現実3-2
私は再び手紙を手に持った。文面に改めて目を通しているときにノックが聞こえる。とっさに手紙を布団に隠すと、安藤さやかが夕食を持って入ってきた。
「今日はちょっと豪勢よ」
トレーにはカレーライスと一口サイズに切られたパイナップルが載っていた。それが豪勢とは思えなかったが、カレーならたくさん食べられる。おいしそうな香りが部屋に充満し、食欲がそそる。
「それから、今日はお代わりもいいわよ、許す。最近食欲も旺盛だし、これならすぐに全快だね。お代わり欲しかったらボタンで呼んでね」
後ろめたい思いがあったが、私は顔に出さないよう意識した。私はカレーを口に運びながら考える。結局それは、安藤さやかを裏切ることになるのだろうか。それでも、私が私であるために、どうしても必要なことだと思うから。もう自分を説得できたと思っていたのに、簡単に揺れてしまう。きっと彼女だって分かってくれると、自らに言い聞かせようとする。根拠はない。全部、自分を正当化するための、醜い理論でしかない。それでも、私は、私であるために。
カレーがやけにおいしく、暖かさが喉からお腹、全身へと広がってゆく。私の神経を麻痺させるような恍惚感が全身を包み込み、それは私の左目から一粒のしずくとなってあふれ出した。
すべてが外に向かっている。もうここにはいられない。食べ終わったとき、決意は新たになった。窮屈で息苦しくて、この空間は私を窒息させてしまう。すべてが見通されていて、自由がひどく制限されていて。その足枷を取り外さない限り、私は私でいられない。だから、外の、新鮮な空気へと、出ていかなければならない。
お代わりが欲しいとは思わなかった。お昼までの食欲は失われ、希望と不安とが私の中で渦巻いている。スプーンを置くと、私は再度手紙を取り出し、強く握り締めた。
私は寝転ぶと、布団に体を隠す。安藤さやかが入ってくるまで。入ってきて、蛍光灯を消していくまで。何時ごろ彼女が来ているのか分からなかったが、起きたときには蛍光灯がいつも消えている。だから、夜のうちに来ているはずだ。
何時か分からない。私が眠ったふりをしていると彼女が入ってきて、ひと通り私の様子をうかがった後で蛍光灯を消す。少し時間が掛かっていたようだが、目を瞑っていたので彼女が何をしていたのか分からない。髪を一度撫でられて、彼女の気配が消えた。念のため、頭の中で十分ほど待ってから私は目を開けた。目を開けたというのに、ほとんど何も見えない。最初に感じた恐怖は、今考えるとどうしてあんなに大きかったのかが分からないほどだ。そのまましばらくぼーっとしていると、静かな部屋の中、物音一つないと思っていたが、さまざまな音が聞こえてくる。鳥や虫の鳴き声に、貨物列車だろうか、線路を走る電車の音、川が近くにあるのか、水が流れる音もする。まだ起きている人がいるのだろう、廊下を歩く足音が聞こえる。夜の音だ。
次第に目が慣れてくると部屋の様子を覗うことができる。窓から入ってくる月の光が私の視線を誘う。部屋に色はなく、ふと造花を見ると、黒くにごっている。私は笑い出しそうになるのを必死に抑える。こんなにも闇が優しいものだとは思わなかった。どうして今までこんなにも恐れていたのだろう。体内が闇を歓迎しているようで、私の器官という器官がそれを受け入れているようだ。目、鼻、口から毛穴にいたるまで、私の開いている穴はすべて闇を吸い込み、内部へと招きいれ、私は闇に満たされていた。
上半身を起こす。眠気もなく、体中に力が溢れている。両手を見るとやけに肌が白く光っている。闇の浸透を受け、闇に囲まれながら、それでも私は白い。それが誇らしくて、私は両手を強く握り締める。顔を上げ、窓を見る。闇の中に四角く浮かび上がった窓は、中と外の脆い境界であり、外界を私に与えてくれる。窓という枠に描かれた外界が私を奮い立たせ、私を窓へと運ぶ。以前感じた、透明で非現実の世界はそこにない。むしろ今自分がいる場所のほうが非現実であり、外こそが現実なのだ。
私は窓を開けて非現実から抜け出した。
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