拾玖話 禍津日神と荒神
「やぁっと終わったぁ〜」
月読は筆を置くと、大きく身体を伸ばした。そして書き上げた書類に満足げに鼻を鳴らす。
年末調整、決算報告書、今年の神無月の会議報告と新たに始めた貿易収支など、あらゆる事務仕事が全て片付いた。
更に書類のまとめ方が去年よりも綺麗に出来た。月読はいそいそと
「さぁて、今年は昨年よりも三日早く片付きましたし、お神酒と年明けの準備をしましょうか。ああ、その前にクリスマスがあるんでしたっけ? だったら多分今年もいらっしゃるはず──」
「こんの荒神がぁぁぁ!!」
怒鳴り声が神殿の中にまで響いてきた。しかも、何かが壊れたような音もする。
月読が慌てて外に飛び出すと、神殿の柱が一本折れていて、須佐之男がその下敷きになっていた。
須佐之男は、神器の打刀一本で柱の重さに耐えていて、迫ってくる二柱の神に抗えずにいた。
「ちょっと! 何してるんですか!」
月読は咄嗟に須佐之男の前に飛び出した。これには須佐之男も驚いた。
二柱の神はさっとしゃがんで月読に敬意を表すが、月読はそんなことお構い無しで壊れた柱に目を向けていた。
「何してるんですか。本当にもう!」
「いや、ちょっと絡まれてたもんスから。月読様がまさか庇ってくれるとは思いませんでしたが」
「天照の神殿を壊さないで下さいよ。ちょうど今決算報告書が出来たばっかりなんです。計算が狂っちゃうでしょ!」
「そっちが本音っスか!」
月読は二柱の神に向き直ると、「面を上げなさい」と片膝を着いた。
顔を上げた神は、
月読は二人を見ると、深くお辞儀をして目線を合わせた。
「高天原で声を荒らげ、三貴子たる須佐之男に暴力を振るうとは、一体何事ですか」
「月読様、神聖なる高天原で騒ぎを起こし、誠に申し訳ありませんわ。しかし、これには深い理由がございますの。どうか、どうかご容赦ください」
タギツヒメが伏して月読に謝罪をする。代替わりをしていない古参の神に頭を下げられ、月読は仕方なく話を聞くことにした。
二人の話を聞くと、数日前から関西で厄災の気が渦巻き始め、じわじわと広がっているらしい。更にその気に当てられたのか、一目連が暴れるようになったとか。
その災いの原因が須佐之男が黄泉から穢れを持ち帰ったことだと言う。
月読は今だに柱の下から動けない須佐之男に近づくと、折れた柱を蹴り飛ばし、須佐之男を無理矢理立たせた。
「貴方、あの一件以来地獄に行ったんですか?」
「行ってませんよ。用事もないのに。閻魔大王だって、今年はちゃんと報告書等を郵送したでしょう」
「ええ、
「もちろんスよ。つーか厄祓いの力を持つ俺が、どうやって厄災を呼ぶんスか」
「穢れは落としましたしねぇ」
不思議に思っていると、
「どうか須佐之男命に罰をお与えください。その神は地獄と交流を持ち、現世に混乱をもたらす荒神でございます。それを天照様への反逆以外のなんと言えましょうか」
「テメェ言いがかりつけてんじゃねぇぞ!」
月読のすぐ横で風が吹きつけた。あまりの突風に月読がよろけ、尻もちをつくと、須佐之男が鬼のような形相で太刀を構えていた。
タギツヒメは須佐之男の変わりように驚きすくみ上がり、
「古参の神だから大人しくしてりゃ好き勝手言いやがって! 俺はあの須佐之男命じゃねぇっつってんだろ!」
「本性を現したな! 穢れた荒神め! 古来より生き続けてきた神の力を舐めてくれるなよ!」
「あなたの持ち込んだ災いのお陰で海は荒れ、天候は荒れ、人間に被害が及んでいるのです!
「神器顕現──『言の葉の巻書』!」
「神器顕現──『潮騒の宝珠』!」
「神器顕現──『竜巻の太刀』!」
月読は仕方なく手を空に高く上げた。光の粒子を集め、聞こえるか聞こえないかの瀬戸際の声で詠唱する。
「月を崇めよ 月光に祈れ 美しき月に狂いし獣よその牙を立てろ!」
「神器顕現──夜空を切り裂け『月下の矛』!」
月読は神器を手にすると、互いに飛びかかる三人の間に思いっ切り振り下ろした。
「止めなさい!」
地面を穿つ矛の勢いに圧され、三人はピタリとその場で止まる。
矛を鼻スレスレの位置で止まった須佐之男が舌打ちをして、月読を睨みつけたが当の本人は知らんぷりで話を始めた。
「穢れの蔓延は確かに早急に対処すべきことですが、知らぬという本人をいつまでも責め立てるのは時間の無駄です」
「月読様! この荒神を庇われるのですか!」
「庇うもなにも、須佐之男は三重には行ってませんし、黄泉の入国管理局の責任者ですから地獄と関わりがあって当然です。ここで争う暇があるなら現地に行くってだけですよ」
タギツヒメも
***
雷鳴が轟き、暴風が波を荒立てる。
土砂降りの雨が三重県の辺りを執拗に襲っていた。タギツヒメは困った表情で辺りに手を広げた。
「このように、酷い有様となっておりますわ。ここまで来てしまうと妾たちでは何も出来ませんの」
須佐之男は辺りをキョロキョロと見回すと、警戒したように何かを探し始めた。
言われてみると、確かに空気の澱みが分かる。しかもそれが目で見えるほど鮮明に。
月読は歪み漂う空気をじっと見つめると、須佐之男の背中に目を向けた。
須佐之男は顕現した短刀片手にどこかへと歩いて行ってしまうが、月読には須佐之男が纏う空気と辺りを漂う空気が同じには見えなかった。
月読は須佐之男の後ろを追っていく。タギツヒメたちも月読の後ろをついて行った。
須佐之男が向かっていた先は、一目連の神社だった。須佐之男は神社に入るなり、開きっぱなしの戸からズカズカと土足で社に入った。
「ちょ……っと須佐之男! 馬鹿ですか貴方! 馬鹿ですね!」
「あの、黙っててもらっていッスか」
須佐之男は奥へと進んでいく。月読は暗がりに何いるのを確認すると、目を細めてそれを見た。
奥にいたのは一目連だった。やつれた姿でそこに寝そべっている。
鱗も禿げ落ち、侵入者に威嚇する体力もないようだった。
タギツヒメは悲鳴を上げないように口を押さえる。
須佐之男は一目連の体を撫でてやり、一目連の目の周りを指でなぞった。
ふぅん、とため息をこぼすと、社から出てきた。月読が一目連をじぃっと見つめると、一目連が薄らと目を開けた。
助けを求めるかのような瞳に月読は胸を痛めた。
「……本来であれば一目連は荒神に分類されるので、穢れは彼の神力となるはずですが」
「多すぎるのも毒でしょ。俺たちだって司る自然やお神酒が神力の源ですけど、お神酒の飲み過ぎでコントロール出来ない奴とか多いじゃないスか」
「それはただの二日酔いでは……?」
須佐之男は指についた穢れをじぃっと見ると、また勝手にどこかへと行ってしまう。
「あの須佐之男の代替わりめ。やましいことがあるのではないか?」
「きっと証拠を隠しているのですわ。だから率先して動いているのです」
「きっとそうだ」
「行きますよ、お二方。置いていっても良いのならお声はかけないようにしますけれど」
月読はやや大きな声で二人がコソコソと話すのを遮った。二人は話を聞かれていないかと窺うが、月読は素知らぬ振りで須佐之男を追った。
次に須佐之男が向かったのはややこじんまりとした神社だ。須佐之男は社の前まで行くと、戸を二回ほど叩き、三回ほど咳払いをした。
「誰じゃ」
中から嗄れた声がすると、須佐之男はもう一度戸を二回叩いた。
戸がカタンと揺れると、須佐之男はようやく名乗りを上げた。
「須佐之男だ。話がある」
「ああ須佐之男様、お入りなされ。お連れの方もどうぞお入りなされ」
須佐之男は戸を開けると、月読たちに手招きをした。須佐之男が入った後で、月読も社に入ろうとしたが、空気が酷く澱んでいて息も出来なかった。
須佐之男が短刀を適当に振り回すと、鼻づまりのような感じではあるが、息が出来るようになった。
上座にはしわくちゃな顔の女神が座っていた。年老いている訳では無いが、お世辞にも綺麗とは言えない顔だった。
ボロ布のような服の女神は月読たちが入ると、膝に手をついてお辞儀をした。
「わたしよりも尊き神がおられるが、ここは悪神の神社であり、穢れが集まる所である。故に上座を譲るのは悪神だと言うことと同義で、無礼だと思いわたしが座らせていただくこととした」
「いいえ、お気遣いなく」
女神は自分が
須佐之男は指に擦り付けた穢れを見せると、大禍津日神は目を閉じてため息をついた。
「この辺りに満ちる穢れはお前のものだと思ってな。何があったか聞きに来た」
「ああこれは、すまないことをしてしもうた。少し前に祭事で祝詞を捧げられましてな。神主がうっかり祝詞を間違えたのじゃ。わたしは穢れを操る神、作法や祝詞にはめっぽう気を遣うのだ」
月読は須佐之男が社に入る前にやった作法に納得した。大禍津日神はやれやれと困ったように首を振った。
彼女が言うには、神主が間違えてしまったがために穢れが溢れてしまったのだという。それが自分では抑えられないため、ここまで広がってしまったらしい。
須佐之男は納得すると、天児屋根命に向き直った。思い切り睨みつけると、天児屋根命とタギツヒメは狼狽えた。
「これでも俺が悪いってか?」
「えっと、その……」
「いや……」
「すみませんでした。須佐之男様に無礼な態度を取ってしまい、申し訳ございません」
タギツヒメもしばし迷っていたが、
須佐之男はふんと鼻を鳴らすと、月読に視線を投げた。どうしたらいいのか分からないのだろう。
月読は呆れたように首を振ると、
「祝詞の神でしょう。間違えた神主に代わって、祝詞をあげ直しなさい」
***
「怒らないのですか?」
高天原への帰り道、月読は須佐之男にそう聞いた。須佐之男は月読の方を向かなかった。
「……怒ってんスけどね」
須佐之男はそう言った。少し俯いて、空いた手をぶらつかせる。
月読には、須佐之男の声は少し落ち込んでいるように聞こえた。
「怒ってんスけど、だからどうするって気もなくて。勘違いされた挙句、悪者扱いまでされたのに、どうでもいいっていうか。謝ったからそれでいいやって思ってんスよ」
「それで納得できるなら良いんじゃないですか? 私だったら暴れてやりますけどね」
「うわ、えげつねぇ。そんな人間くさいこと……」
「神様ほど人間くさいものはありませんよ。そうじゃなければ、私らに造られた人間はもっとロボットくさいですから」
「そりゃそうですけど」
須佐之男はプッと笑うと、顔を上げた。
晴れた表情で月読の方を振り返ると、「スンマセン」と照れたように謝った。
「『先祖と同じ道を辿るなかれ』が貴方のトコの家訓でしょうけど、感情を抑えることが正しいかと言われるとそうではないです。言わねばならぬことは言わねばなりません」
「そうスか。まぁ、考えときます」
「貴方は人を話をちゃんと聞いてるんですかね」
月読は須佐之男の脇腹をつつくと、嫌味ったらしく笑ってやった。須佐之男はそれに合わせるように、月読を鼻で笑った。
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