現実5
現実5-1
朝といっても、もう昼に近いころに、ようやく私の目が覚める。体が疲れているようで、動くことができない。柔らかいベッドが私を支え、私はその中に深く沈んでいる。そのまま顔を横に向けると、松田晴美はすでにいない。もう起きたのだろう。ひどく疲れていたせいでもあり、それ以上考えない。それにまだ夢見心地の気分から抜け出せていない。そのままもう一度目を閉じると、昨日の夜を思い出す。
彼女にキスをされたけれど、嫌な気分にはならなかった。だからといって、私にそういう趣味があるとは思わない。晴美のことは好きだけど、それは恋愛とは別だ。彼女の優しさや、可愛さや、女性らしさが、同性として好きなだけ。それに、目が覚めてから出会った異性はまだ三人しかいない。山下透。藤沢健太、前田春樹。どれも期間が短すぎるし、好きとか嫌いという感情に発展しようがない。特に春樹は晴美の彼氏だ。そういえば、そうなのだ。どうして彼女は昨日私のところに来たのだろう。ようやく頭が起きてきて、当然の疑問にぶつかる。けんかでもしたのだろうか。そうかもしれない。それなら、なおさら私がここにいてはいけないようい感じる。私が原因だとしたら、どうしたらいいだろう。
ベッドが柔らかすぎるせいか、安心感に包み込まれていて、それ以上自分を責めることができない。しばらくそのまま寝転んでいると、部屋をノックする音が聞こえる。
「おはよー。もし起きてたら返事下さい」
私がまだ寝ているかもしれないと思ったのか、小声で春樹の声が聞こえる。
「はい。起きてますよ」
「よかった。お昼の用意できたんで、よろしかったら食べませんか」
「喜んで。すぐに行きます」
それからすぐに、扉の前から彼の気配が消える。私は疲れている体に言い聞かせて上半身を起こす。布団から体を出して、私は自分が服を着ていないことに気が付いた。周りを見渡すと、ベッドの脇に昨日の夜私が穿いていた下着とパジャマが脱ぎ捨てられている。
いつ脱いだのか覚えていなかったが、急いで着ると部屋を出る。パジャマ姿でダイニングに行くと、春樹はテーブルにつき小説を読んでいる。白のワイシャツを着ていて、金縁の眼鏡を掛けている。髪型は健太に似ていて短く、何もつけていないようで髪は寝転んでいる。小説を読む姿は私や晴美に比べ大人という雰囲気がある。
「おはようございます」
私は彼の対面の椅子に座る。テーブルの上にはハムエッグとトースト、ポテトサラダとすでに注がれているコーヒーが置かれている。
「おはよう」
彼は小説から目を離すと私を見る。どうやら今まで小説に集中していたようで、本当に私が来たことに気づいていなかったようだ。そのせいか、驚いた表情を見せる。それから小説を脇に置くと右手で頭をかき、照れたように視線を外す。
「何ていうか……」
「すいません、準備させちゃって」
「いや、それは全然構わないんだけどね、好きだし」
何かを言いよどんでいる素振りだったが、それが何か私には分からない。彼は話題を変えるように、食べよう、と提案する。私もパンに手を伸ばすが、晴美の姿がないことに気が付く。
「晴美、いないんですか?」
「今日は、俺、大学休み。それにあいつは学校だよ」
笑顔で彼が答える。晴美は、不登校だ。それが直っていないと彼にはまだ言っていないと言っていた。
「でも、今日は午前で授業終わりだから。もうすぐ帰ってくるんじゃないかな」
「そうなんですか?」
「土曜だから」
その言葉に私は目眩を感じる。曜日の感覚なんて、全く失われている。私は日常にまだ戻れていなかったのだ。肘を突き、額に手を当てた私を彼が覗き込んでくる。
「大丈夫?」
「はい。待ってなくて、いいんですか?」
「土曜はいつもあいつ外食なんだよ。さあ、冷めないうちに食べてくれ。せっかくの料理の質が落ちてしまう」
笑顔で食べ始める彼に、私もトーストを口に運ぶ。トーストにはチーズが乗っていて、一口食べると、チーズが口中に広がる。それなのに、私は味をほとんど感じない。他の事に神経が回っているようだ。
そのまま食べ終わると、私は彼に頼んでお皿を洗わせてもらう。シンクで皿と、ボール、ハムエッグを切り分けるときに使った包丁を順番に洗う。包丁に施されていた鳥の文様が印象的で、私はそこを念入りに洗う。といっても、ほんの少ししかない。数分でその作業を終えると、ダイニングの椅子に座って再び小説を読んでいる彼に話しかけた。
「聞いてもいいですか?」
彼は小説を置き、眼鏡を取ると、何、と答える。はじめてみた彼の瞳は少し茶色が入っているように見える。私は彼に促されて正面の椅子に座りなおすと切り出す。
「晴美のことなんですけど、昨日……夜寝るときに私の部屋に来たんですけど、もしかしてけんかしたのかなと思って」
「晴美がそう言ったの?」
「いいえ、何も言いませんでした」
「違うよ。けんかはしていない」
直感的に、彼が何かを隠している気がする。彼の顔に笑顔が失われ、悲しそうになる。
「ただ、晴美が行きたいって言うから、行かせただけ」
「隠さないで、教えて下さい。昨日の晴美、普通じゃなかった、気がします」
しばらくの間、彼は口を真一文字にして考えている。それから腕を組むと唇を一度鳴らす。それから真剣な表情で、まっすぐ私を見る。
「まあ、隠そうとしてるわけじゃない。それに、誤解して欲しくないし、負担も掛けたくない。今君に使ってもらってる部屋、もともとは晴美の部屋だったんだ。まあ、気づいてると思うけど。君を連れてくることになったから、晴美は俺と一緒に隣の寝室で寝ることにした。それは、一応彼氏と彼女だし、問題ないんだけど……やっぱりね、晴美、一緒には寝られなかったんだな。そういうの、苦手なんだよ、あいつ。色々あったから」
最後の言葉はよく聞こえなかった。けれど、昨日のことを思い出すと、私には彼が言っていることが理解できない。私にとって、彼の話は何の答えにもなっていない。どうして彼女は、私の部屋に来たのか。私には全然理解できなかった。
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