第11話 追うも忠犬、追われるも忠犬
沙織の問題……なのかただの馬鹿騒ぎなのか、ひとまず決着もつき、また次の試合に向かって動き出す振興大学ザバル部。リーグ戦も順調に連勝を続け、ようやく順風満帆な日々が訪れ始めたある日、貴文は福原学長に呼ばれる。今まではこちらから用がなければ、会うことも無かったのだが……。
「内田です」
「うむ、入ってくれ」
「失礼します」
福原学長は部屋の中で雑誌を読んでいた。
言うまでも無くザバル関係の雑誌で、貴文も現役時代何度か取材をされたことがあった。監督に復帰したことでまた取材されるかとも思ったが、今のところそのオファーはない。ひょっとしたら福原学長が窓口で止めているのかもしれない。
貴文は真剣な表情で雑誌を見ている学長を見ながら、そんなことを思った。
「これを見てくれ」
不意に福原学長は見ていた雑誌をページを開いたまま渡す。
貴文が見ると、そこは高校ザバル特集のページだった。今年のインターハイ有力高校のインタビューなどが組まれている。
「君はその子を知っているかね?」
「いえ、現状自分の周りのことだけで手一杯で」
「ならばその記事をよく読むといい」
「はあ……」
貴文は改めて雑誌を見た。
おそらく福原学長が言っているのは、見開きのページを使って紹介されている選手のことだろう。雑誌には「大会ナンバーワン『前バック』」という見出しと、プレーしている瞬間を捉えた写真載っている。大学ザバルはある程度調べていても、高校ザバルは未だ門外漢なので、貴文はその高校生のことは全く知らなかった。
福原学長は黙ったままで、まだ本題に入ろうとはしない。
仕方なく貴文は他のページも開き、その選手についての記事を読む。
名前は浅野章吾、出身校は貴文の高校時代から名門だった長野
「とりあえず経歴はすごいですね。実際のプレーは見ていないのでなんとも言えませんが、ここまでできて駄目と言うこともないでしょう」
「ではこれを見て欲しい」
そう言って福原学長はテレビを付ける。
どうでもいい2時間ドラマが少し流れたあと、録画してあった試合が再生された。
貴文は黙っている福原学長に習い、じっとその試合を観る。
試合は去年のインターハイ決勝、つまり松之助の負け試合だ。自分の教え子になったというのに、試合を観るのはこれが初めでてある。
「……どう思うかね」
試合を見終わったと同時に、福原学長は言った。
「そうですね、全体的に高レベルでこのまま順調に育ってば、プロでも問題いなくやっていけるでしょう。まあ、この時期ならもうどこかのプロに内定してるんじゃないでしょうか」
「もし彼がうちの大学に来るかもしれない、と言ったらどうするかね」
「はあ!?」
貴文は呆気にとられた。
松之助が来ただけでも奇跡だというのに、このレベルの選手まで入学するのはいくら何でもありえない。明皇大学レベルでようやく釣り合いが取れるほどの選手だ。
「いやいやいや、いくら何でもそれは無茶でしょう!」
「しかし彼は君を大層尊敬しているらしい」
「あー、そういう変わり者って結構いるんですね……」
今まで会ってきた面倒臭いので、面倒臭いのは打ち止めだと思っていた。
「もし彼が来てくれたら、我がザバル部――ひいては大学のイメージアップは計り知れない。おそらく現1年が卒業するまでに、『龍起杯』優勝も見えてくるだろう。そして君もこれからは監督業と平行してスカウトもしなければならない。とにかく浅野君に会ってきて欲しい」
「これほどの逸材ならそれも当然でしょう。ですがスカウト以前に、まず解決しなければならない問題があります」
「なんだね?」
「部には未だコーチがいません。私が部を離れている間、練習を見る人間が誰もいないというのは問題があります」
振興大学ザバル部が1年しかいない少人数の部とはいえ、監督一人だけしか指導者がいないというのは異常だ。初戦戦った大学でさえ、監督以外にコーチが2人いた。今の規模でもコーチは絶対に1人は必要だった。前々から言おうとしていたが、今が良い機会だ。
「確かにそれは道理だ。だが私が見たかぎり、大石君になら君の留守を任せてもいいのではないかな」
「確かにアレはザバルに関しては目鼻が利きますし、知識も豊富です。私が頼んだことはなんとかこなしてくれるかもしれません。ですが同級生で目線が一緒です。それに、選手としての能力があまりに乏しい。上から頭ごなしに指示出来ず、選手達に混ざって練習に参加出来ないというのはかなりのマイナスでしょうね」
「君の言うとおりかも知れない。だがそれでも、それを曲げて初年度は君一人でやって貰いたいのだ」
「何故です!?」
「金だ。コーチ分の予算が降りなかったのだよ」
「あー……」
貴文も予算の話をされると何も言えなくなる。チームの運営にまで関わったことはないが、年俸交渉の際チーム状況を考えろと言われたことは数限りなくあった。というより、どのチームでも絶対に言われた。
そのため、予算を考えずにチーム作りはできないことをよく理解していた。加えて陽介の母親の件で無茶をさせた手前、学長に対して強くは言えなかった。
「いちおう昔のツテを頼って何人かあたりを付けていたんですけど、どうやら無駄だったようですね」
「あくまで今年に限った話だ。来年はなんとしても予算を通す。それに『龍起杯』出場が決まれば年内に特別予算が組めるだろう。すまないが今は勘弁してくれ」
「……はい」
貴文は乾いた笑いを浮かべながら頷いた。
「ただそうなると、積極的な勧誘は出来ません。何日も大石に任せるわけにもいきませんから。最悪、というか現状学長が調べて勧めた子に最終面談だけ会うことしかできないでしょうね」
「君が説得を続ければかなりの武器になるのだが、こればかりはしようがない、か。だが浅野君だけは是非にも頼む。先方はいつでも来て良いと言っているが、なるべく早く行ってくれ」
「わかりました。ただ振興大学監督ではなくザバル界の指導者としてみれば、うちに来るべきでは無いと思いますけれど」
「・・・・・・」
福原学長は何も言わなかった。
それは肯定と同じだ。
しかし否定とも呼べる。
おそらく内心で一ザバリストとしての迷いと振興大学学長としての責任がせめぎ合っているのだろう。
今は何も言うべきではない。
そう判断した貴文は「失礼します」とだけ言って、学長室を出た。
(あんまりやる気が出ないスカウトだなあ……)
貴文は廊下を歩きながら、どうにも気分が滅入っていた。
大学として優秀な選手を欲しがるのは分かる。自分も監督なのだから、チームの核になる選手は喉から手が出るほど欲しい。
その一方で元選手として、日本ザバル会に属する人間として、振興大学に来るのが章吾にとってとてもプラスになるとはどうしても思えなかった。章吾ならもっと高いレベルで高い練習を積み、ゆくゆくは日本代表としてチームを引っ張らなければならないはずだ。振興大学での4年は、その妨げになるように思えてならなかった。
(とりあえず詳しそう奴らに聞いてみるか……)
その日の放課後練習終了後、貴文は広子と松之助に残るよう指示した。広子は普段から片付けや事務的な話で残されるので特に何も思わなかったが、松之助はかなり緊張していた。
「先に言っておくが説教するために残って貰ったわけじゃない。浅野章吾について聞きたいんだ」
「浅野君……ですか。すごいですよね彼」
「俺は去年のインターハイ決勝しか知らないんだが、どんな感じなんだ?」
「そうですね……」
それから広子は自分が情報を収拾した浅野章吾という選手について話し始める。高校で主将を務めていることなど序の口、出身地小学校中学校は当然のこと、好きな食べ物から初恋の歳まで、プレーに一切関係ないこともまるで身内のように淀みなく話した。あげくには「サインを持っています!」とまで言われ、このままではらちがあかないと一旦説明を中断させた。
「でもまだプレースタイルについてはほとんど話してないんですけど……」
「だったら先にそれを言え。というかそれ以外は特にどうでもいい。なんかお前らは本当に本題に入るまでが長いな」
「ははは、それじゃあ小学校時代に寝込んだ話から再開しますね」
「だから関係ない話はいいって言ってるだろ! はあもういい。大石はそれぐらいにして尾崎が話してくれ」
「え、あ……はい……」
貴文の前だと普段無駄に元気でチワワのような松之助が、この時は何か妙に大人しかった。それどころか後ろめたさのようなものまで感じられた。
それでも聞かれたことにはちゃんと答える。
「あいつは俺とは違って周りを使うんじゃなくて、自分で局面を打開するタイプの『前バック』です。脚も速し、当たりも強いし、何より技術が同年代と比べて抜けています。インターハイのMVPでしたが、それは贔屓目抜きにしても誰もが認める結果でしょう。いい奴ですし……」
話が進めば進むほど、松之助の顔が暗くなっていく。
最終的には「少し気分が悪いから帰ります」と言って、そのまま『ワールド』を後にした。
「気持ちは分かるが意識しすぎだろ」
「まあ決勝でこてんぱんにやられた相手チームのエースですからね」
「今更どうでもいいんだがな」
インターハイ決勝の試合は、三十六高が大差で負けていた。まるでくじ運が良かったから決勝まで残れたというような負け方だった。
とはいえ、貴文も今更過去を蒸し返す気もない。それを言ったら貴文がいた高校など、インターハイ本戦は初戦の前半だけでクリティカル・ゲームだ。結果だけを考えればギブアップしても良かったが、貴文はどうしても強豪との試合経験が欲しかったので、チームメイトに無理を言って最後まで試合をしてもらった。
その経験はプロ加入後見事に活かされ、同期の誰よりも早く出世できたが、その時のチームメイトには今でもいじられる。
逆に言えばその程度の過去だ。今蒸し返して、章吾と比較する気はさらさらなかった。何より――。
「そもそもお互いのチーム状況が違うだろ。三十六高は絶対的な『スターリー』がいて尾崎はサポートに回るしかなかったが、長野政柄は浅野が中心で、『スターリー』は飾りみたいな感じだったしな」
「決勝の尾崎君、それまでの疲労が溜まってて明らかにバッテバテでしたもんね。ぶっちゃけあの時の三十六高って、尾崎君と『スターリー』以外たいした選手いませんでしたし。その『スターリー』の子も今はプロ入りして早くもベンチ入りしてますし。一方の長野政柄の『スターリー』は、大学に行ってから今のところ全然名前聞いてません」
「まあ決勝の試合を観た限り、尾崎は一人で7人分の守備をしていたかんじだったしな。1回戦からそんなことしてれば、そりゃスタミナも切れるわ。『ミン賞』を取ったのも納得だ」
「ですよね。ところでなんで今になって浅野君の話を? 最近会ったんですか?」
「いやない。ただひょっとしたらうちに来るかもしれないって……」
「……………………………はあ!?」
広子が今まで見せたことがないような顔をした。
「え、だってあの浅野章吾ですよ!? 卒業後プロ入りどころか、海外挑戦の話すら出ている浅野章吾ですよ!? それがなんの罰ゲームでこんな底辺の木っ端大学に入るんですか!? いったいいくら札束積んだんです!? 喧嘩売ってます!? 訴えますよ!」
「とりあえずお前は俺に喧嘩売ってるよな」
「あ、すみません……」
少し冷静になり広子が謝る。
だが貴文も考えていることは広子とだいたい同じだ。
「まあ俺もお前とにたようなもんだ。あの実力じゃ、うちの大学では手に余りすぎる。学長からスカウトするよう打診されたんだが、やはり断るほうがよさそうだ。身の丈に合った選手を選ばないとチームが崩壊する場合もあるからな」
貴文はプロ時代の経験からそういうケースを数多く知っていた。チームを運営するお偉いさんは、有名な選手を中心におけば、すぐにチームが強くなって人気も出ると思っているらしいが、その分他の選手の予算が圧迫され、またチームの和も乱れる。金のかかっていない大学ザバルでそこまでひどくなるとは思えないが、やはり章吾の加入が波紋を広げることは明らかだった。
「もっともあくまであの学長の希望的推測で、実際には来るはずないだろうけどな。ただ学長にも言われたし、高校に対する顔見せもかねて会ってみようとは思うが――」
貴文がそう言いかけたところで、スマートホンに着信が入る。番号を見ると、かつて所属したチームのコーチからだった。確か今は別のチームの監督をやっていたはず。選手を引退してからほとんど交流は途絶えていたが、今更何の用なのか、
(まさかうちの選手の青田買い……)
一瞬そう思ったが、「さすがにないな」とすぐに否定する。まだ1年だし、そもそも選手達の大学での実績は皆無に近い。監督になったばかりの自分をスカウトするようにも思えず、心当たりは何一つ見つけられなかった。
「もしもし」
それでも貴文はとりあえず電話に出る。あの女のように居留守を使わなければならない相手でもない。
『おお、内田か。大学の監督になったんだってな。とりあえずはおめでとう』
「苦労が増えましたけどね。それで、随分ご無沙汰でしたけど、今日は一体?」
『単刀直入に言う。浅野章吾のことだ』
「ああ……」
貴文はようやく合点がいった。
どうやら章吾が振興大学に入るかもしれないという情報は、プロチームの間でも流れているらしい。そりゃ超一流の選手が三流大学に入るかもしれないとあっては、指導者として黙ってはいられないのだろう。
「私もその話は聞きましたが、さすがに噂レベルの話でしょう。分は弁えているつもりですよ」
『いや、どうも本気らしいんだ』
「はあ!?」
今度は貴文が見たこともない顔をする番だった。
「な、なんで!?」
『あの子は以前お前が参加したふれあい教室で、血尿が出るぐらいぼこぼこにされたらしいが、それ以来お前を尊敬するようになったらしい』
「またか……」
貴文はため息を吐いた。
逆算すると、その頃の章吾はおそらく小学校2年ぐらいだったはず。そんな子供相手に本気で、しかも血尿が出るほど叩きのめすとはどんな鬼畜だ。これでよく保護者から文句が出なかったなとつくづく思う。
(まああったらあったで、性格的に絶対無視してたと思うけど)
ひょっとしたら実際苦情があったのかもしれない。今は疎遠になったその頃のマネージャーの苦労が忍ばれる。
『だから言ったんだよ。選手辞めたらお前はプロチームの指導者になるべきだって』
「すみません。あの時はショックが大きすぎて、ザバルから距離を置きたかったので……。それにしても本当の話だったんですね」
『俺も他のチームに行くならまだ納得出来たんだが、さすがにお前のとことなるとな……』
「申し訳ありません」
貴文にはそう答えることしか出来なかった。逆の立場なら相手が年上でも嫌みと説教の長電話をしたところだ。
『とにかくあの子は日本の宝だ。そこをよく考えておいてくれ。それじゃあな』
「はい」
用件だけ伝えると、世間話もなく電話は切られた。そういえばこういう性格の人だったなと、電話が終わってから貴文は思いだす。
「あの……端で聞いていた感じだと、どうも本当みたいですね」
「ああ。しかもまた俺が原因らしい」
「ですよねー。最近毎日会ってるから慣れてきましたけど、監督ってやっぱり超一流の人間なんですね。よくこの学校に来ましたよね……」
「俺も去年の今頃はこの大学でザバル教えるなんて想像もしてなかったぞ」
「来年はどっかに引き抜かれていないかもしれませんねー。というかその可能性高そう……」
「せめてお前らが卒業するまでは責任取っていてやるよ」
先のことは分からない。ただどんなに短くても4年間は全うしようと、心に誓っていた。もちろん福原学長にクビにされた場合はその限りではないが。
「ああ、そうそう、大事なこと言い忘れてた。俺が長野行ってる間、お前が練習見ておいてくれないか?」
「そんな子供にお使い頼むような気軽さで!? む、無理ですよ!」
「まあ物は試しだ。というか今コーチがいないから、こういうこと頼れるのお前だけなんだよ。いつも練習見てるし流れも把握してるからまあ問題ないだろ」
「でも自分が入って連携練習とか絶対無理です!」
貴文は練習中部員に混じってプレーしながら指示を出すことがよくあった。練習程度ならたいした負担にもならず、また指示も出しやすい。これだけは確かに運動神経が出産と同時にご逝去された広子に、務まる役目ではなかった。
「俺もそこまでは期待してない。できるかぎりでいいし、具体的な指示もしておく」
「うう、監督がそこまで言うのなら自信0だけど頑張ります……」
「よろしくな。あとチケット明日の朝出発で頼むわ」
「心の準備も出来ないままいきなり明日から……了解です……」
全てを広子に丸投げし、貴文の長野来訪は決まった。
翌朝、貴文はちょうど山梨あたりにいた。
(あの野郎……)
椅子に当たっている腰が痛い。
昨日の夜貴文が広子に向けた指示書を作成していると、その広子から連絡が入った。夜も遅かったので、話なら明日にしてくれと言った貴文に広子は、
「それじゃあ間に合いません」
と耳を疑いたくなるセリフを言った。
広子は突然監督代理をやらされた腹いせとばかり、深夜発、新宿長野間の高速バスのチケットを経費削減の名目で取ったのである。しかも直前キャンセル分の大幅割引というおまけ付きだ。そりゃ今から2時間後の出発なら値段も安くなるだろうさと文句を言いたくなったが、買ってしまったものはどうしようもない。「深夜は広い意味で朝です」と強引すぎる説得もされ、貴文は急いで準備を整え新宿に向かい、バスに飛び乗った。
(ていうかこれなら自分の車で行けば良かった……)
現役時代の高級車は全て売っぱらってしまったが、大衆車を1台だけ残してた。そちらの方が未だ座り心地はマシだったかもしれない。
(そもそも、長野に着くの日の出直後じゃねえかよ。学校が開くまでどうやって時間潰せと)
体はぎしぎし痛いし、不満は止めどなく出る。
貴文は今度から広子を敵に回すような真似は控えようと心に誓った……。
元日本代表『スターリー』は早朝の長野駅で独り寂しく漫画喫茶で時間を潰し、スーパー銭湯で身だしなみを整え、バスに乗って高校へと向かう。
長野政柄は名門校だけあって、校門が開くか開かないかの頃には既に朝練が始まっており、貴文は別のそこまで時間を潰す必要はなかったのではないかと後悔した。長野政柄の設備は振興大学をはるかに凌ぎ、『ワールド』だけでも5本以上あった。長野駅からバスに1時間はゆられて来たので、それぐらい山奥でないとここまで広い敷地は難しいのだろう。
貴文は生徒達を横目に見ながら、話が出来そうな人間を探した。
できれば監督と話して、こちらから断りを入れたい。それが章吾のためだ。
だが監督の前に、一番会いたくなかった人間に見つかってしまった。
「内田選手!」
「ああ……えっと浅野君だね……」
「お会いできて光栄です!」
200メートルほど離れていた場所から駆け寄り、問答無用で握手を求められる。貴文は反射的にそれを返した。
色黒で背が高く、バランスの取れた筋肉をしており、この年代でほぼ完成されたような体型をしていた。ぱっと見たかぎり、教え子達のような欠点らしい欠点も見当たらない。今の貴文ではどこを伸ばせばいいのかさえ分からなかった。
「内田選手の現役時代の試合は全て見ていました! 自分は初代表の時から絶対に大黒柱になるって思ってました!」
「あ、ありがとう。ところで監督はどこかな?」
「こちらです!」
練習を切り上げ、率先して貴文を案内する。本来ならこういうどうでもいい仕事は下級生にやらせるものだが、今回は主将が率先してその役目を果たした。移動している間も、散々内田貴文選手についての話を聞かされた。
松之助にしてもそうだが、何故本人以上に本人のことを知っているのか。本人は代表戦でさえ「たくさん点を取った」「あまり取れなかった」程度しか覚えていないというのに。
「ここです」
章吾に案内されたのは、2階建ての校舎だった。
貴文は一室がザバル部の部室と思ったが、章吾に「この建物全てが部の所有物です」と言われぎょっとする。おそらく寮も中にあるのだろうが、それにしても大きすぎる。いくら田舎で土地があるとは言え、高校でここまで巨大なものが作れるのかと貴文は感心した。
「失礼します、浅野です。内田選手をお連れしました」
「これはようこそ内田さん」
章吾が応接室らしき扉の前で声をかけると、監督の方から扉が開かれた。
「浅野、お前は外してろ。用があれば俺から呼ぶ」
「……はい」
章吾は少し不満そうな顔をしたが、素直に従い部屋を後にした。
「こちらへ」
「どうも……」
貴文は監督から勧められたソファーに座り、そのあと監督もテーブル越しの向かいのソファーに座った。
「初めまして。内田です」
「久保と申します。実は内田さんとは初対面ではないんですよ」
「そうだったんですか?」
「はい。代表の壮行会などで……。私など内田さんにとってはその他大勢ですから、さすがに覚えていろというのも無茶な話ですが……」
「それは申し訳ありません」
軽い皮肉に貴文は頭を下げる。
あの頃はとにかく興味の無いパーティーや講演会に参加させられ、山というほどお偉いさんと面通しをさせられた。芸能人と実際にチームで関わった人間以外、覚えている人間など一人もない。
「はは、仕方ありません。それよりこちらも粗茶も出さずに申し訳ありません。ただ部員に聞かれると困るので……。話は浅野のことですね」
「はい」
「単刀直入にお聞きします。内田さんは浅野を勧誘するつもりでここへ?」
「いえ」
貴文は即答した。
実際に会って、録画ほどの印象がなければ勧誘しても良いと考えていた。だが会った本人は想像以上で、自分の手には余ると確信した。たとえ章吾がどう思っていても、トータルで見てお互いのためにはならない。
貴文の返事に、久保監督はほっとする。
やはり秘蔵っ子を、名前も聞いたことが無いような大学にやらせたくはなかったようだ。
「いや、実は困っていたんですよ。福原さんには世話になってるし、本人は乗り気ですから、この上内田さんまで勧誘するつもりだったら、もう私には手も足も出なくて……。やはり内田さんはまだ選手目線で考えられる方だ。いくら何でもあの浅野が大学のそれも……いやすみません!」
久保監督ははげ頭を前面に出し、頭を下げた。窓から差し込む朝日が反射し貴文の目がくらむ。歳は20は上だが、まるで試合でミスをした後輩と話しているような気分だ。
「まあまあ、そう畏まらないで。ただ、私も学長に対する手前、説得した結果断られたと言いますが、このまま帰るのもさすがに……」
「そこは任せて下さい! ほどよ……ではなく、まだ手が着いていない有望な3年を紹介します!」
「ありがとうございます」
魚心あれば水心、だ。
わざわざ長野に来て手ぶらで帰っては福原学長に対して面目が立たない。
「できれば浅野君の変わりの『前バック』の子を……」
「・・・・・・」
そう言った瞬間、久保監督の顔が曇る。
「久保さん?」
「その、浅野には大学に入学が決まっている新人は『前バック』が多いから、今更お前の枠はなかったと説明するつもりで、それなのにうちから『前バック』の子は……」
「さすがにないですね……」
「ただ、高校同士の繋がりがありますから、他の先生方に聞いてみます。うち以外ならむしろ『前バック』が0の方がおかしいですから」
「それはありがたい」
そこまでしてもらえるなら、貴文にもなんら不満は無い。
「それにしても内田さんが話の分かる方で良かった。これが海青大学だったらと思うとゾットしますよ」
「海青大学……確か、去年創部されストレートで3部まであがったところですよね」
「ええ、境遇的には振興さんと似ているんですが、そのやり口がどうも……」
「やり口、ですか……」
「はい。スカウトでは親や高校の監督を札束で引っぱたくような真似をしたり、詐欺まがいのような手を使って有望な生徒を集めているらしいと。同じ新興学校でも、振興さんは福原さんの熱意と、内田さんのネームバリューだけですから綺麗なものですよ。聞いた話によると、福原さんは去年部を立ち上げるつもりだったらしいですが、海青の横やりが入って頓挫してしまったとか……」
「そんなことが……」
貴文は資金力もチームの強さの1つと考えているので、札束云々に関して批判するつもりはない。ただ詐欺まがいというのは、絶対に認められなかった。弱みにつけ込むのが許されるのは、『ワールド』の中だけだ。
その一方で、福原学長の札束云々の話がただの冗談であったことにもほっとした。沙織あたり、そういう経緯で入ったかもと思ったがどうも違ったらしい。福原学長だけは貴文も清廉潔白なただのザバル馬鹿でいて欲しかった。
「ところで内田さんはこれからどうされるつもりで?」
「とんぼ返りです。うちは青海さんと違って金がないので……」
「でしたらこういうのはどうでしょう――」
久保監督は貴文にある提案をする。
それは貴文とって非常に都合が良く、また魅力的だった――。
「……はい、……はい、わかりました」
放課後練習の前、広子は貴文からの電話を死んだような顔で受けていた。
「どうした大石?」
「……監督、長野政柄の講演会の人達の歓迎会に参加するから、帰りは明日の昼頃になるって」
「ああ……」
話を聞いた陽介は広子に心底同情した。
早朝から広子はずっと練習を見ているが、やはりかなり上っ滑りしている。監督の変わりをするというのは、指示されたメニューを伝えればいいというものではない。その練習内容について、一つ一つ判断する必要がある。それがあまり的確とは言えなかった。
知識は下手をすると貴文より上だが、実際に選手としてまともにプレーしたことはないので、出来ることと出来ないことがほとんど分かっていない。当然部員達に言いたいことはあったが、必死さだけは伝わったのでちぐはぐな指示も粛々とこなしていた。
「なあ大石」
「なに尾崎君」
「監督は浅野の話してたか?」
「それは……特に言わなかったけど、大事なら直接聞けば? ラインあるんだし」
「いや、いい」
松之助はそう言って柔軟を始める。
「あいつは一番監督を尊敬……というか崇拝してるからな。同じポジションの天才プレーヤーが入学となれば、気が気じゃないか」
「まあそうだろうねえ。私は今日の朝から気が気じゃないけど。ふふふ……」
広子は邪悪な笑みを浮かべる。
「・・・・・・」
陽介は帰ってきた貴文がどうなるか、不安でもあり楽しみでもあった。
太陽が真南にさしかかった頃――。
「昨日といい今日といいありがとうございました」
「いえいえ、私達も内田選手の話が聞けて楽しかったですよ。政柄の選手が入学したらよろしくお願いしますよ」
「はい」
貴文は南千住に戻ってきた。
帰りも車だったが、歓迎会のあと講演会の人に送って貰い、途中で好きなだけ飲み食いしながら帰るという、まさにお大尽のような扱いだった。現役時代も同じようなことはあったが、その時は完全に下心ありの接待だったので、ほとんど楽しめなかった。今回も無いわけではないだろうが、貴文自身がそれを見抜けなければ無償も同然だ。
「あー、まだちょっと酒が残ってるかな」
自分の身体をクンクン嗅ぎながら、貴文は新興大学に向かう。今は練習時間ではないので、練習場に行く必要もない。それより福原学長に事の顛末を報告する義務があった。
貴文は念のためトイレで身だしなみを整えてから学長室に向かう。
「内田です」
「入って構わんよ」
「失礼します」
福原学長は、ちょうど書類に目を通しているところだった。
おそらく運営に関するものと思い、貴文はあえて目を逸らす。好奇心で何でも知りたがった子供時代は、かなり前に終わりを迎えた。今は知るべきものと知らぬべきものの区別はついている。
「君も見てみたまえ」
しかし、他ならぬ福原学長自身がその書類を貴文に見せる。
こうなっては貴文も見ないわけにはいかない。
「これは……」
渡された書類には人の名前が羅列されていた。ただ社会人は一人もおらず、全員が高校3年生だ。
つまり――。
「さきほど長野政柄の監督から電話があったよ。どうやら浅野君には断られたらしいな」
「はい」
貴文は平静を装いながら頷く。
「久保君は色々迷惑かけたと非常に恐縮していたよ。その変わりと言って渡されたのがそのリストだ」
「有力新人、ですね」
「ああ、彼のコネを使って振興に来ても言いといっている、進路未定の学生達をまとめてくれたようだ。浅野君ほどの才能を持つ子はいないが、人がいない我が振興ザバル部はむしろ質より量で、そちらの方がありがたい」
「そう言っていただけると幸いです」
「ほう、まるで君がそうなるように仕向けたかのような言い回しだな。浅野君と引き替えに」
「いやそれは……」
口を滑らせたと、貴文は後悔した。褒められて調子に乗るのは現役時代からの悪い癖だ。
「ふ、まあいい。これからは君のチームだ。頼まれれば私も相談に乗るが、基本は君が選ぶといい。今は状況が状況だから直接全員に会いに行くことは難しいかもしれん。しかし、折を見て彼らに会いに行くといいだろう」
「はい」
「話は以上だ。向こうで色々歓迎されたようだから、今日からすぐに職務に戻って欲しい」
「……はい」
貴文は一礼して部屋を出る。
(なんとか助かった……のか?)
そう思った方が良さそうだった。
それから貴文はリストを見ながら研究室に向かう。
リストには名前以外にも経歴とポジション、そしてワンポイントのコメントがあり、監督の言葉通り長野政柄の『前バック』はいなかった。出身地はやはり長野中心で、インターハイに出場した選手は少なかった。それでも20人以上いるリストは、人不足の振興大学ザバル部にとっては本当にありがたかった。
「なるほど、肩が良くて口が上手い、と……」
貴文が研究室に戻ると、机には行く前にはなかった紙の束……というか山があった。山の上には1枚のメモが。
貴文がそれを読むと、
『練習を見て問題点をまとめました。今日中に確認しておいて下さいね』
という広子の書き置きであった。
(今日中か……)
どうやらかなり恨まれたらしい。
さらに昨日留守にしたために、講義の仕事もだいぶ溜まっている。リストの選手を自分で調べることも合わせると先が見えない。
(徹夜だこれ……)
禍福はあざなえる縄のごとし。
この言葉がこれ以上身に沁みた日は今まで無かった。
しかし人を呪えば穴2つ。
広子も無事というわけにはいかなかった。
「あれ、カントク戻って来たんじゃないの?」
「急な仕事が入ったため、引き続き私が練習を見ることになりました……」
沙織の質問に、死んだ魚のような目で広子は答えた。
放課後練習の1時間前、貴文からスマートホンのSNSを通して、
『資料の件、大変有り難うございました。より練習の精度を高めるため、今日は熟読するので、練習はご慧眼を持つ大石様に、是非とも続けて一任したいと思います(ドクロマーク)』
と言う連絡があった。
「とりあえず、練習内容の指示は出てるの?」
「うん、いちおう2日分は……」
「私は誰がいようが完璧な練習をするまでですわ!」
聡美が早くも暴走の兆しを見せ、広子の胃を苦しめる。
広子もこれから喧嘩を売る場合は、自分のリスクもよく考えてからしようと心に誓った。
「なあ大石、監督帰ってきたのか?」
「うん、昼には。多分今教授室にいるんじゃ無いかな。いや、絶対いる」
「今日の練習ちょっと外していいか」
松之助はただならない様子で言った。一人抜けただけでも混乱して何が何だか分からなくなりそうだが、こうなると広子も駄目とは言えない。
「
「分かった」
松之助は教授室に向かって駆け出した。
「一体何でござろうか?」
「さあ。でもなんか青春っぽいよな」
「アンタのくっさい顔で青春言われてもねえ……」
「うおー! 絶対有名になって女子アナハーレム作ってやる!」
広子のレポートは前々から書かれていた物で、時系列は無茶苦茶だったが実際参考になった。愚痴だけなら読んだと言いシュレッダーに直行させたが、本当に為になるので無視できない。ただ、嫌がらせのため全くまとめられていないので、異常に読むのに疲れた。
そんなとき、教授室の扉が叩かれる。今は資料を読んでいるだけなので、貴文は相手が誰かも聞かず、「どうぞ」と入るよう促した。
「失礼します」
「ああ、尾崎か。今練習中のはずだがどうした?」
「……浅野のことです」
「ああ、それか。その話なら断った」
「やっぱり!」
松之助はレポートを読んでいた貴文を、強引に椅子ごと自分の方へ向かせる。
目一杯真剣な顔をしていても、この童顔ではあまり迫力がなかった。
それでも構わずに松之助は言った。
「あいつを入部させて下さい!」
「は? いきなりどうした」
「その、俺のことが原因であいつの入部を断るようだったら、監督に合わせる顔がないから……」
「待て待て、話が見えん。順序立てて話してくれ」
貴文はとりあえず松之助を落ち着かせる。
「その、監督が浅野の話を聞いたとき、俺すごく動揺したんです。浅野が来れば自分がベンチ入りすることが明らかでしたから。だから、できれば来て欲しくないと思ったんですけど、嘘つくわけにもいかず正直に話してたら自分が惨めになって……。それで、そのあと大石から浅野の入部を監督が断りそうだって話聞いて、もしかしたら俺が逃げ出した責任かなって……」
「結論から言っておく。100%お前は関係ない。俺が打算で決めた結果だ」
「打算?」
松之助は鸚鵡返しに言った。貴文の反応は全く想像出来なかったらしい。
「まず大前提として、今の振興大学に浅野を育てられる力は無い。もし並の選手にしか育てられなかったら、評判はがた落ちでそれ以降のスカウトも厳しくなるだろう。だがここで断れば、向こうの監督に恩は売れるわ、他の高校も紹介してもらえるわ良いことだらけだ。ザバルはチームスポーツだ。たった1人の伝説的なプレーヤーがいたところで、チームが劇的に強くなるわけじゃない。お前もオリンピックのクエート代表の話は知ってるだろ?」
「あれは……」
松之助は乏しい知識からなんとかそれを思いだす。
今から20年ほど前のオリンピックの時、クエートはオイルマネーにものを言わせ、当時最高の『スターリー』と呼ばれた南アフリカのジェームス・ブラインを帰化させた。ブラインは前大会のオリンピックでも得点王になり、カタールは当然代表の躍進を期待した。しかし蓋を開けてみれば、ブラインのプレーに周りがついて行けず、ブライン抜きで予選を突破したチームはブライン加入の本戦で空中分解。呆れたブラインはグループリーグ敗退直後に代表引退を表明し、散々な結果だった。
「――て言う話でしたよね」
「そうだ。今の俺達はクエートで浅野はブラインだ。アレが原因でクエートは長い間低迷し、ブラインも選手としてのキャリアを棒に振った。俺はその二の舞を演じる気はない」
「それが理由だったんですか……」
松之助はほっと胸をなで下ろした。
貴文はその頭をぽんぽんと叩く。
「お前らは余計なこと考えないで、毎日死ぬ気で練習してればいいんだよ。その結果負けたらそれは俺の責任だ」
「監督……」
「しかし、お前といい浅野といい、俺って妙な連中に好かれるな」
「あ、それは……」
松之助が気まずそうな顔をする。
当然それを見逃す貴文ではない。
「言え」
「お……押忍。実はあいつが監督の熱狂的な信者になったのは、俺が原因なんです。アイツ、帯状疱疹出るほど監督に大人げなくぼこぼこにされてから、一時期監督のことめっちゃ嫌ってたんです」
「どんどん俺の罪状と業が増えていくんだが……」
「それで同じ小学校でザバル部だった俺の前でも監督の悪口言うようになったから、監督がいかに素晴らしいか教えてやったんです」
「い、いかほど?」
「俺が中学校を卒業するまでですから――」
「ちょっと待て。なんでいきなり小学校が中学校に?」
「ああ、小中と同じだったんですよ。俺には長野政柄から推薦が来なかったから高校は別れましたけど。それで合計6年は教育してやりました」
「・・・・・・」
貴文はしばらく呆然とし、そして言った。
「浅野のスカウトは関係ないが、アイツがおかしくなったのは100%お前が原因じゃねーか!!!」
「すみませーん!」
貴文は、もしまかり間違って一般で章吾が新興大学に来てしまったら、松之助共々腹を切らなければならないと思いながら、松之助を思いっきり張り倒すのだった。
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