ストラスフィア王国軍教導隊編

第8話 王国軍女性騎士教導隊


 ティナは目の前の光景が信じられなかった。

 真っ暗な闇の中、巨大な音が地響きと共に聞こえたかと思えば、前列を歩いていた者達が悲鳴を上げ、誰かが先導していた教官を必死で叫んでいる。

 そのさらに前、苔色の巨体を揺らした"なにか"が岩の様な拳を振り上げ、今まさに振り下ろさんとしていたのだ。


 ティナは頭で考えるよりも先に直感で動いていた。

 二人の班員に援護するよう言うと、ティナは乾いた地面を蹴って全速力で駆け出していた。


 反射的だった。後の事なんてどうだっていい、今は目の前で人が死ぬのが許せなかった。指示した班員の援護が頭上を過ぎると同時、彼女の生まれて初めてとなる実戦の火蓋が切って落とされた。




◇◇◇




 時刻は早朝、日が上り始め空が明るく照らされ始める時間帯。

 ラッパ手の奏でる起床ラッパが駐屯地中に響き渡り、夢の世界に居た者達へ朝の到来を伝える。


「「「......!!!」」」


 朝一番の軽快なラッパの音にティナ達は叩き起こされた。

 勢い良くベッドから出ると同時に、無駄の無い動きで『王国軍練習服一型』を見に纏い始める。


 この服は、騎士達が教育段階である時に与えられる軍の制服の一つで、左胸には本人達の自ら縫い付けた名札が張られている。

 全体的に白を基調とした色合いとなっているが男女で少しデザインが異なり、女性騎士の場合はスカートにソックスの類を組み合わせた物となっている。


「ちょっとクロエ! ボタン閉め忘れてるわよ!」


「あっ、ホントだ。サンキューティナ!」


 まだ昇りたての朝日が差し込む部屋の中で、三人は慌ただしく着替えを済ますと、制服と一緒に支給された半長靴はんちょうかというくるぶしと膝の間までのブーツを履いて、廊下で行われる毎朝の点呼に遅れぬよう急いで部屋を出た。


 ティナ、クロエ、フィリアの三人が王国軍に入隊してから二週間とちょっとが過ぎていた。


 あの日、採用試験に無事合格したティナ達は、後日広報協力本部から【アルテマ駐屯地】という王城近くに立てられた王国軍の施設へと向かうよう指示された。

 

 そこには通常の戦闘員の他に『教導隊』と呼ばれる、着隊したばかりの騎士の教育を行う部隊が存在しており、最初は抵抗があったもののそこで訓練の邪魔にならぬ様、三人仲良く髪を肩程のショートヘアにした。

 

 その後、入隊式と宣誓書へのサインを終わらせた彼女達は現在その『教導隊』へと配属され、晴れてストラスフィア王国軍への入隊を果たしていた。


「おはようございます。起床ラッパが鳴ってから廊下に整列するまで一分と五十秒......、始めの頃よりは早くなりましたがまだ遅いですね。やり直しです、もう一度寝直して来てください」


 廊下に整列した女性騎士候補生達にそう告げたのは、赤ワインにも似た朱色の髪を持ち、全身に厳格な雰囲気を漂わせた女性の騎士教官。


 彼女は、一度廊下に出て来たティナ達女性騎士候補生の面々に起床をやり直すよう言うと共に、ラッパ手にもう一度吹いて欲しいと頼んだ。

 ラッパ手もそれを快く了承すると、ラッパを口に当てる。


 やがて、全員の準備が済むのを確認すると、ラッパ手が再び起床ラッパを鳴らした。


 王国軍に入隊してからというものの、ティナ達は毎朝教官指定のタイムを切るまで繰り返し寝ては起きてを繰り返していた。


 これも一種の有事を想定した訓練で、何かが起きても迅速に対処へ移れるようにするのが目的だ。

 しかし、最初の頃に比べればやり直しの数こそ減ったものの、今まで好きな時間に起きていた者達も居るのでなかなか一発というわけにはいかないのが現状だった。


「二回目でやっと一分と二十八秒ですか。あなたたちは本当にやる気があるんですか? ここはお家ではありませんよ、明日からは一回目にこのタイムが出せるようにしてください」


「「「「「はいっ!!」」」」」


 廊下に整列した教育隊の女性騎士候補生達が返事を行うと、女性教官は準備を済ませたら食堂へと向かうよう指示した。


 部屋の片ずけ等を済ませ、ティナ達が食堂へと向かうべく駐屯地内の外廊下を歩いていると、クロエがため息と一緒にその口を開いた。


「いやーっ、ルミナス教官は相変わらず厳しいねえ。あの日宣誓書にサインした瞬間から、あの人が一番態度が急変した気がするよ」


 クロエが指すあの日とは、恐らく入隊式の日の事だろう。

 王国軍の騎士は、新しい騎士候補生が宣誓書へサインをするまではお客様として扱うという決まりがある。


 それまではまるで割れ物の様に扱われていた所をサインした瞬間からは騎士として扱われる為、途端に教官達の態度が一変するという客と同僚の境目を体験出来る日なのだ。


「クロエさん、最初は敬語が出て来なくてしょっちゅう呼び出されてましたもんね」


 色の付いたレンガと石畳の床を歩きながら、フィリアは少し面白がりつつ入隊初期の頃を思い出していた。


「しょっ、しょうがないじゃん! 今まで敬語なんて使った事無かったんだから......。むしろ、なんでフィリアはそうスラスラと敬語が出て来るのさ?」


 クロエがムッとした表情から、興味を持つ子供の目へと変えた。

 それを見たフィリアは、思い出す様な仕草を取るとすぐに答えを渡した。


「私の場合、クロエさんとは逆に昔から敬語を使う機会が多かったので積極的に教えられたんです。ですが......、敬語ばかり使っている内に......」


「日常でも敬語しか出て来なくなっちゃったのね?」


 二人の話を横で聞いていたティナが、フィリアの言いたい事を先に言った形となった。

 フィリアは軽く頷き返すと。


「はい......、お恥ずかしながらその通りです。知り合いはもちろん、家族や友人、年下の子が相手でも敬語になってしまって......、クロエさんが少し羨ましいです」


 フィリアは隣家に広がる青い芝生でも見る様な目で、隣を歩くクロエをその蒼い瞳で見つめた。

 『羨ましい』という言葉にピクリと反応したクロエは、悪戯っ子にも似た笑みを浮かべると、どこか得意気に話しだした。


「なら今度フィリアも一緒にタメ口で話す練習してみようよ、そうだ! ルミナス教官の前なんてどうかな? あの人の前で出来たらもう相手が誰でも平気になるよ」


 満面の笑みで繰り出されたクロエの恐ろしい言葉に、ティナは後の事を想像して顔を引き攣らせた。


「ちょっとクロエ!? あんたそれ本気で言ってな......」


 ティナがマズイと悟り制止を試みた瞬間だった。


「恥ずかしいという訳ではないのですが......そうですね、私も普段のクロエさんを見習ってやってみたいと思います」


 完全にクロエのペースに流されてしまっているフィリアを見てティナはため息を一つつくと、純粋無垢なフィリアをそそのかす悪戯っ子の背後にソッと近づいて......。


「よーしその意気だー! じゃあまずはルミナス教官をさが......いてっ!」


 とりあえず元凶であるクロエの脳天を軽くチョップした。


「そこまでよ、クロエ」


 チョップを受けたクロエは脳天を抑えながら『ここからが楽しいところなのに......』と言わんばかりのウルッとした表情でティナに無言の抗議を行ったが。


「これ以上は班長である私が許さないわよ」


 この一言で、クロエはその態度を百八十度反転させ「はーい」と、少し残念そうな返事をすると素直に悪戯をやめた。

 入隊した後、騎士候補生達は班毎に分けられる。そして、班には必ず一人班長と呼ばれ監督する者が存在するのだが、ここの班長にはティナが選ばれていた。


 理由は、普通に真面目だったから。

 クロエの様に悪戯っ子でも無ければ、フィリアよりも積極性があり、観察眼もあったのでまとめ役に相応しいと判断されたからだ。


 そして、ティナが班長になってからはたまにクロエが悪戯にも似た行為を行おうとしては、ティナに止められるという事がたびたび発生していた。


 恐らく、ティナが班長という立場をしっかりと自覚し、部下に近い立場でもある自分達をちゃんと監督出来るのかをクロエなりに試しているのだろう。


「あっ、あのー......。喋り方の練習はまた今度という事でしょうか?」


 その度付き合わされるフィリアにとってはたまった話では無いが。


「フィリア、あれは......クロエの冗談だから。真に受けちゃダメよ」


「そうそう、真に受けちゃダメだよ......いたっ!」


 全く懲りてない隣の悪戯っ子にもう一度チョップを落とすと、ティナは仮ながらも人の上に立つ事の大変さを見に染みて感じた。


 この二週間、同じ部屋で共に過ごしてきた三人はかなり親しくなったと言える。

 それと同時に、それぞれの事も少しだけだが分かり始めた頃でもあった。


 クロエはとても活発でテンションが常に高い、おまけに思考がかなりポジティブだ。

 前にロッカーの鍵を閉め忘れた際、教官にこっぴどく叱られた上に、罰として砲兵隊の保有する大砲を一緒に掃除して来るよう言われた事があった。


 夜になっても隊舎に帰らなかったのでティナ達は心配したが、彼女はえらく上機嫌で帰ってきたのだ。


 後で話を聞くと、力仕事ばかりで大変だったらしいが、砲兵隊の人達と仲良くなり、上官に内緒で実物の砲弾を触らせてもらったりと楽しく掃除していたらしい。

 勿論、ロッカーの閉め忘れもそれからは一切無い。


 一方のフィリアは、そんなクロエと正反対の性格の持ち主だった。

 真面目でとてもおとなしい子なのだが、ティナには行き過ぎた謙虚さ、敢えて言えば自分に対する強い劣等感を持っている風に見えた。


 ティナは、当初この二人をまとめていくのはとても大変に思えたが、お互いを知れば少なからず対処法が見つかるものである。


「ねえクロエ、今日の朝ご飯のメニュー覚えてる?」


 ティナはいまだに両手を頭に置いたままの悪戯っ子に、朝食のメニューについて質問した。

 突拍子のない話に一瞬ハテナを浮かべたクロエだったが、その顔はハッとしたものに変わった。

 どうやら答えに行き着いた様だ。


「めっ......、目玉焼きだったっけ!?」


「そうなの、確かクロエの大好物じゃなかったっけ?」


 朝ごはんのメニューに大好物があるとわかったクロエは、次にしようとしていた悪戯などポッと忘れ、とても半長靴を履いているとは思えない程の速度で食堂へと突っ走った。


「ちょっとクロエさん、置いてかないでくださーい!」


「二人共早く! 食事はいつ逃げたっておかしくないんだから」


 それだけ言って走り去るクロエ、その後をティナとフィリアが追いかけるという形で、二人は朝っぱらから全力疾走をするはめになった。

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