染話 須佐之男の一日
眩しい朝焼けが部屋に差し込む。
けたたましく鳴る目覚まし時計が睡眠を妨害する。
もう少し寝ていたい。
あと五分寝ていたいが、今日も仕事は山ほどある。
「はいはい……起きるよ」
目覚ましを止め、もぞもぞと布団から這い出る。
須佐之男は大きく伸びをして、
高天原の奥地に建てられたこじんまりとした神殿。田舎のおばあちゃん家を思わせる平屋の外に出て、近くの川へとふらふらと降りる。
川で顔を洗い、昨日から浸していた野菜の入ったザルを引き上げる。
神殿に戻ると小狐が門の前に立っていた。
「月夜丸、そこで何をしてるんだ?」
月夜丸は須佐之男に尻尾を振り、いつもの元気な笑顔で手紙を手渡す。
「須佐之男様、お手紙でございまする!」
「ああ、ありがとう」
「そしてこちら、須佐之男様宛の願い札なのですが……いかが致しまするか?」
須佐之男は巾着いっぱいの願い札を見てため息をついた。
昨日届いた分がまだ終わっていない。
正確には一ヶ月前のものさえ叶えに行っていない。
断ってもいいが、月読に怒られる。
「ああめんどくせえ…」
「?須佐之男様?」
「うん、受け取る………朝からお疲れさま」
「いえいえ!これしき平気でございまする!
須佐之男様今日も一日頑張りましょう!」
──あー、可愛い。
月夜丸に癒され、手紙と願い札を提げて部屋に戻る。
長い長い一日が始まった。
***
簡単に朝餉を済ませ、身なりを整え出勤の時間。
高天原を出て旋風に乗る。
目指すのはかつて『黄泉の国』があった場所。地獄より上、現世より下の『極楽浄土』と呼ばれる所だ。
「おはよーさん!」
極楽浄土入国管理局の門にパスをかざして門をくぐる。すぐさま部下の風の精が集まり、簡潔に予定を確認する。
「今日は午前二十二人、午後四十一人です」
「いつもよりは少ないな。
報告書の件はどうなってる?」
「昨日書いたのですが、気づいたら散らかっていまして…」
「ゲートの修理費の催促が煩いのですがどうします?」
「製鉄の注文が入っておりますが」
「須佐之男様、早くしろと騒ぐ
須佐之男様、須佐之男様と一気にお伺いを立てる。
一人一人答えさせてほしいものだ。
「えーと、
報告書は片付けながら探せ。
修理費は昼に払う。
製鉄は休日にやる。間に合わないなら『ヘパイストス加工屋』に頼んでくれ。
シメる時は一発で片付けろ」
風の精は「はい!」と声を揃え、疾風のように消えていった。
本当に行動だけは早くて優秀な部下だ。あとは周りを散らかさないように注意するべきだろう。
傾いた絵画を直し、廊下を進んだ。
「はーい、並べ並べ〜」
ぞろぞろと続く亡者の列。
須佐之男の仕事は『無罪判決』を受けた亡者の極楽浄土への入国管理だ。
地獄で発行される『入国カード(鉄製)』を受け取り名前と人相を確認。
ゲートをくぐらせてセンサーが反応しなければ審査は終了。めでたく極楽浄土行きだ。
慣れた早さで審査を進める。
すると顔をパンパンに腫らせた中年男性が入国カードを差し出した。
──ああこいつか。騒いでたのは。
一発でシメろ、と言ったのだがこの様子では散々暴れて余計に喰らったらしい。
──まぁ、俺には関係ないが。
カードを受け取り人相の確認……
「…………おかしいな」
微妙に顔が違う。
腫れていても大体の人相は分かる。
似ているが違う。別人っぽい。
「…………名前は?」
「
カードの名前は
ふーん、と気付かないふりをしたがおそらく地獄行きの奴だろう。
汗は止まらないし、目が泳ぐ泳ぐ。
鼻息も荒く興奮気味。
とりあえずゲートに通してみると、センサーが反応した。
「おや?何か持ってんのか?」
「も、持ってない」
「じゃあ確認しても?」
「い、いや、持ってないんだから、か、確認しても、意味ないだろ」
怪しいし、嘘くさい。
体つきはやや細めな割に腹だけがぽっこりと出ている。
現世でよく聞く『ビール腹』とかいうやつだろうか?
いやそんなものとは別だ。見た目が
「持ってないなら隠す必要はねぇよな」
「そ、そうだが、確認するひ、必要、も」
「仕事なんだよ、たまに居るんだ。
地獄行きが嫌で別人になりすまして極楽に行こうとする奴が。そういうやつの大半は地獄の拷問具を持ってたりすんだよ」
核心を突かれた男性は体が震え始めた。
後ろの亡者がざわめく。
死装束に手を入れ武器を床に投げ捨てる。
出てきたのは手榴弾、弾倉、爆薬など持ち運びに便利で威力のあるものばかり。
しかし、肝心な拳銃が出てこない。
「おい、拳銃はどこだ?」
「し、知らな……」
「しらばっくれんじゃねぇよ!」
「持ってない!」
「いーや!ある!どっかにあるはずだ。
答えろ!死んでても苦しむのは嫌だろ?」
須佐之男の狂気的な笑みに男性は涙目で拳銃を差し出した。
後ろに控える亡者のざわめき声がピタッと止んだ。
「おとなしく出せば良いんだよ」
拳銃を奪うように取り返し、悪役の笑みで拳銃を眺める。
傷はなし。弾も減っていない。無事だ。
チェックが終了すると男性の足元に投げ捨てた。
男性に親指を立て、須佐之男はにっこりと笑って見せた。
安堵した男性も笑顔になったが、何にも面白くない。
親指を下に向けた。
足下の床が開き、男性は盗んだ武器と共に地獄へと堕ちていった。
希望が絶望へと変わり、悲痛な叫び声だけがここに残る。
亡者達は驚き過ぎて声も出ない。
部下達も青ざめた顔で彼を見送る。
しかし、誰よりも驚いていたのは須佐之男だった。
「注文に無いことしやがったな。
ヘパイストスめ………」
***
修理費を払い、報告書を届け、月読の叱咤や皮肉を聞いて昼休みが終わる。
昼食は五目お握り一つだけ。
仕事に戻ると亡者の数は午前見たときよりも減っていた。
「おい、ほかの
風の精はおずおずと答えた。
「報告書の件、月読様から叱咤を受けたとお聞きして、少しでもお役に立とうと審査を行いました」
巻き物を受け取り確認する。
一つもミスはない。問題ないようだ。
「……じゃあ、午後は任せる。
ミスすんなよ。信頼してるからな」
仕事場を離れて旋風に乗る。
巾着袋が破けてしまいそうなほど多くの願い札を抱えて現世に向かった。
「毎度毎度、『厄祓い』くらい狐だけでも出来ねぇのかな。
どの願い事も『厄祓い』・『縁結び』・『五穀豊穣』のオンパレードでつまんねぇ」
今日は関東の辺りの願い札を消費しよう。
競うように高く並ぶビルの、どれかの屋上にどっしりと座り込んで願い札を並べる。
全部厄祓いの札だが、地名ごとに並び替えてまとめて出来るように準備する。並び終えるとすぐに立ち上がり、頬を叩いて気合を入れる。
「須佐之男命が子孫、須佐野涼助!
我が名の下に願いを叶えて見せようぞ!」
最初は東京から──
胸の前に両手を伸ばし、気を高める。
「吹き抜けるは魂の風
荒れすさむは救済の風
疾風よ、全てを飛ばせ
神器顕現!吹き荒れろ『疾風の打刀』!」
風がうずまき手のひらに集まる。
強風に包まれ現れたのは漆黒の鞘の打刀。
抜刀し、素早く横一線に
斬ったところから、風が流れ、強く唸って都会の街を駆け巡る。
外を歩く人々が突然の強風に必死に抵抗する。
申し訳ないが、少しだけ我慢して欲しい。
すぐ終わらせるから。
腰を落とし、刃を上に構える。
静かに目を閉じ、力を増大させる。
ゆっくり目を開けた。
「神通力──『厄祓いの風』」
刀の上を滑るように息を飛ばし、風の中へと落としていく。
風が吹き上げ空へと消える。
厄祓い終了の合図だ。
下を見ると晴れやかな顔で歩く人がチラホラと見える。
成功したらしい。良かった。
「じゃあ、次は栃木か」
願い札を提げて旋風に乗った。
***
「オゥエエエエエ……」
ようやく帰ってきた高天原の神殿。
敷布団だけを敷いてのたうち回る。
流石に関東全てを回るのは無理だったか。
ちゃんと回ってしまったのだが。
「ああああ具合悪い。吐きそう。死にそう」
死なないけど。
ほんの少しだけ減った願い札の山を見てため息をつく。
返品不可のこの山を、どう処理しようか。
毎日仕事だけでも充分忙しいのに、どうやって全部叶えろと?
「ああああ胃がキリキリするぅ……」
水を一杯飲んでもう一度横になるが、誰かが玄関の戸を叩く。
だいたい来る相手というのは決まっているのだが──
「須佐之男!居ますか!」
「居ませーん!」
「居るじゃないですか!」
戸を叩く音が強くなる。
これがまた頭に響く。二日酔いの気分だ。
「はいはい、開けますよ……」
フラフラとした足取りで玄関に向かう。
案の定そこにいるのは月読。
無表情で立っている。
「どうかし(べチッ)」
「今年の出雲集会のお知らせですよ」
顔に叩きつけられたチラシにはファンシーな字体で出雲集会の開催日が書かれている。
誰が書いたんだか──
「あと『強制参加証』です。
サボられたら困るので」
……ああ、先手打たれた。
「どうしてもッスか?」
「どうしてもです。
貴方がいないと会議が出来ないので」
用が済むなりさっさと帰る月読。
時間を無駄にしたくないようで懐中時計を片手に何かを呟いている。
須佐之男は女子が書いたようなチラシをぼーっと見つめていた。
「須佐之男‼」
正面を向くと、箱が飛んできた。
訳も分からないままどうにか掴んだけれど、これはどういう意味なのか。
「私じゃありませんよ!
天照からのお
大事に食べなさい!」
捨て台詞のような言葉を残し、月読は振り返ることなく帰った。
全く、突然来てすぐ帰るなんて、嵐のような人だな。
部屋に戻り、模様の綺麗な包装紙を丁寧にはがす。
「おっ、マジか」
若草色の箱を開けると、高天原名物『稲荷印のフォーチュンクッキー』が入っていた。
当たりだと
ハズレだと唐辛子が入っている少々危険な占いクッキー。
しかし、買っていく者は多い。
「詰め合わせとは……唐辛子当てさせたいんスかね、天照様」
適当に選んで試しに一つ。
中から出てきたのは御神籖。当たりだ。
「なんだ何だ?」
『仕事しなさい』
───大ハズレじゃねぇか。
ついでにもう一つ食べてみる。
御神籖。
またハズレじゃないといいな、なんて思っていたが……
『報告書にミスがありました』
───やっぱりハズレじゃねぇか。
「何だこれ。
稲荷の占いクッキーじゃねぇぞ?」
不思議に思いつつも三つ目に手を伸ばす。
これもまた御神籖。
小言か、と気が重くなるも開いてみた。
『無理は禁物ですよ』
驚いた……。
こんなことも書いているのか。
思わず箱の蓋を見る。
「ん!?」
これ稲荷のクッキーじゃない!
箱の色が微妙に違う。
個別包装もなければ狐のマークもない。
そもそも、商品名が蓋に書いてないじゃないか!
「うっわ何で気づかなかったんだろ……」
ふと、月読の行動が頭の中で再生される。
いつもは小言を連ねて帰らないのに用を済ませてすぐ帰った。
天照のお裾分けなんて言いながら「大事に食え」と言った。
「……ははっ、そうかそうか」
月読から香った甘い匂いに、笑いが止まらない須佐之男だった。
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