第13話 真夜中の教官室
就寝ラッパが鳴って幾許か経った頃。サラサラのシーツと自身の体温でホカホカに温もった毛布の間でティナは気持ち良く眠っていた。
時計の針は既に日付が変わる寸前のところまで来ており、部屋を照らすのは白い月明かりのみだ。
お風呂で汗を流し、明日の用意も終わらせた彼女はこのまま気持ち良いベッドで夜を過ごし、再び起床ラッパが鳴るのを待つだけだった。
その筈だったのだが、ティナはこんな夜分に目を覚ましてしまった。覚まさせられたと言った方が正しいかもしれない。
「うぅ......ん」
ティナは仰向けになっていた体を起こし、まぶたをこすりながら周囲を見渡した。
すぐ傍にある二段ベッドでは上段にクロエ、下段にフィリアといった形で二人がスースーと寝息を立てながら眠っている。
そして、ティナは自分を夜遅くに起こした感覚にも気が付いた。
「......トイレ」
寝ぼけた表情で小さく声を出すと、ティナはベッドから降りて二人を起こさないようゆっくりと歩き、同様に音が出ないようドアをそっと開けた。
部屋を出てすぐにある長廊下は、薄暗く申し訳程度の明かりしかついておらず、その左右の壁には一定の間隔で各部屋の扉が設置されている。
ティナの目指すトイレはこの廊下を歩いてしばらくしたところにあるのだが、先に教官室へ行って一言断わりを入れなければならない。
もしこれを怠ると、消灯時間後の理由無き自由行動と見なされ一晩中お説教を受ける事になるからだ。
ティナとしてもそれだけは勘弁であり、真っ先に教官室へ向かって薄暗い廊下を突き進んだ。
まして、ティナの格好はショートパンツにカーディガンを少し重ねただけという部屋着だった。
尚、これも入隊した時に軍から支給された駐屯地内用の寝間着である。
「う~っ......、寒い。早く戻って暖かい布団に入って寝たい......。ルミナス教官にパパッと断って早く帰ろ」
そんな事をぶつぶつと言いながら、木で出来た教官室の扉をティナがノックしかけた時だった。
扉の向こうからはルミナス教官らしい気の入った声と、それに共なって男性の声が聞こえてきた。
こんな夜遅くに誰が何を話しているのか少し気になったティナは、好奇心から扉に耳をくっつけて中の様子を伺ってみる。
扉の向こうからは、よりハッキリとした話し声が聞こえてくる。
「ーーいい加減、『
それはやはりルミナス教官の声だった。
「いやはや失礼しました。我々魔導師は古来より人見知りでして。人前に姿を出すのはあまり好まないのですよ」
とても丁寧な口調、そして自らを魔導師と名乗った事から、扉一つ挟んだ向こうにいる男の正体をティナはすぐに察した。
「ここは女性騎士候補生の隊舎です。わざわざ隠れてきたからには、何か大事なご用件があるのではないですか? ソルト・クラウンさん」
間違いなかった。今教官室にいるのはルミナス教官、そして対魔法訓練の時傍観に徹していたあの魔導師だった。
何故こんな時間にソルトがいるのか、ティナも人の事は言えない身ながら、やはり気になり耳を澄ます。
「ええ、今日の対魔法訓練に参加していたある騎士候補生達の件なのですが......、ローズ教官はご不在で?」
「そうですね、ローズ教官は今別件で第二駐屯地の方へ行っており不在です」
それを聞いたソルトは「そうですか」と言いながら手近な椅子に腰掛けると、先程から書類作業を続けるルミナスの方を向いた。
「ではルミナス教官に聞くことにしましょう。今日訓練で私の部下を唯一敗った騎士候補生第一班、彼女達は一体何者なんですか? ウチの部下がずっと気にしておりましてね、少し聞いておきたいのですよ」
ルミナスは書類を書く手をピタリと止め、椅子に座っているソルトを見ると同時に持っていたペンを横に置いた。
「ごく普通の少女達。......と言うには少し無理がありますね」
それだけ言うと、ルミナスは引き出しから紙を三枚取り出しそっと机の上に置いた。
「私に直接聞かなくても入隊試験時のレポートがありますので、こちらをご覧ください」
置かれた紙は誰の手が触れた訳でもないのにフワフワと宙を流れ、ソルトの手元へと引き寄せられていく。
ここまで魔法を使いこなせれば、さぞ生活でも便利なのだろうかとルミナスは思った。
ソルトが受け取った紙には、ティナ達が王国軍に入隊する時受けた試験の結果や行使可能な魔法等が記載されていた。
これを基準として教導隊は訓練内容、そして配属される部隊までの目安を付ける訳だが、このレポートは本人達が直接見る事は出来ずあくまで指導する教官達の指標として使われる。
「すごいな......、このフィリアという子は十三歳でもう爆発系統の魔法が使えるのか。身体能力は低いが、魔力量に関しては魔導科の基準を既に超えている! 騎士にするにはもったいない逸材だ」
彼もやはり魔導師。魔法の事となるとつい興奮してしまうのだろう、普段の敬語はどこえやら、すっかり夢中になっていた。
ソルトはひとしきりフィリアのステータスが書かれたレポートを見ると、ようやく次の紙に移った。
が、それを見たソルトは思わず固まった。
記されている文字を見て、それが間違いでは無いと自分に言い聞かせるように読み上げていく。
「クロエ・フィアレス。対魔法感知能力は最高位のSに相当、身体能力も比較的高い水準にあり、今期生唯一の固有スキル保有者と認む、スキル名は『マジックブレイカー』魔導師等が展開した魔法陣への直接的な干渉が可能であることが推測される......か。これはすごいな」
ソルトが驚くのも無理は無かった。
固有スキルは魔法と違い、遥か昔の魔導師が持っていたスキルを先祖代々受け継がせることによってその存在を現代まで維持してきている。
従って、誰にも受け継がれなければその者が持つスキルは死と共に消滅してしまい、未来永劫消えたままとなる為、スキルはその数を減らしてしまうのだ。
「私もローズ教官も、固有スキル持ちの候補生を扱うのは初めての事でした。そして、そのレポートに書かれた能力を私達は実際にこの目で確かめる必要がありました」
「そこで、我々魔導師に訓練で魔法陣を張らせそれを彼女に砕かせて見ようというわけでしたか。やれその場から動くな、やれ派手に魔法陣を出せという注文の理由がようやく分かりましたよ」
ルミナスは席から立ち上がりソルトに向かって、朱色の髪と一緒にその頭を下げた。
「おっしゃる通りです、既にローズ教官の方からお話が伝わっていると思い、彼女達の説明を省いてしまった事は謝罪します。ですが、もし本格的な模擬戦闘と伝えてしまっていたらあなた達は魔法陣すら展開せず......。誰か!」
扉の外で一瞬何かが当たる音が聞こえたルミナスは、顔を上げると同時に扉の方へ向かって
しかし、返事は帰って来ず教官室には静寂だけが訪れた。
険しい目つきで扉を睨みつけるルミナスに、少し笑いながらソルトが声を掛ける。
「構いませんよルミナスさん、訓練の件はローズ教官に今度何かご馳走してもらう形で手を打ちましょう。それよりも......こっちの子なんですが」
っと、ただの気のせいと言わんばかりに話題を戻した。
扉に当たり音を立てたのはティナの肘。彼女はクロエの下りで驚いたあまり、肘が動いてぶつかってしまった。
「あう~、腕がビリビリするぅ......」
肘の先、ハニーボーンを強打したティナは右腕を抑えながら小声で悶絶していた。
だが、今のティナにとっては自分の腕を襲う強烈な痺れよりもクロエの持つスキルの方が気になった。
先程ソルトが言っていたクロエの持つ『マジックブレイカー』という能力。これがティナに疑問の解決を行うと共に、新たな疑問を生み出していた。
対魔法訓練においてクロエは派手に魔法陣を壊し、そのスキルを公に披露したが、それを口に出して「持っている」と誰かに言った事は無く、フィリアに関してもその問いに対しては曖昧な返事しか帰って来ない。
何か聞かれたくない事。例えば弱点等がバレるのを嫌った等憶測はいくらでも出てきたが、ティナもそれを無理矢理聞こうとする程野暮ではない。
少し気になるが、聞くのはもっと親しくなった後でも遅くはないと思ったティナは、さっさと用を済ませるべく部屋の扉をノックしようと痺れていた右手を近づける。
「最後はこの子ですね、ええっと......ティナ・クロムウェル。身体能力が秀でているものの特に特筆すべき点は無し、魔法や固有スキルといったものも無くいたって平均。強いて言うならば、物事に向かって真面目に取り組む姿勢が見られた......」
それはティナ本人の能力や評価が書かれたレポートを読み上げたものだった。
ティナはしゃがみながらもう一度耳を扉にくっつけ、なんとか聞き取れないか扉に使われている木の匂いが分かるぐらいまで押し付けるが、先程よりもずっと声が小さく聞こえづらい。
「その子はとても真面目で訓練も熱心ですよ。他の二人のように特別という訳ではありませんが、私は高く評価しています。キチンとした礼儀や挨拶が出来、部下でもある班の者をしっかりと監督する。ああいう姿勢こそが、ストラスフィア王国軍人に何よりも求められている気質だと思っています」
ルミナスはこれまでの騎士候補生全員の態度や訓練を全て見ていた。
態度が良い者悪い者、訓練に取り組む者やサボろうとする者。食事の時お腹とテーブルの間が拳一個分空いているかまで、日々日頃から一人一人チェックしていた。
ルミナスにとっては訓練や実技も大事な評価科目だが、それ以上にルールや礼儀を重視する姿勢を彼女は取っていた。
その点において、ティナはルミナスから比較的高い評価を得ていたのだ。
部屋の外、それを聞いたティナは盗み聞きをしてしまっていることが恥ずかしくてたまらなくなった。
くっつけていた耳を離し、申し訳なさでいっぱいになった自分の胸を押さえる。
ティナは今度こそ扉を開けようと立ち上がるが、長くしゃがみ続けていたせいだろう、うまく力が入らず足がもつれてコケそうになった彼女はとっさに手近な物を掴んだ。
金属で出来たレバー状のそれは非常に掴みやすい形状で、ティナが体重を掛けるとガチャリという音と共に教官室と廊下を隔てていた一枚の扉を押し開いた。
「えっ......!? うわっ!」
勢い余って倒れ込んだ先は廊下と違い暖かく、暖房用魔道具がついているようだった。
事務作業用の椅子や机がいくつも並べられ、その内の一つにレポートを持ったまま苦笑いするソルトが座っている。
そして、体を起こしたティナの前には赤い髪を揺らしながら険しい表情で見下ろすルミナス教官がいた。
「......噂をすればなんとやら、ですな」
それだけ言い残すと、ソルトはこれから漂うことになる空気を察してか、指を鳴らすと同時に『ドーラン』を発動して姿を消してしまった。
持っていた紙はヒラヒラと宙を舞い、元の机に返されている。
「ティナ・クロムウェル騎士候補生、こんな時間にどうしましたか?」
普段とは明らかに違う不気味とも言える低音で声を掛けられたティナは、ビクリと肩を震わせ必死の弁明を試みる。
「はいっ......、あの、お手洗いに行きたくて......」
両手の人差し指同士をくっつけ、横に目を逸らす仕草は誰がどう見ても不審極まりなかったが。
「わかりました、廊下は暗いので足元に注意して行ってきてください」
「はっ、はい」
トイレへの許可をあっさり貰えたことにティナは少し驚いたが、この際教官の気が変わらないうちに可及的速やかなる退出をするのが吉と判断し外に出るが、世の中はそんなに甘く無かった。
「お手洗いが終わったらここへ戻って来て下さい。消灯時間後の理由無き自由行動についてお話がありますので」
「......はい」
良からぬ事をすればいずれ悪事はバレるものである、それが鋭い相手なら尚更だ。
その後、ティナは日が上るまで教官室でお説教を食らったのは言うまでもない。
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