拾壱話 狐と狼と烏

 一本の電話──

 普段鳴らないその電話を取ると、困り笑いが聞こえた。

『はっはっは……あー、天照殿?』

 シナトベだった。

 深みのある困った声が申し訳なさそうに受話器から発せられる。

「風弥か。どうかしたか?」

『えっ!どうして私の名前を!?……いや、そんなこと言ってられないねぇ。ちょっと困ったことになってるんですよ』

「困ったこと?」

『ええ。いやそんな大したことではないんですがねぇ、天照殿に仲裁を頼みたくて。

 ああ、そうそう──』


『──月読殿には内緒で来てもらえます?』


 ***


 壊れ果てた稲荷管理協会。

 下っ端から幹部まで復旧作業に時間を費やし、怪我人の治療までしている。

 何が大したことではない、だ。

 かなり大事じゃないか。

 唖然としているとシナトベが大声で天照を呼ぶ。疲れきった笑みが痛々しいシナトベが両手を合わせて「あれお願い♡」と視線で奥を示した。

 三人……いや、三匹の獣人。

 一人は知っている。狐の咲夜丸だ。

 残りの甚平じんべえの狼とスーツのカラスは初めて見る。

「あれは?」

狼育成組合おおかみいくせいくみあい会長の剣次けんじ烏連合神使部カラスれんごうしんしぶ長官の黒枝くろえ。なんか咲夜丸と喧嘩したっぽくってねぇ。何でも稲荷だけ高位の仕事があるのが気に食わないんだとか」

「それも噂か?」

「ええ、風は噂好きですから」

 言い争う三匹に近づくと、やはり獣なのかすぐこちらに気がついた。

 慌てて忠誠の構えをしてくれるのだが今はそんなことどうでもいい。

「天照様、どうしてこのような所においでになられたのですか?」

「シナトベから連絡があった。喧嘩したらしいが本当か?」

「ええ、少し建物が壊れましたが問題ありません」

「問題しかないじゃないか。どうしてこんなことになったんだ?」

 三匹で顔を見合わせて沈黙。

 言いづらいだろうな。仕事の話とはいえ子供のような喧嘩、更に仲裁に来たのが最高神となると。

「その……お恥ずかしながら、仕事で揉めてしまいまして」

「あーら。かっこよく言ってるけど、狐が羨ましくて嫉妬した末路の喧嘩じゃない」

「うるせぇ烏女!焼き鳥にしてやらぁ!」

「天照様の御前で見苦しい。やめろ」

「狐如きが指図しないでちょうだい!

 ちょっと有名だからって、親しまれてるからって偉いとは限らないのよ!」

「はっ!お前も威張ってるじゃあねぇか!」

 止まらないな、喧嘩。

 仲裁が意味無いような気もする。

 シナトベの方をチラッと見ると、袖をパタパタと振って「策なし」の合図が来た。

 ──だよなぁ。

「仕事の揉め事とは?」

「つまらない事ですわ」

「俺に言えないのか?」

「いえっ!そういう訳じゃあ……」

 月読には負けるが無言の圧力をかけると咲夜丸が眉間にシワを寄せて語る。

「我ら稲荷が神使しんしの中では最高位の仕事をしています。他の神使は神の雑用係のような扱いで独立した仕事をしていないのです。

 ですので狼と烏が独立の相談に来たのですが売り言葉に買い言葉でこの有り様に……」

「最初に手を出したのはこの駄犬ですわ。如何せん血の気が多くて」

「何だと!?手前テメーが挑発しまくったせいだろうが!」

「あーら、手を出した方が悪いのよ!」

「申し訳ありません。どちらも元気が良く、何かと喧嘩腰なものですから……」

「「いい子ぶってんじゃねぇよ!」」

 顎に手を添え、頭を悩ます。

 どうしたものか。

 こういう時月読が居てくれたらスピード解決するんだが。

 しかし、この状況、月読が見たら鬼のような形相でをする。間違いなくそうなる。それを避けたいが為に呼ばれたのだ。

 自力で何とかしよう──

「狼や烏は普段どんな仕事をしてるんだ?」

「えっ?狼は高天原では掃除や資材運搬、現世では妖怪探し等、力仕事をしてます」

「神使部の烏はスパイのような活動を。悪行から善行まで幅広く情報を手に入れて報告しております。報告先はあらゆる神ですわ」

「そうか」

 風が吹く。

 後ろでシナトベが耳を澄ませていた。ふっと笑って楽しそうに。

 現世の青い匂いが高天原に届き、鼻孔をくすぐる。過ぎゆく夏の熱が身を突き抜けた。

 ふと、一つの案が頭に浮かぶ。

「警察と情報局……」

「天照様?そりゃあどういうことで?」

「この高天原は『治安の取り締まりをする組織』と『情報を供給する組織』がない。それを作れば独立出来るだろう。

 狼には警察として、烏には情報局として仕事を与える。それなら一種高位の仕事になるだろう。それでは不満だろうか」

 納得してくれるだろうか、と少々不安だったが、どうやら杞憂だったらしい。

 剣次も黒枝も目を輝かせて嬉しそうな顔をする。咲夜丸は深くため息をついた。

 二匹が納得したとしても、問題はその施設や備品をどうするかだ。

 二匹の次は月読、と思うと頭が痛い。

 シナトベに指で肩をつつかれた。柔らかい笑みが風を纏い天照の前に立つ。


「出来るかもしれないよ?」


 ***


「警察と情報局……ですか?」


 高天原──天照と月読の神殿

 ダンボールの山から覗く顔。額に冷えピタを貼った月読が興味ありげに耳を傾ける。

 シナトベが「そうそう」と首を縦に振る。

「ほら、高天原って彼方此方あちらこちらで神通力の喧嘩とか起きたりしますし、ちゃんとした情報が入らないですし」

「確かに、そこは不便ですがね。狼と烏に務まるでしょうか。神通力に神使がかなうはずもないですし情報だって得られないことの方が多いですよ?」

 月読の言うことも一理ある。


 神殿の端で剣次と黒枝が肩を落として縮こまる。そう簡単にいかないと思っているのだろう。だが、シナトベは口を動かし続ける。

「神使を侮るもんじゃないよ?

 狼はよく憑き物祓いに使われる。獣を喰らうんだから。剣次は神通力を喰らう特殊な狼。彼を筆頭にすれば治安は良くなります。

 烏は数が多い。稲荷よりも多いんじゃないかな。それに賢いからねぇ、数や頭脳を使えば高天原だけでなく現世の情報も手に入るんですよ?あらゆる事を把握出来るようになりますから先を読んだ行動ができます」

「うーん、成程。悪くないと思います」

 シナトベが後ろ手に指を二本立てる。

 剣次の尾が大きめに揺れた。

「では施設はこちらで予算を出しましょう。備品等はそちらの予算で何とかなさい。土地や設計図他、打ち合わせがありますがそれはもう少し待って頂いても?」

「もちろんです!」

 穏便に話が進んでいく中でシナトベが「ちょっと待って」と口を挟む。

「その予算はどこから?確か出雲集会の準備で大幅に減ったはず。出せるのですか?」

 月読が見せた悪い笑顔。

 月読がこんな顔をするのは久しぶりに見た。文机デスクの後ろの本棚をスライドすると、大きな赤い巾着袋が現れた。

 シナトベの顔から血の気が引く。

 天照自身も見覚えがあった。

「今年は予算がかなりあるので余裕です」

 感謝ですね、と笑う月読に隠れてそっと手を合わせた。


 ***


「嗚呼どうしましょう。資料が出来ていないのに予算の計算まで入るとは……」

 算盤を鳴らして唸る月読。

「大体金貨五十枚と見積もって、残した予算をあっちにも使いたいし、嗚呼こっちの振り分けを減らせばもう少し出せますね……」

 独り言を呟きながら仕事をこなすその側で、散らかった床を片付ける。

 ゴミこそ落ちていないものの、巻き物や奥から引っ張り出してきた書物で足の踏み場もない。近づけないと仕事上困る。


「天照、稲荷管理協会の壊れようは如何でした?」

「ほぼ全壊だったな。復旧作業をしてたが時間がかかるだろう」

「金貨二十?」

「いや、金貨十五の銀貨四十」

「承知しました」


 手が止まる。汗が吹き出る。

 天照は内緒で稲荷の元へ行ったのだ。どうして月読が知っている?知っていながらどうして何も言わない?

 恐る恐る月読の顔を覗く。

 目は机の上に向けられていたが冷たい色をしていた。

「月夜丸が頭に包帯を巻いていたので治療がてら問い詰めました。もちろん彼らにはそれなりのペナルティを与えますよ」

 ──あ、そう。


「貴方が向かったということはこっそり聞いていたので任せてしまいました。天照ならなんとかして下さるかと」


 普段聞かない言葉だ。月読の頬が赤い。

 何だって自分でやる月読が、ちゃんと信頼してくれていたのかと思うと嬉しかった。


「天照様ー!月読様ー!手紙来てますよ!」


 玄関で須佐之男の声がした。

 迎えに行く間もなく須佐之男が現れると手紙を手の平に置く。

 黄色がかった封筒。表にも裏にも差出人は書いていない。

「月読様!手紙ですって!」

「嗚呼もう、そんなに大声出さなくても聞こえてますよ」

 ……月読の声が震えている。心なしか呼吸も変だ。須佐之男もそれを感じ取ったのか足元の書物を蹴飛ばして駆け寄る。

「顔色悪いっスよ!月読様大丈夫っスか!?」

「元気ですよ。いつも通りで……」

 椅子から落ちる月読の体。ギリギリのところで須佐之男が支える。

 ぐったりとして動かない月読に、須佐之男とただ呆然としていた。

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