弐拾話 鬼の頭領

 三日月が浮かぶ天照の神殿で、月読は月を数えていた。

 最近は月を数えるのは暦を知るためではなく、その日の運勢を知るためだと聞く。

 大昔から月を見続けてきた者としては、時代の移ろいを身に染みて感じる。


 月読はいつものようにオルゴールを鳴らしながら、いつもとは違って資料を読み漁っていた。


 ああでもない、こうでもないと独り言を呟いては次の本に手をつける。

 日本の歴史、神の歴史、世界の創造から人間が作った歴史本にまで手をつける。

 だが月読の探すものは見つからないようだった。


「どこから来ているんでしょう? 有り得るはずのない、火之迦具土神ひのかぐつちのかみからの納税金……」


 月読はそう呟くと、リストとその金額を確認する。他の神に比べると、極小額ではあるものの、最低金額の金貨一枚と銀貨六枚は必ず納められている。


 毎年の疑問だった。人間に伝わる歴史においても、神界に残る歴史においても、火之迦具土神は既に亡くなった神なのだ。

 なのに毎年税を納め、月読がどの神使に探りを入れさせてもその元が見つからない。


 神社があるのは良い。

 そこに参拝客が来るのも良い。


 だが、そこに置かれた信仰を、誰が回収しているというのか。


 月読が把握していたら、今ここで照らし合わせなんてしない。

 天照がこの事を知っているとは思えない。

 須佐之男であれば、報告義務を怠るようなことはないだろう。


「一体誰が……」


 月読がため息をついた。次の本に手を伸ばした時、指先が本の山を崩し、大きな音を立てる。

 月読は疲れ気味に本を拾い集めていると、地獄の歴史本が目についた。

「調べているのは神の歴史なんですがねぇ」


 どこかの棚から間違えて持ってきたのだろうか。月読は何となく、表紙を捲った。


『日本の生まれし頃、黄泉なる幽かな死後の世のみありて、罪を罰するものあらず。

 神も人も混じりし混沌とした世を改むるため、仏と天照大御神は手を組みて、地獄と黄泉──後に極楽浄土とも呼ぶ──を生み、猥なる死後の世を正しけり──』


 昔読んだままの内容に、月読はつまらなさそうにページを捲る。

 地獄がの成り立ちから罪とその罰、裁判の仕組みやら地獄の刑場の説明……こんなもの、子供が読む童話のようなものだ。


 高貴な神ならば誰だって知っている。黄泉に関わる神も然り。


「……阿呆らしい。意味が無いのに」

 月読が本を閉じようとした時、とあるページが目に止まった。


『ありし地獄とは、亡者を寿司にし熱風呂に入れと、朧気ななりき。炎に包み咎めること、いつかも知らぬ間に変わりける』


「……そういえば」

 地獄の歴史はその通り、亡者を寿司にして食べたり風呂に沈めたりと漠然とした刑罰だった。

 それがいつの間にか、炎の刑場が当たり前になり、鬼が殺気立って責め立てるのが当たり前になっていた。


 火之迦具土神の末路、地獄の変遷、神の歴史……もしも、月読の予想が当たっているのならば、由々しき事態だ。


 月読は資料を呆然を見つめながら、夜が更けてゆくのを待った。


 ***


 熱すぎるほどの赤と、むせ返る鉄錆の匂い。

 悲鳴と雄叫びが飛び交う刑場で、茜色の髪をなびかせる鬼女──茜が、相も変わらず身の丈以上の丸太の棍棒を振り回す。


「おらおらぁ! 気合い入れろ! ちゃんと首を切り落とすんだぞ!」


「てめぇ! サボってんじゃねぇぞ! そこの亡者共と一緒に食い散らかしてやろうか!」


「逃がすんじゃねぇ! 逃げたら殺すより惨いことしてやる!」


 姿だけは悪くないのに、あまりにも口が悪い。

 月読が咳払いをすると、茜は刑場から離れてやって来た。


「おう冷夜。なんか用か? 書類不備か?」

「いいえ。貴女にお話がありまして。出来れば、人のいない所で話したいのですが」

「あっ、知ってるぞ! ちょっと前の現世で流行った『校舎裏のタイマン』ってヤツだろ!」

「全然違います。一応言いますが、告白でもありませんよ」

 茜はケラケラ笑って月読を刑場から遠ざけた。

 裁判所の裏手、松明が一本あるだけのような空き地に来ると、茜は自分の棍棒を地面に転がして腰掛けた。


「座れよ。オレの隣だ」

「結構です。長居はしません」

「まぁ、固いこと言うなよ。で? 話ってなんだ? オレに話があるってこたぁ、閻魔にゃ言えねーんだろ」


 月読はふぅ、と息をつくと、辺りを見回して人がいないかを確認する。そして、納税リストを茜に見せた。

 茜は「極秘文書だろ。馬鹿たれ」と悪態つきながらも、そのリストに目をやった。一番下の名前に僅かながら反応を見せる。

 月読は、その胸を突き刺すように尋ねた。




「貴女、火之迦具土神ですね」




 尋ねるというよりは、確認だった。

 茜は肯定も否定もせず、だだじっと黙り続けていた。月読は、自分の推測の理由を並べ、茜の様子をうかがった。


「漠然とした地獄に突如として炎が現れました。貴女も鬼の御業で炎を操れるでしょう。それに、前から疑問だったんですよ。タケミカヅチが執拗に潰された出雲大社の件も、下克上の時にその丸太が変化したことも」


 何より、鬼が知るはずのない、『穢れ』の落とし方を知っていた。穢れそのものである鬼がそんなことを知る必要は無い。

 月読の推測に茜はリストを突き返し、「話は終わりか?」と聞いた。


 答えたくないのだろうか。別に彼女が神であろうと、月読には関係ない。税金の出どころさえ分かればいいのだから。

 月読が「そうですね」と軽く返すと、茜はフンと鼻で笑った。



「嘲笑うか? こんな、神の落ちこぼれをよぉ」



 随分と自虐的な質問に、月読は答えられなかった。茜は悲しそうな表情で月読を見つめた。

オレは原初の自然神にして伊邪那美いざなみの最後の子。母を殺し、父に殺された火之迦具土神の──」







 ──二代目?

 まさか。そんなはずは無い。神が自分の御魂で子孫を作り始めたのは、日本に天皇が生まれ初めてからだ。国づくりの段階で、神の二代目なんて聞いたことがない!


 月読が驚いていると、茜は苦々しく笑った。

 自分は、心底不本意な形で生まれたのだ、と。



 火之迦具土神は、生まれる際に伊邪那美の下腹部を焼いてしまい、伊邪那美はその傷が原因で命を落とす。

 伊邪那岐いざなぎは最愛の妻を亡くし、やり場のない怒りを生まれたばかりの火之迦具土神に向けた。



 剣を抜き、我が子の首をはねたのだ。



 歴史はここで終わっている。だが、茜の話ではその続きがあるという。


 黄泉の国から逃げ帰り、三貴子を生んだ伊邪那岐が社に戻ると、死んだ火之迦具土神から生まれた神の他に、見知らぬ神が一人そこにいた。

 伊邪那岐はその神に驚き、腰を抜かした。


 そこに居たのは殺したはずの火之迦具土神にそっくりな女神だった。


 伊邪那岐はもう一度殺そうとしたが、女神は薄らと笑って伊邪那岐の胸を焼いた。

 伊邪那岐はその傷が原因で床に伏せるようになり、長い月日がかかったものの、やがて死んだ。


「──オレは、初代の伊邪那岐への憤怒と憎しみ、伊邪那美への悔恨と贖罪から生まれた思念の二代目。初代だって、創るつもりは無かったんだが、死に際の感情があまりにもデカいもんだから、形になっちまってなぁ」

「なるほど。ですが、神が鬼になることは滅多にありません」


「いや、オレは一度、人間を挟んでるのさ」


 茜はへらりと笑うと、松明を見やった。

「父への復讐を終えた後、オレは母への贖罪として、神力を捨てることにした。岩長姫に岩にしてもらってな、神の力が無くなるまで眠り続けたんだ」


 茜は「人間になったんだがな」と悲しげにこぼす。幼子の姿で、神の記憶さえも捨て、人の世で暮らすのは簡単じゃなかったらしい。

 髪の色、人とは思えぬ顔立ち、腕力も知恵も何もかも、人間とは違ったのだ。


「人間ってすげぇよな。オレがどんなに身を潜めても、細かな違いを見つけてさぁ」



「殺そうとするんだからよ」



 茜は、殺される寸前に自分が神だったことを思い出した。そして、人間の血を浴びて、後戻り出来ぬほどに穢れてしまった。



 平安に名を馳せた鬼。その正体は、神力を捨てた贖罪の火の神。



 茜は人間に翻弄されて今ここにいる。

 月読は神の変わり果てた姿に哀れとさえ思った。

「……辛くありませんか。こうして、地獄で人間を相手にして」

「はははっ! 馬鹿だなぁ冷夜!」


 茜は快活に笑うと、月読の肩を強く叩いた。

 そして刑場を指さすと、茜は鬼らしい笑みを浮かべて言った。


オレは殺す側だ。人間だった頃とは違う。今ここにいるのは悪人共だ。それを呵責し、喰らう。それがオレの使命なんだぜ」


 それは心底楽しそうだった。鬼になって良かったとさえ思っているような。

 だがその直後、ほんの一瞬だけ、顔を歪ませた。



『自分がまだ、神だったなら』と言いたげに。



 もし人間として目覚めるのが今の時代であれば、邪険にされることも無かっただろう。

 もし初代の贖罪を、別の形で果たしていたら、きっと今でも神として生きていただろう。

 茜は他の神に比べ、背負う葛藤が多すぎた。


 月読は「もしも」と前置きして言った。

「神に戻りたいと思うのなら、天照や別天神に進言致しましょう。神器を扱えるのならば、鬼の穢れのみを祓うことも出来るはずです」


 だが、茜は首を横に振った。

「いいや、オレはこのままでいい。自分の子分をほっとくわけにもいかねぇし、鬼にまで堕ちた神が戻ってきたなんて神界の高貴な歴史に傷がつく」


 何よりも、と茜は前置きすると、少し照れたように微笑んだ。



「地獄で待ってるって、約束した奴がいるんだ。オレはそいつが来るまで待つつもりだ。鬼の約束と神の誓約、二つが混ざりあったオレに、その約束を違えることは出来ねぇからな」



 月読はそれを聞くと、少し残念そうに納得した。

「貴女がそれでいいと仰るなら、それで構いません。が、神社の信仰や供物の回収はして下さいね。あの社に何百年溜まってると思ってるんですか。貴女の名義ですから、納税だけでなくそれくらいはして下さいよ!」

「ええー! オレ閻魔の許可が無いと現世に出られないんだけど」

「私がもぎ取ります!」


 茜は渋々承諾すると、月読を見送りにゲートまでついて行った。

 月読が途中で松明にぶつかりそうになると、茜はさっと月読を庇い、火から遠ざけた。


「気をつけろよなぁ。地獄の火は全部オレの神器なんだから。罪人が触れると永遠の責め苦に苛まれるぞ。神でも同じだからな」

「分かりました。随分と危険な神器で………貴女はかなり神器を持っているようですね」

「ああ、自分のと、初代の分。ざっと二十はあるんじゃねぇか?」

「二十!? そんなに神器を有しては、身が裂けますよ!」

「原初の神は神力が強い。それにオレには鬼の力も混ざってる。むしろ妥当な数だと思うね」


 茜はそう言うと、トーチを顕現しゲートまでの松明の火を全てトーチに吸い込んだ。

 ゲートに着くと、月読は茜に勾玉を一つ渡した。


「私との連絡用に差し上げます。使い方は分かりますか?」

「あぁ、よく涼助が使ってたからな。一応言っとくけど、気は変わんねぇよ」

「どちらかと言うと、閻魔大王の書類関係ですよ。あの人、期限守れないので」

「ああ……なるほど」

「まぁ、気が変わったらいつでもご連絡を。数千年後でも、数億年後でも、私は待ちますから」


 月読はそう言ってゲートを通ろうとすると、茜は小さく、か細い声で尋ねた。

オレは人間が嫌いだ。でも愛してる。これは神の名残か? それとも本心か?」



オレはどちらの感情を優先すべきだ?」



 随分と、人間らしい質問に月読はつい笑ってしまった。茜は不服そうに月読の脇腹をつつくが、月読は「簡単ですよ」と答えた。



「二つとも大事にすべきです。誰かを嫌うことも、誰が愛することも、当たり前のことですから。天秤のように揺れるからこそ心であり、両立するからこそ、神も人も、鬼だって自分に素直になれるんです。片一方だけなんて、つまらないじゃありませんか。

 貴女なら分かるでしょう? 人の心に善と悪が棲まうように、誰の心にも愛と憎悪は棲まうものです」



 茜はその答えを聞くと、月読を鼻で笑った。「甘っちょろい」と。

 月読はお返しと言わんばかりに、「貴女は優し過ぎる」と言った。


 月読はゲートを潜り、高天原へと帰った。

 暫くは年末の書類には困らないだろう。帰ったら年越しの支度をしなくては。


「信仰の集め時ですね。年始ぐらいじゃないと、無名の神社に詣でる人は少ないですから」


 月読は袖をまくって気合いを入れた。


 ***


「両立するからこそ、神も人も、鬼も──かぁ」


 ゲートの前では、茜がそう呟いていた。

 茜はトーチを掲げ、二言〜三言、祝詞を唱える。トーチから溢れた炎は松明に灯り、道を照らした。


 茜は揺らぐ炎にククッと笑うと、足取り軽く刑場に戻った。


 むき出しの岩肌と、どこまでも純粋な赤い炎。

 刑場を駆け回る、亡者と鬼。

 交錯する悲鳴と雄叫びが、茜の心をくすぐった。



「妖刀変化──形見の壱『制裁の剣』」



 棍棒を近くの松明につけ、炎を纏うと、古くも威厳のある剣を顕現した。

 茜はそれで肩を叩くと、後ろに炎の道を作りながら、鬼らしく、神剣を振るった。

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