拾弐話 月読、風邪をひく

 頭が痛い。枕にめり込みそうなほど重い。

 汗をかいているのに寒い。

 くぐもって聞こえる音が、肌に触れる何かが意識を現実に引き戻す。


「月読!起きたか!」


 一番に入ってくる天照の顔。

 不安そうな表情で笑う姿から、自分に何があったのか察しがついた。布団から出ようとするが上手く体が動かない。しかしあまり心配をかけたくなかった。

「私……倒れたみたいですね。大丈夫です」


「いや、だいじょーぶじゃないですよ!」


 天照の向かい側にちょこんと座る少年。体に不釣り合いな服に大きな眼鏡をかけている少年に見覚えがあるが、思い出せない。

 少年は月読の言いたいことを汲んでビシッと敬礼して挨拶をした。


「ちしきの神、思金神オモイカネノカミのさんだいめ!思金究おもいかねきわむです!」

「嗚呼思い出しました……図書館の司書兼博物館館長の……」

「はい!たくさんベンキョーになっておもしろいです!」

 思金はキラキラッと目を光らせる。幼い神には知識は輝いて見えるのだろう。この年で二つも施設を切り盛りするとはかなりの手練だ。

「思金、月読は治るか?」

「はやければ一日でなおりますよ!みたところ、ヒローが たまって カゼを ひいたようなので おくすりのめば!」

「飲まずとも仕事できますよ。寝てる暇はないんです」


「かろーし、してもいいんですか?」


 可愛い顔して脅してきたか。



 天照に説得され、仕方なく一日休むことにしたが、布団の中で大人しくしているのも暇だ。今まで休むことなく仕事をしていた分、体が休み方を忘れたらしい。

「嗚呼こうしてる方が辛い……仕事したい」

 だが、頭痛に耐えられたところで思考が働かないことは分かっている。全快した時の仕事が増えるだけ。

 でも暇。ゴロゴロするのはつまらない。

手拭てぬぐいぬるくなりましたね。それだけ熱があるということですか…」

 水桶の氷水で手拭いを浸す。緩めに絞って額に乗せて一息。

 ──ほんの少しの行動で体力消耗するんですか。

「風邪なんて面倒以外のなんでもないじゃないですか〜……」


 ……もういいや、寝てしまおう。


 遅れをもり戻すために手順の効率を考えながら布団の中で丸くなった。


 ***


 手紙の内容、それは別天神ことあまつがみからの──『召喚状』


 高天原の最高神たる三貴子よりも殊更ことさら尊い五柱の神。

 姿を持たない神というが、本当はその尊さゆえに姿を見てはいけないだけ。

 別天神から招集がかかることは全くと言っていいくらいありえない。

 だが天照は召喚状を貰うのは五回目。何度か高天原の報告で自主的に行ったこともある。だからこそ予想がつく。呼ばれた理由を。


 光明こうみょうの祭壇──

 真ん中に置かれた全身鏡。鏡の前で一礼し、顔を隠して鏡を通る。

 液状に変化する鏡を抜けると、五つの御簾みすが現れる。


「天照光平、召喚に応じました」


 正座し、両手をついて深く頭を下げる。

 真ん中の御簾、天御中主神あめのみなかぬしのかみが優しく声をかけた。


『おもてを上げよ。光平』


 そっと顔を上げる。


『キャー!光平今日もカッコええなぁ』


「かっ、神産巣日神かむむすひのかみ様、今日もご機嫌麗しう……」


『あーもー!カタいカタい!ウチらも同じ神やねんで?楽しゅうやろうや』


「いえ、別天神様がたにそのような事は…」


『てか天照氏呼んだの誰?呼び出し俺だけ知らないとかワロスなんですけど』

『わらわじゃ。高御産巣日神たかみむすひのかみ

『え!?アメミナ呼んだ系!?』


 この三柱だけでこのテンション。正直ついていけない。古株の神を近づけない理由は現代神ならではのテンションだ。


『こらこら、光平が置き去りになってしまってゐるよ』


「う、宇摩志阿斯詞備比古遅神うましあしかびひこじのかみ様……」


『うーわっ、天照氏噛まないで言えんのな。マジパネェわ』


『怒』


『タカミー?アメトコ怒っとるで?』


天之常立神あめのとこたちのかみ様、どうかお鎮まりを……」


『真剣』


「えと……」


『光平がうのなら機嫌を直さう、とゐう事らしいよ』


『照』


『ツンデレ?アメトコ氏ツンデレってる?』


『殺』


『やめときやめとき!タカミーそれ以上は殺されてまうわ』


「それで俺を呼んだ理由とは何でしたっけ?」


 しーん……


 静まる空間。本来の目的を忘れていたのか、どうして呼び出したかの議論が始まる。

 少しの間、囁く声がしていたがぴたっと止んだ。


『出雲集会の支度をしていると聞いた。進捗はどうじゃ?』


 やはりそうか。


「はい、滞りなく進んでいましたが、少し困った事が」


『困った事?それはどういう事かな?』


「月読が風邪を引きました」


 ***


「やめて下さい。そんな熱いの……無理ですよ」

「つべこべ言ってんじゃねぇよ。ちょっとだけだっつーの」


 抵抗する月読に、大雷神が強引に迫る。全力で抵抗するが、力の入らない月読は大雷神に押され──


あっつっっっっ!だから言ったじゃないですか!火傷やけどしますって!」

「十分冷ましてきたんだぞ!どんだけ猫舌なんだよ!」


 特製のお粥を食べさせられている。


「冷ましてきたって、まだ湯気が出てるでしょう。それ『冷ます』じゃなくて『あら熱をとる』なのでは?」

「ああ?普通はこの温度で食うんだよ。弟達はもりもり食うぞ。はいっ、あーん!」

「自分で食べますよ!やめなさい!」

「大声を出すな!熱上がるだろ!」


 本当に世話焼きな神だ。

 来るなり汗を拭い、水を交換し、「帰れ」と言っているにも関わらずこうして粥を食べさせる。

 熱い粥を冷ましながらテキパキと行動する大雷神をじっと観察する。いかつい顔で氷を砕く大雷神に、やっぱりお兄ちゃんなんだ、と失礼なことを想像した。


 リンリンと聞こえた鈴の音。

 一匹の狐が大きな尻尾を振って現れた。


「薬局よりお薬のお届けでございまする!

 月読様ー、お加減はいかがでございまするかー?」

「月夜丸!」


 月夜丸は月読の横にちょこんと座ると薬を差し出した。心配そうな目で顔を覗き込み、耳を寝かせる。

 ──良いですね。アニマルセラピー。

「大丈夫です。貴方こそ怪我の方はいいのですか?」

「月読様のお陰で綺麗に治りました!

 お薬は食後三十分以内でございまする」

「分かりました」


「おいコン吉」

「月夜丸でございまする!大雷様はどうしていっつもそう呼ぶのでございまするか!」

「いいからさっさと戻りな。忙しいだろ?」

「そうでございまする!月読様お大事に!」


 走って帰ってしまった。もう少し愛でていたいが、うつしてしまっては可哀想か。

 そういえばいつものオフィスが騒がしい。

 鶏の声がしたり、いのししが駆け回る音がしたり。大勢居るみたいだ。

 大雷神もうるさく思っているのか舌打ちをする。氷を袋に詰めながらブツブツと文句を漏らした。

「ったく、神使のヤローどもはもうちょい静かに出来ねーのか?病人に迷惑だろーが」

「神使?何故神使がここに居るんです?」

「あ?そりゃあ、その……須佐之男様が」

「須佐之男!?」

 月読の表情に、大雷神は腹を括った。


 ***


「ようやく解放してもらえた……」

 長い別天神の召喚を終え、桃を手土産に神殿ウチに帰る。月読は大人しくしているのか、大雷神や須佐之男に仕事やら世話やらを任せて大丈夫だったのか、色々と考えながら仕事場に顔を出す。


「何か凄いことになってる!」


 資料室やオフィスを行き来する大勢の神使と指示を出しながら書類を手早くまとめる須佐之男。

 鶏やら白蛇やら総動員されたオフィスは、まるでサファリパーク。


「す、須佐之男ッ!?これはどういう事だ!?」

「あっ!お帰りなさい!出雲集会の資料まとめてんスけど、黒枝や剣次が手伝いに来てくれて。何やかんやあってこんなことに」

「……月読、何か言ってたんじゃないか?」

「ああ、行ったら酷く怒鳴られましたよ。『こんなことに神使を使うんじゃありません!』って……。

 まぁ余計体壊されると嫌なんで、力づくで寝てもらいました」

「あまり酷いことをしないでくれ」

「天照様が仰るなら。

 でもそれ月読様にも言ってもらえません?

 顔見るなり神器ブン投げてきたんスよ」

「……ちゃんと言っておこうな」


 神殿奥──月読の寝所

 薄暗いところにある寝所に顔を出すと、月読がいた。大雷神は居らず、腕を布団の外に投げ出して眠っている。入口のすぐ横、ちょうど目の高さに月読の神器──『月下の矛』が突き刺さっていた。

 神器を抜き、月読の横に座る。神器を手の平に置くと、光の粒子となって消えた。月読は「うぅ……」と声を漏らし、薄らと目を開ける。天照に気がつくと、慌てて起き上がり「お帰りなさい」と頭を下げた。

「すみません、見苦しい姿を見せましたね」

「気にするな。調子はどうだ?」

「ええ、薬も効いたようでだいぶ楽ですよ」


 額に手を当てる。確かに熱も下がり、顔色も良くなっている。

 ほっと胸を撫で下ろした。

「それなら良かった。そうだ、別天神様がたから桃を頂戴ちょうだいした。食べられそうか?」

「別天神様がた……?ま、まさかあの封筒の中身って……」

 月読がぱたりと倒れた。

 倒れた時よりも青い顔でぶつぶつと呟く。


「うわぁぁ……最悪です。お呼び出しに参上出来ないなんて……」

「案ずるな。事情はちゃんと説明した。見舞いの品として桃を授かったんだ。

 高御産巣日神様の霊力が詰まっている。効果は抜群らしいぞ」

「はぁ……今度お礼しに行かなくては」

「出雲集会が終わったあとに報告でお会いするからその時にしよう。今は体を癒せ」

 桃をき、食べやすく切って月読に渡す。壁についた神器のあとを見て一つ思ったことがある。


「お前の神器に傷ややまいを治すものがあっただろう。それで治せなかったのか?」

 月読は苦々しい顔で笑った。

「あれは私の神力ちからを使うのです。弱った自分に使っても神器を通した循環に過ぎないので自分には使えないのです」

 ポンコツだと言って桃をかじる月読に小さく、俺よりマシだと呟いた。


 廊下を走る音が風と共に近づいてくる。月読の機嫌が悪くなっていく。

「月読様、報告に来ました」

「神器顕現!」

 現れた須佐之男に、ためらいなく神器を投げようとする。手首を掴んで阻止したが、月読の機嫌は悪いままだ。

 須佐之男は月読から少し距離をとって正座する。月読は顔を背けて分かりやすく拒絶するが須佐之男には関係ない。

「出雲集会の資料の件っスけど」

「嗚呼、後にしなさい。私は疲れました」


「全部終わりました」

「「……はいっ!?」」


 ──何で天照様まで叫ぶんです?

 ──いや、つい。


 あのダンボールの量は尋常じゃなかったはずだ。それを一日で?

 驚き過ぎてあごが外れそうだ。


「一応、試作品サンプルとしてまとめましたが」

 渡された資料を覗いてみると、分かりやすく出来ている。月読も非の打ち所がないのか悔しそう。

「……貴方なら、神使に頼る必要は無かったのではありませんか?」

「いや?俺、月読様みたいに一人で全部出来ないんで。だから頼るしかないんスよね。いいなら印刷かけますよ」

「ええ、ご苦労様です」

「あとオリンポス訪問の件、予定が取れないとかで出雲集会期間にかぶるんスけど月読様予定は?」

「会議以外の予定は入れていません。お任せします」

「了解っス」

 用を済ませ、風のように去る須佐之男をポカンと見つめる。もぞもぞと布団に入る月読はやはり面白くなさそう。


「せっかく、こつこつと準備していたんですがねぇ……」


 少し、悪いことをしてしまったか。

 自分の分野テリトリーを他人に取られるのは嫌なものだ。──やってしまった。

「須佐之男、私の仕事、快く引き受けたんですか?」

「いや、この上なく嫌がっていた」

 そう、とても嫌がっていた。

「俺の言うことでも聞けんと言うほど渋っていた。『月読様の仕事は誰にも出来ないから』とか。

 どうにか引き受けてもらった時、真っ先に月読の仕事のやり方を聞いてきたな」

「……そうですか。まぁ、多少ショックではありましたが、今回のことで私も少し学びました。少し寝ます。天照、須佐之男に『引き出しの中』とお伝えください」

「?分かった」


 寝所を離れ、須佐之男のいるオフィスに向かう。ちょうど印刷の準備をしていた須佐之男に、月読の伝言を話すと首を傾げて引き出しを開けた。


「あぁっ!」


 青ざめた表情で膝をつく須佐之男。

 ただならぬ空気を感じ取る神使。

 握りしめられた紙束はしわしわになる。


「……年間死亡者数と、極楽浄土・地獄における亡者の人数のデータ……入ってねぇ」


 ……ええええええええええええ!!?


 神使はパニックに陥り、天照は試作品の資料を確認する。確かに足りない。

「落ち着け!そのデータを足せば良い‼」

「いやその部分丸っと直さないとダメなんスよ!グラフが変わるんで!」


 オフィスが一気に騒がしくなる。それを聞きながら月読は笑いをこらえて、布団で温まっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る