第4章 何故?

 ゴールデンウィーク後半戦2日目。

 今日は、慎吾と携帯ゲームのイベントに行く約束をしていた。

 ダウンロード数1500万人。携帯ゲームアプリとしては、かなり人気の部類に入る。私は、慎吾が始める1年ほど前から利用していたが、最近は放置しているのが正直なところだった。

 このゲームは大空をテーマにしたもので、最近では、CMも良く見かけ、アニメーションも作られるほどの人気ぶりだ。今回のイベントはゲームの資料や等身大フィギュア、書き下ろしの絵などを公開するというファンにはたまらないものらしい。しっかりと入場料も取って開催するあたり、気合が入っているようだ。私はゲームこそ好きだが、資料やフィギュアなどは、そこまで――いや、正直、全くと言っていいほど興味がなかった。本来なら、そんなイベントは一人で行ってもらいたいのだが、会場が都内の超高層ビルにあり、県外を出歩いた事のない奴に一人で行けというのも酷な話しだ。本当は、家族3人で行くつもりだったのだが、ゲームに興味のない絵里は『のんびりマロと遊んでいる』と、すすんで留守番を買って出たため、私が同行するということになった。

 まぁ、たまには親子二人で出掛けるのも悪くはない。たかだかゲームのイベントなんだし、そんなに大勢来るわけでもないだろう。1時間くらい見たら帰ってくればいい。イベント会場までは電車を乗り継いで片道1時間半。朝9時に家を出て、10時半にイベント会場、1時間見て、帰り道に1時間半。家には1時に戻れる。昼食は家の近くで取れば良い。よし、完璧だ。その後は、ゆっくりマロと触れ合うことにしよう。

 絵里の車で駅まで送ってもらい、電車を乗り継ぎ、着いた駅の近くでコンビニに入り、とりあえず入場チケットを購入する。これが無ければ門前払いだ。店員からチケットを受け取り、そこから超高層ビルへと向かった。そして、到着した会場を目の当たりにすると、そこには――――黒山の人だかり。腕時計を見ると、10時半過ぎ。開場してたった30分しか経っていないのに。

 なんだ、これは。ゲームのイベントでこんなにも人が来るのか。イベントフロアを入り、左がメイン会場。右はグッズ販売と飲食コーナーのようだった。どちらの入口も長い列をなしている。しかもメイン会場への列は10Mや20Mの話ではない。100Mはあろうかという行列で、最後尾が見えないではないか。考えが甘かった。これは、午前中で帰れるなんてもんじゃない。半日いや、1日かかるかもしれない。

 ここまで凄いとは……。

 さらに驚くことに、列に並んでから30分が過ぎた頃、とんでもないものを目にした。列を折り返して、グッズ販売の入口の近くを通ったのだが、そこに立てかけてあったメニューボードに売れ切れの文字が。なんと、開場1時間で、すでに売り切れのものがあるのだ。

 マジか! なんでこんなに売れてる? 口をパクパクさせて驚いている私を尻目に、慎吾は私の手を引いて先を進んだ。お土産用のお菓子2種類と下敷き、クリアファイルも特定キャラクターのものが売り切れ。中には、値段が数万円なんて商品もあった。これらが飛ぶように売れるのだから、世の中、訳が分からない。ここでしか手に入らないグッズもあるようで、コアなファンにとっては垂涎ものなのだろう。恐るべしマニアの世界。

 いろんな意味で衝撃を受けつつも、ようやっと入口に辿りつき、チケットを渡して中に入る。暗がりの部屋の中へ案内され、ショートムービーを5分ほど上映すると慌ただしく次のブースへと促されてしまった。

 ――ムワッ!

 先ほどの部屋を出た瞬間、生温かく湿った空気が私を包んだ。お化け屋敷なんかでこんな感じはあるのだが、それとも少し違う。ねっとりと肌にまとわりつく、気持ち悪さ。室内に人が集中して、その人たちの汗が蒸発するとこんな感じになる。ずいぶん前、友人の付き合いでコミケに行った時に似ていた。その時はもうこりごりと思っていたが、また体験する羽目になるとは。

 これも息子の為と我慢して待っていると、少しずつ前が開けてきた。そこには、メインキャラクターの等身大フィギュアがあり、マニアの人たちが良い場所で撮影しようと立ち止っていた。これでは進むはずもない。何とか撮影場所に来たと思ったら、今度は人の波に押されて、撮影どころではない。一瞬立ち止まることが出来て、タブレットで撮影しようと思ったら、レンズが曇る始末。――ったく、どうなっているんだ! 

 入場して10分も経たないうちに、ぼろ雑巾のようになってしまった私とは裏腹に、慎吾は眼を輝かせて、押し寄せる人波にも負けずフィギュアを根気よく何枚もスマホで撮影していた。若さなのか、マニアとしての片鱗なのか、秘めたるパワーに少し圧倒されてしまった。

 次のブースではメインストーリーのあらすじとそれに関わるイラストが、本の見開きをイメージした巨大パネルに描かれ、それが奥へと並べられていた。絵画展のようにゆっくり眺めることが出来たなら、私もその世界観に心を奪われていただろう。だが、ここでも一つ一つのパネルを撮影しようと人が壁となり、先に進むのを邪魔していた。当然、列は進まず、押せ押せ状態の満員電車の如く、もはや観覧という状態ではなかった。

 もう限界だ。こんな状態で見ていても何も楽しいことなんてない。入場して15分、早くも私の心に怒りの警告アラームが鳴り響いた。近くにいた慎吾に出口で待っていると告げると、私は人波を押しのけ、ブースの入口から中央の広場へ無理やり出ていった。それ以降の事はあまり覚えていない。謎解きラリーもあったのだが、これもほとんど覚えていない。慎吾は相変わらず元気だ。私は体に鞭を入れて何とか終らせた。これでは、普段楽しく解くナゾも、マゾに思えてくる。

 これでやっと帰れると思っていたのだが、日本国民の特色でもある、俗に言うお土産を忘れていた。ほとんどのグッズは既に売り切れの文字が並び、慎吾のお目当てグッズも当然無くなっている。幸い、その商品は取り寄せも出来たため、せっかくなので買ってやることにした。金額もそこまで値は張るものでもないし、まぁいいだろう。ここまで来て何も買わないというのもなんかかわいそうな気もする。絵里に後でどやされるかもしれないが。イベント会場を後にすると既に午後2時半を回っていた。まだお昼も取っていない。とりあえず、駅の近くでかつ丼を胃袋に収める。帰りの1時間半、私は当然、夢の中だった。


 ボロボロになりながらも、何とか家に生還した私は、癒しを求めるため、マロに挨拶をしに行った。マロは絵里の膝元で気持ちよさそうに伸びていた。よほど、撫でられるのが気持ち良いようだ。その姿を見ているだけで癒される。

「今日ね、マロが手をペロペロ舐めてくれたんだ」

 絵里がうれしそうに言ってきた。

 彼女曰く、ウサギが飼い主を舐めるという行為は、飼い主の事が大好きだ、という合図らしい。うらやましい。私もマロに舐められたい。たった3日で、そこまでの信頼関係になるとは。

 私もマロを抱かせてもらう。やわらかく、ふかふかの毛を撫でると、目を細めて気持ちよさそうにしてくれる。ヒョイと両手に乗せ顔の近くにで、鼻と鼻をつけてご挨拶。不思議と匂いは感じない。動物園や牧場などの触れ合いコーナーでウサギなどがいるのを見かけるが、多少なりとも匂いはするものだ。この子は全くと言っていいほど、匂いが無かった。

「夕飯何にしようか? 冷蔵庫の中、空っぽだから食べに行く?」

 絵里が冷蔵庫を覗きながら、話しかけてきた。

「あー、うちら3時間くらい前に食べたばっかりなんだよね」

 昼食が3時近かったことを話し、まだお腹が空いていないと話していた。

 居間の椅子に座って、先ほど行ってきたイベントのパンフレットを眺めていた慎吾にも確認してみた。

「慎吾、お前もお腹いっぱいだろ?」

「ん? そうでもないよ。何か食べに行くなら、一緒に行くよ」

 オイオイ、どんな胃袋してるんだよ。

 私は行ってもサラダくらいか。それとも、マロと一緒に遊んでいるか。あ、デザートくらいは食べてもいいかな? ケーキでも食べようか。

 結局、近くのファミレスに行こうと言う話になり、絵里の準備が終わるとマロをケージに戻した。ケージに戻ったマロは、もっと触ってほしいのか、入口から離れない。ケージの網の間から指を入れてマロの頭を撫でてやる。

「ごめんな、マロ。ちょっとお出かけしてくるからね。帰ってきたら、また抱っこしてあげるからな」

 そう言って、部屋の電気を消した。


 帰ってきたのは1時間後。時計は既に7時をまわっていた。

 部屋の明かりをつけて、マロに挨拶をする。

「マロ、ただいま」

「マーロー、ただいまぁー」

「マロー」

 みんなケージに向かって挨拶した。

 寝ぼけているのか、小さな白い塊はボーっとしていた。私たちに気付くと、外に出して欲しいと言わんばかりに、入口でそわそわしている。早速、ケージから出してあげると、何と私の手をペロペロと舐めてくれたではないか。洗ったばかりで少し湿っていた手を――マロにとっては水を飲んだつもりなのかもしれないが――舐めてくれた、それでもうれしい。私もマロに愛されたのだ。マロにとって、私は大好きなご主人になれたのだ。

「今、マロが手をペロペロしてくれた」

「ほんと? よかったねー」

 絵里も喜び、それを聞いていた慎吾は羨ましがっていた。

 大丈夫。この子は、たった3日間で、1年経つ程の懐き方をしてくれたんだ。すぐに慎吾にも懐くよ。

 そのまま、マロは部屋の探検に出かけた。昨日作ったバリケードで危ない場所はない。好きなだけ、駆けずり回っていいぞ。部屋の隅々を見て、匂いを嗅ぎ、周囲の安全を確認しながら……なんてことはしない。一気に全速力でいろいろな場所へ走り回る。ここは私の庭だと言わんばかりに。それでも、暫くすると、私の足元に来て、足の間を8の字に回ったり、傍で毛づくろいをしていた。頭を撫でてやると、自分で伸びてもっと撫でろ、と催促してくる。なんてかわいいヤツなんだ。甘えん坊なこの子を愛おしく思ってしまう。


 マロとの時間はあっという間に過ぎていく。しばらく駆け回っていたが、今は絵里の膝元で気持ちよさそうに伸びていた。やっぱりここが一番気持ちいい、そんな満足した顔をしているようだった。私とは違う居心地の良さがあるのだろう。私もそれは認める。彼女には何か癒し的なものがあるに違いない。やっぱり絵里には勝てないな。何か心が満たされた、そんな感じがした。の幸せそうな顔を見ながら、私は風呂に入りに行った。


 私が風呂から出ると、居間が何か騒がしかった。近くまで来ると、緊迫した絵里の声が聞こえてきた。

「マロ、どうしたの? 大丈夫?……マロ?」

 どうやらマロに声をかけているようだった。慎吾の声もした。

 私は何があったのか、と心配しながら居間に戻ると、絵里の手の中でぐったりしているマロがいた。

「どうしたの?」

「わからない。マロをケージに戻して、暫くしたら、バタンって大きな音がしたの。びっくりして見てみたら、マロが横になって苦しんでて……どうしよう」

 絵里は、マロを手に抱えながら、不安で仕方ないようだ。私も急な事で、どうすれば良いかわからなかったが、とりあえず、もう一度、マロの様子を見てみた。

 目を細め、息が荒く、横たわっている。どう見ても尋常じゃない状態だった。

 すると、急に前後の足をピンと伸ばして、バタバタとし始めた。まるで痙攣しているようだった。

「どうしよう。どうしよう……さっきからこんな感じで何度もバタバタしてて……」

「動物病院は?病院に聞いてみた?」

「ううん。何も。ごめんなさい。マロが倒れて、どうしたらいいかわからなくて……」

「わかった。とりあえず、近くの動物病院を調べてみるから」

 私は慌ててパソコンを立ち上げて、ネットで近くの動物病院を探し始めた。

 キーボードを打つ手が震える。心臓の鼓動も早くなっているのが分かった。風呂上がりで、体も熱くなっている。冷や汗なのか暑くてかいている汗なのか、とにかく汗が止まらない。近くにあったウチワで顔をあおぐ。

 検索すると、3件程リストに出てきた。最初の病院を調べてみるが、小動物を扱っていない。次の病院も同じだった。

 最後の病院。

 ――――あった!

 ウサギも診察可能。

 すぐに受話器を取り、電話をかけてみる。数回コールがなると、ガチャと言う音が聞こえた。

「もしもし。すみません。飼っているウサギが……」

「……動物病院です。本日の診察は終了しました。救急の方はガイダンスが終わった後、診察番号と症状をお伝えください。後ほど、ご連絡致します……」

「だめだ。診察が終わってる。救急でも一度診察していなと診てくれないよ」

 その動物病院のホームページを見ながら、絵里に伝える。時計を見ると10時を過ぎていた。これでは、どこの病院も診察は終わっている。どうすればいいのだ。


 その間もマロの容体はどんどん悪くなっていった。何度も痙攣をおこし、ただでさえ幼い体の体力がどんどん奪われていくよう見える。

 絵里は思い出したように、片手で携帯を触り始めた。

「そういえば、近くのシッピングモールの中も動物病院があったはず。夜も遅くまでやっていたはずだから、ちょっと掛けてみる」

「じゃ、マロをこっちに」

 手に取り、苦しんでいるマロを見て、改めて異常な状態であることが分かった。痙攣が出ないように祈りながら、優しく撫でる。今は少し落ち着いているが弱弱しいその姿に、私は絶望と困惑が入り混じった状態になった。

 ビクッ!

 マロの体が跳ねる。

 手足を伸ばし、バタバタともがき苦しんでいる。私はどうする事も出来ず、マロの体を押さえて早く痙攣が収まるように、祈るしかなかった。そう、もはや、私には祈る事しかできなかった。情けなかった。こんな小さな命を、ただ見守ってやることしかできない私が。消えそうな命を前に、何も出来ない私が。悔しかった。

 ――頼む。良くなってくれ。マロ、がんばれ。

 心で叫びながら、マロを撫でる。

 手に汗をかいているのが分かる。マロの毛が湿っていく感覚がする。

 ――お願いだ。神様。マロを助けてくれ。助けてくれるんなら、何でもする。頼む。お願いだから。マロを……助けてください……。

 目をつむり、すがるように必死にお願いをする。絵里は動物病院に電話をかけて、何やら話している。しかし、ウサギ等の小動物は扱っていないという回答のようだった。それでもどうすればいいか、藁もすがる気持ちで状況を説明している。絵里も必死だった。


 目を開け、マロを見る。

 偶然、マロと目が合う。じっと見つめるその目が苦しいと言ってきている気がした。

 ――ごめん。マロ。何も出来なくて。ごめんよ。苦しいよな。ごめんな。本当にごめんな。

 歯を噛みしめ、自分の無力さに自身を恨みながらも、助かってほしいという願いを込めて、マロを何度も撫でた。

 ビクッ、ビクッ!

 また、痙攣が始まった。

 必死になって、痙攣が収まるように、手で優しく包み込むように抱きかかえる。

 その時、私の鼻腔が獣の匂いを感じとった。何とも言い難い、アンモニア臭のような、獣独特の匂いだ。その匂いはマロからだった。何故だかは、かわからない。

 次の瞬間、マロが鳴いた。

「ピィーーーーーーー」

 甲高い声が響き、それっきり、マロは動かなくなった。

 最初で最後のマロの声。

 私の手の中で動かなくなった、マロがいる。

 鳴いた瞬間、マロの歯が私の腕にあたり、噛んだ格好になっていた。腕を少し動かすと、そこが赤く腫れている。わずかに痛みを感じた。マロが苦しんだ痛みを、少しでも分かって欲しかったのだろうか。


 絵里はまだ、必死に携帯で購入先などに電話をしていた。

「マロ、マロ、大丈夫?」

 慎吾がマロの状態を見て、声をかける。

「もう、死んじゃったよ……」

「え?」

「もう……死んだんだよ……」

 慎吾は途方に暮れていた。

「え? うそでしょ? どうして? なんで?」

 それを聞いた絵里は、事態を飲み込めていなかった。いや、マロの死を認めたくなかったのかもしれない。絵里も茫然としていた。


「マロが倒れる前は、普通にしてたんだよ。ケージに入れる前も、おとなしく抱っこされて、気持ちよさそうに、撫でられて……」

「そう……」

「おかしいよ。何で、マロが死ななきゃいけないの?」

「うん……」

 私はただ、相槌しか打てない。マロの死を必死に受け入れようとしていたから。

 暫く、沈黙が流れた。どのくらい時間が経ったかわからない。でも、このままじゃいけない。私はマロを抱えて立ちあがった。

「とにかく、明日、購入先のペットコーナーに行って、原因を聞いてみよう。それからじゃないと、何もわからないよ。まずは、マロを静かに寝かせてあげなきゃ」

 そう言って、私はマロをケージのかまくらに戻そうとした。

「あ、待って」

 絵里は、足早に洗面所の棚からタオルを出してきた。

「そのままじゃ、かわいそうでしょ。おふとんがあったほうがいいよね」

 タオルに包まれたマロはケージの中で静かに寝ていた。今晩は気温が高い。タオルの下には保冷材を敷いて、バスタオルをケージの上から全体に覆うように深々とかぶせた。


 慎吾はまだ茫然と立っている。

「慎吾、明日部活があるんだろ? そろそろ寝なさい。マロの事は父さんに任せてくれればいい」

「うん、そうだね……」

 声に元気がない。

 ――すまん、慎吾。頼りない父さんで。もっと立派な父親なら、気の利いた言葉で励ましてやれるんだろう。だが、言葉が出ない。情けない父さんで、本当に、すまん……。

「おやすみなさい……」

 慎吾が居間を出た後、心配で、部屋の近くまで行ってみるが、すでに部屋の明かりは消えていた。扉の前まで来たが、やはり声をかける言葉が見つからない。扉を離れるとき、奥で、すすり泣く声が僅かに聞こえてきた。その声が私の心を締め付ける。

 居間に戻ると、絵里がボーっと座っていた。

「風呂まだだろう? 入って、気持ちを落ち着かせた方がいい」

「……うん、そうだね。入ってくる」

 彼女もペットの別れは、多少なりとも経験がある。風呂場に向かった絵里も現実を必死に受け入れたようとしている。


 死は、いつか必ず訪れる。それは、人間でも、動物でも。命あるものはいつかは死ぬ。だが、生まれて間もない幼い子が、ましてや、両手に収まる程の小さい命が何故、奪われなければならないのか。

 私は悲しみより怒りが込み上がっていた。

 なぜ、マロにあんな苦しみを与えなければいけなかったのだ。どうして、マロが死ななければいけなかったのだ。次第に、その怒りはマロから私の想いに対するものへ変わっていった。

 なぜ、こんな悲しみを受けなければならない。どうして、こんな辛い想いをしなければならない。なぜ。どうして。私が何をした。私たちが幸せに過ごしてはいけないのか? 死神よ。また、お前の仕業か。いつもそうだ。この家で初めて扱う命は、全て奪われていく。鉢に植えられたゴールドクレスト、コスモス、他の植物も。金魚だってそうだ。初めて来たときは、1週間の命。幼虫から育てて、やっと孵ったクワガタも2日で死んだ。それだけでは飽き足らず、今度はマロか。お前のせいで、どれだけ大切な家族を失ったと思ってる! わかっているのか、死神よ!


 いつの間にか奥歯を噛みしめ、拳を握っていた。他人が見たら、凄い形相をしていたに違いない。我に返り、落胆した。首をうなだれ、一点を見つめ、マロの事を思い出す。

 膝の上で気持ちよさそうにしている姿。

 目を細め、頭を突き出し甘えてくる姿。

 目いっぱい部屋を走り回る姿。

 今はもう、撫でる事も、触る事も、見る事も出来ない。

 あふれる涙が頬を伝い、落ちていく。

 そして、最後の苦しむ姿が、黒い瞳が、鳴き声が、目と耳に焼き付いて離れない。


 マロ、ごめんな。何もしてやれなくて。

 自分の無力さに、やるせなさが支配していた。

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