四話 迷い子

二階へと続く階段を見つけるのは容易いことだった。

お客さん用のトイレのすぐ隣にあったからだ。

なんとなく、お店兼家の場所は裏側を見られないように隠してあるイメージだったから、意外とオープンなんだなと思った。

「私は何をすれば・・・」

夕食の準備に取り掛かっているらしい迷を見て、何か手伝うことはないかと、キョロキョロ見回してみる。

手際が良く、邪魔になる気がして身が竦んだけれど、すぐに指示を出してくれた。

「買い忘れたものがある。近くに香料屋があるんだ・・・この時間は匂いでわかると思うから道案内はいらないな。

迷のおつかいで来たといえばいい。あそこの店主なら大体わかるはずだ」



多分これは誰でもできる仕事だ。

自分の鼻と、あとはお店の人に任せてしまえばいい。簡単すぎて、やっぱり邪魔だったのだろうかと気分が暗くなる。

迷い屋(迷い者案内所の通称。さっき迷に教えてもらった)を出ると、迷が言っていた通り匂いがした。いい匂いだ。スパイスが強い。

風の方向を考えて進めばそのうち見えてくると思う。

迷が私をお使いに行かせたのは、この町のことを教えるためなんだと感じた。

昼間よりは暗いし、人も少ないけれど、声をかけてくれる人が多い。

「こんばんは」とか「お使いかい?」とか。後者に関しては、相手が私をいくつだと思っているのかがわからなかったけれど。

お目当の香料屋について、店主らしき人を探す。

新参者の私が探したところでどうせ見当違いな人を当ててしまうんだろうな。

「何かお探しかい?」

途方に暮れてオロオロいている私を情けなく思ったのか、後ろから肩をポンと叩いたその人。少しぷっくりしていて、某クッキーのおばさんみたいだった。

声の掛け方から察するに・・・

「このお店の方ですか?」

「そうだよ。あたしはここの店主をやってるサテンっていうんだ。あんたは迷い者かい?」

「はい・・・迷のおつかいで来たんです」

この町に人はみんなが親しい。

自分を知らないということは他所から来た人。そういう方程式ができている気がする。

迷の名前を出すと、サテンさんは目を大きくした。

「あら、迷ちゃんの。こりゃまた珍しい。そういやそろそろアレが切れる頃かねぇ・・・こっちおいで」

言われるがままについていく。多分、本日3回目くらいだ。

「んーと・・・これとーこれと、」

忙しそうに動いている。

手伝いたいけれどこればかりはその道の専門家に頼むしかない。私はせめて邪魔にならないようにじーっとしてなければいけない。

「こりゃまた珍しい」っていうのは迷のおつかいに来たことなのか・・・推測でしかないけれど。

実際相当な多忙期じゃなければ迷の家に泊まることはないわけで。レアなのかもしれない。

「よし。こんなもんだろう」

「あ、はい」

香料にしては大きめの袋を持つと、予想以上に重かった。辛いなぁこれは。

迷が自分でこない理由がわかった気がする。

肩から下げて来たカバンの中に手を入れる。

ここで使うお金は私のいたところと似ているようで違っていた。覚えやすくて助かった。それこそ初めてのお使い状態になってしまいそうだったから。

「お願いします」

指定された金額をサテンさんの手に乗せる。

「はいよ」とそれを受け取り目にも留まらぬスピードで計算をし、お釣りを私の手に乗せた。

笑顔が変わらないから、これが商売か・・・と尊敬の眼差しを向けた。

「ありがとうございました」

「また来てね、待ってるよ」

とても親しみやすい笑顔で見送られて、わざわざ用事を作って来たくなった。

お母さんみたいな人だったなぁ。もっともあんな人がお母さんだったら、すごくまっすぐな子供に育ちそうだ。


香料屋の周りには、来る時には気づかなったお店がいろいろあった。

気づけなかった、の方が正しいのかもしれない。

もう暗いから閉店している店もあれば、その準備に入っているお店もある。その様子を見ているのは面白いものだ。明るい時に来てみよう。ここにはきっと楽しいことが集まっている気がするから。

「まま・・・」

「ん?」

声が聞こえて不意に暗がりに視線を向けると、よく見えないと気づかないくらいに暗く映った子供が立っていた。

迷より小さい・・・それこそやっと立てるくらいの。

泣いているらしい。微かではあるけど鼻をすする音と、肩の上下が見て取れた。

迷子、なんだろうか。

「こんばんは」

放っておくわけにもいかず声をかけた。

さっき来たばっかりの人間だから、この子にとっては全く役に立たない存在かもしれないけれど。

問題は、この子がどれくらい話せて、自分のことを知っているかだ。

「・・・だれ?」

顔を上げたその子の目は腫れていて、しばらくここで泣いていたんだろうな、と思う。

「知らない人だけど怪しい人ではないよ。自分の名前はわかる?」

「あこ・・・」

「あこちゃんか〜、おうちはわかる?」

なるべく同じ目線になるようにかがんで、怒っているように感じられないようにできるだけゆっくり話す。

こういう時は怖がらせるのが一番やってはいけないことだ。

「わかんない・・・すこしね、あるったら、ままが・・・」

迷子で間違いはないようだ。問題はここからどうするか、なんだけど。

「家はわかる?」

アコの首を横に振った。

まぁそうだよね。分かってたらここで泣いてなんかいないか。

連れて帰って・・・帰って、って言い方はおかしいか。あくまでも私は居候だから。連れて行って、迷に聞こう。

迷子ではあるけれど、迷い者ではなさそう。服装とか雰囲気とかがなんとなくここに馴染んでいて、ここのことに詳しい迷ならきっとわかると思うから。

「じゃあ、行こう」

どぎまぎしながらも手を差し出すと、その小さな手が不安そうに、でも離れないように確実に私の指をぎゅっと握りしめた。

初対面、今でも初対面には変わりないけど、最初に声をかけた時よりは信頼してくれているのだと思う。それに私は、答えないと。



「迷ー、いるー?」

二階へつながる階段の下から迷を呼ぶ。さっきは料理を作っていたから家にはいるはず。鍵だってかかってなかったし。

「少しだけここにいて?」

「うん」

不安ながらも弱く頷いたアコ。

一緒に上に上がるよりも一人で急いで行った方が効率がいい。私は小さい子には手を貸してしまう癖があって、抱えるか後ろにぴったりつくかのどっちかの対応をすればきっと時間がかかってしまう。

「迷ー、いないのー?」

視線の先に二階が見えるところまできても、迷の返事がない。寝た?出かけた?

「めー・・・」

完全に登りきって、キッチンの方を見ると迷の姿はなく、代わりに人形が置いてあって、その足元にメモがあった。

よく見なかったら忘れられそうなくらい小さなメモだ。

『隣に行ってくる。すぐ帰る』

なんだろう・・・この自由な旦那を持った奥さんの気分は。

お願いだからここのことに疎い私にだけは自由な行動を慎んでいただきたい。わからないのだ、隣と言われても。

困った。迷がいないのではアコのことも聞けない。

いやでも、隣と書いてあったし、玄関で待っていればそのうち帰ってくるか。問題はその時までアコが待っていられるかなのだけど。

「ごめん、いないみたい。私の大家さん。外で少し待とっか」

「うん・・・」

さっきより元気が無くなっている。そりゃそうか、散々振り回してしまった気がする。こんな幼き子を。

外に出てみると、少しもやがかかっていた。

多分私がここに来た時にこんな天気だったら、異界に迷い込んでしまったって思ったんだろうな。

元いたところと建物から違うのはもちろん、やっぱり雰囲気がある。

そこに迷だ。

容姿に似合わない言葉遣い。近寄りがたい独特の雰囲気。鋭い眼差し。捕まえられそうにない自由さ。

今思えば彼女の存在が、私にここが異界であることを認識させたのかもしれない。今だからわかる。ここのことを理解したいと思う今だから。



「なんだお前」

「羊ですけど」

「・・・」

10分ほど経った頃、迷が帰って来た。

彼女にとってのすぐは私にとっては全然すぐではなかった。泣き疲れたのか、アコは私の肩に寄りかかって寝てしまった。

こんなことなら中に入って待っていればよかった。そうすればアコの眠くなったタイミングでベッドに連れて行くこともできたのに。

「迷を待ってたの」

「・・・ここは保育所じゃないぞ」

アコを一瞥して、スタスタと中に入って行く迷。

どうやらこの状態から助けてはくれないようだ。しょうがない、自分でなんとかしよう。

「よいしょ」

なんとか起こさないように気をつけながら体重を移動させ、うまく抱きかかえる。これでなんとか上まで上がろう。

「この子、迷子みたいで。迷に聞けばわかると思ったから連れて来た」

そばにあったソファに座る。だいぶ重労働だった・・・。

振動で起きていないか顔を覗き込むと、その心配を吹き飛ばすくらいに幸せそうに寝ていた。ほっと一息をつく。

迷がアコの顔をじーっと見ている。

「どうかした?」

「あぁ、あそこの孫か」

納得したのか頷いた。私にも説明してほしい。あそこだけじゃ全くわかりそうにない。

「わかるの?」

迷に聞けばわかる、なんて言ったけど確証はなかった。

知ってたみたいで本当に良かった。今だけは自分の勘を褒めてあげたい。

「この街は狭いんだ。

   お前が思うよりずっとな」

その言い方がかっこよくて真似してみようとしたけど、今はそんな雰囲気ではないので踏みとどまった。危ない・・・迷に危ない人を見る目で見られるのだけはいやだ。

「そのうち来るだろ。しばらく寝せておけ」

すーすーと気持ちよさそうに眠っている少女の頭を撫でる。

自分はこの子の役に立てていただろうか。

いや、自分を過信してはいけない。役に立てていなくても当然なのだ。来たばかりなのだから。

迷の背中を見て思った。

私も、彼女のように誰かの役に立ちたい。


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