捌話 神様と仏様 前編
セミの鳴き声が森から響く。
青く透き通った空に真っ白い雲が漂う。
風が吹き、木々が揺れ、気持ちの良い音が聞こえる。
「あっついな~……」
隣で天照が汗を拭う。
本人に悪いが少々雰囲気を考えられないだろうか。風情がない。
「天照、少し我慢してください」
「いやぁ、本当に暑くてな」
東北のとある村。
田んぼ道が続く田舎ならではの自然の中を今日も二人は歩いていた。
もちろん目的は視察。
そのために現世の服を調達したし、ある程度予習もした。
だが、もう一つ目的がある。
「本当にここなのか?」
「多分そうだと思いますよ。須佐之男たたき起こして
「可哀想なことするなよ……」
以前閻魔大王に渡された翡翠のブローチ。
ずっと持ち主を探していたが、空から見ているだけでは見つからない。
何度か現世に降りて探して、ようやくこの辺りで反応を見せた。──やや薄いが。
田んぼ道を歩いていると道の脇に大きな木が立っていた。その木の下には地蔵が穏やかな笑みで佇んでいる。
「おお、こんな所に珍しいな」
「そうですね。この辺りの守護者ですかね」
地蔵をじっと見つめる。
苔が生え、顔や体が部分的に崩れている。
長いこと信仰もなかったのか力を感じないし、地蔵の姿も見えない。
また風が木がざわめき木の葉を揺らす。
呻くような、唸るような声がした。
太い木の枝にぶら下がる男。
ボサボサの頭に
「あーやる気しねぇ。
人助けなんてどーでもいい」
この人、この『地蔵』なのか。
「めんどくせー。チョーめんどくせー。
いっそもー消えたい。煙のようにさー」
月読は数歩下がる。
身をかがめ、足に力を込める。
天照が止める前に木に突進した。
──用件は簡潔に。
「仕 事 し ろ!」
幹を思いっきり蹴ってぶら下がっている男を落とした。
「月読!なんて事をするんだ!」
「何堂々と仕事サボってるんですか」
「いった〜……。
オレが視える人間が……って天照様と月読様か」
地蔵はむくりと起き上がり、頭を掻く。
「つーか、二人して何してんの?」
「視察ですよ。貴方こそ、だらけてばかりで何してるんですか」
「何ってそれは……あ、一つお願いがあるんだけど」
地蔵はいい笑顔だった。
「
地蔵が得たのは痛みとコブだけだった。
***
「で、何で神通力が必要なんだ?」
天照の問いかけに、地蔵は困ったような顔で「信仰がなくて、力が出ない」と適当な理由をつける。
本当の理由を聞こうとしたが地蔵は頑として語らない。
ふと地蔵が道の先を見つめた。
誰かが来たようで天照と月読も同じ方を向いた。
骨張った体の杖をついた老婆。
今にも倒れそうな足取りで地蔵の前まで歩くと手を合わせて膝をついた。
「お地蔵様お地蔵様、先日は主人の病気を治してくださりありがとう存じます」
幸せそうな表情で深く頭を下げる老婆。
理由が大まかに予想できた。
「月読、どうする?」
「どうするも何も、私たちの出る幕はないのでは?仏には仏のやり方があります。
下手に手を出すのは危険かと」
ヒソヒソ話していると老婆が立ち上がり、くるりとこちらを振り向いた。
「また来おったか。市役所の犬共が……」
般若のような……いや、般若よりも恐ろしい顔で、剣のような言葉を吐き捨てる。
この気迫は耐え難く、後ろで地蔵はオロオロしているし天照は老婆に「冷静になれ」と言い聞かせるが老婆は無視。
──というか、なぜこの人はやたらと私を睨むのでしょう?
月読も汗をかきながら誤解の解き方を考える。だが少し時間が欲しい。
ジリジリとにじり寄ってくる老婆にたじろぎながら目を泳がせた。
──あ、そうだ。
「失礼しました、ご婦人。
私たちは東京の大学で『神仏研究会』というサークルに入っている者です」
「知らんのぉ……」
ですよね。私も知りません。
「レポートのために各地の寺や神社を巡っているんです」
老婆はため息をつき、村の方を指さして寺の場所を教えてくれた。
「昔はあの山に神社があったんじゃがのぉ」
「今は無いのか?」
「潰されてしもうてな。道路を作るのに邪魔だかなんだかで」
「ご婦人はこのお地蔵様によく手を合わせるのですか?」
険しい表情から一変。
地蔵の話になった途端、ほんのり笑顔で頷いた。
昔から親の怪我やら田んぼの収穫やらでお世話になっているらしい。毎日決まった時間に訪れるのだという。
「この間は主人の
地蔵が歯を食いしばる。拳を固く握り、じっと耐えていた。
先程の老婆の怒り顔が脳裏をよぎった。
「……ご婦人。もしや、このお地蔵様は何かあるんでしょうか?」
「はて?」
「いえ、例えば移動とか……取り壊しとか」
老婆は眉間に皺を寄せて村を睨んだ。
「この道を舗装工事するとかで、このお地蔵様を壊すんじゃと」
「それは酷いな」
「村の若者はみんな賛成でな。
ワシが反対しても聞く耳を持たん」
老婆はぶつくさと民衆に対する文句を吐きながら村へと帰る。
その背中は弱く、見送りが辛かった。
「神通力が欲しいのはあの老婆のためか?」
地蔵は今だに拳を固く握っていた。
「そうだよ。あのお婆さんのためだ。
毎日信仰をくれて、村を守らせてくれるあの人のためだ」
足元に転がる小さな水色の玉を拾い、空へと投げる。玉は空で歪み、結界となって村へと消えた。
地蔵は本体にもたれて悔しそうに声を出した。
「あの人だけがオレに信仰をくれる。
助けられている?オレの方だよ……」
「で、神通力をどうするおつもりで?」
「神衣を着てないと力が減るのか?」
否定は出来ない。人間に神力を合わせるので本来の力の三分の一くらいになるからだ。
地蔵は思い口を開いた。
「あのお婆さん、もうじき死んじゃうんだ」
──嗚呼、そんな事か。
そう言ったら失礼だろうが、神にとっては延命は日常茶飯事。
寿命を延ばすだけなら神通力くらい分けても問題は無い。
「だから一度だけ姿を見せて、壊される前に『ありがとう』って言いたいんだ」
「延命じゃないのか?」
天照が驚いている。月読も内心では驚いていた。
地蔵の話だと自分は仏の道を歩んでおきながら、寺や別の村から『信仰の玉』を盗んでしまったので破門されたらしい。
破門されてしまったため救済が出来ず、本体を壊されるのを待つだけなのだという。
「結界は張れるんだけど……」
──感謝を伝えるためだけに神通力が欲しいですか。あのご婦人は地蔵を失いたくないみたいですねぇ。
神通力で姿を見せるのは簡単だ。
だが、ここは仏の領域。
神社があれば手を出せるが無くなったとなれば仏との間で衝突が起こる。破門した者に手を貸したとなれば尚更だろう。
(面倒なことになりましたね……)
月読が黙考している間、天照は地蔵と話していた。
村の様子や老婆の状態。地蔵がなくなった後の仕事の引き継ぎや結界のこと。
「はぁー……破門が厄介だ。
仏を説得出来ればなぁ」
…………え?
「天照、今なんと言いました?」
「え?仏を説得出来ればなぁ、と」
「何故です?」
「いや、もしも説得して上手くいけば、老婆に会わせられる。救う事も出来る。地蔵も壊されずに済む。
仏が力を貸さないのなら自分がやると説得すればいい」
──その手がありましたか!
「流石は天照です!この月読、考えもしませんでした!」
輝いた目で地蔵を見る。
地蔵は怪しい人を見るような目で月読を見ていた。
「地蔵殿!もし成功したならば、ブローチの持ち主探しを手伝っていただけますか!?」
「も、もちろん。ちゃんと手伝うよ」
「約束ですよ!」
丁度、良い風が吹いた。
髪がなびき、緑の香りがする。
風の中で微笑む月読に天照と地蔵は少々首をかしげた。
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