現実11

現実11ー1

 三年後の夏。

 私たちは海に来ていた。私と、竹内舞子、佐伯美枝、榊楓、山下透に藤沢健太。それに前田春樹と、松田晴美も。春樹が運転する車に揺られ、夏を謳歌すべく南の海に来た。眩しい太陽の光と、どこまでも高い空と、まばらに散らばる白い雲と。私たちが一箇所に固まって場所の確保をしている間、ただ一人透だけはその場から離れている。

「波が呼んでるぜ」

 などと歯の浮くようなセリフとともに、ボード片手に真っ先に海に走っていってしまったからだ。やーね、子供は、なんて言いながらも舞子の様子は嬉しそうだった。彼女は白い、普通に町で着ていても普段着と変わらないようなワンピースの水着を着ていて、それがとても似合っている。美枝は白と黒のストライプが入った水着で、腰に付いた花のアクセサリーが視線を誘う。楓は、強気なセパレートの水着だ。お肉が邪魔、と自らお腹を何度もさすっているのに、その口にはすでにフランクフルトがくわえられている。私も、セパレートの水着だ。青で統一された水着は、先週健太と買いに行ったときに彼が気に入ったものだ。実はこの三ヶ月で五キロほど体重が増加していることは秘密だ。少し恥ずかしかったけれど、海に来てしまえばそんなことはささいなこと。みんな大胆だし、もっと露出の激しい水着を着ている人もいる。

 晴美は海に入りたくないのか、黒っぽい水着の上からTシャツを着ている。そのお揃いのTシャツを春樹も着ている。白色で、左の胸元に騎士のマークが付いている。

「おし、行くぞ!」

 準備が終わると健太が叫ぶ。筋肉の引き締まった体がシャツの形に日焼けしていて面白かったけれど、誰もそんなこと気にする人はいない。彼の手は私の手を引いている。私もその手に引かれるように、海を歩いた。青い、青い海。繰り返される夏。

 約束だったから、と、私は心の中で謝る。

 あたりが暗くなるころに、私はキャミソールとスカートに着替え、バーベキューでお腹を満たした。海岸も人数がまばらになり、海の家の営業も終わったようだ。私たちはもう一度海岸へ降りる。手にはそれぞれ花火を持って。

「俺、火点ける係りね」

 透は手馴れた手つきでライターを操り、花火に火をつける。その光に照らされた顔はとても笑顔だ。彼と、舞子に花火を任せるようにして、私と健太は少し離れたところに腰を下ろす。打ち上げ花火が、ぽんと空へ上がる。おそらく最後に華々しく飾るための花火を、透が最初に打ち上げた。空に七連続の火が上り、弾けるとともに、七色の火の粉がすだれ状に舞い落ちる。わぁと、感嘆の声を美枝がこぼす。それからも立て続けにさまざまな花火が打ち上げられる。楓が、手持ち花火を持って、私たちの間に立つ。お邪魔かしら、とつぶれそうな瞳で言い、健太は花火を受け取った。手持ち花火から出される青い、赤い、黄色い火花。それが8の字の動き、二重丸を描き、やがて消える。

「花火って切ないね」

「そうだな」

 私たちとは離れたところに、晴美と春樹が並んで立っている。手を繋ぎ、遠巻きに私たちが楽しんでいるのを見ている。

「これ、大物」

 透がそんな二人に気が付いて、春樹に花火を渡す。暗くて遠くからはっきりと見えなかったが、筒状の、本来ならば打ち上げ花火のようだ。春樹が断るよりも先に、透が火を点ける。

「上!」

 晴美が叫び、春樹が花火を上に向ける。強い、強い光が空へと舞い上がる。暗闇を焦がしてしまうほどの炎が空を一瞬明るくする。

 それは、空を赤く染める夕日のようで。

 真っ赤な、真っ赤な血のようで。

 私は、晴美の側に駆け寄った。私が彼女の手を取りそこに座ると、春樹は両手に花火を持ち、透を追いかけ出す。

「本当、どっちが子供なんだか分からないでしょ」

 彼女はあきれた表情を作り、私に笑って見せた。私もその姿を追っていると、いつの間にか健太も、その輪の中に入っている。遠巻きに楓と美枝が笑っていて、舞子は負けじと花火を持って走り回っている。私は、晴美の耳にだけ聞こえるように、ねえ、と呼びかける。彼女も前を向いたまま、何、と答える。

「あの時、何を考えていたの?」

 私はわざと、あの時と濁して質問をした。私が言ったあの時が、彼女にとってどの時に当たるのか、わざと曖昧になるように。思えば、私たちがこうやって今ここでこんな会話ができるなんて、考えてもいなかった。精神鑑定の結果、軽度の精神障害ありと診断され、執行猶予付きの懲役刑になった。けれどその後に大きな問題を起こすことなく、このように外に出ることが許されるようになった。そのほうが回復が早いだろうという判断もあったようだ。

「私は、忘れたくなかった」

 彼女は前を向いたまま続ける。

「青い空が赤く染まるの。ゆっくり。ビルが染めるの。赤く。きれいな思い出に変えたかったから。恥ずかしくても」

 時々輝く花火に照らされて、彼女の顔も赤くなる。

「だから、全部忘れちゃってたあーみが、うらやましかったの」

「私は、忘れないよ。もう二度と、忘れたくないから」

 私は一度だけ晴美を見てから、続ける。

「私、思い出したんだよ。あの日に、何があったのか。とても苦しいし、悲しいことだったけど。晴美のおかげだって思ってる。感謝してもしたりないよ」

 晴美は首を振る。

「どうして、自殺なんてしようとしたの?」

 再び晴美は首を振る。

「私に罪を着せようって思ってたなら、晴美は戻ってこなければよかったのに。私には最初、理由が分からなかった。だって、戻ってこなければ、私があの家に火を放ってた。私が殺したことになった。晴美は、精神障害の振りをしてるだけ。本当はとても頭がいいのに」

「そんなこと、できないよ」

「春樹のことを、愛してる?」

 私は質問を変える。けれど晴美は予想していたのか、私の質問にただ首を縦に振る。

「もし、私が春樹を殺したら、晴美は私を殺す?」

 晴美は首を横に振る。

「あーみを、許す」

 それから長い沈黙の後で、晴美が口を開く。

「多分、あーみは一つだけ、思い違いをしてる。それ以外は、合ってると思う」

 私の質問を理解してくれたようで、晴美は俯いたまま話し始める。

「私が戻ってきた理由。自殺するために戻ってきたんじゃない。あーみが、気絶しちゃったから戻ってきた。あーみが私の変わりに父を殺してくれたなら、私はあのまま帰るつもりだったんだよ。だけど、そうならなかったから、私が殺した。火を点けたのも私。あーみは、ただ外で倒れていただけ」

「私は火をつけようとした記憶がある」

「記憶は当てにならないなんてこと、私は嫌というほど知ってる。あーみがその時見たものも、その時のものじゃないかもしれない」

「おかげで、鳥の文様の描かれた包丁を思い出した」

「私は結末を知りたくなかった。あーみが春樹を殺すところなんて、見たくない。だから、先に死んじゃえばよかったんだ」

「だけど助かった。春樹に出会ったのは、偶然じゃなかった」

「だって、あーみの家が火事になる前に、私、春樹があの家から出てくるところ見てたんだもの」

「私も、押入れの中から、春樹が母を刺しているところを見た。私と晴美が一緒に使ってた鳥の文様の付いた包丁で。春樹の家にもあった。あれは、晴美が用意したんでしょ」

「だけど、愛しちゃったの」

 私はそれ以上言葉を発しない。けれど、私は右目から一滴、涙をこぼした。晴美も、不安そうに私を一度だけ見た。彼女は、許すと言ってくれた。晴美に会えず、これまで確認できなかったけれど、これで確信が持てた。私の記憶を奪った相手は、春樹なのだ。

 いつの間にか、みんなが集まっていた。手には線香花火が握られている。

「最後はやっぱこれっしょ」

 山下透が頷きながら、一人ひとりに線香花火を渡す。

「勝負だからな」

 健太が火をつける直前に言う。

「望むところよっ」

「たく」

 線香花火がぱちぱちを音を立て、丸いふくらみがはぜる。私が持っていた線香花火はしぶとく、最後しぼむまで落ちることはなかった。ああ、こんな感じなんだ、と、その花火を見ながら、私は自分が目覚めてからのことを思い出す。しぼみ、落ちることも、ない。

 花火の片づけをして、再び春樹の車で、海を後にする。みんなを送り、精神病院に晴美を届けた後で、私は助手席の春樹の隣に座る。

「晴美のわがままで、最後になってごめんな。あと少しがまんして、すぐ家に着くから」

「ねえ、聞きたいことがあるの」

 私の言葉に、彼は、何と答える。

「あなたは、私のことをどう思ってるの?」

「晴美の大切な親友かな」

「晴美のことをどう思ってるの?」

「んー、好きだよ」

「私が、神崎教授の娘だって、知ってた?」

「……ああ」

 最後の質問だけ、彼は答えるのに時間がかかった。

「ありがとう」

 私は語尾までしっかりと発音する。けれど、私の意識は半ばない。疲れたのだろう。このまま眠ってしまえば、そのほうが幸せだ。私は家に着くまでの間、私が寝てしまうのか、起きていられるのか、自らに無理強いすることを止める。それほど、私の心は落ち着いていた。

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