第17話 蒼国の由来

「もしや...ローズ・クリスタルハート大尉ですか? 申し訳ありません、私が不甲斐ないばかりに彼らを危険に晒してしまいました...」


 負傷したCチームの男性教官が、木の根本にもたれながら声を絞り出した。

 ローズは男性教官の背中から滲み出る血を確認すると、荒い息を吐くオーガに目を向ける。


「なるほど、現状況は理解した。だがその話はまた後だ、まだ目の前の"問題"が片付いていないからな」


 ローズが言い終わる直後、オーガは今度こそ仕留めまいと咆哮を上げながらローズ目掛けて走り出した。


「やれ」


 ローズの一言で、後ろにいた数十人を超える騎士が一斉に飛び出した。

 彼らは常人離れした動きでオーガの激しい抵抗をかわし、瞬く間に無数の剣撃を浴びせる。

 ティナ達ではまともな外傷すら付けられなかったオーガが、赤子同然に弄ばれ体中に傷を負っていく。その光景はまるで一方的な狩りを見せつけらていると思う程だ。


 ストラスフィア王国はこの二年、完全な奇襲から敵対生物群主力を西方で押し止め、大陸各地への少部隊拡散は許したものの、その被害を最小限に抑えていた。

 それもそのはず、国民から志願制で募った精強な騎士達は、正規軍しか持つ事を許されない甲殻ごと敵の肉を断つ鋭き剣、斬撃打撃を弾く盾、弓矢も通さぬ優秀な防具、そして自身の身体能力を底上げする『騎士スキル』をもって、一人一人が正しく一騎当千の猛将が如き強さを異形の怪物に叩き付けていたのだ。


 彼らと対峙したオーガは一分と経たずして動きを鈍らせ、大きな右膝を振動と共にズシリと地に着けた。


「目標の抵抗が消えた。全員待避、魔導科の拘束魔法が来るぞ」


 膝を着くのを合図に、後ろで控えていた黒いローブ姿の集団が風を切りながらティナの横を駆け抜け、オーガを左右から挟み打った。


「「「『チェーンバインド』!」」」


 両手に魔法陣をかざした彼らは、曲芸士顔負けの動きで瞬く間にオーガを光の鎖でがんじがらめにする。

 これによってオーガは両足膝を地に着け、のけ反りながら上を仰ぎ見る姿勢となった。


 そして、それがオーガのこの世で目にする最後の光景となる。


「とどめだ、ルミナス一等騎曹。その肉塊をたたっ斬ってやれ!」


「了解」


 夜明けが迫った薄紅色の空を背中に、一際高い木のてっぺんから飛び降りた美しい朱色の髪をなびかせる女性騎士が、落下の速度を味方に付けて一気に急降下する。


「ハアァァッ!!!」


 勢いのまま振り下ろされた剣は、オーガを脳天から一刀両断にしてせしめた。

 真っ二つに切断されたオーガの体は不思議なことに血を出さず、集まっていた羽虫が一斉に飛び立つかの様に一瞬で蒸発してしまった。


 後には倒れた木々とでこぼこの地面のみが残され、何十人もの騎士がオーガの居た場所を見守る中、彼らは求めていた言葉をローズの口から聞く。


「目標の討伐を確認、武器をしまい各員負傷者の手当と処理に移れ」


「「「「「了解」」」」」


 オーガが倒され、極度の緊張状態から一転して安堵に包まれたティナは思わずその場に座り込んだ。

 ティナだけではない、周囲の騎士候補生全員が腰を落としている。


「全員怪我等はありませんか? ある者は名乗り出て下さい」


 座り込むティナ達騎士候補生の元に、オーガを真っ二つに両断した剣を鞘に納めた女性騎士教導隊の鬼教官ことルミナスが歩き寄る。


「はっはい! 私は大丈夫です。皆は怪我とかしてない?」


「超元気!」

「おかげさまで」

「「「「俺らも問題無い」」」」


 ティナの問いに返事を返した男性騎士候補生、そしてクロエやフィリアも目立った傷はなさそうで、ティナがホッと息を着いた時だった。

 姿勢を低くしたルミナスが、無言でティナの左肘を軽く叩いた。


「いだだだだっ!!! 教官、強く叩きすぎです...よ...」


 見ると、叩かれた左肘の部分は服が破けてそこから少量だが出血もしていた。恐らく地面を転がった時にでも付いたのだろう、浅くだが擦りむいていた。


「さっきもそうですが、あなたは周りばかりでいつも自分の事がおろそかになりがちです。でないと、いつかこれぐらいでは済まなくなるかもしれませんよ」


 そう言うと、ルミナスは水筒の水で傷口の汚れを綺麗に落とし、真っさらな包帯をグルグルとティナの肘に巻き付け手当てする。


「ありがとうございます教官、ですが...班員一人ろくに守れないようでは国なんてとても守れないと私は思うんです...。もちろんさっきのは無茶が過ぎました...、反省しています」


「ーーあなた達はまだ一人前とは程遠い騎士の卵なんですよ、あなたが傷付いて悲しむ人間だって居るんですから...、いいですか? 人の身を心配する前にまずは自分の身をですね...」


 そこまで聞いた時、ティナは込み上げて来る嬉しさをとうとう抑える事が出来なくなった。


「フフッ、ルミナス教官はやっぱり優しいですね、昨日までとはまるで雰囲気が違うじゃないですか」


「わっ、私だってこれまで好きで厳しく接してた訳では無いんですよ! ただまぁ...、一応これが仕事なので」


 ルミナスは赤面しつつ巻き終わった包帯をギュッと強めに縛ると、座り込むティナに手を差し出した。


「さっ、もう夜も明けてしまいましたしいつまでも休んでられませんよ。ちゃんと立って下さい」


ティナは少し微笑みを浮かべると、ルミナスの暖かくも白い手を頼りにようやく立ち上がった。





 日が上って山の中もすっかり明るくなり数時間前の薄気味悪さはどこえやら、あちこちから聞こえてくる鳥のさえずりがオーガの襲撃を無かったもののように感じさせるほど清々しく響き渡る。


 今、騎士候補生Cチームはローズやルミナスを筆頭に、他十数名の騎士を伴いながら山頂目指して急ピッチで歩いていた。

 魔力切れを起こしたフィリアも、ルミナス教官に手を貸してもらいながらなんとか歩いていた。


 そんな中、山に満ちる自然音を遮って誰かさんのお腹がけたたましく音を立てた


「お腹空いた~...、やっぱり蛇だけじゃどこか足りないものがあるよ。ティナー、戦闘糧食せんとうりょうしょくの乾パンでもいいからなんかない?」


 騎士候補生第一班の中では一番と言っても良い食欲を持つクロエが、ティナに蛇だけでは足りないとお腹を抑えながら訴える。


「あったとしても小休止ですらない今はダメ、我慢しなさい。それより教官、ホントに背中の怪我は大丈夫なんですか? 結構重傷に見えたんですが...」


 後ろで不満そうにチョコッと頬を膨らませるクロエは置いておき、前方を男性騎士に肩を貸して貰いながら歩いている、オーガと遭遇した際背中に大怪我を負った男性教官へ話しかけた。


「これぐらいの怪我は今までしょっちゅうだったからな、どうってことないさ。不測の事態が起きたとはいえ訓練は訓練、最後までやり切る事が大切なんだ。まあ強いて言うなら君、悪いな山道で肩なんか借りちまって」


「あっ...いえ、自分は大丈夫です。それに、ここで騎士候補生過程を終えるヤツには是非、"アレ"を見てもらいたいですからね」


 教官に肩を貸している男性騎士の素っ気ない返事に含まれていた"アレ"とは何なのか、ティナは一瞬気になったが、その答えはすぐ知るところとなった。


 山頂が近づくと上を覆う木々の密度が低くなり、ティナが最後の斜面を登り切ると同時に、遮られていた光はその光景と一緒に溢れんばかりに目の前へと現れた。


 輝く太陽の下、どこまでも広がる青空と広大な海が姿を現し、山頂という立地からか障害物一つ無くそれを見渡せたのだ。バカみたいに透き通った明るい空は、闇夜を歩き続けたティナ達の心をどんなに優れたアロマテラピーよりも優しく癒し、広大な大洋はウロコのように美しく光を反射して眩しいくらいだった。


「うわあ...、すごく綺麗...」


 ティナ自身、初めて見るこの絶景にもはや反射的な形容詞しか口から出せなかった。


「ティナさん、こっちに王都が見えますよ!」


 今見た海が北側であったのに対し右、フィリアに言われ東の方角に目を向けると、一際大きな建築物にして王都のシンボルでもある巨大な王城、そしてそれに付随する位置に自分達が三ヶ月騎士になる為に訓練を積んだ思い出深き駐屯地が見えた。


 山頂から見た王都全体の大きさは相当なもので、東にある大きな三日月状の沿岸部にはいくつもの港と無数の船が湾口を出入りしており、中には遠方からでもクッキリ視認出来るほどの大型軍艦も浮かんでいた。

 

 中心部は優しい暖色で塗装された石畳の上にオシャレな木組みの家々が建ち並んでおり、ティナはこの光景を一生眺めていたいとすら思えた。


「いい眺めだろ? ここで騎士候補生過程を終えるヤツは最後に必ずこの景色を見るのが伝統でな、これから背負うものを確認するっていう大事な区切りなんだ。しっかり目に焼き付けておけ、これがお前達"王国軍騎士"の守るべきものなんだからな」


 騎士候補生だった彼らは、これからの一日一日で忘れてしまわないよう時間が許す限り見続けた。守る理由や騎士でいる理由は人それぞれだが、彼らは今一度自らの"守るべきもの"を各々胸に刻み付けた。


「王国に文献として記された古い記録にはこう書いてあるらしいですね。とある旅人はその昔、雨上がりの晴れた日に小高い丘の上から景色を眺め、この国の印象をたった一言で表現したといいます。『蒼国そうこく』...と。この一言からストラスフィア王国はそのイメージを空や海といった蒼色に固め、今では軍の制服もこれに乗っとったデザインにしたと言われています」


 一見安直だが、もし当時の旅人がティナだったとしたら間違いなく同じ言葉を用いただろうと考えた。

 それほどまでに、眼前に映る空や海、街は美しく光に満ちていたのだから。

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