伍話 願い事を叶えても…

 高天原の広場にある大きな掲示板。

 そこには定期的に多くの木札が届き、札が減る度に補充される。

 木札に書かれているのは人間が手を合わせ、心から祈った願い事。

『願い札』である。

 毎日神々が掲示板を覗き、自分が協力できる木札を手にして地上へと下る。


 それは最高神とて例外ではない。


 ***


 月読の机に置かれた願い札。

 予定帳を開き、空き時間を確認する。

「えーと、今日は午後二時ですね」

 二時のところに予定を記入し、手帳をふところに入れる。

 丁度その時木札を持った天照が現れた。

「月読は今日行くのか?」

「天照も願い札を?」

 天照はニッと笑って木札を見せる。


「ようやく出来そうなものを見つけてな」

「今まで出来なかったんですか」


 まあ、仕方ないだろう。

 最高神─天照大御神は世を照らす太陽神。

 神通力も神器もそういう方に特化しているのだから。

「月読はまた治癒ちゆの願いか?」

「ええ、私はこういう事が得意ですから。

 天照は何の願いを?」

「天罰の願いだ」

 天照に悪いが、少し笑ってしまった。

 いや、確かに──

『天照大御神』としては何もおかしくはないし、適任だと思う。

 だが、『天照光平』には向かないだろう。

 ───彼は優しすぎる。


 笑われたことが不服らしい天照はムッとした顔で「何かおかしいか」と月読を見る。

 月読は「いえいえ」と違う笑顔で答えた。

「天照は優しいですからね。少し心配なんですよ。

 前回の『転職したい』という願いで、態態わざわざその人の上司と接触して良好関係を築かせました。

 前々回の『上司爆発しろ』に関しては上司の努力を神通力で見せて黙らせました。

 さらに前前々回は──」

「待て待て待て。長い、長すぎる」

「おや、そうですか?」

 ここまでにします、と言って天照と約束を結ぶ。

 上機嫌で仕事に戻る天照を見送り、月読は袖をまくって集中する。

「昼までに仕上げてしまいましょう!」

 いつもより早いペースで筆を進めた。


 ***


 現世───とある病院。

 とある病室では今にも死に絶えそうな老人が家族に囲まれていた。

 異常に高い数値の心電図。

 荒い呼吸はヒューヒューと音を鳴らす。

 苦しげな表情でひどく汗をかいていた。

 孫らしき小さな女の子に手を握られ、娘や息子らしき大人の必死な声を聞いていた。

「おじいちゃん!まだ死んじゃダメだよ!」

 老人の手が折れそうな程に握り、涙を拭うことなく話しかける女の子。

 病室は個室らしく、他の患者は見当たらない。見舞いの品や千羽鶴があるところを見ると、家族思いな方と見受けられる。


「神様にお願いしたもん!

 愛華あいか一人でお参りに行ったもん!」


 ──ああ、貴方が『願い人』ですか。

 小学生にもならない女の子が一人で神社に願掛けとは、余程の願いだったのだろう。

「月読命、全てを以て叶えましょう」

 女の子の隣、老人の枕元に座って静かに口を開いた。


「月よ 全ての者を等しく導け

 光よ 全ての者を等しく癒せ

 月読命の子孫たる、月読冷夜の名の下に」


 略さず、正しくつむぐ『神器のことば

 腕には温かい光が集まっている。



神器顕現じんきけんげん──

 闇夜にうたえ『月光の竪琴たてごと』」



 片腕に三日月の竪琴を抱き、細い指で弦をはじく。

 癒しの音色が病室内に響き渡ると老人の息が整い始め、汗も止まり、心電図も正常な数値を刻み始める。

 周りの家族は何が起きたのか分からないという顔で老人を見つめた。

 女の子も不安げに「…おじいちゃん?」と声をかけた。

 老人は女の子の方をゆっくりと見ると柔らかく微笑んで手を握り返した。

 家族は歓喜のあまりに泣き、女の子は老人に抱きついた。


「……成功、ですね」

 安心した月読は神器をしまい、立ち去ろうとする。

 しかし、老人の目が月読をしっかりと捉えていた。

『神様、ありがとう存じます』

 心で唱えた感謝の言葉。

 人から直接聴けるのは久しぶりだ。

 なんせ皆、神頼みをしておきながら神様私らの存在を信じていないから。

「感謝すべき相手はこの子でしょう。

 一人で神社に来たそうじゃないですか。

 幼子に心配かけてはいけませんよ」

 そういった月読は女の子の頭を撫でた。

 女の子はふっと月読を見たが、「気のせいね」と老人に微笑みかけた。

『今度、お礼をさせていただきます』

「健康であることが最大のお礼ですよ」

 月読は優しい笑みを浮かべて病室を出る。

 自分の仕事はここまでだ。

 あの老人はきっとしばらくは生きられる。

 しかし、次に会うのは『神』はつくが神ではなく、


 ───死神だろう。


 ***


 病院の入口。

「お待たせしました〜!」

 柱に寄りかかり空を眺める天照に急いで駆け寄ると、天照は神妙な表情で重々しく口を開く。


「俺はあいつを更生出来ないかもしれない」


 何を言っているのか分からないが、右手には願い札が握りしめられている。

 現世に下り、互いに仕事で別れたはず。

 てっきり迎えに来させてしまったと思ったが、どうやら違うらしい。

「どういう事です?

 貴方の事ですし、きっと天罰ではなく和解を行おうとしたと思うのですが」


「あそこまでクズだとは思わなかった!」


 驚愕きょうがくした。

 他人を悪く言わない天照が、人間とはいえ「クズだ」と言った。

 相当ひどいらしい。

「わ、分かりました。

 私も行って解決策を考えましょう」

 天照は青い顔で「ああ…」と答えた。

「言っておくが、救いようがないぞ?」

 月読はその言葉を深く受け止めずに天照の後をついて行った。


 ***


「これは………っ!」

 天照の言い方がとても優しかったのだと気づくのは遅かった。

 ガリガリにやせ細ってもなお働き続けるありと化した社員。

 達成不可能なほどに高く掲げられた目標と今日のノルマ。

 怒鳴ってばかりで仕事を部下に押し付ける部長ハゲ


「……酷いですね。……これは」

「だから言っただろう」

 天照から拝借した願い札には

『ハゲに厳しい天罰を下してください』

 と、切実な願いが綴られていた。

「天照、願い人はどちらに?」

 天照は黙って奥の机を指さした。

 天井に届くほどに積まれた書類に囲まれてパソコンを打つ男性。

 他の社員よりはるかにやつれ、目の下には濃いクマが出来ている。

 スーツから覗く骨ばった腕にはアザができていた。


「あの部長にいじめられているらしい。

 部長のゴミ箱から彼の辞職願が二つに裂かれて見つかったところからすると、辞めさせてもらえないらしいな」

「いじめ、ですか。

 あのハゲ他に何をやってるんでしょう?」


 ──ハゲって言うのか。

 ──言います。ハゲです。


 少し様子を伺うと、

 女性社員にしつこく話しかけては無闇矢鱈むやみやたらと体に触り、

 男性社員には細かいところのミスを責めては怒鳴り散らす。

 挙句には暴力まで振るう始末だ。

 スタンドライトやペン立てなどを容赦なく投げつけ「さっさと死ね!」と暴言を吐く。

「和解は無理ですね」

「しかしあまり酷い目には……」


 コンコンッ!


 窓を叩く音がした。

 振り向くと旋風に乗った須佐之男がいる。

 気づかれないように窓を開け、須佐之男を中に入れた。

「やっぱお二人でしたね。何してんスか?」

 天照が黙ってそっぽ向くのに対し、月読は願い札を差し出して一部始終を話した。



「……はぁ〜。

 このハゲきゅっとシメればいいんスよね」

「それ絞めてますよね」

「それにあまり酷いことはしたくない」

 須佐之男はめんどくさいと言わんばかりにため息をついた。

 部長に目を向けると、「あれっ」と頭頂部に注目した。

「一本ありますね。髪の毛」

「嗚呼本当ですね」

「一本だけ残ってるな」


 何で三貴子揃ってハゲの頭を見ているんでしょう───


 冷静になったら負けだと思った。


 須佐之男は思いついたように手を叩く。

「酷い目に遭わせたくないんスよね?

 じゃあこの髪抜いちまえば良いんじゃないスか!?」

 そう言って勢いよく髪の毛を掴み、引き抜こうとする。


「「だーーーーーーーーーーーーーー‼」」


 天照と一緒に叫び、須佐之男の手を髪の毛から引きはがす。

 須佐之男を引っぱたき、「馬鹿なんですか!」と叫んだ。

「須佐之男!

 最後の髪の毛希望だぞ!抜くんじゃない!」

「抜きましょうよ、そんな希望なんて。

 あんなモン残ってっからカツラ被る勇気がないんスよ。無くなればカツラも怖くない!

 抜きまぁぁぁぁぁぁす!」

「やめなさい‼漢らしさは認めますけど!

 嗚呼もう!貴方って本当に邪神ですね!」

「願い札の願いはカツラ被りたいことじゃないから!」

「精神的には大ダメージで名案だと思ったんスけど………」

「せっかく真面目な雰囲気作ってたのに今日の貴方はどうしたんです……?」


 そうこうしているうちに部長は他の社員に暴力を振るう。

 須佐之男は諦めた顔をした。

「こりゃダメっスね。

 仮に更生したとしても根っこがわりぃ。

 どうせ地獄行きなら、今叩いてしまいましょうよ」

「しかし……」

「天照様、優しさの全てが飴じゃ無いです。

 人を平等に正しく照らし、導くのがあなたの仕事でしょう?

 正すのに鞭を振るったって誰もとがめやしませんよ」

 須佐之男は真っ直ぐに天照を見つめた。

 天照も遂に決心し、首を縦に振った。

「では、天罰を下そう!」


「んじゃ引っこ抜きます!」


 ブチィッ!


「「「あああああああああああああ‼」」」


 部長と天照と月読の叫び声がオフィスに木霊する。

 部長がそっと頭に手を当て髪を確認する。

 その間に天照と月読で須佐之男の頭にたんこぶを作る。

 本当にハゲになった部長は顔を真っ赤にしてタコのようになった。


「お前らのせいでワシの髪がなくなった!」


 何でもかんでも他人のせいですか。

 本当に───


「クズだな」「クズですね」「クズっスね」


 先陣を切ったのは須佐之男だった。

「吹き荒れろ!『疾風の打刀』!」

 刀を手に、それこそ疾風のように部長の背を縦一線に斬りつけた。

 痛みに顔を歪めた部長はこちらを振り向き、辺りをキョロキョロと見回した。

「視える訳ないだろう。俺ら神だぞ」

 服だけがパックリと裂け、中からフックが覗いている。

「下着フェチみたいっスね…」

 ──三貴子ドン引き。

 驚く社員たちは戸惑いながら様子を伺っていた。

 須佐之男が部長に足払いしたところで天照の天罰がダイレクトアタック。


「神通力──『厄災集中』」


 部長が慌てて起き上がろうとしても、紙で足を滑らせたり机にぶつかったりと小さな厄災が続く。

しかし、本当の厄災はここからだった。

 願い札の社員が部長に今までの鬱憤を暴力で晴らした。

 スタンドライト、椅子、パソコンから鉢植えまで使い、自分がやられたことを倍でやり返す。

 女性社員は叫ぶことも、誰かを呼ぶこともせず、見て見ぬ振り。

 天照は慌てて須佐之男に「止めさせろ!」と叫んだ。


「神通力──『厄祓いの風』!」


 刀の刃を上に向け、その上を滑らせるように息を吹きかける。

 息は風となり、彼の体を吹き抜けると部長の厄災も彼の怒りも吹き飛んだ。

 アザだらけ血だらけの部長を、一人の社員が救急車を呼んだ以外は皆放置した。

「月読、命を繋ぎ止めろ」

 何も言わず、神器を取り出しある程度の傷だけ治癒をする。

 天照がオフィスを出ていく後ろ姿を須佐之男と二人、ただ見送った。


 ***


「……こんなはずではなかった」


 夕暮れの帰り道で天照はボソッと言った。

 月読と須佐之男は顔を見合わせて言葉の意味を目で尋ね合う。

「俺は少し痛い目に遭えばいいと思った。

 なぜ彼はあいつを襲った?

 なぜクズでも殺そうとまでした?」

 天照の疑問は正しかった。

 地味とはいえ天罰は確実に喰らった。

しかし、彼は自らの手でさらに仕返しをした。それも倍で──

「…おそらく、悪行が巡った結果でしょう。

 善行は多く施しても雀の涙ほどしか返りませんが、悪行は大きくなって返りますから」

「……そうか」

 天照は黙り込んでしまった。

 月読はどう言葉をかけていいか分からず、沈黙に耐えながら後ろを歩く。


「腹減りません?」


 重い空気を両断する須佐之男の一言。

 天照も月読も、須佐之男に注目する。

「さっきから腹鳴って恥ずかしいんスよ。

 好きなもん作りますから、ウチ来て飯食べません?」

 能天気なやつだ。

 こんな状況でよく言えたものだ。


「須佐之男、空気を読んではいかがです? どうして今そんなこと……」

「……この間現世のテレビで観た『タコパ』をやってみたい」

「天照っ!?」

「良いっスね。

 材料ありますし、やりましょう!」

「最近では『スイーツたこ焼き』があるらしいな」

「ああ、女子に人気らしいっスけど、美味いのかな…やってみます?」

「ちょっと何勝手に話進めてるんですか!」

「やってみるか。チャレンジ!」

「チャレンジ!」

「『チャレンジ!』じゃないですよ!

 何でたこ焼きパーティーするんですか!

 あっ、ちょっと置いてかないで下さい!」

「月読様入れたいのありますか?

 帰るついでに買い出ししましょう」

「そもそも来るか?須佐之男家でのタコパ」

「行きますよ!チーズとかチョコとか入れたの食べてみたいですもん!」


 三人仲良く並んで高天原へと帰る。

 高天原百貨店で買い物したり、須佐之男の家で料理したりしているうちに、天照はいつもの明るさを取り戻していた。

 腹が立つほどに似合う割烹着かっぽうぎを着た須佐之男がたこ焼き器に生地を流す。


『腹減りません?』


 あの言葉の意味が、何となく分かったような気がした。

 酒も持ち出して三貴子で夜遅くまで『タコパ』したが、当たり外れが案外多く、ロシアンルーレットのスリルを味わうだけのパーティーとなった。


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