割とピンチな第七話

 はい、只今謎の幻想空間に来ております。現場から中継をせずにお伝えします。

 まず、ここがどういう所なのかと言いますと、一言で言うならば秘境です。

 グネグネと縄のようにねじれる巨木が、時として複数絡まり合い、そのふさふさとした枝葉から幾数もの蔦が地面へと降りる。岩があちこちの地面から飛び出しており、表面にはびっしりと深緑色の苔が生えている。崖や滝などが乱立し、まさに幻想的な空間を生み出している。

 と、私の目の前の光景をありのまま説明すると、こうなります。とても湿度が高いのですが、むしむしとうざったく感じることはなく、寧ろ清涼感が溢れ、生き生きとした気分になります。

 なんでしょう。マイナスイオン、というのでしょうか。

 ちなみに科学的にはマイナスイオンなんて言葉は存在しません。科学は神話の一形態であると言われるように、絶対的な理論ではありません。そのため私は科学的でないからと言って否定することはありませんが、「イオン」なんて化学用語を半端に使うのは胡散臭いと感じます。


 閑話休題。


 さて、そんな幻想的、ファンタジー空間ですが、これだけの森なのに、虫や他の動物は全くいません。

 この空間に存在する生物は、一種類だけ。


 目の前の茂みがガサガサと揺れて、その全貌が明らかになります。

 身体中を灰色のフサフサとした毛皮で包み、その鋭利な顔にある大きな顎を噛み締めて、喉の奥を低く震わせる。

 そう、狼です。



 って、飛びかかってきた! ちょ、ちょっとタンマ!!


 俺は現実逃避のためにやっていた脳内実況を止めて、狼に向かって網を投げる。

 四肢を網に絡ませ、団子状態になりながら、未だに慣性を失っていない狼をよけ、その瞳に向けて《陣の魔眼》催眠モードを発動する。


「……よし」





No name

狼系魔物 グレイウルフ

HP 1052/1052

MP 352/352

STR 956

VIT 852

DEX 429

AGI 982

INT 651


加護

なし


称号

なし




 ひとまず狼もといグレイウルフの吸血を終えて、影空間から外にでる。

 探知を広げてみるが、遠くに行けば遠くに行くほど狂っているようだ。

 誤算。この空間では、《探知》はまともに使えない。

 そしてさらにまずいことに、只今絶賛迷子中でございます。

 そりゃ現実逃避もしたくなるよね。


 《探知》が狂っていることに気づいたときにはもう遅かった。めんどくさがらず、枝葉をよけて千里眼を使って遠くの地形を把握していれば、《探知》と現実の差異に気づけたはずだ。

 てっきり『幻滅』で、もう幻惑系は解除したものだと思っていたからな。

 《探知》はあくまでこの世界の加護だから、対抗策はあるんだろう。ちょっと過信してたな。

 反省である。


 《隠密術》を使いながら、蔦をよけ岩をよけ枝をよけ、まさにジャングルをかきすすむ。

 グレイウルフはケッチョーよりも上位の魔物のようで、もうめっきりあがらなくなっていたレベルが1上がったから、うれしい部分もあるのだが……

 迷子ってだけならまだ良い。強引に帰る策もある。

 問題は、魔物が狼系ってことだ。

 狼系魔物にはボスが居るって定番がある。しかもこの森はグレイウルフしか出てこない。

 十中八九ボスが居るだろ。しかも結構強い奴が。

 フラグですよどう見ても。明らかに来てはいけない空間に来てしまった。

 十数分前の俺に忠告したいね。もっと警戒心を持てって。


 しかし、あんまりワイシャツ汚したくないんだがなぁ……。枝とかで裂かれないか心配だ。唯一の地球から持ってきた服だからな。

 いつもの騎士服はダンジョンで汚れてしまったのだよ。そのため現在洗濯中。あと俺に残された服は、このワイシャツくらいしか無かったのだ。


「ん? 光?」


 絡まり合う蔦や葉っぱから、木漏れ日のように薄く光が漏れ出ている。

 掻き分けて進むと、巨大な木が生えていて、その周りはそれまでの鬱蒼とした森が嘘のように、広場のごとく開けている。

 端の崖からゆっくりと滝のように水がこぼれ、一部で泉を形成する。

 特にここは、清涼感が強いように感じた。


「──あー、ここ絶対やばいところだ。」


 どう見てもボスステージである。

 さすが神秘の森の中心ってか。

 なんかどっかのRPGで出てきそうな光景だ。

 これはあれだな、

必殺、見なかった振り! Uターンしてそのまま帰る!




「まわれー、右っ

        と

        ぉ

        お

       お

        ぉ

       お

       ぉ

        お!?」


     ドカッ!!


「ガハッ……」


 慣性と木の幹に胸腔が圧迫され、肺の中の空気が締め出される。


 突然俺の視界に白い霞が映り、訳も分からぬまま空中を飛ばされ、気がつけば木の幹に脊髄を打ち付けていた。


 いや、それは左目の話だ。

 右目、《視の魔眼》ではちゃんと見えていた。

 白い霞の正体、その巨体。

 視線で獲物を狩らんとする鋭い眼光、ヒト一人を丸呑みできる大きな顎。尖った耳に美しく月明かりを白く反射する毛並み。

 まさに巨大な白い狼。




フェンリル

狼系幻獣 白狼

HP 40500/40500

MP 12600/12600

STR 10130

VIT 9400

DEX 5200

AGI 9100

INT 4210


加護

『王たる器』


称号

『灰狼王』






 はいはいテンプレ乙。フラグ回収乙。

 フェンリルとかファンタジーあるあるですね。

 てか魔物じゃなくて幻獣ってなってんぞ? それってもう少し強くなった中盤くらいに出てくる奴じゃね?


 ちなみにさっき起こったことを左目で説明すると、俺の右腕にフェンリルが突進して噛みつき、そのまま俺の腕を咥えながら走り、俺は途中にあった木の幹に打ち付けられたということだ。


 木の幹に打ち付けられた俺の体は、重力加速度をもって落ちる。


 ビーーーーーーーー!!!


 《探知》の警報だ。

 それが無くともわかる、背後から迫る威圧感。死の予感。

 千里眼をまともに発動していないし、今からじゃ遅い。


──ただ分かるのは、このままだと死ぬと言うことだけだ。


 背中を木に打ち付けてから、俺の体は落下中だが、まだ地面まで一、二メートルある。

 四肢をもがこうとも空を切り、手に当たる感触はない。

 右腕など、肩から先の感覚がない。

 何も掴めないなら、空中を移動することはできない。ましてや攻撃を回避することなど不可能だ。

 しかしその攻撃は、警報があったということは、死ぬ可能性がある強力な何かだと言うこと。

 つまり、よけられなきゃ、死ぬ。


(──飛ぶしかねえ!)


 俺はとっさに、今までだしたことのない「羽」を背中にはやす。

 その形状を確認しないままに、無我夢中でそれを羽ばたかせた。


 次の瞬間、自分に限りなく近い空気がうなる。バキベキという、木片の破砕音が聞こえた。


 ブワッと移動する体は、一切の安定性もなく宙を移動する。

 俺の体は移動しながら数回縦に回転し、首から地面に落ちた。


「いっつ……」


 痛いながらも、おそらく折れてもくじいてもいない首を確認し、高ステータスの体に感謝する。

 俺は体をでんぐり返りのように回転させ、四つん這いのような姿勢をとった。


 先ほど俺が居た木を見てみると、そこには白い巨体──フェンリルが、バッキリと折れた大木の幹を噛み砕いていた。


 つまり、フェンリルは木の幹ごと俺の体を後ろから喰おうとしたって事である。

 ワイルドだなこのやろう。


 ポタポタという音が聞こえて初めて、自分の体の下の地面に小さな血だまりが出来ているのがわかった。

 その血の流出元は、俺の右腕、否、右肩口である。


(右腕……喰われたか……)


 俺の肩の皮膚は引っ張られたように裂け、血管を通る行き場を失った血液が、湧き水のように筋繊維の隙間からにじみ出ていた。

 未だに体温を失っていない生暖かい血液が、ワイシャツの内側を流れ落ちて、白いポリエステルの布地を赤黒く染め上げる。

 肩口から白いのが突出している。おそらく上腕骨の一部だろう。

 その骨は全体の三分の一くらいに折れてはいたが、引きちぎられた肉と違い、未だに残っていた。


 自覚してから、身体中を痺れさせるような激痛が走る。それだけで全身の筋肉が硬直し、声にならぬ声が出そうであるが……


──まあ、気にしなきゃいい話だよな。


 痛みは俺にとって重要な要素ではないため、情報を早々に切り捨てる。腕がなくなったことでの目下の問題は、片腕が無くなったことで、今までのようにスキルが使えるかと言うことだ。

 しかしそれも、実際に動いてみなければわからないことなので、今のところ保留だ。


「さて、」


 俺は立ち上がり、木片を咀嚼する白い狼を見据える。

 その様子に気づいたのか、フェンリルは木を吐きだして、俺をその鋭い眼光で貫いた。


『人間ンン……如何なる用でぇぇ……ここに来たぁぁ……』


 頭に響かせるように、低く渋い声でフェンリルが話しかけてきた。

 まあ喋るよね。幻獣とか言ってるし。もしかしたら人化も出来るんじゃないか? テンプレ的に。


「何のようかと聞かれたら……何だろうな……。強いて言えば、迷子?」

『……迷子だとぉぉ?』


 フェンリルが懐疑的な声を出す。

 ……ふざけた理由だと思うが、まさにその通りなのだから仕方がない。

 というか、その間延びた口調は何なんだ。しゃきっとしろ。


『我が同胞をぉぉ……殺しておいてぇぇ……何を言うかぁぁ』

「いやあれはあっちが襲ってきたというか」


 俺から攻撃したことはないのだし、正当防衛だろ。いや、そうすると縄張りに侵入した俺が悪いのか? 俺だって迷子になってなかったら出たかったって言うのに。


『ふん、如何にせよぉぉ、ここを知ったおまえをぉぉ……生かして置くわけにはぁぁ、ぃいかないぃぃ』


 こういう問答無用展開良くあるけど、最初に質問してきたのお前じゃね? どちらにせよ殺すなら聞くなよ……


「なんだ? ここって重要な場所なのか?」


 ダメもとで聞いてみる。


『……冥土の土産に教えてやるぅぅ……。』


 答えるんかい。


『ここはぁ魔女の盟約が結ばれた土地だぁぁ』

「魔女の盟約?」


 魔女って言うと、勇者のパーティーの魔女か?


『我らが森の魔物を間引きぃぃ……代わりに魔女がぁぁ安住の地を用意するというものだぁぁ』

「へえ」


 するとあれか、森にほとんどケッチョーしかいなかったり、居てもゴブリンだけだったりしたのは、こいつらの仕業って事か。

 この場所は魔女が作ったのか? すると、あと結界? 幻術も彼女の作品って事か。


『またぁ、侵略者の排除もぉぉ我らの仕事だぁぁ』


 魔物を間引いて王都の危険を減らし、ついでに防衛にも利用するってことか。うまいな。


『我らはぁぁ……この土地の侵入者やぁぁ、知ったものの排除をぉぉ……盟約に許されているぅぅ』


 それまた過激なことで。まあ理由は何となく想像つくな。

 こいつらは王都を守っている訳だが、それを住民が理解できるとは限らない。脅威は排除するなんて理由で、この場所が脅かされる位ならば、最初から知られない方がましってことね。


「で、俺を殺すと」

『そうだぁぁ、たとえ貴様に害が無くともぉぉ……許すわけには行かないぃぃ』


 フェンリルが俺を鋭く睨む。そこに躊躇いは一切存在しない。あるのはただ純粋で研ぎ澄まされた殺意のみだ。


『右腕もなくぅぅ、魔動具ももたぬ身でぇぇ……まともに戦える訳はないぃぃ』


 あぁ、そうだわな。あんまりにも絶望的な状況だな。

 魔動具、ね。魔物への対抗手段だと思っていたが、かなり重要なものらしい。

 唯の人間は戦えず、魔動具があって初めて、魔物と戦えるわけだ。団長さんもいい加減教えてくれても良いものを。


『無駄な足掻きはやめぇぇ……降伏すればぁぁ、苦しまずに死なせてやるぅぅ』

「すまないが死ぬのは嫌なんでね」

『馬鹿なことぉぉ……ならば次は左腕をもらっ……!?』


 突然フェンリルの表情が変わる。

 びっくりしてるような? 信じがたい物を見るような目で俺を見る。失礼な奴だな。


『貴様ぁぁ……その腕ぇぇ』

「ん? 腕?」


 …………

 あれ?

 右腕が、ある。


「あれ? なんで?」

『貴様ぁぁ、人間では無いのかぁぁ』


 あ、そうか。吸血鬼だから? ってことか。

 吸血鬼は異常な再生能力があるって事でオーケー? いや答えてくれる奴はいないんだけど。

 まあミスリルが弱点って事は、ミスリル以外で攻撃を受けても大丈夫ってことかね? なにそれ無敵じゃね?

 とりあえずHPを確認してみようか。


 HPは、減ってる。80位減ってる。

 これは少ないと考えるべきか? でも、これ一発で一般人は瀕死って事を考えると、多いといってもいいかもしれん。

 どう再生されるのかも知りたいし、検証すべきなんだろうが……


『人間でないならばぁぁ……危険だ貴様ぁぁ、命乞いをする暇などぉぉ与えぬぅぅ』


 今はそれどころじゃない!


 後ろ脚の筋肉が膨張し、直後、大顎を開いたフェンリルが、ロケットのように飛びかかってくる。


「ふっ」


 出来得る限り最速で地面を蹴り、地面を抉るようなフェンリルの噛みつきギリッギリで回避する。

 AGIは三倍くらいの差があるが、反応速度なら《視の魔眼》を持っている俺に分がある。

 あらかじめ攻撃がわかっているなら、かわすことも出来るのだ。


(ほんとぎりぎりだけどな!)


 着地したそのままの勢いで駆け出す。

 森の中を逃げるのは愚策だろう。森の千里眼の使い勝手が悪いのは致命的なのだ。どこから来るかもわからない攻撃をよけるのは無理。

 だからといって広場に出るのもまずい。「どうぞ狙ってくれ」と言っているようなものだ。

 森の木はフェンリルにとって大した障害にはならないが、それでも何もないよりは動きにくくなる。

 ならば俺がいるべき場所は、森と広場の間、その境界だ!

 

 広場は石畳でできており、神聖そうな巨木の周りを、ドーナツのように広がっている。

 円の形になっており、その縁は森があるが、一方向には僅かな木と崖、そして泉がある。ここだけネックだな。


 縁を走って、広場の中心の巨木が、フェンリルと俺の間にくるのがベストだが、広場は結構大きい上、あちらの方が速いので無謀だ。

 広場に飛ばした千里眼を使ってフェンリルを捕捉する。後ろを向き直って確認する余裕はない。


 フェンリルは、動いていない?

 怪我をしたとか、こけたとかそういう様子ではない、俺に向かって飛びかかるような姿勢を作りながら、動いていないのだ。

 突然フェンリルの、襟のようにふさふさしていた白い毛が揺れる。風ではなく、その毛自体が意志を持っているかのように。

 そしてその毛が一際大きく揺れたと思うと、次の瞬間には鉱物のように硬くなっていた。


『ハァァッ!!』


 バシュッという音と共に、その白い鉱物の破片のようになったフェンリルの体毛が、走る俺に向けて一斉に発射された。


「ぐあっ!?」


 数十個の質量弾は、ほとんどが外れて木や地面に刺さったが、4つが俺の体に穴を開ける。


 くそ、まさかの遠距離攻撃か。


 俺の体に刺さっていたフェンリルの毛を引き抜く。再生するかはわからんが、とりあえず傷口は放っておくしかない。

 あ、フェンリルの毛はちゃっかり影空間に回収します。後で調べてみたいので。


 フェンリルは発射後の姿勢のまま後ろ足を折り曲げ、再び驚異的な速度で飛びかかってくる。

 こんだけデカい体が高速で飛んでくるのは恐ろしい迫力があるな。


 目の前の木を蹴ることで体の運動の向きを180°反転させる。

 瞬間、その木をフェンリルが破壊しながら突っ込んできた。大木だったそれは無残にも砕け散る。根元から砕かれた木が、フェンリルの強力なパワーを物語っていた。


 さっきよりも距離があったし、速度も遅かったから余裕を持って避けられたな。

 さっきの遠距離攻撃でくらったダメージは4つ合わせて20くらい。

 これは思ったより少ない。確かにフェンリルの噛みつきのほうが威力はあっただろうが、今回の攻撃の一つは腹に食らっており、恐らく内蔵も破壊された。喉から血の味がするし。

 考えようによっては右腕一本よりも深刻な筈だが、ダメージはかなり少ない。よくわからんな。

 まあ検証は後日だ。


 どうやら体の穴も再生されているようだ。再生の様子はよくわからなかったが、血が傷口で渦巻いていたようにも見えた。これも確認は後日。


 フェンリルは、今度は木の合間を縫って即座に追いかけてくる。

 まじかよ。

 正直遠距離攻撃をしてくれた方が楽だ。


 AGIに差があるので、すぐに追いつかれる。

 木をうまく使ってかわしているが、かなり危険な状態だ。 

 噛みつき、逃れ、体当たりを体を捻ってよける。先程から、フェンリルの顎と俺の体の距離は二メートルも離れていない。

 後ろを振り向いたりしたら、即座に食われてお陀仏だろう。なんとか千里眼で見れているので、前を向いて後ろからの攻撃を避けられている。

 千里眼で見るときは、自分の位置を第三者視点で見るから、実戦で千里眼のみに頼るのは難しいかと思っていたが、案外できるものだ。千里眼でスキルの訓練をしていた成果が、思わぬ所で活躍しているのかもしれない。

 しかしそれでも、時間の問題だ。


『ガァッ!!』

「ゲフッ!」


 森の切れ間、つまり、崖と泉の場所に差し掛かった瞬間、俺は腹に攻撃をくらった。

 と言っても掠っただけだが、それでも肉は抉れ、トラックと衝突したような鈍い衝撃が体に残る。あばら骨も幾本か折れているだろう。

 このままじゃ危険だ。すぐに食われる。


 俺はとっさに影空間からある物を取り出した。

 それは、以前『支配』がどれほど大きいものまで有効なのかを調べるために使った木だ。

 その幹も葉も根も、全て真っ黒に染められている。それが三本。なんの役にもたつか分からなかったが、取りあえず影空間に入れておいたのだ。


 狙うのはフェンリルの足止めだ。こいつは網を使うには大きすぎる。

 この森の木よりは小さくても、フェンリルの体相当の大きさはある。距離を稼ぐには十分な足止めになるだろう。


 真っ黒な木を三本、遠隔操作でフェンリルに投げつける。

 至近距離から突然現れたそれを、フェンリルは避けることができず、直撃する。

 二本はフェンリルの胴体にぶつかり粉砕されたが、一本が前足と後ろ足の間に絡まった。


『ぬ!?』


 よし、目論見通り!

 フェンリルが挟まった木に狼狽えている間に、全速力で距離をとる。

 砕け散った瞬間、木の「支配」が解けたみたいだ。物理的衝撃だったり、壊れたりすると「支配」が解けるのは確認済みだ。これで俺の手元に木は無くなった。


 ちょっとまずいな。

 さっきの掠った攻撃で、ワイシャツの胸ポケットが千切られた。

 ワイシャツがより悲惨に破れているんだが、今はそんなことどうでもいい。

 問題なのは、「カンペ」が無くなってしまったことだ。

 《陣の魔眼》は、魔法陣のストックが一つしかない。故に、精神干渉と転移の効果を切り替えるためには、一回その魔法陣を見て上書きしなければならないのだ。

 俺が「カンペ」と呼んでいるのは、その精神干渉の魔法陣と召喚の魔法陣の二つが書かれた紙のことだ。これを胸ポケットに入れていたのだが、さっきの攻撃を受けて紛失してしまった。

 今の俺は《陣の魔眼》の効果を切り替えられない。そして現在の《陣の魔眼》の効果は精神干渉、つまり催眠だ。

 つまり、転移で緊急脱出が出来ない状態だと言うこと。

 非常にピンチである。

 フェンリルの強さを見ようとか思わずに、さっさと逃げておけば良かったかもしれん。


 ならば、そろそろ攻勢に転じるか。

 このまま逃げるだけだと、なんの活路も見いだせないし、なによりこのままじゃあ俺が納得できない。


 走りながら、影空間から黒木の投げナイフを取り出す。それを広場に向けて全力で投げた瞬間、闇魔法の遠隔操作で空中に留める。

 ホバリングしているような状態だ。投げナイフの進行方向と反対側に《闇魔法・真》の遠隔操作で力を加える。

 結果、ナイフは投擲された力を失うことなく、空中に留まることになる。このまま遠隔操作を止めれば、投げたときのそのままの勢いで再びナイフは射出されるのだ。重力も考慮しなければならず、結構難しい技術なのだ。

 

 俺は走りながらホバリング状態のナイフを設置していく。

 今の俺は同時に40本のナイフを遠隔操作で操れる。召喚された当初は25本くらいだった。俺はINTが関係していると考える。いくら《闇魔法・真》で最大効率の魔法を自由に使えるとしても、同時に幾つもの物を操れるかどうかは術者次第だろう。

 INTは、思考速度とか並列思考とかに関係するんじゃないか、ってのが俺の考えだ。闇魔法は最初から最大効率で運用できるからそんなに実感は湧かないのだが、呪文詠唱とか術式構築とかが早く、効率的になるのかもしれない。





 狼さんが追いかけてくるのを避けつつ、広場を一周。ようやくナイフを40本、ぐるっと360°に配置できた。フェンリルは俺から120°位離れた場所で足を止めている。

 フェンリルの毛が揺れ始める。遠距離攻撃の前兆だ。そしてフェンリルが足を止める、絶好の機会。


──今だ!


 俺は40本のナイフをフェンリルに向けて発射させる。

 あるナイフは直線に。

 あるナイフは縦横無尽に。

 あるナイフはジグザグに。

 あるナイフはジェットコースターのレールのようにグネグネと。

 あらゆる方向から、あらゆる軌道で飛ぶナイフは予測不能。遠距離射撃の準備で足を止めていたフェンリルに、よけられるはずもない。


 結果、見事全弾的中。


 だが──


(硬すぎるだろ畜生!)


 フェンリルにダメージを負った様子はない。全てその体表で弾かれてしまった。

 破片のように硬くなっていたフェンリルの襟の体毛をよけて、柔らかい部分を攻撃したのだが、それでもナイフがフェンリルに刺さることは無かった。


 つまりそんだけ素で堅いってことだ。まあ黒木のナイフは硬いだけで、鋭くもないし重くもない。もともとまともな攻撃になるとも思ってなかったが、ノーダメージは想定外だな。

 実は黒木刀の中に、こんな物を紛れ込ませて居たのだ。




闇銀のダガーナイフ(作者 高富士 祈里)

品質 A-  値段 70000デル

闇銀製のナイフ。鋼鉄並の硬さと鋭さを持つ。黒の光沢が美しいが、銀色の美しさが損なわれているため装飾品としての価値はあまり無い。




 あの蝋燭立ての仕込みナイフになっていた銀に、闇魔法の力を錬成してみた結果だ。こいつならまともなダメージを入れてくれるかと思ったが、体毛を少し切っただけで、その皮膚に弾かれてしまったようだ。

 これは計算外。


『無駄だぁぁ』


 フェンリルはそのナイフを気にする様子もなく、用意していた弾丸を俺に向けて発射する。

 どうやらコントロールはあまりつかないようで、大体の破片は俺から外れるのだが、恐ろしいのはその弾幕だ。

 弾の軌道は全部見えるが、全弾避けることは不可能だ。

 単純に俺のAGIが足りていないのもあるし、なによりこの密度じゃあどんだけ速くても避けられるとは限らない。


 黒木刀を影空間から取り出し、走りながらフェンリルの体毛を弾く。切れ味も重みも無いから、ほんの少し軌道を逸らす位しかできない。

 だがそれで十分だ。

 胸ポケットを千切られた攻撃も、痛かったが傷は既に再生しているし、HPもそんなに減ってない。どうやら俺の体は予想以上に丈夫らしい。

 なら、全部よける必要はない。

 走り続けるために足と、そして弱点であろう心臓の被弾を避ける事ができれば十分だ。それ以外は致命傷にならない。


「くっ」


 三発被弾。腹、肩、そして首だ。首は痛いな。気道には刺さっていないから、呼吸ができないって事態は避けられたが、それでも痛い。

 今回は当たらなかったが、脊髄に当たったら全身のコントロールが効かなくなるかもな。

 反省。こんどからは背骨にも当たらないようにしよう。


 黒木刀を影空間にしまい、遠隔操作でナイフを回収する。

 闇銀のナイフでダメージが入らないなら、攻撃方法を変えるしかない。


『貴様ぁぁなぜ死なないぃぃ』

「体が丈夫なんだろ。多分」


 武器の形状を変えてみよう。さっきの攻撃方法じゃあ、一発当たればすぐに力が無くなってしまうから、一発限りの攻撃になってしまうし、力が作用するのは投擲された方向だけだから、攻撃方向も限られてしまう。

 それを防ぐためには……






黒木の多刃手裏剣(作者 高富士 祈里)

品質 A  値段 34000デル

黒木でできた手裏剣。一般的な手裏剣よりも刃が多く、歯車のような形状をしている。回転させながら投げることで、電ノコのように切断する事が可能。刃の部分に薄く闇銀がつけられており、鋭さが増し、回転も安定している。






 《武器錬成》で新しく作成してみた。これなら大丈夫だろう。もともとあった素材で作ったので、あまりMPも使わなかった。

 40個作りたいところだが、恐らく闇銀が足りないだろう。作れても20個ってところか。


『貴様ぁぁ、それは魔動具かぁぁ』

「ん? 魔動具?」

『あのような軌道で飛んでぇぇ、形状も変わるなどぉぉ……魔動具しかあり得ぬぅぅ』

「んー、まあそんな所か? どうなんだろう」


 つーか、こんな効果がある魔動具があるっていうのか。ちょっと魔動具が欲しくなってきたぞ。


「さて、いってらっしゃい」


 20個作り終えたので、そのまま投げる。ホバリングからの奇襲はもう失敗したから、あのような面倒な手間を取るのは無意味だ。

 投げられた手裏剣? は時として大木の表面を削りながら、高速回転しつつフェンリルの周りを飛び回る。

 まるでゴミにたかる蠅のようだ。

 我ながらひどい例えだとは思うが、手裏剣が全部真っ黒なので、本当にそうとしか見えないのだ。


『また無駄なことぉぉ……こんな軽い攻撃ぃぃ……我にはきかぬぅぅ』


 まあ、そうだろうな。

 実際、手裏剣は体毛を切ることはあってもフェンリル自体を削ることはできていない。広間の大木には傷がついてることから、ある程度の鋭さはあると思うのだが。

 一発限りの攻撃ではなくても、体表にぶつかれば回転は弱まるので、回転が止まった物からこっちに回収し、再び投げる。


 フェンリルは飛び回るナイフを全く気にすることなく突っ込んでくる。ナイフを遠隔操作でフェンリルに追従させつつ、前足の攻撃を転がりながら避ける。


 ナイフが足止めになればいいのだが、そんな様子はいっさい無い。

 だが、案外あの黒い木の足止めが効いているらしい。ダメージは無くてもうざったいらしく、あれ以降、至近距離で追いかけ回されることは無くなった。


 また、どうやらフェンリルの遠距離攻撃には弾数に限界があるようだ。

 最初に比べて、襟の様な体毛が減っている。再生する様子もなく、発射する度に減っているようだから、その予想は当たっているだろう。


 幾分か攻撃をかわすのは楽になったが、それでも油断はできない。さっきの突進にしても、一瞬でもためらえば即あの世行きだ。


『逃げてばかりか貴様ぁぁ』


 フェンリルが振り返りながら俺を責める。

 いやだって、有効な攻撃を与えられないならしょうがないだろう。

 だが、それもこれまでの話しだ。


──仕込みは終わった。


 フェンリルが身を屈める。


 俺は広場の中心の大木に刻んだ・・・、『召喚魔法陣』を見て《陣の魔眼》を上書きした。


 フェンリルの体毛が揺れる。遠距離射撃の前兆だ。

 そしてこの瞬間、ほんの一瞬だが、フェンリルの動きが止まる。


 俺は《陣の魔眼》でフェンリルの頭上に転移する。


『!?』


 突然目の前に現れた俺を、フェンリルは驚愕の表情で刮目する。


「《跳び蹴り》」


 眼前の額を目掛けて、自身の中で最高威力の攻撃をかます。

 フェンリルの脳は揺れ、軽い脳震盪を起こし、決定的な隙ができる。

 俺は両手に黒木のナイフを握り、ナイフの刃先をフェンリルの二つの眼に突っ込んだ。

 フェンリルの眼球はナイフによって潰され、水晶体も虹彩も毛様体も硝子体も網膜も角膜も、全てがズタズタにミックスされ、涙と何かの体液と血液が混ざった液体が、眼窩からあふれ出した。


『グアアァッ!?』


 ようやく聞こえた、フェンリルの苦悶の絶叫。


 やっぱり逃げるだけってのは性に合わない。

 勝てはしなくても、怪我した分一矢報いないとね。

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