三話 迷った

「私はどうして迷ったんでしょうか」

突然の丸投げ。自分で考える気はさらさらない。

考えてもわからなかったからここにいるわけだし。

「・・・」

迷は面倒だと言わんばかりにため息をついて、近くにあった本を取った。

パラパラと無表情でページをめくる時に俯いたその姿がとても綺麗だった。

・・・いかんいかん。私は何度彼女に見とれれば済むのだろうか。全く話が進みそうにない。

「名前は」

「・・・」

「おい」

キョロキョロと周りを見ていると目があった。睨まれている。

「あ、私?」

「お前以外に誰がいる」

それはごもっともです。

適当にそこらへんを見て回っているその人は知り合いなんでしたね。

「えっとーーーーーー・・・多分、羊(よう)」

自分でも自分の言い方に疑問を持ったけど、今の私の状態を考えるとそれが一番正しい言い方なのだろうと思う。

「覚えていないのか」

迷の言い方は、まるで私以外にもこうして記憶が途切れている人がいたのかもしれないということを連想させた。

「なんとなーく、これかなーっていうのは感じるんだけど」

全然パッとしない。

頭の中に浮かんだ名前ではあったけれど、果たしてそれが本当に自分の名前なのかはわからない。自分でも信じられないけれど。

「とりあえずお前は羊だ。今はその可能性が一番高い」

「はーい」

なんだか自分の名前を自分の記憶がある時に決められるって変な感じだなと思った。

元々名前があって、子供はそう呼ばれて慣れていく者だから。

でもまぁ、いいな。こういうのも。

「そういえば名前は?」

丁度後ろを通りかかったその人に、これから関わっていくことになりそうだったので、とりあえずの意味で自己紹介をしようと思った。

自分の名前も決まったついでに。

「俺か・・・ハンナだ。ここら辺の守護番をしてる。問題が起こるってのは珍しいことだから大体はお前みたいなやつの案内をしてるんだ」

なるほど。だから迷と親しそうだったんだ。

私みたいにここに迷い込む人は大体どれくらいいるんだろう。

気になったけれど、多分それを聞いても私には理解できないだろうし、やめておいた。

「で、」

「はい」

「これからどうすんだ?」

ハンナさんに聞かれて一瞬固まったものの、なんとか意味を理解して、頭を悩ませる。そういえば何も考えてなかった・・・

ここに来てしまった以上、帰れるのはその迷いの内容を突き止めて解決してかららしいし、つまり今の状態で名前もまともに覚えていない私は、しばらくここに滞在しなければいけないわけだ。

「俺のところはどうしたって男ばっかだからなぁ」

ハンナさんも考えてくれているらしい。親切な人だ。いや、守護番なら当然の仕事なのかな?

「今まで迷った人はどうしてたんですか?」

「うちが宿屋をやっててな。そこに泊めてた」

迷さんは色々やってるんだなぁ。

「じゃあそこに・・・」

「無理だ」

提案もそこそこに却下された。そこまできっぱりと言われるなんて、よほど私に問題があるのだろうか。

「あぁ、そういや今は・・・」

ハンナさんが思い出したように相槌を打った。

「全室埋まってるんだ。この時期は観光者が増える。金もない迷い者に泊まらせるよりはよっぽどましだ。大体本来はその為の場所だからな」

まさかの根本的な理由・・・

ここにも観光者が増える時期なんてものが存在していたことに驚いた。まず観光者がどこから来ているのかが気になる。

いや、そこじゃなくて。

「他に泊まれる場所ってありますか」

「あるけど、お金がないと無理だろうね」

「ですよね・・・」

これはしばらく野宿しないといけなさそうだ。

しょうがない。お金なしに泊めてくれる宿屋は基本ない。親切すぎるし、むしろブラックそうだ。

肩を落としてうなだれていると、側からため息が聞こえた。

「うちに泊まれ」

迷だった。

「でも、さっき満室だって・・・」

「宿屋はな。そっちじゃない、家だよ。ここの二階にある」

「いいんですか!?」

「しょうがないだろう。迷い者を助けるための場所でその客を放っとくわけにはいかないからな」

天使がいる・・・ここに天使が!!

家を確保できたことに喜びを感じつつ、早めに迷いを解決しなきゃいけないちいう責任感を感じた。

親切な人に迷惑はかけたくない。

「お世話になります」

「・・・」

迷は特に何も言わず、またさっきから持っている本に視線を落とした。

そんなに意味ありげに持たれては気になってしまう。

「あの」

気だるげに視線を上げた。これは発言権をもらえたということでいいのだろうか。

「その本が何かって、聞いてもいいですか?」

また視線を落とした。

きっと私に言ってもいいものか、悩んでいるのだと思う。そう考えた方が私にとっては嬉しいことだ。少なくとも赤の他人よりは近くなれている気がするから。

ハンナさんは、興味がないのかすでにそれが何かを知っているのか、気にせずにふらふらと歩いていた。

座らないのだろうか・・・私がいるから座る場所がない?そんなことはない。ここには迷と私が座っているものを省いても、まだ椅子は5個ほどある。

「お前らみたいな迷い者のことが書かれてる。これがあるからこの町にどれほどの迷い者がいるかがわかるんだ」

「へえー・・・」

素直に感心した。そんなものが存在していたとは。でも迷い者案内所なるものが存在する時点で、あってもおかしくはないものなのかもしれない。

ただきっとそれが誰かを事前に知ることはできないのだと思う。さっき私に名前を聞いてはっきりしたものがわからなかったことがその証拠だと思う。

でもそのおかげで私は名前をつけてもらえた。

ありがたいと思わないといけないな。

「そろそろ帰れ、守護番。もう店仕舞いの時間だ」

「あぁ。もうそんな時間だったか」

ハンナさんは壁にかかっている時計を見て、いつのまにか過ぎていた時間を確認した。腕時計はしていないらしい。

「じゃあ帰る。あとよろしくな」

迷にそう言った後、私に手を振って帰って行った。

ハンナさんはこの町を主に守ってるって言ってた。なら、ここら辺で自分についてのことを探していたらそのうち会えるのかもしれないな。

「外にある看板を裏返してこい。もう家に上がるからな」

「はい!」

そう言われて、なんとなくこの店の一員になった気がして嬉しくなりつつ、看板を探して外に出る。

「うわ、結構時間が経ってたんだ」

ずっと中にいたから気づかなかっただけで、外はだいぶ暗くなっていた。

店内の明るさが漏れている。話している途中で迷が点けたのかもしれない。入ってくるときは外の方が明るかった。

それに気づかないくらい私は迷を見ていたということか・・・

人通りが薄れた道の終わりを見つけるように目を細めて深呼吸した。

下の方に雑に置いてあった「案内中」の看板を裏返すと「案内終了」の文字が見えて、わかりやすい仕事で良かったと思った。

もしこの看板を見つけられなくてウロウロしてたら、不審者だと思われていたと思う。

そういえば、ここには迷が一人で住んでいるのかな。

明かりの点いた二階を見上げてふと考えた。とても危ない。小さな少女が一人暮らしなんて。

「問題が起こるってのは珍しいことだから・・・」

ハンナさんはそう言っていたけど、それでも危ない人が誰一人いないわけじゃない。今まで何も問題は起きなかったのかな?

「何してる。不審者だと思われるぞ」

二階の出窓からひょいと顔をのぞかせた迷。

心配していたことを見事に言われてしまった・・・情けない。

「すいません、今戻ります」

声をかけると窓が閉まる音がした。

迷の不用心さにハラハラしつつ、誰かが帰りを待っていてくれている、ということに嬉しくなった。いや、相手からしたら迷惑な話かもしれないけど。誰もお前なんか待ってない、とか。

その嬉しさに胸がちくりと痛んだけど、気にせずに扉に手をかける。

とりあえずは数日。



ここで頑張ろうと思う。


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