そなたのような美しき娘は私のような老人には勿体ない程だ」

「老人ではなかろうに……」


 イージアナの言葉通り、宰相は小太りで髭を蓄えた、一般的な中年男性といった風貌で、年も40を越えていない。

 その顔は、美しいとは言えないが、鋭い眼光が異様な説得力を持っていた。


「そなたの好みは、強い男だったはずだ。私は見ての通り強くはない。その上既に妻がいる。私は愛を強要するほどクズではないよ」

「強さとは様々だ。あなたのもつ信念も、強さの一つだ」

「………」


 宰相は言葉をつまらせ、ため息をつく。


「……本題に入ろう……と言っても、報告だけであるが。で、勇者3人の様子はどうだ?」

「監視の報告によると、どうやらリュートを中心に、第一王女と第二王女の仲直りを計画しているとのこと。そのほかは特に変わりない」

「で、あるか……」


 宰相は少しばかり考えた後、イージアナに言った。


「まあ気にしなくてもよかろう」

「了解した」

「では、残りの一人は?」

「変わりなく。寝る頻度は多くなった」

「兵役につかせると言うが、本人の意志は?」

「拒否はしていない。いつかは私の下につくだろう」

「わかった。ならば現状維持だ」


 宰相は無表情に頷いた。


 それから、宰相とイージアナは少しばかり話をし、イージアナは退出する流れとなった。


「イージアナ。そなたの心は変わりないか?」

「愚問だ。私の命は既にライジングサン王国に捧げている。国のためならば命も惜しくない」

「……自分の身も案ぜよ。そなたという『人類最強』の存在が、ライジングサン王国という小国を侵略から守っているのだ」

「わかっている」

「そなたも一人の人間だ……そなたに愛する人が出来れば、私は愛人の存在を黙認する」

「…………失礼する」


 イージアナは表情を終始変えぬまま、踵を返し、部屋を去った。

 しばらくして宰相は、目を閉じ、五指を広げた掌を目の前に掲げ、呟いた。


「全ては国のため……魔女の意志のため……かの腐った女王を廃する……」


 宰相は目を開け、その鋭い眼光で前を睨んだ。


「また……陽は上る」








──転移!


 黄色い光が収まったとき、足元にフェンリルの顎が閉じたのが見えた。

 これで五回目……


 落ちる、というのは体感に比べてかなり速い。そして早い。

 俺の人より高いAGIがあるからこそ、何度か攻撃をできているが、時間にして十数秒しか経っていないだろう。

 ナイフを投げ、勢いがなくなったナイフを「遠隔操作」で回収し、再び投げる。それをくり返す。

 フェンリルは空中で移動できないため、フェンリルが落ちている間は俺の独壇場だ。


 フェンリルの巨体が地面に落ちると、木の葉が舞い上がるが音は響かない。フェンリルはその脚の柔軟で強靭な筋肉で勢いを吸収し、静かに降り立つのだ。

 そして俺を見上げ、飛びかかる姿勢をつくる。

 俺が攻撃範囲に届いた瞬間、その筋肉を脈動し、全身をフルに使って跳躍する。


 ここから上空へ転移し、王城の自室に転移するのに二回。そして俺の転移の使用回数の残りも二回。フェンリルに有効なダメージを入れられていない以上、ここでその二回を使って退却するべき。

 だが


 そんなこと知るか。


 フェンリルの顎が迫る瞬間、俺は上ではなく下を見た。


──転移。


 地面に転移した俺は、フェンリルが落ちてくるのを待つ。

 当然上に居るものだと思っていただろうフェンリルは、一瞬俺を見失ったようだが、すぐに地面にいる俺に気づいた。

 やはり嗅覚は厄介だ。それがあるだけで、不意打ちの成功率が圧倒的に落ちるだろう。


 フェンリルは地面に落ちた瞬間、俺にむかって飛びかかってくる。

 俺は視界の先にいた黒狼が控えている地点に、再び転移した。


『ぬぅぅ!?』


 フェンリルはすぐに方向転換に、飽きもせず俺めがけて跳躍する。

 その瞬間、俺は黒狼の影から、細く黒い糸、「グレイプニル」を手にとり、引っ張った。


「縮め」


 グレイプニルに魔力を流し、その性質の一つ、縮小を発動させる。

 魔力を受けたグレイプニルは、まるであやとりのように複雑に絡み合い、蜘蛛の巣のように空中のフェンリルをからめ取る。

 前脚後脚、首胴顎、尻尾にいたるまでグレイプニルは巻きつき締め上げ、フェンリルの動きを完全に止めた。


『なんだこれはぁぁ!』


 フェンリルが抵抗しようとするが、グレイプニルは軋む音を立てるだけで、びくともしない。

 さすがに伝説の縄(鎖?)の名前をもつ糸だ。STR10000を超えるフェンリルの抵抗にも引きちぎれる気配がない。


『グルウゥウ……』

「無駄だ。この周囲300メートルの木の幹に、均等に力が掛かるように編み上げた。糸を引きちぎることか出来ない以上、逃げられない」

『いつの間にぃぃ……このようなものをぉぉ』

「臭いを消してたから気づかなかったんだろ。気づかないようにしてたし」


 グレイプニルは臭いを消し、ナイフや黒狼の臭いは消さなかった。これにより、フェンリルはグレイプニルの存在に気づけなかったのだろう。

 「支配」で黒くなった物の影は、全て所有者、つまり俺の影空間とつながっている。

 フェンリルとの攻防の中、ナイフをいくつか森の木に刺したのだ。あとはその影からグレイプニルを出し、計算して編み上げればいい。

 グレイプニルを編み上げるときには、《視の魔眼》の「千里眼」が役に立った。これを使って立体把握を行い、思い通りにグレイプニルを操れる。

 千里眼を別の場所を視点にして、何か集中して作業する際、こちらの集中力が落ちる。これは訓練中に騎士団長に気づかなかった下りでわかっていた。フェンリルから森の中を逃げつつ罠を張るなんて無理ゲーである。

 その点、空中戦というのは都合が良かったのだ。別に集中力はそれほど必要なく、フェンリルを長くこの場に留めることができる。

 それに、どれほどAGIが高かろうと、空を飛べない以上重力加速度によって落下する。その速度は一定だ。どれほど時間稼ぎできるかが明白なのは都合が良かった。


 うん。マンガじゃないと無理だと思っていた糸使いだが、俺の「遠隔操作」と「千里眼」と「グレイプニル」があれば可能らしい。強力な武器を手に入れたな。


『グラァ!』


 フェンリルが襟の体毛を結晶化し、周囲に飛ばす。

 だが斬撃に耐性のあるグレイプニルは、その程度では千切れない。


『ぬぐぅぅぅぅ!』

「では」


 うなるフェンリルの背中に飛び乗り、両手に闇鉄のナイフを持つ。

 それをフェンリルの首に突き刺し、うなじを切り開いた。

 念のため周囲の体毛は切り取っておく。これでここら一体は遠距離攻撃に使えまい。


『グラアァアァァァ!!』

「いただきます」


 鮮血が溢れる鮮やかな傷口に顔をうずめ、いつの間にか取得していたスキル「噛みつき」を発動しつつ吸血を開始する。

 トロッと絶妙な粘度を持った血液が、喉を鳴らすとともに食道を流れる。

 昨日舐めたそれ・・よりも純度が高く、濃厚な味がする。

 やはり魔力の高い、あるいは強い魔獣や幻獣の血はうまいのだろう。そうであるはずだ。

 なぜならば、これほど旨いからだ。

 ヘモグロビンの鉄の匂いの中に、生物由来の有機物から生み出される旨味を感じる。そしてアクセントの、潤沢な魔力。

 その芳醇な香りは鼻を抵抗なく通りぬけ、味覚、嗅覚の末端神経から脳へ快楽の化学物質を放出する。

 そこに獣臭さはない。至高で気品ある香りと味が、頭を埋め尽くすのだ。

 飲む度に味わいが深くなり、そして体の隅々まで行き渡り細胞を活性化する感覚に、俺は時間を忘れて吸血した。



 どうだ! 飯テロだぞ! 血を吸いたくなっただろう!!

 え? 別にそんなことない? そうですか。




「よしっ、と」


 ようやく全ての吸血を終え、顔全体を真っ赤に濡らしているであろう血を拭き取る。

 ワイシャツの袖で拭うと、ワイシャツが勝手にその血を吸い取り、修復を開始した。


 ではステータスを確認しよう。これほど格上を倒したのだから、レベルアップしているはずだ。

 というかそうでないと困る。

 レベルアップのアナウンスとかないのかね。あったらわかりやすくては便利なんだけど。




高富士 祈理

魔族 吸血鬼(男爵級)

Lv.13

HP 2712/2712(+500+387)

MP 18334/20070(+5000+0)

STR 3088(+500+101)

VIT 2827(+500+94)

DEX 2513(+500+52)

AGI 3302(+500+91)

INT 5010(+1000+42)


固有スキル

《成長度向上》《獲得経験値5倍》《必要経験値半減》《視の魔眼》《陣の魔眼》《太陽神の嫌悪》《吸血》《男爵級権限》《スキル強奪》《闇魔法・真》《武器錬成》《探知》《レベルアップ》《スキル習得》《王たる器》


一般スキル

《剣術 Lv.5》《隠密術 Lv.5》《投擲術 Lv.7》《短剣術Lv.5》《飛び蹴り Lv.10》《詐術 Lv.2》《罠解除 Lv.3》《飛行 Lv.1》《罠設置 Lv.2》《噛みつき Lv.2》《跳躍 Lv.1》《回避 Lv.2》《姿勢制御 Lv.1》《糸術 Lv.1》


称号

魂強者 巻き込まれた者 大根役者 ジャイアントキリング





 5レベアップしたようだ。もう少し行くかと思ったが、まあ十分だろう。

 ステータスも順調に上昇した。吸い取ったMPは回復にあてがわれたらしい。まあMPだけは勝ってたからな。吸血による最大値の上昇は無しだ。

 MPはレベルアップの恩恵が一番高いから、吸血分のステータス上昇がなくても痛手ではない。


 スキルは色々追加されてる。《噛みつき》と《跳躍》は、この森の狼から得たスキルだ。そのほかの《罠設置》《飛行》《回避》《姿勢制御》《糸術》はこの戦闘で得たスキルだと思う。

 戦闘中はスキルを取得しやすいのだろうか。戦いの中で成長するってやつか。

 《罠設置》はグレイプニルの罠のおかげだろう。そこ、あやとりとか言わない。

 《飛行》は、空を飛んでいたからだろうか? 昨夜翼を出したのも関係しているかもしれない

 《回避》はフェンリルの攻撃を避けまくってたからだな。

 《姿勢制御》は、あれか、落下中の姿勢を制御してたあれか。

 《糸術》もグレイプニルさんのおかげですね。


 そして固有スキルに《王たる器》が追加されている。これは知っている。フェンリルの加護にあった奴だ。

 もしかして、加護持ちからスキルを強奪すると、その加護を固有スキルとして手に入れられるのだろうか。

 このスキルは名前を見ても意味分からんので、鑑定してみよう。


《王たる器》


 王となる器を持つ事ができる。配下の能力に補正。また配下の知能を向上させ、言葉を用いない意志疎通を潤滑にする。



 配下がいないと意味がないし、俺自身には効果はないスキルだな。正直微妙、というか。どうせならあの遠距離攻撃が欲しかったかもしれない。

 この配下っていうのは、俺の吸血鬼としての眷属も該当するのだろうか。


『主人』

「ん?」


 声がした方を振り返ってみると、俺の眷属である黒狼がいた。


「話せるのか?」

『今、突然』


 となると、これが《王たる器》の「意志疎通」なのだろう。どうやら眷属も配下と数えて良いらしい。


「何か用か」

『その、足元の元主人の事で……』


 なんとなく言葉が足りない印象を受けるが、おそらくこのフェンリルの事を言っているのだろう。


「フェンリルがどうかしたか」

『死んだ?』

「殺したよ」

『じゃあ、お願いがある』


 黒狼は俺の目を見つめる。


『主人の眷属にしてあげて』

「フェンリルを、か?」

『うん』


 黒狼は頷く。

 他二匹も同意見のようで、近づいてきて同じように頷いた。


「なんでだ?」

『元主人は、皆を守るために必死だった』

『皆を守るために戦っていた』

『主人はこの森の元仲間を殺すつもりでしょ』


 三匹は口々に言う。


「狩り尽くすつもりだが」

『じゃあ眷属にしてあげて』

『きっとそれが本望』

『僕たちも主人の眷属だから』


 なるほど、ね。

 フェンリルはこいつらを守りたかったのだから、狼全員まとめて眷属にしてしまえってこった。

 しっかしよく喋る。さっきまで操り人形のようだったのが嘘みたいだ。

 意志疎通は出来るようになったが、扱いにくくもなったかも知れない。いざという時、各々が勝手な行動をして命令無視でもされたらたまらない。

 だが、フェンリルを眷属にするというのは、俺に利点はあれど不利はないと思う。

 どうやら眷属は主人を攻撃できぬようだし、食料もいらない。そして要らないときは影空間に潜ませられる。

 フェンリルの高ステータス、そしてあの遠距離攻撃は強力だ。俺の武器となるだろう。


「わかった」

『ありがと』

『ありがとう主人』

『感謝』


 黒狼は満足げに頷いて、俺の影の中に戻っていった。

 空が白み始めている。吸血に結構時間がかかったか。

 眷属化は後回しだ。結構その作業も時間がかかる。とりあえずフェンリルの死体を影空間に回収し、王城へ戻ろう。


 フェンリルの死体は大きく、自分の影を操りなんとか回収した。

 こいつも眷属化したら黒くなるんだろうか。ここの狼を殲滅して全部眷属にしたら、真っ黒集団になるな。俺の服も真っ黒だし。

 どうやらここの結界は、フェンリルを倒したくらいじゃ壊れないらしい。まあ都合のいい場所だから、無くならないのはうれしいな。


 薄紫色の空の中空に視点を合わせ、上空に転移する。

 王城をみつけ、その多くの窓のうち、俺の部屋の窓を探し出す。

 その窓に慎重に視点を合わせ、自室に転移した。








「そこで祈里、君にお願いしたいんだ」


 龍斗が食事中に、身を乗り出してねだってくる。

 いや、男に「お願いっ」てされても、その、なんだ、困る。


「…………。何を?」


 というか全く話を聞いていなかった。そこでとか言われても全くわからん。


「だから、君と第一王女様との会談の話だよ」


 うん待て。いったい何がどうしてそうなった?


「なぜそんな話に?」

「昨日の昼食で話してただろう? 第一王女と第二王女を仲直りさせる話さ」


 そんな話してたか? 全く記憶にないんだが。

 昼食? ……俺寝てたな。そりゃ聞いてないわ。

 適当にサムズアップした記憶がある。そんなめんどくさそうな話してたのか。

 仲直りねぇ。そんなに仲悪いかね。悪いか、会話ないし。


「で、なぜ会談?」

「君は第二王女様と親しいだろう? 僕たちは第二王女様とは殆ど面識がないから分からないし、あの人形のような王女様と話しても、内心は読めないと思ってね」

「俺も第一王女とは親しくないぞ?」

「そこで会談さ。第二王女様の事を知っている君が直接第一王女様と話すことで、二人の仲を把握して欲しいんだ。もちろん僕たちも協力する」


 えー、あの金髪ツインテ感謝強要姫と話すの? 俺フェンリル倒したばっかで疲れてるんだけど。


「というかそもそも、あの第一王女が勇者でもない俺と会談なんてするか?」

「僕がお願いした」

「俺は以前風呂に入るのを禁止されたんだが?」

「あの時とは違うさ。僕が第一王女様を篭絡したからね」


 ……何を言っているんだこいつは……

 おい、気づけ龍斗。隣の珠希が冷たい視線を送っているぞ。


 というか、あの二人の仲なんて、部外者中の部外者である俺達が介入していいのか?

 あ、そうか。部外者だから堂々と介入できるのか。他の人間は、女王位継承権とか云々の問題がまとわりつくからな。

 部外者であり、かつある程度の権力が保証されている勇者なら介入できると。まあそこに俺は含まれていないのだが。

 ふむ、龍斗もさすがにいろいろ考えているな。

 策を考えた結果が「仲直り」というあたりが、お人好しというか。


「俺にメリットがない」

「協力してくれないのか?」

「俺は親指を立てて激励しただけだ。協力するとは言っていない。面倒」

「じゃあ、何とかしてパーティーに参加する権利をあげるよ」

「パーティー?」


 なんだ、またあのザ・浪費の会を開くのか。そんな財力に余裕は無いだろうに。


「第一王女様の誕生日パーティーだよ。知らないのかい? というか、そのときに仲直りさせるつもりなんだけど」

「全く。これっぽっちも」


 誕生日パーティーなんてあるのか。ていうか誕生日なのか。

 知らなかったっていうか、教えてくれても良いじゃないかナーラさん。いくら参加できないとはいっても。

 ふむ、確かにあの、何も出来ずにパーティーを眺める時間は嫌だな。


「隣国の勇者はくるのか?」

「国内の貴族だけを集めるらしい。国外から来賓を呼ぶ余裕は無いみたいだ」


 なら面倒な奴伊達ジャスティスに絡まれる心配も無いわけだ。

 だけど……


「メリットが少し弱い」

「第一王女様に頼み込んで、週一で休みを作ってもらおう。休日は各自自由で」

「乗った!」

「あんた即決すぎるでしょ!」


 珠希が突っ込んでくるが、知ったことではない。

 休日、休日だ。一日中寝てやるぜ!

 休日サイコー


 かくして俺は、仲直り作戦に巻き込まれることになった。

 第一ミッションは、第一王女との会談である。既にやめたくなってくるが、それも休日のためだ。我慢してやろう。


 だが、俺は後に、この軽い決断を後悔することになる……


……かもしれない。ちょっとだけ。

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