第14話 凶兆

「んっんっんッ......、プハーッ! ぬるくなっちゃってるけど案外おいしいもんだねー」


 季節は春も過ぎ。その光に熱を帯び始めた太陽が照り付ける中、すっかり着慣れた白色基調の訓練服を汗で濡らしたティナ、そしてクロエは、荷物を置いて壁にもたれながら支給された水を空にする勢いで飲んでいた。


「そうね、でもせっかくならもうちょっと冷たい水が飲みたかったなーなんて、言ったらまたルミナス教官に怒られちゃいそう」


 少し笑いながら、ティナは残り半分程になった水筒を振った。

 その様子を横で見ていたクロエも、暑いと言わんばかりに手で額の汗を拭う。


「でもこの訓練服を着てられるのも後僅かなんだし、もう一踏ん張り頑張ろう!」

 

 クロエの言う通りだった。

 ティナ達が教育隊に入ってから既に三ヶ月の月日が流れており、既に基本的な戦闘訓練や武器の扱い方も習い終わった彼女達は、現在教育隊最後のメニューである『十五キロ装備装着マラソン』と、駐屯地からすぐの場所にそびえ立つ山で行われる『アルテマ山山中行軍』を残すのみとなった。


 その内の『十五キロ装備装着マラソン』はたった今終わったところだった。

 装備付きという名の通り、ティナ達の腰には鞘に入ったショートソードがぶら下がっており、動く度にカチャカチャと小さな音を立てている。


 入隊からの三ヶ月間で、騎士候補生達の基礎体力はかなり着いたと言える。

 だが、さすがにここまで来ると後は仕上げだけということもありハードなメニューの前にバテる騎士候補生がほとんどだ。


「ハアッハアッ、二人共息一つ切らさないなんて、さすがですね。私の体力なんて下の下ですから......、正直、かなりこたえてるっす」


 ティナ達の前に、汗だくで息を荒くしたセリカがやって来た。

 その足取りはどことなくフラついており、膝に手をつけ途切れ途切れに口を開く。


「セリカ......、大丈夫? 今にも倒れそうで見てるこっちが怖いんだけど」


「いっ、今は大丈夫っす。それよりも、この後控えてる山中行軍で生きて帰れるかどうか......。っていうかフィリアさんが見当たりませんが、どこか別のところで?」


 セリカは息を整えながら周りをキョロキョロと見回しフィリアを探したが、どうも近くにはいないようだった。


「フィリアはねー......、もうちょっとしたら来ると思うよ」


「ん? それってどういうことっすか?」


 クロエの言葉を聞いて首を傾げるセリカに、ティナは両肩から下げているポーチをこれみよがしに指した。


「あれ? なんでティナさんポーチを二つも持って......。クロエさんもなにか荷物が余分にあるような......、まさか、それってフィリアさんの荷物っすか!?」


 呼吸を落ち着かせてセリカはようやく思考が回転し始めたのか、ティナとクロエが持つ少し多めの荷物から第一班の状況を把握したようだ。


「そうよ、フィリアの持ってた剣以外の荷物をほとんど私とクロエで分担して持ったんだけど、それでもペースが上がらなくって......。今はルミナス教官が傍に付いてる筈よ」


 説明を受けながらセリカは数回頷くと、自分の手に視線を移した。


「フィリアさん、魔力は人一倍ですが私と同じで体力は無さそうですからねー。『騎士スキル』を習得出来れば体力は上がるかもしれませんが、それらしい実感は今のところありませんし......」


 ティナも話を聞きながらもたれ掛かっていた壁を手の甲で何度か叩いてみるが、ただ痛いだけで壊れるといったわかりやすい現れ方はしない。

 万に一つスキルが発現して壁が崩れたとしても、その先には壁の修理という非常に現実的な問題が立ちはだかるので、崩れられても困るだけだった。


 何とも言えない空気が立ち込める中、壁にもたれたままのクロエが口を開く。


「教官達が訓練をやる気にさせる為に嘘着いてるとか? 前フィリアに貸して貰った小説にそんな話があったよ」


クロエが涼しい顔で放ったその言葉は、焦るティナを動揺させるには十分な威力を持っていた。


「それじゃ困るじゃない! 第一、もし本当に『騎士スキル』が無かったとして、私達みたいな子供がどうやって敵と戦うのよ!」


 ティナは思わず声を荒らげてしまった。


 存在すると思っていたものが無いと分かった時、存在する事を前提に立てていた計画は白紙に戻されてしまう。

 今のティナ達はその一歩手前にいるのだから焦らない筈が無かった。


「まあまあ落ち着いてよティナ、あくまで創作じゃん。あっ......、っていうかあの本フィリアに返すの忘れてた!」


「借りたんならちゃんと返しなさい! 同じ部屋でしょ」


 話の論点が少しずつズレていくティナとクロエに、セリカは半開きになっている駐屯地の門を指差した。


「お二人共、小説の持ち主が到着したっすよ」


 指された方を見ると、フラフラの足取りで門をくぐり、歩きと大差無い速度でこちらへ走って来るフィリアの姿が確認出来た。

 ティナの言った通り、傍にはルミナス教官が付いて歩調を合わせながら横を走っている。


「フィリアさん既にグロッキーになってますが、この後の山中行軍、果たして大丈夫なんでしょうか......?」


 セリカはフィリアと、預けられた彼女の荷物を見て心配する様相を示した。


「フィリアなら大丈夫だよ、ああ見えて結構強情だから。途中で投げ出したりなんか絶対しないよ」


 クロエが両手を腰に当てながら自信満々で三人に言った。

 幼なじみとして付き合いが長いからこそ、自信を持って言える言葉なのだろう。


「ハアッハアッ......ハアッ、すみません......、遅くなりました」


 ティナ達の元にたどり着くや否や、フィリアはその場に座り込んでしまった。


「お疲れフィリア、水あるから飲みなよ」


 フィリアは渡された水筒を両手で持つと、余程喉が渇いていたのだろうそれを一気に飲み干してしまった。


「......ぷはっ、ありがとうございます。おかげでさまでだいぶ、楽になりました」


 まだ若干息を切らすフィリアに、先程まで横に随伴していたルミナスが近寄った。


「到着予定時刻への遅れは時としてあなた自身、そして部隊を危険に晒します。このような事は本来あってはならないのですよ」


 ルミナス教官に諭されたフィリアは上を向く気力も残っていないのか、俯きながら「はい」とだけ答えた。

 ルミナスは取り出したフィリアの評価シートにマイナス点を付けると、もう一度フィリアを見た。


「ですが、最後まで止まらず走りきったのは評価します。夕方からの山中行軍も精一杯取り組むよう」


 それだけ言うと、ルミナスはマイナス点の横にあるプラス項目にもチェックを付けてその場を去った。


 下げるところは下げ、評価できる部分は評価する。

 彼女にとっては見るべきところを見て評価を決めるのが自分に与えられた仕事であり、義務なのだ。

 そんなことをボヤボヤと考えながらルミナスが角を曲がった時だった。


「いい仕事ぶりだルミナス教官。この三ヶ月君に教官を任せて正解だった、感謝する」


 腕を組み、角を曲がってすぐのところで壁にもたれていたのは、季節に合わず暑そうなスーツを体に纏い、鼻の下に髭を付けた背の高い男だった。


「見るべきところを見て総合的な評価を付けるのが私の仕事です、お礼はいりません。それよりも、最初に【ナイトテーブル】で話を聞いた時はてっきり私があなたの補佐をするものと思っていましたが、まるっきり逆で最初は慌てましたよ、ローズ教官」


「なぁに、君と同じく俺には俺の仕事があったって事だよ。それより、急を要する話がある」


 いつぞやの誰かさんみたく盗み聞きをしていたのかとルミナスは疑っていたが、漂う空気が少し重くなったのを肌で感じ、早急に姿勢を正す。


「なんでしょうか?」


 ルミナスを前にローズが数枚の紙を取り出すと、それを彼女に手渡した。

 渡された紙に書かれていたのは、この街に幾つか存在する駐屯地の王都周辺における巡回報告書だった。


『本日ヒトナナヨンゴー、巡回中だった第六小隊はアルテマ山山中にて"オーガ"と思われる王国危険指定ランク【D】の敵対生物を発見。現状戦力での対処は困難と判断し、一刻も早く報告するため王都へと帰還致しました。首都近辺における【E】ランク以上のモンスター出現は緊急を要する事態であると考えます。早急なる捜索、並びに討伐の準備を具申します』


 ルミナスは急ぎ残りの報告書にも目を通すが、どれも内容は似通っており何度見直しても事実としか思えなかった。


「これは......どういうことですか!? 危険指定【E】より上の敵対生物群は大陸西部で押し止めていた筈です。戦線から最も離れた東部に位置する王都周辺にオーガが出現するなんて......」


 信じられないといった様子で動揺するルミナスに、ローズは落ち着いた口調で返事を返す。


「王国軍も壁のようにずらりと立っている訳じゃない、街や要塞を中心として街道や山道、平原等に展開している。だから、ヤツらが人では上れない山の斜面や海を泳いで来た場合、そこにはどうしても防衛上の空白が生じてしまう。空でも飛ばれちまった日にはもうアウトだ」


 その言葉は、現状の敵対生物群に対して王国軍が抱える大きな課題を照らし出していると同時に、この大陸のどこに獰猛な敵が現れるかも予測出来ないことを示していた。

 もし相手が人間だったなら十重二十重の防衛線や要塞、防衛戦術によって各方面軍が内部への浸透を防ぐ事も、苦戦はすれど想定されたプランに沿って出来たはずだ。


 しかし王国を襲った敵は人では無く物語に出てくるような、それも数と質両方を兼ね備えた化け物だった。

 その結果、現状少数だが王国内の奥地まで狂暴な外来種の如く侵入を許していたのだ。


「上の対応はどうなっていますか?」


 話を聞いた上で、ルミナスは現段階における対抗策を聞いた。


「現在、捜索と討伐を行う戦闘科の一個騎士中隊と、それを支援する魔導師ニ個小隊を臨時で編成中らしい。一体のオーガ相手に二百人以上も動員とは少し過剰な気もするが、王都近辺に出現したのは初めての事だから敏感になってるんだろう。後、『冒険者ギルド』にしゃしゃり出られるのを嫌ったのかもな」


 最後の一文を聞いたルミナスは、浅いため息を吐くと呆れた顔で口を開く。


「軍とギルド間の関係改善はまだ成されていなかったんですね、とっくに仲違いは解消されたと思っていたのですが......」


 国が一致団結すべき時に何をやっているんだと言いたいルミナスだったが、彼女はもっと身近な心配をローズに話す。


「午後から実地を予定している山中行軍の訓練はどうしますか? 私的には、モンスターが討伐されてからで良いと思われますが」


 もし山の中でオーガに出くわしでもしたら、まだ戦闘能力の低い騎士候補生は間違いない無く負傷者を出すだろう。

 最悪の事態を回避する為、ルミナスは訓練の延期を提案するが。


「俺もそうしたいのは山々なんだが...、夏期騎士候補生が控えてる今時間は出来るだけ無駄にしたくない、訓練は予定通り行うが、もし現れた時の事を踏まえて我々も武装しつつ山中のチェックポイントで待機する」


「離れて待機? 随伴はしないのですか?」


 ルミナスが再び疑問を抱くのにも理由があった。

 これまであらゆる訓練で教官が騎士候補生の傍を離れたことは一度も無かったからだ。だが、今回は少し訳が違った。


「山中行軍の訓練は三チームに分けた男性騎士候補生との合同だ。よって、向こうの教官が先導を担当する事になっている」


 ルミナスは思わず歯ぎしりした。

 何故自分達の手が届かない時に限ってオーガなんかが現れたのか、彼女は苛立ちを隠せなかった。


「俺も気持ちは一緒だルミナス教官、全く昔から肝心な時についてないぜ...。まっ、広い山中でそうそう出くわす事は無いと思うから、ここは向こうの教官に任せるしか無いな......」

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