玖話 神様と仏様 後編

 茨城県──大室山

 草木の生い茂る山を大股で進む。

 分けても分けても目の前に現れる草には苛立ちよりも感心する。

 だが流石に神衣で来るべきではなかったか。所々で棘や枝に袖が引っかかり、無理に引いては裂いてしまう。

「嗚呼。これはもうダメですかね…」

「しっかりしろ。袖くらいちゃんと縫えば大丈夫だろう」

 一人先に歩いていく天照。一体どこで山登りのスキルを身につけたのか。高天原に山はないし、月読自身山に行ったことは無い。

 何度も転びそうになる月読を置いて天照はスイスイと登っていく。

 ……少し、羨ましいですね。

「居るといいがな。山神」

「山なんていくつもありますからねぇ」

 天照の案内でようやく山神の社に着いた。

 やや古く、朽ちかけの社の戸を叩く。

 中から細い声がした。

「どなた?どちら様でしょう?」

「俺だ。天照だ」

「天照様?天照大御神様?まあこんな所までよくおいでになりましたね。お上がりください、どうぞお入りになって」

 戸がひとりでに開く。天照はなんの疑問も持たず入っていった。

 社の中には誰もいなかった。しかし、天照は手前の床に座り、誰かを待っていた。

 月読もそれに倣って隣に座る。

「まあ天照様、どうぞ上座にお座り下さい。

 所詮私は現代に生まれた山神、若い神でございます。貴方様より偉いわけがございません」

 現代神なのか。

「いやいや、今日は頼み事をしに来た。人に物を頼むのに上から目線はいかん」

「頼み事?頼み事ですか?私でよろしければ、いえ、私ごときに何を望みますか?」

 奥から現れたのは女神は目と口の部分に穴を開けただけの簡素で年季の入った面をつけて地味な神衣を纏っている。

「そちらの男神はどなたでしょう?」

「申し遅れました。私は月読命の子孫、月読冷夜です」

「それはそれは失礼を、ええ大変失礼いたしました。

 私は岩長姫いわながひめの子孫、岩長美代いわながみよと申します」

 とても謙虚な岩長姫は上座を空けて二人に茶を出した。

「岩長姫、お前の神通力が必要だ。山を出られるか?」

「ええ、もちろんです。ですがなぜ私なのでしょう?」

 事情を説明すると岩長姫は「そうですか、そうでしたか」と、快く承諾した。

 善は急げと天照と岩長姫は足早に山を下りるが、残された月読は深いため息をついて後を追う。


「今度、山の本でも……買いましょうか」


 ***


 やっとの思いで山を下ったが既に夜になっている。色々と手遅れな感じがしていたが、天照と岩長姫が近くの街灯の下で待っていてくれた。

「嗚呼…………待たなくてもいいのに…」

「いいえ、夜の山は危険です。とても危険です。もう少ししたら探しに行こうかと思っておりました」

 どうせだったら置いていかないで欲しかったと思いつつ、苦笑いで返す。


 しかし、ここから東北の方へ行くのか。

 電車は使えないし(視えないから)、タクシーも駄目だろう(やはり視えないから)。

 ──歩くか?

 そうなるとおそらく着くのは明日。

 天照の話だと取り壊しは明日の早朝。

 間に合いそうにない。

「稲荷神社ネットワークはどうだ?」

「最終便はもう終わりました」

「平日は夜九時までだろう?今は八時だ」

「水曜日は稲荷会議の為六時までです」

「その村にも山がありましたね?地獄を挟んで山伝いに……」

「私は山登りに慣れていないので二日かかりますよ」

 三人で頭を悩ませていると携帯が鳴る。

 天照と岩長姫が同時に月読を見た。

「もしもし?」

『あ、月読様?俺っスけど』

 須佐之男だった。

 言われた荷物を届けに来たという。

 このタイミングで届きましたか──

「えーと、本棚の近くに置いといて下さい。

 多分床に巻物散乱してるんで避けて……」

『はいはい、本棚っスね。俺帰るんで追加の頼み事なしっスよ。

 ……うわっ汚ねぇ!掃除くらいしましょうよコレ!』

「貴方の存在を掃除してもいいですけど」

 ふと、名案が浮かんだ。

 朝までに東北へ行きたいが手段がない。

 須佐之男は手が空いている。

「すみませんね。追加の、天照命令です」



「……重いっ‼何で三人も運ぶんスか‼」

「黙って連れていきなさい!私らは寒さに耐えてるんですから貴方も耐えなさい!」

「重いのならきっと岩の重さ、私の重さのせいですね。私は降りましょう」

「止めろ!空の上だぞ!飛び降りるな!」

 即席で作ったソリに乗り、須佐之男に東北まで送ってもらう三人。

 サンタクロースな気分を味わうどころか騒がしい神々。

 ぎゃあぎゃあと大声を出しながら吹き荒ぶ風に乗って老婆と地蔵の居る村へと向かう。


 ***


 地蔵の本体の前に不時着し、全員震える脚で村に続くあぜ道を歩く。

 村の入口では地蔵が青い顔で立っていた。

「天照様!月読様!急いで!お婆さんなんか変なんだ!」

 全員顔を見合わせ、慌てて地蔵のあとを追いかけた。

 古いが趣のある木造の家。

 不法侵入だが、家に入ると不穏な空気が漂っていた。

 寝室に入る月明かりは老婆の苦しそうな寝顔を照らす。窓際で山姥やまんばがニタリと笑っている。


「ババアがババア襲ってんじゃねーよ!」


 須佐之男の鋭いツッコミと蹴りが山姥を顔面にめり込んだ。

 派手にガラスを割って外に出る二人を見送り月読は岩長姫と老婆に駆け寄った。

「怪我はありませんね」

「ええ、生気を取られただけのようです。

 ああでもこの年ならば体力が、回復力がありません」

 岩長姫は老婆の胸に手をかざす。

 手の平から黄金色こがねいろの光が溢れ、老婆をゆっくりと包んでいく。

「私は永遠を司ります。しかし、悲しいことに人の生命を永遠にはできません。許されていません。ですが、寿命を延ばすことはできます。長寿にするのは可能です」

 聴こえない老婆に優しく語りかける岩長姫。ふと、隣の寝室に目を向けた。

 安らかな顔で眠る主人。妻が苦しんでいるなんてきっと気づいていないだろう。

 岩長姫は悲しげな声で「あの方が好きですか」と言葉をこぼす。

 面の奥ではきっと辛そうな顔をしている。

 しばらく何も言わない岩長姫だったが、小さく老婆に語りかけた。

「あなたはあの人を愛してる。だから何度も地蔵様に願掛けに行かれたのですね。毎日健康を願ったのですね。

 ならばあの人と同じ寿命を与えましょう。あの方はあと十年も生きますよ。だから、あなたもあと十年長生きしましょう」


 黄金色に光る老婆から青紫の小さなオーブが出てきた。

 岩長姫は両手を広げ、オーブに優しく触れると、そっと言葉を吹きかけた。


「神通力──『岩よ永遠なれ』」


 オーブがパキパキと音を鳴らして石に変わると自らの重さで落ちて老婆の体に戻った。老婆を包んでいた黄金色の光は霞のように消えて、月明かりが老婆の寝顔を照らす。

「……これで十年生きるでしょう。何が起きても、どんな目に遭っても」

「それはそれで……」

「少し嫌、だな」

「戻しますか?望むのなら、そう求めるのなら無かったことに」

「いやいやいや!いいって!お婆さん楽そうだから!」

 ふと、老婆が目を覚ます。

 どうせ視えないと思っていたが、かすれた声で「お迎えかい?」と尋ねてきた。

 天照と目配せをしてこの後の算段をたてるが、地蔵が「違うよ」と声をかけた。

 老婆の前に顔を突き出しても老婆の目には映らない。

 天照が右手で戸を指差した。そう、「出ていろ」の合図だ。岩長姫を連れて外に出ると、不思議そうな顔で帰ってきた須佐之男と合流する。

「妙な顔ですね。どうかしましたか?」

「いや、山姥両断したら魂がぶわっと溢れだして、地獄にのみ込まれてったんスよ。本物の妖怪じゃないみたいで…」

「亜種の妖怪、ということでしょうか。以前に私も見たことがあります」

「そんなのがあるのか?」

 山姥議論を交わしていると天照が家から出てきた。話を止め、天照と地蔵の本体の元へと急いだ。


 ***


『……さん……婆さん……お婆さん』

「誰だい?ワシを呼んでるのは」

『いつも見てたよ。いつも来てるのちゃんと見てたよ』

「見てた?ワシを見てたって?」

『お婆さんのおかげで村を守れてたんだよ。誰かの願いも叶えられたんだよ』

「あんた、まさか……」


『いつもありがとう。大好きだったよ』


 ***


 明け方。

 空が白み始め、世界が色を取り戻す。

 神々の仕事はこれからだ。

 日の出とともにぞろぞろと村人がこちらへと向かってくる。東北の人の朝は早いのだろうか。だが帰ってもらわねば困る。

 天照が「地蔵を壊すな。災いが起きるぞ」と囁きかける。

 神託なのだが……どうも呪いと勘違いされたようで、村人はパニックに陥る。

 収拾がつかなくなってしまったこの状況。ある意味失敗し、どうしようかと悩んでいると「僕を壊す気!?」と声がした。

 全員が声のするほうを向くと、地蔵がそこに立っていた。とても怒っている。

本体ソレ壊したりなんかしたら、呪いかけるよ!村全体に病流行らせてみんな死んじゃうよ!」

 ──あ、丁度いいや。

 天照の袖を引き、神通力の指示を出す。

 天照は若干嫌そうな顔をしつつも「厄災集中」と神通力を発動する。

おそおののけ!『嵐の大太刀』!」

 須佐之男が便乗して神器発動。黒雲が空を覆い、風が身を貫き雨が地を穿つ。風に散る葉が顔を切りつけ雨に踊る枝がすねを叩く。

 村人は悲鳴をあげて逃げていった。

 須佐之男は満足げに笑って神器をしまう。天照はやりすぎた、と胸を痛める。

 確かに、地蔵の姿が視えていることを利用して怖がらせてしまったのはやりすぎたかもしれない。

「お詫びくらいしますか、須佐之男」

「俺っスか!?……まぁ、しゃーないスね」

 神器顕現。田園風景に向けて身を構えた。


「神通力──『豊穣のしらべ』」

「神通力──『豊穣の息吹いぶき』」


 多少の反省として、田を潤し一層穂を太く丈夫に成長させる。青々とした穂が風に揺れて光の波を生み出す。

 眩しい光が豊かな自然を照らし、暖かい空気が大地を優しく撫でていった。


 ***

『関わるなと言ったはずですが、なぜ関わったのです?』

 ──嗚呼、うるさい。

『あの菩薩は破門したのです。救ってはならなかった』

 ──耳障りですね。

『彼は仏にはほど遠い者です。罪を犯した者に罰を与えるのは当然でしょう』

「……仏とは、悟りを開いた人間であり、人々を救済する存在でありましょう。なぜあの地蔵殿を拒むのです?

 破門されたなら彼は人間も同じ。救済の手を差し伸べるべきでしょう」

『……しかし』

「村を守るための苦肉の策でした。自分を汚して他を救おうとした勇気ある行動でした。仏の割に、行動の真理をなぜ見なかったのです?」

『神と仏は違います。私たちには私たちなりのやり方があるのです』

「知っててやりましたよ。神は人を救う事が仕事ですから。結局貴方も悟りを開いたとはいえ所詮人間。

 卑しさを捨てきれないならば、仏をやめるか悟り直すかのどちらかになさっては如何です?」


 ***


 高天原──神殿

 むしゃくしゃした思いで書類を片付けていると、天照が「おつかれ」と緑茶をくれた。

「どうだった?仏殿のお叱りは」

「お叱り?あんなの、ただの子供の言い訳にすぎませんよ」

 緑茶で愚痴を飲み込み、次の書類へと手をつける。天照はフッと笑って椅子に腰掛けて独り言を呟いた。


 地蔵の取り壊しは完全に中止され、今まで以上に祀られていること。地蔵の破門は月読と閻魔大王が動いたおかげで取り消されたこと。地蔵がお婆さんにお告げで『神社を建てろ』と言ってくれたことで干渉できるようになったこと。

 そして、ブローチの持ち主が見つかったこと。


「まさかあのお婆さんの姉だったとはな。手作りしたらしいが使わずに亡くなったと言っていた。可哀想だが、見つかって良かった」

 独り言……と言うよりは報告だが、天照は嬉しそうに話している。

 天照が喜んでいるなら、それでいいか。

「お邪魔しまーっす!」

 大きな箱を抱えた須佐之男が入ってくる。

 また荷物を運んできたのだ。

 荷物を受け取り本棚の近くに置き、またせっせと書類を片付ける。

 須佐之男が首を傾げた。

「月読様、前の夜も同じようなものを届けましたけど、これの中身聞いてもいいスか?」

「嗚呼、現世の資料ですよ。出生率から死亡率、人口の変化や全国の神社のお参り数、信仰の回収量などのあらゆる記録です」

 天照と須佐之男が唾を飲んだ。

「……これを、どうするんだ?」

「十一月までに資料としてまとめて、会議の参加人数分印刷して留めます。

 今は八月ですから、あと三ヶ月は徹夜ですね。夜も仕事ありますし」

「「…………」」


 月読のメンタルの強さの秘訣をなんとなく知った天照と須佐之男だった。

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