拾伍話 地獄の鬼
禍々しい邪気の中、真っ赤な着物で酒を飲む
堂々と寝っ転がってお神酒を飲んでいるあたり、平安から生きる高貴の鬼だと思う。
「ここがどこか分かっての
月読が怒りのこもった声で問う。鬼女はのんきに笑ってお神酒を置いた。
「そりゃあ、なぁ?カミサマの家だろぉ?」
「何でこんなことをしたのかと聞いてるんです!答えなさい!」
「暇潰し」
――暇潰し?退屈だからやったというのか。
月読は宙に手を伸ばす。光の粒子が神器の矛を形作る。実体と化したところで鬼女に狙いを定めた。
「えっ」
目の前に広がる丸太のようなもの。樹齢百年は越える大きさだった。
天照に服を引かれ、後ろに倒れる。その時に気づいた。
自分が潰されかけていたことに。
「何だ、ハズレか。案外三貴子ってのは勘が鋭いのか?すげぇな」
ケタケタと笑う鬼女は、身の丈ほどの丸太を拾い上げて天照にそれを向けた。
須佐之男が天照を庇うように立つと、鬼女は「どけ」と睨みつける。
「そいつに用があるんだよ。邪魔だ涼助」
鬼女は低い声で威嚇する。須佐之男は一歩も引かず、鬼女に食らいつく。
「どかねーよ。口で喧嘩売れよ、口で」
「力任せに暴れるだけが取り柄の三貴子(笑)が出しゃばってんじゃねーよ」
「神器顕現………」
「やめろ。これ以上めちゃくちゃにしないでくれ」
痛そうに腹をさする天照が、呆れて須佐之男を下がらせた。そして鬼女に睨むような視線を向ける。後ろ姿でも怖気づくような圧倒的な気迫が辺りを包んでいた。参拝に来た客でさえためらう空気に、鬼女の表情も真剣みを帯びる。
「さて、神域を荒らした罰を受ける気はあるか?」
「罰が怖くて荒らすと思うか。最初は大人しくお前らを待つつもりだったんだが、
「だけのことって…!!ここには原初の神が多くいました。失礼ながら、
鬼女は月読に見えるように端に身を置く。嫌というほど焼き付いた紅い血の色とぐったりとして動かない神々。鬼女は鼻で笑った。
天照が冷静に社の内を見回して、深く息を吐いた。
「穏便に、話をしようか。俺に話があるんだったな?その話とはなんだ」
鬼女は近くに転がった酒壺を拾い上げ、中の残量を確認する。中身を一気に飲み干すと、ぐいっと男らしく口元を拭いた。
「なぁに、そんな難しいことじゃねぇ。地獄で面倒事が起きたもんでな。三貴子を味方につけてやろうと思ったんだよ」
「地獄の荒事はそっちでつけろ。オレらを巻き込むんじゃねぇよ」
「だから涼助は黙ってろよ。
「はいはいはい。須佐之男、我々は黙っていましょう。貴方のような血の気が多いのがいると話が進まないので」
「さらっと喧嘩売らないでくれます?」
月読と須佐之男が喧嘩を始めそうになり、天照が咳払いをして話を続ける。鬼女は「大変だな」と哀れんだ目を天照に向けた。
「で、面倒事とは何だ?」
鬼女はにぃっと口角を上げる。
「抗争だよ。鬼のな」
地獄では、獄卒の鬼を『
その頭領の下には頭領が選んだ代表が仕切るグループがある。頭領にとって使いやすい鬼が代表になるから、鬼同士での恨み妬みでの抗争は良くあることだ。
それを三貴子が助力する必要は無い。頭領が仲裁すればいいだけのことだ。
「断る。鬼同士の抗争なぞ、視察に行く度に見かけた。三貴子が味方する必要などない」
「いやぁ〜なぁ。今回ばっかりはどうしようもねぇ。下克上なんだよ」
背筋が凍った。天照の表情も強ばる。
鬼が頭領に逆らうことはない。禁忌レベルだ。それに今の頭領は『逆らったら死ぬ』と言われるくらいの乱暴者。血も涙もないまさに『鬼』と呼ばれる鬼神だ。
……見たことはないが。
「まぁ、とりあえず来てくれ。詳しい話はあっちでするからさ。ほらほら冷夜も涼助も行くぞ。あんまり時間がねぇんだ」
鬼女に服を掴まれ、半ば引きずられる形で現世の街に飛び出した。その腕の力の強いこと。どんなに手を剥がそうとしてもがっちり掴まれて離せない。手を引っ掻こうが叩こうが、かすり傷一つつかなかった。
「おい閻魔。用事は済んだ」
鬼女がそう呟くと、地面にぽっかりと穴が空いた。鬼女は躊躇なくその穴に体を落とす。一緒に引きずられて落ちた月読たちは声にならない悲鳴をあげて、地獄の閻魔殿に着地した。
***
「うっわ怖ぇ……。こんなこと初めてっスよ。何したらこんな目に遭うんスか」
「現世に繋がるエレベーターあるじゃないですか。業務用の……。それ使いましょうよ」
「ヤダ。あれ使うのにも許可証が必要で、手続きすんのめんどくさい。あと
閻魔殿──裁判所
ハリボテの閻魔像の前で跳ね上がる心臓を押さえる。鬼女が裁判所の扉を開け放つと、遠くから小走りする音が聞こえた。見るとぶかぶかの帽子を押さえながら来る閻魔大王の姿が見えた。
「ああやっと来た!抑えるの大変なんだよ?もっと早くしてよね」
「つったってなぁ。説明とか
「あとでいいよっ!そんなのは!早くしないと亡者が喰われる!疫病が現世に蔓延る!」
「「「それを先に言えぇぇぇぇぇ!!」」」
鬼女を筆頭に全速力で刑場へ向かう。取り囲んでいた炎は消え、鋭い岩肌だけがむき出しになった刑場で、高い玉座にふんぞり返る鬼がいた。周りを取り巻きの鬼で囲って『我こそが頭領』と言わんばかりの態度。月読には見覚えがある。門番をしていた鬼だ。
「これが鬼の頭領なんて、世も末ですね」
「ああ、なんというか……絵に書いた馬鹿だな。お山の大将というか……」
鬼女が丸太を大将らしき鬼に向けた。
「テメーよぉ!覚悟は出来てんだろうな!」
それに鬼が応じる。
「これはこれは
───頭?頭領さんってこと?
「はぁ!?貴女が頭領!?」
「あれっ、言ってねぇか?
地獄の最高管理官兼鬼の頭領たぁこの
「言ってない……。全く聞いてない」
「涼助は知ってたんじゃねぇかな」
「いや、知らない。一度も聞いてない。頼みますからそんな蔑んだ目を向けないで下さい月読様」
裏切り者かと思ったが、仲間だった須佐之男に安堵する。お山の大将に茜は声を張り上げる。
「
「そんな小物の戯れ言に耳を傾ける暇ねーんすよ。こっちには
蘇芳と呼ばれた鬼の後ろから赤い目の大蛇が現れた。八つの首に一つの胴体。神話で語られた最大の怪物──八岐大蛇。正真正銘、本物だ。
「相手に出来ると思います?」
「いや、正直無理そうだ。須佐之男、お前なら出来るんじゃないか?」
「いやぁ、俺も無理そうっスね。代変わりする度に神力は減りますし、初代の作戦を真似る時間もありません」
「現代神じゃ無理ですか。原初の神々もあの有様……。私らだけで太刀打ち出来るかどうか………」
「よしっ!三貴子は八岐大蛇よろしく」
「話聞いてましたか!?」
茜は丸太を空高く放り投げて笑った。
「八岐大蛇だけやってくれりゃいいんだよ。アイツが
弧を描いて落ちる丸太に、茜は集中力を発揮する。
「
空中で丸太が炎に包まれた。そして手元に落ちる頃には紅く威厳のある大剣に姿を変えた。
神器顕現にも似た技に目を奪われた。神ならばともかく、鬼でそんな事が出来るとは思えない。
茜のやる気を感じ取った蘇芳が取り巻きの鬼に命令する。
「殺せ!」
それと同時に八岐大蛇も動き出した。
始まった。鬼の抗争。天照と須佐之男に目配せして大蛇の進軍を足止めする。視界の端で茜が勝利を確信するような笑みを浮かべていた。
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