第10話 恋する子豚の正しい方法

 春樹も万全の状態でメンバー入りし、『龍起杯』2回戦も無事振興大学の勝利で終わった。

 かつては高校生にすら負けると思われたチームも、試合や、深刻だったりどうしよもないほど馬鹿馬鹿しい問題を乗り越えていくうちに、本人達同様の成長を見せた。

 少しずつ頼もしくなっていく教え子達に、指導者の喜びを教えられる貴文。

 だが、教えられるのはまだ喜び以外の物の方が多かった……。


 試合終了後、貴文は部員達にまずうやむやだった風邪を引いたときの話をした。

「小野と本宮の時は小見川の厚意に甘えたが、やはり風邪を引いた際は自腹で部屋を借りて、そこで治るまで隔離するのが最善だと判断した。スポーツ特待生というのはいわばセミプロだ。お前達もその自覚を持つ必要がある」

「うへぇ~」

 部内で最も金遣いの荒い沙織が心底嫌そうな顔をする。

「拙者は別に構わんでござるよ」

「ほらほら、本人もそう言ってるし」

「駄目だ」

 貴文は一蹴した。

「うちだけ特例で一般生を寮に泊めるのも問題があるし、小見川に風邪が感染る可能性も高くなる。なにより普通の学生気分で風邪を引いてもいいや、などと思うことこそ論外だ」

 一番の理由であるグリーンが寮にいると色々風紀が乱れる、という理由は貴文は胸にしまっておいた。

「これはもう決定事項だ。いやなら風邪を引かないような生活をしろ。返事は!」

『はい!』

 グリーンの寮生活に思うところがあったのか、おもに男性部員が強く返事をした。

「よろしい。それと三上」

「は、はい!?」

 自分が指名されたこに、隆は顔を一瞬で青くする。

 試合後の名指しは、褒めるためではなく問題児への説教だ。

 今まで何をしたのか不安になり、歯をガチガチと鳴らした。

「お前本当にメンタルがアレだな……。今回は三上だけ居残りではなく全員に聞いて欲しい。今まで三上は『フラッター』として試合に出てきたが、『シッカリ』としてはまだ一度も出ていない。このままだと当分ベンチの飾りになる。とはいえ、今まで練習で試してきたポジションはどれもアレな感じで、試合で使えるかと聞かれれば、首を横に振らざるをえない」

『・・・・・』

 部員達は黙りこむ。

 確かに隆はどのポジションもそつなくこなすたが、秋雄やグリーンに比べるとかなり劣り、どうにも収まっている感じがしなかった。

「俺も最初は小見川のようなオールマイティーにサブポジションを増やすつもりだった。だが、今はむしろ『フラッター』を含めて二つに絞った方がいいと思う。そこでお前らに聞きたい。お前らは三上にどのポジションをやって貰いたい?」

『ええー!?』

 全員が異口同音に驚く。

 指導者が他の選手にやらせたいポジションを聞くなど前代未聞だ。

 それは貴文も分かっていた。現役時代そんなことを監督に言われたら、なんだこいつと馬鹿にしただろう。

 だが、今の貴文には本当に何一つ隆のサブポジションについて、糸口が見つからないのだ。『フラッター』のみは論外として、じゃあ他に何があるかと聞かれたら「何?」と逆に聞き返したくなる心境だ。なにより隆自身に聞いた際「試合に出られるならどこでも」と、お茶を濁すような答えしか貰えなかったため、もはや部員に頼るしかない状況だった。

 普通ならこの提案に、選手は嫌な思いをする。同期に自分のポジションをどうこう言われていい気はしない。だが気が小さい割に責任感が強い隆は、むしろ安心したようにこの提案を受け入れた。

「その、僕も自分でどこをやればいいのか迷走してる状態で……。誰かに指標を示してもらえると助かるんですが……」

「そうだなー、とりあえず俺とアキの両サイドはあんまりやって欲しくないわ」

「まあハルの相方をこなせるのなんて俺ぐらいだしね。俺もハルがいないのに『左ライト』やろうとは思わないし」

「そこはそうだろうな」

 春樹と秋雄のポジションは貴文もいじるつもりはなかった。この2人は部内でもダントツで連携が取れている。それは大きな強みだ。

「押忍! 『フラッター』は自分一人で充分っす!」

 成長することにもてる血道を見いだした翔は、力の限り宣言する。

 貴文も言われるまでも無くそのつもりはない。翔の変わりに出場していたときも、「サブポジションなら」という前提つきで合格点が与えられる程度のプレーだった。ただ散々迷惑をかけられたこのアホをからかうため、「でもなあ……」とあえて考える振りをした。

「特にないですけど……『フロント後』なら俺がかわりにできると思います」

「そういえば小森たまに練習でやってたな」

「どこか欠けたら必然的にグリーンの位置が空くから、そこを誰かがかわりにやらなくちゃいけないと思って。グリーンと練習してきました」

「頑張ったでござるよ」

「となるとそこは無しで、当然『スターリー』は……」

「私がいる以上ありえませんわ!」

 全力で聡美が否定する。

「まあ俺としても、サブで『スターリー』やられても困るしな。となると今言ったポジション以外で――」

「で、できれば『前バック』も……」

 松之助がおずおずと切り出す。

 言えば自分がポジションを奪われることを怖がっていると思われるため、はっきりとは言えなかった。

「……となると残りは」

「あのさー」

 唐突に沙織が手を上げる。

「あたしと未央っちで話してたんだけど、このチームに『コンダクター』が欲しいなって」

「『コンダクター』か……」

 現在『コンダクター』が出来る部員はグリーンしかおらず、そのグリーンにしてもそこまで『コンダクター』の才能があるようには思えない。『コンダクター』は改めて言うまでも無く、おもに女性選手と男性選手のプレーを繋ぐポジションで、求められる能力は調整力だ。『コンダクター』自体は目立つ必要は無いが、女性選手達を目立たせるため、『芸術点』重視のチームには『コンダクター』は欠かすことができないポジションだった。

「今まであたしぜんっぜん『芸術点』が稼げなくて、普通に守備重視のプレーしててホント何のための『マネ』なのか疑問に思うようになってきたんだけど……ていうか多分『芸術点』より『実得点』の方が多いかもだし。未央っちに至っては芸術的にほぼ空気だし」

「あはは……」

 力なく未央は笑う。

 未央の『ペットン』は『マネ』ほど『芸術点』が稼げるポジションではなく、さらに守備中心で目立たない。今までの試合では二人とも地味に頑張っているが、本当に地味な活躍だった。沙織が縁の下の力持ち的な役割があっていると思っていた貴文の見立ては、少なくとも間違いではなかった。

「高校時代はさすがにもっと目立ってたわよ。試合前の化粧する度に鏡に向かって「うちなんでこんなことしてるんやろ……」って思うの、いい加減限界なんだけど」

「そうだな……。いくらなんでもそんな不毛な『マネ』を続けさせるわけにもいかないか……。よし、これから三上は『コンダクター』と万が一の『フラッター』だけサブポジションの練習をしろ。お前の性格的にも『コンダクター』は合ってるだろ」

 男女両方の鎹になる『コンダクター』は、『スターリー』に求められるものとは全く逆の資質――謙虚さや安定感が要求される。隆はそのどちらも備わっているが、ポジション以前の問題である気の弱さが、果たしてどこまでプレーに影響するか。実際に試合に使ってみないことには、貴文にも読めなかった。

「それじゃあ今日からそのつもりで練習を始めるぞ。三上と近藤と藤井は事前に色々相談して、スムーズに練習には入れるようにしておけ」

『はい』

 この日も午前中の試合で、それからはいつものように自主練と授業があり、次の練習は放課後になってからだった。相談する時間なら充分ある。

 おそらく音頭を取るのは沙織だろう。未央と隆は自己主張が弱く、またポジション的にも脇役といえるので、それが最善なのかもしれない。隆のポジションが固まれば、チームの未来もだいぶ見えてくる。

 貴文はくだらない問題が片付き、ようやくチームが前に進めたことに手ごたえを感じていた。

 

 よりくだらない問題がまだまだ控えていることも知らずに……。


『・・・・・・』

 その日の放課後、3人のいつもと違う様子に貴文は違和感を覚えた。

 沙織と未央が何か不機嫌そうで、隆は困った顔をしている。

(あ、三上はいつも通りか)

 正確には2人だった。

 貴文はとりあえず練習が始まる前に3人を呼んだ。

「それで、だいたいの方針はついたか?」

『・・・・・・』

 3人は無言のままで、何も言わず何もしようとしない。

「おい――」

「あの……」

 貴文が説教を始めようとした寸前で、おずおずと隆が手を上げた。「そのことなんですが……」

 隆はこんな状況に陥った事情を、怯えながら話し始めた。


 試合後、3人はすぐに近くのハンバーガー店で、ミーティングという名の井戸端会議を始めたらしい。指導者として昼飯は栄養のバランスを考えた物をとって欲しかったが、今は言っても無駄そうだったので黙っていた。

 しかし沙織の話はいつまで経ってもザバルの方に向かわず、2人はどうにか軌道修正しようと、しなくてもいい努力をまず延々させられたらしい。


「それが原因か?」

「いえ、近藤さんと話すときは毎回こんな感じなんで、それは僕も未央ちゃんも覚悟していました。問題はそれからで……」


 それでも沙織は無駄話を止めず、ネイルの話など、大して興味のない話を長時間聞かされた末、ようやく肝心のポジションの話になった。

 沙織の提案は、とにかく聡美のいない間は自分の『芸術点』を高くするプレーをして欲しい、聡美が入ったらおそらく自分が『サポ』になるので、隆の出番は無くなるだろう、というものだった。

 聞いていた貴文は、それが無難だろうなと沙織の話に賛同した。沙織の言う通り、貴文も『サポ』と『コンダクター』を一緒のワールドに立たせる気は無い。

 『サポ』もより『芸術点』を上げさせるためのポジションだが、『コンダクター』とは大分違う。『サポ』は任意の選手の『芸術点』を高めるポジションで、『コンダクター』は全員が『芸術点』を出せる環境を作り上げるポジションだ。「『芸術点』を獲得する『サポ』と『コンダクター』は二流」とまで言われるほど、どちらも黒子に徹するポジションで、7人のプレーヤーに裏方2人は多すぎた。もしそうすれば、俗に『演劇チーム』と呼ばれる、『芸術点』のみを求めるチームになってしまう。貴文の理想としているチームとはかけ離れすぎだ。

 

「言っておくがそれで切れたなら、お前達が問題だぞ。近藤の話は理に適っている」

「いえ、実はまだ続きが……」

「話長いな! 最初から結論を言え!」

「はい……」


 ポジションに関しては2人に反論はなかった。

 それからまた沙織の雑談が始まる。2人はもう止められないものと諦め、ハンバーガーを食べながら聞き流していた。

 だが何気なく言った沙織の一言が未央の逆鱗に触れた。

「まあでも未央っちも、地味眼鏡くんと良く付き合ってるよね。地味同士お似合いのカップルだけど」

「だから別に付き合ってるわけじゃ……」

 隆の言葉に未央もぶんぶんと首を縦に振る。


「それはさすがに言いすぎだな……」

「いえ、これはまだギリギリでセーフだったんですけど……」

「お前ら沸点高いな……」


 二人の反応にむしろ沙織の方が表情を変える。

「まだそんなこと言ってるの? ホンマしゃーない話やで……。ていうか『シッカリ』ってなんなん? しっかりしてる人間が『シッカリ』なんてやるかってーの」

「このでれすけが!」

 そこでついに未央の堪忍袋が切れた。

「なんもしんねーくせに勝手なこと言ってんじゃねえっペ!」

「な、なんやねんいきなり……」

 お互い感情が爆発したことで、日頃使ってない方言がハンバーガー店に響わたった。

「べ、別に本当のことなんやしええやん!」

 沙織もそこで素直に謝れば良かったのだが、何故か意地になって言い返してしまった。

「おめえとはもう絶交だ!」

 未央はそう言って、無理矢理隆を引き連れ店をでた。


「……と言うのが顛末です」

「なるほど。まあそれは近藤の言い過ぎだな。彼氏貶されて怒らない奴もいないだろ」

「だ、だ、だ、だから彼氏じゃないですって!」

「いや、部内は原則恋愛禁止だが、別に前から付き合ってるなら黙認――」

「だから本当に付き合ってないんです」

 今度は幾分トーンを落として隆は言った。

「いや、でもお前ら前に聞いたとき、明らかに挙動不審だったじゃないか」

「いきなりあんなこと言われれば、誰だって取り乱しますよ」

「俺ならはっきりノーと言ったあと、「だったら付き合う?」ぐらいの切り返ししたけどな」

「監督はレベルが高すぎます……」

 貴文は隆にため息を吐かれた。

「とにかく未央ちゃんが怒ったのは僕のことが関係……してないわけでもないですけど、それ以上に身内を馬鹿にされたからです。前にも話しましたけどお兄さんも『シッカリ』で、監督だったおじさんも『シッカリ』でしたから」

「例の監督って藤井の親戚だったのか……」

「はい。未央ちゃんと付き合うという事は、あの人達ともより親密になるって話で僕にはどうも……」

「なるほどな……」

 もとは『スターリー』志望だった隆を、強引に『シッカリ』するような人間達だ。おそらくとてつもないバイタリティに溢れ、独善的なのだろう。身内を知っているとつきあえないというのは、貴文にも分かる話だった。両親がカルト教団の信者だった子と付き合っていたときは、本当にとんでもない目に……。

「監督?」

「いや、少し昔の修羅場を思い出しただけだ。とりあえず近藤!」

「・・・・・・」

 沙織は不機嫌な表情のまま、返事もせずに貴文の方を向く。

「三上から話を聞いた限り、全面的にお前が悪い。藤井に謝っとけ」

「……それは監督命令ですか?」

「!」

 貴文は思わず沙織を引っぱたいた。

 今までツッコミ半分で殴ったことはあったが、言い訳のできない体罰をしたのはこれが初めてだ。だが、それでも沙織の態度はスポーツをする人間として、到底許せるものではなかった。

「テメエはガキか! 下らねえことで意地になってんじゃねえ! ここから出て行け! 今のお前にザバルをする資格はない!」

「……!」

 普段は全く見せない貴文の本気の怒りに、沙織は初め呆然とし、それから目に涙をため『ワールド』から走り去っていった。

(……まいったなあ)

 沙織が出て行ってから、貴文はもう少しやりようがあったのでは無いかと後悔する。だがそうは思っても、引っぱたいたこと自体は後悔していない。本人が悪いと思っていないのなら、絶対にそれを理解させる義務が指導者――それ以前に大人にはあるのだ。そうでなければ大事な子供を預けてくれた両親に申し訳が立たない。

「あの……監督……」

 三上がおずおずと聞く。

「とりあえず今日の練習は近藤抜きでする。ポジションは――」 

 それから貴文は全体にフォーメーションの指示を出す。監督として、誰が欠けても試合になるようにフォーメーションは常日頃から色々考えていた。

 まさかこんな形でそれを試すことになるとは予想していなかったが。

 

 そしてその日は部全体が重い空気に支配されたまま、あまりさえない練習内容となった……。


 その日の練習終了後、貴文は1人居酒屋に向かった。

 このやるせなさは酒の力を借りないと解消できない。

 南千住は三ノ輪や浅草が近く、居酒屋にはこと欠かない。店は掃いて捨てるほどある。

 にもかかわらず、この日貴文が適当に選んだ店には既によく知る先客がいた。

「・・・・・・」

 突然現れ貴文に、沙織は絶句する。

 そんな沙織には構わず、

「おら、部以前に二十歳前は飲酒厳禁だ」

 貴文はカウンターに座っていた沙織の前にあった、黄色い炭酸飲料をぶんどって飲む。

「……げほっ! げほっ!」

「ただのジンジャーエールですよ。今は居酒屋でフツーに飯だけ食う人間もザラですし。あー、そうやって一気に飲むから……」

「げほっ、あー死ぬかと思った。昔はそれでも飲めたんだが、年は取りたくないな」

 貴文は沙織の隣に、当然のように座った。

「それで、お前があそこまで意地になって言わなかった理由はなんだ? 今は頭も落ち着いただろ」

「・・・・・・」

 沙織は黙り込む。

 貴文はその横でビールを頼んだ。酒があれば、何か言うまで間を持たせることも難しくはない。

「……言っても怒らない?」

 やがて沙織はそう話を切り出した。

「そう言われて実際に怒らなかった試しはないから、教師として誠実に怒ると答えよう」

「じゃあ言いません」

「言わなきゃここから帰さん。詳しくは知らんが、寮は門限破るとひどい折檻されるらしいな」

「……鬼教師」

「褒め言葉としてうけとってやろう」

「……はあ」

 お互い黙り込む。

 狭い居酒屋で貴文がコップにビールを注ぐ音だけがはっきりと聞こえた。

 沙織のケバい姿と相まって、まるで別れ話をしている訳あり男女のようだ。

 それから数分後、沈黙に耐えられなくなったのか根負けした、沙織がため息混じりに話し始める。

「正直自分でもよく分からないの。普段なら冗談言いながらに謝れたのに、あの時はずっと目配せしてる2人見てたらなんか腹立って……」

「……嫉妬か?」

「はあ!?」

 沙織は思わず椅子から立ち上がった。

「なんであたしが嫉妬せなアカンの!? ていうか相手はあの地味眼鏡君やで!? ベクトル違いすぎるわ! ありえへん! ほんまないわ! ちょっと目ぇ腐ってるんと違う自分!?」

「・・・・・・」

 貴文は暴言を聞き流し、瓶からビールを注ぐ。

 こういう店ではジョッキより瓶の方がペースが守れていい。そんなことを思いながら、沙織が落ち着くのを気長に待った。

「そ、そ、そ、そういうこと言うなら証拠見せいや! あんま調子に乗ってるとぼてくりまわすでホンマ! あー暑いなー今日は通天閣も溶けるんちゃう。あ、こっちならスカイツリーか! あはははは……は……」

「・・・・・・」

 沙織はゆっくり椅子に座った。

「落ち着いたか?」

「ええ、まあ」

「ちなみにあの2人は付き合っていないぞ。本人達に確認した」

「あれで!?」

 再び沙織は立ち上がる。

 関西人だけあって本当にオーバーアクションだ。

「……えらいすんません」

「まあ原則部内恋愛禁止だが、俺だって万能じゃないし、何より人の恋愛に興味も無い。隠されたら絶対にわからんだろうなあ」

「ホントマジでそう言うこと言わんといて下さい」

「……ところで話は変わるが、お前なんでいつもは標準語で話してるんだ?」

「いきなりですね。まあ、自分は大阪でもかなりガラの悪いところの出身で、東京進出を機にしゃべり方もおしゃれな標準語にしようと思って。監督だって元関西人で今完璧な標準語でしょ」

「よく知ってるな、俺が京都生まれって話したっけ?」

「ま、まあ監督の出身地なんて部員のほぼ全員知ってることだし!」

「あー、尾崎とか絶対そういう感じだよな……」


 その頃寮では――。


「京都の嵯峨出身で小学生1年のときまでは地元の公立学校に通っていたが、親の仕事を機に東京に引っ越す。その頃は野球少年で地元のリトルリーグに在籍し、ザバルに打ち込むようになったのは高学年になってから。しかし進学した中学にはザバル部はなく、仕方なく地元のクラブに加入し、高校は強豪校に入学しようとするも、推薦はもらえず仕方なく滑り止めの都立高校に。しかし高校にザバル部はなかったため自ら部をつくり、3年の時にはインターハイ出場という快挙を――」

「いきなりなに言ってんだ尾崎?」

「いや、なんか今監督のプロフィールを言わないと、自分の影がどんどん薄くなりそうな気が……。国府田にはそういうこと無い?」

「ないな」

「そうか……」


「まあお前も詳しく知りたかったら、俺が出してゴーストライターに書かせた自伝本を読め」

「そんなの買わなくても、尾崎に聞けば一発でしょ。それも本にも書かれていないことも」

「本当にありそうで怖いな」

「まあでも――」

 沙織は焼き鳥を食べながら伸びをする。

 酒は注文しなくても、食べ物は注文していたらしい。寮では朝と夜が必ず出されるが、それでも足りないスポーツ馬鹿が南千住界隈の飲食店に良く出没していた。

「確かに謝らないとなー。うし、明日はマジで謝ります」

「おう、そうしろそうしろ」

「あとここの勘定お願いしますねー」

「っち、しっかりしてやがる」

 貴文はあきれたが、この切り替えの速さが頼もしくもあった。数時間前に引っぱたかれた相手と平気で話せるのは、部内でも沙織だけだろう。話せるだけでなく、相手に垣根を作らせないのは希有な才能と言えた。

 貴文は沙織が店を出たあと、レシートですでに何本も焼き鳥を食べていることを知り、本当にしているのは誰だよと、思わず突っ込むのだった……。


 翌日の朝練――。

 今度は疲れた表情の未央と、異常に血色のいい沙織が『ワールド』に現れる。

 貴文はこれはこれで嫌な予感がし、前と同じようにすぐに隆を呼んだ。しかし今回は「寮で何かあったみたいなのでよく分かりません」という答えしか返ってこなかった。

 当人達に話を聞くと長くなりそうだったので、貴文は見なかったことにし、予定通りの練習を始めた。

 昨日のようなわだかまりがないので、今回の連携はスムーズに進んだ。そもそも昨日は肝心の沙織がいなかったのだから、連携も何も無い。

 そしてその日の早朝練習は無難に終わり、いつものように授業や自主練が始まると他ならぬ貴文は思っていたが――。


「注目!」

 練習終了後、沙織がいきなり部員達を呼び止める。

「今日の昼休み全員部室に集合! 遅れたらその場にいなかった奴の秘密をばらす!」

『ええ~!?』

 貴文も含めた全員が非難の声を上げる。

 未央が口だけでなく、本当にやる人間であることは全員が理解していた。

「ど……どうしましょう?」

 広子が貴文に相談する。

「そりゃおまえ……行くしかないだろ……」

 2人して深いため息を吐くのだった。


 昼休み、不安を抱えた全員が部室に現れる。

 またしても実験で遅れそうになった未央は、死にそうな顔で最後に到着した。

「さて、今日ここに集まってもらったのは他でもない――」

 沙織は全員を見回し、もったいぶって話す。今回ばかりは貴文も生徒に戻った気分だ。

「部内の恋愛事情について、だ!」

『・・・・・・・』

 突然の発言に、部員全員呆然とした。

「え、なんで?」

 中でも最も幼稚な春樹が真っ先に反応する。

「なんでってなんやねん」

「いや、だから今その話する必要あるのか?」

「ある!」

 珍しく全員の気持ちを代弁した春樹の言葉を、沙織が一蹴する。いつもは退けられる側の彼女が、今日は退ける側になった。

「私はこれまで地味眼鏡と未央っち付き合っているものと思っていた。だがそれは勘違いだった!」

「ちがったの!?」

 翔が一番反応する。他はどうでもいいと思っているのか、最初から知らなかったのかあまり変化はなかった。

「照れ隠しかと思ったけど本当に違ったみたい。そもそもこの勘違いが、全ての原因なのよ。あたしが地味眼鏡のことが好きだって思われるし」

「違うのか?」

 貴文の質問に沙織は首を横に振る。

「改めて未央っちと話して理由が分かったわ。あの時意固地になってたのは、嫉妬してたからじゃなくて、納得出来なかったからよ。ホントは付き合ってるくせに付き合ってないって言うし、地味眼鏡を馬鹿にされて当たり前のように切れるし……。おかしいやん! それなら素直に最初から付き合ってるって言うべきやろ! ほんま何一昔前の煮え切らないラブコメ漫画みたいなこと言いやがって、ぼてくりまわすぞ、と!」

「と……」

「それで今後もこういうもやもやした気持ちを抱かないよう、部内の恋愛事情をはっきりさせておきたいわけ」

「指導者として言わせてもらうが、死ぬほど下らん……」

「しかしあたしには超重要問題、だ! とりあえず彼女彼氏がいる奴は手を上げろ! 嘘ついてもすぐバレるからな!」

『・・・・・・』

 部員達は顔を見合わせたが、結局何人かが素直に手を上げた。

「へー、ほー、以外なのもいるわね。あとヤクザは無駄な見栄張るな。その坊主頭にぺんぺん草活けて生臭い生け花にするぞ」

「ひでえ……」

「そして言い出しっぺの私は現在彼氏なし! というかいても長続きせん! そこでこれから未央っちと地味眼鏡には、私に素敵な彼氏が作れるよう死ぬ気でサポートしてもらいたい!」

「……言っておくが、ザバルで『芸術点』を突き詰めたら丸山みたいになるぞ。もてるどころか逆により状況が悪化する」

 翔が仕返しとばかりぼそっとつぶやく。

 あのとき、当然のように手を上げなかった聡美は、何故か自信満々の表情だ。

 貴文も彼女だけは何を考えているのかさっぱり分からない。……何も考えてないだけかもしれないが。

「……まあそれはそれ! 部内の恋愛は禁止されているけど、部外の恋愛はセーフ! 将来有望ないい男見つけたらぁ!」

「せめてそう言うのは顧問がいないところで言ってくれ」

 貴文は深いため息を吐いた……。


 そして迎えたリーグ戦――。

 相手チームとの力関係もはっきりし、また今後の疲労も考え、貴文は今までフル出場だった松之助と陽介を下げ、隆が『フラッター』以来のスタメンを飾った。

 陽介まで下げたのは、今回の試合が『芸術点』を稼ぐことを目的とした試合だからである。実際、『実得点』では現時点でかなり後れを取っていた。

「何かベンチから見る光景って久しぶりだ……」

「あまりいいもんでもないけどな」

「まあお前からすればな」

 陽介の軽口に、松之助は苦笑した。

「ここからしか見えない景色もある。勉強しておけ」

「はい」

 言いながら松之助はメモ帳で今言った言葉を書き記す。松之助は新人サラリーマンよりマメに、貴文が何か言う度にをメモ帳に書き記していた。戯れに「どれぐらい書いたんだ?」と聞いたところ、メモ帳をとりながら「もうノート10冊は超えました」と言われたとき、陽介にも背筋に詰めたい汗が流れた。

 講義は全く聴いていないのに、一挙手一投足が見張られている。こいつの前では余計なことは絶対言えない。貴文は入学してから1ヶ月すぎた程度だというのに、それを嫌と言うほど思い知らされた。

「でもさすがに……」

「付け焼き刃だよなあ」

 松之助と陽介は揃ってため息を漏らす。

 沙織は今までの鬱憤を晴らすかのように目立とうとプレーし、未央と隆はどうにかしてそれを目立たせようと、『ワールド』中を右往左往する。グリーンでさえもどうカバーしたらいいかわからず、全員ポジションがあやふやだ。沙織は今までの試合ではしっかり他の選手もカバーしていたというのに、今日の試合は目立とうとするばかりで全てが空回りしていた。勝っているのは胸が揺れた回数ぐらいだろう。残念ながらそういうエロさは、審査に全く影響しない。

 ただ、それ以上に困惑しているのは相手チームで、どう攻めていいのか、守っていいのか分からず、棒立ちになっている選手が何人もいた。もし相手に互角以上の力があれば、前半だけでクリティカル・ゲームだっただろう。

 さしずめ『ワールド』はカオスのるつぼだ。

 貴文が理想とする試合とは、対極のものが眼前で展開されていた。

「まあそれでも、監督として初戦の空中分解状態よりは、狙いが見えているだけマシとも言えるが……」


「なってませんわね」


 このわけが分からない試合を唯一、的確に判断していた聡美が上から目線で断言する。

「理想の自分に自分自身が振り回されていますわ。まるで上下逆さまに泳いでいる白鳥のよう。あれではどんな人間の心もときめかすことはできないでしょう」

「エーアーウンソウダネ」

 全く理解出来ない貴文は、適当に相づちを打った。

「美が何たるか見せる必要があるようですわ」

「いや、しかし現状三上を下げたとしても入れるのは小森だぞ。お前が入ったら近藤のプレーも変わるし」

「違いますわ! 私が近藤さんの替わりに『マネ』として入るのですわ!」


「お前『マネ』できるのかよ!?」


 貴文は呆然とした。

 今までの練習をずっと見てきたが、聡美が『スターリー』以外の練習をしていることなど見たことが無い。当然『マネ』の連携など皆無で、いきなり登場した聡美に隆も未央もどう対処していいか焦るだろう。なにより今までの練習や試合を通して聡美もチームプレーがそれなりにできるようになってきたが、独善的なプレーはまだまだ目立ち、『スターリー』以外は問題外だった。

 だが――。

(自信があるみたいだし、今日の1戦は落としても致命傷にはならない。面白そうだし、試しにやらせてみるか。どうせこのままいってもジリ貧だろうし)

 貴文は聡美の提案を受け入れることにした。


 前半終了と同時に、選手達がベンチに戻ってくる。

 全員何とも言えない表情で、とりわけ沙織が最も納得がいかない様子だった。

「っかしーなー。絶対アレで上手くいくはずなのに……」

「あー、近藤。お前前半で丸山と交代だ」

「え? 尾崎ショタや小森となら分かるけどお嬢と?」

「何かお前に見せたいプレーがあるらしい。ぶっちゃけ俺は関与してないし駄目ならすぐに尾崎と代える」

「よく見ているといいですわ近藤さん。美の何たるかを教えて差し上げます!」

「え、なにそれ? なにそれカントク?」

「だから俺に聞くな」

 貴文が指導者らしからぬ返事をした横で、聡美は隆と未央に指示を出す。

 貴文の見たかぎり、聡美の説明は独特すぎて話を聞いている2人はあまり理解していない様子だった。それでも構わず聡美は話を続け、やがて後半が始まる。

 ただ、『ワールド』に出る直前に言った言葉だけは、誰が聞いてもはっきりと分かった。


「美の極地は一つではありませんわ。『スターリー』の美があるように『マネ』の美もあります。もっとも私が『マネ』をするのはこれが最初で最後でしょうが」


「いやそれを決めるのは俺なんだが……」

 

 そして後半が始まる。


 出だしは予想通りちぐはぐだった。グリーンの仕事が増し、次の試合まで疲労が取れるかどうか心配になるほどだ。

 しかし、時間が経つにつれ状況が変化していく。

 聡美の動き自体はそれほど変わりは無いが、隆と未央の動きが次第にスムーズになっていった。そして審判が『芸術点』をカウントする回数も多くなっていく。

 おそらくそれは聡美だけではないのだろう。チーム全体がより芸術的になっていった。それと比例するかのように、負担がグリーンから隆へと移り、試合最終盤では隆が汗まみれで、今までベンチばかりだったとは思えないほど疲れ切った顔をしていた。

 試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、聡美はいつものように舞台俳優じみた礼をする。相手チームからも自然と『ブラビッシモ!』の声がかけられた。

 『実得点』の上ではほぼ互角だったが、試合結果は見るまでもなかった。


「おつかれ……って言うかお前こっちの方が本職っぽいじゃねえか!」

 貴文はベンチに戻ってきた聡美に思わず言った。とても今まで自分勝手に『ワールド』で暴れてきた人間には思えない。

 しかし聡美はそんな貴文を無視し、沙織の前に立つ。

「近藤さん、私のプレーを見て自分とどう違うか分かりまして?」

「え、あー、お嬢の方があたしより全然綺麗だったとか……」

「そんな表面上の話ではありませんわ!」

 聡美は勝ったというのに顔を怒らせ、こぶしをベンチの柱に叩き付ける。

「貴方は『マネ』でありながら『スターリー』のプレーをしていましたのよ! そんなことでチームが勝てると思っていますの!?」

「・・・・・・」

 沙織は何も言い返せず俯く。

 貴文も沙織のプレーには、以前の陽介に見た独善的なものが見て取れた。ただそれは初めばかりだからで、慣れれば自然無くなるだろうとも思っていた。それを聡美は一過性のものではないとしっかり見抜いていたのだ。

 芸術的なプレーの指導に関しては専門外であるものの、教え子よりは精通しているものだとばかり思っていた。女性選手の知り合いは多いし、実際に世界トッププロト対戦した経験もある。

 だが、実査にそのポジションでプレーしているという経験は、それを遙かに凌ぐものがあるようだ。貴文は自分の底の浅さが恥ずかしくなり、思わず頭を抑えた。

「『スターリー』は例えるなら太陽で、『マネ』は惑星です。『スターリー』は周りのサポートが一切無くても輝き続ける、いえ輝かなくてはなりません。ですが『マネ』は自らの輝きだけでは、誰の心も魅了することは出来ませんわ。そして自分一人だけの輝きでは到底『スターリー』には及ばない、他の方々も輝かせて初めて対抗することが出来るんですの」

「……あーーーーーーーーーーー!」

 突然沙織は吠える。

「まさかお嬢から、こんなまともに説教されるなんて夢にも思わなかったよ……。確かにあたしは他の連中使って、自分が目立つことばっかり考えてた。高校時代はそれでもなんとか通用したかもしれないけど、大学じゃあ無理なんだね……」

 沙織は隆と未央に向き合い頭を下げる。

「二人ともごめん! あたしが無茶苦茶なことさせて!」

『・・・・・・』

 二人が顔を見合わせる。

 未央との一件があったため、まさかいきなり沙織から頭を下げられるとは夢にも思わなかった

「え……あ、どういう?」

 なんとか未央はそれだけ切り出す。聡美の話は聞いていたが、別に謝られるほどでも無いと思っていた。

「いくらなんでもあたしがもてるために二人利用して、それが完全に的外れだったなんてもう最悪でしょ。これで何も無かったことにしたら、あたしがあんまりに情けなさ過ぎるから、ここは素直に謝られてよ」

「ああ……うん……」

 明らかに釈然としない様子であったが、未央も隆もとりあえず頷いた。

(こいつも本当に面倒くさい性格してるな)

 なんだかんだ言っても沙織が自分と一番よく似ている。そして副将に指名したことが間違いでないと、改めて確信した。

「まあそれはそれとして、だ。丸山――」

「お断りします」

「何も言ってないうちからお前は……」

「私は『スターリー』をするためにこの部に来たのですわ。それは譲れません」

「……はあ」

 貴文はため息を吐いた。

 そうだろうと思った。『スターリー』は男女問わず傲慢で頑固な人間が多いが、聡美はその典型だ。言ってどうなるものでも思わなかったが、案の定だ。おそらく無理にやらせればさすがに折れるだろうが、チーム状況は最悪になるだろう。こういうタイプの手合いは、自分から折れるまで好きにさせるしかない。自分がそうだったので手に取るように分かる。

「じゃあとりあえず、近藤の練習をこれから見てやってくれ。俺の指導と近藤の経験だけじゃ限界がある」

「それなら喜んで」

「だから別に『芸術点』を極めてももてるようになるわけじゃないんだ――ぶふっ!」

 余計なことを言おうとした翔を、貴文はそっと物理的に黙らせる。

 

 試合後さっそく3人は沙織の指導を受けることになったが、


「そこはもっとエレガントに!」


「ロマンティックが足りませんわ!」


「トレモロ! トレモロ!」


『・・・・・・』

 まず指示を理解するのに時間がかかりそうだった……。

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