弐拾壱話 年越しのひと騒ぎ
「今年は色々あったなぁ」
天照が最後の書類に判子を押すと、しみじみと一年を振り返った。
月読はそうですねぇ、と相槌を打って書類を片付けた。
「予算の横領から始まり、人界、外国、地獄と忙しない年でした。こんなの今まで無かったのに! おかげで私の予定は崩れまくりですよ」
「だがまぁ、そのおかげで色々と環境が整ったりもしただろう」
「──神の限界も、
いかに八百万の神の加護があるにしても、人間の世を正しく導くことは難しい。人間の行いに胸を痛め、傷つく神もいた。
それら全てをまとめなくてはいけない二人には、少しばかり心労がかかる。だからこそ、その疲労を気取られぬようにする努力はしてきた。
──頂点に立つからこそ、折れてはいけないというプレッシャーもあった。
月読が何となく外を眺めると、日が沈んでいくちょうどその時だった。
もう少ししたら月読は最後のお勤めをする。月読は日が沈むまで慈し見に満ちた眼差しで眺めると、天照に微笑みかける。
「──今年最後の日が沈みました。一年間、お疲れ様でした。天照」
「お前は今夜が仕事納めか。 無理はするなよ」
「あなたには言われたくありませんよ」
月読がいそいそと自分の仕事の準備をしていると、外が徐々に騒がしくなってくる。
サッと羽織をかけて外を見に行こうとする天照を止めるが、天照は足早に廊下を突き進んでしまう。月読が仕方なく天照の後ろをついて行くと、外では須佐之男が円の中心にいた。
また何か揉め事を起こしたのだろうか。しかし、須佐之男はどうしてか、ひどく焦った様子で皆に何かを呼びかけていた。
天照がその集まりに声をかけると、サッと道が開き、須佐之男のすぐそばまで行くことが出来た。
「須佐之男、どうした」
「天照様。すみませんお休みのところ······」
「いや、気にするな。何があった。困りごとのようだな」
「はい。
須佐之男はそう言うと、ちらと後ろを見やる。月読は天照の後ろから視線の先を覗いた。そこには呆然として地べたに座り込む老神がいた。
真っ二つに折れたソリが無惨に転がり、老神自身も少し怪我をしていた。
大年神からはほんの少し、邪気が漂っている。月読は顔を
須佐之男は困ったように頭を掻いた。
「えっと、大年神が例年通りに神通力ばら撒きに行ったんスけど、運悪く人間の厄祓いの『祭事』に出くわしちゃって」
「え、まさか」
「はい。吹き飛ばされた
それ以上は言わなくても理解出来た。
ソリは壊れるわ、神使の鶴も居なくなるわ、怪我を負って仕事が出来ないわの三拍子で精神的なショックを受けているのだ。
月読が頭を抱え、ため息をつくと、大年神はようやく我に返り、月読と天照に深々と頭を下げた。
「これはこれは······。人界の太陽と月、高天原の最高神様方に挨拶申し上げます」
「大年神よ、挨拶ご苦労である。そして此度の災難深く同情する」
「天照大神様にお目通り願えることを心より感謝申し上げます。そして月読命様におきましては、私の不注意による事態にお手間をかけまして、大変申し訳なく思います」
「ああ、いや。そんなつもりでは······。その、不慮の事故、心中お察しします」
月読は咳払いをすると、須佐之男に声をかけた。
須佐之男は月読と一緒に端っこに寄ると、コソコソと話し合いをする。
「須佐之男、状況の報告を」
「今は鶴探しに手を借りようと」
「邪気の方は?」
「………………なんつーか、その」
須佐之男は言いにくそうにしていた。周りを確認すると、更に声を落とす。
「───邪鬼ともつれて絡んじまって、あらかた切ったんスけど、禊が必要っスね」
「そんな……」
月読は時計を確認する。まだ夕方の五時半を過ぎたばかりだ。だが今から年越しの仕事をするには時間があまりにも無い。
月読は困ったように大年神を見る。大年神は肩を落とし、申し訳なさそうに目を伏せていた。
「どうしたものか。禊に神器のソリを直して鶴探し? 一人で出来そうにありません。どうやって間に合わせましょうか」
月読が必死に考えていると、誰かが月読の着物の袖を握った。
天照だった。天照は困り顔で月読の名を呼んだ。月読はにっこりと笑うと、「何も心配はいりません」と天照を励ました。
「私が何とかしますから。天照が憂うことは何一つありませんよ」
「いや、俺が不安なのは、お前がそうやって一人で解決しようとすることだ」
「──頼りないか? 俺は」
天照は不安そうに尋ねた。月読は慌てて「そんなことは!」と否定する。しかし、思い返せばいつだって一人で全てを解決しようと躍起になっていた。
天照が出る幕もない、糸の絡まりのような些細なことだ。手を煩わせることは無い。自分だけで解決できる。
──いつもそう自分に言い聞かせて走り回っていたような気がする。
天照は最高神だ。同じ位にいる自分よりも、遥かに上の存在だ。でも自分が無理することで、天照が心配するなんて考えてなんかいなかった。
「──大切な存在を神格化して、崇拝する。人間だけじゃありませんよね。愛おしい天照、どうかお手をお借り出来ませんか。一人で問題を解決するには、時間が足りなすぎるのです」
月読は素直にお願いをすると、天照は嬉しそうに微笑んだ。「ようやく頼ったな」と。
その後からは天照が指揮を執った。まず祭具の神や厄祓いの神を集めて禊の準備を整え、大年神から穢れを落とす。
カラスの神使を総動員して鶴を捜索し、天照が自身の神器でソリを直した。
須佐之男も人界に降りて鶴を探しに行き、月読は集まった神々に細かい指示を出す。
皆で手分けをして仕事をすると、一時間ほどで粗方の作業が済んでしまった。
一人でやることの非効率さに月読はふぅ、とため息をつく。
「……一体、今までどれほどの時間を無駄にしたのでしょう」
月読が懐中時計を見つめながら呟くと、「分かりますよ」と、いつの間にか帰ってきていた須佐之男が、月読の肩に手を置いた。
「俺らみたいなのって、誰かに頼ることが難しいんスよね。立場が立場っつーか、一人でやらないと、認めて貰えない気がするっつーか」
須佐之男はそっぽ向いて言葉を紡ぐ。須佐之男は、先祖の天照に対する態度のおかげで、高天原に住むことになっても、『天照に危害を加えない』『先祖のような真似は二度としない』と約束を立てても、誰にも信じて貰えなかった。
月読は天照の腹心として、最高神の二番目として、代替わりして間もない現代神だからと、舐められまいとしてばかりだった。
頼ることを忘れた者同士、同じ孤独を知る者として、月読は「そうですね」とだけ返事をした。
「私たちは誰に頼るべきかも、どう頼るべきかも知りません。だから無駄な時間を費やした。ですが、こう悩むのもまた一興。長い長い神の時間の中でゆっくりと覚えていけばいい。兄弟三柱、手を取り合って前を向きましょう」
「月読様がそう仰るの、何か怖いっスわ。裏がありそうで」
「月は二面性を持ちますから。そう捉えてもおかしくはありません。が、今回ばかりは本音ですよ」
「今回ばかりって、今まで嘘ついてたことがあるってことスか!」
「お前の先祖が天照の神殿にう○こしたことを、初代の頃から恨んでいるのは真実ですよ?」
「それは知ってますよ! 本当にすみませんでしたって!」
月読が須佐之男をからかって遊んでいると、天照は頬を膨らませて二人の元にやってくる。そしてオモチャを取られた子供のように、つまらなさそうにしていた。
「二人だけで楽しそうだな。俺もまぜてはくれないのか?」
「いえいえ、この話は少しばかり汚いもので。天照が入るべきではないですよ。ですが、そうですね。今年の年越しは三人で過ごしませんか。私は仕事がありますので、二人だけにする時間が長いかと思いますが」
「それはいいな。今まで一度も過ごしたことがない。面白い考えだ」
「これまた上手く話を変えましたね月読様。はぁ、俺が蕎麦持ってくんで、日付が変わる前に食べましょう。月読様も時間はとれます?」
「十一時頃なら、手を離せますが」
「じゃあそん時に」
三人でこの後の予定を合わせていると、また周りがざわめき出した。
逃げ出した鶴を数えていた狐が血の気の引いた顔で「一羽足りない!」と頭を抱えていた。
須佐之男は鶴を数え直すと、「本当だ」とこぼす。
「鶴は百八羽いるはずなのに、一羽足りない」
「人界、日本全土を探してみよう。もしかしたらどこかに落ちたかもしれん。海と山双方の神々にも応援を頼め。高天原も隅々探して──」
天照が呼びかけていると、月読の懐で勾玉が光る。どこまでも純粋な紅と、それを象徴するかのような炎のマークが浮き上がる。
月読は輪の中から離れ、高天原の入口に向かう。
そこには片方の角が折れた、茜色の髪の鬼女が立っていた。片手には、愛おしそうに抱き上げた鶴がいる。
「──茜殿」
「よぉ。困ってるようじゃねえか」
「鶴が一羽、足りないんですよ。大年神の神使がトラブルで逃げまして」
「ほぉう? そいつぁ大変だな。生憎
「夕飯にするのなら、ここに連れては来ないでしょう?」
月読が言うと茜はケラケラと笑って、鶴を月読に渡す。茜の指先が高天原のゲートを越えると、バチンと茜の手を弾き、雷撃を飛ばす。
茜は苛立って舌打ちをこぼした。
「ふざけてやがる。鬼はダメだってか」
「──ここは、神の領域ですからね」
「あっそぉ」
茜はゲートの外から高天原を見回した。深く息をつくと、懐かしむような眼差しで笑った。
「──変わっちまったなぁ」
月読はその一言に、「そうでしょうね」と返す。茜はほんの一瞬だけ、後悔ともとれる目になると、踵を返して地獄に戻る。
「冷夜ぁ」
茜は帰り際、月読の下の名を呼んだ。月読が「何でしょう?」と尋ねると、茜は振り返り、太陽のような笑みで言った。
「良いお年を」
茜はその一言を最後に、地獄へと帰っていった。月読は茜がいなくなり、暗く冷たい風が流れるゲートの外に深く頭を下げた。
それが神である月読が、鬼である彼女に出来る最大のお礼だった。
「良いお年を。──火之迦具土神様」
***
鶴が集まり、ソリも直り、大年神の禊も終わった。大年神は元通りのそれに大層喜び、天照と月読にお礼を言った。そして、手を貸してくれた神々には、大年神のご利益を存分に振る舞い、現世に向かう準備を整える。
三人が神殿に戻ったのは夜十一時を過ぎた頃だった。月読は急いで仕事の準備を始め、オルゴールを奏でて月を数える。
暗い部屋で黙々と仕事をしていると、温かい蕎麦を持って、天照と須佐之男が輪になって座る。
月読は仕事をしながら「食べてる暇はないですよ」と突っぱねた。須佐之男は蕎麦を月読に押しつけてニヒルに笑った。
「十一時頃に手が空くって言ったのは、月読様っスよね」
「……この件、末代まで恨んでやりましょうか」
「いいじゃないか。せっかくの年越しだ。三人で初めて過ごす日だ。少しくらい休んだってバチは当たらないだろう」
「バチを与える側がそんなことを言いますか」
月読は諦めて蕎麦を受け取ると、手の平にじんわりと広がる熱に目を閉じた。
蕎麦を食べ終わる頃、遥か下方から鐘の音が響いてくる。三人が同じタイミングで顔を見合わせると、なんだか笑えてきてしょうがない。
みんなで笑いながら、新年の挨拶を交わした。
「「「今年もよろしく」」」
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