拾話 イザナミ
お盆の季節。
先祖の霊は家族の元へと帰り、地獄もつかの間の連休を楽しむ。
だが、神に休みもクソもない。
「嗚呼あっちの数字もまとめないと……
しまった。先にこっちがありました。
……やり直しですね」
難しい顔で筆を動かす月読。壁のように積まれたダンボールの裏でうんうんと唸る。
天照はついさっき自分の仕事を終わらせたばかりだが一人先に休むのは気が重かった。
「月読、手伝うか?」
「いえ結構です。天照はゆっくり休んでいて下さい」
予想通りの返答。
いつだって手伝わせてはくれない。
何と言おうがどうしようが月読には効果はない。早々に諦めてため息をついていると、須佐之男がダンボールを持って現れる。
「追加っス!どこに置きます?」
「お疲れ様です。そこの柱の下に置いて下さい」
ダンボールクオリティの壁から筆先がちらりと見え、既にいくつか置かれている柱を示す。須佐之男は「はいはい」と、ダンボールを粗雑に置いた。
「山崩さないで下さいよ」
「崩してませんよ。俺そこは気ぃ遣うんで」
さっさと帰ろうとした須佐之男だが、ああそうだ、と月読に声をかける。
「最近お疲れかと思いまして、少しですが差し入れ持ってきたんスけど」
須佐之男が藍色の風呂敷を取り出すと同時に後ろからキュウリの馬が現れる。
月読の目に入るのは風呂敷より馬。しかもキュウリ。タイミングが悪かった。
いつもの優しい笑みを浮かべて須佐之男に歩み寄ると、疲れきった顔で威嚇する。
「冗談は顔だけじゃないんですか!?何でキュウリの馬なんです!?
『疲れてんならさっさと逝け』と受け取ってよろしいんですね‼」
「はぁ!?誰がキュウリの馬なんか差し入れるんスか!
机仕事で疲れてんなら運動の一つでもしたら良いじゃないですか‼斬り合いで良ければお付き合いしますよ!」
「ええ是非お願いします!表出なさい!」
「頼むから止めてくれ‼」
……ああ、胃炎が悪化する。
どうにか冷静になり、須佐之男特製のお握りを頬張る月読。
キュウリの馬を睨んでは茶を
胃の痛みと冷戦状態の二人に耐える天照。
どうすればいいのやら、考えを巡らせていると月読が喋り出す。
「その馬(もぐもぐ)、須佐之男が連れてきたんじゃないんですね?(もぐもぐ)」
「当たり前っスよ。だってこれ、人間が先祖を迎えるための馬っスもん」
「天照(もぐもぐ)、心当たりありますか?(ごくん)」
「いや、特にないな。そもそも初めて見た」
「間違って来た……とかじゃなさそうですしね。月読様は?」
「無いですね(ぱくっ)。どこから来たか分かります?(もぐもぐ)」
須佐之男が馬の周りをぐるぐると歩き、首のあたりに札を発見する。
天照も一緒に確認すると、札には『旧 黄泉国』と書いてある。
「……極楽浄土の事っスね。行ってみますか?」
「しかし、そこに知り合いとかって居たっけか?」
「私は察しましたよ。(もぐもぐ)……ぷはっ、ご馳走様でした。今度また肉そぼろお握り作ってください」
「良いっスよ。喜んでもらえたようでよかったです」
「別に喜んでませんよ。塩加減が良かっただけです」
──あ、結構気に入ってるんだ。
***
キュウリ、侮っていた。
三人乗っても壊れないし、須佐之男と同じくらい速い。あっという間にゲートをくぐり抜け、広大な草原が視界を満たす。
「もっとこう……花畑のイメージがあったんですが」
「残念ですが、一部しか花畑ないんスよね。桃の木があったり動物が居たりする程度で」
一際桃の木が大きい所があった。馬は三人を降ろすとどこか遠くへと消え去る。
気づいた時には御殿の中に立っていた。驚いている暇もない。体が勝手に座り、動かなくなった。
須佐之男がもがいていると月読が制止する。分かっているらしい。誰の仕業か──
継ぎ接ぎの着物の女神が現れた。
長い髪を団子に結って口にほんのり
「イザナミ様、このような事をなさらずとも我ら三貴子、無礼は致しませんよ」
天照は目を丸くする。
須佐之男は口を開いて固まった。
『今は
神妙な顔で重い口を開く。
『イザナキの居場所を知りませんか……?』
須佐之男の表情が険しくなった。
暗い雰囲気に包まれ、沈黙を決め込む。
気づいていたが、月読が首を横に振ったので何も言わないことにした。
「申し訳ありませんが、黄泉にいらっしゃらないのであれば私等にも分かりかねます」
『そう。
「……風弥?失礼ながらイザナミ様。風弥とは、誰のことがお聞きしたい」
『光平は知らないの?
((あいつかよ‼))
頭の中でシナトベがヘラヘラ笑っている。
月読は表情も声も無気力になっていた。
『愛しきイザナキ。聞けばとうの昔に亡くなった。あぁどうして……どうして……』
袖を濡らし、イザナキを悼むイザナミの姿に須佐之男が「関係ありませんが」と言葉をこぼした。
「なぜイザナミ様はいつまでも我らが父、イザナキ様をお慕いするのですか?」
イザナミは
歴史書で見たものと全く同じ。追いかけてきたイザナキに醜い姿を見られ、手下に殺させようとした。出来なかったため自ら
……人間の二股よりも酷い修羅場だ。まだ人間の方が可愛く思える。
『彼の人は私の子を殺したの。だから私は黄泉国の食べ物に手をつけた』
「そうでありましたか」
『……実を言うと、交渉は成立していたから普通に帰れたのよね』
「「「はっ………………!!?」」」
歴史にない事実だ。
イザナミは本当は黄泉を出ることが出来たのだ。そうするとなぜイザナミは再びイザナキと一緒にならなかったのか。
『フフッ。そんな難しい顔をしないで光平。あれで良かったの。あれで良かったのよ…』
遠くを見つめるイザナミは大粒の涙を零してポツリポツリと語る。
『本当はイザナキと一生そばにいられたの。でもそれはダメなのよ。
彼の人には可能性があった。私が生き返ったらその可能性は無くなってしまう。
彼の人は輝いているべき。陽の下に生き、陽の下に眠るべきだった。だから私は彼の人を逃がしたの。嫌われてもいい、離婚したって構わないわ。
だけど彼の人が私の事で苦しむのは嫌だった。いつまでも私を想って生きるのが辛かった。想い続けるのは私だけでいい……ずっとずっと、大好きよ……』
イザナキの名を何度も呼んで
恐らくは何千年と堪えていたのだろう。あるはずもない『いつか』を信じていたのかもしれない。
須佐之男は状況に耐えかねたのか、動かない体を引きずってイザナミに近寄り「遺言がございます!」と声を張り上げる。
須佐之男の気迫に泣き止んだイザナミはその言葉に耳を傾ける。
「イザナキ様が亡くなる前、イザナミ様にお会いする機会があればと言葉を残されました!」
『イザナキが私に!?なんと言っていたの!?』
「じゃあこの呪い(?)解いて貰えますか!?」
須佐之男──雰囲気ぶち壊し。
術を解いてもらい、体が自由になった須佐之男は頭の
『これは、イザナキの簪……!』
イザナミは簪を隅々まで見ては涙をこらえている。そっと息をかけると鈴が落ちて青い煙が溢れた。煙は人の形に姿を変えるとイザナミに微笑んだ。
『イザナキ……!ああ愛しきイザナキ!』
『イザナミ、共に居られなくてすまなかったな。だが我は
『イザナキ……ああイザナキ。
愚かな私をどうか許して。私もあなたを愛してるわ……永遠にお慕い申し上げます。我が夫よ。この身は生涯、あなたのために…』
簪を胸に泣き崩れるイザナミから目をそらした。月読は「空気を読みましょう」と退室を促すが、イザナミは術で三人を縛りつける。どうしようもなく、月読は泣き止むまで竪琴を奏で、須佐之男はイザナミの背をさする。
天照はかける言葉もすべき事も見つからず、竪琴の音に合わせて歌った。
イザナミの悲痛な声がいつまでも響く──
***
『ごめんなさいね。はしたない所を……』
ようやく泣き止んだイザナミは赤い目を擦りながら深々と頭を下げた。
「いえ、イザナミ様。顔をおあげ下さい。イザナキ様の所在が分かり次第お伝えしますので……」
イザナミの細い腕が伸びて月読の顔に触れる。まじまじと見つめるとふんわりと微笑む。
『冷夜は肌の色が彼の人そっくりね。その優しいところは彼の人以上』
月読がたじろぐと次の標的に須佐之男を捕まえる。抵抗しようとする須佐之男の頬を
『涼助は目が似てる。あとね、彼の人も頬を抓ると大人しくなったのよ』
意地悪く笑って須佐之男から手を離すと最後に天照の頬を包んだ。
暗くも温かい瞳の奥に自分が見える。
イザナミは悲しげな笑みを浮かべていた。
『あなたが一番彼の人にそっくりね。雰囲気が、細かい行動が彼の人と同じ』
「イザナミ様、俺らは現代神で、イザナキ様から生まれた先祖とだいぶ離れてしまっている。……似ているはずがないのでは?」
『いいえ、あなた方はイザナキに似ている。現代神でも先祖でも、イザナキの子にかわりないわ』
イザナミに見送られ、御殿を出る。
須佐之男が、入り口の桃の実を一つもぎ取りイザナミの手に乗せた。イザナミは何を察したか、満面の笑みで桃に口付けを落とした。
……迎えに来たのはナスの牛。
三人乗せるとノロノロと高天原を目指す。
誰も何も言わないなか、須佐之男がぼそっと呟いた。
「イザナキ様、とっくに転生してんスよね」
「「………はぁ!!?」」
月読が振り向きざまに肘鉄を須佐之男の喉に当てる。見事に決まった肘鉄に悶える須佐之男に月読はしつこく問い詰める。
「どうして言わないんですかイザナミ様の御前で!言っていたらあんなに泣かれることもなかったでしょうに!」
「そりゃイザナキ様の遺言ですから!じいちゃんの代からその遺言のために約束守ってたんスよ!」
「約束?その約束とはなんだ?」
「極楽浄土中に桃の木植えろって言われてたんスよ。三代かけてようやく遺言を伝えられました」
月読が納得したように手を叩く。分からないのは自分だけだと思うと少し面白くない。
だが御殿の傍の大きな桃の木を思い出すと「あぁそうか」と納得した。
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