壱話 キレる月読命

 国生みをし、国づくりを終えた神々は、新たに自分の子孫を残し始めた。

 血筋的な子孫ではなく、『自分』としての、『自分そのもの』を後世に残そうと考えたのだ。それは八百万の神のトップに立つ天照大御神あまてらすおおみかみ月読命つくよみのみことだって例外ではない。


 現代──高天原

 光が差し込む神殿を走り回る1人の神。

 女性の様な服装に、優しげな垂れ目。水色の髪に三日月の髪飾りを挿す不思議な男神。

 月読命の子孫───月読冷夜つくよみれいやである。

 両腕いっぱいに巻物を抱え、資料室と自分のオフィスを行ったり来たり。

「稲荷の記録と神々の近況報告書、あとはえーと…嗚呼、前年度の予算案」

 既に山のような資料で置き場のない文机デスクに巻物を広げ、算盤を鳴らす。

 ああでもないこうでもないと唸っては足元に丸めた紙を投げ捨てる。

「はぁ〜、どうして計算が合わないのでしょう?」

 何度計算しても合わない決算報告書。

 今年もか、と思うとため息が出る。計算が合わなくなるのなら、必要最低限しか振り分けられない。というか、振り分けたくない。

「そうすると反感を買いますねぇ。さてさてどうしたものか……」

 白紙の予算案を睨んで考え事をしていると、「また何かあったのか?」と声がした。

 入口に立つ、雄々しい服装の端正な顔立ちをした男神。赤く長い髪を太陽の飾りのついた髪紐で結っている。

 彼こそが、天照大御神の子孫───天照光平あまてらすこうへいである。

「嗚呼、天照ですか。いえ、大したことではないんですよ。決算が合わないだけで」

「結構大変なんだがソレ」

「見落としはありませんので、それぞれの使用目的の記録を確認しているんですが……」

 広げたいくつかの巻物には異常に予算がつぎ込まれている箇所がある。しかし、何に使われたかが明確ではない。

「これだとは思うんですがねぇ」

 天照も一緒になって巻物を覗き込む。納得したように「ふむ」と言って顎に手を添える。

「あ、天照のご用事は?何かあっていらっしゃったのでしょう?」

「ん?いや、今日は高天原の視察に行くと言っていたから、迎えに来たが…」

 月読は懐の懐中時計を確認する。約束は十時だったが、現在の時刻──十一時。

「……すみません。うっかりしていました」

「いや気にすることは無い。視察ついでにその不明瞭な予算の使い道、聞いてはどうだ?」

「天照……頭良い」

 さっそく巻物をまとめ、視察の準備をする。聞きたい人物は三人。仕事の気合いの中に少量の怒りを込めて───


 ***


 快晴の高天原。

 八百万の神の神殿で成される街並みをテコテコと歩く二人。活気があっていいとは思うが道端で痴話喧嘩やら、神殿いえの中で神通力の力比べやらは只々迷惑なだけだ。

「こういうのも取り締まるの大変なんですよねぇ……」

「地獄から鬼でも借りるか?」

「無法地帯になりますよ」

「天狗が良かったか?」

「そういう問題じゃありません」

 巻物を広げ、最初に行く相手を決める。

 一番不明瞭な使い方をしているやつから当たるのが妥当だろう。

「……最初は級長戸辺命しなとべのみことですかね」



 シナトベの神殿に訪れると呼び鈴を鳴らすよりも早くシナトベ本人が出迎えた。

 紺色の長い髪を束ね、華やかな神々の中でもかなり質素な服装でありながら滲み出す風情。

 深く深くお辞儀をしてニッコリと笑う。

「これはこれは天照大御神殿、月読命殿。お待ちしておりました。来ることは風が教えてくれましたよ」

「流石は風神。ならば来た理由も知っているのでしょう?」

「もちろんです。さぁさ、中へどうぞ」

 腰の低い歓迎を受け、応接間に案内されると天照がククッと笑った。

「表じゃあんな態度しか取れないのは残念だな。シナトベ」

 その言葉を聞くや否や、シナトベは大きく伸びをして笑う。

「はっはっは。いや~面倒なこったね。古い奴らは凝り固まった考えばかり、いーっつも押し付けるんだもの」

 シナトベは天照や月読に比べると歳をとっているが現代神げんだいじんの一人。

 八百万の神の中でも現代神は多くいるが、七割は百年以上存在する古株の神。まだまだ生きにくい世の中だ。

「あ〜面倒だなぁ。いつまでも株を守るようなやり方は。二人が現代神で良かった。天照殿も月読殿も、もう二十四でしょう?」

「二十二です。老けさせないでください」

「おっと失礼」

 巻物を広げ、本題に入る。

「この割り振った予算、何に使ったんです?濁して書かれたようですが」

 割り振られた予算、約三千万の使い道。シナトベは「ああ」と笑って頬を染める。

「こないだ大雷神と喧嘩して、神殿うち壊れたから直すのに使っちゃった♡」

「『使っちゃった♡』じゃないですよ!何私用に使ってるんですか!」

「月読殿の言い方可愛い」

「俺もそう思う」

「ありがとうございます!」

 巻物に『神殿修理』と書き換えて計算をし直す。しかし、割り振った予算に対し、決算が足りない。

「シナトベ殿、決算が足りませんが?」

「あれ?横領疑われてます?ただ書き損じたんですよ」

 シナトベは引き出しをゴソゴソと漁って決算報告書の受渡証明書を見せる。確かにこっちなら計算は合う。

「分かりました。ならば帰ってから計算し直しますね」

「すまないな、シナトベ」

「いーやいや、大丈夫です」

 ニッコリと笑うシナトベは「用が済んだらすぐ帰ってしまうのでしょう」と言って出口へと自ら案内する。

 出口まで見送られ、立ち去ろうとするとシナトベが「あー、そうそう」とこっそり耳打ちで教えてくれた。


「多く消えたからといって、大きな悪さをしているとは限りません。小さいからこそ、大きくなったら困りますよ」


 と、意味はわからなかったが、凄く大事な言葉の気がした。


 ***


「不明瞭予算の使い道ぃ~?」

 金髪のガラ悪い男神、大雷神は眉間にしわを寄せて聞いたことを繰り返す。

 八柱の雷神兄弟の神殿は雷で酷く焦げていて何だか香ばしい匂いがする。出された紅茶を飲みながら大雷神が領収証を探す後ろ姿を眺める。

「あったあった。この前あのヤローと喧嘩して周りの神殿壊したからその修理代と、弟がひとり怪我したから医療費」

「そういうの経費で落とさないでくださいよ…」

「弟七人も居るんだぞ!家計カツカツ!」

「七人も居るんですから一人くらい独立させなさいよ。というか、いい加減シナトベと喧嘩しないでいただけませんか?苦情がこっちに来ますし、先祖むかしみたいに人間に見られては困りますし」

「絵にされちまったもんな」

 カラカラと笑っているが笑いごとじゃない。どうしてこんなにも大雑把なのか。

「はぁ~、足りない分はどこへ?」

「あっ!いっけね、送りそびれたんだ。書類だけ出して余りを置きっぱにしちまった」

「うっかりしてるな」

「天照が持っていてくださいね。私手荷物多いですから」

 大雷神から余った分を受け取り、神殿を出る。手土産にマーブルクッキーを貰い、匂いの正体に納得する。

「次どこ行くんだ?」

「えーと、天手力男神あめのたぢからおのかみの所です」

 大雷神は険しい顔で「気をつけろよ」と言った。

「強いから下手に刺激すんじゃねぇぞ」

「馬鹿言うんじゃありませんよ。こちらには天照が居るんです。何かあったら見せしめに生爪剥いで芋掘りの刑に処します」

「月読様えげつねェ」

 大雷神も天照も、月読なら本気でやることは知っていた。


 ***


 二人は、天手力男神の神殿で手厚いもてなしを受けていた。


 外れに建つ薄暗い神殿。声を掛けても木霊するだけで返事がない。

 遅れてやってくる足音は地面を揺さぶり、遠くまで響く。現れるのは巨人、というか、巨神。

 いかつい顔で吐き出される吐息はまるで突風。吹き飛ばされないように耐えるだけもかなり重労働だ。

 天手力男神は二人を確認するとすぐさま中へと案内し、大雷神同様に飲み物の準備の他、茶菓子を出されたり踊り子の舞を見せられたりと最高神ならではの厚遇を受ける。

 悪い気はしないがここまでされるといっそ怪しい。月読は黙って座っているが、身から放たれるオーラが金剛力士像みたいになっている。

 天照はほんの少し、ほんの少しだけ距離をとった。

 踊り子を下げ、にこにこと笑って近づく天手力男神。ご機嫌取りのつもりだろうが、月読は単刀直入に巻物を広げて見せた。

「貴方の予算の使い道を聞かせていただきましょうか」

「えぇ、予算はシナトベと大雷神に壊された前庭の手入れ代に」


 彼らに生爪剥いで芋掘りやらせますか、と月読。

 後で注意するからやめてやれ、と天照。


「では、余った予算はどちらに?」

「それは、子供がお使いの駄賃を落としたとかで、あまりにも可哀想だったものですからあげてしまいまして」

 感心する天照の隣で月読の顔が曇る。

 気付いた天照が小声で月読に「こればかりは仕方ないだろう」と言った。

「シナトベと大雷神の喧嘩に巻き込まれ、困っている子供にあげたんだ。良いことをしたのだから、今回は目をつぶってやれ」

 しかし、月読は頑として首を縦には振らない。さらには天手力男神に向かって「嘘をつくんじゃありません」とまで言い放つ。

 目を見開き驚く天手力男神に月読は立ち上がり、分かりやすく不快感を露わにする。

「聞こえませんか?嘘をつくなと言ったのですが」

「月読様?何をおっしゃいますやら……」

「私に隠せるとお思いですか?さっきからうるさいんですよ」

 天照も天手力男神もキョトンとして月読の言動を理解出来ていない。

 その顔にため息を吐きかけ月読は、席の正面にある鏡を手を伸ばす。

 壁に建て付けられた派手な装飾の鏡。片端の装飾に手をかけ力いっぱい引くと、鏡は扉のように開き、中からジャラジャラと滝のように金貨が出てくる。

「ずっとシナトベの言葉を反芻はんすうし、意味を考えていました。分かりましたよ。天手力男神、貴方、かなり前から予算ちょろまかしていましたね。毎年合わなくて頭を抱える問題の一つでした。踊り子を呼んだのが間違いですね。床をはねる度に金貨がぶつかり合って音が鳴っていました」


 獣か、こいつ。


 天照は不穏な空気を察し、そっと天手力男神から離れる。

 フツフツと湧き上がる月読のオーラに天手力男神は訳が分からないと言った顔で天照に視線を送る。天照は知らん顔で腕を組んだ。

「ずぅーっと、気になっていたんですよ。少ない金額とはいえ帰ってこない予算。しかもその理由は人助けだというのに妙に羽振りのいい貴方。どういう事か、今理解しました。己の愚かさに腹が立ちます」

 ジリジリと迫る月読に天手力男神は後退していたが、角に追い詰められ逃げ場をなくす。

 奇声をあげ、壁の柱をもぎ取って月読に投げつけた。

 さっとかわした月読、怒りは頂点に達する。

「夜空を切り裂け!『月下の矛』‼」

「月読!神器じんきはいかん!」

 

 先祖から受け継ぐ力を自分に合う形に現し、神魂を高め、神通力を増幅させる──


 それが神器──


 月読は躊躇いもなく矛を振り回す。

 剛力の天手力男神とはいえ神器の前では形無し。怒り狂う月読の手で神殿を粉々にされ、命からがら外へ逃げ出す。

「逃がしませんよ!天照任せました!」

「えええええええ!!?」

「神通力を思う存分、ケチったりしないでどうぞ!」

「マジかぁぁぁぁ!」

 天手力男神の前に先回り、「天手力男神」と名を叫ぶ。ぴくりと反応したその瞬間。


ひざまづけ!」


 天照の神通力──『絶対命令』

 所謂言霊ことだまに近いものだ。

 天手力男神は、自分の意に反して体が天照に忠誠を誓う構えをし、逃げることをやめた。

 跪いて全く動かない天手力男神に「減刑を申し出るから我慢してくれ」とこっそり呟き、親指を立てる月読が怒り笑いで近づいてきた。

「流石は天照。さぁて、どう料理しましょうか」

 怒りの収まらない月読に天照が宥めるように話しかける。

「月読、こいつは確かに悪い事をしたが月読も神器で神殿を粉砕した。それなりの罰をもう受けたのだから慈悲を見せよう」

 月読は少し考え、「そうですね」と少々不満げながらも承諾した。

「では、横領した予算全ての返還と……」

 ………と?


「一ヶ月間、公開パンツバンジーの刑です」


「「……………え?」」


 ***


 金貨を数え、喜ぶ月読。

 金額を数え、肩を落とすシナトベと大雷神。

「何で私らが月読殿の手伝いを?」

「しかも同じ一ヶ月間て」

「皆に迷惑をかけた挙句予算を私用に使った罰です。広場の方と同じ罰が……」

「いやいやいや!こっちの方がまだマシだ!文句言わねぇからやめてくれ」

「そうですよ。減刑してもらってるしねぇ」

「そうですか」

 妙に残念そうな月読は次の書類へと手を伸ばす。せっせと働く傍らで天照が頑張れと拳をあげる。

 黙って握手で休戦条約を結ぶシナトベと大雷神と、いつもの月読の笑顔に安堵する天照。



 公開パンツバンジーのお陰で、規則を守る神が格段に増えた、という知らせが来たのは少しあとだった。

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