第16話 VS敵対生物オーガ
『敵対生物』
今から二年前にあたる大陸歴七七四年の事だった。突如として大陸西部に溢れ出したこの異形の怪物群は、人里を襲い文明を破壊する、文字通り人類と敵対し牙を剥くモンスター群であった。
当時の王政府は事態を重く受け止め、国民の命と財産を守る為に第一報から三十分という驚異的な早さで王国軍に出動を命令。要塞や街の駐屯地から部隊を展開させ、激戦の果てに王国の各主要都市を防衛する事に成功したという。
だが、それで勝敗が決した訳では無かった。
敵対生物群の数は時間の経過と共に膨れ上がり、戦線が広がるに連れて遂には王国全土でその姿が目撃されるようになってしまった。
そして、行軍訓練中であったティナ達の前に現れた敵対生物。
王国危険指定ランク【D】の一体で村を滅ぼしたという怪物オーガが、その拳を彼ら騎士候補生の頭上へと振り落とす。
「避けろおぉぉッッ!!!」
先導していた男性騎士教官が叫ぶと同時、後ろの騎士候補生を押し倒した。
叩き付けられた拳は地面をえぐり、衝撃は音となって周囲を駆け巡る。飛び散った大量の土からは威力が十分過ぎる程に伝わった。
攻撃が来る直前に押し倒された騎士候補生が、自分を庇い背中の制服を赤黒く染めた教官に必死で叫んでいる。
爆発に等しい衝撃で飛び散った石から教え子を守る為、一瞬とも言える時間で判断を行い身を挺して庇ったのだ。
教官だけではない、同じく前例歩いていた騎士候補生にも軽傷だが数名の怪我人が出ていた。
紛れも無い実戦。あまりに突然の事に騎士候補生達はパニック状態に陥り、脅威に対するプロセスが頭の中でぐしゃぐしゃになってしまっていた。
ただただ恐怖のみが突き上げ、目の前の現状を把握するのに精一杯となった彼らに対処法を思考するというのは不可能であった。
しかし、オーガはそんな彼らに微塵も容赦しない。すぐさま二撃目を繰り出そうと空いていた左の巨腕を振り上げる。
教官を置いて逃げれば生き延びられるかもしれないが、庇われた騎士候補生は自分を助けてくれた教官を見殺しにする判断は出来なかった。
今度こそ避けられないと騎士候補生が諦めかけた時、頭上の空気を切り裂き何かが凄まじい速さで飛んでいった。
直後、ガツンという鈍い音と共にオーガの左目へ拳大の石が直撃し、反り返ったところで顔面に複数回の爆発が発生する。
激しい振動と共に、オーガはそのまま背中から地面へと転倒した。
唖然とする男性騎士候補生の傍に、金色の髪をなびかせた幼い女性騎士候補生が駆け寄る。
「今のうちに負傷者を安全な場所に運んで手当てして! それと教官、あなたの持っている通信用魔道具を貸して下さい! 周囲一帯の王国軍部隊に救援を要請します!」
駆け寄った女性騎士候補生は隊列の中でも最後方を歩いていたティナだった。彼女は夜の闇で視界が遮られた後列に居ながらも状況を把握し、クロエとフィリアに飛び道具で援護するよう伝えるや否や単身駆け出していたのだ。
元騎士でもあったカルロスを父親に持つティナは、多少の体術と共に日常から抜き打ちで緊急時を想定した模擬訓練を幼少から半ば無理矢理させられていたという事もあり、この事態に反射で行動に移れたと言える。もっとも、ティナ自身そのような訓練が役に立つとは今日まで到底思っていなかった。
一方でオーガの攻撃を受け倒れている男性騎士教官は、騎士候補生といえども幼い少女にこの場の全てを任せる事に躊躇いを覚えた。
だが、訓練中に敵対生物に襲われるという想定外の状況で自身も重傷を負う中、やるべき事を正確に把握している者にこそ託すのが正解だと彼は判断した。
男性教官はティナの声に応答すると、僅かに残った力でティナに『テスラ』と呼ばれる長方形の箱と、そこから伸びた線の先に耳栓に似たものが付いた通信用魔道具を手渡した。
「使い方は......分かるな? すまない、君のような幼い子に任せてしまって......」
朦朧(もうろう)とする意識の男性教官に、ティナは「大丈夫です」とだけ返した。
庇われた男性騎士候補生は、他の男性騎士候補生と協力して教官と数名の負傷者を、オーガが倒れている内に安全な場所へと運ぶべく急いで持ち上げた。
「ありがとうございます......、教官」
運ばれる教官を見送ったティナは小さな声で一言お礼をいうと、現状の問題へと目を向ける。
「フィリア、『レイドブラスト』をいつでも放てるように詠唱をしつつ待機してて、クロエは援護! 多分もうすぐ起き上がって来るわ」
「「了解!」」
ティナからの命令を受けたフィリアが再び詠唱を始め、クロエも剣を抜いて身構える。ティナは教導隊で習った通りに通信用魔道具を動かし、この山一帯の王国軍へ向けて送信を開始した。
「CQCQCQ、え~っと......こちら騎士候補生山中行軍訓練Cチーム。現在、アルテマ山中腹にて敵対生物と遭遇しました。攻撃により教官と騎士候補生数名が負傷、大至急救援を要請します! えっとえっと......オーバー」
初めての実戦における通信行動。慌てていたこともあって、かなりあたふたとした送信になってしまった。
ティナ自身にコールサインが振られている訳でも無いので、訓練開始前に分けられたチームのアルファベット名で名乗るしかなかったが、返事はすぐに帰って来た。
どこかの部隊の指揮所と思われる所から、軽いノイズ混じりの声が魔道具越しに聞こえてくる。
『ザッ......騎士候補生Cチーム、こちらアルテマCP《マンドポスト》、同山中に討伐任務で展開していた三個小隊を至急向かわせる。部隊接近の通信を受信次第信号を......』
CP《コマンドポスト》と名乗った指揮所からティナが指示を聞いていた時だった。
「ティナ! 前っ!!!」
「えっ?」
クロエが叫ぶとほぼ同時にオーガが起き上がり、ティナ目掛けて腕をハンマーの如く振り落とした。
「くっ!」
ティナは急いで飛び退き回避すると、そのまま柔らかい土の上にゴロゴロと転がった。
「っ......! げほっげほっ!!」
転がった拍子で口の中が砂まみれになり、ジャリジャリと嫌な感触が広がるのを感じたティナは思わず咳込む。
だが、数秒前までしゃがんでいた場所には巨腕が落とされていた。もしクロエが警告してくれていなければ、そのまま虫のように叩き潰されていただろう。
「ティナさん! 魔道具が!!」
フィリアに言われ、ティナは持っていた通信用魔道具テスラが手から消えていることに気づく。見ると、転がった拍子に落としたのかオーガのすぐ傍で土に埋もれていた。
ティナは慌てて拾おうとするが、それを爆発魔法が直撃したにも関わらず、まるで外傷の見られないオーガがティナの目の前で無惨にも踏み潰した。
「ゴオオオォァアアアア!!」
「ッ......!! この状況じゃ、今更怪我した人を担いで逃げるのも難しいか......」
ティナは珍しく舌を打つと、思いっ切り息吸い込み周りの騎士候補生全てに届くよう叫んだ。
「全員聞いて下さい! 後少しすれば近くにいる部隊が救援に来てくれます。それまで何としても負傷者を守る事! 全員王国軍に志願した身なら」
そこまで言うと、ティナは腰の剣を抜きその声色を変える。
「ここで覚悟を決めて下さい!」
ティナの言葉に周囲の騎士候補生の間で動揺が走った。
正直なところ援軍なんてこの広い山中でいつ来るか分からない上に、目の前の化け物は暴虐無尽の限りを尽くす敵対生物。まして今戦えるのは『騎士スキル』を持っていない騎士の卵のみである。
どう考えても無謀だったが、現状夜の山で負傷者を抱えながら逃げるのも危険である事に変わりは無い。
何より、このままこの化け物を見逃せば最悪王都の近くにまで姿を現しかねない。そうなれば、後がどうなるかは想像に難くなかった。
すると、今まで後ろに下がっていた男性騎士候補生達が続々と前へ出て来た。
「そんなこと言われなくても分かってる、数ヶ月前から税金で食わしてもらってる身だ、逃げたりなんかしねえよ」
「当たり前だ、こんな小さい子達に任せておけねえよな」
「教官のように男の維持、いや...王国軍の騎士の維持ってもんを見せてやるぞお前らぁ!!」
先程とは打って変わって好戦的な彼らは、自分より年下の少女に言葉と感情で刺激され、男である自分がやらずして誰がやるんだと言わんばかりに剣と盾を構えた。
「男も結構やるじゃん、こりゃ私達も負けてられないねー。それじゃあティナ、指示よろしく!」
「乱戦だと限られますが、私も出来る限り援護します」
クロエとフィリアも戦う準備は済んでおり、後はティナの指示を待つだけだった。
ティナもそれを理解しており、二人に指示を言い渡す。
「クロエは私と一緒に敵の足目掛けて切り込んで、要領は対魔法訓練の時と同じよ。フィリアは指示あるまで待機......って危ない!!」
話している最中にも関わらず飛んで来るオーガの攻撃を、ティナとクロエは紙一重で横に飛び回避した。
「ちょっと! 話してる最中なんて反則じゃん!! 人の話は遮るなってお母さんに教わらなかったの?」
クロエが指差しながら叱咤するが、勿論オーガにそんな人間の持つ常識なんてものは通用しない。
「お前の相手はこっちだオラァ!」
注意を引くべく、男性騎士候補生が五人掛かりでオーガに斬りかかる。
いくら実戦経験が無いといっても訓練を積んだ騎士の卵。それが十数人といるのだから、数の利で実質オーガを圧倒していた。
ティナとクロエもその隙を突き側面から何度も柔らかいと思われる部位を切り付けるが、如何せん決定打にならない。
「はあっ!!」
ティナの剣はオーガの脇腹に入るも浅く刺さり、切り裂こうにも薄皮が剥ける程度しか効果が無い。それは、オーガの持つ体皮の分厚さと自らの力不足を物語っていた。
さらに現在の時刻は深夜。それまでずっと装備を付けたまま山道を歩いていた事もあり、騎士候補生達の体力はピークに達していた。
「おい! 援軍はいつ来るんだ、こっちもそろそろ......持たないぞ!」
正面でオーガの攻撃を辛うじて盾で防いでいた騎士候補生が叫ぶ。
「まだ分かりません! だけどもう少し......うあッ!?」
返事を返していた時だった。咄嗟に直撃は免れたものの、オーガの繰り出した薙ぎ払いがティナを巻き込み、援護の為下がっていたフィリアの傍まで吹っ飛ばされた。
「ティナさん! 大丈夫ですか!? どこか痛いところとかは......」
フィリアがすぐに走り寄り、激しく転がって体中を土まみれにしたティナを抱き起こす。
「うっ......。だっ、大丈夫。それよりも、何とかして援軍を誘導しなきゃ」
フィリアに手伝ってもらいながら立ち直したティナは、すぐに思考を吹っ飛ばされる前に戻した。
ティナ自身も焦っていたのだ。なぜなら援軍が向かっていたとしてもここは暗い山の中、目印も無ければ場所を伝える手段さえ無かったのだ。
何か印になりそうな光源を探したが、当然そんな物は携行しておらず悩み果てていたティナだったが、フィリアの得意魔法。っというより、現在彼女の唯一使える魔法が頭に過ぎった。
「フィリア! あなたが今使える中で一番威力の大きい爆発魔法をあのオーガに食らわしてやって!!」
「えっ!? はっ、はい! 分かりました」
ティナの指示にフィリアが一瞬困惑した表情を見せたが、彼女は言われた通りすぐに詠唱を開始した。
突き出した剣の先端に、奇怪な紋様をした魔法陣が画かれると共に光が集束していき、やがてそれは周囲を明るく照らす程の大きさへと成長する。
「やばっ、皆離れて!!」
フィリアが何をするか感づいたクロエの警告に、群がっていた騎士候補生達は急いで距離を取り姿勢を低くした。
全員の待避を確認したフィリアは、確実に当てるべくオーガの膨れた腹に照準を定めるとありったけの魔力を乗せて爆発魔法を放った。
「一点集中......『レイドブラスト』!!」
剣先から発射された魔法はこれまでとは違い一発だけだが、オーガの腹に食い込んだそれは爆炎を上げ、業火で包み込むと同時に少々遠方からでも確認出来る程の爆発的な音と光を放った。
舞い上がった大量の土がバラバラと落ちて来る中、煙に覆われたオーガを全員が見つめる。
「これだけの音と光を出せば信号代わりにはなる筈...。でも、出来れば今の一撃で倒れてくれれば......」
だが、そんなティナの淡い期待は数秒後に裏切られる事となる。
「ゴアアアァァァァァアアアアアア!!!」
煙の中から飛び出して来たオーガは断末魔にも似た叫び声を上げ、半狂乱で辺りの木々を薙ぎ倒しながら騎士候補生達に突っ込んで来たのだ。
「なんでアレを食らって生きてるのよ......! 皆避けて!!」
「「「「言われなくても!!」」」」
騎士候補生達は次々と回避行動に移った。
オーガの恐ろしいまでの生命力には驚きを隠せないが、後は援軍が来るまで凌げばいいだけで、ティナも突進を受けまいと回避しようとした時だった。
「何やってんのさフィリア! 早く避けて!!」
途端にクロエが叫ぶ。
ふと見ると、フィリアは地面に力無く座り込みその場からほとんど動いていなかったのだ。
「なんでか、なんでか分かりませんが体に......、力が入らないんです......」
それは、焦るあまりティナとフィリア本人ですら忘れきっていた事だった。
『魔力切れ』。
人はそれぞれに持つ魔力の絶対量が存在するが、その魔力が尽きれば体は満足に動かせなくなり、当然だが回復するまで魔法は使えなくなる。
しかも、フィリアは高威力だが魔力消費の激しい『爆発魔法』を、杖無しで使い続けたのだからこうなるのは必然だった。
「ぐっ......お願い、動いて!」
フィリアの気持ちとは反対に、その体は全く言うことを聞いてくれない。
そうこうしている間に、巨体を誇るオーガは一直線にフィリアへと雄叫びを上げながら突進していく。
「ダメ......」
ティナの中にある一つの想いが生まれると同時、彼女は回避やめ、突っ込んで来るオーガを遮るようにしてフィリアの前に立った。
「なっ!? ティナさんダメです! 早く逃げて下さい巻き込まれちゃいます!!」
ほぼ半泣きで訴えるフィリアを背に、ティナは右手の剣を構えながら叫んだ。
「班員一人守れないヤツが、王国軍の騎士なんてなれっこない。ここで見捨てて一生後悔するくらいなら人として、騎士を志す者として、私は今ここで戦う!」
オーガに面と向かうティナの足は、ガタガタと震え全身から汗が吹き出ていた。
彼女も怖いのだ。自分の何倍もある怪物が殺意を持って襲って来るのだから怖くない筈が無かった。逃げれば自分の命は助かるが、そうすれば後ろに居るフィリアの命が犠牲になる。
目の前に迫ったオーガの濁った黄土色の目と視線が合い、その拳は完全にティナとフィリアを捉えていた。
ーーああ、ここまでか......。っと、自らの命すら絶年しながら、それでも一歩と退かないティナとフィリアに、巨腕の射程範囲に入ったオーガが一切の同情無くその拳を叩き付けた。
「ティナ!! フィリ......ア!?」
クロエが間に合わないと知りながらも、走りながら二人の名前を叫んだ時だった。周囲の騎士候補生、そしてオーガ自身もその異変に気が付く。
ほんの数秒前までそこに居た少女二人の姿が跡形の無く消えてのだ。キョロキョロと周りを見渡すと、オーガより数メートル離れた所。
そこには比較的長身で、季節と逆行する様に暑そうなスーツ姿をした中年の男が、ティナとフィリアを両脇に抱えながら立っていたのだ。
「クロムウェル騎士候補生、己が身を犠牲にしてでも仲間を守るという君の覚悟は称賛に値する。だが、あえて言うが勇気と無謀は違うぞ」
そして、男は優しくティナとフィリアを地面に下ろすと、唖然とする目の前の騎士候補生達に話しかけた。
「よく持ちこたえた騎士候補生諸君。探すのに随分と手こずったが、とびきり派手な信号のおかげでなんとか間に合うことが出来た」
堂々とした立ち姿で現れたローズは、後ろに数十の王国軍騎士を引き連れ、孤立無援で奮闘した彼らに待ち望んでいた援軍到着の知らせを告げた。
「さあお前ら、ここからは大人の仕事だ」
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