弐話 狐狗狸退治
高天原に毎朝届く手紙。
それを確認するところから天照の仕事は始まる。
八百万の神の誰よりも多い手紙を一つ一つ読むのは案外重労働。返事を書かねばならないし、書類を作成しなくてはいけない場合もあるし、時々ストーカーめいた内容もあるから通報しなくてはならないし。
「全く以て面倒極まりないな」
封を切って手紙を読みながらため息をつく。
読まなくてよさそうな手紙はその辺に投げて後回し。
──どうせ同じことばっかりだ。
遠くから鈴の音が近づいてくる。
鈴がリンリンとなる度に耳を澄ませてしまう。
「天照様ー」と呼ぶ声と廊下を走る音についついニヤけてしまう。
「さて、今日は何の菓子を渡してやろうかな」なんて思っていると、大きな鈴の首飾りをつけた小さな狐が手紙の束を抱えて扉から覗いている。
小狐は天照を見つけると満面の笑みで駆け寄ってくる。これがまた愛らしい。
「天照様!お手紙でございまする!」
「来たか、
手紙を受け取り、机の上のクッキーの袋を小さな手に乗っけてやる。
月夜丸は頬を膨らまし、
「あんまり頂いてはいけないと言われておりまする」
とクッキーを突き返す。
受け取りたい気持ちでいっぱいなのか、ふわふわの尻尾をブンッブンッと振る。面白がった天照はニィっと笑い、
「ほぉ、俺の菓子を受け取れないのか」
と、意地悪を言ってみる。
月夜丸と呼ばれた小狐は小さく体を震わせて
「滅相もございませぬ!」
と必死で否定する。
「じゃあ受け取れるな?」
と聞けば月夜丸はリスのように頬を膨らませ、
「またやられたのでございまする」
と嬉しそうにクッキーを受け取った。
あー、ホント可愛い。
だが、手紙の束は全く可愛くなんてない。
見なくてもわかる、つまらない内容の手紙をわざわざ封を切って読んでいると、月夜丸が袖を引いた。
「あの………そっ、相談があるのでございまするが…」
耳を寝かせて臆病に「お時間ありますか?」とアピールする。
こういう時、『最高神』という肩書きが邪魔だ。
天照大御神の子孫というだけで崇められ、敬われる。
(本当に億劫だな…)
「何かあったのか?」
手紙を投げ捨て月夜丸に向き直し、優しく問いかける。
月夜丸は困り顔で「実は……」と、小さく話し始めた。
***
「………で、何で低級野狐の捕獲ごときに私らが行くんですか」
『不思議と出会える』という謎のキャッチコピーの街。
街全体を見渡せる丘の桜はとても立派で、樹齢何千年とありそうな大樹だ。
そんな栄えた街の高校の、放課後の教室を天照と月読が覗いている。
月読は「稲荷の御使い狐に任せればいい」とやや不機嫌。腕を組んで足で土をほじったりその辺の石を蹴ったりと、やる気の無さがすぐ分かる。
「月夜丸が珍しく相談してきたんだ。力になってやらんと可哀想だろう」
「月夜丸が、ですか…」
「ああ」
「……はいはい。協力しますよ」
月読は両手を上げて降参し、「ところで」と再び腕を組む。
「まさか二人で捕まえようなんて言いませんよね?
野狐とはいえ霊力がありますし、稲荷の御使い狐と違って理性がありません。
捕まえる数によっても二人だけでは難しいかと」
「ああ、それに関しては問題ない。
捕るのは一匹だけだし、頼もしい助っ人を用意した」
「助っ(べチッ)」
月読の顔に新聞にが貼り付く。
突如強風が吹き荒れ、植えられた樹木がもげそうな程に大きく揺れる。
強風に乗って「遅くなりました!」という声が空から降ってくる。
地上に降り立ったのは青い髪の目つきが怖い男神で、右頬に黒い刻印が刺青のように入っている。
彼が暴れ神
「おお!来たか須佐之男!」
「いきなりで驚きましたよ。
仕事を
「私に言うことはないんですか?須佐之男」
未だに顔に新聞を貼っつけたままの月読。
須佐之男は首を傾げ、「お疲れ様です?」と声をかけた。
新聞を剥がし、怒りをあらわにした月読は、
「人の顔に新聞を貼り付けておきながら謝りもせず!『お疲れ様です』なんて嫌味にしか聞こえません!
貴方には悪い事をしたという自覚が無いんですか!?」
と、須佐之男に詰め寄る。
須佐之男はため息混じりに反論する。
「そう言われたって事故じゃないスか。
たまたま偶然、そこに新聞があって、俺が来た時に風で飛んで貼り付いた。
謝る必要あります?」
「事故でも貴方が起こした事でしょう!」
あ、これは喧嘩が起きそうな雰囲気だ。
天照が二人の間に入り、「まぁまぁ」となだめる。しかし、二人の雰囲気は会って数十秒で険悪。仕事どころではなさそう。
「天照、本当に須佐之男が助っ人なんて言いませんよね」
「天照様の意に異論を唱えたくはありませんが、月読様とは組みたくないものですね」
「私をなんだと思っているんです?」
「天照様に付きまとう………
そうですね、優しく言って金魚の糞です。
月読様こそ、俺のことどうお思いで?」
「天照の神殿にう○こしたろくでなし」
「ウチの先祖が失礼しましたぁ!」
噴火しそうな二人をどう止めればいいのだろうか。
***
どうにか二人の機嫌を直し、教室を覗く。
丁度教室の真ん中では数人の女子高生が『コックリさん』をやっていた。
「ああ始めましたね」←小声
「天照様、本当にここなんスか?そこら中妖気感じますし、強いとこのどこかとは思うんスけど」
「ああ、コックリさんが流行っているのはここだけで、他のところはやってない」←小声
「あと信頼の、稲荷印の占いですからね。よく当たりますので」←小声
「つーかコソコソしないで堂々と行きません?俺ら今神衣でしょ」
「「あ、そうか」」
すっかり忘れていた。
神衣を着ている限り、人間に姿を見られることは無い。
開いた窓から教室に侵入し、野狐を待つ。
女子高生がキャッキャッと騒ぎながらコインに指を乗せている。もちろんそんなことをする必要の無い神には何が楽しいのかわからない。
「今動いたよね!?」なんて言っているが、動いてないぞ。
「いつ来るんでしょう」
「多分もうじきだろう」
「暇ッスね。片手間に出来る仕事持ってくれば良かった」
「同感ですがサボりとみなします」
「月読様神器出して頂けます?」
「頼むからオレを挟んで喧嘩するな。
あと神器禁止」
「あっ!動いた!」と、一人の女子高生が叫ぶ。机の上には女子高生数人の指と──
───狐の指が一本
「出た!」
一気にその場の空気が引き締まる。
予想よりも大きい、狼のような狐。
イヌ科であることには変わりないが、ここまで来れば狼が正しい。
「これっスよね?言ってたヤツ」
「えぇ、写真を見ました間違いないです」
「んじゃあ飛ばします!」
須佐之男は手を伸ばし、風の中から刀を取り出す。
「恐れおののけ!『嵐の
「神器禁止だって言っただろ!」
「いえ、出しても良いですが小さいのにしなさい!学校ごと葬り去る気ですか!?」
月読と天照の手が大太刀を振りかぶる須佐之男を止める。目の前では野狐はゲラゲラと笑って尻を向け、挑発するように振っている。
天照は二人に「ダメだぞ?ダメだからな?」と怒りを抑えるように説得するが月読にも須佐之男にも聞こえていない。
野狐が、尻を叩いてさらに挑発をかける。
「夜空を切り裂け!『月下の矛』!」
「吹き飛ばせ!『
「ダメだって言っただろぉぉぉぉ!」
身の危険を感じた野狐が慌てて教室内を逃げ回る。
須佐之男が脇差を振り回す度に風が吹き、
月読が矛を振り回す度に物が薙ぎ払われて、女子高生の甲高い悲鳴が余計に事を荒立てる。
「天照様!神通力!」
「あれは神と神の使いにのみ発揮されるから野狐には効かない!」
「役立たず!」
「月読、今役立たずと言ったか!?」
野狐の背を須佐之男の脇差がかする。しかし、傷はすぐに塞がってしまった。
「
天照が背中をおさえ、膝をつく。
須佐之男が慌てて駆け寄ると、服に血が滲んで赤くなっている。
「月読様攻撃しないでください!怪我負わしたらこっちに転送される!」
「では真っ二つにすればいいんですよね!」
「そういう意味じゃないんですけどぉぉ!」
月読の矛が危うく女子高生に当たりかけた時、狐火が月読の目と鼻の先にあった。
人間に意識がそれたために避けることが出来ない。
視線をずらせば、もう一匹の野狐が笑っている。
「一匹って聞いてたんですけど!」
熱が顔を貫く──────直前。
「どぇりゃああああああああ‼」
須佐之男捨て身の飛び蹴りが野狐の脇腹にクリーンヒットする。
そのまま壁に叩きつけられた野狐を素早く捕縛し、教室から逃げた一匹を捕まえに行った。
「月読大丈夫か!?」
天照が声をかけても、月読は床にぺたりと座り込み放心状態。
「……今、何が起きたんでしょう?」
須佐之男を追いかける天照を見送り、隣で縛られ目を回す野狐を少し見つめて──
頭を強めに殴った。
***
「これで全部っスね」
捕らえた野狐をぶら下げて荒らしまくった教室から逃げる。もちろん女子高生が教員を呼んだおかげで野次馬まで集まり、騒ぎは拡大するばかり。
警察沙汰レベルに大きくなってしまったらしい。
近くの稲荷神社に避難し、天照は懐の鈴を三回鳴らした。鈴の音に共鳴するように溢れる光の粒子に息を呑む。
社の前に現れたのは
凛とした顔つきの、背の高い狐は深々とお辞儀をし、須佐之男から野狐を受け取った。
「この度は、弟の月夜丸がご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます」
「ん?ということは、お前が兄か?」
「はい。
「随分立派な九尾ですが、若いですねぇ」
「出世早いんスね。きっと」
咲夜丸と名乗った狐は「いえいえ」と
それがまた奥ゆかしいというか───
「ムカつくというか」
「月読様、心の声ダダ漏れてます」
咲夜丸は野狐をキッと睨みつけ、また深くお辞儀をした。
「
「いつも手紙を届けてくれるからな。それくらいするぞ」
「今回天照はあまり働いてないじゃないですか」
「いえ、もう一匹は天照様が捕縛したんス」
「え、そうなんですか?てっきり見届人かと思ってました」
「月読実は俺のこと嫌いか?」
咲夜丸が帰るのを見送り、三人も高天原へと帰る。
「
「最高神の前でヘラヘラ笑えるもんじゃないでしょう。
そういえば天照、月夜丸にあまり菓子を与えないでください。ぷくぷく太ってしまったらどうするんです?」
「そう言う月読様だって、果物持たせてるじゃないスか」
「あ、あれは余り物で……」
「へぇ〜、小箱一つ分も余るんスか」
「いやいや、須佐之男だって手製の稲荷寿司持たせてるじゃないか」
「ぐっ……!み、身に覚え無いッスね……」
「お前の所に行くとよく匂いがするし、
稲荷の御使い狐の中では『須佐之男手製の稲荷寿司は高級品』だと有名らしいぞ?」
「どっからそういう情報漏れてんだ…っ‼」
結局「皆月夜丸を可愛がっている」ということで納得し、爽やかな気持ちでそれぞれの神殿へと足を進める。
たまには悪くないと思っていた三人だが、
天照と月読は溜まった書類に、
須佐之男は荒れた仕事場に、
膝から崩れ落ちた。
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