現実4-2

 夜、前田春樹が帰ってきてから、私たちは三人で夕飯を食べる。松田晴美が作る料理は安藤さやかが作るものよりも味が薄く美味しい。夕飯の片付けは春樹の担当らしく、彼が食器を洗う。椅子に座って申し訳なさそうに彼を見ていると、正面に座っている晴美が、ねぇと声をかけてくる。

「もう少ししたら一緒にお風呂入ろうね」

 笑顔で言われたので、私も微笑みながら頷く。

「なんか、私も何かしたいな」

「何か?」

「お手伝い。何もしてないでここにいさせてもらうのって悪いし」

「そうかなぁ。うーん、まあそれなら、うん、明日からね。掃除とか、一緒にやろうよ」

 きっと私が目覚めてからあまり時間が経っていないから、彼女は私に尽くしてくれているのだろう。けれど、私としては、体力も戻ってきているし、少しでも動いたほうが回復が早いと思う。彼女は立ち上がるとトイレがある廊下へ歩いていく。私はとりあえずテーブルの上の埃を払うしぐさをして自分を慰める。

「沸いたみたいだよ」

 しばらくすると晴美が奥から私を呼ぶ。そちらにお風呂もあるのだろう。私は立ち上がると彼女の方へ向かう。

「お先に失礼します」

「どうぞ」

 途中でまだ洗い物をしている春樹に会釈をして廊下を進むと、トイレの隣がお風呂だったようだ。私が使わしてもらっている部屋より玄関側にある。今はその扉が開いていて、Bathroomのプレートが揺れている。その横に晴美が立っていて、促されるまま中に入った。

「覗かないでよ」

 廊下の先に呼びかけてから彼女も洗面所に入り、それから備え付けの鍵を閉める。

「あんまし広くないけどね」

 彼女は舌を出す。その顔に、私は同性でありながら鼓動が早くなる。確かに洗面所と一緒になった脱衣所は広くなく、二人で入るには少し狭い。彼女は服を脱ぎながら下に置かれているかごを指し、ここに入れてね、と笑顔で言う。私は昨日からずっと同じ服を着ている。以前安藤さやかに着せてもらったワンピースだ。胸にRoasted Bargainと書かれたその服を脱ぐと、私はそのかごに入れる。下着は下しか穿いていなかったので、それを脱ぐと裸になる。晴美を見ると、彼女はブラジャーもしている。ピンク色の生地でとても可愛らしい。彼女は私よりも小柄だったけれど、その分とても柔らかそうだ。全部脱いでから、彼女は自分のお腹をさすると、はぁとため息をつく。それから、今度は私のお腹をさする。

「やっぱり、あーみぃ、痩せてるよ、いいなぁ」

 口を尖らせて上目遣いで私を見る彼女が、私にはうらやましい。私はその場に立ち尽くし、晴美のがいいよ、と答えるのが精一杯だった。彼女が気を取り直して浴室の扉を開けるまで、私はそのまま待つ。

 私と彼女は順番に頭を洗い、浴槽に入る。二人同時に入るには狭かったから、浴槽に浸かっているのはどちらか一人だったけれど。私が浴槽に浸かっている間、彼女は体を洗う。浴槽はステンレスで出来ていて、銀色に反射している。水面も浴槽もどちらも鏡として使えるくらい私の顔を映している。浴槽全体は薄い黄色をした四角のタイルに覆われていて、ただ床だけは丸い黒のタイルが敷き詰められている。そこに石鹸の泡がたくさん溢れていた。

 私の視線はいつの間にか彼女に注がれている。白い泡から見える肌はいつもより白く見えるし、程よくついた肉はつい触りたくなるほど艶やかだ。以前安藤さやかの裸も見たけれど、彼女よりも全然肉体的だ。彼女より胸は小さいけれど、なんと言えばいいか、人間味が溢れている。晴美が蛇口を捻ると、暖かそうなシャワーが彼女に当たる。白い泡が流されて、彼女本来の姿があらわになる。私はそれ以上見ていられず、浴槽の中でうつむく。水面に自分の顔が映る。濡れた髪が肌にまとわりつき、前髪からは時々水滴が垂れている。この顔は私だ。いつもショートカットで負けん気が強くて、それでいて泣き虫で、そんな顔をしている。

 ずっと水面を見ていると、時折水中にある自分の体にも視線が合う。胸が少し膨らんでいて、それ以外は病的に痩せている。三年間、おそらくまともに栄養を採りようがなかったのだから当然だろう。それでも、初めてお風呂に入ったころに比べると、少しは肉が付いてきているように思う。嬉しいことに食欲が今旺盛で、栄養が十分に配分されているのだろう。

 突然頭にタオルを載せられ、交代、と晴美に言われる。彼女は髪をタオルに包んで立っている。私は頷くと立ち上がる。頭は先ほど洗っているので、次は体だ。私は隅に置いてあった石鹸を手に取ると、タオルを使って泡立てる。体は、どれだけ洗ってもきれいになる気がしない。三年分の汚れが染み付いていて、洗っても洗っても、汚れが落ちている気分になれない。

「あぁ、やっぱり細い!」

 浴槽から顔の覗かせ、晴美が私の体を見つめる。

「痩せすぎは怖いよ。私は晴美くらいがいいな」

「それ、逆に嫌味だよぅ」

 顔が赤くなるのをごまかすように、私は体をタオルで洗う。その間、私はずっと体を洗い続ける。自分の白い肌が、こすると赤くなる。どんどんと赤くなる。

 赤くなる。

 それに集中して彼女の視線を忘れてから、私は体をシャワーで流した。少しだけ、汚れが落ちた気がした。

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